会報「タートル」44号(2006.8.15)

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2006年8月15日発行 SSKU 通巻2194号

中途視覚障害者の復職を考える会【タートルの会】 会報
タートル44号


目次
【巻頭言】
「新米役員“思いつくがままに”」 長岡 保
【総会講演記録】
「私達のパソコン教室・10年のあゆみ」 山田幸男
【職場で頑張っています】
【厚生労働省との意見交換と今後の取り組み】
【連続交流会年間スケジュール】
【視覚障害者の就労支援セミナー】
【会費の納入について(お願い)】
【賛助会員の募集のお知らせとご協力のお願い】
【お知らせ】
【編集後記】


【巻頭言】
「新米役員“思いつくがままに”」

会計監査 長岡 保
 私は、約10年前まで、陸上自衛官として、仕事や射撃は人並みに、健康・体力については人並み以上に自信をもって勤務をしておりました。そんな自分が40代半ばに、まさか視覚障害者(網膜色素変性症)の告知を受けるとは夢にも思っていませんでした。
 途方に暮れ、健康食品、薬、東洋医学などいろいろ試してみました。藁をも掴む気持ちでJRPSに入会し、暫くしてからタートルの会を知り、交流会に参加させて頂きました。そこには、全盲でありながら職場復帰を果たし、タートルの会を立ち上げ、我々のような就労半ばに中途視覚障害になった仲間に対する相談活動や、交流会を企画し、活動している人達がいたのには本当に驚きました。
 その頃の自分は、視野は狭くなっていましたが、視力は何とか免許が更新できる程度でした。そんな私が、精神的に落ち込み挫けそうになっていたのです。交流会に参加して、役員の方々や同じような状況の方達と交流しながら、元気と勇気を戴き、何とか定年まで勤務することができました。定年の時は、障害者手帳(1種2級)の交付も受けていましたが、防衛庁の援護協力もあって民間企業へ再就職することができました。
 私がここまで来られたのは、身体的に視野・視力の低下が比較的遅かったこと、環境面で職場の上司や仲間、家族など色々な方々の配慮や理解があったこと、そして何よりも大きかったのが精神面でタートルの会を通じて、皆様方から勇気と元気を戴いたからです。今、こうして生活しているのはタートルの会のお陰と言っても決して過言ではありません。
 昨年、再就職を機に、タートルの会で何かお手伝いできることはありませんかと申し出たところ、「あなたはまだ見えているので会計監査をやってもらいたい。」と言われ、引き受けることとしました(この時点では既に免許は失効していました)。ところが、昨年暮頃から急激な視力低下が続いており、このままでは会計監査を継続するのは無理と考え、今年度は会計監査を辞退したのですが、他に見える人がいないので何とか続けて欲しいと言われ、昔妻が簿記の資格を持っていると聞いたのを思い出し、妻に協力を頼んだところ了承してくれましたので、何とか継続させて頂くことになりました。
 役員を1年経験して、その活動状況や会の問題点など感じたことを述べてみたいと思います。役員の一員が、身内のことを書くのは如何なものかと思うところもあるのですがご了承いただきたいと思います。
 毎月の定例幹事会、緊急の相談会、総会・交流会の準備や連絡、機関紙の原稿集め、編集、宛名書き、封筒詰めから投函までの一連の発刊作業、名簿管理、ホームページやメーリングリストの運営、会計、そして何よりも事務局への色々な方からの問い合わせや相談など、会の業務は思った以上に大変なのだということを知りました。先輩役員の皆さんは、緊急相談会の都度、連絡を受け、仕事が終わってから四ツ谷のセンターに集まり、相談を受けていたのです。機関紙の発刊や会員への案内も、その都度集合して発送作業をして下さっていたのです。
 昨年まで、私は、会費を払う他は交流会に参加して、その恩恵を受けていただけです。会を発足させ、10年以上も役員を続けられている大先輩の方々には、本当に頭が下がります。
新米役員として、会の活動について、感じていることを述べてみたいと思います。
 中途視覚障害者が、心の動揺、仕事の継続や再就職等、心のケアを含む就業などについて的確に情報の提供やアドバイスをしてくれるところは、タートルの会以外にあったでしょうか? 少なくとも私は知りません。医師や職場に相談してもこのようなことはなかなかしてくれません。
 これからのタートルの会の役割は、駆け込み寺的な相談活動と悩んでいる方達への情報提供などは勿論のこと、中途視覚障害者の就業中における継続のためのスキル、新たな就業へ繋げるためのスキルの習得についての情報の提供、そして医療関係者やロービジョン訓練はじめ職能訓練関係者等との連携、雇用者側へのアプローチなどの地道な啓発活動とその取り組みではないかと感じています。
ひとりでも多くの中途視覚障害者が仕事に就き継続できるよう取り組んでいかなければならないと思います。


