タ ー ト ル No.9

1998. 5.25.
中途視覚障害者の復職を考える会
(タートルの会)

共に混沌の時代を担おう

タートルの会幹事 北神あきら

 「昨年度の経済成長率マイナスに」、「金融ビッグバンはじまる」、「失業率過去最高に」、「行政改革は成果を上げるか」、「地球温暖化進む」‥。こんな見出しが毎日の新聞を埋めていることは皆さんご承知のとおりです。21世紀を目前にして、今私たちが住んでいる社会は何かが変わろうとしています。しかし、これから先がどんな時代になるのかについて明確な答えは誰も出せずにいるようです。
 こうした時代の流れは、当然のことながら私たち視覚障害者にも無縁ではありません。現実問題として、不況のための就職難、また会社の倒産やリストラによる離職への不安、更に企業の中でもより高い能力と貢献度が求められるなど、厳しい面ばかりが目立っているようです。これらは私たちにとって切実な問題であり、避けて通ることのできないものばかりです。
 ただ、こうした先が読めない時代だからこそ逆に「見る目」が必要になると思います。今求められているのは、「将来へのビジョン」を持つことだという気がします。短期的な、または特定の企業や組織の側だけから物事を見るのではなく、できるだけ広く、そして長い目で時代を見つめる心の大きさが大切ではないでしょうか。確かに目の前にはあまりに多くの問題が横たわっており、これらと取り組まなければなりません。しかし、その際にも「広い視野」を持っているのとそうでないのとでは違うと思います。勿論、そこには場合によっては思想的、倫理的色彩が表面に出ることもあるかもしれません。でも、それはそれでいいのではないでしょうか。日本では私自身を含めてなぜか「思想」や「宗教」について議論することをどこか避けているような気がします。しかし、「将来のビジョン」を語るとき、それらは必然的にバックボーンとなっているはずです。お互いの人格を尊重しながら考えを述べ合い、そこから新しいビジョンを生み出す柔軟さがあれば、この混沌の時代を生き抜くことができると思います。
 私たちは視覚障害者であると同時に社会の一員として時代を担い、次の世代につなげていく責任があると思います。ゆとりのない現代社会の中で、時には立ち止まって「利益」ではなく、「理念」を持って新しい時代を見つめる心の広さを持ちたいものです。そして、来るべき新しい世紀が今よりもっといい時代となることを目指して一歩ずつゆっくりと、しかし確実に進んで行こうではありませんか。

連続交流会から今後の課題をさぐる

 昨年行われた連続交流会のポイントとなる点をまとめてみました。とりわけ話し合いの中で参加者との間で交わされた話を大切にしました。あえて項目ごとに整理するのは控えました。「これが課題」といいきるのではなく、もっともっと内容的に暖めて整理していきたいと考えるからで、それは次の交流会の課題にしたいと考えます。

−−Sさん
 国家公務員で出先機関の管理職。
 長い経験から視力に頼らずできる面が多いが、アルバイトを自分のペースで活用したり、緊急の判断が求められる時は部下に見てもらったり、やはり役職の地位は大きい。しかし、その前提には人間関係をうまくつくれているSさんの人柄や努力も大きい。アシスタントについては外部のボランティアを職場に導入している実践も参加者の一人である教師から報告された。
 拡大読書器や音声ワープロなどの補助機器の導入についても、必要性を理解させ、購入させることができたが、国家公務員全体では厳しいという報告。
 パソコンについては音声ワープロの基本的な訓練を受けた程度であるが、情報を記録・管理し、印刷まで自分でこなしていることは大きな意味をもっている。企画・管理等の仕事には不可欠なものであろう。
休暇を使い音声ワープロの訓練を受けたが、やはり職場できちっと研修という形で保証されるべきだ。Sさんは彼が作り上げた人的ネットワークと、個人的な努力でこなしたが、私たちに残された今後の課題は大きい。

