特定非営利活動法人タートル 情報誌
タートル 第26号

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2014年2月27日発行 SSKU 増刊通巻第4744号

目次

【巻頭言】

『再び「潮目」に変化』

理事 下堂薗 保(しもどうぞの たもつ)

「通称、タートルの会」が、1995(平成7)年に発足した年は、丁度「IT化時代」と呼ばれはじめた年でした。Windows95が、「AOK式音声ワープロ」にとって代わった年でもありました。タートルは、IT化とともに歩んできましたが、これらの流れに併行して視覚障害者の就労環境等の「潮目」を少なからず変えた事項がありました。それらについて自身が係わった関係で、昨年大きな法制度の変化があった今、回顧し、明日へ備える一助になればとの思いで時系列的に整理してみました。

挑むことになったきっかけは、「何かちょっとおかしいんじゃない?」みたいな疑問から、同じ思いの仲間と協働することができたことにありました。法制度は社会の変化に応じきれず、運用がずれてしまうこともあり得るため、絶えず疑問符を持ち、注意を喚起してゆくことが肝要と思っています。

まず、「網膜色素変性症の視野狭窄が不当に低く評価されているのではないか?」との疑問から、症状に対する正当な評価を求めた基準の見直しと、治療法の進展を願った特定疾患(いわゆる難病)の指定の陳情と国会請願が最初でした。
その結果、厚生省(当時)は、1995(平成7)年4月 視野等級2級に基準改訂し、1996(平成8)年1月、「特定疾患(難病)」に指定しました。8万人の署名を集め、請願行動を起こし、成果を上げるまで、約3年ぐらいはかかったと思いますが、厚生省が単独眼疾病を難病指定した最初の案件でした。視野狭窄見直しは、広く他の疾病も対象になり、障害年金にも波及しています。

このことがあった12年後、治る見込みのない病(不治の疾病)は「療養」の概念に該当しないとして、病気休暇が認められていない事実が制度の中に永年埋没していました。このことは、リハビリテーションという概念がなかった当時、だれもが、理屈の上では当然のことと何ら疑問はなかっただろうと推測できることですが、しかし、もはや各種疾病に対してリハビリテーションの有効性が言われている時、大きな疑問でした。

それは、「視覚障害に対しても『目のリハビリテーション(現・ロービジョンケア)』が、就労継続に有効であると言われていることを考慮したら、『病気休暇』に対するこれまでの解釈は改める必要がある」等と、人事院に要望した結果、人事院は、2007(平成19)年1月、「障害を有する職員が受けるリハビリテーションについて」(通知)という画期的な通知を発出しました。
約2年間ばかりかかった交渉でしたが、この通知によって、不治の疾患者も「病気休暇」が認められるようになり、公務員視覚障害労働者にはこれまで認められていなかった、歩行訓練を含む「生活訓練」や、音声パソコン等の技能習得のための「職業訓練」を休職により、既存の研修制度を適用し受講できるようになりました。

この人事院通知3ヶ月後、知り得た情報によれば、厚生労働省は、「視覚障害者の雇用支援に当たっては、的確な対応を行うこと」等とした、2007(平成19)年4月、「視覚障害者の的確な雇用支援の実施について」(通知)を発出し、事務的職種にも言及しています。これら一連の行政機関の「通知」は、一貫して事務的職種を追求し続けたタートルの活動を追認したようなもので、国が視覚障害者の「事務的職種」への就労可能性を裏付けた瞬間でもありました。

これらに続いて、「ロービジョンケア」の必要性を主張する眼科医の立場から、「治療法のない患者の『生活の質(QOL)』の向上を図るために、医師として専門的立場から、積極的に患者に係わり、心理的にほぐし、保有機能を見つけ、活用法を指導し、当事者団体の紹介に努め、背中を押してやる医療が必須である」とした要求に対して、厚生労働省は、2012(平成24)年4月 「ロービジョン検査判断料」を承認しました。この承認によって、これまで経過観察で終わっていた眼科医療が、新しい医療技術(ロービジョンケア)へ踏み出すことになりました。
最後の陳情は、当時の厚生副大臣が応じましたが、謙虚な応対ぶりは印象的でした。

以上は、既存の制度の中で真のニーズからはずれている問題点の改善を図ってきた経緯等ですが、平成25年度は、「障害者の権利条約」の批准を背景にした、今後の障害者を取り巻く環境を一変させるだろう画期的な「障害者差別解消法」他、3本の関連国内法が成立しました。

これらが、障害者権利条約の理念にのっとり、「合理的配慮」等、われわれにまことに役立つ運用がなされ、真の「潮目」の変化をもたらしてくれることを期待するものですが、本音は、このような老婆心が要らない運用がなされることを願うものです。

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【11月交流会講演】

『視覚障害者の歩行環境の変化と単独歩行』
〜職務遂行のために求められる本質を考えよう〜

東京都視覚障害者生活支援センター 就労支援課長 石川 充英(いしかわ みつひで)氏

東京都視覚障害者生活支援センターの石川と申します。今日の機会をいただきまして、ありがとうございます。改めてタートルの会の皆様に、お礼を申し上げたいと思います。いま私は、就労支援課というところで、事務的職業やヘルスキーパー職として仕事を目指されている視覚障害の方、そして視力低下などによって仕事の継続が困難になっている方に対して、サービスを提供させていただいています。
業務の中では、就職が決まった方の職場までの通勤経路の確認や安全性の評価などの歩行訓練も行っています。今日は、私が最近感じている歩行環境の変化について、お話させていただこうと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

会社への通勤をはじめとして、職場生活や家庭生活を送る上で、単独での歩行は必須であるといえるかと思います。視覚障害者の単独歩行は、周囲の環境の変化に大きな影響を受けます。これは皆さんも常日頃お感じになっていると思います。ある日突然、交差点の信号機が歩車分離式に変わっていたとか、急に歩行者用の信号がついたとか、あるいは新しくお店が開店して看板が設置されたなど、枚挙にいとまがないと思います。
また会社の中では、いままでなかったところにゴミ箱が置かれたりなど、環境が変化するといままで歩き慣れていた場所でも歩けなくなってしまうこともあるかもしれません。
そこで今日は、3つの観点からお話をさせていただこうと思います。1つ目は歩行支援設備の現状について、2つ目は周囲の歩行者との関係について、3つ目はそのような歩行環境の中での単独歩行についてです。

では、まず歩行支援設備の現状から、お話をさせていただこうと思います。
代表的な歩行支援設備には、視覚障害者誘導用ブロック、いわゆる点字ブロックや、音響信号機があります。また最近、エスコートゾーンと呼ばれる、横断歩道の中にある点字ブロック状の視覚障害者道路横断帯があります。さらに、駅プラットホームにはホームドアがあります。この中で、点字ブロックとホームドアを中心に少し見てみたいと思います。

点字ブロックが最初に設置されたのは、いつ頃で、どこでしょうか。昭和42年、1967年の3月に点字ブロックを開発された三宅さんという方が、岡山県立岡山盲学校付近の、国道2号線の横断歩道の渡り口のところに、230枚寄贈されたのが、日本で1番最初の点字ブロックの敷設だそうです。その後1972年の10月に、高田馬場周辺に1万枚が公的資金により設置されたとなっています。
次に点字ブロックが駅のホームに初めて設置されたのは、いつでどこの駅でしょうか。私の調べた限りでは、昭和45年、1970年に大阪市の大阪府立視覚支援学校の最寄り駅である、JR阪和線の我孫子町駅だそうです。高田馬場駅は、1973年の2月に視覚障害者の方が転落して、この事故とその後の訴訟がきっかけとなり、駅のホームに点字ブロックの整備が進んだ悲しい事故のあった駅ということになります。

