目次
今月の表紙写真
タートル相談担当の熊懐(くまだき)です。
全国の皆さまのお悩みやご相談など、電話でもメールでも対応いたしますので、ご連絡をお待ちしております!!
巻頭言
「新型コロナウイルスとタートルの相談活動〜過去を振り返りながら今後の相談活動を考える〜」
副理事長 工藤 正一(くどう しょういち)
1 中途失明と職場復帰
私は1948年12月生まれ、現在71歳です。労働省在職中の1981年、32歳の時、ベーチェット病を発病し、1986年38歳で失明しました。発病した1981年は、「国連障害者年」の年でした。そして、私が名実ともに職場復帰を果たしたのは1991年4月でした。ちなみに、1983年から1992年までが「国連障害者の十年」ですから、この「十年」のうち8年間は私の闘病とリハビリテーション(盲学校、国立リハ・職リハ)の時期と重なります。この間の体験が私の活動の原点です。
今振り返ると、発病から40年、失明して34年、職場復帰から数えて30年も経ちますが、今でも、「見えていたら……」と思うことがあります。要は、障害の受容を引き合いに出すまでもなく、いかにして気持ちの切り替えができるか、そこが重要です。私は今、縁あって、2015年4月から、視覚障害者のナショナルセンターである日本視覚障害者団体連合(日視連)で嘱託職員として働いていますが、少しでも視覚障害者の雇用と福祉が前進するよう、竹下義樹会長の下で国の審議会等に対して、意見や提案をする仕事に携わっています。
2 視覚障害者の雇用運動に励まされて
かつて「大学は出たけれど……」ということが合言葉のように言われました。ちょうどその頃、私はベーチェット病を発症し、視覚障害者の仲間入りをしました。その中で、固有名詞を冠した雇用運動をされた先輩たちの話を聞いて、励まされ、希望を感じ、私もそのあとに続こうと思いました。振り返ると、我が国の視覚障害者雇用運動の歴史は約50年と言ってもよいのではないか。つまり、盲学生にとって大学門戸開放があり、続いて、彼らの卒業後の就職問題が大きな課題となりました。彼らの日本盲人福祉研究会=文月会(当時)と、中途失明した労働者の職場復帰の闘いを支援していた全日本視覚障害者協議会が結び付き、1979年に全国視覚障害者雇用促進連絡会(雇用連)が結成されました。雇用連は、ヒューマンアシスタント制度の創設や、国家公務員点字採用試験の実現など、多大な成果を挙げ、今も粘り強く活動しています。
今でも、視覚障害者の雇用が厳しいことに変わりはなく、視覚障害者の雇用問題は、古くて新しい問題と言われる所以です。その背景には、視覚障害者はマイナーな存在なため障害者という一律の施策では救えないこと、情報障害という視覚障害者の特性や、目が見えない=仕事ができないという先入観などがあると考えます。タートルがそのような厳しい状況を少しなりとも前進させる一翼を担えたとしたら、望外の幸せです。
なお、視覚障害者の雇用運動の歴史については、雇用連の20周年記念誌『ここまで来た視覚障害者の雇用・就労』(1999年10月発行)をお読みください。
3 松井新二郎先生とタートルの会
私には大変ラッキーな出会いがありました。つまり、日本視覚障害者職能開発センターの創立者、故松井新二郎先生との出会いは、今にして思うと、運命づけられていたようにさえ思えます。というのは、私がまだ健常者として、労働省で契約の仕事を担当していた時に、松井先生の訪問を受けました。その時先生に随行して来られたのは、タートル発足から長年タートルの事務局長として、タートルを支えてくださった故篠島永一先生の奥様でした。労働省訪問の目的は、同センター(東京ワークショップ)のテープ起こしの仕事の契約更新のために来られたのですが、雇用連の会長でもあった先生は視覚障害者の就労問題について滔々と語られ、私はすっかり引きこまれてしまいました。その直後に、まさか自分が病気になり、失明するなんて……。そして、やがて先生を師と仰ぎ、活動することになるとは思ってもみませんでした。私は松井先生を通じて、たくさんの知己を得ることができたことを有り難く、今でも懐かしく思い出します。
先生はまた、自ら中途失明者として、その生涯を視覚障害者の自立と社会参加のために捧げられ、とりわけ視覚障害者の実践的な職業リハビリテーションと職域開拓に尽くされました。実際、多くの中途視覚障害者は先生から励まされ、大きな影響を受けました。
ところで、1991年6月、厚生省職員Aさん(全盲、神奈川県のリハビリテーション施設で訓練中)の支援をしていた職業更生科長が、復職したばかりの私の職場に来られました。「Aさんが職場復帰して働き続けられないだろうか」という相談でした。私は、国立障害者リハビリテーションセンターでお世話になった和泉森太さん(タートル初代会長)の力を借りることにしました。その結果、Aさんは日本視覚障害者職能開発センターで職業訓練を受け、1994年4月復職を果たしました。誰よりもこれを喜んだのは松井先生でした。これが1995年6月のタートルの会の発足に繋がりました。この辺りのことは、タートル手記集『中途失明〜それでも朝はくる〜』(1997年12月発刊)をお読みください。
4 橋広先生とロービジョン就労相談
このようにして、1995年6月、当事者の支援団体として中途視覚障害者の復職を考える会(通称、タートルの会、2007年12月、NPO法人タートルに移行、さらに2015年5月、認定NPO法人タートルに移行し現在に至る)が発足しました。その原点は相談にあると考えています。時代の流れとともに、相談も変化・発展しました。最初の頃は、お互い個人の経験を語り、励ますことが中心で、解雇にまつわる相談など、今より深刻な相談が多かったように思います。それに比べると、今は在職中の早い時期の相談が多くなり、医療・福祉・労働関係機関などと連携も進みました。
私が高橋広先生に出会ったのは、タートル発足直後の1995年6月、第3回視覚リハビリテーション研究発表大会が横浜で開催された時でした。当時、先生は産業医科大学で助教授をされておられ、「就労問題を抱える患者の相談にのってもらいたい」と声を掛けられました。以来、先生と視覚障害の就労支援を一緒に取り組むようになり、就労における眼科との連携の重要性を実感しました。眼科医の先生との出会いは、私にとってだけでなく、タートルの相談活動にも大きな影響を与えました。
