中途視覚障害者の復職を考える会【タートルの会】 会報
タートル46号
タートルの会は、安定して当たり前に働き続けるための工夫や諸制度などについて、相談会や交流会を開催し、後に続く視覚障害者の就労支援を行っていることを関心ある多くの人が知るところですが、タートルの会の活動について、第9回定期総会の基調講演において、日野原重明先生(聖路加国際病院理事長)は、「ペイ・フォワード」という題名の映画を引用され、実に分りやすく位置づけてくれました。
この映画のあらすじは「社会をよくするためにはどうすればいいか?」というテーマに対し、「親切、善意、思いやりなどいいことをしてくれた相手に直接恩返し(ペイ・バック)をするのではなく、必要としている他の人にその恩を送ってやることがベターだ」というような内容だったとのことでした。私は後日、これに対応する日本語として、古来から「恩送り」という言葉があることを知りました。
つまり、恩送り(ペイ・フォワード)は「支援を受けた相手ではなく、別の誰かを支援する。その誰かが、また別の誰かを支援する」と、いう流れで順々に支援し続け、助け合ってゆくという構図です。
ちなみに「恩送り」の精神の原点は「飼育箱の中でカメや爬虫類のような生き物が仲間を助け合う行動をする」ところにあると言われます。まさに偶然にもわが会の名称に通じるものがありますが、「恩送り」は、善意が社会を巡り、様々な善き連鎖が社会全体へと広がっていき、社会全体の幸福の総量を増していくところに本質があるとされております。
私は言いたい。「実は、僕も以前ある人から受けた支援を、リレーのタスキのようにあなたに手渡しただけなんですよ!!今度はあなたが、僕でない誰かを支援してくれればそれでいいんですよ!!」と、恩送りの精神が連鎖的につながり、池の水の波紋の輪が拡がるように視覚障害者の安定就労に波及し、ひいては経済的自立が実現することを切望しております。
板橋区から参りました熊懐敬(くまだき・けい)と申します。実は今日が誕生日で60歳になります。復職直後から篠島先生からお誘いをいただいておりましたが、忙しさで今日まで延び延びになってしまいました。今回お受けしなかったら現役で頑張っているという話ができなくなってしまいますので、万難を排して出て参りました。
私は昭和45年に銀行に入り、同51年に第一勧銀経営センター、現在のみずほ総合研究所に出向、その後同社に転籍して現在に至っております。昭和50年代の後半から網膜色素変性症のためにだんだんと視力が低下してきました。昭和59年に白内障の手術をして一時的には回復しましたが、眼底の色素変性症は平成に入って徐々に進行、現在の視力は光がかすかに見える程度です。平成5年に障害者手帳1級を取得、同時期に東京都失明者更生館、現在の東京都視覚障害者生活支援センターで1年間のリハビリ訓練を受け、元の仕事に復職して現在に至っています。
復職当初、パソコンは厚生労働省の就労支援制度を利用して会社で揃えていただきました。その後Windowsに移行して社内LANにもつながっています。派遣社員のアシスタントを9時半から5時まで付けてもらっています。当初はヒューマンアシスタント制度も検討してくれたのですが、関連会社に出向という立場でしたので手続きが複雑ということで利用を見送ったようです。
パソコン環境はオフィス2000、でんぴつ、メールソフトはWinbiffを使っています。自宅にはいまだにMS-DOSのパソコンを置いております。文書作成は使い慣れたでんぴつで作成し、必要に応じテキストファイルに変換しています。稟議などの社内文書はExcelを使うことが多く、社外文書はWordで必要な個所だけ変更して作成しています。スクリーンリーダーは95Readerとホームページリーダーが中心で、自宅にはマイリードXという読取装置も備えております。
本日のテーマの「セミナー企画の仕事」は昭和55年頃からやっております。私は経営分野、生産物流分野、情報システム分野を担当しています。セミナーの本数は最近増えて年間500本近くやっており、私はその内の120本前後を担当しております。対象はみずほ銀行の取引先を中心とした一般企業ですが、他の銀行グループからもお見えになります。これは事業としてやっており、一日コースで3万円前後の参加費をいただいて開催しています。参加者数は収益に大きく影響するわけで、いかに顧客のニーズに合ったセミナーをタイムリーに企画するかが大きなポイントになります。
先ずはニーズの多いテーマの選定が出発点です。例えば、個人情報保護法や会社法の改正の際には多くのセミナーを開催し大変盛況でした。いち早く新聞などから改正案がいつ通ったか、その後法務省令がいつ出るかなどの情報を集め、タイミングをとらえたセミナーを企画するわけです。そのような情報をいち早くキャッチするための一つのツールとして、「日経テレコン21」というサービスを活用しています。これは関心のあるキーワードを登録しておくと、そのテーマに関連した新聞記事を毎朝配信してくれるものです。その重要なものをスクラップブックとして保存しておくことも出来ます。また、売れている本がそのままセミナーになることもあります。出版社のメルマガからベストセラーの情報を得たり、本屋さんに電話で聞いて揃えてもらったり、妻と一緒に行って本の目次や概略などを読んでもらったりしています。今はアマゾンなどで読めるようになっているそうですが、そこまでやれなくてまだ甘えている状態です。他社のセミナー情報もホームページで公開されていますので、大いに参考にしています。また、セミナー終了後のアンケートや問い合わせ電話などお客様の声も、新しいセミナーの開発に反映していきます。アンケートに書いてあるコメントはアシスタントに読んでもらっています。回覧で回って来るビジネス関係の雑誌や業界紙からも情報を収集します。これもアシスタントに読んでもらっています。
テーマが決まったら次は講師を探します。他社で実績がある講師をはじめ、本の著者も有力な候補です。同業他社や出版社の馴染みの人に紹介してもらったりもします。新しい講師との面談は、「私は目が不自由なので近くに来たときにでも寄っていただけませんか。」とお願いすると来社してくれるケースが増えてきました。こちらから訪問する場合は上司に同行してもらいます。
次は募集用のパンフレットを作る作業です。講師からは簡単な内容で原案が送られてきますので、それに肉付けをして項目を作り、魅力的な内容に作り上げます。講師とのやり取りは、以前は手書の原稿がファックスで送られてきて、他の人に読んでもらいながら私が入力するということで苦労していました。最近はメールで送られてくるので、パソコン上で自分の考えと組み合わせて構想を練っていけるようになりました。これなら人の手を借りなくてもやっていけると感じています。ただ、魅力的な内容に仕上げるには、講師が書いた本や資料の内容をある程度理解する必要があり、そのために本などを自宅に持って帰り、妻に読んでもらっているという部分があります。