−−Kさん
 国家公務員で労働省関連の研究機関で働く。
 受けた職業訓練の延長でテープ起こしを基本にしながら、豊富な情報を蓄積し、仕事に生かしている。

職業訓練の内容的な充実  
職業訓練が十分に受けられること、パソコンについてはプログラムをある程度組めるレベルが必要である。彼はMS-DOSの基本知識にこだわりそれが現在に生かされている。
情報を蓄積することへの努力  
点字の習得を重視する。また、ユリーカやテープレコーダー、イヤホンマイクを活用し、情報を記録することを重視し、人的なつながりの重視と相まって仕事の幅を広げている。
人的支援について  
ジョブパートナーという週3回のアシスタントが認められている。回覧文書や必要文書のサポートはもちろんだが、役立つ文書やデータの入力も依頼している。これは、今後の仕事に役立てられる大切な情報として蓄積されるし、周囲の人にも役立つものとなっている。
 さらに、訓練だけでは対応できない、現場に就いてからのフォロー態勢は、現実的には大きな問題である。また、補助機器を使いこなすために自分で持ち歩けることが大切で、その意味で個人への助成も不可欠である。
その他  
毎日の職場で、電話で受けた情報のやりとりをすばやく晴眼者との間でどうするかもさらに多くの体験を集める必要があろう。

−−Uさん
 ハローワークで障害者の職業紹介をしている。
 網膜剥離で入院。ルーペを見つけ復職したが、疲労、緊張が重なり限界を感じ、拡大読書器、音声ワープロの導入を決意する。また、職場の周囲の歩行訓練をうけたり、機器の訓練をうける。限界を感じたときの適切な対策と、変則的ではあるが日常の職業生活にマッチした訓練を受ける。この体験が「もしこれ以上見えなくなった時にはパソコンの訓練を本格的にやる」という前向きな姿勢に役立っているようである。
 今までの経験を前提に、来客者が多くなく、自分のペースでできる仕事ということがポイントのようだ。一般に視覚障害者には接客業務は向かないと言われるが、視覚障害者側で主導権をとれれば十分に可能なことが明らかである。障害者自身が障害者の職業相談をするという業務は、大いに期待したいところである。

−−Tさん
 パソコン通信とデータベースソフトをフル活用し、新しい仕事を作り出している。
 パソコンに関するしっかりした訓練成果が、ソフトの使い方だけでなく、「こんなことができるのではないか」という発想を生み出している。そしてそれを受け止めてくれる社内のキーパーソンがいたことが大きな意味を持つ。また、イベント幹事を受け持つなど社内での人間関係もうまくできている。
 業務内容
 パソコンを使った消費者情報の収集(音声を利用)。それをデータベースソフトを活用し加工する。社内モニターの抽出・進捗状況の把握→データベースソフトを活用。
 「彼にはできるのでは」と進言してくれる人が同じ部署にいたことが彼の仕事を作り出す意味で大きかった。

−−Oさん
 失明当時の上司が非常に良くやってくれ、復職にあたってどうすれば良いか真剣に考えてくれ、訓練機関とも十分に話し合ってくれた。そして復職のためのプロジェクトチームを社内で作ってくれ、復職後の仕事の内容を具体的に考えてくれた。

テープ起こし  
多くの場合、会議録のテープ起こしが多い中で、彼の場合は社員の研修のための勉強会のテープ起こしをしている。成果が社内にフィードバックして役立てられている。
名刺管理  
データベースソフト(dBASE4)を活用し名刺の管理を行っている。営業担当が十分に活用できるものとなっている。名刺の情報を音訳することも訓練機関との協力でできており、今後の職域として注目したい。
情報の発信  
社内のネットワークの形成という条件を活用し、パソコン通信で得た情報を社内に発信している。今後の新しい仕事としてこの点も注目したい。
 また、社内のメールを利用して、日常的にサポートしてくれる人にメールで援助依頼している点も新しい。

−−Aさん
 旅行会社の総務部で嘱託として再雇用。
 電話に即対応できるように視覚障害者用に作られた電話管理システムを活用した電話受付の仕事、データベースを活用した進捗状況管理表の作成、各種のテープ起こしと、訓練施設で学んだことと、それに即して作られたシステムをフル活用している。
 データベースソフト(dBASE)を活用した「進捗状況管理」の仕事はパソコンを利用した視覚障害者の新たな業務として定式化していくことは十分に可能性のあることを確信する。
 2つの業務をこなしながら、誰でもがこなす電話の応対を、きちっとこなしていることは大きな意味がある。視覚障害者が扱いやすい電話機の導入やパソコンの音声と電話の音声がうまく整理できるミキシングの活用、情報をすぐさま取り出せるようなシステムがそろえば、どこでも存在する電話の応対という仕事が十分に可能となる。
 テープ起こしはかなり体力を必要とする業務なので、社内ネットの本格的な実施という状況のなかで、これからの新しい業務の模索もしている。このような今後の展望を考える上で社内のキーパーソンが存在していることは重要である。
 30年近い事務職の経験が、見えなくても何とか事務職はできるという強い確信を生み出していることは、心強いことである。