最近では、ホームのふちにある点状ブロックでは、内方線というものが設置されたブロックの設置が進んでいます。内方線というのは、通常の点字ブロックのホームの内側になる部分に、ホームの端と平行に線上の突起を1本追加したブロックです。2011年の7月、国土交通省は1日の乗降客数1万人以上の駅に、この内方線付きの点状ブロックの整備を可能な限り速やかに実施するように、鉄道会社に要請をしています。
1万人以上の基準ですが、ホームで発生する人身事故の約8割が1万人以上の駅で起こっているそうなので、それを踏まえてということになります。駅の数は、全国で約9,500駅あるそうですが、そのうち乗降客数1万人以上は2割程度だそうです。
この内方線付きブロックの整備が進んだきっかけも、JR山手線目白駅で起きた視覚障害者転落の死亡事故を受けて、再発防止策として検討した結果だそうです。視覚障害者が事故に遭わないとホーム上の安全設備が普及しないのは、誠に残念なことだと思います。

国土交通省の調べによりますと、平成24年度に発生した線路内やホーム上での列車との接触などの人身事故は、429件との報告があるそうです。このうち、身体障害者の方が死傷した事故は6件で、視覚障害の方の事故が3件という統計が出ています。
また、別の交通安全白書によりますと、ホームから転落して、またはホーム上で列車と接触して死傷するホーム事故は、平成24年には212件で、ホーム事故による死者数は28人です。なお、このホーム上の事故の多くは酔っ払い客で、約6割を占めているそうです。年末年始、これからお酒を飲む機会が多くなりますので、お互いに酔っ払った時には気をつけていただきたいと思います。

こういったホームからの転落防止の切り札として、いまホームドアの設置が進んでいます。神戸の「ポートライナー」や東京の「ゆりかもめ」といった新交通システムを除いて、従来型の鉄道に最初に導入されたのはいつ頃でしょうか。
「点字毎日」にこの間出ていた記事によりますと、2000年に都営地下鉄の三田線にということでした。平成25年9月末現在のホームドアの設置状況ですが、全国で574駅にしか設置されていません。先ほど申しましたとおり、全国には駅が約9,500ありますので、割合にするとわずか6%です。非常に少ないのがおわかりいただけるかと思います。
関東近辺でホームドアが設置されている駅303駅、名古屋近辺は44駅、大阪は74駅、福岡は35駅となっています。これらの数に新幹線の28駅を加えて、574という数字です。国土交通省は、10万人以上の駅にはホームドア、または可動式のホーム柵の整備を求めているそうです。先日テレビなどで報道されていましたが、試作型でいくつかの実地検証が始まりましたので、ホームドアの導入が進むことを期待しているといったところです。

では2番目の歩行者との関係についてです。これが今日の本題になります。
最近私が歩行訓練を行っていると、あるいは当事者の皆さんからのお話を伺うと、晴眼の歩行者の方が私たち視覚障害者にぶつかる、あるいは白杖につまずいて転倒するという話を伺うことがあります。
以前は、私の印象では、晴眼の歩行者(以下、歩行者とする)が、私たちとぶつかったり、つまずいたりすると、慌てて立ち上がってその場を立ち去ったり、歩行者の方が謝ることが多かったように思います。いまでも多くの歩行者の方が、そういった対応をとっているのではないかと思いますが、中には、私たち視覚障害者側に責任があるという言い方をする人も出てきました。大きな変化だと感じています。

ここで2つの例を紹介させていただきます。1番目は、駅の改札口付近で、白杖に歩行者がつまずいて転倒した例、2番目は、ホーム上で白杖に歩行者がつまずいて倒れた例です。転倒させてしまったという表現を用いることがありますが、それは視覚障害者側に責任があるという意味ではありませんので、ご了解ください。

では、1番目の駅の改札口付近で、白杖に歩行者がつまずいて転倒した例です。白杖を使用して歩いていた視覚障害者の女性が有人改札を抜け、少し進んだところで立ちどまって定期入れをかばんに入れました。それから左を向いて点字ブロックに沿って歩き始めたところ、杖に人の足がかかり転倒したという状況です。
女性が後から聞いた話では、転倒した人は女性を追い越そうとして、足をはらわれた格好になったそうです。女性は転倒した人に「大丈夫ですか」と声をかけたそうですが「大丈夫ではない」という返事があったので、駅員を呼びました。駅員が駆けつけ、ケガの処置のために駅長室に移動しました。駅員が転倒した人に「警察を呼んだ方がいいか」と尋ねたところ「呼んで欲しい」と依頼したため、警察官が来ました。
警察官は「これは事故であり、悪気があってやったことではない」ということを双方に伝えた上で、示談というわけではないですが、双方に「納得したらどうか」という提案をしたということです。警察官はその女性に対しては、転倒した人がケガをしていることは間違いないので「後で電話をしたり、見舞ったりなどの誠意を見せることがいいのではないか」というアドバイスをして、その場を立ち去ったという例です。

2番目の例は、ホーム上で白杖に歩行者がつまずき倒れた例です。視覚障害者の男性が電車から降りてホーム縁端の点状ブロックを確認して、改札口方向に点字ブロック上を白杖を使って歩き始めたところ、白杖に衝撃を感じて立ち止まりました。男性の足元近くに歩行者がうずくまっていたようでした。
次の瞬間、うずくまっていた人から、「携帯が線路に落ちたのよ。壊れていたら弁償してもらうからね」という感じで言われたそうです。男性の推測では、自分を追い抜かそうとしていたのではないかということです。駅員が来て線路上の携帯を拾い上げ、歩行者に手渡しました。壊れてはいなかったため、それ以上のトラブルはなかったという例です。

この2つの例は大きなトラブルに進展せずに良かったと思います。一方、トラブルに発展した例もあります。会社の建物から歩道に出た時に、白杖に高齢者がつまずいて転倒した例や、改札口を通り抜けて点字ブロックに沿って向きを変えたところ、白杖に高齢者がつまずいて転倒したという例も聞いています。この2つの例は、いずれも訴訟までには至りませんでしたが、示談という形をとったと聞いています。

福岡、大阪、東京の各会場の参加者に歩行者とぶつかったことがあるか、白杖につまずいて転倒してしまったことがあるかを質問しました。その結果、平成25年になってから、歩いていて歩行者とぶつかったことがある方は、福岡では12名、大阪では5名、東京では13〜14名でした。また、白杖につまずいて歩行者が転倒してしまったということを体験した方は、福岡と大阪は各1名、東京は2名でした。さらに転倒してしまった際に、こちらが加害者のようなことを言われましたという質問に対しては、「すぐ杖を離して、大声で自分が視覚障害であることをお伝えしたら、向こうが謝ってきた」「杖に相手がひっかかって、転倒の一歩手前で、最初は白杖に引っかかったということに気づかれずに、それこそ『どこ見てる、どうしてくれる』という感じの言い方だったのですが、途中で白杖に気づかれました。こっちも振り返って、こっちが悪いかなという感じのことを言いかけたら、向こうが視覚障害者ということに気づいて、そのまま黙って立ち去って行ってしまいまして、何もなく無事終わりました」「特に叱られたということはなかったです。でも、何だか痛そうにして行ってしまいました」「つい先週ですが、改札に出る直前に、改札から走ってきた人がいて、その人が杖につまずいて思い切り転びました。バタンという音がしました。私も心配だったので『大丈夫ですか』と言ったら『大丈夫ではない』と言われたのですが、私の杖を見つけてそのまま走っていなくなりました。駅員がすぐ横にいたはずですが、何も言っていなかったので、たぶん大丈夫だったのかなと思いました」という回答がありました。
いずれも、白杖を持っていてつまずいて、結果としてその白杖に気づき、歩行者の方が謝って立ち去ったということかと思います。
「視覚障害の方の歩行中の事故」については、平成16年に八戸工業大学の安部、橋本両氏が調査した結果はあります。しかし、実態調査があまり行われていないということがあり、対応策についてもあまり論じられていないのが現状かと思います。

質問への回答に関しては、詳しく分析してみなければわかりませんが、視覚障害者である皆さん方と晴眼の歩行者の方の位置関係と行動で整理してみると、4つのパターンがあるのではないかと思います。1つは前方からのすれ違い、2つ目は後方からの追い抜き、3つ目は前や後ろの横切り、4つ目は急な立ちどまりと方向転換です。
すれ違いや追い越し、横切りを行う際には、相手の歩行者の存在を認識して、衝突しないように歩行行動や回避行動をとることが必要になるわけです。しかし、私たち視覚障害者の場合、特に白杖から得られる触覚情報は、人や障害物に杖先が接触しなければ、その存在というのはわかりません。私たちから相手の存在を認識して、歩行行動や回避行動をとるのは、なかなか難しいといえると思います。
つまり晴眼の歩行者側が、私たち視覚障害者との衝突や白杖による転倒を回避するための行動をとる必要があると思います。しかし最近は、この回避行動をとるべき歩行者側に、スマートフォンを見ながら歩くという、通称「歩きスマホ」という問題が生じています。

