目次
- 【巻頭言】副理事長 新井 愛一郎
- 【3月交流会講演】医療法人社団済安堂 井上眼科病院 人事総務部 石原 純子 氏
- 【職場で頑張っています】賛助会員 鶴賀 貞雄 氏・野村 耕一 氏
- 【お知らせコーナー】
- 【編集後記】
- 奥付
【巻頭言】
『仲間があることの優位性をさらに活かしていくために、まずは、自分の使う道具をもっと自分で考えること』
副理事長 新井 愛一郎(あらい あいいちろう)
〈私の道楽なのかもしれない〉
私は先天性の弱視です。子供のころは「頑張って、見える人に負けないこと」を生活の柱にしていました。母が教科書の文字をマジックで大きく書いてくれたり、学校の前の小さな文房具屋で買った「虫眼鏡」を4枚も重ねて取っ手をセロテープでとめて自家製のルーペを作ったりして、私は小さい文字と格闘していました。自分以外にこの世に「良く見えない人などいない」と考えていた私は、そうする以外に、周囲と競争して生きていくことはできませんでした。当時は視力も右0、左0.07程度で安定していました。
私の場合、文字のコントラストがはっきりしていて、大きいのが良いという、単純な見え方だったので、補助機器や、拡大の教材などは周囲の力を借りて作成することができました。 そういう見え方の好条件もあったのですが、自分で作ることの大切さは、子供の時から今も続いています。もちろん自分で作れるわけではありませんが、自分が便利に使えるように工夫することに力を注ぐことは大好きでした。新しい情報には飛びつきました。
据え置き型の拡大読書器は4台、後半になって携帯用が出ると5種類購入しました(もちろん福祉での導入は拡大読書器一台です)。それぞれ良さが違っていて、完璧なものはないけど、役立たないものは一台もありませんでした。ルーペなどは、展示会を開く程持っていました。 それらは、「この場面では便利」という良さをそれぞれ持っていて、決して無駄遣いではなかったと思います。
また、仕事で使う法律などの条文を、パソコンを使わない昔は、拡大写本ボランティアの方に裸眼でも見えるように拡大してもらっていました。電話をかけながら条文を読めるというのは、すごく助かりました。今は情報の問題がありますが、座席表や内線番号なども、裸眼で見えるように拡大してもらいました。
視力の状況などで使えるものは色々違いますが、「とにかく自分で試すこと」は大切だと考えます。 27歳まで、自分以外にこの世に弱視がいないと考えていた私は、たくさんの同じ視覚障害者に出会い、一人で突っ張っていくのではなく、自分の見えないことをきちんと表現していくこと、共に生きることの大切さを知っていきました。出会うことの大切さは、この「タートル」の巻頭言でも、多くの方が書いていますね。私もまったく同感です。
〈まずは自分で試してみよう〉
タートルでは、お互いの情報交換を何より大切にしています。上記のような支援機器などの情報も、タートルサロンや、勉強会などでもテーマとなっており、たくさんの有用な情報を得ることができます。我武者羅に自分で試してみなくてもたくさんの情報を得られます。 ただ、自分の使い勝手は、自分が一番よくわかるわけで、「とにかく自分でまず動いてみること」をお勧めします。 そのようにしているからこそ、仲間の情報も役立つものになるのだと思います。ただ待っていてはだめです。情報を発信しつつ、情報を得て豊かにしていく、タートルの仲間関係は、そのような、常に積極的な関係でありたいと思います。
〈今の興味の中心〉
iPadと出会った時の感動は忘れられません。単眼鏡と拡大読書器の両方の機能を持たせることができると確信しました。それでは、支える台はどうするか、と言うことで、5種類のいろいろな台や支柱になるものを買い込みました。どれも気に入らなかったのですが、現在は、結構良いのができています。その作成にあたっていろいろと意見を出させてもらいました。 でも、是非自分で作りたいと100円ショップで買いこんできたものをいじくりまわしています。 私たちは研究者ではないですが、支援機器について当事者としての使い勝手についての意見は誰より持っています。それらを出し合っていき、それらをまとめて、声を出していくことができれば素敵なことだと思うのです。
【3月交流会講演】
『眼科専門医療施設で働く視覚障害者の役割と思い』
医療法人社団済安堂 井上眼科病院 人事総務部 石原 純子(いしはら じゅんこ)氏
ご紹介をいただいた井上眼科病院、人事総務部の石原純子です。最後まで自分の思いがどれだけ伝えられるかわかりませんが、今日は頑張ってお話をしたいと思っています。 普段、私は笑いを取るのがすごく好きですが、今日はあまり笑いを取らずに、すべらずお話をしたいと思いますので、とりあえず「どうかな」と思ったら笑っておいてください。
私の見え方ですが、視力は左右0.03で、良い時は0.06まで出ることもあります。中心が見えにくく、文字を読んだり書いたりすることが難しかったり、人の顔もあまり見えませんが、周りの残存している視野で人の動きや周囲の状況をとらえることができます。 今日はスライドで発表しますが、私は発表の資料を目で見ることができないので、音を聞きながらの発表になります。ですから、お聞き苦しい点が多々あると思いますが、よろしくお願いいたします。
まず、プロフィールですが、私の出身は山梨県です。実家の庭を出ると、左側に大きく富士山が見えて、右側には八ヶ岳が見えるようなロケーションの所で育ちました。子どもの頃から見てのとおり活発で、家の中で本を読んだりするのはあまり好きではなく、暗くなるまで外で遊ぶような子どもでした。
