No.1

タートル

1995.12.15
中途視覚障害者の復職を考える会
< 創 刊 号 > (タートルの会)


巻 頭 言

タートルの会会長 和泉森太

 平成7年(1995年)は、障害者にとっても大きな衝撃の年でした。
 阪神・淡路大震災における被災障害者の生活レベルでの困窮とその立て直し は想像を絶するものがあったと聞いております。応援をしたくても系統だてて、 秩序だてて行える環境がなかったことに、人間の営みの困難さを感じるのは独り 私だけではないと思います。
 3月下旬からは「オウム事件」一色です。教祖が視覚障害者であることがマ スコミ報道で強調され、その性格の異常さが視覚障害によるかの如く扱われる無 責任さは、わが国の障害者問題の解決への進展を阻害するものであるとさえ言え るように思うのです。
 さて、タートルの会の発足は、これらほどのインパクトを世に与えるもので はないかも知れませんが、本年6月3日に東京・田町の勤労福祉会館で発会式を 行いました。
 3年間の小さな活動の成果を踏まえ、「中途視覚障害者が原職復帰する」こ とを目標として、ごく当たり前の考え方をその思想とすることで話し合ってきま した。
 これまで慣れ親しんだ仕事、ノウハウを培ってきた仕事の重要性に着目し、 生活の質や人生の質を大切にするという普通の考え方を「障害」をとおして確認 していきたいと思うのです。
 もちろん、十分な市民権を得ているわけではありませんが、その市民権を得 るためにも、これから種々の活動を展開していかなければなりません。
 現在、数十名の会員でスタートしておりますが、会が実施する企画について は、自らの力量をより一層高めることを課題に頑張っていきたいと思っています 。

総 会 報 告

 平成7年6月3日 (土)、港勤労福祉会館にて設立総会を行いました。当 日は、会員及び関係者を含めて約50名の参加があり、総会に引き続き、橋本宗明 氏(カトリック点字図書館館長)の記念講演の後、会員相互の理解と親睦をはか るために交流集会をもち、今後の活動に期待されつつ、「タートルの会」は正式 にスタートしたのであります。
 総会は、[1]経過報告、[2]会則、[3]活動方針、[4]予算、[5]役員選出、[6] 質疑、 [7]役員自己紹介の順に発起人幹事がそれぞれ分担して説明を行い、議事 は進められました。

 経過報告について
1.会の誕生
 本会の発足は、視覚障害を持つ国家公務員(中途失明後、職場復帰を果たし た1人、弱視を有しながら働き続けてきた1人、徐々に視力が低下しながらも、 働き続けている1人)の共通の思いに端を発しています。
 その思いとは、「視覚障害を持ちながら苦労し、失明の不安にかられている 人、そういう仲間が必ずもっといるはず、連絡を取り合い、励まし合えたら‥‥ 」というものでした。
 3人が連絡を取り合い、できるところから呼びかけ、1992年5月、東京周辺 に働く視覚障害を持つ国家公務員7人(厚生・労働・運輸・法務の各省)が集ま り、交流をしたのが最初でした。以後、2カ月に1度、集まる会を持つことを確 認し合いました。
2.体験を語り合い、少しずつ輪が広がる
 隔月で定例会を重ねる中で、少しずつ仲間との連絡も取れ、会の輪も広がっ ていきました。
 1992年は、主として、会の在り方について、誰もが参加できる会を目指して 、会の申し合せ事項を検討しました。また、定例会では、職場復帰の体験、機器 活用等の体験について、お互いに報告し合いました。
3.秋元氏の原職復帰の支援を中心に
 1992年の後半、原職復帰を目指して日本盲人職能開発センターで訓練を受け ていた秋元明氏の参加により、以後、同氏の原職復帰の実現まで支援を続けまし た。定例会では、同センターで訓練中の人の参加もみられるようになり、会の輪 も広がっていきました。
 1994年4月、同氏の原職復帰が実現し、5月18日の「復職を祝う会」には多 くの中途視覚障害者が参加しました。その模様がNHKラジオで放送されたこと もあり、会に関する問い合わせが寄せられ、会の正式発足が望まれるようになり ました。さらに、秋元氏の他にも、同センターで訓練を受けながら会にも参加し てきた数人が原職復帰や再就職を果たすことができました。
 また、谷合侑氏を講師に視覚障害を持つ公務員労働者の状況についての学習 会も開催してきました。
4.正式発足に向けて
 1994年後半から、会について問い合わせが寄せられたり、職場復帰等に関す る情報を求めての参加もみられ、会に対する期待も高まってきました。そのよう な期待に応えるために、昨年後半から正式発足への取り組みが開始されました。
 1994年11月、「会則」案の提示と同時に、正式発足に向けて自分自身の体験 を手記としてまとめることが提案されました。
 従来、会の名称については、「視覚障害公務員の会=タートルの会」と称し てきました。しかし、この間の活動の経過や中途視覚障害者の現状に鑑み、会の 性格をより明確にすることになりました。その結果、中途視覚障害者の復職に関 して、より広範な人たちと共に考え合える会として、「中途視覚障害者の復職を 考える会=タートルの会」とすることにしました。
 「手記集」発行については、会の正式発足にふさわしく、社会的にも意義あ るものと確認し合いました。そして、より内容を充実させ、いずれ正式な出版物 として世に出したいと考えています。