【総会講演記録】
「私達のパソコン教室・10年のあゆみ」〜教えて自立した人、教わって元気になった人〜

山田幸男(新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会代表)
 私は内科の医者なので、内科の医者が何でこんなことをしているかということも含めてお話したいと思います。3月には糖尿病眼科学会がありまして、その中のシンポジウムで話をいたしました。その中で、「目の不自由な人を診るのは、当然のことながら眼科の先生だろうと思うのですが、内科の先生も眼科の先生と一緒にやることは非常にいいことだろうと思いますので、内科の先生にも声をかけてチームを作ってやられた方がいい。」という話もいたしました。特に心のケアを含めて考えますと、内科系の先生方も一緒にされたほうがいいのです。中途視覚障害者にはリハビリテーションが必要ですが、糖尿病の場合は失明と同時に眼科から、内科の診療になります。
 信楽園病院で、目が不自由になられた方が、同時に腎臓が悪くなり透析に入ってまもなく、4階の窓から飛び降りて亡くなられたんです。これは非常にショックでした。合併症の糖尿病の患者さん達が、私達の病院に紹介されてくるだろうとは考えていましたが、そうやって自殺をされて亡くなってしまい、その人から何を学ばなければならないかということで、自分なりに考えて行き着いたところが視覚障害者のリハビリテーションです。
 当時私の知識はあまりなかったのですが、目の不自由な人の失明原因として糖尿病が断然多いことは分かっておりましたし、目が不自由になられますと眼科の方の治療が必要なくなることが多いわけですね。そうしますと、糖尿病の場合は最後まで内科の医者が治療に当たらなければならないわけです。これからも私の外来では、目の不自由な人は増える一方だろうと考えました。眼科の先生に「目の不自由な人のリハビリテーションってないだろうか?」と聞いたとき「俺はそんなことを聞いたことがない。」と言うんですね。当時は、眼科の先生といえども、そんなことを聞いた人はあまりいなかっただろうと思います。その同級生に「そんなことをするんじゃなくて、目が悪くならないようにするのが内科の医者だろう?」と言われて、全くその通りだなと思ったんですが、現実はやはり目の悪くなる人がどんどん増えていまして、リハビリテーションは必要だなと思いました。そこで目の不自由な人達に何をすればいいのか聞きましたら、圧倒的に答えとして返ってきたのが、自分の通っている病院でリハビリテーションをやって欲しいというんですね。
 糖尿病の患者さんで目が不自由になられますと、同時に腎臓が悪い場合が多いのですが、なかなか東京のようなところに出てくるのは難しいのですね。それと障害を持ったときこそ家を離れたくないというのがありまして、それで新潟でリハビリテーションをやろうと考えました。
 目の不自由な人のためのリハビリテーションというのはよく分かりませんでしたが、信楽園病院では脳卒中の患者さんのリハビリテーションはやっていましたので、目の不自由な人に必要なのは「ああ、これだな。」とパッと浮かびました。さっき話しましたように眼科の先生も分からないような状態だったのです。
 病院の中でリハビリテーションの外来を開こうとするとなかなか大変です。一番の大変さはお金が入らないことだと思うのです。今多くの病院は赤字の状態です。その中でお金の入らないことをやるだけの余裕はないのです。それで一般の病院では、リハビリテーションはこれからもやられていかないだろうと思います。信楽園病院の中でも、これを維持していくのは至難の業です。お金はそんなにかからないのですが大変です。先生方や事務の人達を説得するのは、なかなか難しいことです。
 でも多くの方々の協力が得られまして、1994年の5月にリハビリテーション外来を開くことができました。ラッキーだったのは、東京の方から石川先生、埼玉からは清水先生がわざわざ新潟までおいでくださいました。それから眼科の先生が「僕がやってあげるよ」とおっしゃいましてチームが一つ出来上がりました。その時の平沢由平院長先生が非常に進んだ考えを持っておられまして、「リハビリテーションはやるべきだ。僕は賛成だよ。」とおっしゃいました。これはありがたかったですね。
 平沢先生は非常に温かい気持ちを持っておられまして、目の不自由な人のリハビリテーションに対しても関心を持っておられました。その先生のおかげで、リハビリテーション外来を今日まで続けることができました。ふたりの県外の先生方がおられることは非常に大きかったと思うんですが、そのほかにもいろんな眼科の先生方が「ボランティア活動でやってあげるよ。」とおっしゃるんです。もし新潟の人達だけでやっていたらこんなことはできなかっただろうと思います。就労、仕事に就くということを考えたとき新潟県内だけでやっていてはだめですね。全国にある大切な資源を有効に使うこと、そのためにはいろいろなことに精通しておられる人達がおられないとだめだろうと思います。そういう点でも私達は恵まれていました。
 外来を始めまして半年くらい経ったころ「中途失明〜それでも朝はくる〜」に書いておられる大橋靭彦さんが月に1回通っておられたんですが、そのうちにパソコンをやりたいと言い出しました。パソコンってなんだ?と思いました。私は前に清水美知子先生のところでパソコンは見させていただいたのですが、実際に稼動しているところを見ていなかったものですからよく分からなかったのです。大橋さんがパソコンをやりたいと言ったので面くらいました。でもパソコンを始めると大橋さんは元気になると思いまして、私は即座に「やろう、パソコンも揃えましょう。」という話をしました。