−−Kさん
 在宅勤務で社内向けのアプリケーションソフトを作成している。
 仕事上できちんとした戦力になること、そのためにはどうしたら効率的に仕事ができるのかを大切にする。それがたくさんのソフトを使いこなし、使いやすい点(音声化にどれだけ優れているのかが大きなポイント)を重視し、そうでない点はほかのソフトを使う。その意味で日々の工夫が要求される。特に視覚障害者にはそれが強く求められる。
 また、オプタコンの使用は仕事になくてはならない。自分で作成した帳票をすべて人に読んでもらっていたら仕事にならない。ここでオプタコンの活用が彼にとって不可欠になる。オプタコンの評価を一般的にどうこういっても意味が薄い。大切なのは彼の仕事の中でしっかりと位置づいていることである。
 1年間の訓練期間で得られるものには限界があり、その後のフォローをどのように受けられるのかが大切であり、訓練機関の職員に個人的にフォローが受けられたのは大きな意味があった。また使用するハードやソフトの数の多さから会社や助成制度での提供は大切であった。
 SOHO(ソーホー:Small Office Home Office)という流れを視覚障害者も積極的に受け止める意味でも彼の実績を確認しておきたい。
 今後の最大の課題はWindowsの音声対応で、これが進まなければ今の仕事は不可能になる。
 パソコンの活用における職業訓練については、マニュアルの読み方、例えば、新しい事態にぶつかった時どのように調べればいいのか、という点に力を入れるべきだ、と。

−−Mさん
 電子スイッチ関係の技術職。
 Mさんの22年間の技術職としての経験は貴重であり、それを生かせる仕事は会社にも本人にも都合のいいことである。周囲の人のちょっとしたデータの読み上げ等で、それをパソコンに入れて仕事に役立てるように加工していく。パソコンはあくまでも補助に使われ、あとは長年の経験がものをいう。様々な指示や人のいやがるクレーム処理をおこなう。役職にはついていないが「仕事は看板でするものではなく自分の実力を出せればいい」と言い聞かす。「見えない」という一つのことだけにこだわるのでなく、自分の様々な特性のなかの一つとして分析している。
 また、体系的な職業訓練は受けてないが、訓練機関との関わりの中で「見えなくても文字は書ける」という確信を持ち、失敗をおそれず新しいものにどんどんチャレンジしていく姿勢は大切であった。
 また、暗くなると退社時間を早める、どうしても残業の時は同僚が車で送る等、実質を大切にする会社の姿勢も、働く上で重要な要素となっている。
今後の課題はアイデアを形に表すためのアシスタントの必要。また、パソコンの活用における職業訓練については、キーの位置をしっかり覚えれば、あとはわからないときに誰に聞けばいいのかという、人的なつながりを持つことが大切。

−−Yさん
 国家公務員で仕事の基本は文書作成。
 専門知識を基礎にしながら、情報の整理や英語の翻訳に関するパソコンの活用、また周囲の補助的な読みの支援を受ける。前職での長い経験もあり英語の翻訳に関してはかなり体系化したシステムを確立してきている。メモについてはパソコンや点字を状況によって使い分ける。「標準テキスト」を処理基盤とする各種ソフトウエアを様々に活用し、自分に合った形を確立している。
 課題は色々な形を取りながらも専任的なアシスタントの保証と社内LANへの対応である。一般職としてよりは、ある仕事を専門的にやり、その積み重ねで昇進もしていくことを将来的に考える。
 電子データを効率的に読みこなす手段、例えば検索がスムーズにできること等の大切さを強調。

(新井愛一郎)


【交流会1998/3/14】
障害者と生命保険

東邦(現:エジソン)生命保険相互会社
営業部 川添直行課長

[加入者制限について]

