「しんぶん赤旗」 1998年10月29日付
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<10面 くらし家庭面>
「おめでとう。ただ今日はスタートの日、これからが大変だと思う。がんばってほしい」。東京・JR両国駅前のビアホールで、一人の仲間の職場復帰を祝うささやかな会がひらかれました。不況とリストラが吹き荒れるなか、同様の困難に直面する人たちにとっては大きな励ましになる朗報。各地からかけつけた中途視覚障害者や支援の弁護士ら四十三人の参加者は、復職をわが事のように喜び、涙をぬぐう姿もありました。
集いを主催したのは「中途視覚障害者の復職を考える会」(和泉森太会長、通称「タートルの会」)。今回、職場に復職を果たしたのは日本ユニシスKK(東京・江東区)の郡悟さん(38)です。
郡さんが復職にいたるまでには「なによりも生活訓練や職業訓練を通して新たな知識と技術を身につけた本人の並々ならぬ努力と、それを評価してくれた会社と同僚の理解と温かい励ましがありました」とタートルの会事務局長の篠島永一さん(62)。
一九九六年十一月、経理部の仕事をしていた郡さんは視力低下で、本人も会社もどうしてよいかわからないまま「解雇やむなし」というきびしい状況に追い込まれます。
郡さんの訴えを聞き、タートルの会は全面的に支援。全日本視覚障害者協議会(全視協)、江東区労働組合総連合、東京東部法律事務所の弁護士などにも協力を求めました。
会社は同年大みそかに解雇予告を撤回します。
その後、郡さんは昨年二月から八月まで、東京都視覚障害者生活支援センターで生活訓練、引き続き丸一年、日本盲人職能開発センターで職業訓練を受けました。
その結果、画面が見えなくてもパソコンを音声で操作し音声がでない部分の確認はオプタコン(光学的に触覚認知ができるようにする機械)を指先の目として活用し、ほとんど失明前と同じ仕事ができるようになったのです。
訓練中、職場復帰を前提に会社は多くの具体的課題をもってきてくれ、郡さんもそれらに積極的に応えました。
こうして、新たに身につけた技術や技能が会社側からも評価され、十六日、ついに復職を果たしたのです。
二十一日夜の「復職を祝い、仲間を励ます集い」。
川越市からきていた大手電機メーカー社員の石坂豊さん(43)は、こういいます。
「私の場合は三年前に急に目が見えなくなりました。十二月が休職の期限でいま会社に復職を働きかけているところですが不安です。会社から課題をあたえられた郡さんはすごい。うれしいです。実際に働き、障害者にもできるんだということを示してほしい」
福島のある町役場の職員、久保賢さん(27)からは「私も郡さんを目標にがんばりたい」とのメッセージがよせられました。
中途視覚障害を理由に関西電力から解雇され、裁判中の二見徳雄さん(5 1)もかけつけていました。
「私の裁判も来月十八日が山場です。『働いて生活がしたい。そのためにも職場に補助器具を整備してほしい』。これは事業主に課せられた当然の責務だと思います。郡さんはよくがんばった。私も一人でのたたかいなのでときには揺れる。この集いでみんなから元気をもらい、関西でがんばります」
郡さんの話
「二年四カ月ぶりに元の経理部の職場に戻り、ほんとうにうれしい。復職するにあたり、会社側が要求してきた一番大きなハードルは、他人の手を借りることなく独りで仕事ができることでした。休職期間中に受けたリハビリで自信はあったのですが、復帰してみて正直いってやはり大変だという思いです。しかし『やっぱり無理だったか』といわれたくない。信頼をかちとるためにこれからが本当に大切だと思っています」
(注)本文中には以下の三枚の写真が組み込まれています。
なお、本記事のタートルの会のホームページへの掲載については、執筆された記者を通して許諾が得られています。