 ところが私自身は音声パソコンのことは知りませんでした。私の知っている県外の皆さんにお話したんですが、「そんなことは出来るはずがない。」というようなことを言われました。これは仕方のない壁だと思います。
 皆さんにも考えていただきたいのですが、施設の人達が味わっている苦しみもあると思うんですね。これをどのようにして一緒に生きていくのかは考えてあげないとだめな問題です。そのことを何も考えないで、新潟で施設とは無関係に何かをやろうとしていることに問題があると思いました。しかし何とかやらないことにはどうしようもないことですから、篠島先生に何が何でもと思って教えていただくことにしました。新潟日報さんにお願いして、記事を書いていただきました。篠島先生がおいでになったとき、新潟県内は広いのですが、いろいろなところから70人くらいの方が集まってくれたのです。これはうれしかったです。篠島先生に2回新潟にお越しいただきました。そしてワープロだけはやれそうになりましたのでパソコンを1台買っていただきました。篠島先生がおられなかったら、今のパソコン教室はありません。毎週2回やっているんですが、ボランティアさんを含めて40人前後は毎回来ておられてにぎやかな教室になっています。このパソコン教室はちょっと変わっておりまして、パソコンを教える学校だけじゃなく友達作りや情報の交換、そしてある意味では心のケアを一生懸命やっている場所だろうと思います。また、ボランティアさん達も自分達の力を発揮出来る場所となっています。県内10ヶ所でパソコン教室をやっております。さらに長野県松本の近くに一つ出来ましてこれを基にして段々広げていきたいと思っています。
 パソコン教室は若い人達にうんと夢を与えているように思います。これは大きかったです。皆さんの目の色が変わってきたように思います。教室の中の雰囲気がまず変わりました。そしてひとり一人が可能性を見つけたんだろうと思います。今まで自殺をした人は実は一人だけじゃなくて、その後も何人かの方が自殺をしています。入院中に自殺をしておられるんです。その後はおられなくなり自殺をしようと考えている人達の数が少なくなりました。非常に大きな影響があったと思いますね。
 パソコン教室の果たす機能はいろいろあると思います。パソコンの技術を覚えるのが一番ですが、その他に心のケアになっているというのがあると思うんですね。パソコンをやっている最中に死にたいとか、どうやって死のうとおっしゃる方が時々います。そういう人達が実際は死なない、自殺もしないで段々と元気になってきておられますので、そういう点ではこの教室の意味はすごくあると思っております。
 パソコン教室はどんな点で心のケアにおいてよいのかと聞きますと、一番は心がなごむということです。そして二番目は、元気が出るとお答えになる人が多いのです。それだけでもパソコン教室は私達に大切なものだと思います。
 2本の柱があると思っています。一つはリハビリテーション外来、これはどちらかというと医療という点に重点を置きます。それに対してパソコン教室は、医療の面もありますが、それよりも精神面での元気になるという面を強く出していると思います。この二つの輪がうまく回っていると思っております。
 それと同時に、ボランティアさん達もボランティア活動をやることで自分達もいいとおっしゃっています。ボランティアさんを育てていく、また活動していただく場として、パソコン教室はいいと思っています。パソコン教室の雰囲気をどのように皆さんが考えているかと思って二つの面でお聞きしたんですね。気持ちを癒すという面と社交的な集会場という二つのなかでどっちがいいですかと聞きましたら、やはり気持ちをやわらげてくれる、癒してくれるということを答える人が65%くらいおられました。それでいいと思っています。パソコンの技術は大切ですが、最初はそうやって気持ちが朗らかになったり、元気になっていくことの方が大事だろうと思いますので、オアシス的な意味があっていいと思います。
 目の不自由な人が、現在目の見える脳卒中の患者さんとかお年寄りにパソコンを教えています。そのきっかけは、目の不自由な人が若い目の不自由な人にパソコンを教えておりましたが、教え方が上手いなと思って、「悪いけど目の見える脳卒中の方に、パソコンを教えてあげてくれないか。」とお願いしたのです。目の不自由な方は、ワードがやりにくいから、特別なソフトを買って音声パソコンをやっているわけです。彼は、そのソフトを習っています。せっかくその勉強をしたのに、もう一度目の見える方の使うパソコンを学んでくれと言っているわけですから、非常に冷たいお願いをしています。彼は、それにちゃんと応えてくれました。彼は、まだ文字が見えましたので、パソコンの画面を大きくしてやれば目が不自由でも教える事ができるのではないかと思いまして、パソコンの前にスクリーンを用意して画面を大きくしたのです。でもやっぱり見えにくいのです。そんなことを考えていると、彼が「そんな物いらないよ、僕は教えられるよ。」といい、他の目が不自由な人も一般の人達が使っているようなワードを教えました。これはすごかったです。