 活動方針について
 [1]手記集の発刊、[2]初期相談、[3]研修制度、[4]補助機器の導入推進、[5] 交流集会、[6]会報の発行、[7]調査・研究に関すること等々を具体的に実行して いくことを確認しました。
…………………………

【記念講演・要旨】


視覚障害者の雇用問題を巡って

カトリック点字図書館
館長 橋本宗明

◇視覚障害者雇用運動の特徴
 私たちの運動には、いわゆる年金や街づくり、盲教育等さまざまな領域があ りますが、それらは雇用運動とは基本的なところで違っています。つまり、前者 は一般的な制度論で済むのに対し、後者の場合は、制度論に加えて常にAさんB さんという固有名詞を持った人がいて、この両者が緊張関係を持ちながら進みま す。
 今回のタートルの会の手記集を読んで、共通に出てきた結論なのですが、筆 者は「もっと早く、こういうことを知っておればよかった」と言っています。そ の中身は、一つは障害者雇用に関する制度の問題であり、一つは、障害者雇用運 動をしている仲間を知った喜びです。そして、何とか職場に踏みとどまっていけ るという可能性の発見です。ここに手記を寄せられた人たちは、幸いにも関係の 制度や人々を知る機会があって立ち直ったわけです。

◇「目が見えなければ何もできない」という「社会常識」
 勤めていて失明すれば、最初に出てくるのは孤立感です。周りは何くわぬ顔 で当り前の生活をしているのに、「自分は失明して、もう何もできない」という 孤立感は、動物的な恐怖にも通じます。
 今まで目が見えて、職業的にも家庭的にも当り前な暮らしをしている時には 、社会は空気のような存在です。しかし、目が見えなくなった途端に、社会がガ ラリと豹変し、巨大な壁となります。
 目が見える時はパスポートを持っていて、目が見えなくなればそれを取り上 げられてしまいます。そして、「視覚障害者・盲人=無能力者」とされ、会社を 辞めるようなことになってしまいます。

◇障害と関係性
 障害者になった途端に社会が大きな壁になると話しました。その中身は、生 理学的・生物学的な障害と社会との関係による障害です。しかし、ほとんどが後 者の関係性による制度的・心理的なものです。「目が見えない」という生物学的 なことは変えることはできませんが、関係性からくるものは崩すことができます 。心理的な問題はいわば差別意識の問題、あるいは、それに依存した制度の問題 です。この関係性が取り払われれば、障害の問題はほとんど解決します。