その他の業務としては、顧客に案内を出す際に、顧客データベースから打ち出されて来るダイレクトメールの宛名リストの点検はアシスタントにやってもらっています。パンフレットや配付テキスト・資料の点検、校正もアシスタントに全面的に依存しています。セミナー当日の司会と進行は自分でやっております。白杖を持って「皆様おはようございます。」と受講者の前に出ていきます。慣れた自社会場でやるときはいいのですが、社外の会場に行きますと勝手が分からないで困ることもあります。この前などは司会の挨拶のあと外へ出たつもりが、舞台の裏の倉庫みたいな所へ入り込んでしまって、一段落するまでそこでずっと我慢していたというような笑うに笑えないようなことをやっております。その他、教室のレイアウトの点検、温度調節などは同僚やアシスタントにお願いしております。最近はパワーポイントを使う講師が増えてきて、プロジェクターがちゃんと写っているかなどの操作確認も同僚の助けを借りています。以上が概ね私がやっている仕事の内容です。
次に、リハビリ訓練を経て従来やっていた仕事に復職するまでの経緯をお話いたします。平成5年に会社から「2年間休職扱いで、研修を受けた方がよいだろう、君のこれからの人生のためにも。」と言われました。2年間は長いな、休職というのもショックだなと思っていました。上司に同伴してもらって所沢の国リハ、失明者更生館などを訪問しました。その際に施設の担当の方から「そのくらいだったら1年間で充分ですよ。他の会社では研修扱いでやっているところもありますよ。」というお話がありました。そんなアドバイスのおかげで、最終的には訓練期間を1年間に短縮してもらい、休職を研修扱いにしてもらうことができました。それと、通勤の感覚を忘れないようにと自宅から近い施設を選び、自宅から通って訓練を受けたことも非常に良かったと思います。訓練期間に入る際に、セミナーの講師など関係の方々に「1年間リハビリ訓練を受けてきます。終了後はまた会社が戻してくれると言っていますので、またそのときにはよろしくお願いします。」という挨拶状を出しました。これも1年後の復職を確実にするのに役立ったと思っています。
失明者更生館では、その人個人のニーズに応じたプログラムで柔軟にやってもらったこともありがたかったです。先ずは、自宅から通えるよう歩行訓練を受けました。点字訓練などの基礎的なスキルに加え、私の場合はとくに情報収集とその加工がポイントでしたので、パソコンの操作と情報の集め方などを重点的に訓練してもらいました。例えば、情報を集めるための日経ニューステレコン(現在のテレコン21)や情報をデータベースに書き溜めるための「知子の情報・晶子の書斎」などのソフトの習得は大いに役立ちました。
訓練中は、施設の担当の方と一緒に2〜3ヶ月に一度は研修経過を会社に報告に行きました。「研修は非常に進んで、こんなことまでできるようになりました。」とPRしていただいて、社長にも面談して積極的に訓練成果をアピールしました。
訓練の終わり頃には、教わったデータベースソフトで書き溜めた情報をもとに、有望そうな新しいセミナーのリストを一覧表にして会社に提出しました。訓練終了時には、自分で出来ること、出来ないことを一覧表にして提出もしました。
元の仕事に復帰できたのは、やはり一つにはその仕事を長くやっていたということがあると思います。セミナー企画の仕事は、休職して戻っても同じように対応ができたというか、自分でできない部分もあるわけですが、そのコアの部分であるアイディアと経験がポイントで、それについては目が悪かろうがなかろうがあまり変わらないということで継続できたのだと思います。自分自身もこの仕事が自分に非常に向いていると思って、この仕事を続けたいという強い意志を持続出来たこと、それに応えてくれた訓練施設の方、会社の上司にも恵まれたことなどが最終的によかったのだと思っております。
最近の問題点としては、仕事の量に比べて勤務時間だけでは足りないので、どうしても持ち帰り労働をせざるをえません。読んでもらう作業も家でやることが多くなっています。これではきちんと自力で復職してやっていることにならないので、改善していかなくてはと思っています。最近、情報セキュリティ・マネージメントシステム(ISMS)が会社に導入されました。「添付ファイルにはパスワードを付けなさい。自宅へのメールは原則禁止」と謳われています。Winbiffというソフトはパスワードをつけても会社の監視システムに引っかかってしまうことがあるなど、セキュリティの問題は視覚障害者が仕事を続けていく上で難しい問題をはらんでいることを実感しています。
健康面ではパソコンなどで耳ばかり使っていますので、健康診断で「所見あり」と指摘されています。血圧も上がって来ました。ストレスを軽減し家族も含めて心身の健康を保持していくことが何より大切な課題だと思っています。
以上で終わらせていただきます。ありがとうございました。
(まとめ:幹事 杉田ひとみ)
私は、今話題の社会保険事務所で年金の仕事、特に障害年金の仕事をしています。障害年金の請求をされた方と知り合って、その方がタートルの会に参加していただいたというケースもあります。また、いろいろな方の障害年金の相談を受けたりして、悩みながらやっております。今日は20分ということですので、ポイントだけお話させていただきます。
障害年金の話に入る前に、公的年金制度の仕組みを簡単に触れないと話が進みませんので、制度の説明をいたします。基礎年金と2階建て年金の説明です。
昭和61年4月に大きな年金制度の改正があり、各制度の基礎的な部分が共通、一本化されました。この共通の部分、基礎年金イコール国民年金ですけども、その国民年金の上乗せ部分として厚生年金、共済年金という2階建て年金が出来ました。この2階建て年金は報酬比例の年金とも言われています。
国民年金、厚生年金、共済組合という現在3つの年金制度があります。国民年金だけの加入は自営業の方や20歳以降の学生で、20歳から60歳まで加入します。厚生年金、これは民間のサラリーマンです。共済組合は公務員や私立学校の先生です。民間のサラリーマンや公務員の方は、厚生年金、共済組合と同時に、基礎部分の国民年金にも加入していることになります。
サラリーマンや公務員の扶養配偶者は3号被保険者ということで、国民年金に加入しています。この場合は、保険料は制度の方から支払われますから、個人的に負担することはありません。扶養配偶者がいる方といない方で保険料に違いがあるということはありません。同じ保険料を払っています。
次に障害年金の話に移ります。障害年金の制度としては、拠出年金―保険料を払う年金と無拠出年金―保険料を払わない年金という2つの年金制度があります。基本的には、公的年金制度に加入している間に初診日があって、一定の保険料を納付している方が障害になった場合に支給される、これが拠出年金です。無拠出年金は、20歳未満の国民年金に加入する以前に初診日があるもので、当然保険料は払っていないわけです。以前は障害福祉年金という形の福祉的な無拠出の年金です。日本の年金制度は社会保険制度をベースにしていますので拠出年金が中心です。無拠出の年金というのは、所得の制限があったりして不利な年金ということがいえると思います。