ここで、ネット記事ですが、歩きスマホについていくつか拾ってみました。今年の5月28日に、インターネットコムのWebページに、インターネットコムとgooのサーチによる「日常生活の中での携帯電話に関する調査」が掲載されています。調査対象は10代から60代までのインターネットユーザーの1,071人です。
このうち、スマートフォンを含む携帯電話を「よく使う」または「たまに使う」と答えた674人について、歩行中に携帯電話を利用していて、人にぶつかったことがあるかと聞いたところ、あると答えた人が56人(約8%)で、ないと答えた人が大半の618人(97.1%)でした。ぶつかったことがあると答えた56人に、回数を聞いたところ、なんと10回以上もぶつかっているという人が、4人もいました。
11月12日の毎日新聞のWebページには、携帯電話の画面を見ながら踏切の中に進入して、電車に跳ねられたという記事が掲載されています。この記事には、携帯電話やスマホを歩きながら操作する危険性は、以前から指摘されていたとあります。
国土交通省によると、スマホなどの操作中に駅のホームから転落した事故は、把握できるだけで2010年度は全国で11件、11年度には18件でした。こうした事態を受けてJR東日本などは、立ちどまって携帯電話やスマホを操作するように呼びかけるポスターの掲示や車内放送で注意喚起などの対策をとっています。
「AERA」の4月15日号のWeb記事によると、首都圏を中心とした鉄道事業者の集計では、2011年度に関東地方のJRと私鉄の駅ホームで転落した人は、3,243人。そのうち18人が携帯電話を使っていたそうです。巻き込まれて命を落とすことも考えれば、立派な凶器だというふうに書かれています。

私も駅のホームで、どのくらいの人が歩きスマホをしているのかを調べてみました。調べた駅は2駅です。1駅目は秋葉原駅で、総武線の四谷方面行のホームです。秋葉原駅の総武線ホームは、下に京浜東北線と山手線が走っており乗換駅になっています。10分間に総武線の各駅停車が3本発着しました。夕方の10分間で3本の総武線の各駅停車が発着、75人が歩きスマホをしていました。そのうち4人は、小型のゲーム機を持ってゲームをしながら歩いていました。
2駅目は、山手線渋谷駅の新宿行きホームです。これも夕方の約10分間です。10分間で約1,100人が、私の前を行きかいました。その中で、歩きスマホをしていた人は80人でした。幅は約6メートルのホームです。
私の印象では、電車から降りた人は、降りた直後にスマホを見ている人は少なかった感じです。降りてから自分の前を歩く人がいなくなると、おもむろにスマホに目を落として歩き始めます。もう1つは、階段などで人の動きが遅くなって前の人と接近するような感じになると、見たりするのです。

また、Web掲示に戻ると、ニュースのポストセブン6月20日号の記事によると、女性セブンが40代以上の女性100人に行ったアンケートでも、歩きスマホの歩行者にぶつかった、あるいはぶつかりそうになった経験を持つ人は41%もいたという記事も載っています。

こういう状態が起こっていますので、大学関係者もいろいろな実験を始めています。交通工学を専門としている愛知工科大学の小塚教授は、道路を渡る際に、手ぶらの状態とスマホで通話中の状態、そしてTwitterをしている状態で、視野がどう変化するのかを実験しました。その結果のコメントでは、手ぶらでは、周囲をよく見て注意を払っているそうです。通話中では、少し視野が狭くなる程度ですが、Twitterになると、視線が画面に釘付け状態で、時々上目で前方を確認するぐらいで、左右に視線がいかなくなり、横からくるものへの注意が極端におろそかになると書かれています。
さらに、たいていの人は歩きスマホをしていても、自分は周りをある程度見ていると思っているのだそうです。でも、視野に人の姿が入ってきても気づきません。実際に脳が認識しているのは、じっと見ているスマホの画面からせいぜい20センチ程度の範囲だと、報告されています。

さらに、首都大学東京の樋口准教授は、通路上にスライド式に開閉するドアを設置して、ドアの開閉のスピードを変えて、歩行者がドアを通り抜けられるかどうかの実験を行いました。その結果、手ぶらで歩いている人では、ゆっくり開閉するドアの方が通り抜けやすく、歩きスマホの歩行者は、ドアがゆっくり開閉している時ほどぶつかりやすいという結果が出ています。ゆっくり開閉するドアのスピードは毎秒50センチ、これは足の不自由な高齢者の方が歩く速度と、ほぼ同じです。つまり、歩きスマホをしている時は、ゆっくり動くものを認識する度合いが低くなるといえます。歩きスマホの歩行者が増えると、お年寄りや足の不自由な方がケガをする確率が高まる心配があると、報告されています。

筑波大学の徳田教授が首都圏や大阪の学生650人を対象に、歩きスマホの実態を調査しました。歩きながらスマホや携帯電話を使っていて、人とぶつかったり、ぶつかりそうになった人は6割を超えます。また、足を踏まれた、爪が割れた、打撲傷やすり傷を負ったというケガをした人も少なくありませんでした。そんな危ない思いをしていながら、スマホ保有者の9割以上が、歩きながら操作をすると回答していました。
さらに驚くべきは「ぶつかるのは、相手が避けないからだ」と、自分勝手な言い訳をしています。歩きスマホは、よそ見に他なりません。それにも関わらず、よそ見が悪いという意識がほとんどないと、徳田さんは指摘しています。

私が新宿駅の構内の乗り換え通路と、渋谷駅の通路で調べてみても、夕方の10分間2箇所の合計で2,250人の通行者に対して、歩きスマホをしていた人は240人、つまり10人に1人が歩きスマホをしていたという結果が出ています。キャンペーンが行われているにも関わらず、十分に浸透していないということが、伺えます。

このように、いつ歩行者と衝突するか、あるいは歩行者が白杖につまずき転倒するかわからない状況の中で、私たちは歩いています。つまり、被害者になることも、また加害者になる可能性もあるということです。
そこで、衝突や転倒をした際に誰の過失になるのかということを、過去の4つの訴訟の判決文を参考に、お話をしたいと思います。私は法律の専門家ではありませんので、このような判決文がありましたというご紹介に留めさせていただきます。

まず1つ目は、晴眼の歩行者と晴眼の高齢の歩行者の訴訟についてです。この事件は、交差点で91歳の女性の歩行者と、25歳の女性の歩行者が衝突したものです。判決は、一審では25歳の女性歩行者の注意義務違反とされましたが、控訴審では25歳の女性には注意義務違反を認定する事実はなく、25歳の女性歩行者の勝訴となりました。この中で歩行者の注意義務というのが2つ記されています。
1つは「道路を歩行する者は、自己の身体的能力に応じて、他の歩行者の動静を確認した上で歩行の進路を選択し速度を調整するなどして、他の歩行者との接触・衝突を回避すべきである」という注意義務です。
もう1つの注意義務は一般の歩行者の注意義務ですが「歩行者の中には幼児・高齢者・視覚等の障害者など、一般の成人に比べて知覚・筋肉・骨格などの身体的能力が劣るため、歩行の速度が遅く体のバランスを崩しやすく、あるいは臨機応変に進路を変えることが不得手であり、ひとたび衝突・転倒すると重い傷害を負いやすいといった特質を備える者が一定割合存在していることに鑑みると、健康な成人歩行者が道路を歩行するにあたっては、自己の進路上にそのような交通弱者が存在していないかどうかにも注意を払い、もし存在する場合には進路を譲ったり減速・停止したりして、それらの者が万一ふらついたとしても接触・衝突しない程度の間隔を保つなどして、それらの者との接触、衝突を回避すべき注意義務がある」としています。
つまり、私たち視覚障害者が歩いている時には、晴眼の歩行者が私たちにぶつからないように注意をしなくてはいけないということを言っていることになります。