そのような中、タートルは厚生労働省の平成20年度(2008年度)障害者自立支援調査研究プロジェクト事業を受託し、『視覚障害者の就労の基盤となる事務処理技術及び医療・福祉・就労機関の連携による相談支援の在り方に関する研究』に取り組み、就労におけるロービジョンケアの重要性を明らかにしました。それを受けて、翌年の2009年度から、眼科医等専門家の協力を得て行っているロービジョン就労相談がスタートしました。実際には、先生が慶応大学病院に来られる時に合わせて、スケジュールを組み、今日まで実施できました。しかし、残念ながら、慶応大学病院にピリオドを打たねばならず、これまでのようなロービジョン就労相談はできなくなりました。
余談になりますが、橋先生と一緒に取り組んだ思い出を二つ記録しておきたいと思います。一つは、「障害者雇用促進法に基づく障害者雇用対策基本方針」の中に、「ロービジョンケア」という文言を入れることができたことです。もう一つは、橋先生が日本ロービジョン学会理事長時代に実現したロービジョンケアの診療報酬化(2012年、ロービジョン検査判断料)にお手伝いできたことです。
5 眼科の先生に期待すること
眼科におけるロービジョンケアは重要です。ロービジョンケアは、見えない・見えづらくなったことから生ずる様々な問題を解決できますが、当事者の支援団体としては、眼科医療的な判断ができませんので、本人の訴えを信じるしかありません。また、私たちが本人に何か言うのと、眼科医が言うのとでは、本人の受け止めが全然違います。それだけに、眼科の先生に望むこととして、その一つは、患者の見え方を理解させ、自覚させ、それはなぜ不自由なのか、その理由を解明し、どうすればいいのか、目の使い方などを教えてあげてほしい。そうすれば、できなくなったことが再びできるようになります。何よりも、目は見えなくても仕事はできると、背中を押してあげてほしいということです。もう一つは、就労に対する苦手意識を捨てて、是非患者から困っていることを聞きだしてほしい。このようにして、眼科医との連携がうまくいくと、診療情報提供書に患者の保有視機能だけでなく、就労上の配慮の必要事項を記載していただくことで、産業医との連携もうまくいきます。
6 今後のロービジョン就労相談
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)問題が勃発し、実質的にロービジョン就労相談はできない状態が続いています。厚生労働省は3つの「密」・3密の標語を掲げています。つまり、感染拡大をできるだけ防ぐため密閉・密集・密接を避けるようにとのことです。何れにしても、これまでのような相談会は厳しくなることが予想されます。その一方、タートルの役員・スタッフの世代交代も課題となっております。幸いにも若いスタッフが増え、新しいタートルの姿を目指した取り組みが始まっています。例えば、Zoomミーティングなどを活用した遠隔地との交流が地に付いてきました。また、これも幸いなことに、タートルは会員・賛助会員も増加傾向にあり、医療関係者も増えています。今後は、そのような人たちにも協力してもらいながら、遠隔地の相談者や協力者とオンラインで繋ぎ、新しい形のリモートロービジョン就労相談を目指す時かも知れません。
交流会特別寄稿
タートル理事(相談担当) 熊懐 敬(くまだき けい)
はじめに
実は私は3月の交流会で同趣旨の講演をする予定でしたが、新型コロナウイルス感染症問題の台頭で中止を余儀なくされました。そこで、その場でお話しする予定だった内容を取りまとめて情報誌に掲載、皆様に読んでいただこうということになりました。自分の中途視覚障害者としての経験、タートルでの平素の相談対応等をふまえ、視覚障害者が働き続けるうえで参考になりそうな事項をまとめてみました。事情は人それぞれで、誠に多種多様であり、どこまでお役に立てるかどうかは甚だ疑問ですが、一つでも参考になることがあれば幸いです。また、今回は、主として事務的な業務に従事する人に焦点を当てておりますが、「あはき」やヘルスキーパーに従事している人にとっても、考え方など共通する部分はあると思います。併せてお含みいただければ幸いです。
1.私が65歳まで働き続けられたわけ 〜自己紹介を兼ねて〜
私は、現在東京都板橋区在住、73歳、網膜色素変性症で身体障害者手帳は1種1級、ほぼ全盲の男性です。1970年に大学を卒業し、都市銀行に入行しました。営業店勤務等を経て、入行後7年目に同銀行のグループ会社(シンクタンク)に出向、その後その会社に転籍し、その会社で65歳まで勤めました。
そこでの仕事は、銀行の顧客企業向けのビジネスセミナーの企画、運営でした。例えば、経営者・総務担当者向けの会社法に関するセミナーや、経理・財務担当者向けの資金繰りに関するセミナーなど、実に様々なセミナーを企画し、運営しました。1986年には男女雇用機会均等法が施行され、その実務対応セミナーを企画しましたが、人事・労務担当者の関心は高く、大きな会場への変更や、追加セミナーを何度も開催したことを記憶しています。
網膜色素変性症であることが判明したのは、丁度シンクタンクに出向した頃です(30歳頃)。当初は仕事にそれほど支障はなく、問題なくこなせていたのですが、40歳を越えたころから徐々に視力が低下し、身障者手帳3級を取得しました(上司には告知)。上司からは白杖を持つように指示されましたが、カバンに入れて持ち歩くだけ、仕事も見えるふりをして必死でこなしておりました。同僚との関係もギクシャクするなど、この頃が精神的には最もつらい時期だったように思います。
そんなとき(40歳台後半)、会社側から、「休職して訓練でも受けてはどうか」との話があり、銀行内の診療所の眼科主治医の助言をもとに、上司と一緒に、所沢の国リハや都内の訓練施設を見学して回りました。訓練施設は、通勤の感覚や家族とのつながりを優先し、自宅から通所できる都内の施設を選びました(東京都失明者更生館→現・東京視覚障害者生活支援センター)。訓練施設の相談員の助言もあって、“休職”ではなく、“研修扱い”にしてもらい、期間も、会社側の当初の提案である2年間から9か月に短縮となりました。訓練中に身障者手帳を更新(1級)、障害年金も申請しました。また、訓練中に多くの仲間と出会い、情報をいただき、発足当初のタートルともつながりました。こうして、音声PCのスキルをマスターし、白杖を携えて原職に復帰したときには、訓練前のあせりや悩みからは解放され、ある程度吹っ切れていたように思います。