公的年金制度以外に平成17年4月から特別障害給付金というものが出来ました。昭和61年3月までは年金制度に入っても入らなくてもいい方がおりました。サラリーマンの配偶者や学生(学生は平成3年3月まで)が入っていない期間中に初診日があれば今までは年金は受けられなかったわけです。それではあまりにもひどいということで、特別障害給付金という、年金制度ではないですが、特別な給付金制度があります。
障害年金も2階建てです。昭和61年4月から障害年金も1階建てが国民年金、基礎年金ですね。その上に報酬比例の年金として、障害厚生年金、障害共済年金という2階建ての年金が作られました。
障害年金で3つの大事なことがあります。まず初診日ということです。2つ目は保険料の納付要件、要するに保険料を払っている条件です。3つ目が障害の程度です。この3つがたいへん大切なものです。
まず初診日です。これは障害の原因となった病気を診てもらうために初めて医師にかかった日です。例えば検診に行って異常を指摘され、あなたはこれが異常だから病院に行って診てもらった方がいい、そういうふうに指示されたときも初診になります。この初診日がどこに入るかというのは、非常に大切なことになります。20歳前の初診であれば、これは先程言いました所得制限のある障害基礎年金になります。自営業や20歳以降の学生の期間は国民年金のみの期間です。そういう方については障害基礎年金です。厚生年金や共済組合の期間中に初診日がある方については、障害厚生年金、障害共済年金、1・2級に該当する人達は基礎年金が1階建て部分として出ます。つまり2階建ての年金を受けられるということになります。初診日がいつかということが一番大切です。同じ40歳のサラリーマンであって障害の程度も同じだとします。しかし、その方の初診日がいつかによって、受けられる年金が違うということになります。まずそこを頭に入れておいていただければと思います。初診日のとらえ方で大きく違います。
例えば網膜色素変性症の場合についてはたくさん事例が解説本に書いてあります。先天性心疾患、網膜色素変性症などについては、具体的な症状が出現した場合はその日が発病日となるというくだりがあります。つまり病気自体は小さい時にあり、よく診断書などに先天性、遺伝性と書く医者もいますが、そういう病名であっても具体的症状は中年になってから出るという方が多いですね。そういう場合は、病気自体は先天性あるいは小さい頃からかもしれないけれど症状はなく、40歳を過ぎてから症状が出てきたという時にはその時が初診日になるということです。
障害年金の場合は自分で申し立て書というのを書きますが、小さい頃からそんなに悪くないのに、悪かったように一生懸命書く人がいます。医師も先天性、遺伝性などと書いてあると、この人の症状が出てきたのは会社勤めをしている間だけれど、初診日が20歳前になってしまって、あなたは20歳前の所得制限のある障害基礎年金の該当だというケースがよくあります。初診日の意味をよく考える必要があると思います。
次に保険料の納付要件があります。障害年金は基本的には拠出年金ですから、大まかに言うと保険料を払っているから年金を出しますよということです。20歳から60歳まで何らかの年金制度に入ります。20歳から初診日まで、例えば初診日が50歳なら20歳から50歳まで30年間ありますね。そのうちの3分の2である20年以上保険料を払っていなければいけません。会社に勤めているとか国民年金で保険料を納めているとかです。きちんと保険料が払えないからということで免除の申請をしている期間でもいいです。逆に言えば、未納が3分の1以上はないということです。ただ、これも経過措置があって、直近の初診日の1年間に未納がなければいいというのがあります。50歳のとき初診日があって49歳まで未納でそこから1年間保険料を納めたとします。1年後に初診日があるというのは直近1年間に未納がないわけですからOKになります。ただこれは病気になった初診日だということでそこから納めてもだめです。初診日の前日においてという規定があります。
私がまず見るのは、障害の状態ではなくその人の加入記録です。どんなに障害が重くても、3分の2というのをクリアしないと年金は出ません。制度ですから仕方が無いことですが、どんなに障害が重くても納付要件というのをクリアしなければ年金は出ません。
タートルの会で相談を受ける方は、比較的サラリーマンが長くて、中途で眼が悪くなったという方が多いですから、そういう人達にはこういう問題は起こりません。年金に対する信頼が失われているという中で、国民年金の保険料なんて払わないという方がたくさんいます。どんなに障害が重くても年金が受けられないような問題があると、本当に心が痛みます。私はこの制度は変えなきゃいけないなと仕事をしながらつくづく思います。この納付要件は、非常に大切だということを知っていただきたいと思います。
次に障害の程度です。身体障害者手帳の等級とは違います。同じだと思っている人が結構います。国民年金あるいは厚生年金の法律の中で規定されているものです。障害の等級は1級、2級、3級があります。症状が固定して、要するにもう悪くはならないという方で、3級より軽いものに障害手当金があります。この3級と手当金は国民年金にはありません。厚生年金、共済組合の独自の制度です。
1級というのは、両眼の視力の和が0.04以下、2級は両眼の視力の和が0.05以上0.08以下、3級が両眼の視力の和が0.1以下のものということです。視野も数年前に対象となり、両眼の中心視野が5度以内、したがって視力がすごくよくても視野が5度以内であればそれだけで2級になります。また、視野が2級で視力も2級だと合わせて1級というケースもあります。まだ視力が3級にも該当しない軽い程度で、手当金に該当するのではないかということがありますが、これは間違いです。視力の場合は変化する可能性がありますから、軽いから手当金だというのは間違いです。
次に、障害の程度を認定する時期というのがあります。普通、障害年金は病気になった場合1年半待ちます。初診日から1年半、これが障害認定日です。最近眼が見づらくなったな、おかしいなということで病院に行き、それから1年半後障害の状態はどうかということで請求出来るわけです。
先天性や小さい頃から1級、2級に該当する障害があったという方については、20歳が障害認定日になります。そこから年金が支給されるわけです。ただ、固定している場合というのはありますから、例えば事故で切断したとか、ペースメーカーあるいは人工透析をしたという場合は、1年半経たなくても切断の日、ペースメーカーをつけた日、透析を始めた日が認定日になります。その翌月から年金が支給されるということになります。
事後重症というのがあります。初診から1年半は障害の程度には該当しないけれど、だんだん悪くなって、障害の1級、2級あるいは3級に該当するようになったという場合には、65歳までの間であれば請求出来ます。その請求した時点で障害の程度を認定します。1年半経って障害の程度が該当しているのに請求しなければ、どんどん損するみたいなことがあります。該当した時にはすぐに請求するのがよいと思います。特に65歳を過ぎてしまうと請求が出来ませんので、注意が必要だと思います。