2つ目の裁判の事例は、視覚障害者の方と歩行者の訴訟の例です。高齢の晴眼の女性が切符を購入するために駅の構内の券売機付近で立っていたところ、駅構内を盲導犬連れで歩行していた完全視覚障害者に、右横後方から衝突されたものです。判決は、一審・控訴審とも視覚障害者の勝訴となっています。この中で視覚障害者の方の注意義務というのが記されています。判決文では、「視覚障害者も社会の一員として健常者と同様に歩行する際は、人との衝突を避けるため前方を確認する義務を負い、道路を通行する時は政令で定める杖(白杖など)をたずさえ、または政令で定める盲導犬を連れていなければならない。(道路交通法第14条1項)
この法律の趣旨は、もとより視覚障害者のみに対し白杖や盲導犬の使用を義務づけ、自己及び他人の安全に配慮させようとするところにあるのではなく、白杖や盲導犬により視覚障害者であることを容易に識別させ、健常者においても相応の注意を払うことを期待し、これにより社会一般の通行の安全を維持しようとするところにあると解するが相当である。 (中略) 視覚障害者においても、健常者と同じ内容の義務を負うことを意味するのではなく、視覚障害者としての標準的な注意義務を果たすことが求められる」としています。
さらに判決文では「視覚障害者のための誘導路いわゆる点字ブロックの上を歩行していたかどうかにより、注意義務が問題になることはない」としています。「他人との衝突の危険が増すことが予想される混雑した場所においては、前方に声をかけるなどの方法により自らの存在を示し、前方にいる人に回避行動を促す義務があるとは言えない」ともしています。
また「視覚障害者のための誘導路は安全な歩行を確保することを意図したもので、視覚障害者に誘導路上の歩行を義務づけることを趣旨としたものではなく、誘導路上を歩行していたかどうかによって視覚障害者の歩行上の注意義務が問題になることはない」とも、しています。つまり、どこを歩いていても、標準的な視覚障害者の注意義務を果たしていれば問題にならないということです。
では、視覚障害者の標準的な注意義務は何かということは具体的には書いていないのですが、唯一書かれているのは「白杖により一歩から一歩半先を確認して歩きながら歩行していたのは不適切ではない」という一文があり、この判決でいうところの標準的な注意義務の具体的記述になるのかと思います。

この2つの例を見ますと、健康な成人歩行者が道路を歩行するにあたっては、自己の進路上に私たち視覚障害者のような交通弱者が存在していないかどうかに注意を払い、もし存在する場合には進路を譲ったり、減速・停止したりして、それらの者が万一ふらついたとしても接触・衝突しない程度の間隔を保つなどして、それらの者と接触・衝突を回避すべき注意義務があるということです。
一方、私たち視覚障害者は、視覚障害者としての標準的な注意義務を果たすことが求められるとしています。ここで重要なポイントは、いずれも「白杖または盲導犬を使用している」ということになります。

3つ目の例です。視覚障害者の白杖により足をすくわれ、転倒して負傷したという訴訟です。なお、この事例はタートルの監事の方から提供していただきました。事例の情報提供者は、日本盲人職能開発センターでビジネス法務講座などを担当しておられる株式会社商事法務の小宮さんです。小宮さんはこの訴訟の弁護団の立ち上げ段階から関与された方です。
判決は今年の9月10日に言い渡され、控訴されることもなく視覚障害者の全面勝訴となっています。判決文の中で、先にお話した高齢の方と視覚障害の方がぶつかった時の視覚障害者の注意義務を引用した上で、今回は視覚障害者(この場合は全盲の方)が、視覚により周囲の状況を確認することは不可能だったため、白杖をたずさえ、白杖を使用して進路前方の安全を確認しながら歩いていた状況の中で、判決文では次の4つがポイントになるのではないかと私は考えました。

1番目は歩いていた場所です。この駅は島式ホームで、ホームの端に点状ブロックが敷設されていますが、この視覚障害の方はその点状ブロックを歩いていたわけではなく、ホームの中央付近を歩いていたということになっています。先の裁判の例でもありますように、点状ブロックの上を歩行することは義務づけられたものではなく、転落防止を避けるために中央付近を歩いていたことには問題はなかったということで、歩いている場所の問題はないということです。
それから、2番目は白杖の使用方法についてです。「自身の足元から1メートル先の地面に触れさせ、地面から離さずに左右にスライドさせる方法で、振り幅は肩幅と同じか肩幅よりやや広い程度で操作していたことは、視覚障害者の線路への転落を防止する必要から、その操作方法は不適切であったとは認めがたい」ということで、つまり通常の幅で振っていることに関しては、不適切だとは認めないということです。
それから、3番目は歩行方法です。「歩行場所の状況に応じて、白杖の操作方法や歩行方法を調整する必要はあるが、駅のホームでは視覚障害者自身の線路への転落を避けるため、一定の振り幅を確保しながら白杖をスライドさせる必要がある場所である」とし、括弧書きで(白杖の振り幅を通常よりも広くすべきであるとする見解もある)というふうに記されています。ですからホーム上であっても、一定の振り幅を確保しながら歩く分に関しては問題ないということです。
4番目です。白杖を使って歩くということに関しても書かれています。「視覚障害者にとっては、白杖の先端が人や物に触れる感覚こそが、視覚に代わり前方を確認する手段であり、白杖が触れる前に進路前方にいる人の存在を覚知することは通常極めて困難である」と。また「白杖の先端が人や物に触れる感覚によって、前方を確認する行為としての白杖の使用は、視覚障害者が自己または第三者の生命及び身体の安全を確保しつつ歩行する手段として極めて有用である一方、白杖の一般的な操作方法に従う限り、白杖の使用行為自体の客観的危険性は決して高いものではない。これらの点からすると、視覚障害者において、白杖を他人に一切触れさせてはならないという一般的な注意義務を負うとは解し難い」としています。
つまり、杖を使って歩いていると、杖は人や物にぶつかった時に、はじめてそこに人や物があることがわかるということです。ですから「白杖を全く他の人に触れさせてはいけないということにはならない」としています。

それらの上で、全盲の被告に対して歩行者の行動を前提として、この歩行者の行動というのは和服を着た女性が足元の階段を見ながら降りてきて、すでに止まっていた電車に乗り込もうとしていたところに、視覚障害の方が前方から歩いてきた格好になるのです。その時に、歩行者は着物を着ていたようなので足元だけを見ていて、周りの様子を見ていなかった。それから、もう電車がきていたので、その電車のドア口の方を見ていたということだそうです。
こういった状況下において、視覚障害者の方は転倒という「事故の結果を予見し、これを回避すべく、白杖の使用について細心の注意を図り、白杖が原告(転倒してしまった方)の足に接触しないよう万全の方策を講じることが、視覚障害者の負うべき標準的な注意義務の内容ではない」というふうにしています。つまり、予見できなかったでしょうということです。

この判決文で、先に上げた2例目の判決文では具体的に記されていなかった白杖の操作方法までが記述されていることは、非常に大きなポイントだと思います。ただ一方で、判決文の中に「全盲の視覚障害者の注意義務」という表現があります。また「視覚障害者の方の障害の程度に応じて負うべき標準的な注意義務」という記載もありますので、見え方によっては注意義務の部分が少し変わってくるのだろうかというように、私は読み取ります。

最後の判例は、白杖を持たずに、横断歩道ではない場所で道路を横断していた視覚障害者が、自動車と衝突したという昭和41年の裁判です。判決文では、「盲人または半盲人が、今日のように道路に自動車などが高速度で通行して輻輳している状況下にあって、道路を横断しなければならない場合、第三者特に車両の運転者に対して、自己が盲人であることを認識させ、事故発生を未然に防止するために必ず白い杖をたずさえ、その注意を喚起するとともに、少し回り道になる場合でも横断歩道を通って横断するなど、道路を歩行するに際し自らも通常人以上の注意義務があるものと認めるを相当する」と記されています。
また「本件の場合について見れば、控訴人は自ら半盲であり盲人と同行しているにも関わらず、両名とも白い杖を持参せず、数十メートル離れたところに横断歩道があるのに、横断歩道でないところで交通量の相当に多い国道を横断しようとしている等であるから、視覚障害者の方にも過失がある」としています。