私の仕事である「セミナーの企画」という仕事は、講師を決めて、その講師と講義内容の細目を詰めていく作業です。幸いeメールが普及して来て、講師とのやり取りはほとんどeメールでできます。新しい講師との打ち合わせは、できるだけ来訪してもらい、社内の応接室で基本的な打ち合わせをし、あとはすべてeメールで行いました。セミナーは有料であり、多くの人に参加してもらえばそれだけ会社の業績に貢献できます。そのために、セミナーのテーマやキャッチコピー、講義内容の細目については、顧客である企業の担当者にとって興味あるものになるよう懸命に知恵を絞りました。幸いにも時宜を得たテーマにも恵まれ、私が企画したセミナーは多くの集客に恵まれ、会社にも充分貢献し続けることができました。
このように、仕事のコアな部分が、「これまでの自分の知識・経験を活かした構想力」+「口頭でのプレゼンテーション」+「音声PCのスキル」で完結できたおかげで、私は、65歳まで勤務することができました。これに類する仕事は、社内研修、社内広報における文字情報の編集作業、経営企画、新商品のアイデア開発など、いろいろあるように思います。
2.視覚障害をどう受け容れるか
よく、“障害の受容”という表現が使われますが、これはそんな生やさしいものではありません。私自身も受容できたのか、まだまだ自信がありません。相談を受けたある人は、3年間自宅に閉じこもり、一歩も外に出なかったそうです。また、訓練中に施設を抜け出した人、通所の訓練を中座してしまったという人もいます。さらに、「自分は生きている価値がなくなった。このままでは家庭も破滅しそうだ」などと心境を語る人もいます。
このように“受容”はなかなか困難なことですが、不安の軽減や自信回復には、以下の5つのことが効果的なように感じています。
@支援機器や訓練施設等の情報収集
A同じような仲間との交流
B支援機器の体験、訓練
C白杖による歩行
D誰かを元気づける
の5つです。
タートルに相談していただければ、先ず、@とAが叶えられ、BとCについては、お住いの住所や見え方等の事情に応じて、適切な訓練施設等をご紹介しています。Cの白杖による歩行については、まだまだ必要ないという向きも多いと思いますが、白杖を持つことによって、周囲の人の理解が得られやすくなり、暖かい声をかけてもらえるようにもなります。そうしているうちに、感謝の気持ちが大きくなり、それと反比例して、自分の心の中の、視覚障害を拒んでいる部分が小さくなっていくように思います。
Dについては、「自分が元気になりたければ、誰かを励まし元気づけることだ」という名言があるそうです。タートルの会合に初めて参加した人から、「タートルではなぜ、あんなに皆さんが元気なのだろう」とよく言われます。それはお互いに情報交換しあうことで、元気をあげたりもらったりしているからとも言えそうです。懸命に皆様からの相談を受けている私が、元気を一番もらっているのかも知れません。
話がそれましたが、誰かの役に立つように努める、それも受容が進むための重要な一策と考える次第です。
3.職場に視覚障害をどう告知し折衝するか
「目の疾患を勤務先にどこまで告知すべきか」についての相談も多く寄せられます。以下の4つのケースで考えてみます。
ケース1:目に疾患はあるが、身障者手帳に該当せず、仕事にも支障がない場合
無事に仕事をこなせているようであれば、敢えて勤務先に告知する必要はないと思われます。
ケース2:身障者手帳の取得は難しいが、仕事に支障がある場合
主治医に診断書を書いてもらい、一定の配慮を要望することになります。診断書にもそのような文言を織り込んでもらえば一段と効果的です。障害者雇用促進法第2条では、障害者の定義について、「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。第六号において同じ。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)があるため、長期にわたり、職業生活に相当の制限を受け、又は職業生活を営むことが著しく困難な者をいう。」と定められています。身障者手帳を取得できなくても、この条文に該当すれば、障害者として、同法が定める障害者としての保護や権利(障害を理由とする差別の禁止、合理的配慮措置の提供義務)が適用されることとなります。いきなり法律を持ち出すということではなく、法的知識をふまえ、自信を持って勤務先との折衝に当たって欲しいという趣旨です。
ケース3:身障者手帳に該当または取得したが、仕事に支障がない場合
これはなかなか難しいケースです。本当に支障がないのであれば、敢えて、身障者手帳を提示して“障害者”というレッテルを貼られたくないという人もいるでしょう。ご本人の気持ち次第ということになるでしょうか。ただ、少しでも支障があるようであれば、手帳を提示して、ケース2で述べた合理的配慮を得ながら就労を続ける方が、気分的にも楽になるケースもあります。民間の雇用主にとっては、障害者雇用納付金制度上は、障害者一人につき60万円@1年間(1、2級の人は二人分=120万円)の納付金を免れるメリットもあることを勘案することも必要でしょう。
ケース4:身障者手帳に該当または取得し、仕事にも支障がある場合
これは、ケース3の後半で述べたように、身障者手帳を提示し、合理的配慮を受けながら就労を継続するのが王道であり得策でもあると思います。手帳を提示したら、処遇が下がるのではないか、昇格できなくなるのではないか等と心配する人が多いのですが、障害を理由とする不利益な扱いは、ケース2で述べたように、法律で禁止されています。平成28年4月に法律が施行されてまる3年が経過し、雇用主にもこの法律の内容が徐々にではありますが浸透しつつあるように思います。とはいえ、勤務先に視覚障害者がいない場合など、勤務先側もどうしたらよいかわからず、当惑することもありますが、勤務先の理解を深め、後輩の視覚障害者のために道を拓くつもりで交渉に当たられるよう願っています。
勤務先の理解が得られそうにない場合には、ケース2で述べた、眼科主治医の情報提供書が功を奏するケースがあります。主治医にお願いして、自分の希望をしっかり伝え、勤務先の産業医または人事担当者宛に、情報提供書の作成を依頼することになります。
4.ロービジョンの段階:自分に合った補助具を選ぶ
個人差はあろうかと思いますが、少しでも視力が残っていれば、それを最大限に活かすための補助具や工夫によって見え方が楽になったり、仕事の効率が上がったりすることが考えられます。ここでは、主な補助具や工夫について検討します。
(1)主な補助具
@遮光メガネ