私の父親は一代で築いた自営業をしていて、職人さんがよく家を出入りするような環境で育ちました。そういう家庭だったので、小さい頃から手に職を持って自立して働くことが良いと思っていました。それで、自分の進路を選択する時に、需要があり、自立ができ、なおかつ手に職を持つということを考えた時に、「看護師がいいかもしれないな」と思い、看護学校へ進学しました。
看護師資格を取ってから、いろいろな科を回りました。外科系、内科系のほか、精神科、あとは小児科や新生児集中治療室(NICU)などで、トータル12年間働きました。看護師時代は三交代勤務をしていて体力的にもかなりハードでした。とても責任がある仕事ということで、大変なこともたくさんありました。でも、人がこの世に生を受けて最後の瞬間まで、普通では立ち会えない場面に立ち、人の生きざまや生きる力をまざまざと見て、いろいろと考えさせられることが多くありました。
結婚と出産を経て、子育てをしながら働いていた時期もありました。その頃は本当に忙しく、三交代勤務もやりつつ子育てをしていたので、毎日がいっぱいいっぱいで、子育ても機械的になっているように思いました。そうした生活に疑問を感じるようになり、子どもが小さいうちは自分の手元で育てたいという気持ちが強くなり、第二子出産を機に退職しました。
そうして、仕事を辞めてから4年ほど経った頃でしょうか、見え方に違和感を感じるようになりました。最初はテーブルに置いてある物がわからなくて、こぼしたり落としたりすることが多くなりました。また、家族の洗濯物を畳んでしまっておくと「左右の靴下が違う」と、頻繁に言われるようになりました。 もともと私はそそっかしいので、そのぐらいのことかなと簡単に考えていました。車の運転をすると、なぜかわからない怖さがあり助手席に乗せている子どもに「今は赤、それとも青」と確認して、運転をしていたこともありました。
平成17年の1月、ある日目を覚ますと、ひどい飛蚊症に気が付きました。これは大変だと思い、朝一で眼科に行きました。そこは小さい病院で、医師から「精密検査が必要なので、大きい病院に行ってみてください」と言われ、紹介状を書いてもらい、翌日大学病院を受診しました。そして、いろいろな検査をした結果、網膜色素変性症の告知をされました。 その時、「えっ、私が何で」という気持ちと、「この先どうしよう、いつまで自分の目はみえているんだろう」という気持ちで、胸が苦しくなりました。帰りの電車で涙をこらえるので精一杯でした。家に帰ると子育てという現実があり、洗濯や掃除をして、料理をしてという暮らしがあり、泣いている暇もなく時間だけが慌ただしく過ぎていきました。
子どもから手が離れてきた頃、「もう一度、医療現場に立ちたい」と思うようになりました。自宅近くの小児科クリニックで募集があり、だめもとで面接に行きました。自分の見え方を話すと、そこの先生は理解を示してくれ、「まだ見えているようだから、働いてみたら」と言ってくれ、働くことになりました。 大体の仕事はできましたが、やはり見えない部分はどう努力しても補うことができないことを痛感しました。小児科では予防注射が多く、薬の確認や準備に人より時間がかかったり、また、冬になるとインフルエンザの患者さんがたくさん来院し、簡易検査キットで判定をするのですが、その色がハッキリ出ないと私には判別がつかなくて、一緒に働いている方を呼んで判定してもらうことがありました。乳児健診では、赤ちゃんがじっとしていないので測定にスピードを要求されますが、そういう仕事も難しくなってきました。
ただ、同僚は皆良い人だったので、「大丈夫、大丈夫」とは言ってくれました。でも、私自身やはりプロとしての仕事ができないことで、ものすごくストレスを感じました。皆さんに迷惑をかけるのではないかという思いが頭から離れず、毎日自分を責めるような感じになりました。仕事が終わった直後は「ああ、今日も無事に終わって良かった」と胸をなでおろし、寝る頃には「明日はどうやって仕事をしよう」「ミスをしないようにするには、どうしたらいいのだろう」ということばかり考えていました。
そんな生活をしていると、いつもストレスがかかっている状態ですから、心の方にも負担がきて、ある日起きられない状態になりました。それでも無理をして仕事に行っていたのですが、数日後には本当に歩けないような状態に陥ってしまいました。「ああ、もう仕事を辞めよう」と思えるようになり、やっと区切りをつけることができました。
この時には診断されて7年ほど経っていましたが、障害者手帳は抵抗がありました。医療者でありながら、その頃は自分もかなり偏見があったと思います。障害者手帳を貰うということは、もう働くことができなくなるという思いや、何か区切られるような意識がありました。その頃には文字の判読も難しくなり、今までできたことができなくなったという思いでいっぱいでした。あんなにハードルが高いと思っていた障害者手帳でしたが、取ってみたら「何てことなかった」という感じでした。苦しまないで、もっと早く障害者手帳を取っていれば良かったと思いました。
障害者手帳を取って「この先どうしようか」と考えましたが、看護師を辞める時は本当に身も心もボロボロで、気力もなく、半年ほどぼうっと過ごしました。少し動けるようになった頃、そう言えば雇用保険を掛けていたと思い出して、ハローワークに行ってみました。雇用保険をもらえるとのことでハローワーク通いが始まりました。「何か訓練をしないと、駄目になる」とぼんやりと思っていて、ハローワークの方に「視覚障害者ができるような訓練はないですか」と聞いてみましたが、「他の障害はあるけれど、視覚障害者は、あはきしか無いですよ」と言われました。また、看護師の資格があり有利ではないかということで、「三療の資格を取ってみたら」と勧められました。でも、その時点でかなり年も年でしたから、この先3年学校に行って、資格を取ってもあと何年働けるのだろうと考えると、資格を取る気持ちにはなれませんでした。たまたま担当してくださった方が、「四谷の方に視覚障害者にパソコンを教えてくれる所があるみたいですよ」と教えてくれたので、早速、センターに電話をして見学に行きました。