 健常者であっても、血圧が高い、尿に糖が出ている、肥満が度を越しているなどの条件があれば生命保険には入れない。障害者に関しても加入条件は同一のものが適用されるため、最初から門を閉ざしているわけではない。
 ただ、問題になるのは障害の程度が固定しているかということである。生命保険には高度障害(身障手帳1級)給付という条項があるために、進行中の障害であると加入に支障が存在する場合もある。一定期間(数年間)おいて診断書を提出することで、障害が固定していることを確認できれば加入が認められることがある。
 条件付き契約として、例えば視力障害の高度障害に関しては保険金支払いの免除になるような条項を付け加えることで生命保険に加入することができる。
 一度、高度障害給付を受けた人もその高度障害を除外することで再加入は可能である。ただし、加入希望者の側からそれを提案するのではなく、保険会社から条件を提示するという形になるために、希望の契約形態が可能かはケースバイケースになる。査定基準は一切公開されておらず、営業担当者は経験則のみで勧誘を行っている。
 契約前5年間を溯って障害の状況などについて加入者が告知義務を果たさなかったときには、保険会社から契約解除となる。ただし契約後2年間を経過した場合には保険会社からの契約解除はできなくなる。この告知義務は加入時点にのみあり、契約締結後に障害の状況や健康の状況が変わったとしても告知義務は無い。

[3点セット]

 入金・加入申込書・査定書が全部揃った時点が契約締結となる。締結権を持っているのは保険会社だけであって、営業担当者や診断医師にはない。

[保険の種類]

 定期保険:掛け捨て、期限内
終身保険:必ず保険金支払がある
医療保障保険:医療費関係についてのみ保険対象で、生命保険の特約の場合が多いが単品でも存在する。代表例はガン保険。
生存給付金付生命保険:定期的(3年もしくは5年)に生前給付型生命保険:ガン告知や脳血管障害、重度慢性疾患などが生じたときに、生きている間に保険金がもらえる。

 一般的に保険は以上の種類の保険を組み合わせて商品にしている。

[保険の活用]

 保険商品を購入する際にあれもこれもと目的がいくつも合わさって中途半端な高額な保険になっていることが多い。遺族保障、医療保障などどの目的を重視するかによって、最適な保険の組み合わせは異なる。保険の目的を決める、何が必要な保障なのかを見極めることが良い保険を選ぶコツになる。

[保険新商品の例]

 健康体保険:身長体重のバランスが良くて、健康状態も良好、運転事故歴の有無が加入審査で問われる。加入条件が厳しい代わりに保険料が安くなる。これは東邦生命だけの独自商品。他にはアリコ生命や第百生命は非喫煙者保険を出している。

 保険のビッグバンが進行中のため、今後も様々な保険商品が出てくると予想される。

[簡易保険について]

 郵便局で販売している簡易保険は民間の生命保険とほぼ同じような内容である。ただ保険金上限があることや、保険商品の構成の多様性は期待できない。加入条件は無審査であることも手軽である。

[住宅ローンに付帯する生命保険について]

 住宅ローンを組む場合に加入を義務づけられるような生命保険は個人保険ではなくて、団体信用保険と呼ばれる種類のものであるから、最初に視覚障害があることを事前告知していれば加入には問題が無い。

[家族保険契約について]

 高度障害給付を受けるのが主契約者かどうかが問題となる。家族保険契約は主契約者以外の分は特約として扱われているため、家族が高度障害給付を受けた場合にも主契約部分については変更はない。しかし、高度障害給付を受けるのが主契約者であれば給付によって保険契約が終了してしまうために、家族の分については再契約が必要になる。
(和泉徹彦)

<『タートルの会』のホームページ URL>
http://www.asahi-net.or.jp/~ae3k-tkgc/turtle/index.html
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【職場で頑張っています・その1】
出会い・再び仕事ができる喜び

荒 木  政 男
(公務員・下関市・1941年生まれ・色変)