次に請求の手続き等について述べます。障害年金で必要で一番大切なものは医師の診断書です。ほぼこれによって決まります。初診の病院と現在の病院が異なるケースがあります。この場合、初診日を証明するものが必要になります。古いとなかなか初診日が確定出来ないのです。初診日が確定出来ないとどの制度の年金を出していいのか分からないし、厚生年金や共済組合だと年金の額が違ってくるので、これは厳密に初診日はいつなのかと尋ねます。初診日の確認がきちっと出来ることが重要です。
ずっと継続してかかっていればいいのですが、そうでない病院だと5年でカルテの保存期限は切れます。病院も責任はないし、分からないということで大騒ぎします。診察券から当時の看護師さんの意見を聞いたりいろいろな努力をされます。まず初診日を確認してくださいということです。初診日が確認出来ないと納付要件も答えられません。初診日が25歳になるのか50歳になるのか、そして20歳から初診日までの3分の2の計算をすることなどが出来ないわけです。通常は医療機関での証明をもらってくることが必要になります。
それから診断書です。それと本人の申立書というのを書きます。これは本人の申立書ですから自由に書けばいいのですが、一番大切なことは診断書と初診日の証明が矛盾しないことです。つじつまが合うことがすごく重要です。是非それについては気をつけていただければと思います。
1回や2回の相談で諦めないで何度も相談してください。
今日はポイントだけをお話しました。これで終わりたいと思います。
私は小学5年のとき、網膜色素変性症ということがわかりました。現在は周辺にわずかな視野が残ることと左目の中心に針の穴を覗くよりも小さい視野があるのみとなりました。進行の度合いとしてはこの病気の中ではとっても遅いのではないかと思います。4年ほど前高熱を続けて出すことがあり、このことが原因なのかは分かりませんが、明らかにこれを境に視野が失われていきました。学生時代は音楽を専攻していましたが、楽譜がだんだん読みづらくなり、将来何をやっていけるだろうと不安が強まっていたことを思い出します。見えづらいことをなんとか隠しながらすごしていたところもあって、自分というものをなかなかさらけ出せなかった感じがしています。
目が悪くても仕事をしていけるような技術を身につけないといけないと思い、所沢の国立職業リハビリテーションセンター(職リハ)で訓練を受けることにしました。職リハで訓練を受けるにあたってはまず生活訓練を受け、日常生活も問題ない状態(?!)にするという条件がありました。問題がなくなったのか、はっきりとは申しあげられませんが・・・?初めて白杖を持ったのがこのときです。ある意味、この目とつき合う覚悟ができたときと言えるかもしれません。職リハではパソコンの操作などを教えていただき、無事就職しました。まだその頃は文字も目で確認できていてスクリーンリーダーは使用していませんでした。そのままその会社で勤めていたとしても目の状況が変わってどうなっていたかはわかりませんが、親が亡くなったのをきっかけにお年寄りの施設で働けないかと考え、転職しました。上司は私の目のことも考え、できるだけ長く勤めていけるようお互いに考えながらがんばっていきましょうととても心強い言葉をかけてくれました。それが4、5年前に文字を読むことが難しくなるとミスすることもあり、目の見えない人にしてもらう仕事がないと、今思えばパワーハラスメントだよなぁと思えることを何度となく言われるようになったのです。間違いをなくすためにも拡大読書器や職場介助者の導入を頼みましたが拒否され、あはき(あんま・鍼・灸)の勉強をしたらどうだと言ってきました。私としては目が悪くても事務職ができるよう、職域を広げていけるよう考えていきたいと思っていたので反発しました。もちろん、あはきという立派な資格を得ることも十分に考えてもいました。とにかく上司としては私を辞めさせたかったということです。実際にその言葉も1度聞くことがありました。
そこでタートルの会に相談し、いろいろアドバイスをいただいた上、良い状況で退職できることとなりました。退職後の方向として、再就職するにも目の状況がそれまでとすっかり変わってしまったことから、残り少ない視野の活用や雑になっていた白杖の使い方などを函館の視力障害センターで訓練していただきました。ここでは歩行訓練に一番重点をおき、他に点字、調理、ハンドライティング、感覚訓練などを受けました。10月から翌年2月まで、雨風の強い日、吹雪の日も歩行訓練は行われ大変でしたが、日常の生活でこういう日に歩くことがないとは言えないので必死でした。東京では函館のように雪が降ることはないとはいえ、そのときの訓練が音の感覚、杖の操作、杖からの感覚を与えてくれたと思います。パソコンの使い方も音声のみで全て処理することを含めてスキルアップを図らねばと思い、四谷の日本盲人職能開発センターで訓練を受けました。パソコンの訓練だけでなく、就職活動の準備など細かいところまでご指導をいただき、平成18年4月にANAビジネスクリエイトという会社に再就職することができました。1年間で50社ほどに履歴書を提出しましたが、面接に至ったのはここだけでした。現在は議事録作成を中心に、総務部でパソコンを使ってできる作業を少しずつ上司や同僚と話しながら積み上げていっている状況です。
平成18年2月にアビリンピック東京都大会の視覚障害者パソコン操作競技で金賞を取り、10月には全国大会に出場しました。その際、香川県高松市の会場まで社長と上司が応援にきてくれたのです。社長自ら「他の障害を持った人たちやグループの人たちにも勇気を与えることだから応援に行く。」と言われたということを上司から聞き、今まで勤めていたところでは考えられないことと感激しました。結果は努力賞でもう一歩3位に届きませんでしたが、大変貴重な体験をさせていただきました。
社員全員と言葉を交わせたわけではありませんが、みんな穏やかで温かい職場にこれからもがんばろう!と思わせてくれます。総務部ということで他部署の人と連絡を取る機会が多いということはある意味、廊下ですれちがっても誰かわからない私のようなほとんど見えていない者にとって大きな利点ではないかと感じています。
通勤時など、多くの方が私の歩行を見て手助けをしてくれます。点字ブロックのないところを歩くときは、縁石や建物の壁、ところどころに植わっている樹木もガイドになっています。それらを白杖に当てて確認しているのですが、多くの方は「危ない」と言って、杖が当たる前に腕を引っ張ったり背中を押したりする場合があります。こんなときとても腹立たしくなることもあります。しかし、ここで毎日同じようなことが繰り返されたとしても、白杖をどう使っているのかを伝えていかなければならないと思っています。仕事の面でも、まだまだ視覚障害者を受け入れる企業が少ない中、こうして就職できたからには、自分自身勉強もしなければなりませんが、いろいろな仕事に対していろいろ工夫をすることで私にもできる仕事が増えないか模索していきながら、健常者に理解を広めていければと考えています。
目が悪くなって不自由なことはたくさんあります。しかしたくさんの人に支援、指導していただき、またたくさんの方と出会えることや見えていたら気付かないようなことに気付いたり、家族や多くの人に感謝の気持ちを持てるのも悪くないかなと思えることが多くなりました。