特定の波長の光のみを遮断して、まぶしさを軽減するために開発された医療用メガネです。眼科に見本があればそこで試せますし、大手のメガネ店で自分が見やすいものを選ぶこともできます。一定の要件を満たせば、補装具として自治体から助成を受けられますので、居住地市区町村の福祉課または福祉事務所で相談されることをお勧めします。室内用(PC等の業務用)と室外用の2種類を使い分けると効果的な場合があります(この2種類に対して助成を認める自治体もあると聞いています)。
Aタイポスコープ
光を反射しない黒い紙を切り抜いたプレートで、活字を読みやすくするものです。牛乳パックのような固い紙に、黒い紙を貼って、自分が仕事で読んだり、書いたりする書類の文字の大きさや行の幅・長さ等に合わせてくり抜いて作ります。
B拡大読書器・ルーペ
対象物を拡大して見えやすく(書きやすく)するもので、その人に適合する倍率のものを選定することが必要です。拡大読書器を職場で導入してもらう際には、雇用主に対する助成制度があります(後述)。自分で購入する場合も、一定の要件を満たせば、日常生活用具としての助成を受けられますので、居住地市区町村の福祉課または福祉事務所で相談されるようお勧めします。
C単眼鏡
ロービジョンの人が遠くの物を見る道具で、望遠鏡のようにして使います。
Dマイナスルーペ
携帯用の凹面レンズで、小さくなりますが視野は拡がります。中心部分の視野が残っている人は、先ず全体を把握するのに役立ちます。
(2)タブレット端末・スマホ
iPadやiPhone等のタブレット端末やスマートホンもロービジョンに役立つ機能が数多くあると聞いています。それ自体が持つ文字の拡大や白黒反転機能をはじめ、カメラ機能を使えば、拡大読書器やマイナスルーペ等と同じ役割を果たしてくれるそうです。ロービジョンの人の間では、画面が大きいiPadが多く利用されているようです。
(3)その他の工夫
@パソコン自体に標準装備されている、文字の拡大機能や白黒反転もしくはコントラストを上げる機能等を活用している人も多いと聞いています。あるロービジョンの人は、これらの機能だけで随分助かったという人もいました。
A視野の中で、自分の見える箇所を見つけ、そこを使って見るように、上手に眼球を動かすことも効果的です。すでに、自分なりに知らず知らずのうちにその技術を身に付けている人も多いと思いますが、そのための訓練もあります(偏心固視訓練)。
5.音声に頼る段階:PC情報、墨字情報の音声化
ロービジョンの人でも、自分の視力だけでは疲れるし、能率がわるくなった、さらに、頼れる視力がほとんどなくなってしまったという人は、PC情報や墨字の情報を音声化して、上述のロービジョン支援機器と併用したり、全面的に音声=聴力に頼って仕事をしたりするということになります。
(1)PC情報の音声化
仕事では、やはりパソコンでの業務が主流でもあり、先ずはPC情報の音声化について検討します。スクリーンリーダー(画面読上げソフト)を通常のPCにインストールして、その操作方法の訓練を受けて利用します。
代表的なスクリーンリーダーとしては、従来から市販されている「PC-talker」や「Jaws」等があり、フリーソフトで開発・改善が進んでいる「NVDA」も注目されています。
各スクリーンリーダーにはそれぞれ特徴があるので、導入する際には、自分の職場のシステムにはどれが相性がよいか(特に職場独自で構築されたグループウエア等が、音声になるか、ならないか)をシステム担当者に、お試し版等により、事前に検証してもらうとよいでしょう。最近は、PC-talkerとJaws(またはNVDA)の双方を併用して、場面に応じて使い分けているという人も増えているようです。
なお、最近のWindows PCに標準装備されている「ナレーター」も徐々に改善が進んでおり、場面によっては使っているという声も耳にしますが、業務上本格的に活用するにはまだまだと聞いています。
(2)墨字情報の音声化
ペーパーレス化が進んでいるとはいえ、まだまだ紙の資料が多い職場も少なくありません。これらを音声で読むには、一般的には、OCRソフトをPCにインストールして複合機等のスキャナで読む方法が多く用いられています。OCRは一般向けのものにも利用可能なソフトもありますが、視覚障害者用に開発されたソフトが便利です。私は、PC-talkerの姉妹ソフトである、「MyRead7」を使っています。
最近は拡大読書器に読み上げ機能を持たせたものや、既に述べた「iPad」や「iPhone」のカメラ機能を利用して読み上げるアプリ等があります。さらに、今は価格が高額ながらも、目の前にかざせば読み上げてくれるメガネ型のウエアラブル端末も開発、販売されています。
他方、墨字情報の音声化はあまり効率がよくないこともあり、職場においては、会議の資料その他をできる限り電子データで送信してもらうように折衝することも必要になって来ます。
(3)助成金・無料貸し出し制度の活用
前項で述べた拡大読書器を含め、スクリーンリーダーやOCRソフトについては、職場で導入してもらう際には、雇用主に対する助成金や無料の貸し出し制度があります。問い合せ先は以下の通りです。
@助成金:高齢・障害・求職者雇用支援機構助成金担当(電話03-5638-2284)
A無料貸出制度:中央障害者雇用情報センター 正田さん(電話03-5638-2792)
また、個人で購入する場合には、日常生活用具としての助成を受けられる場合があります。詳細は居住地市区町村の福祉課または福祉事務所に問い合わせてください。
6.音声PC訓練の種類と施設の選び方
上で述べたスクリーンリーダーを使いこなすには、それなりの訓練が必要になります。PCの画面を見ないで、マウスも操作しないで、すべてを音声で聴きながら、キーボードから操作することになります。それを効率よく行うには、キーボードを見ないで必要なキーを叩ける、タッチタイピング技術の修得が、先ず必要になります。そして、従来マウスでやっていたすべてのコマンドを、キーボードから出すにはどのキーとどのキーを押せばよいか等のスキルをマスターしなければなりません。この操作はスクリーンリーダーによって、多少異なっています。これらを修得するための訓練の種類・施設は以下の通りです。
(1)訓練の2つの系統
音声PCの訓練には、主として、2つの系統があります。1つは福祉系で障害者総合支援法に基づく訓練です。原則1割の自己負担(上限あり)が発生します。申し込み窓口は居住地市区町村の福祉課または福祉事務所です。福祉系の訓練内容は、生活の自立をめざす機能訓練(自立訓練)と、就労をめざす就労移行支援訓練(職業訓練)の2つに大別されます。