 私は今年で公務員生活38年目に入りました。職場では年金、主に障害年金関係を担当しております。
 平成6年4月頃より、仕事をしていても何となく文字が見づらくなってきました。他人に悟られまいと、隠し隠し一応は仕事をこなしてきました。
 職場はオンライン化が進んでおりまして、その中より情報・記録を取り出して決定するのが仕事ですが、記録を取り出すのが一日やっとという状態でした。ですから、仕事を家に持って帰り、電気はまぶしいので消し、スタンドにして徹夜するという毎日‥‥。夜が明けると出勤と、このような生活を続けているうちに、肉体的・精神的に疲れてしまいました。
 また、職場ではゴミ箱にぶつかったり、半開きのロッカーにぶつかったりするようにもなってきましたし、職場の人は私が通り過ぎるのを待って通っていくという環境でした。
 家庭では朝夕愛犬と散歩するのが私の唯一の楽しみでしたが、一番恥ずかしかったのは、電柱に向かって「おはようございます」と言ったことでした。が、返事はあろうはずもありません。自分自身本当に情けなくなりました。
 この頃だったと思いますが、朝日新聞に鈴木春夫さんが職場復帰されて頑張っておられるという記事が載っていたのを見て、自分もまた元のように仕事がしたいと思うようになり、本当に勇気づけられました。しかし、目の方は進行し、4月には仕事ができなくなりました。3人の子供たちも自立していましたので、妻と二人、生活の方は何とかやっていけるんではないかと、今後の生活設計なるものを立てておりました。この時は、本気で職場を辞めようかと考えましたし、また、死んでしまいたいとも思いました。酒にも逃れたりもしました。
 やがて、北九州市にある産業医科大学病院から待ちに待っていた手術日の知らせを受け、ワラをもつかむ思いで眼科に向かいました。すぐに手術をしていただき、忘れもしません、病院の窓から見た風景が見えた時の喜び、本当に嬉しかったです。
 その後、平成8年に拡大読書器を購入しました。それを職場に持ち込んで仕事をさせていただき、今日に及んでいます。
 一般に、中途視覚障害者には心の準備がありません。網膜色素変性症が進行し、徐々に失明の危機状態にある私にとって、先行きが不安にかられます。しかし、今現在、私は仕事ができる状態にありますので、幸福者だといえましょう。それは、たくさんの方々からの心からの応援、アドバイスをしていただいたお陰です。これが出会いというものですね。
 産業医科大学病院眼科の高橋先生には、目の状態、精神面でもベストの方向へ向けていただいております。また、国立福岡視力障害センターの山田先生には、ルーペ、眼鏡の相談はもとより、精神的な面でもずいぶん助けていただきました。さらに、「北九州視覚障害研究会シンポジウム」では「タートルの会」の工藤さんにお会いし、それがご縁で、こうして私のつたない体験を書かせていただいている次第です。
 一時は弱気になり、死にたいと本気で思ったこともありましたが、これからは前向きに生きたいと心に誓っております。本当に温かいお気持ちありがとうございます。今、私は障害者であることによって、それが仕事に活かされています。それは、障害者の方々の気持ちを少しでも理解できる努力をしていこうと思うからでしょうか。私たち障害者は一人では生きていけません。各地で開催される大会などがあれば、出席して情報を持ち帰り、活かしていこうと思っております。それには、内に閉じこもらないで、積極的に外へ出ていき、皆さんと触れ合うことが前に進む原動力となろうかと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

*この手記は、荒木氏が「北九州視覚障害研究」のためにまとめたものですが、当会のために加筆のうえ寄稿していただいたものです。
 なお、当会発行の『中途失明〜それでも朝はくる〜』には、本文中に名前の出てきた鈴木春夫氏と国立福岡視力障害センターの山田先生の手記も収められています。

【職場で頑張っています・その2】
〜職場に戻って6カ月〜

高 木 一 幸
(銀行員・東京豊島区・1966年生まれ・ベーチェット)