 そのパソコン教室に最初に習いにきたのは脳卒中の30代の男性です。脳卒中の患者さんはパソコンが必要です。利き手が麻痺すると文字が書けなくなるからです。そこで反対の手で、キーボードで文字を打つ必要があります。パソコンは、目の不自由な人と脳卒中の人が一対一でやります。脳卒中の方々に教えてあげていますと、患者さんはよっぽど驚いたのだと思います。目の不自由な人にお会いしたことがきっかけになって、自分の脳卒中のリハビリテーションも一生懸命やるようになりました。
 これは、主治医から聞きました。お年寄り、手足の不自由な人に、目の不自由な人がパソコンを教えてあげたときいろいろな感想を出してくれました。多くの人が、ワードの勉強をするのに非常に苦心したと言っております。それから自分達だけではだめなため、当時大学生がおりましたので、大学生の協力を仰ぐことができました。教えることは、喜び、生きがいにつながります。そして全員が答えていたのは、視覚障害者を理解してもらうのに役立つと、はっきりと言っておられました。それと他の障害者との交流の場になることを全員が言っておられました。
 そうして、パソコンを教わっていた人達は「目の不自由な方々は、時間をかけてゆっくりと判りやすく教えてくれる、ここに参加してよかった。」と言っています。同時に参加した人達は、目の不自由な人を理解することができました。そのような場をこれからもどんどん作っていくことが必要だと思います。
 新潟で非常に遅れていたのは、白杖歩行の指導です。白杖歩行の指導を受けたことがない方が多いのです。実際に白杖を持って歩いている人たちの中で歩行訓練を受けたことがある方が4割です。6割ぐらいは歩行訓練を受けないで歩かざるをえない状態でした。これではいけないと思いまして、埼玉の清水先生に月一回来ていただいて、病院の中だけではなくて街の真ん中で福祉会館を使いまして白杖歩行訓練をやってきました。
 同時に、目の見える人たちには誘導歩行のやり方を覚えていただきました、目の不自由な方がもっと外に出られると思いまして、白杖歩行と誘導歩行をセットにして講習会を開いたのです。これが非常によかったようで、多くの人達に巡り合える、話し合える、いい機会なのではないかと思います。時々、学生さん達がグループで手伝いに来てくれるんです。そうすると、目の不自由な方に対する理解がうんと深まっていくと思います。これは新潟県にとって、非常に大事なものだと思います。
 まもなくNPOの資格が取れるだろうと思います。取れたら新潟県の違う所に行きまして、多くの人達が白杖歩行の技術を身につける、また誘導歩行を誰もがやれるようにしたいと思っています。これが非常にいろんな意味で交流の場になっていくと思います。
 もう一度繰り返しますと私達の活動には二本の柱というのがあります。一つは視覚障害リハビリテーション外来、もう一つは音声パソコンです。パソコンの技術を教えることも、大きな意味があると思いますが、心のケアをここでできるようにということです。これを二本の大きな柱にしまして、この他にも、心のケアセミナー、視覚障害リハビリテーション講演会を催したりしています。将来の事を考えると子供達の協力が必要ですので、毎年夏になると子供達を対象にした催し物、サマースクールをやっています。
 目の不自由な方々がどんなことをきっかけで立ち直っているのかを聞いたのです。目が不自由になると落ち込むのは当たり前です。死ぬほど落ち込む人が30%、そこまでいかなくても大変落ち込んだという人が26.7%ほどおられます。多くの方がこのようなことを感じているのです。そういう人達に対して私達はどのような援助ができたのかを考えてみると、パソコン教室が立ち直りのきっかけになったと答える人が約70%もおられるのです。これは私達の中では大きなものだったと思います。それからいろいろな人との出会いだと言うんです。白杖歩行やいろいろな出会いの機会をもっておりましたのがこれにあたると思います。次は時間の経過、やっぱり時間がいろいろなものを解決してくれます。
 私達の会がやっている中で一番大きなものはパソコン教室でした。そこで立ち直ったと言う人、非常に大きな意味があったという人が58%、その次がリハビリテーション外来、これが50.9%で二番目です。三番目が、パソコン教室の昼食会が30.9%、それと同じように意味があったと答えたのが、白杖誘導講習会です。このようなところが四番目まで入りました。五番目が、グループセラピーがあげられております。
 アンケート調査をして、「死んでしまおうと思ったことがありますか。」と聞きましたら、最初の頃は56.2%の人がそう思ったと答えておられるのですね。ところが最近は、44%に減りました。死んでしまおうと思った人達の答えが、10ポイントぐらい減ったのですね。これは非常に大切なことなのです。いろいろなことに関心を持つようになると死んでしまおうと思ったこと自体を忘れてしまうと言うのです。これは心療内科の先生に私がちゃんと聞いたのでが、「そういうものだよ。」とおっしゃいました。心の中に変化が出てきているのだろうと思っています。そのようなことにより、私達のいろいろなことは、非常にたくさんの人達の関わりからうまくいっていると思っています。私は「頑張れ、頑張れ。」と言っているだけですが、うまくいっているなと思っています。
 これからもパソコン教室を通じて目の不自由な方々の心のケアをしていければいいなと思っています。
(まとめ:事務局次長 新井愛一郎)