もう1つは、労働系で、職業能力開発促進法に基づく訓練です。訓練費用は無料(コースによっては手当が支給される訓練もある)です。申し込み窓口は、ハローワークが主で、障害者職業能力開発校から委託を受けた団体の場合もあります。労働系の訓練内容は、仕事で使えることをめざす職業訓練が主となります。
この2つの系統のほかに、都道府県等の自治体や団体が独自に行っている訓練もあります。多くの場合、訓練内容は自立訓練に近い基本的な内容で、費用は無料、申し込み窓口は直接その訓練施設または団体となっていることが多いようです(多種多様ですので、本稿では説明を省略します)。
(2)働きながら受けられる訓練
@現在就労中の人にお勧めしたいのが、労働系の「在職者訓練」です。文字通り、働きながら、現在の仕事を続けるために必要なスキルに応じて、オーダーメードのカリキュラムを編成して受講する職業訓練です。訓練施設は、国立職業リハビリテーションセンター(埼玉県)、国立吉備高原職業リハビリテーションセンター(岡山県)、視覚障害者就労生涯学習支援センター(東京都)、NPO法人SPAN(東京都)、NPO法人トライアングル西千葉(千葉県)、名古屋盲人情報文化センター(愛知県)、日本ライトハウス視覚障害リハビリテーションセンター(大阪府)等があります。
A福祉系の「機能訓練(自立訓練)」も働きながら受けられますが、訓練内容は基本的には歩行訓練や音声PCの基本等の生活訓練です。音声PCを仕事で使えるようになるには、さらにどこかで職業訓練を受ける必要が出てきます。但し、職業訓練施設が少ないこともあり、自立訓練施設でも、受講生の事情に応じて、音声PCのスキルを結構高度なところまでやってくれる施設もあるようです。
また、現状では、雇用保険の被保険者ではない公務員は、@の在職者訓練は受けられないとされており、Aを受けて音声PC訓練のウエイトを高めてもらう方法が考えられます。
自立訓練の訓練施設は、国立障害者リハビリテーションセンター(埼玉県)、その支局である、函館、神戸、福岡の各視力障害センター、埼玉県総合リハビリテーションセンター(埼玉県)、東京視覚障害者生活支援センター(東京都)、日本点字図書館(東京都)、七沢自立支援ホーム(神奈川県)、名古屋市総合リハビリテーションセンター(愛知県)、日本ライトハウス視覚障害リハビリテーションセンター(大阪府)等があります。
(3)休職者または、就活中の人が受けられる訓練
上で述べた在職者訓練は、休職中の人でも受けられ、機能訓練(自立訓練)は、休職中や就活中の人でも受けられます。ここでは、休職中または、就活中でないと受けられない訓練について採り上げます。
@福祉系の就労移行支援訓練(職業訓練)
この訓練は、受給者証を発行する自治体によって多少の差はあるようですが、原則、現在離職しているか、休職者が受講対象とされています。訓練施設は、日本視覚障害者職能開発センター(東京都)、東京視覚障害者生活支援センター(東京都)、名古屋市総合リハビリテーションセンター(愛知県)、日本ライトハウス視覚障害リハビリテーションセンター(大阪府)等が行っています。訓練期間や開始時期等は、本人の希望も勘案されますが、各訓練期間によって異なっていますので、直接問い合わせてください。
A労働系の3か月〜1年以上の職業訓練
短期(3か月)の講座は、例えば関東近辺では、視覚障害者就労生涯学習支援センター(東京都)、トライアングル西千葉(千葉県)等が管轄の障害者職業能力開発校の委託を受けて行っています。
1年以上の長期コースは、国立職業リハビリテーションセンター(埼玉県)、国立吉備高原職業リハビリテーションセンター(岡山県)、日本視覚障害者職能開発センター(東京都)、日本ライトハウス(大阪府)等をはじめ、障害者職業能力開発校でも行っているところがあります(宮城県、神奈川県、大阪府、広島県、福岡県の職業能力開発校が視覚障害者に対応)。
長期のコースについては、訓練手当が支給されることが多く、定員より応募人員が多いこともあり、学力試験や面接試験に合格することが求められています。
※これまで述べた各訓練施設の詳細については、タートルホームページの関連リンクでご確認ください。
http://www.turtle.gr.jp/i05-link.html
(4)身近な訓練施設の活用
最近は、各都道府県、あるいは市区町村独自、またはその地域の団体が、例えば歩行訓練や音声PCの基本を教えてくれるケースも増えています。居住地市区町村の福祉課または福祉事務所、社会福祉協議会等に相談してみることをお勧めします。
(5)自分に合った訓練施設を選ぶ
訓練施設の選定に当たっては、例えば、自分が受けたい訓練の内容は何か、休職をしたくないのか、してもよいのか、その場合の期間はどれくらいなのか、職場に合ったスクリーンリーダーは何かというような視点から、ある程度の目安を付けて、自分に合いそうな施設をリストアップし、相談員の説明を受け、訓練風景等を見学したりして、その訓練施設の雰囲気や特徴を自分の肌で感じとることが必要です。もっとも、居住地によっては、訓練施設がほとんどなく、近くの施設を選ばざるを得ないという事情もあります。その場合には、その訓練施設の相談員とよく相談し、自分の希望ができる限り叶えられるよう、訓練内容等の詰めを行うとよいでしょう。
7.障害者職業センターやジョブコーチの活用 〜訓練成果を活かし職場定着をめざすために〜
(1)地域障害者職業センターの役割と活用
各都道府県には、必ず1箇所以上の障害者職業センターが設置されており、例えば、東京都では、東京障害者職業センター、神奈川県では、神奈川障害者職業センターが設置されています。
就労継続の視点からの障害者職業センターの役割は、大きく分けて、@雇用主と視覚障害当事者本人の間に立って、障害者ができそうな職務を切り出してくれること、Aジョブコーチを派遣し、職場での業務を円滑に遂行できるようサポートしてくれることの2つです。
障害者職業センターは、当事者からの相談も受けてはくれますが、職場を訪問して上記のような役割を果たしてもらうには、上司等を巻き込んで、相談しながら進めることが肝要です。
(2)職務の切り出し
視覚障害が進行して来ると、これまでの業務を円滑に遂行できなくなることは少なくありません。それを、音声PC等で補える場合には問題ないのですが、音声PCスキル等をマスターしても、これまでの業務遂行が難しい場合もあります(例えば、外勤の営業業務等)。