私はもともとパソコンは全くできなくて、ブラインドタッチもできなければ、できたのはメールとネットショッピングだけでした。初めて四谷に来た時に、色が反転した画面や音が出るPCを見て、ものすごく衝撃を受け、「私はこのパソコンだったら何かができる」と直感しました。
パソコンの訓練を始めたら、先生方のご指導がとても良かったせいか、できることが急速に増えていきました。メールとネットショッピングしかできなかった私が、WordができたりExcelができるようになり、センターに通うのが楽しくて仕方ありませんでした。
やはり、視覚障害になって何が一番困ったかというと、身の回りに目の不自由な人がいないため、情報を得る手段がわからないということでした。四谷のセンターに来て、利用者の方をはじめ、センターの職員にいろんなことを教えていただいたことは、今の仕事の基礎になっています。 そして、センターに通っている時に、iPhoneとiPadのことを知りました。「視覚障害者にいいらしい」という情報を聞いて、私は好奇心が強いものですから、早速、量販店に行きました。ちょうど0円キャンペーンをやっているという甘い言葉にのせられ、即契約をして、iPadを持って帰りました。その時の私のiPadの知識ですが、画面の読み上げと色の反転というワードは知っていたので、別料金でしたがお店の人に設定をしてもらい、「これで何かが変わる」などと勝手に思い込んで、家に帰って家族に見せました。
でも、家族からは、「えっ、何でこんな物を買ってきたの。画面が見えないのに、どうやって操作をするの」と、かなり冷ややかな反応をされました。そう言われたことが私はとっても悔しくて、負けず嫌いに火がつきました。「よし、絶対にこれを使いこなしてやる」と固く決心をして、講習会やセミナーに熱心に通い始めました。松坂理事長がiPhoneを達人のように動かしているという評判を聞き、当時松坂理事長は私の担当講師ではありませんでしたが、「是非、会わせてほしい」ということで仲を取り持ってもらいました。「iPadを買ったけれど、わからないから教えてほしい」という感じで、ゲリラ的に押しかけ、文字入力とネット検索の方法を教えていただきました。
iPadを持ち始めてから情報が入るようになって、私の生活は画期的に変わりました。 iPadを買って4か月ぐらい経った頃でしょうか。見えにくくなってきたので、「ロービジョンケアを受けてみよう」と思って、大学病院に行ってロービジョンケアを受けました。2回ほど行きましたが「あなたが持っている遮光眼鏡もルーペも適正なので、それで様子を見ましょう」と言われました。 それで帰ることになったのですが、帰り際に、「iPadを持っていますか」と声をかけられました。最初は何を言っているのか不思議に思いましたが、よくよく聞いてみると「iPad外来があります」ということでした。 そこでiPad外来をしていたのが三宅琢先生でした。「是非、来てみませんか」と言われ予約をして、三宅先生からiPadの指導を受けるようになりました。三宅先生が魔法でもかけたようにiPadを動かす様子に感動し、本当にiPadのすごさを思い知り、また直感ですが、「これを仕事にできたら」と考えるようになりました。たまたま四谷に人材派遣の方が来て、「井上眼科でiPadやiPhoneを使ってカウンセリングできる人を募集している」というお話がありました。私がもと医療職だったことと、iPhoneやiPadを熱心に使っていたので、どうかと勧めがあり、「iPhoneやiPadができるなら、是非やってみたいです」という感じで話が進み、2014年の7月に井上眼科病院に入職しました。
話は少し戻りますが、四谷のセンターでは就職が有利になるよう、いろいろな検定を勧めてくれます。私は四谷のセンターで日商PC検定のWord文書作成、Excelのデータ活用の3級と、秘書検定3級の資格を取りました。本当は秘書検定2級まで取りたかったのですが、先に就職が決まってしまったので、就職をした後に勉強をして、秘書検定2級を取りました。今年の2月に産業カウンセラー認定試験に受かりまして、今は産業カウンセラーの資格も持っています。資格について言うと、やはり企業に対して「このくらいできますよ」とアピールできるので、資格を取るのはすごく大事だと思います。あとは、合格できると嬉しいわけで次へとスキルアップしたいと思うようになるので、私個人としては、資格取得はしておいた方が良いと思っています。
ここからは井上眼科病院のお話をさせていただきます。現在、井上眼科病院は、お茶の水に、「井上眼科病院」と「井上眼科クリニック」、西葛西には「西葛西・井上眼科病院」、そして大宮には「大宮・井上眼科クリニック」があります。従業員数は大体500名ほどですが、それ以外に非常勤の医師や非常勤職員が在籍していて、関連会社には薬局や、メガネ店があります。
お茶の水に関して言うと、1日の来院患者さんは大体1,000人前後です。皆さんの中にも井上眼科に通った方もいらっしゃると思いますが、いつも混んでいて、本当に「いつもお待たせしてすみません」という感じです。
当院は、徳島県出身の漢方医の四男の井上達也さんという方が、今でいう東大病院で勉強されて明治14年に開院しました。今年で137年になり、かつては夏目漱石も患者として通っていた記録も残っているような、とても古い病院です。