【職場で頑張っています・その1】
「視覚障害者向けパソコン教室を仕事にして」

堤 由起子
 私は、現在人材派遣業務を行う大手企業の特例子会社として設立された「身体障害者雇用促進研究所(株)」(通称「サンクステンプ」)で働いている。この会社に雇用されてからかれこれ4年になる。会社での仕事内容は入社したときと変わらず視覚障害者向けのパソコン教室の運営全般を担当している。現在教室のメンバーは4人、そのうち二人は私を含め視覚障害者、残りの二人は身体障害を持っている。障害の部位・等級はさまざまであるが、できる事を寄せ集めて協力し合いながらなんとか業務を進めている。
 今年の1月から5ヶ月間、東京しごと財団からの委託業務で戸山にある心身障害者職能開発センターで視覚障害者の方の就労に向けてのパソコン指導を請け負った。普段は社内で教室を開講しているが、長期間の出張講師は初めての経験。全盲の訓練生の方にワードを習得してもらうことが目標と聞いて、正直どんなカリキュラムを組んでよいか悩んでしまった。メンバーにも相談して日本商工会議所3・4級の問題集を取り寄せてもらって、入力問題・ビジネス問題をワードで作成することから始めた。一番苦労した点はPC−TALKERを使用してワードで「表」を作成する作業。表の中での文字の均等割付・文字の配置、文書全体での表の位置、網掛けやフォントサイズの調整等、画面が見えないと判断しかねる表を体裁よく作成する方法を模索することだった。たまたま私が担当した訓練生はPCの技術に熟達していた方だったので、懇切丁寧に言わないでも課題をクリアしたが、やはり表作成はかなり悪戦苦闘されていたようである。その経験を経た今では視覚障害者にワードの基本操作を教えることは十分可能であるという自信もついたが、PCのスキルや習得度、理解度は人によって個人差が大きく、表の見た目を言葉で説明して、理解してもらうのがとても困難な作業だった。ワードの技能を習得し、仕事に生かすことを希望している人の習得度にかかわらない教え方を研究する必要があると思った。私も実際、目が不自由なので、相手がどんなところでつまずいてしまうのか、画面を見てすぐには対応出来ないところで私自身もつまずくのである。その点が今後の課題である。
 現在、私が所属しているパソコン教室は中野新橋のオフィスにあるため「中新パソコン教室」と名づけて地域に住む健常者の方や身体障害・知的障害を持った方にも対応している。従来のパーソナル使用でのPCの基本操作をはじめ、メール・インターネットの活用法、簡易なHPの作成、ワードによるはがきや名刺の作成など、様々な個人ユースに対応したカリキュラムを用意している。重ねて、会社の事業として障害者の職業紹介のための登録も他部署で行っている関係もあって、仕事に必要なワード・エクセルの基本操作のカリキュラムも提供している。今後は、視覚障害者向けのビジネスコースのカリキュラムを充実させることと、紹介業務とのパイプを利用して登録者のビジネスユースとしてのPCスキルの習得という流れを作りたいと考えている。



【職場で頑張っています・その2】
「復職して思うこと」

田橋省司
 会員の皆様こんにちは。私は、本年入会しました名古屋の田橋省司です。
 私は、1980年から理学療法士として名古屋市に勤務していました。1999年春ごろから視力低下に気づき、2000年3月に眼科で網膜色素変性症の診断を受けました。2003年5月には重度視覚障害となり休職を余儀なくされました。その後、9ヶ月間にわたり名古屋市総合リハビリテーションセンターで視覚障害のリハビリテーションを受けたのですが、訓練を終了しても復職など全く考えられませんでした。2004年12月ごろJAWS、OCRや超音波歩行補助具を知り、ワードとエクセルが使用できたら何らかの仕事ができるのではないかと思い、名古屋盲人情報文化センターでパソコン上級コースを受講しました。2005年6月、障害者福祉・高齢者福祉のリハビリとパソコンを使用した事務仕事なら何とか可能ではないかと考え復職希望を名古屋市健康福祉局へ申し入れました。06年2月下旬より私の復職が検討されましたが、その道のりは非常に厳しいものがありました。
 3月下旬に、4月1日付で復職と独立法人名古屋市立大学病院管理部事務課への出向が決まりました。一般的に視覚障害は何も出来ないというイメージが強く、実際移動を含めて環境に順応できるまでスタッフの方々の援助を必要とします。私の復職を認めた名古屋市、並びに配属を受け入れた名古屋市立大学病院は苦渋の決断をされたことと推測しています。異動職員訓辞式では、上田病院長から「田橋君、名古屋市立大学病院は障害者をきちんと雇用します。ですから安心して職場で能力を十分発揮してください。」と大変有り難いお言葉を賜ってもう4ヶ月が過ぎようとしています。当初通勤や仕事量など職場環境に対して係長はじめスタッフの方々にずいぶん配慮していただいたお陰で現在に至っております。仕事は、病院内会議の音声ファイルを文字化させていただいています。他の職員の方々と同じ仕事が出来ないことに寂しさや孤独感を覚えることがありますが、休職期間の虚無感や社会から落ちこぼれたというむなしさと比べるとはるかに生き甲斐を感じ、復職させていただいたことに大変感謝しております。
 私が復職後心がけていることは、第一に過去を忘却することです。なかなか難しいですが、見えていた時期の仕事を基準にしてはいけないと自分自身に言い聞かせている毎日です。
 次に、与えていただいた仕事を少しでも正確に、早く仕上げるよう一生懸命取り組むことです。重度視覚障害となった私が、職場内の仕事を探し出したり、作り出したりすることは不可能といっても過言ではありません。係長が、私に与えてくださった仕事の成果から判断し、「この仕事もやらせてみようか。」と思っていただけるよう努力するのみです。そのような目に見えない些細な努力の積み重ねによって、視覚障害者の就労できる科学的根拠が出来上がっていくものと考えています。
 第三点は、もちろん他の職員の方々との協調です。何かあったら他の職員の方に援助していただかなければ成り立ちません。心だけは障害者にならないように十分注意しながら、自分自身の人生のため、家族のため、そして不幸にも私のように中途失明を余儀なくされるであろう後輩のためにも、現職場から「もう障害者は雇用したくない。」と思われないよう前向きに仕事をしていこうと考えています。