以前、私は弁護士に「ロービジョンの方が白杖を持たずに歩行していて、歩行者の方と衝突または転倒して歩行者が衝突した場合は、どうなるのか」と尋ねたことがあります。弁護士の方は細かく状況を設定しないと、答えにくいとした上で、「ご自身が見えにくい、あるいは見えにくい部分があるという自覚がある場合には、注意義務や過失を問われる可能性がある」と話していました。
つまり、見えにくいところがあるから、何か起こる可能性があり、それに対して自分はこういう安全策や予防策を取るということが、注意義務になるようです。そこについて特段措置を講じないと、注意義務というものが問われる可能性があると言うことになるそうです。つまり、白杖をたずさえて使用することは、被害者になった場合でも、また加害者になりそうな場合でも、視覚障害の皆さんの立場を守ることにつながるのではないかと思います。

これまでで申し上げましたとおり、歩行の環境というのは変化しています。歩行支援設備が拡充することは、私たちにとっては歩きやすい環境となるため、歓迎すべきことだと思います。
ただ、ホームドアの設置が進むことは歓迎しますが、島式ホームの両側にホームドアが設置されていない駅が存在しています。例えば山手線の池袋とか大崎のように、電車が車庫に出入りするためにしか使わないホーム側には、ホームドアは設置されていません。
それから、併走する路線がある時には、片方についていて片方についていないことがあります。例えば東京の場合だと、田園調布から日吉までの6駅は東急目黒線と東横線が併走していますが、島式ホームの目黒線側はホームドア設置、東横線側には未設置です。
山手線も、これから全駅のホームドアが設置される予定になっています。しかし、田端から田町までは京浜東北線が併走していますが、島式ホームの山手線側にはホームドアが設置されていきますが、京浜東北線側には設置されません。このような島式ホームの片側だけにしかホームドアが設置されていない状況が、今後起こりえてきます。
ホームドアが設置されている駅でも、完全にクローズドになっていない可能性もありますので、ぜひ駅員さんなどに聞いて、状況を確認していただきたいと思います。「ホームドアがついているから」といった思い込みは危険です。

それから、先ほどからも言ってきましたが、歩きスマホというように歩行者の関係も変化しています。いつ私たちが加害者になるとも限りません。私たちが事故に遭わないためにどうしたらいいかを4つの視点で考えてみます。

まず第1は、言うまでもなく、白杖をたずさえて使っていただきたいということです。心理的な面を考えますと、持ちたくないという気持ちは理解できますが、歩行者との事故に巻き込まれた時に白杖を持っていないと、歩行者は私たちのことを視覚障害者と認識することはできません。そのため、白杖を持っている視覚障害者に対しての注意義務が生じなくなってしまいます。その結果、私たちの過失が問われることになります。
それから、2番目としては、よく歩く経路について、状況を把握していただきたいと思います。これは、可能であればということです。いま申し上げたように、ホームドアが片側しか設置されていない例もありますし「この場所は横切る人が多い」とか、あるいは「この点字ブロックを歩いていると、この方向から歩いてくる人が前方からすれ違うことが多いな」というような状況を、把握していただきたいということです。
晴眼者の方は、白杖を左右に振りながら歩くことをあまり理解されていないと思います。皆さんも白杖をお持ちになった時には、杖をつくものだというふうにお考えになった方が多いと思います。つまり、左右に振りながらというのは、なかなか晴眼者の方には意識しづらい点ですので「前から人が来る」とか「ここは横から人が来るのだな」ということが認識されていれば、それ相応の使い方ができるのではないかと思います。
自分の安全を確保するための白杖操作は必要ですが、不必要なトラブルに巻き込まれないためには、必要以上に杖を前に出さないとか、必要以上に大きく振らないなど意識する必要はあると思います。
そして3番目は、白杖を持つだけではなくて、適切な操作方法を習得していただきたいということです。そうすることによって、より歩行の安全性が高まると思いますので、歩行訓練士からのアドバイスや訓練を受けることをお勧めします。特に、復職や就職を考えている方は、ぜひとも歩行訓練を受けていただければと思います。その理由は、安全に通勤できるということは、企業側が最も気にするところだからです。歩行訓練により通勤の安全性が確保されることは、大きなアドバンテージになると思います。
私もある企業の人事担当者から「いま通勤している視覚障害者の歩行の安全性を、評価してほしい」と依頼を受けて評価しました。その際、人事担当者にも同行していただいて歩行行動の解説も行いました。そして評価書も提出しました。これによって、人事担当者はその方の事故に遭う危険性が少ないと認識して安心したようです。
現在、お勤めをしている方は歩行訓練が受けにくい状況です。理由は、歩行訓練を実施している多くの事業所は、平日の日中のみ訓練をしているということです。「歩行訓練を受けてください」と勧めながら、こういう話はするのはなんですが、研修扱いとか半日や時間帯で休みを取るなど、工夫していただきたいと思います。回数や期間、手続きなどについては、視力の状況や歩く環境など個人的な要素に加えて、お住まいの地域の影響も受けますので、個別の相談とさせていただきたいと思います。
最後に、私たちに過失があった場合に、法的な賠償請求をされた時の安心のために、個人賠償責任保険に加入していただいたらどうかと思います。現在は、個人賠償責任保険を単品で発売している保険会社が少なくなっているそうです。まず、ご自身で加入されている保険に、特約として追加できないかという確認をお願いします。あるいは、ご家族が入っている保険に、特約として追加できないかを確認していただきたいと思います。クレジットカードを利用されている方はクレジットカードと提携している保険会社で特約をつけることもできるそうです。多くの場合は、ご家族が加入していれば、保険の対象者は家族全員となるそうです。何だか保険の勧誘をしているみたいですが。勧誘ついでにもう1つ、特約として加入することができない場合には、単品として加入することになるわけですが、先ほど申しましたとおり、なかなか単品で発売している会社が少なくなっていますので、手軽に加入できそうなものを2つご紹介します。
1つはセブンイレブンで取り扱っている自転車向けの保険です。サポートダイヤルに確認したところ、自転車に乗っていない場合でも、また視覚障害の方でも加入可能とのことでした。掛金は年額で4,160円。法律上の賠償責任が生じた際に、個人賠償責任保険の部分が適用されます。セブンイレブンの店頭にリーフレットがありますので、ぜひご確認いただくか、サポートダイヤルに電話してください。
もう1つはau損保のものです。携帯電話のauの損害保険会社です。バイクルという商品名で契約はホームページからだけです。サポートダイヤル担当者は「加入者自らが、つまり皆さんがホームページから自分で入力して、約款を読むことが加入時の必要条件だ」といっておりました。セブンイレブンの保険との最も大きな違いは、一番掛け金の高いコースでは、弁護士費用の支払いまで対象となっているということです。セブンイレブンの自転車保険は、示談交渉はするそうですが、弁護士の費用は出ません。au 損保のバイクルは弁護士の費用まで出ますが、掛金は年額11,460円です。支払いはクレジット払いかau の携帯電話との合算です。こちらも詳しくはサポートダイヤルに電話していただきたいと思います。
特約、単品のいずれにしても、個人賠償責任保険に加入される際には、示談交渉付きとか、あるいは、弁護士費用まで含まれているものを選ぶのがポイントです。

最後に、私たち視覚障害者の移動というのは、皆さんの杖の操作技術、あるいは歩行技術、また歩行支援設備や晴眼者との関係で構築されていると思います。その1つでも欠けると、安全性が著しく低下すると思います。私たちが安心して歩けるような歩行環境が整うことを願って、終わりにさせていただきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。

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【職場で頑張っています】

『365歩のマーチ』

プルデンシャル生命保険株式会社勤務 会員 栃木 昌子(とちぎ まさこ)