この発表をするにあたり、当院の歴史を勉強してきました。見えにくい人には申し訳ありませんが、すごく良い資料がたくさんあったので、持って来ました。いまスライドに出ているのは、開院当時に病院の前で撮った職員の記念写真です。30人弱ほど写っているのでしょうか、着物を着た人たちの写真が出ています。 その次に持って来ている写真が、大正5年の視力表です。日本最初の視力表というものがあり、そちらを今スライドで出しています。黒地にUの字のような形のものが、上を向いたり横を向いたりして、上から次第に大きさが変わっているような視力表になっています。次のスライドは、私が感動して「見える人には是非見ていただきたい」と思って持って来た、手書きの眼底検査です。ドクターがスケッチをしたと思いますが細部まで細かく描かれているようです。こういう文献等も多く残され資料として、病院に保管されています。
次に、当院での障害者就労についてですが、障害者就労はしていましたが、視覚障害者の雇用はしていませんでした。しかし、今の理事長が「眼科病院だからこそ、視覚障害者を雇い、有利に活躍できるような職場を作りたい」と提案があったため、2014年から視覚障害者の雇用が始まりました。
就労にあたり導入していただいた支援機器は、PC-Talkerや拡大ソフト、OCRのソフト、NetReader、拡大読書器などで、助成金を使って法人で購入してもらいました。 今、スライドにお示ししているのは、平成27年に当院の理事長がロービジョン学会において、「障害者の雇用について」という調査をしたアンケート結果です。障害者としての雇用が最も多いのは「肢体不自由の方」で11施設、以下「聴覚言語障害の方」、「内部障害者」となり、「視覚障害者」は当院のみであったという結果になりました。これは全国の関連病院、28施設にアンケートを取り集計したものです。
この調査の中で視覚障害者の雇用について意見を聞いた所、肯定的なものとしては「ロービジョン外来でのアドバイスに役立つのではないか」「社会的失明の方へのアドバイスが有効ではないか」という意見をいただいています。否定的な意見として、「少人数の病院でも仕事はあると思うが、視覚障害者はやはり他の障害者に比べて、PC等ができないのではないかというところで、ちょっと無理ではないか」という意見や、「雇用のノウハウが無いため、どのような業務ができるかわからず雇えない」「活躍できる場を想定しても、ちょっと考えつかないので今は見送り」という回答をいただいています。
次は、私の入職後の状況です。iPhoneやiPadを使ったカウンセリング業務が中心ですが、毎日その仕事があるわけではなく、当然ながら空き時間も発生しています。その空き時間は、事務の方で何か仕事をさせようと考えてくれましたが、どこまで視覚障害者ができるかさっぱり見当がつかないということで、仕事の無い時期もありました。 私が管理本部に初出勤した日は、皆さんが熱いまなざしでじっと見るので、何でそうやって見ているのか不思議に思いました。たぶん「視覚障害者がきちんとまっすぐに歩けるのか」「ぶつからないのか」とか、そういうことを心配されて見ていたようでした。ですから、眼科病院であっても、残念ながら事務職の方たちには視覚障害者に対しての理解がまだ進んでいないような状況でした。
当時の仕事は、職員データを新しくするためのデータ入力でした。履歴書を見て入力するのですが、くせ字の方は本当に見づらくて毎日が拡大読書器との格闘でした。皆さん忙しそうにしているので、「ちょっとこの漢字が見えないから、教えてください」と言うのもためらわれ、声をかけづらい感じで、毎日拡大読書器とにらめっこをしていました。そのおかげで、拡大読書器の使い方は大変上手になりましたが、仕事は全然進まないような状況で1年目を過ごしました。
事務系の仕事は、きちんと固定された仕事がなく、自分なりに同僚に声をかけて、「何かできる仕事はありませんか」と聞いてみましたが、なかなか仕事に結びつけることはできませんでした。そして、私が入職して1年ほど経った頃に、人事総務部に係長が入って来ました。この係長は私の直属の上司になるのですが、視覚障害に対してとても理解を示してくださって、「一緒にやろう」という感じで仕事を振ってくれるようになりました。この方に親しくなってからお話を伺ったら、偶然だったのですが、ご両親が長く視覚障害関係のお仕事をしていたということでした。 そのため視覚障害者に対して、「別に全然普通でしょう」という感じで接してくれ、職場との調整をしてくれるようになりました。また、私の作った書類のチェックや、仕事で困っていることなども相談できるようになり、仕事がやりやすくなりました。
井上英子先生のところで行われる就労支援連続講座というセミナーに、私の部署の部長が参加することになりました。その部長が講習会から帰って来て、「ジョブコーチというのがあるから、石原さん使ってみないか」と話を持ちかけてくれ、業務の拡大を目的に、ジョブコーチの利用をすることになりました。訪問型ジョブコーチとして、井上英子先生に職場に来ていただき、PCの操作を教えていただきました。井上英子先生はJAWSという読み上げソフトを教えているので、新しくJAWSの操作を覚えました。PCTalkerでやっていた仕事を見直し、大きな患者データや契約書の管理、サポートの予約管理、患者数の分析などをJAWSで行うようになり、仕事の効率がかなり上がりました。 同時期に先ほどお話をした私の直属の上司である係長が企業在籍型のジョブコーチの研修を受け、企業在籍型ジョブコーチになりました。井上英子先生の支援を受けつつ、企業在籍型ジョブコーチの支援があり、この時期とても手厚い支援を受けていました。
訪問型と在籍型ジョブコーチのメリット(強み)はどんなところか紹介すると、訪問型ジョブコーチは障害者に対する経験や知識が豊富なため、専門的な指導が可能になります。一方で、在籍型ジョブコーチは何が強みかと言うと、やはり内部のことを良くわかっているので、仕事の振り出しや調整がしやすいところがあります。