【職場で頑張っています・その3】
「再出発と自己実現」

窪田 謙
 私は現在38歳、中途視覚障害歴が10年になります。糖尿病性による網膜症で視覚障害1種1級です。大学1年の検診で糖尿病とわかり、当初からインシュリンによる治療を行っていました。卒業後は民間で法人営業の仕事をしていました。定期的な受診と教育入院を繰り返してはいたものの、ちょうど10年経過した頃の1995年に眼科を受診し、眼底出血が起きていることがわかりました。以来手術などで入退院を繰り返す日々が続きました。状況は、左目から徐々に見えにくくなり、車の運転も止めました。右目に若干の視力が残りましたが、病院では何もできないと障害者手帳の交付を勧められただけで見放されたのが実情でした。在宅に戻ってからの生活情報の提供がなく1年ほど悶々とした日々を過ごしました。当然ながら仕事にも気力が起こらず、やめることしか考えられませんでした。やり場のない怒りと放心状態の中で、徐々に何かしなくてはと考えるようになりました。
 ある時、知人から視覚障害者と聴覚障害者を対象とした学校が地元つくばにあることを伺い、早速見学に行きました。しかしながら、その時点では一人で歩くことも点字の読み書きもできない状態だったため、案内していただいた教授から都内の訓練施設を紹介していただき、福祉事務所を通して入所することができました。1年間、白杖の歩行、点字の学習、生活周りの訓練を受けました。入所中に音声合成装置によるパソコンがあることも教えていただき練習もしました。障害のプロセスや年齢がそれぞれ違っていても同じような立場で訓練を受けることはお互いにとって刺激になり、その後の自分に役立ちました。訓練期間中に学校の社会人選抜入試を受け合格通知をいただき、情報処理科に入学、卒業したのですが就職はできませんでした。やはり年齢が30代半ばにさしかかろうとしていたこともあったのでしょう。いったん、実家に戻り、就職活動のために交通至便のよいところにアパートを借りました。以前お世話になった生活支援センターの訓練士から駅前の歩行訓練を受け、八王子には障害者の自立支援を熱心に行っている当事者団体があるという話を伺いました。視覚に障害のある職員もいて、いろいろと話を伺うことができました。ハローワーク主催の合同面接会や民間の就労斡旋機関で企業面接を繰り返していました。居住していた地区の就労支援センターで地元企業の情報や対策をご指導いただきました。しかしながら、思うようにいかず、講演会や講習に積極的に顔を出すことで人との繋がりを持ちたいと情報収集にも余念がなくピアカウンセリングの講習へも参加していました。
 2004年1月、思いがけない転倒で残存視力のあった右目の角膜が外傷を受けました。約2ヶ月間の入院を経て退院はしたものの視力は戻りませんでした。以前支援費の手続きを済ませていたので普段からお世話になっていた当事者自立支援センターに相談したところ、すぐにヘルパー契約を結ぶことができました。落ち込みもしましたが立ち直りが早かったように思います。
 5月になると知り合いからハローワークにピアカウンセラーの募集があることを伺い面接を受けました。勤務先が横須賀であるため通勤が大変であるということで、職場近くに引っ越すことで常勤として採用していただくことになりました。今まで弱視でなかなか決まらなかったのにわからないものです。6月前半に内定をいただき1ヶ月で引越しから全てを準備しなければならず慌しい日々が続きました。引越し後、横浜にある神奈川県ライトセンターの歩行訓練士にお願いし、職場までの通勤経路と駅周辺を訓練していただきました。
 7月1日付で採用され、職場は「浦上台身体障害者相談サポートセンター」といいます。横須賀市の委託事業により在宅で生活されている身体障害者を対象とした相談窓口です。 身分は委託されている社会福祉法人の職員になります。職種はピアカウンセラーということになっていますが様々なケースに対応しています。3ヶ月のトライアル雇用を経て10月1日付で晴れて正職員となりました。仕事としては、在宅身体障害の当事者、家族等の支援者、行政及び事業所との相談と調整を行っています。来所、電話、文書または訪問で対応しています。相談される方は視覚障害とは限りません。最近は、昨年から運用を開始したホームページの管理も任されています。相談の内容も福祉制度やヘルパーの利用、車椅子などの作成をはじめ、最近は4月から段階的に移行する「障害者自立支援法」関連と多岐にわたっています。日々、勉強を絶やさずがんばっています。デスクトップパソコンとスキャナーならびに関連ソフトを、障害者雇用制度を活用して購入していただきました。
 私が入ったことで、それまで紙ベースだったものが電子データ化されるようになりました。個別の相談関係の書類、業務日誌、企画書、報告書といったワード文書作成、実績報告書作成のためのエクセルのデータファイル作成、MMメールやサイボーズによる社内外への電子メールの送受信、OCR を使ってスキャナーで紙ベースの書類を読ませます。スクリーンリーダー(XP-reader)をインストールしたパソコンが威力を発揮します。点字も相談時やメモを取るのに役立てています。しかし情報量が多く、要約したり、パソコンに打ち直したりと時間がかかるのが困ります。
 最近になって市役所への実績報告書をエクセルで作成するようになり、視覚障害向けパソコンスクールでポイントをデータベースに絞って個人講習を受けました。入社前にも基礎的な講座を受講したことがありますが、具体的な実習にならずあまり役に立たなかったことがありました。今後は、より深くエクセルを習得し、パソコンの利便性を認識すること及び情報機器等を効率的に活用して情報の適切な収集に努めたいと思います。また、同じ障害を持つソーシャルワーカーとも連携を図り、仕事を進める上で情報交換をすることによってモチベーションを下げることなく、業務の遂行を心がけたいと考えています。
 仕事も3年目を迎え、プライベートの面では、最近結婚をしました。公私共に更なる希望の実現に向けてがんばりたいと思います。