そして雇用主側も本人も、どんな仕事ならやれるか、職場にも貢献し、本人もやりがいがある仕事は何か等と検討を迫られることになります。その結果、雇用主側から、「いろいろ探したのだが、残念ながらやってもらえる仕事がない」という結論が出ることも少なくありません。そのようなときが職業センターの出番です。公的専門機関として、本人がやれそうな仕事で職場にも貢献できそうな仕事を探索し、必要に応じて職務を再編成し、切り出しをやってもらうことになります。「やれる仕事」で行き詰まったら、障害者職業センターへの相談をお勧めします。もちろん、当初から障害者職業センターに相談しながら進められれば、それに越したことはありません。
(3)ジョブコーチの派遣
音声PCが、職場ではうまく動作しないということもよくある話です。このような場合には、視覚障害者のシステム環境に精通したジョブコーチを職場に派遣してもらい、音声化できるような工夫、必要に応じてシステムや職務の調整等を助言してもらうことになります。せっかく受けた訓練を実りあるものにして、働き続けるために、ジョブコーチの活用をお勧めします。
なお、公務員は、障害者職業センター、ジョブコーチのサービスが受けられません。各都道府県の労働局職業対策課障害者雇用担当にお問い合わせください。
8.転職・再就職の道もある
ここまで、現在の職場での就労継続を念頭に書いて来ましたが、視力の低下でカベに当たったときの打開策として、他の会社等への転職または再就職の道があります。退職時には、次の職場が決まっている場合を転職と呼び、一旦退職し、就職活動を経て新しい職場に就職する場合を再就職と呼んで区別しています。
タートルでは、視覚障害者が一旦退職して再就職となると、採用環境がなかなか厳しいこともあり、先ずは現在の職場で何とか就労継続できないかを検討し助言するようにしています。
しかし、@今の職場ではどうしてもできる仕事が見つからない(あってもやりがいがない仕事)、Aいろいろ要望したが、職場の合理的配慮が得られない、B職場の風土や人間関係等にどうしてもなじめない、その他の理由から、転職、再就職の道を助言することもあります。その事情、経緯は、それこそ人によってさまざまです。在職中から就職活動をして転職する人もたまにはいますが、多くは、一旦退職し、必要に応じて、すでに述べたような訓練を受けて、就職活動を経て再就職するというパターンです。
再就職のための就職活動に当たっては、決してあせらず、かつ、粘り強い活動が求められます。自分に合う職場かどうか、本当に心のこもった配慮をしてくれる職場かどうかを見極めることが必要です。
冒頭で述べたように、視覚障害者の再就職、それも中・高年齢者となるとなかなか厳しいものがあります。処遇が下がったり、自分に合わない職場だったり、リスクも少なくありません。できれば今の職場を退職する前に、一度タートルに相談されるようお勧めします。
9.事例に学ぶ、働き続けるためのポイント
(1)働き続けたいという意欲
いくつかの成功事例を振り返ると、共通しているのは先ず、「働き続けたい」という意欲です。もちろん、その意欲が具体的行動に結びつくまでにはかなりの個人差があり、人によっては3年間かかった人もいます。でも、この働きたい、復職したいという意欲があったからこそ、しかるべき訓練を受けて復職することができました。本人がその気になりさえすれば、働き続けられる支援機器や制度が整えられていることを銘記しましょう。
(2)自助努力を忘れない
雇用主に合理的配慮義務があるから、私達は何もしなくてもよいということでは決してありません。支援機器の装備・訓練は、雇用主の合理的配慮で手配してもらうにしても、さらに求められるのは、本人の懸命の努力です。効率を上げ、健常者と肩を並べて仕事をこなすには、例えば音声PCにしても相当のスピードと正確さが求められます。できれば自宅に訓練中の音声PCと同様の環境を整え、日夜練習し、日商PC検定3級→2級等の資格取得をめざしたいものです。白杖での歩行訓練においても、とくに通勤経路については、念入りに訓練してもらい、体が覚えるまで練習します。さらに、一歩進めて自己啓発も欠かせません。タートルの仲間の中には、産業カウンセラーやキャリアコンサルタント、社会保険労務士等の資格保有者が少なくありません。
このように、働き続けるためには、本人の自助努力と雇用主の合理的配慮の車の両輪が不可欠です。
(3)良好な人間関係を保ち、応援者を増やす
私達は、音声PCを駆使できたとしても、様々な雑務を含めて、すべての仕事を自力で遂行することはほとんど不可能です。周囲の人達の、ちょっとした支援やサポートが欠かせません。平素からの、良好な人間関係づくりを心掛けるようにしましょう。
そのための基本は、第1には、身近な上司や同僚を信頼することだと思います。こちらが不信感を抱いていると、その気持ちは相手にも伝わります。私達は、障害を理解してもらえない等のことから、ともすれば不信感に捕らわれがちです。ある人と、確固たる信頼関係を築くには、先ずは相手を信頼することから始めましょう。
第2は、感謝の気持ちを忘れない→「ありがとう」の言葉を忘れないということだと思います。私達は多くの親切を受けるうちに、いつの間にか、感謝の気持ちを忘れ、それを言葉にするのも忘れがちになります。常に初心に戻り、感謝の気持ちを再認識しましょう。このように、信頼と感謝の気持ちをベースに、平素のコミュニケーションでは、必須の“かきくけこ”―か(感謝)、き(聞き上手)、く(口は禍のもと)、け(謙虚・素直)、こ(声を出す、肯定〔プラス〕志向)を心掛けましょう。(タートル25号の巻頭言参照(http://www.turtle.gr.jp/joho025.html#1)
結び 〜趣味や運動で人生を楽しもう〜
趣味や運動、仲間との交流で心身の健康を保ち、人生を楽しく充実したものにしましょう。運動では、マラソン、ダイビング、ヨット、水泳、サッカー、趣味では、コーラス、カラオケ、楽器の演奏、読書(サピエ)など、タートルスタッフも多くの人が楽しんでいます。そして、タートルの交流会やサロンをはじめ、各団体が主催するイベント等にも積極的に参加し、支援者や同じような仲間と交流することで、相互に士気が高まり、明日への活力にもつながることと思います。それが、職場での、明るく、前向きな姿勢にも反映され、良好な人間関係づくり、業務の円滑な遂行、ひいては本稿のテーマである、“永く働き続けること”にもつながるものと信じます。皆さん、人生を楽しみましょう!