次に現在やっている仕事についてお話します。私は井上眼科で、「ITサポート」という名称で働き、その仕事と事務所での仕事をしています。ITサポートは一体何をするかというと、医師や視能訓練士から指示のあったロービジョン患者に対しIT機器の使い方をアドバイスしています。「iPhoneやiPad等のIT機器を持っているが上手く使えない」「これから使いたいが、どんな使い方ができるのか」という方に、予約制で1時間ほど話をします。そのほかに、患者会や支援機関、支援団体等の紹介や、私は主婦や仕事などいろいろなことをしていますので、生活の中で役立つようなアドバイスや生活の知恵をお伝えしています。私は便利グッズも大好きなので、新しい物が出ると買って試し、良いものがあれば患者さまにも紹介しています。
そして、一番大事だと思っていることはピアカウンセラーとしての役割りだと思っています。見えにくくなると、皆さん今までできていたことができなくなったり、周囲の無理解による言動によって傷ついたり、辛い気持ちを抱えます。そうした患者さまの気持ちに寄り添い、少しでも元気になってもらえるように話を聞くことは大事だと思います。
ITサポート業務での事務的な仕事は、ITサポートの記録、患者さまの予約管理や患者数の集計・分析等です。また、最近の主な仕事としては、新人研修や院内研修で発表をしたり、ロービジョン学会に出て発表などをしています。ITサポートが主な仕事なので、事務業務はどうしても空いた時間という形になります。私ができることも限られていて、あまり納期に関係ない仕事で、忘年会や、研修等のアンケートの集計をしています。
また、当院では昨年8月から「見えにくさ相談会」というのを始めました。実は昨日も「見えにくさ相談会」の3回目を行ったのですが、日本点字図書館の方にご協力いただき、専門の指導員さんによる白杖の導入やルーペの選定、拡大読書器等の使い方のほか、便利グッズ等の展示をしています。一部予約制で一人30分で、6人の相談を受け、予約外の方は来て便利グッズを直接手に取ってみてもらうような相談会です。
なぜ相談会をやりたいと思ったかと言うと、去年ロービジョン学会に参加し、やっている病院の話を聞いて、うちでもできないかなと思ったのが最初です。「こういう所にこういうものがありますよ」と紹介しても、視覚障害者は初めての場所に一人で行くことが難しく、せっかくの情報に繋がれないのは残念だと思い、いつも通っている病院でこういうサービスを受けられたら、患者さまにとって良いと思ったので、「是非やりたい」ということで起案を書いて上の方へ提案し、実施できるようになりました。
これは中間型アウトリーチと言いますが、視覚障害者が集まる眼科病院等に専門家に来ていただき、支援やサービスを受けることができるという仕組みです。今、視覚リハの方でもちょっと注目されています。患者さまの反応も良く、30分じっくり話を聞いてもらえ、大変満足されてお帰りになっています。 今日は患者様の声として伺った中の意見を紹介すると、「病院でこのようなサービスがあって助かった」「サポートの情報が役立った」「当事者目線での情報がわかりやすかった」「趣味や、仕事がまたできるという希望が持てた」というものがありました。 また、少数意見ですが、視覚障害者が説明することに価値を見出してくれ、「晴眼者だったら説明を受けるつもりはなかったが、視覚障害者がやっていると聞いて心が動いた」という意見もありました。
私は、視覚障害という特性を生かし、眼科専門病院で働いていますが、自分の役割だと思うことを述べさせていただきます。 このように、私はちょっと特殊な働き方をしていますが、眼科専門病院に目の見えない人がいるのは、皆さんからすると不思議な業務形態だと思います。 これまでを振り返ると、院内で他部署との連携ができるようになりました。見えにくさ相談会は、各部署からお手伝いを出していただき、運営しています。そうした試みをすることで、他部署との連携をとれるようになり、ロービジョンへの関心も持ってもらえると思っています。
眼科の病院であっても、事務系の職員はなかなか視覚障害者に対しての理解が進んでいません。私がいることで、院内研修等で、リアルな視覚障害者の実態を伝えることができ、理解を深めてもらえると思います。あとは、学会などで「視覚障害者はこうして活躍できますよ」と広めることも大事な役割ではないかと思いますし、視覚障害者がこうして普通に働くことができるということを表現していくことも、勇気づけになるのではないかと思っています。
私はITサポートで伝えたいことは、視覚障害になるとこの先どうなるのかわからなかったり、見えなくなったら楽しいことがあるのかと思ってしまいます。そして、何もできなくなるのではないかと考え、暗い気持ちになってしまいます。私もそう思った時期がありますが、そうではないということです。いろいろな人の支援を借りたり、いろいろな機器を使えば、まだまだできることが大いにあることを伝えたいと思っています。また、「希望を持って生活していきましょう」ということを、すごく伝えたいです。 人生は一瞬です。私がいつも思っているのは「幸せはいつも自分の気持ちが決める」ということです。自分は不幸だと思うと不幸になってしまいますが、この状況で「幸せだな」と思ったら、きっと幸せに生きていけると思います。
ちょっと前後しますが、「生活の質」という部分にも私はすごくこだわっています。生活の質を絶対に落とさないこと。できれば維持もしくは向上すること。そして、生活を楽しくしてほしいと。私はいろんなことにチャレンジをして、目が悪くなる前よりもっと活動的になって、今までやったこともないようなことを、今ではたくさん経験させていただいています。ですから、「生活の質を落とさないで自分らしく生きる」ということを、是非患者さんにメッセージとしてお伝えしたいし、そうした支援をしていけたらと思います。 あとは患者さんに対して「情報につながってください」ということもお伝えしています。