タートルの会の皆さんにはまたこれからもいろいろと教えていただいたり、元気をいただければと思います。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
○ 退職時の私
私は本年63歳になります。昨年8月、現在勤務しております(株)デリシャスリンクに再雇用されました。同社は旧社名を東京アール・ビー商事(株)といいましたが、昨年4月、JR東日本の完全子会社となった際、社名変更をしました。私は同社に30余年勤務し、平成9年9月に退職しました。理由は50歳を過ぎてから急速に進行してきた「網膜色素変性症」によることがほとんどです。当時は人事の採用と教育を担当しており、仕事が「できない・やれない」という自分との戦いの結果がそうさせました。
悩みだした頃から退職までの2年弱の間、電車に乗ろうとしてホームと電車の間に落ちてしまったり、信号が変わりそうな横断歩道を走って渡り車止め用の縁石につまずいて転倒したり、階段があることを気づかないで落ちるなど様々なことが現実に起こってきました。
会社には「最近どうも近視が進んだようだ」、「パソコンの見すぎで目がボーっとしている」などと言ってごまかし、仕事をしている振りをしていました。障害者手帳を取得することは考えもしませんでした。というのは、駅構内や駅ビル内で外食店やスーパーを運営している会社の採用担当者として「当社では障害者の就労は困難」という偏見を持っていました。私には皮肉な現実となってきました。
在職も可能な状況ではありましたが、会社にいること自体がつらくなってきていました。友人や同僚そして公的機関の方に、今後について意見を求めました。四谷の日本盲人職能開発センターにも何度か訪ね、当時の光岡所長や篠島先生のアドバイスを受けたこともあります。そのとき、タートルの会も紹介して頂きました。それが縁となって今、この会に在籍しております。
平成9年の元旦、家族に私の現状と今後(退職)について考えていることを話しました。2人の子供(姉弟)は既に社会人でしたので、素直に理解してもらえましたし、「ここまで頑張ってきたんだから、少しノンビリしたら」という言葉も貰いました。退職後の収入が期待できない不安の中で、とっても嬉しい言葉でした。そこで三療の道に進むことを決意しました。しかし、まさか後年再雇用されるとは、考えるどころか予想さえもしませんでした。
余談ですが、組織上の都合もありその年の9月に退職したのですが、辞めると決めた後、妻から「今までは出勤の際、”行ってきます”と言う前に必ずと言ってよいほどしていた”溜息”をしなくなった」と聞かされ、ビックリしました。私自身、全く気がついていないことでした。
○ 国リハでの私
翌平成10年1月、所沢の国立身体障害者リハビリテーションセンターで入所前の短期(3ヶ月)生活訓練を受けました。この時から、私はれっきとした視覚障害者であることを自覚しました。そして同年4月、理療教育課程に入所しました。仕事とは関係のない勉強だけの毎日やクラブ活動など生活のメリハリが、忘れ去っていた学生気分を思い起こさせました。
また、当時学生が150余名おり、その代表となる学友会長に選任されました。国試合格率が年々低下している現状で、20年も前に作られた学友会会則の改訂や教官の旧態依然とした指導方法など改善すべきことはできる限り着手実行しましたし、厚労省との折衝にも積極的に参加しました。そんな中、当時の国リハ総長中村隆一氏のご提案もあって、2〜3ヶ月に一度位の割で、総長室で茶話会を設けておりました。話題は医学や医学界のこと、障害者を取り巻く環境の変化から始まり酒の話まで幅広いものでした。ただ、私からの「学生が修了するまでの費用はどのくらいかかるのですか」という質問に対し「1人1千万円は超える」との回答でした。言うまでもなくこの費用は税金によるものです。これは絶対に国試に合格し、自立(納税者)にならなければならない、もし就労が困難であったらボランティアでもいい、技術で社会に還元しなければいけないと強く思い、周囲の学生にも話しましたが、その通りだという人は2割もいませんでした。ほとんどの人が、自分には関係ないといった様子でした。しかし私は、この「自立(納税・社会貢献)による還元」の思いが、より強いものとなりました。
○ 三療師となった私*
平成13年3月、どうにか国試をクリアーし、国リハのあっ旋で接骨院に就職しました。来院者も多く、老若男女様々な疾患に触れることができ、最初の職場としては、組織上の問題は別として満足できました。
一方、足裏マッサージ、整体、オイルマッサージなどの無資格者によるマッサージが氾濫し、当時私が加入していた業団体でも、厚労省や警視庁に取締りの陳情に出向いていきました。しかし、無資格者マッサージは広告宣伝が法律で制限されていないこともあり、世情にあったテクニックを駆使して一般に受け入れられ、飛躍的に勢力を伸ばしていきました。
私は、加入していた業団体に「世の中にニーズがある技術は、われわれも修得すべきではないか」と申し出たのですが、「無資格者からなんで教わらなければならないのか」と反論され、この申し出は却下となりました。懐の狭さというか、視野をあえて広げない、新しいことを受け入れない業界の一面を感じました。10年以上もこの業界で生活をされている方は固定客を持ち安定しているのでしょうが、最近資格を取得した者にとっては自立の場が消滅していくようなものです。
そこで、私はあはき師(三療師)を中心とした「視覚障害者のためのスキルアップスクール CURE(キュア)」を友人の資金援助を受けて設立しました。常設の講座は「フットセラピー」、「アロマテラピー」そして「オイルマッサージ」の3講座です。先生のうち1名は有資格者でしたが、ほかの2名は優れた能力を持った無資格者です。短期講座としては、指圧やカイロプラクティック、ストレッチング講座などを開設しておりました。開設から2年目でようやく盲学校からの問い合わせや体験見学の来訪、また教師自身や治療院経営者の方たちの受講が増えてきた矢先、資金援助をして頂いていた友人の事業が不況のあおりを受け、当方まで手が回らない状態に陥りました。私の能力不足もあり、ヨチヨチ歩きのスクール経営も閉鎖せざるを得なくなりました。
しかし、スクール修了生の就労先の場を開拓するために数社と話をしていましたところ、現在私が就労している(株)デリシャスリンクより「障害者雇用の必要性とヘルスキーパーの雇用も理解できたが、障害者特に視覚障害者の雇用については不安がある」として、会社の状況を理解している私に「雇用したい」旨の話がありました。定年年齢を過ぎた私が社員採用となりました。このチャンスを活かし、同社の障害者雇用の充実を図れるという思いもありましたが、正直のところ、スクールの閉鎖を余儀なくされていた私には、このお話はまさに渡りに船の思いでした。
○ そして今の私