 タートルの会のみなさんこんにちは。私は、24歳の時、難病であるベーチェット病を発病し、幾度となく病気特有の炎症、発作を繰り返し、今から約3年前の平成7年に光を失い視力ゼロの中途視覚障害者となりました。幼少の頃から外で遊ぶのが好きで、その影響からか小学校から大学まで好きな野球を続けてきました。健康体であった私が、なぜ目の病に‥‥。復職するまでには、決して平坦な道ではありませんでした。
 簡単に経緯をお話ししますと、平成5年11月に書類の字が読めなくなったので自ら病気欠勤願いを提出、そして休職。この間生活リハビリ、職業訓練を経て現在に至っています。
 私は、現在都内の銀行に勤務しています。毎日の通勤時間は片道約1時間。戻った当初の契約で遅出の時差出勤を認めていただいています。この通勤経路は、生活リハビリ期間中、歩行訓練も兼ねて施設の先生と夏休み返上で覚えました。この訓練のおかげで、入所するまで杖のつき方さえわからなかった私が単独歩行できるまでになり、通勤経路に関しては自信がつきました。また、復職が正式に決まった後、職場内の歩行訓練も併せて行いました。その際、エレベーターに点字を表記してもらうよう会社にお願いしました。昼食時は、本店の大食堂を利用するのですが、職場内の方とグループ単位で行動し、毎日メニューも読んでいただき、たいへん助かっています。
 しかしながら仕事の方といえばさにあらず。復職当初、休職期間と雇用促進協会からの助成金との絡みもあり、あわてて戻ったいきさつがあります。事務職として私が初めてなので、会社側も仕事の内容、定着にむけて現在模索中のようです。もちろん、会社まかせということでなく、[私にできる可能性]ということで一筆提出してはいます。しかしながら、現実には仕事がないわけで、精神的に疲労が重圧としてのしかかり、自己嫌悪の念にかられることも度々あります。そんなときは、帰ってから音楽を聴いたり、軽い運動をして気分転換をはかっています。去年の6月からは、マラソンの練習会にも参加しています。
 今後の展望として、私は視覚障害者の意見を加えた顧客サービスに携わることができたらと考えています。金融業界は、今年に入りビッグバン(金融制度改革)が本格化し、外資系も参入し、熾烈なサービス競争時代に突入しています。この激動の中、民間企業も社会福祉事業に貢献していかなければ生き残ってはいけません。そんな隙間に私は、何か仕事が見い出せるのではないかとも思っています。そして、先をにらんで自宅ではパソコン通信を最近始めました。音声サポートしてくれるので、メールの送受信が容易にでき、情報入手の手段として、私にとってたいへん便利です。会社内でも有志でインターネット上でのサークルがあることを耳にしているので、これから是非インターネットへのアクセスもできるよう私なりの可能性を広げていければと夢は膨らみます。
 最後に、私たちは、少し目に障害があるだけで、決して能力が劣っているわけではありません。情報機器を駆使することによって、さらには、人的支援をいかに受けられるかによって、また本人の努力次第で可能性は広がるはずです。つまり、サポート体制を充実させれば、一般事務職、または専門職をもこなせるのではないかと考えます。

ホームページの近況

 タートルの会のホームページを公開してから半年になりますが、いろいろな方のご協力により、内容が充実してきています。昭和40年代末の馬渡さんの復職をめぐる運動に関わる国会議事録や図書「職場に光をかかげて」を公開できたほか、視障雇用連の「雇用連情報」の第40〜42号あるいは、パソコン関係資料、視障者関係機関等のリスト等々も掲載しています。また、59名に達したメーリングリストからの話題として、タートルの会が取り上げられる番組予定等の情報も掲載しています。皆さんも是非ご覧ください。
(吉泉豊晴)

二見さんの近況と二見裁判

 長年関西電力で働いてきた二見徳雄さんが、視神経萎縮で視力が低下し、会社から解雇されたのが一昨年(1996年)12月1日のことでした。二見さんは、解雇通告を受けるまでは当然復職して働き続けられるものと思っていましたので、まさか裁判になるなんて考えてもみませんでした。
 裁判に至るまでの経過については、手記集『中途失明〜それでも朝はくる〜』に書かれています。また、会報『タートル』<第6号>(1997.8.1発行)には、二見さんが昨年の「タートルの会」の総会に参加された時の感想が書かれています。
 これらを、まだお読みになっていない方は是非この機会にお読みいただき、支援する会への入会など、支援の輪を広げていただければ嬉しく思います。
 さて、「二見裁判」は昨年2月19日に提訴以来、6回の公判を終え、今も第7回の公判に向けて準備中とのことです。この間に、二見さんは日本ライトハウスでロービジョントレーニングを受け、視覚障害者用ワープロ訓練も終えました。引き続きこの4月からは、表計算など、ステップアップを目指した訓練に励みたいとのことです。今度の「タートルの会」の総会にも是非出席し、皆さんからたくさんの「元気」をもらって、勝利を目指して頑張りたいと語っています。
 また、去る3月21日、大阪で「二見さんの関西電力への原職復帰を支援する会」(略称:関西電力の二見さんを支援する会)の総会が開かれ、和泉会長が参加されました。その折、同会の機関紙に「タートルの会」から何かメッセージをとの依頼を受け、後日送付いたしました。以下にその内容を掲載いたします。