終わりになりますが、私には視覚障害がありハンディがあるのは事実なので、これはこれで仕方ないと思いますが、今の仕事をやっていると良いことばかりではありません。職場的にもすごく恵まれていて、皆さんにサポートいただいていますが、カウンセリングをする中で、相手の表情やしぐさが見えないところはかなり、ハンディだと感じています。それをカバーできるようなやり方を考えなければいけないと、いつも考えています。 あとは、やはり経験を積むと同時に、今やっている仕事は他ではされていないため、今の仕事の確立として「こうしたら仕事ができる」とお示しすること、それを私は役割としてやっていかなければいけないと思います。
本当に最後になりますが、私は就労にあたって、職能開発センターの職員の方には大変お世話になりました。就労定着において、大変サポートをいただきまして、就職した当時は毎日のように電話をしていたので、「石原です」と名乗ると、ちゃんと担当者につながるようなホットラインがありました。また、資格取得にしても、こちらを卒業した後もサポートをいただきました。先日も産業カウンセラーの試験を受けるにあたり、パソコンを買い替えました。それで、使い方がわからなかったので、連絡をすると仕事が終わった後に遅くまでお付き合いいただいて、パソコンの使い方を教えてもらいました。そのおかげで、私は見事に産業カウンセラーの資格に合格することができました。本日のPowerPointでの発表も操作のアドバイスをしていただいたおかげで、無事発表をすることができました。本当に感謝してもしきれないほどの気持ちです。改めてお礼を申し上げ、終わりにいたします。ご清聴ありがとうございました。
<お断り>
本稿の内容は講演者の個人的見解であり、所属団体・企業及び、当会と関係するものではありません。
【職場で頑張っています】
『私はこうして復職しました』
賛助会員 鶴賀 貞雄(つるが さだお)氏
昨年の9月に会社に復職いたしました。 私は現在全盲です。中途で視力を失い、やむを得なく休職されている方に、少しでも参考にして頂ければと思い筆を執りました。
私は、40歳を過ぎた頃から視力の低下が始まりました。仕事が大変忙しく、パソコンでの文字の拡大と白黒反転を行いながら、騙し騙し業務をこなしていました。同時期に、会社の事業の見直しから転属があり、環境の変化、新しい業務に慣れるために必死で、視力が衰えていくことを上司や家族にも相談できずにおりました。その後体調を崩したのをきっかけに、精神的に不安な状態となり約3年間休職することとなりました。
精神状態が比較的安定した頃、眼科を受診、現在治療法のない進行性の難病と診断されました。目が見えないと、「これまで一人で出来ていたことが、すべて何もできなくなる」と、絶望の淵に追い詰められました。このとき、「会社への復職はできないだろう」と勝手に自分で諦めてしまいました。このような状況から思考停止状態となり、所謂ひきこもりの日々が続きました。
妻が何とかこの状況を打開しようと、とある団体に問い合わせたとき、「現在の仕事を絶対辞めてはいけない」と言われ、「視覚障害者の復職の相談をしてくれるいい団体がある」と初めてタートルの会を紹介して頂きました。
タートルの会の方で、私と同年代で同じ病気で、中途視力障害者であるにも関わらず、定年どころか65歳までも働かれたとの話をお聞きすると、「私も復職できるかもしれない」と希望が湧き、相談会に行ったのが、休職期間の期限が残り約6ヶ月しかないという時期でした。
そこでは、眼科医の高橋先生をはじめ、タートルの会の理事の皆様が親身に復職についてどのようにすべきか考えて下さり、休職期限までの短い期間で、歩行訓練、読み上げパソコンの学習、会社への対応などのスケジューリングをしてくださいました。
まずは、会社には復職希望の意志を伝え、そのために必要な歩行訓練、パソコン訓練をどのようなスケジュールで行っていくかを示し、了承して頂きました。歩行訓練の先生には、白杖の基本的な使い方から始まり、自宅から会社、社内の自分の席までのより安全な歩行経路を設定して頂き、その経路での訓練をして頂きました。また歩行訓練以外にも、視覚障害者が日常生活で役に立つ多くの情報を提供して頂きました。
井上英子先生のパソコン講座では、視覚障害者がパソコンを使用することで、仕事だけではなく、充実した社会生活を送る為の情報を得ることが出来る、という事を教えていただきました。パソコン操作以外にも視覚障害者が会社で働くうえで必要な内容の授業もあり、きめ細かい指導が大変勉強になりました。講座での訓練以外に、実際に復職後に必要と思われるパソコン技能について、自主学習を行いました。
歩行訓練、パソコン訓練を行い、約3ヶ月が過ぎた頃には、会社復職への自信が出てきており、前向きな気持ちになりました。 復職初日は、新入社員として配属された時のように、何か新鮮でうれしい気持ちでいっぱいでした。
復職後は、井上先生にパソコン関連のジョブコーチとして来ていただき、また会社生活を行う上で他のジョブコーチにも来ていただきました。会社業務としてパソコンを利用するためには訓練で習得したスキル以上のレベルが必要となります。休職する前に出来ていた事を同じスピードでこなせるようにと、井上先生には大変ご無理をお願いしてコーチして頂きました。それでも、いくら頑張ってもできないことがあり、これは同僚にお願いしてサポートしてもらっています。 最初に訓練を始めてから、約1年が経った現在、まだまだ課題はありますが、毎日楽しく仕事に励んでおります。
『模索中ですが、一歩一歩進んでいきます』
賛助会員 野村 耕一(のむら こういち)氏