そこで私は、ヘルスキーパーの施術方法として、既に実施している他社のような本社や支社に在中しての施術ではなく、店舗もしくは事業所にこちらから出向いて、調理や接客で疲れている足、腰、肩などに、たとえ20分でも施術したい旨の提案をしました。同社は70店舗(社員数400名弱、アルバイト・パート約2000名)を有する企業です。しかし、週3日の勤務では、年1回店舗に出向くことが精一杯です。少なくとも月1回程度は施術したいと思いましたが、それにはヘルスキーパー要員を増やす必要があります。そのためには、私が実践していることを、一般職員から「好いことだ」と評価されることが肝心であり、その現場の声が経営者に届くことにより「マッサージは生産性向上に寄与する」と認識してもらえるようにすることが、私の責務と思っております。
移動に関しては、混雑する駅構内や駅ビル内の各店舗には本社職員の引率で出向いています。
私の希望は、今の時点で公言するのも時期尚早とは思いますが、近い将来(3年ないし5年)で、他の障害者を含めた特例子会社にまでもっていきたいと思っています。
今、現役で働けるのも視覚障害者だからこそと思います。障害の結果として三療師となったのですが、他の人々に喜ばれる嬉しさに、今は満足しています。会社を辞めることなく定年まで勤め地位や収入が確保されていたとしても、このような満足感は得られたかどうか疑問です。
先日、結婚した娘に「お父さん、やりたいことが見つかって良かったわね」と言われました。私は「生涯、現役で頑張るぞ」と心の中で叫びました。
会報第45号において、日本経団連などとの概要を報告しましたが、今号では、日本労働組合総連合会(連合)との懇談と2カ所で発表した概要について報告します。
◎日本労働組合総連合会(連合)との懇談
日時:平成18年11月17日(金) 16時30分〜17時35分
場所:連合本部会議室
応対者:総合労働局雇用法制対策局 長谷川裕子局長
末永 太氏
タートルの会:下堂薗 保会長、工藤正一副会長、篠島永一事務局長
タートルの会側から、視覚障害者、とりわけ中途視覚障害者を取りまく諸問題について説明し、問題点や課題を明らかにし、理解と協力をお願いしました。意見交換をする中で、連合の政策研究会の場で問題提起する場を持っていただくことが提案され、理解を深め合う、大変有意義な懇談会でした。
以下は、タートルの会側からの説明、意見・要望と、それに対する連合側からの意見表明、回答要旨です。
(タートルの会からの説明、意見、要望)
1.中途視覚障害者に対する歩行訓練やロービジョンケアとともに、一定の職業訓練が必須不可欠であるにもかかわらず、事業主側と障害当事者の両者がロービジョンケアについての情報の持ち合わせがないことが、継続就労に結びつかない最大の原因であること。
2.事業主としての責務(障害者雇用促進法第5条)として定められた規定の「協力することなど」が、全く考慮されていないこと。
3.このようなケースの場合、ハローワークに相談すれば即解決に結びつくかというと、実は、ハローワークそのものが視覚障害者の就労について的確な情報や知識あるいは対応策を有していないため、相談しても空振りになることが多いのが、残念ながら現実の姿であること。
4.これらを改善するため、ハローワークの職員が「視覚障害者が現に働いている実態」、「視覚障害者が見えない者にパソコン操作を教えている実態」、「視覚障害者が音声で操るパソコン操作の実態」などを直に体験するなどの研修の確立が望まれること。
5.三療(あんまマッサージ指圧・鍼・灸)の世界は視覚障害者の天職とまで言われたりして有力な職種でありますが、しかし今や、晴眼者の猛烈な進出により、免許を取得しても商売にならないぐらい追い込まれているという実態があるにもかかわらず、ハローワークや福祉事務所などは旧態依然として、「見えないイコール三療」という認識で三療への道を勧めている実態があります。
6.IT機器を活用した事務系職種での就業などについては、ほとんど承知していないというのが現状です。
7.中途視覚障害者が継続就労するためには、初期段階におけるロービジョンケアの支援による一定の訓練を受けることが必要ですが、このロービジョンケアが「診療報酬」の対象になっていないため、ロービジョンケアに対する社会的ニーズがありながら、これが普及しないという実態があります。
8.視覚障害者が職場復帰できる要件の1つは、主治医による診断書の「就労可能」などという所見にかかっていますが、眼科医の中にも視覚障害者がロービジョンケアを受けることにより、IT機器などを活用して働ける時代になっているという現状を把握していない現実もあります。
9.会社の就業規則により、障害があるため、業務に耐えられないとして、休職期間満了とともに解雇となる多くの事例があります。
このことに関しては、平成15年11月に、「モデル就業規則」が、従業員を解雇することができる場合の1つに、「精神又は身体の障害については、適正な雇用管理を行い、雇用の継続に配慮してもなお、その障害により業務に耐えられないと認められたとき」との項目が書き加えられ改正されました。つまり、身体または精神に障害があっても直ちに解雇へと結びつけるのではなく、障害があっても働けるように、適正な雇用管理を行ったのか、そして、雇用の継続にどのような配慮をしたのかが問われることになりますが、現実の多くの就業規則は、このモデル就業規則のような内容にまだなっていません。
そこで、リハビリテーションの保障や、職場環境の改善、障害者雇用促進法第5条の理念の実現のため、労働組合として、それぞれの職場における就業規則を点検して、改正後のモデル就業規則のように改める運動を展開することを希望し、提案します。
10.公務員の場合、「治る見込みのない疾病を有する障害者」が、病気休暇の承認を受けようとするとき、「療養」とは治る見込みのある疾病を対象にしているので、治る見込みのない疾病は療養の範囲に含まれないから承認できないと、承認が拒否されている事例もあります。
(連合・長谷川局長からの意見表明、回答)
障害者雇用分科会等の委員を引き受けている関係で、日程変更をしたことについてのお詫びのあと、障害者雇用分科会の委員として、障害者をもっと雇用しなければならないということと、組合が努力しなければならないというのが私の認識ですと、思いを表明。
1.労働組合のナショナルセンターの連合として、どのように進めようかと考えたとき、連合の組織の外に派遣会社をもっているので、この民間会社を使い、労働組合の事務所に障害者の雇用を提起しなければならないと思っていましたが、労働時間法制のほうが忙しくなり、その提起が止まっている。しかし、本日みなさんがおいでになるということで改めてやらなければならないと思っているところです。
2.来年の通常国会までは「労働時間法制」や、「雇用保険の国庫負担」などのことで手が回らないかも知れないが、そのことが終わった段階で、障害者雇用のことを労働組合としてやらなければならないと思っていました。年明けの1月ごろ、連合の障害者政策づくりに反映するために、みなさんの話を聞く勉強会の機会をつくりたいと思いました。是非、協力していただきたい。
3.今日、びっくりしたのは、「障害者になったとき、分限規定により解雇」される事例があるということです。これは問題だと思います。私たちもどういうふうにするか研究したいと思います。