【厚生労働省との意見交換と今後の取り組み】

 タートルの会は、去る7月5日(水)、『視覚障害者の就労の手引書=レインボー』の提言を元に、厚生労働省当局と懇談、意見交換を行いました。タートルの会からは、下堂薗会長以下役員7名が、厚生労働省からは、保険局医療課、職業安定局障害者雇用対策課、職業能力開発局能力開発課から5名が出席し、和やかに意見交換が行われました。事前に就労手引書そのものと提言の抜粋を送付しておき、篠島事務局長の司会で進められました。その概要は次の通りです。
(1)ロービジョンケアの診療報酬への適用について
 医療課からは、医学的効果に繋がるとはいいがたいので、現状では診療報酬の対象にはならないとの回答がありました。それを受け、タートルの会からは、中途視覚障害者が働き続けるためには、ロービジョンケアがいかに重要で必要であるかを訴えるとともに、眼科医の熱意と使命感に支えられているのが現状だと訴えました。ロービジョンケアに診療報酬が適用されないとすれば、その重要性に鑑み、診療報酬に代わる何らかの方策が必要ではないかと問題提起しました。なお、医療課から、本件に関しては、日本眼科学会や日本眼科医会にも併せて要望するようにとの助言をいただきました。
(2)ハローワークの窓口の対応について
 タートルの会は、就労アンケートの結果から、ハローワークの窓口の対応に対する批判(勉強不足や対応のまずさ)の声がある反面、強い期待感があることを伝えるとともに、ハローワークは中途視覚障害者本人と事業主の相談窓口として、しっかりその役割を果たして欲しいと要望しました。これを受けて、障害者雇用対策課からは、ハローワークにおける相談・支援体制の現状を説明するとともに、指摘されたような実態があることを受けとめ、中途視覚障害者の復職・雇用継続を巡る問題を障害者専門研修のカリキュラムに反映できるよう、今後、関係部署と検討したいとの回答がありました。そして、タートルの会としては、そのような研修に対しては、当事者の立場で協力できる部分があれば、各種資料の提供や講師の派遣などの面でも積極的に協力したいと申し出ました。
(3)ジョブコーチ、雇用管理サポートについて
 視覚障害者にとって、人的サポートはある意味不可欠です。このような中、標記事業について、中でもジョブコーチ事業は注目され、関心が高まっています。しかし、視覚障害者のことに精通した人材がどれだけいるだろうかとの疑問があったため、あえて視覚障害者に特化したジョブコーチの養成について要望し、意見交換をしました。その中で、両事業の現状を詳しく説明していただき、視覚障害者にどのようにすれば役立つものにできるかについて、今後への示唆と展望を得ることができました。
(4)職業能力開発とキャリア形成について
 就労アンケートによれば、能力開発とキャリア形成に関しては、自己努力に任されている感があります。働き続けていく上では大切な問題なので、制度的に保障して欲しいという要望をしました。これに対して、能力開発課からは、視覚障害者が対象となる現行の職業訓練制度についての説明があり、併せて委託訓練についての説明がありました。これを受けて、特に委託訓練については、視覚障害者に対応できるところを増やして欲しいと要望しました。意見交換では、現行制度の職業能力開発支援促進給付金、キャリア形成促進助成金の制度は、障害者を特に対象としたものではないが、有効な制度ではないかとの情報をいただきました。
(5)リハビリテーション休暇・休職制度の創設について
 対応部局がはっきりしなかったため、話し合うことはできませんでした。
(6)「視覚障害者就労データベース」について
 タートルの会が今取り組んでいるデータベースの構築について、まだ準備作業中ですがその概要を説明し、このようなデータベースは全国を探してもなかなか見当たらない貴重なものであることをアピールしました。