職場で頑張っています
「こだわり過ぎるのはよくない」
会員 亀山 洋(かめやま ひろし) 氏
私は40代半ばに中途で視覚障害者になり、職業訓練をはさむ二度の転職で現在に至る、還暦リーチのオッサンです。 四国に生まれ育ち、父親の跡を継いで写真館を経営していたころは、まさか自分が視覚障害者になって大阪に住むなどとはこれっぽっちも想像していませんでした。
いま振り返ってみると、いくつかの困難な時期を乗り越えてこられたのは、つかず離れずいつもそばにいてくれた家族の存在と、なぜか折々に巡り合った人たちの暖かい助言や支援のおかげだったように思います。 自分の内面にばかり答えを求め続けるのではなく、だれでもいいから他人様の声に耳を傾けることは、問題解決の思いがけないヒントや近道につながります。
こだわり過ぎるのはよくないという、健常者としての人生第一部で身に着けた考え方が、当事者としての人生第二部に役立っているように思っています。
私の自覚症状は、まず色から始まりました。 40歳を過ぎたあたりからなんとなく文字が見えにくくなり、早くも老眼になったのかな、と思っていたある日、同じ物が左右の目で全然違う色に見えていることに気付き、眼科を受診しました。
写真と言うのはご存知の通り、風景や人物といった被写体の色や質感を正確に再現することが求められますが、プロとして色が正確に判別できないというのは、致命的な欠陥です。 最終的に名古屋大学医学部付属病院眼科で錐体杆体ジストロフィーの確定診断が出たのは、初診から4年後でした。 その間に何とか仕事を続けたいという気持ちは徐々に弱まっていたこともあり、事業をたたんで関西に移住しました。
関西に妻の実家があったことは、今考えてみれば、とてもラッキーだったと思います。移動手段としての公共交通機関や医療機関が充実していて、行政の福祉制度や利用できる各種のサービスも多いということが、その後早期に生活の基盤を確保することにどれほど役立ったかは言うまでもありません。
こういった地域格差があってはいけないのでしょうが、これが現実です。地方で視覚障害者になり、現在は都市部に住んでいる当事者の一人として、地方への情報発信の必要性を強く感じています。
関西に移住してから二級の手帳を持ち、就職活動を始めたのですが、幸いにも中途で製造業の会社の労務課に職を得ることができ、労働安全衛生や社会保険・給与計算といった業務を担当させていただきました。 それまでの社会人としての経験から、何となく知ってはいるというようなことが多かったのですが、仕事として正面から向き合うとなると、要求される知識やスキルはかなり高いレベルでしたので、ルーペ片手に資料を読み漁り、画面拡大のパソコンで情報を検索する日が続きました。 そこで身に着けた労働基準法や社会保険関係の知識と経験は、今でも公私ともに役立っています。
その後、視力減退と盲の進行もあって、再度転職を目指すことにしました。この時も、あまり深く悩むことなく、何とかなると思っていました。
就活中のハローワークで職業訓練を勧められ、岡山県の国立吉備高原職業リハビリテーションセンターに、単身寄宿で二年間の訓練を受けることにしました。 初めてスクリーンリーダーや拡大読書器といった支援機器に触れたときは、果たして自分に使いこなせるのだろうかという不安と、また新しい人生が始まるんだという希望が半々の、なんとも複雑な心境だったことを覚えています。
訓練では最年長グループでしたが、指導者に恵まれたおかげで、ITパスポートと簿記検定2級の資格まで取得することができました。 訓練期間中に、当事者団体というものが存在しているという話を聞いて、そこから現在の友人ともたくさん知り合えて、タートルの会にもつながりました。 訓練を無事終了して現在の勤務先にも採用していただき、現在は新型コロナ感染拡大によるテレワークの日々ですが、これもまた新しい人生だと思うようにしています。
60年近く生きてきた結果、悩み過ぎ、こだわり過ぎたときはたいてい、失敗することが多かったように思っています。 こだわりを捨てるという状態を、「人を薄める」と表現されたお坊さんがいらっしゃって、これが私の考え方の基準のようなものになっています。
天職だと思い込んでいた写真の世界から、なんと遠くに来てしまったと、自分でも驚いていると同時に、人様よりも多くの転機をいただいたことは、けっこう楽しくてありがたいと感じています。 これから先、もうあまり転機を迎えることはないとは思いながらも、実はちょっと期待して生きている毎日です。
お知らせコーナー
◆ ご参加をお待ちしております!!(今後の予定)
◎タートルサロン
毎月第3土曜日 14:00〜16:00
*交流会開催月は講演会の後に開催します。
会場:日本視覚障害者職能開発センター(東京四ツ谷)
情報交換や気軽な相談の場としてご利用ください。
*新型コロナウイルス感染症の動向によっては、会場での会合が難しく、引き続き開催を見合わせさせていただきます。
※その場合にも、ZOOMによるオンラインでのサロンは引き続き行います。奮ってご参加ください(詳細は下記の事務局宛にお問い合わせください)。
◆一人で悩まず、先ずは相談を!!
「見えなくても普通に生活したい」という願いはだれもが同じです。職業的に自立し、当り前に働き続けたい願望がだれにもあります。一人で抱え込まず、仲間同士一緒に考え、気軽に相談し合うことで、見えてくるものもあります。迷わずご連絡ください!同じ体験をしている視覚障害者が丁寧に対応します。(相談は無料です)
*新型コロナウイルス感染症の動向によっては、会場に参集しての相談会は引き続き見合わせさせていただきます。
*電話やメールによる相談はお受けしていますので、下記の事務局まで電話またはメールをお寄せください。
◆正会員入会のご案内
認定NPO法人タートルは、自らが視覚障害を体験した者たちが「働くことに特化」した活動をしている「当事者団体」です。疾病やけがなどで視力障害を患った際、だれでも途方にくれてしまいます。その様な時、仕事を継続するためにはどのようにしていけばいいかを、経験を通して助言や支援をします。そして見えなくても働ける事実を広く社会に知ってもらうことを目的として活動しています。当事者だけでなく、晴眼者の方の入会も歓迎いたします。
※入会金はありません。年会費は5,000円です。
◆賛助会員入会のご案内
☆賛助会員の会費は、「認定NPO法人への寄付」として税制優遇が受けられます!