4.厚生労働省は、誰かがあるいはどこからかの大きな声が出なければ動かない役所だと認識しています。また、ハローワークはまったく勉強していないと言っても過言でないが、ニーズに応えられるきちんとした専門家を配置しなければなりません。
一方、視覚障害者も他の障害者団体のように圧力団体となり、どんどん物を申さなければ視覚障害者の就労環境の改善は進展しないと思います。
5.企業は、CSRの理念を忠実に守り、障害者の雇用促進に努めなければなりませんが、ハローワークや独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構も企業同様、視覚障害者の雇用促進に努力するのは当然です。
6.今の内閣は「再チャレンジ。福祉から就労へ」であるので、今がチャンスと言えます。また、ポストについている人たちも高齢・障害者雇用支援機構の理事長代理が戸刈氏、厚労省障害者雇用対策部長が岡崎氏、障害者雇用対策課長が土屋氏、ということで、陣容としては申し分ないです。
7.連合は、2年にいっぺんの政策づくりに当たっており、後日勉強会を行うので、みなさんにもぜひ勉強会に参加してもらいたいと思っています。
◎第7回日本ロービジョン学会学術総会・第15回視覚障害リハビリテーション研究発表大会合同会議
日時: 9月17日(日) 11時
会場:東京女子大学 新体育館
テーマ:視覚障害者の就労の事例調査(その1)&(その2)
〜10周年記念誌・100人アンケート〜「視覚障害者の就労の手引書=レインボー=」に基づき、その1(総論)下堂薗とその2(個別事項)吉泉幹事に分けて発表しました。
その1の概要は下記のとおりです。
タートルの会は、発足以来一貫して視覚障害者の就労に特化して活動してきていますが、周りからは「見えない者がどうして働けるの?」とか「目の見えない者に対する対処法が分らないため、雇用を躊躇している」などの声が聞こえます。
このように視覚障害者の就労についてはなかなか理解されない現実がありますが、このような現状を改善し、視覚障害者の雇用の促進と安定を図るために、全国のタートルの会の会員を中心に現役の就業者144人に対し、自由記述を含む16項目について、電子メールを媒体として調査を行いました。
結果は、22都道府県104人から回答があり、中でも自由記述の、(1)個人的努力、(2)職場との関係、(3)行政への要望、(4)医療関係、(5)訓練関係、(6)その他--のそれぞれについて、当事者の体験に基づく具体的な助言、要望など、熱い思いのメッセージが寄せられました。
それらを提言として取りまとめて発刊したのが『〜設立10周年記念誌・100人アンケート〜視覚障害者の就労の手引書=レインボー=』です。
レインボーの詳細については、目下、インターネットから検索できるように構築に取りくんでいる吉泉豊晴幹事に委ねることとして、私からは、レインボーの特色と、啓発のため関係団体等と行った懇談会の要旨について報告します。
まず、特色についてですが、「職探しに際し、ハローワークからは適切な情報を得られないのに反し、障害者団体とか訓練施設などから入手していること、職場においては人間関係に大変な神経を費やしていること、医療機関に対してはキュアからケアに強い要望があること」などが、65%以上の高い比率で指摘されておりました。
次いで、この生の就労事例を会員だけの財産とするだけではなく、広く社会的財産として活用し、連携を図ってゆく観点から、厚生労働省への陳情にあわせ、大きな役割の一端を担うことが予測される各界のトップ団体等と懇談し、意見交換を行ったので、それらの結果の要旨について、報告します。
厚生労働省は、(1)ロービジョンケアについての要望は、眼科の専門家団体を通じて要望するようにとの助言があったこと。(2)視覚障害者の雇用については、ハローワーク職員の質の向上や組織の機能強化に努めたいこと。
日本盲人会連合は、盲界のトップリーダーとして、厚生労働省に対し視覚障害者の雇用拡大について、タートルの会などとも力を合わせて機会あるごとに主張してゆくようにすること。
日本経団連は、(1)経営者から視覚障害者の雇用について、ハローワークからは適切な助言をもらえず、戸惑っているとの申し出に基づき、日本経団連内に独自の組織を設置し、3人の雇用アドバイザーを常駐させていること。(2)拠点ハローワークに視覚障害者をよく分かっている専門家を常駐させるようにすべきであること。(3)経営者は、視覚障害者が働く生の姿を間近に見ていないので、実際のことが分かっていないから広くPRすべきであること。
眼科医会は、(1)就労に特化したタートルの会の存在を知らなかったが、今後は、連携できたらいいと思うので、会員への周知方法を検討してみたいこと。(2)ロービジョンケアについては、他にも多くの問題点があるが厚生労働省に対して、要望する必要があると思っていること。
などの助言・意見を頂戴しました。
<中略>
行政、各団体とは、今後とも機会あるごとに懇談の場をもつとのご了解をいただいているので、タートルの会としては皆様方のご支援ご協力を賜りながら視覚障害者の雇用継続、拡大のため今後とも、微力ながら努力し続けるつもりであることを申し添え、報告を終わります。
◎第14回職業リハビリテーション研究発表会
日時:平成18年12月6日(水)
場所:障害者職業総合センター(千葉市幕張)
発表:下堂薗保
テーマ:中途視覚障害者の雇用継続支援のポイント
基本的には、前述のレインボーをもとに報告の内容を構築したので、ここでは大幅に省略し、ポイントの要約のみ記述させてもらいます。
1.相談機関とハローワークの役割
視覚障害者は、アンケートの結果によれば職業紹介が本務であるハローワークより、障害当事者団体に圧倒的多数の者が相談を行っていること。
一般的にハローワークに対する期待感は誰もが抱いているわけなので、視覚障害者に対しても本来課せられた役割を十二分に発揮し、期待に応えるようにしてほしいこと。
2.キュアからケアへ。ロービジョンケアへの強い要望
自由記述によれば、治療よりもロービジョンケアへの期待感が多く寄せられていることは注目に値すること。
3.連携
視覚障害者の就労問題は、障害当事者を含む事業主、医療機関、訓練施設、当事者団体等々が情報を共有しながら連携することが不可欠であり、かつ、肝要であること。
4.コンプライアンス、CSR
視覚障害者の雇用に関する法令の規定は、文字通り実行されれば何らの問題は生じないような美辞麗句が並べられているがこれらの遵守がなされていないのは問題であること。さらに企業の社会的責任の範疇とされる雇用について、全面的、積極的な協力を願いたいこと。
等々について、アンケートの結果をまじえながら、報告しました。
(参考)事業主の責務(障害者雇用促進法から抜粋)
第5条 すべて事業主は、障害者の雇用に関し、社会連帯の理念に基づき、障害者である労働者が有為な職業人として自立しようとする努力に対して協力する責務を有するものであつて、その有する能力を正当に評価し、適当な雇用の場を与えるとともに適正な雇用管理を行うことによりその雇用の安定を図るように努めなければならない。