 会員の皆様にこの報告の理解を深めていただくためにも、『視覚障害者の就労の手引書=レインボー』を読まれることをお勧めします(ご希望の方は事務局までご連絡ください。1冊につき会員500円、非会員1000円。送料別)。また、ジョブコーチ事業など制度的なことについては、紙面の都合上、具体的な解説ができないことをお許し願います。
 なお、今後の取り組みについては、今回の就労アンケートの結果や提言を元に、引き続き医療関係団体や経営者団体などとも順次懇談・意見交換をすることにしています。また、この9月、東京女子大学にて開催される「第7回日本ロービジョン学会学術総会・第15回視覚障害リハビリテーション研究発表大会合同会議」の場でもアピールしていくことにし、演題登録をしております。さらに、この12月の「第14回職業リハビリテーション研究発表会」でも発表し、これらを通して中途視覚障害者の雇用問題に対する理解と支援の輪を広げていきたいと考えています。
(副会長 工藤正一)


【連続交流会年間スケジュール】

 本年度の連続交流会は、会員のニーズに対する様々な情報の提供、参加者同士の交流を深める情報の交換というコンセプトの下、年間4回実施します。(地域交流会、忘年会、総会はこれとは別に開催します)
 内容とスケジュールについては次の通りです。
2006年9月9日(土) 復職・再就職:
就労までの事前準備〜就労直後の諸問題」
2006年10月21日(土) 「就労継続:
日常の業務遂行〜職域拡大のヒント」
2007年1月20日(土) 「復職・再就職:
プロに聞くケアから就職活動まで」
2007年3月17日(土) 「就労継続:
いろんな職種からヒントをつかむ」
 会員のニーズに対して様々な情報を提供するとの基本的考えの下に、毎回の講演で会員の知りたいと思っている情報を提供します。講演の内容については2004年に実施した「タートルの会のあしたを考えるアンケート」の回答者120名を集計し、回答者が要望している情報である復職、再就職、就労継続、就労事例に関する具体的な情報をテーマとしていきます。またテーマとは別に毎回、「タートル講座」と題し視覚障害者に関する諸制度や年金制度などの情報も提供していきます。
 講演終了後に、参加者同士の交流を深める懇談会を自由参加により開催します。普段、交流することが難しい会員同士で情報交換やコミュニケーションを深めることで情報の幅を広げていただければと思います。
 なお、本年度から非会員(会員の同伴者は除く)の参加については有料とすることとしています(ひとり500円)。
 詳細につきましては開催の約1ヶ月前に、郵送により墨字、点字でお知らせするとともに、会報、ホームページ、メーリングリストなどでもお知らせすることとしています。
 本年度の連続交流会にご期待ください。
(幹事 石山朋史)


【視覚障害者の就労支援セミナー】

 静岡視覚障害者福祉推進協議会(静視協)主催行事に協力して実施することになりましたセミナーの日程などをお知らせします。
主催 : 静岡視覚障害者福祉推進協議会(静視協)
協力 : 中途視覚障害者の復職を考える会(タートルの会)
日時 : 平成18年11月18日(土)10:00〜16:00
会場 : 静岡商工会議所会館4F 401・402会議室
     (静岡市葵区黒金町20−8)
講師 : 午前:高齢・障害者雇用支援機構、静岡県障害者雇用推進室など
     午後:タートルの会
・目的
 障害者の就労の中でも、特に視覚障害者の就労実態は非常に厳しい現実です。また、中途視覚障害者、とりわけ弱視者は失いゆく視覚への恐怖と職場での不自由さとの狭間で孤独な立場にあり、その障害者を支援する人達も障害者雇用促進法やその詳細をよく知らないでいることが多い。
 今回は視覚障害者就労のために公的支援はどんなものがあり、どのような手続きや、条件が必要なのかを勉強し、支援に直接役立てていくとともに視覚障害者自身も、職場の中でどのように自分の能力をアピールしたら生き残っていけるかをケースワークすることで自己の持つ能力を生かすことを目的とします。