◇国家公務員点字受験の教訓
 雇用連が13年かかって国家公務員の点字受験を実現しました。毎年人事院 と交渉しては、いつも、「行政は文書で動くのだから、文字の読めない者は行政 官にはなれない。選考採用制度もある」といわれました。それに対し、こちらは 全然別の視点で食いつくわけです。つまり、「行政官となるというのは、公僕と しての国民に対する真摯なサービスの精神が決定的に必要で、それを具現するた めには、能力と技術の二つが必要です。たまたま目が見えないというのは、何ら かのアタッチメントをくっ付ければ済むのではないか」と。そして、私はかなり 嫌な言い方をしました。「目玉が公務員になるわけではあるまい。大事なことは 、意思と能力なんだ」と。お互いに一方的で噛み合わない議論をしているわけで す。
 そういういつ終わるかも分からないような不毛の論争を毎年繰り返していた ら、ある時、ガラリとこれが変わりました。それまで彼らは、「行政は文書で動 く、読めない人は行政官にはなれない」と言っていたのが、参議院の社会労働委 員会で人事院総裁が点字受験を認めると言い出したのです。
 その理由に、「社会の進展に伴って」と、「ハ−ドが整ってきた」の二つを あげています。それらはいずれも、取って付けたような理由に過ぎません。社会 の進展に伴ってといっても、いつ、どういう状況で、どういう変化が起きたのか 言及していません。私はその時、役所側の反対の理由も、それが取り下げられて 認められる理由も、かなり勝手でいい加減だと思いました。

◇運動によって「社会常識」は変えられる
 そこで、気が付いたのは、私たちの言い分が正しければ正しいほど、先方は 苦しがっているということです。世の中には、「見えなければ何もできない」と いうようないろいろな壁がありますが、正しい原理に基づいて運動していけば、 いつか必ず壁に穴が空くものだと思いました。
 失業保険や生活保護の歴史をみても分かるように、戦前は、失業や貧乏は本 人の責任とされましたが、今では生存権として保障されています。その変化の背 景には、敗戦ということがあったにしろ、多くの運動の積み重ねがあります。
 企業が「盲人」を雇うヘルスキーパーも、以前は話にもなりませんでした。 私が盲学生の頃、先輩達が都電の車庫にマッサージの宣伝にいっていました。こ ういう先人の努力によって、ヘルスキーパーが広がっていきました。今後、努力 次第では、社会常識になる可能性があります。このように、社会常識を変えてい くのが我々の運動です。

◇雇用運動は歴史の一コマであり、真理は歴史の発展の中で姿を現す
 今いったようなことをもう少し理屈っぽくいうと、歴史を発展させることに 我々がどう関わるかということになります。つまり、真理というのは歴史の発展 の中で徐々にその姿を現してくるものだと思います。
 現実に、会社や官庁で首になることをどのようにくい止めるかという問題は 、非常に難しくデリケートな問題です。外部の団体がやたらに介入したら、かえ って薮蛇になることもあります。正面から喧嘩を売って済むことでもありません し、職安などを通して働きかけるとか、実にさまざまな賢さが必要です。
 視覚障害者の生活をどう底上げしていくかについて、我々が努力していくこ とが、いわば真理を具体化し、歴史の発展を促すことになります。私たちの運動 をそのような大きな流れの一コマと位置付ければ、私たちの仕事にはとても大き な意義があると思います。 (記録:工藤正一)
…………………………