(会長 下堂薗 保)
昨年6月、第11回定期総会において、活動方針の一つとしてNPO法人化を目指すことが賛成多数で可決されました。6月30日に開催した幹事会で、NPO法人化検討委員会の設置が承認されました。役員9名が同検討委員会を立ち上げ、8月24日に初めての会合を持ちました。NPO法人に詳しい方にもアドバイザーとして加わっていただき、NPO法人化の是非について検討しました。その結果、NPO法人として公的に認知されることにより社会的に責任と義務を負うことで信用度を増すことにつながるなどメリットが多く、デメリットは何も考えられないという結論を得ました。
この結論に基づき、同検討委員会をNPO法人化準備委員会に格上げして,NPO法人の申請に必要な名称、設立趣旨書、定款、事業活動などを検討するため、昨年10月から今年1月まで4回の会合を持ちました。名称については、既にある程度知られるようになっており、また短い方がいろいろ都合がよいという観点から「NPO法人タートル」に決め、幹事会で承認されました。
今後、NPO法人設立の要件となっている設立委員会を発足させなければなりません。委員会では、NPO法人認証申請書の提出に向けての理事・監事など人事関係、定款、事業計画書、予算案など具体的な事項について、定められた書式に従い書類を整える準備作業、次いで6月16日に開催が予定されているタートルの会第12回定期総会に提案する準備作業、そして同総会においてNPO法人認証申請の承認を得た上で所轄庁の東京都へ申請書を提出する作業などを行うことになります。併せて、今後のタートルの会の扱いについて、会の発展的解消、タートルの会の資産のNPO法人への継承、NPO法人が認証された時点でのタートルの会の会員資格の滅失などの承認を受けなければならない大事な課題が山積しております。
今後のスケジュールを時系列的に列挙すると次のようになります。
障害を有する職員が受けるリハビリテーションについて(人事院通知)
全国視覚障害者雇用促進連絡会(雇用連)は、平成17年12月から、在職中に障害者となった国家公務員が病気休暇や復職に必要な研修を認められず退職を迫られている例があること、一定の訓練を受ければ職場復帰ができるにもかかわらず退職せざるを得ない状況にあることに対し、中途視覚障害者に対する病気休暇の取得を求め、一年余にわたり人事院と交渉を重ねてきました。
人事院はこれを受け、平成19年1月29日付けで、(1)けがや病気が治る見込みがなくても医療行為として行われるリハビリテーションは病気休暇の対象となり得ること、(2)点字訓練や音声ソフトを用いたパソコン操作など復職に必要な技術を修得する訓練は人事院規則に基づく研修に含まれること、を各府省庁人事担当課長あて通知しました。
総務省公務員課は、この人事院の通知を受け、2月2日付けで、各都道府県や政令指定都市あて文書を発送し、「各自治体の判断によるが、国家公務員と同様の措置を採ってもらえることが望ましい」としています。
通知文書はこれまでの制度の運用を見直したものなので、平成19年1月29日から適用するものであること、研修等の実施主体は各府省庁、自治体等になるので、各主体者等における予算措置など所要の準備期間が必要になることなどの補足説明がされています。
人事院からこの通知が出されたことは、中途視覚障害者の継続就労に道を開く大きな朗報だといえます。
(人事院通知文の内容)
平成19年1月29日付け職職―35・人研調―115
各府省等人事担当課長あて、人事院職員福祉局職員福祉課長・人材局研修調整課長発
件名 障害を有する職員が受けるリハビリテーションについて(通知)
標記について、病気休暇(一般職の職員の勤務時間、休暇等に関する法律(以下「勤務時間法」という。)第18条)の運用及び研修(人事院規則10−3(職員の研修))の運用に当たっては、下記の事項に留意して取り扱ってください。
記
1 病気休暇の運用について
職員の勤務時間、休日及び休暇の運用について(平成6年7月27日職職―328)では、勤務時間法第18条(病気休暇)の「療養する」場合には、「負傷又は疾病が治った後に社会復帰のためリハビリテーションを受ける場合等が含まれるものとする」と定めている。すなわち、社会復帰のためのリハビリテーションであってもそれが医療行為として行なわれるものであれば、病気休暇の対象となり得るものであること。なお、負傷又は疾病が治る見込みがない場合であっても、医療行為として行なわれる限り同様であること。
2 研修の運用について
負傷又は疾病のため障害を有することとなった職員が病気休暇の期間の満了により再び勤務することとなった場合又は病気休暇から復職した場合において、当該職員に現在就いている官職又は将来就くことが予想される官職の職務と責任の遂行に必要な知識、技能等を修得させ、その他その遂行に必要な当該職員の能力、資質等を向上させることを目的として実施される、点字訓練、音声ソフトを用いたパソコン操作の訓練その他これに準ずるものは、人事院規則10−3(職員の研修)の研修に含まれることであること。
(2006年6月から2007年1月まで。場所は、特記していない限り、日本盲人職能開発センター)
◇幹事会
○ 3月交流会
日時:3月17日(土)14:00〜
会場:日本盲人職能開発センター
テーマ:「就労継続:様々な仕事から視覚障害者の就労を考える」
○ 第12回定期総会
日時:6月16日(土)10:00〜
会場:東京都障害者福祉会館(東京都港区)
新聞やテレビで企業関係者や教員の不祥事が報道されるとき、頭をよぎるのは「矜持」という言葉だ。辞書を引くと「自分の能力を信じて抱く誇り。プライド」とある。わたくしには、それとともに背筋を伸ばした明治時代の気骨のある産業人や教育者の姿を思い浮かべる。10年前に亡くなった司馬遼太郎は、侍のこころは、明治、大正、昭和と時代が移るにしたがってなくなってしまったといっているが、日本人の誇りはなぜ、消えていってしまったのだろうか。「矜持」はまた、自分に打ち勝つということだとも思う。いろいろな思い、誘惑がある中で、やせ我慢をしながら、自分に損なことでも引き受ける気概を持つこと、少なくとも親や子供に誇れる姿勢を貫くことではないだろうか。そんな日本人に回帰することは夢なのだろうか。もちろん自分自身を省みても遠い夢なのだが・・・。
(会計担当 森崎正毅)
中途視覚障害者の復職を考える会【タートルの会】会報
『タートル46号』
2007年2月19日発行 SSKU 通巻2373号
■編集 中途視覚障害者の復職を考える会 会長・下堂薗 保
■事務局 〒160-0003 東京都新宿区本塩町10-3
社会福祉法人 日本盲人職能開発センター 東京ワークショップ内
電話 03-3351-3208 ファックス 03-3351-3189
郵便振替口座:00130−7−671967
■タートルの会連絡用メール m#ail@turtle.gr.jp (SPAM対策のためアドレス中に # を入れて記載しています。お手数ですが、 @ の前の文字を mail に置き換えてご送信ください。)
■URL=http://www.turtle.gr.jp/