私は網膜色素変性症で、現在、視野狭窄10度以内、視野欠損率95%、視力は両目とも0.1くらいです。最近は視界にいつも霧の中にいるような白い靄がかかってき、日中晴れた日には外に出るとサングラスをかけないと眩しくて目があけていられないようになってきました。障がい者手帳は2級です。幼いときから夜盲がありましたが、当時の視力は1.5ありましたので、目は良いほうだと思っていました。ものにもよくぶつかったりしていましたが、「お前は注意力が散漫だ」と親に言われ、「そうか、自分は鈍いからものにぶつかったりするのか」と思っただけで、視野が狭いということには思い至りませんでした。20代のころは車やオートバイの免許も取り、ごく普通の生活をしていました。自分が網膜色素変性症だと知ったのは、30代前半のことでしたが、ネットで調べると、視力が残る人もいるという記載もあり、当時は視力もよかったため、「歳をとったら見えづらくなるということなのか」と、見えなくなるということに対し実感が湧かなかったので、半年に1度は病院で経過観察の検査を受けていましたが、ほかにはとりたてて何もせずに生活をしていました。

転機となったのは2011年の夏のことです。諸事情により長年勤めた仕事を辞め、就職活動をしていましたが、この目の状態では普通の就職活動が困難だとようやく気がついた私は、眼科医に相談し、障がい者手帳の申請をしました。
次に、以前から名前は知っていたタートルの会に、メールで就職についての相談をしたのです。すぐに工藤さんから返信があり、自分の現状を聞いていただいた上で、視覚障がい者になってもパソコンを使った事務職に就職の道がある、そのための訓練学習ができるところがあるということで、明大前にある視覚障がい者生涯就労学習支援センター(以下、明大前)の井上英子先生を紹介していただきました。そこからは自分でも想像すらできなかったことが次々と起こりました。あのタイミングでタートルの下堂園さんや工藤さんと出会えたことが、新しい人生の始まりになったと思っています。

井上先生の学校に入学する前に、訓練を終えた生徒さんの卒業発表会があるということで見学させていただきました。さまざまな支援機器を駆使してパソコンを操作しながら発表をする卒業生を目の当たりにして衝撃を受けました。「前職が接客業だった私に果たして事務職ができるだろうか?」と心配でしたが、ともあれ、障がい者手帳を取得し、入学を許され、3ヶ月間の訓練期間中に音声ソフトJAWSを使ったワード、エクセル、インターネット等の訓練や、自己紹介の練習、日経新聞の読み方などの講義、議事録の書き方など、社会に出て必要になるであろうさまざまなことを学ばせていただきました。ろくにパソコン操作もできない私は他のクラスメイトに比べ、明らかに劣等生でした。それでも、未来への希望が持て、この年齢になってから学ぶということは楽しく、先生方や周囲の人たちの応援もあり、なんとか勉強についていくことができました。
明大前にはその年の9月から通いはじめましたが、11月の訓練中には企業の合同就職面接会があり、たくさんの求人票の中から自分で選んだ何社かの企業に焦点を当て、履歴書と職務経歴書を作成し、意気揚々と面接会場に出かけました。そんな面接会場に行くのも初めてのことで、結果は惨敗でしたが、「歳も歳だし人生そううまくはいかないよ。まだまだやることがあるしね」という気持ちでいましたのでがっかりはしませんでした。
その後、井上先生からハローワークの障がい者雇用担当の方々を紹介していただいたり、求人があれば情報をいただいたりして積極的に就職活動をしていました。

前置きが大変長くなりましたが、その就職活動中に採用していただいたのが現在私が勤務している会社です。内定をいただいたのは11月末のことでした。
2012年1月から契約社員として就職が決まり、一番私が不安だったのは通勤でした。障がい者を採用する上で雇い先が心配するのは通勤時の事故だということを聞いていたからです。地元ではあえて人ごみを避けて歩いていましたので視力がある私は歩行の際に白杖は使用していませんでした。けれども東京に通勤するということは、人ごみは避けて通れないということです。歩行訓練をする前に就職が決まったため、自宅から2時間弱かかる職場まで自分にとって一番安全な経路を探し、我流でしたが白杖を使用し、就職前に通勤経路を何度も確認しながら電車通勤の練習をしました。乗換駅のホーム毎の階段の数やエレベーターの場所も頭に入れました。それでもいざ通勤してみると、電車の時間帯や乗車する車両によって、さまざまな混雑状況があり、電車通勤が不慣れな上、白杖を持っている私は常に緊張をしていました。おぼつかない足取りで駅構内を移動していると、通勤時で余裕がないのでしょうが、サラリーマンに舌打ちされたり、「こんな時間に乗ってくるんじゃねーよ」などと小さい声で罵倒されたり、肘で小突かれたりしました。高校生にはとてもひどいことを言われ、白杖を持っているだけでなぜあんなことを言われて蔑まれなくてはいけないのかと、会社に着いてからトイレで泣いたこともあります。満員電車で杖を持っていて、女性に対する嫌がらせめいた行為をうけたこともありました。そんなときは、「こんな気持ちになるならいっそ杖を持たないほうがよいのか」と悩んだこともあります。しかし、全盲の友人から言われた、「何も悪いことはしていないのだから、堂々と歩いたらいいんですよ。がんばっているんだから気にしちゃだめですよ」という一言に救われ、気持ちが楽になりました。世の中はそんな人たちばかりではありません。たいていの皆さんは親切にしてくださいます。親切に甘えてばかりはいられませんが、そんな方々の気持ちは大変嬉しく、今日もがんばろうという気持ちになります。今は気持ちに余裕もでてきて、帰宅時は「一杯飲んで帰りたいなあ」とか、「銀座で買い物したいなあ」と思うときがありますが、単独での慣れない場所への寄り道は危険なのでまっすぐ帰っています。途中の乗り換え駅で私を見かけるといつも声をかけてくださる女性がいて、その方に「今日は会えるかなあ」と思いながら帰るということも密かな楽しみになりました。

40代半ばになって、人生初の東京OLになった私は、(タートルの会の交流会で誰彼かまわず話しかける私を知っている方々は嘘だとお思いになるでしょうが)入社当時、見たことがない職場の雰囲気に圧倒され、緊張のあまり萎縮してしまい、なかなか周囲の方々とお話することもできませんでした。前職では対面式でコミュニケーションをとっていたため、メールでのやり取りということも不慣れで、「文章の書き方で語弊が生じるのでは?」と思ってしまったり、「こんな優秀な人たちは私と直接話すのも面倒だろう、迷惑だろう」と勝手に思い込んで、聞きたいことも聞けずにいました。そんな気持ちはきっと態度にもあらわれていたと思います。事務経験もパソコンスキルも初心者同然の私にどんな仕事をさせればよいのか。どうしてよいかわからなかったのは職場の方々も同じだったと思います。初めての業務は社員に配布する配布物の発注と、対象者のリストのファイルを支社毎に作成し、添付メールを送信することでした。作業時間がかかる上、間違いも多い私を、職場の方々が辛抱強く指導してくださったおかげで、いまはその業務が毎月のルーティンワークのひとつになっています。電話も最初の半年間は緊張してとれませんでした。社内の部署も多い、取引先も多い、グループ会社は似たような横文字の会社名で違いがわからない、たまに電話に出て、企業名や担当者名がなかなか聞き取れずおどおどしていましたが、今後、そんなことが続くと周囲の方も迷惑だということは承知していましたので、恐る恐る電話に出るようになりました。名前がわからなければ先方に聞き返し、どんな用件なのか確認しているうち、だんだんと職場の人がどんな業務を担当していて、かかってきた用件を誰に回せばよいのかがわかってきました。電話を回す際に、職場の皆さんにお願いしたことは、返事をしてほしいということです。見えづらいため当人が席にいるのを確認できても、返事がないと、私の声が聞こえていないのか、あるいは他の電話に出ていて対応できないのかが判断できなかったのです。これはお願いして初めて、私も職場の方も、「ああ、そうなのか」と気づいたことだと思います。お願いしてからは、皆さん返事をしてくださるようになり、電話中なら、近くの席の方が電話中だということを教えてくださいました。そのときに、「私が皆さんに声を出してほしいということをあらかじめ伝えなくてはいけなかったのだ。こういうことは遠慮してはいけないのだ」と反省しました。