わがタートル、その由来


 僕の亀への思いは、自らの視力低下の進行に伴い、行動や文字処理がすっか りのろま」になった頃、自嘲的にまるで「亀さんや」と思い始めた時のように記 憶する。亀には、「努力すること」や、「恩を忘れてはならないこと」など、人 として大切なことについて、何らかの教訓を示唆する役目を背負わせているよう に思う。
 その教訓でも、特に大きなインパクトを与えた亀がアフリカはカメルーンに いた。設定は、兎との競走であるが、あの相手の居眠りで勝たしてもらったとい うのと異なり、
[1]亀から競走を申し込み(積極性)、 [2]バカにして渋る兎を説きふせてO Kさせた上で、自分の仲間に事情を伝え(準備)
[3]競走当日道筋に待機させ(知恵)、 [4]当日、次々とバトンタッチでつな いだ(協力)。 兎は「亀君、まだついてきているかい」と何度聞いても、「え え、すぐ後ろにいますよ」との返事に、負けたらコケンにかかわると言わんばか りにスピードを上げすぎ、ついに息切れして、亀が勝ったのだという。
 自立するためには、このカメルーンの亀のように、積極性、準備、知恵(ま たは工夫)、協力は、欠かせない必要条件であることを身をもって体験している ので、「復職・継続雇用」などを目指す、わが「復職を考える会」は、カメルー ンの亀に深い思いを馳せながら、タートルが愛称とされ、白杖を持った亀が歩き 始めることとなったのである。           (野呂真堂)