お世話になっております。千葉の野村です。 まだこんなところに寄稿するほどのことはなにもできておらず、こんなところに寄稿している場合ではないと自分では感じています。しかしながら、私の話が今現在仕事や普段の生活で苦労されている方にとって、一つでもお役に立てばと考え書かせていただきます。
まず私の目ですが、網膜色素変性症で、障害者手帳は視野障害の2級です。病気の診断を受けたのが2011年の5月くらいですから、タートルの会に関わる方々からすると視覚障害者としてはひよっこだと思います。タートルの会に出会った3年ほど前は半分飾りのように持っていた白杖も、今はないと歩くのも不安になっています。
仕事について書きます。大学を卒業して中堅の証券会社で個人営業をやっていました。証券会社で8年ほど勤務した後、銀行に個人営業を中心とした営業専門職(フィナンシャルコンサルタント)として転職しました。 病気が発覚して直ぐに車の運転ができなくなり、しばらくは自転車で外回りをしていましたが、自転車でも事故をおこしてしまい自転車も乗れなくなりました。今考えるとその時点で色変が結構進行していたんですね。
その後は支店の中での接客営業へと担当を変えてもらいましたが、記入箇所の多い書類で見落としが増え、二度、三度とお客さまに店に足を運んでもらうなどが増え自分の中で限界を感じ事務職へと異動しました。 いまは営業とは全く関係のない事務職で働いています。中心の視力がまだ残っているので、視力に頼る事務仕事を少しとPCを使った集計作業などをしています。最近は視覚に頼った仕事もできることが減ってきています。
職場ではPCトーカーと拡大読書器を使わせてもらい、ポケットの中には携帯ルーペをいつも入れています。机の上には自分で購入したデスクライトを置いています。また、B4の黒い紙をプラスチックケースに入れて下敷き代わりにして書類を見るようにしています。メモはA4の紙にサインペンで書くようにしています。仕事をする時は点字図書館で買った黒い30センチ定規と文房具店で買った黒い10センチくらいの定規を使い分けて使用しています。音声パソコンに関しては在職者訓練を受講させていただきました。
日々、見えにくさが増してきている中で、できることが減ってきている中で、時間を持て余すことも増えてきています。しかしながら、私だからこそできる仕事が必ずあるはずだと今は模索中です。空いている時間は、PCの中の共有フォルダの中をみて私にできることを探したりしています。まだまだ模索中ですが結果は出ると信じて前を向いて進んでいきます。
最後に職場や普段の生活をより過ごしやすくするために心がけていることをひとつだけ。それはありがとうの言葉をたくさん言うということです。気がつかないようなことでも、相手は視覚障害者である私に気遣いをしているかもしれません。お礼を言う時に、どんなことに困るとか、どんな手助けが有ると助かるとか、ちょっと言えるとなおいいかと思います。よく行くコンビニでは、お会計が済んだら店員さんより先にありがとうございますと言うように心がけています。ありがとうといつも言っている方が、何かあった時にものを頼みやすいですからね。 以上のような感じでまだまだ模索中ですが、前を向いて頑張っています。 駄文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
【お知らせコーナー】
◆ ご参加をお待ちしております!!(今後の予定)
◎タートルサロン
毎月第3土曜日 14:00〜16:00
*交流会開催月は講演会の後に開催します。
会場:日本盲人職能開発センター(東京四ツ谷)
情報交換や気軽な相談の場としてご利用ください。
◎交流会
9月22日 ※いつもと違い第4土曜日となりますので、お間違えなく!
演題:「これからの理療従事者の就労見通しと課題」(仮)
講師:藤井亮輔氏
(筑波技術大学教授・鍼灸学博士・一枝のゆめ財団専務理事)
11月17日(土)
演題:「目がみえなくてもICT機器を使って少しでも豊かな生活を」
〜よりやさしく使いこなすために〜
講師:山賀信行氏
(NPO法人スラッシュ副代表・「やまさんの森」主催)
3月16日(土)
演題:「たくさんの方の支援を受け復職〜充実の毎日〜」
講師:六川真紀氏(東京海上日動あんしん生命保険葛ホ務)
◎勉強会
2月2日(土) 14:00〜16:00
テーマ:未定
※東京・大阪・福岡をテレビ会議で結んで行う予定。
◎「簡単でわかりやすい!視覚障害者との接し方講座」
7月、10月、2月(第3土曜日)10:00〜12:30
※詳細はタートルMLにてお知らせいたします。
◎女子会開催します☆
7月14日(土)11時30分集合
ランチ会の後、東京都障害者福祉会館に移動してゆっくりお茶を飲みながらおしゃべりしましょう!
◆一人で悩まず、先ずは相談を!!
「見えなくても普通に生活したい」という願いはだれもが同じです。職業的に自立し、当り前に働き続けたい願望がだれにもあります。一人で抱え込まず、仲間同士一緒に考え、気軽に相談し合うことで、見えてくるものもあります。迷わずご連絡ください!同じ体験をしている視覚障害者が丁寧に対応します。(相談は無料です)
◆正会員入会のご案内
認定NPO法人タートルは、自らが視覚障害を体験した者たちが「働くことに特化」した活動をしている団体です。疾病やけがなどで視力障害を患った際、だれでも途方にくれてしまいます。そんな時、仕事を継続するためにはどのようにしていけばいいかを、経験を通して助言や支援をします。そして見えなくても働ける事実を広く社会に知ってもらうことを目的として活動しています。当事者だけでなく、晴眼者の方の入会も歓迎いたします。
※入会金はありません。年会費は5,000円です。
◆賛助会員入会のご案内
☆賛助会員の会費は、「認定NPO法人への寄付」として税制優遇が受けられます!