認定NPO法人タートルは、視覚障害当事者ばかりでなく、タートルの目的や活動に賛同し、ご理解ご協力いただける個人や団体の入会を心から歓迎します。
※年会費は1口5,000円です。(複数口大歓迎です)
眼科の先生方はじめ、産業医の先生、医療従事者の方々には、視覚障害者の心の支え、QOLの向上のためにも賛助会員への入会を歓迎いたします。また、眼の疾患により就労の継続に不安をお持ちの患者さんがおられましたら、どうぞ、当認定NPO法人タートルをご紹介いただけると幸いに存じます。
入会申し込みはタートルホームページの入会申し込みメールフォームからできます。また、申込書をダウンロードすることもできます。
URL:http://www.turtle.gr.jp/
◆ご寄付のお願い
☆税制優遇が受けられることをご存知ですか?!
認定NPO法人タートルの活動にご支援をお願いします!!
昨今、中途視覚障害者からの就労相談希望は本当に多くあります。また、視力の低下による不安から、ロービジョン相談会・各拠点を含む交流会やタートルサロンに初めて参加される人も増えています。それらに適確・迅速に対応する体制作りや、関連資料の作成など、私達の活動を充実させるために皆様からの資金的ご支援が必須となっています。
個人・団体を問わず、暖かいご寄付をお願い申し上げます。
★当法人は、寄付された方が税制優遇を受けられる認定NPO法人の認可を受けました。
また、「認定NPO法人」は、年間100名の寄付を受けることが条件となっています。皆様の積極的なご支援をお願いいたします。
寄付は一口3,000円です。いつでも、何口でもご協力いただけます。寄付の申し込みは、タートルホームページの寄付申し込みメールフォームからできます。また、申込書をダウンロードすることもできます。
URL:http://www.turtle.gr.jp/
≪会費・寄付等振込先≫
●郵便局からの振込
ゆうちょ銀行
記号番号:00150-2-595127
加入者名:特定非営利活動法人タートル
●他銀行からの振込
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
支店名:〇一九店(ゼロイチキユウ店)
支店コード:019
預金種目:当座
口座番号:0595127
口座名義:トクヒ)タートル
◆ご支援に感謝申し上げます!
多くの皆様から本当に暖かいご寄付を頂戴しました。心より感謝申し上げます。これらのご支援は、当法人の活動に有効に使用させていただきます。
今後とも皆様のご支援をお願い申し上げます。
◆活動スタッフとボランティアを募集しています!!
あなたも活動に参加しませんか?
認定NPO法人タートルは、視覚障害者の就労継続・雇用啓発につなげる相談、交流会、情報提供、セミナー開催、就労啓発等の事業を行っております。これらの事業の企画や運営に一緒に活動するスタッフとボランティアを募集しています。会員でも非会員でもかまいません。当事者だけでなく、晴眼者(目が不自由でない方)の協力も求めています。首都圏だけでなく、関西や九州など各拠点でもボランティアを募集しています。
具体的には事務作業の支援、情報誌の編集、HP作成の支援、交流会時の受付、視覚障害参加者の駅からの誘導や通信設定等いろいろとあります。詳細については事務局までお気軽にお問い合わせください。
☆タートル事務局連絡先
Tel:03-3351-3208
E-mail:m#ail@turtle.gr.jp
(SPAM対策のため2文字目に # を入れて記載しています。お手数ですが、上記アドレスから # を除いてご送信ください。)
編集後記
全国のタートル会員の皆様、いかがお過ごしでしょうか?
読者の皆さんもご存じの通り、中国湖北省武漢市で昨年(令和元年)12月以降、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の発生が報告されて以来、世界各地で感染が拡大し、3月11日WHOはパンデミックを宣言しました。日本においても例外ではなく、感染が蔓延し、厚生労働省が通達した「人との接触を8割減らす、10のポイント」などにより、多くの方々が蔓延防止のため、在宅勤務や休業を余儀なくされていることは、記憶に新しいことでしょう。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関しては、約100年前の「スペインかぜ」が引き合いに出されることが多かったようです。東京都健康安全研究センターによると、スペインかぜの1回目の流行は、1918年8月下旬から9月上旬より始まり(中略)2回目の流行は(中略)いずれの時も大規模流行の期間は概ねピークの前後4週程度(中略)この前後4週間という流行期間は、通常のインフルエンザ流行の場合と同じであった(2020年5月1日確認)とあります。報道されているように、今後も十分気を付けないといけないということは、歴史が語っているかもしれません。
新型コロナウイルス対策のため、テレワークが急速に導入されました。その結果、都心部を中心に急激に在宅勤務が浸透しました。中にはIT企業やベンチャーを中心に、「コロナ後」もテレワークの継続に舵を切り、オフィスを利用しない動きも進んでいるようです。我々視覚障害者も、その動きに呼応して、常時テレワークを基本とした在宅勤務にシフトしなければならない時代になってきたのかもしれません。もちろん、在宅勤務にならない業種業態も数多くあります。すべてが「テレ」になることはないでしょう。ただ、それが可能な領域については、テレワークの一つの側面として、必要のない業務の洗い出しがなされたという評価もあるようですので、刻々と動く情勢には留意しなければならないかもしれません。
あっ、そういえば、「アベノマスク」まだ届いていないですが(5月27日現在)、皆さんはご利用されていますか? ちなみに小生は「ご当地マスク」派です(笑)。
さて、今回の「情報誌」はいかがでしたでしょうか? これからも、会員の皆様に楽しんでいただけるような誌面にしていきたいと思っております。どうぞ宜しくお願い致します!!
(イチカワ ヒロ)
奥付
特定非営利活動法人 タートル 情報誌
『タートル第51号』
2020年5月22日発行 SSKU 増刊通巻第6749号
発行 特定非営利活動法人 タートル 理事長 松坂 治男