職場の方々の業務のお手伝いも少しずつですが任せてもらえるようになりました。私が使用している支援機器はズームテキストと拡大読書器です。まだ見えるという気持ちがあり、目視に頼っているため、いまのところJAWSは使っていません。ズームテキストで文字を拡大してパソコン作業をし、書面の確認は拡大ルーペと拡大読書器で行っています。ミーティング時はタイポスコープとルーペを使用しています。現在の業務内容は、簡単に言いますと、先にお話した配布物の発注業務と、毎月発生する経費精算申請、各種データの入力、文書チェックの受付と依頼、社員の外部研修の申請登録、ミーティングのアジェンダ作成等に加え、まだ残存視力があるため、ファイリング作業、所属部課に届いた郵便物の記録および配布等々です。毎日、1日があっという間に過ぎていきます。
入社当初は何をしてよいのかわかりませんでしたが、職場の皆さんにフォローしていただきながら、自分で仕事の優先順位を把握して作業ができるようになってきました。けれどもまだまだ勉強することはたくさんあります。業務が増えていくにつれ、他部署の方々とも連携をとっていかなければならない事項も発生してきます。入社当初からの劣等感がぬぐいきれない猫かぶりの私は、社内の人とコミュニケーションをとるのが今でも苦手なのですが、「相手もどう接したらよいのかわからないかもしれないのだから、自分から積極的に行動していかなければ」と思っています。
これから、少しずつ病状が悪化し、せっかく任せていただいた業務ができなくなってくるかもしれません。そんな状況になったとき、それをカバーしていくにはどうしたら良いのかということも自分にとっての課題だと思っています。

タートルの会員の皆さんの中にも、さまざまな困難を乗り越えて就職を目指している方、就職に向けての学習や訓練を頑張っている方、視覚に障がいをもって、先行きが不安な方は大勢いらっしゃると思います。
私のように手帳を取得してから、日をおかずに就職が決まる例は少ないのかもしれません。けれども、こんな事例もあるのだということを知っていただけたらと思います。

このコーナーのサブタイトルに「365歩のマーチ」とつけさせていただきましたが、これは(若い方にはなじみのない歌かもしれませんが)私自身の応援歌です。今まで出会った方々のおかげで、今、毎日元気で仕事をする生活を送っていけるようになりました。私が本当の苦労や苦しみを経験していくのはこれからでしょう。それでもそんな時にいつも応援してくださる方がいる、人生半ばで視覚に障がいをもってしまった同じ境遇の諸先輩方が知恵を授けてくれる、見守ってくださる職場の皆さんがいる、弱気になったときに叱って支えてくれる家族がいる。そんな方たちに感謝しながら日々社会の一員として働ける喜びは何にもかえがたいものです。だから私はこの歌を口ずさみながら、立ち止まらずに進んでいけます。歩く速度は遅いけれども、私はこの先も休まず歩いていこうと思っています。
私や皆様の歩いた足跡にはどんな花が咲くでしょうか?

終わりに、私自身のことを書くという機会を与えていただき、ここに御礼申し上げます。
つたない文章ですが、読んでいただいた皆様の何かのお役に立てれば幸いです。

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【定年まで頑張りました】

『3年を残して退職しました』

広島県福山市在住 会員 佐藤 行伸(さとう ゆきのぶ)

1 はじめに〜自己紹介〜

私は58歳。網膜色素変性症のため、視覚障害1種1級です。昨年4月から自由人(「無職」とも言います)となりました。35年間勤務した福山市を昨年の3月に退職しました。勧奨扱いで1年につき2パーセントの退職金への上乗せがありました。3年ですから6パーセントの上乗せです。
私は子どもが3人です。長女は結婚し、長男と次女は私が退職する前年の4月に2人とも就職しました。子どもは自立していますので、私は妻と父母の4人暮らしです。父母は90歳が間近です。「介護は?」とおもんぱかってくださる方、ありがとうございます。贅沢をしなければ、何とか生活していけるということで、「頑張る」のを止めました。
退職する年度には妻と何度「あと○か月。あと○日」と会話をしたことでしょう。妻は「頑張ってね」と優しく言ってくれましたが、年度末が待ち遠しくてたまりませんでした。
さて、「職場で足を引っ張っています」という題名で、平成12年のタートル会報19号掲載をいただきました。また「中途失明〜陽はまた昇る〜」では「夫の涙」という妻の原稿を掲載いただきました。従って、これが3度目になります。皆さんのご参考になるかどうかわかりませんが、今まで「生きてきた道」の一部でも振り返り、整理をする良い機会だと思い筆を執りました。

2 在職時を振り返る〜どんな状況だったか〜

私が目の不自由さを感じはじめたのが16年間在職した農業委員会事務局ですので、その話を中心にします。

(1)拡大読書器と音声パソコン

仕事の主に根拠となる農地法という法律ですが、何度も改正されました。広島県からの権限移譲もありました。最新の情報を理解し、ついて行かなくては仕事になりません。
職員労働組合の補助機関として「障害労働者連絡会」が平成13年に組織され、要求の中で、拡大読書器、音声パソコンを配備してもらいました。
私は「よみとも」という活字読み上げソフトをパソコンに入れてもらっていましたので、スキャナーから改正法の解説書などを取り込んで、勉強しました。イラストや図表は駄目でしたが、何とか理解できました。
申請書類は拡大読書器でチェックしました。
本委員会では会議が毎月1回あり、地区ごとの会もありました。その会議録のテー プ起こしも私の仕事でした。

(2)農業委員さん

農業委員さんが本事務局では主役です。投票で選出された委員さん。いわば、市議会議員さんみたいなものです。学識経験者の方もおられます。私は随分、かわいがっていただきました。ご高齢の委員さんが多いのですが、「新聞記事に載っていたよ。頑張ってください」と応援をしてくださいました。また、現地調査など、「佐藤くん、ここで待っていろ」と崖沿いの狭い道など、歩行が困難な場所へは同行を求めませんでした。
学識経験者の中に、市議会議員が以前おられました。数年前の新年会でのことです。もう10年くらい前のことになると思います。私が「目が悪いものでご迷惑をおかけいたします」と言い、続けて「出来るだけのことをやります」と言ったのです。返す言葉は市議会議員の先生いわく、「『精一杯頑張ります』ではないと駄目。目が見えないのなら、眼鏡をかけたら、どうですか」とのたまいました。私は「プッツン」切れる直前でした。そこに上司がしゃしゃり出て来て、場を治めました。
皆さんには、某市議会議員を「ぶん殴ってやろうか」「首を絞めてやろうか」という私の気持ちの一部でもご理解をいただけるでしょう。「眼鏡をかければ、目が見える」のであれば、この世に視覚障害者は存在しません。現在では想像も出来ない事象です。

(3)窓口での接客

窓口での事例を紹介します。今でも心に引っかかっています。もちろん、多くの来客は私の目の状況をご存知であり、応援をしてくださいました。

@ 客に「私は目が悪い」と言ったら、客は「見える人に担当を代わってください」と言いました。初めての経験でした。
A 私が申請書類を拡大読書器で不備がないかチェックしていると、受付カウンターで机をたたいて「いつまで待たせるのか。早くしろ」とどなる客がいました。
B 見えない目で書類を指さして「ここにこう書いてあるでしょう」と説明していたら、突然、怒り出す客もいました。指さす箇所が違ったのでしょう。上司が接客の場へすっ飛んできました。
C 私の同僚(女性ですが)に向かって私のことを「民間だったら、目が見えなければ、退職するしかない」という客もいました。この同僚からその客に対しての反論は無く、同意していました。この同僚と一緒に過ごした2年間はとても辛かったです。

(4)職場の同僚

同僚はその女性を除くと皆良くできた人で、私が電話中、相手先の電話番号などの記録をお願いすると快く対応をしてくれました。私が受け付けた申請書の添付書類で図面がありました。拡大読書器では判別が困難なため、「ここがこうなっていますか」と尋ねたら、いやがらず、「OKです」と責任分担をしてくれました。本当に良い仲間でした。
笑い話ですが、私が書いた自分の文字が読めないのです。そんな蛇が這ったような私の文字を解読してくれました。
私の担当であるにもかかわらず、代わって受付事務をしてくれる同僚もいました。
同僚はとても良いメンバーでした。

(5)私の信念

題が大げさですね。
私は電話にしろ、来客での対面にしろ、書類の書き方であるとか、添付書類であるとか、できるだけわかりやすくと心がけてきました。説明不足のため、お客さんに何度も足を運ばせたり、無駄足を踏ませたりする事がないように気を遣いました。