◆職場で頑張っています◆


【現況報告:その1】
仕 事
野呂真堂
 私はU省の出先で事務職をしております。
勤続年数も長くなり、いつの間にか、定年退職の年齢に近いオジンになってし まいました。
 「色変」という疾病は、やはり厄介者で、年齢とともに悪化している視力は 悩みの種で、日常の業務の遂行に苦労しております。
 その苦労は、私の場合、普通の人の所要通勤時間をはるかに超える、片道150 分かかります。冬など、朝夕とも暗闇の中を出勤し帰宅するという、名実とも に暗闇にかける人生であります。しかしながら、単独歩行は、自立への第一歩で あり、もしかすれば、巷間言われているノーマライゼーションへも通じるものと 思ったりして、毎日、せっせと通勤し、日々精勤しております(ちょっとカッコ よすぎたかな?)。
 ところで本題の仕事ですが、私はいずれも、机に乗せられる[1]拡大読書器 (バンテージ・14型)、[2]パソコン(98ノート・AOK)、[3]プリンター を公費で購入し、専用的に使用しながら仕事をしております。
 仕事の内容は、大別すれば、[1]総務系事務全般、[2]会計事務、[3]所内庶 務などに分類できるかと思います。私は、主に[1]の総務を分担し、[2][3]の業 務については、若い人にやってもらっています。具体的には、文書審査・人事記 録・福利厚生・組合・財産管理・記念行事等の実施・他官庁等との渉外等々が主 なものであります。あふれんばかりの文書には、困ったもので、一日中、それら を見続けていると、だんだん見えづらくなり、肩もコチコチにこり固まってしま います。ことに、手書きの文書は読みづらくてお手上げです。ただ、渉外的事務 も結構多いので、これらについては、弱い目を使わなくて済むことや、肩こりが ないことで、喜んで出掛けております。これらの整理には、ワープロが大活躍と いった具合であります。一人で出掛けることもありますが、同伴してもらうこと が多いです。
【現況報告:その2】
あっという間の12年
吉泉豊晴
 タートルの会の皆さん、こんにちは。労働省というお役所で働いている吉泉 といいます。12歳の時に網膜剥離で失明し、中学・高校と盲学校、そして一般の 大学に進学したあと、就職して現在に至っています。既に働きはじめて12年。考 えてみると失明するまでの期間と同じだけの時間が経過したわけですが、そう思 うと何だか長かったような気がする反面、あっという間だったような感じもしま す。
 この前の8月に人事異動で障害者雇用関連の部署に移りましたが、それまで は海外の労働情勢を調査・広報する部署に7年間いました。更にその前は現部署 に5年間。ですから、12年の間に経験したのは僅か二つの部署ということになり ます。これは異動が頻繁なお役所本省では珍しいことといえます。12年間を短く 感じる原因の一つはここにあるかもしれません。働きはじめて10年以上にもなる と、やはり異動・昇任の問題が好むと好まざるとに関わらずプレッシャーとなっ てきます。障害者の方の中には同じように感じている方も少なくないのではない でしょうか。
 仕事の内容としては、前の部署で英語文献を読むことを主な仕事としていた こともあってか、今のところ現部署でも海外の障害者雇用関連資料の翻訳がかな り比重を占めています。英語の場合、日本語に比べて文字の種類が圧倒的に少な いこともあって、機械で読み取らせてもかなり正確に読み取ってくれます。特に 仕事で読むような論文・報告書の類は、週刊誌のように写真・広告等がほとんど なくレイアウトも一定の形式で統一されているものが多いので助かります。最近 は、障害者雇用率制度を採用してきたイギリスにおいて、どうやらその制度が廃 止されるようだということで、その関連資料を読んでいます。その他、政策立案 作りのため行われている各種研究会・審議会の資料作り等も行っています。
 今後、職場での自分の身の置きどころをどう考えていくのか難しいところで すが、地道にがんばっていきたいと思っています。
【現況報告:その3】
いよいよネズミ年、チュー目(注目)の中でトシ男・・・
滝口賢一
 来年はネズミ年、1960年生まれの私は、いわゆる「トシ男」です。ここ数年 、私自身いろいろなことがあり、ナンダカ久しぶりに迎える「トシ男」のような 気がして、期待イッパイで新年を迎えようとしています。
 この6月、私は嘱託社員としての1年間を終え、何とかライオン鰍フ“正社 員”として歩み始めることができました。とは言っても、8月にはマシントラブ ルで、約180MBのデータやプログラムをパーにしてしまったりで、アタフタ の半年が過ぎていきました。
 仕事のほうは、自分で作ったプログラムを利用して「社内モニター抽出」「 調査管理表」「勤務記録」といった内容に日々取り組んできました。それなりに 部の一員としての役割が確立されてきたように思っています。先日も、わが部か ら関係各部へマーケティングへつながるような日々の中でふとしたことを集めた 『視点』という発信文書の中に、私の文書も入れていただきました。内容は、「 12月9日って、何の日?」というタイトルで、障害者の日のこと、バリアフリ ーのこと等を書いたものでした。このような内容を社内の公の文書として認めて いただけるということで、私の職場環境は、非常に良好とも言えるかと思います 。
 さて、このような環境のなか、トシ男としての来年、私は今後さらに職場定 着に向け、新たな仕事に取り組んでいきたいと考えています。例えば、「バリア フリー・高齢化対応にむけた新製品アイデアづくり」「パソコン通信を利用した 調査設計」等々。
 なんて、立派なことを言っていますが、実際はどうなることやら・・・。ま ァ、無理をしないで、一歩ずつ着実に来年も歩んでゆきたいものです。皆さんの 応援よろしくお願いいたします。

交流集会の報告

日時:平成7年11月24日(金) 18時〜
場所: 日本盲人職能開発センター
参加人員: 25名
講師: 大槻 守 氏
演題: 「歩行とバリアフリーについて」

【講演内容の要旨】
 歩行訓練は失明軍人をシカゴに集めて行ったのが始まりです。1919年〜21年 まで歩行方法を研究。その時に考案されたのが、タッチ・テクニックという肩幅 に手をかまえる歩行でした。
 訓練の80%がオリエンテーションであり、●残存視力を使った訓練、●視覚 以外の感覚を使った訓練を行う。
 日本に伝わったのは昭和41年からであり、杖の使い方(モービリティ)を訓 練するなかで、当初は危険といわれたが、関係者の努力により危険ではないこと が証明されたわけです。
 1959年のアメリカ、イリノイ大学で肢体不自由者のための建物の環境整備が 行われ、これはバリアフリーという考え方によります。
 歩行訓練の目的は、●より安全に、●より便利に、●より健康な姿勢で、と いうことですが、このため問題点を整理し、研究を重ね環境整備を行いました。 アメリカでは盲人向けのラジオ放送局が常時情報を流しています。
 日本の盲導犬使用は3%にしかすぎず、どうしてもハード面の整備が必要と されます。例えば、点字ブロック整備ですが、オブスタクル(障害物、車)、ハ ザード(危険物、危険箇所)等が歩行において障壁となるのです。
 障害者の視点から介助を行う組織がアメリカにはあり、●州の土木課、●警 察署、●消防署が行っています。