認定NPO法人タートルは、視覚障害当事者ばかりでなく、タートルの目的や活動に賛同し、ご理解ご協力いただける個人や団体の入会を心から歓迎します。
※年会費は1口5,000円です。(複数口大歓迎です)
眼科の先生方はじめ、産業医の先生、医療従事者の方々には、視覚障害者の心の支え、QOLの向上のためにも賛助会員への入会を歓迎いたします。また、眼の疾患により就労の継続に不安をお持ちの患者さんがおられましたら、どうぞ、当認定NPO法人タートルをご紹介いただけると幸いに存じます。
入会申し込みはタートルホームページの入会申し込みメールフォームからできます。また、申込書をダウンロードすることもできます。
URL:http://www.turtle.gr.jp/
◆ご寄付のお願い
☆税制優遇が受けられることをご存知ですか?!
認定NPO法人タートルの活動にご支援をお願いします!!
昨今、中途視覚障害者からの就労相談希望は本当に多くあります。また、視力の低下による不安から、ロービジョン相談会・各拠点を含む交流会やタートルサロンに初めて参加される人も増えています。それらに適確・迅速に対応する体制作りや、関連資料の作成など、私達の活動を充実させるために皆様からの資金的ご支援が必須となっています。
個人・団体を問わず、暖かいご寄付をお願い申し上げます。
★当法人は、寄付された方が税制優遇を受けられる認定NPO法人の認可を受けました。
また、「認定NPO法人」は、年間100名の寄付を受けることが条件となっています。皆様の積極的なご支援をお願いいたします。
寄付は一口3,000円です。いつでも、何口でもご協力いただけます。寄付の申し込みは、タートルホームページの寄付申し込みメールフォームからできます。また、申込書をダウンロードすることもできます。
URL:http://www.turtle.gr.jp/
《会費・寄付等振込先》
●郵便局からの振込
ゆうちょ銀行
記号番号:00150-2-595127
加入者名:特定非営利活動法人タートル
●他銀行からの振込
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
支店名:〇一九店(ゼロイチキユウ店)
支店コード:019
預金種目:当座
口座番号:0595127
口座名義:トクヒ)タートル
◆ご支援に感謝申し上げます!
本年度も多くの皆様から本当に暖かいご寄付を頂戴しました。心より感謝申し上げます。これらのご支援は、当法人の活動に有効に使用させていただきます。
今後とも皆様のご支援をお願いい申し上げます。
◆活動スタッフとボランティアを募集しています!!
あなたも活動に参加しませんか?
認定NPO法人タートルは、視覚障害者の就労継続・雇用啓発につなげる相談、交流会、情報提供、セミナー開催、就労啓発等の事業を行っております。これらの事業の企画や運営に一緒に活動するスタッフとボランティアを募集しています。会員でも非会員でもかまいません。当事者だけでなく、晴眼者(目が不自由でない方)の協力も求めています。首都圏だけでなく、関西や九州など各拠点でもボランティアを募集しています。
具体的には事務作業の支援、情報誌の編集、HP作成の支援、交流会時の受付、視覚障害参加者の駅からの誘導や通信設定等いろいろとあります。詳細については事務局までお気軽にお問い合わせください。
☆タートル事務局連絡先
Tel:03-3351-3208
E-mail:m#ail@turtle.gr.jp
(SPAM対策のため2文字目に # を入れて記載しています。お手数ですが、上記アドレスから # を除いてご送信ください。)
【編集後記】
全国のタートル会員の皆様、お元気でお過ごしでしょうか?
「ハーーークションいぇいいぇい!!」朝、たまたま座れた電車の中。ドア側の端にいたところ、天空から降り注ぐ雄叫び…。私の頭上近くには高校生の女子が連れ立っていて、そのうちの一人がくしゃみをしたと理解したのは、1秒ぐらい経過してからでした。とにかく、その御嬢さん女神様の、まるでドリフの加トちゃん(これもわからない人多くなっているかなぁ)くしゃみがあまりにも楽しくて顔の筋肉がほころびました。満員電車の通勤は、それなりに大変なのですが、たまに楽しいというか微笑ましいというか、そんな時もありますね。久々に面白い会話だったのでもう少し紹介しますと…。お連れのお嬢さんは、耳にピアスを開けたばかりらしいのですが、家にピアスを忘れたらしくブツブツ言いながらずっと悩んでいました。「家に取りに行けないし。どこかで買おうか、友達に借りるか?」「爪楊枝でもさすか?!」(私)ひえぇぇ〜!結局ラインか何かで、友達に持ってきてもらうよう頼んでいる様子。うーん。楽しすぎる!
くしゃみぐらいならいいのですが、今年の春先は寒暖の差がいつもより激しかったような気がします。そのせいかどうかわかりませんが、珍しく2週間にわたり風邪をこじらせてしまいました。喉の調子が良くない〜喉が痛い〜咳き込む〜悪寒が走る…。だんだん悪くなっているなぁと思いつつ、とうとうダウン!そして漢方薬の力を借りました。何種類か漢方薬を飲んだのですが、どれも味が違いますね!「おいしいなぁ」と思うのもありまして、体調が戻ってもちょっと飲もうかななんて気もしたりして…。皆様におかれましては、お風邪などお召しにならないようお気をつけ頂き、健康のお供に情報誌をどうぞ…。
さて、今回の「情報誌」はいかがでしたでしょうか?これからも、会員の皆様に楽しんで頂けるような誌面にしていきたいと思っております。どうぞ宜しくお願い致します!!
(市川 浩明)
奥付
特定非営利活動法人 タートル 情報誌
『タートル第43号』
2018年5月18日発行 SSKU 増刊通巻第6095号
発行 特定非営利活動法人 タートル 理事長 松坂 治男