(6)私の欠点

家の中でもそうですが、同僚が電話をしている声が自然に耳に入るのです。「それは違いますよ。○○ですよ」と電話中にもかかわらず、口を挟んでしまうのです。きっと嫌われていたでしょうね。でも、私としては電話の相手に間違ったことを告げるのは腹立たしかったのです。
私が移動してきてまもない頃、こんな上司がいました。電話を切った後、あるいは来客が帰ったころ、「あれは間違っていた。こうではないか?」と言うのです。後の祭りです。
蛇足ですが、私は電話の内容が上司や同僚に理解してもらえるよう、必ず相手の言葉を復唱しました。苦情電話の時など、報告が楽で済み、助かりました(にこにこ)。電話の応対で「はい」「はい」では話の内容がわかりませんよね。

(7)行きたくなかった職場旅行

職場は8人程度の少人数でしたが、毎年、職場旅行がありました。退職を控えた年には私をサポートしてくれていた人が異動になり、正直気が進みませんでした。行き先は高知でした。キャンセルの機会を逸し、やむなく旅行に行きましたが、幸い、サポートをしてくださる人がいてくれました。肩を借り、リュックをつかんで、誘導していただきました。温かい気遣いをいただき、おかげで最後の職場旅行に参加出来ました。

3 現在の状況〜日常生活〜

毎週木曜日のパソコン教室以外に何をするかと考えていました。「サピエ図書館」を聴くだけというわけにもいきません。そこで、支援費とか、同行援護とかの制度を承知していましたので、昨年5月にやっと申請をしました。同行援護はまだ利用していませんが、「日中一時支援」として、6月から毎週水曜日、都合がつけば月曜日もデイサービスへ通っています。昼食(450円)を含め、1回が1,000円程度の負担です。私の場合は月に9回が限度になっています。自転車漕ぎとか、階段の昇降等を行っています。運動不足の解消・肩こり予防・アルコールの摂取防止になっていると思います。(笑)

4 おわりに

何度、退職を考えたことでしょう。何度、落ち込んだことでしょう。35年間を勤務出来たのはタートルの皆さんのお力添えがあればこそと感謝しております。もちろん、支えてくれた妻もですし、すばらしい同僚、そして、16年間も異動なしに同じ職場に置いてくれた人事当局もです(にっこり)。
思い起こせば、広島市で行った「タートル地域交流会」ではたくさんの情報と元気を頂戴しました。数年前になりますが、松坂理事長には音声パソコンの講習会にわざわざ福山へ来ていただきました。工藤副理事長の奥様には娘の看護学校の進学の件で相談にのっていただきました。下堂薗前理事長、Oさん、Yさんにもいろいろお世話になりました。本当にタートルの皆さん、どうもありがとうございました。

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【お知らせコーナー】

◆『GUIDE BOOK 〜視覚障害者の「働く」を支える人々のために〜』完成のお知らせ

昨年より取り組んできました「日本郵便株式会社 平成25年度年賀寄附金助成事業」による「働く」をテーマにした小冊子が、2月に無事完成いたしました。タートルが蓄積してきた経験をもとに、視覚障害者の復職・就職の事例と、そのために必要なロービジョンケアなどをコンパクトにまとめてあります。職場でサポートしてくださる方々や、眼科医の先生に、ぜひ読んでいただきたい内容となっています。会員の皆様には、すでに墨字の実物を送付いたしました。また、その内容はタートルのホームページ(http://turtle.gr.jp/)にPDF版とテキスト版を掲載しました。会員の皆様はそちらをご覧いただき、これはと思う方にお渡しするなど、積極的な活用をお願いいたします。

◆ ご参加をお待ちしております!!(今後の予定)

<タートルサロン>

毎月第3土曜日
於:日本盲人職能開発センター
(14:00〜16:00 交流会開催月は講演会終了後)

<平成26年度通常総会&記念講演会>

6月21日(土)
午前(総会) 午後(講演会+交流会)
於:日本盲人職能開発センター
大阪・福岡・名古屋・広島などとSkype中継予定

◆一人で悩まず、先ずは相談を!!

見えなくても普通に生活したい、という願いはだれもが同じです。職業的に自立し、当り前に働き続けたい願望がだれにもあります。一人で抱え込まず、仲間同志一緒に考え、フランクに相談し合うことで、見えてくるものもあります。気軽にご連絡いただけましたら、同じ視覚障害者が丁寧に対応します。(相談は無料です)

◆正会員入会のご案内

NPO法人タートルは、自らが視覚障害を体験した者たちが「働くことに特化」した活動をしている団体です。疾病やけがなどで視力障害を患った際、だれでも途方にくれてしまいます。そんな時、仕事を継続するためにはどのようにしていけばいいかを、経験を通して助言や支援をします。そして見えなくても働ける事実を広く社会に知ってもらうことを目的として活動しています。当事者だけでなく、晴眼者の方の入会も歓迎いたします。

◆賛助会員入会のご案内

NPO法人タートルは、視覚障害当事者ばかりでなく、タートルの目的や活動に賛同しご理解ご協力いただける晴眼者の入会を心から歓迎します。ぜひお力をお貸しください。また、眼科の先生方はじめ、産業医の先生、医療従事者の方々には、視覚障害者の心の支え、QOLの向上のためにも積極的な入会あるいは係わりを大歓迎します。また、眼の疾患により就労の継続に不安をお持ちの患者さんがおられましたら、どうぞ、当NPO法人タートルを紹介いただきたくお願いいたします。

◆会費納入ならびにご寄付のお願い!!

日頃は法人の運営にご理解ご協力を賜り心から御礼申し上げます。
さて、間もなく年度末となります。今年度の会費が未納の会員の方は、お手数ですが、以下の振込口座に年会費の納金手続きをお願いいたします。
また、ご案内のとおり、当法人の運営は資金的に逼迫している状況です。皆様 方からの温かいご寄付を歓迎いたします。併せてよろしくお願い申し上げます。

≪会費・寄付等振込先≫

ゆうちょ銀行
記号番号:00150-2-595127
加入者名:特定非営利活動法人タートル

◆活動スタッフとボランティアを募集しています!!

あなたも活動に参加しませんか?
NPO法人タートルは、視覚障害者の就労継続・雇用啓発につなげる相談、交流会、情報提供(IT・情報誌)、セミナー開催、就労啓発等の事業を行っております。これらの事業の企画運営等、一緒に活動するスタッフとボランティアを募集しています。会員でも非会員でもかまいません。具体的には交流会の運営、事務局のお手伝い、在宅での情報誌の編集作業等です。できる範囲で結構です。詳細についてはお気軽に事務局までお問い合わせください。

☆会員募集のページ
http://www.turtle.gr.jp/join.html

☆タートル事務局連絡先
 Tel:03-3351-3208
 E-mail:m#ail@turtle.gr.jp
 (SPAM対策のため2文字目に # を入れて記載しています。お手数ですが、上記アドレスから # を除いてご送信ください。)

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【編集後記】

今年の冬は西日本から東日本の太平洋側にかけて、これまでにない大雪による被害がありました。皆様のお住まいの地域は大丈夫だったでしょうか。

私は関東地方に住んで約40年になりますが、これほどの大雪を経験したことはありません。私の住む埼玉県のなかほどでも50センチから60センチくらいの積雪でした。関東地方は10センチから20センチの積雪で交通機関や日常生活に影響が出ます。5センチから10センチの雪で歩道の点字ブロックは隠れてしまい、視覚障害者は歩行に支障をきたしたと思います。今年の冬はその数倍・・・

私事ですが、ようやく雪が溶けたと思ったら、今度はパソコンの電源が入らなくなりました。メールの送受信もできなくなり、眼が見えないばかりか耳もふさがれたような気分です。雪にもパソコントラブルにも弱い視覚障害者を痛感しています。身動きが取れず、周りの方々に迷惑をかけています。しかし、春になれば雪は溶けます。パソコンは直ります。直らなければ買えばいい。いろいろ迷惑をかけながらも、何とか楽しくやって行きましょう。

(長岡 保)

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