障害者雇用の責務と生存権侵害
〜二見裁判に思う〜

 どんな障害があろうとも、労働を通して生活の糧を得、社会参加を果たしていくことは人間として当たり前のことである。障害者になったら、解雇止むなしというのでは、人間としての働く権利、生きる権利を奪うことになる。
 私たちは、今は健常であっても、いつ障害者になるとも限らない。その意味で、「二見裁判」は単に二見さんだけの問題ではなく、すべての労働者の問題でもある。とりわけ、私たち「中途視覚障害者の復職を考える会=タートルの会」のメンバーにとっては自らの問題であり、しかも、それは単なる労働問題に止まらず、生存権に関わる問題である。
 なぜならば、多くの中途視覚障害者は「失明」というだけで、否応なしに退職を余儀なくされるからである。中途視覚障害者には思うように再就職のあてもあろうはずがなく、八方ふさがりのまま社会に放り出されてしまう。それまで普通に働いてきた労働者が「失明」に直面した時、一時的にしろ無権利状態に陥ってしまう。
 中途視覚障害者は大きな不安に襲われ、職業継続、家族の生計維持、日常生活など、様々な問題に直面し、それらの解決を迫られる。そのような状況で職を失うことは、まさに生存権そのものに関わる問題である。
 それでも、私たちはやがてリハビリに辿り着き、社会復帰を目指して、歩行、点字、パソコン・ワープロなどの訓練に励み、「見えなくても再び働き続けたい」と懸命に努力をし、新しい技能を身に付ける。このようにして獲得された技能も、「見えなくては仕事は無理」と、まともに評価されないとしたら、そこにあるのはノーマライゼーションの理念ではなく、障害者排除の論理であり、視覚障害者に対する差別と偏見以外の何物でもない。
 二見さんは中途で視覚障害となったとはいえ、視力もあり、キャリアもあり、しかも、関西電力という公共性の高い「公益事業」を行う大企業に雇用されている。本来、公共性が高く、企業規模が大きいところほど率先して障害者を雇用しなければならないはずだ。その意味では、二見さんの場合は、たとえ失明したとしても、職場復帰の条件と、その可能性は十分にある。
 それが解雇とはどういうことなのだろうか。まさに、不当解雇である。私たちの間には、「二見さんが職場復帰できなくて、一体、誰ができるというのか」と、解雇に対する強い怒りが渦巻いている。それも当然である。二見さんの解雇が許されるならば、今、職場復帰を目指して努力をしている仲間たちの未来は閉ざされ、多くの困難を乗り越えて職場復帰を果たした仲間たちの未来もなくなるからだ。私たちの未来のためにも、必ず勝利して欲しい。

(工藤正一)


◇会合日誌◇


◇お知らせ◇

◎『中途失明〜それでも朝はくる〜』は初版(3,000冊)が完売となり、再版(2,000冊)をしました。
 図書館流通センターが発行している「週刊・新刊全点案内」という月刊誌6月号に登載されます。全国に2,300館ある公共図書館のうち、その約7割の2,000館に送付されます。

◇編集後記◇

 本の紹介や中途視覚障害者の復職関連の記事がマスコミに取り上げられると、初期相談の電話が数多く寄せられます。働き続けることへの不安と焦燥を訴える進行性の眼疾患の方など……。交流会に誘い参加することで、仲間と語らい情報を得る。そこで勇気と自信、そして元気を持ち帰ります。
 匿名の方から10万円の寄付をいただきました。三療以外の職業、特に事務職の職域開発に期待をかけてとのこと。本当に有り難いことです。
(篠島永一)

『タートル』(第9号)1998.5.25.発行
中途視覚障害者の復職を考える会
タートルの会
会 長   和 泉 森 太
〒160-0003 東京都新宿区本塩町 10-3
社会福祉法人 日本盲人職能開発センター
東京ワークショップ内 電話 03-3351-3208 Fax.03-3351-3189
郵便振替口座:00130ー7ー671967


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