【質問コーナー】
問:誰でも訓練すれば杖で上手に歩けるのですか。
答:その人の能力により異なります。訓練してもすべての人がうまく歩けるわ けではありません。訓練次第だと思いますが、施設訓練より、訪問訓練を勧めま す。かなりの自治体が行っています。
問:熊手のような杖は、情報が多くていいように思いますが、どうですか。
答:ありとあらゆる杖が考案されていますが、今の白杖に勝るものはないよう です。
問:自己流と訓練との差はどうですか。
答:安全であればどちらでもよいでしょう。
問:姿勢は大事ですか。
答:健康的な姿勢がよいのです。スマートに歩くことは傍目にもよいのですが 、安全かどうかは別の問題です。

【講演を聴いての感想】
K省 F氏(晴眼者)
 6月の発足総会以後、久しぶりに皆さんの元気で張り切っている姿を拝見し 、感心させられるとともに、自分に引き当てて、もっと頑張らねばいけないと反 省させられます。 
 歩行訓練の話を聞いてとても大変なことだと思いました。白杖に頼って歩く までになることの大変さ。訓練を受けても、歩けるかどうかは個人差によって異 なってくると聞いて、日常見かけることのある白杖を手にした人たちは、大変な 思いと勇気をもって歩いているのだなと感じました。
 私にはその大変さは思い知る由もありませんが、出会いの機会があるときは 、少しでも役に立てればと思っています。
 とにかく、皆さんの前向きな姿勢を学びながら、自分の身を引き締めている ところです。 (田中 均)

◇会合日誌◇
◆1995年6月3日(土) 設立総会
 (於:勤労福祉会館)
◆7月14日(木)   幹事会
◆9月11日(木)  幹事会
◆9月22日(金)  交流会
(職場復帰問題の討議)
◆10月6日(金)  事務打合せ
◆10月27日(金)  幹事会
◆11月11日(金)  会報編集委員会
◆11月24日(金)  交流会
        (於:職能開発)
  講演:  大槻 守 氏
  「歩行とバリアフリーについて」
◆12月8日(金)  会報編集委員会
◆12月15日(金)  幹事会
……………
◇お知らせ◇
◎交流会
  日時: 1996年1月27日(土) 
    午後2時から5時まで
  講演: 「年金について」
  演者: 和泉森太
  場所: 日本盲人職能開発
……………
◇編集後記◇
 正式に「タートルの会」として名乗りを上げてから半年たちました。ゆるり と歩み始めております。何とか会報を出そうと幹事会で検討を重ねてきました。 会報発行のための編集委員会をつくり、「タートル」という会報名も決めました 。
 「職場で頑張っています」というコラムをもうけました。今回は幹事3人に 依頼して載せましたが、次号からは投稿を期待します。年に3回は発行したいと 編集委員会では頑張っていますが、会員と関係者の皆さんの協力なしにはできま せん。投稿、寄稿、注文、意見、何でも結構です。事務局までお寄せください。    (篠島永一)

中途視覚障害者の復職を考える会
タートルの会
会 長   和 泉 森 太
  〒160 東京都新宿区本塩町 10-3   社会福祉法人 日本盲人職能開発セ ンター       東京ワークショップ内 電話 03-3351-3188 Fax.03-3351-3189

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