会報「タートル」42号(2006.5.10)

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2006年5月10日発行 SSKU 通巻2111号

中途視覚障害者の復職を考える会【タートルの会】 会報
タートル42号


目次
【巻頭言】
「今こそ、私たちは当事者としての声を強く上げよう!!」
【2月交流会記録】
「視覚障害を持つ人のモビリティー内的要因と外的要因」
清水 美知子
【3月交流会記録】
「みつばのクローバー」
丸山 直樹
【職場で頑張っています】
「自立と責任とリスク」
椎野 孝伸
【お知らせ】
【編集後記】


【巻頭言】
「今こそ、私たちは当事者としての声を強く上げよう!!」

事務局長  篠島 永一

 身体・知的・精神の三障害を一元化し、利用者本位の法律という理念に基づく「障害者自立支援法」が施行されました。この中にあって、視覚障害者の就労問題はますます埋没してしまうのではないかと危惧を抱かざるを得ません。今こそ、私ども当事者が声を上げなければならない時です。
 視覚障害者の職業といえば、伝統的な「あん摩・鍼・灸」(あはき=三療)がまず挙げられます。しかしながら、今や三療業界は晴眼者が圧倒的多数を占め、視覚障害あはき師は、病院等の職域から締め出されるといった厳しい状況に置かれています。国家資格取得後の実技の研鑽に不断の努力が求められ、加えて経営センスやコミュニケーション能力が問われる現実があるようです。
 90年代前半までは、中途で視覚に障害を受けた人に、雇用側はもちろん就労支援側も、ごく当たり前に三療への転身を勧めたものです。過去の経歴や適性など度外視され、他の選択肢もないままに、やむなく経済自立に向けて、盲学校や国立の三療養成施設へと進んだ経緯があります。
 さて、現状はどうなのでしょうか。下に厚労省の資料を記しておきます。
(1) 視覚障害者の実態(2001年調査)
・視覚障害者数=18歳以上の在宅者 301,000人
・年齢階層別=70歳以上 51.5%、50〜59歳 15.6%、65〜69歳 12.3%
・重度障害者の構成比=59.5%
・就業率=23.9%(未就業率は73.4%)
・就業者中自営業者の構成比=48.6%(常用雇用15.3%)
(2) 常用雇用視覚障害者の実態(1998年調査)
・視覚障害者の数=43,000人(身体障害者396,000人のうち10.9%)
・年齢階層別=45〜49歳 54.2%、40〜44歳 23.7%
・重度障害者の構成比=35.1%
・産業別=サービス業 74.8%、製造業 12.0%、卸売・小売・飲食店 9.7%
・職業別=保健医療 69.7%、一般事務 6.5%
 視覚障害者の就労実態から推測すると、明らかに三療関連従事者、三療自営業者の数が他を圧倒しているように見受けられます。
 一方、IT社会の進展に伴い、中途視覚障害者の就労継続、再就職など事務的職域に広がりをみせてきています。それは職場環境の変化、パソコンによる文書処理能力の習得、視覚障害リハビリテーション訓練の短期化など、いくつかの要因が考えられます。さらに「今まで培ってきた知識・経験を生かして働きつづけたい」という視覚障害当事者の強い意思の表明があればこそ実現をみるのですが、さまざまな阻害要因も存在します。
 企業は、障害者の雇用率の達成義務と社会的責任を果たすべく経営努力を迫られています。経営戦略に障害者雇用を組み込もうとするトレンドが生まれつつあるようです。このような時こそ、視覚障害者の雇用について、戦力としての人材確保の視点はもちろん、安心して働き続けられる社会、共生を強く打ち出すべきです。視覚障害者が企業内ネットワークの中で、即ちペーパーレスの職場において、いかに障害の有無に関係なく働けているか、情報の共有を図る必要があります。
 本会では、創設10周年を記念して、就労事例のアンケートを実施しました。104事例の回答を得て、就労事例データベースを構築する予定です。
 視覚障害者の就労事例について、経営者団体や労働行政等に情報提供し、広く企業の経営者に理解を求め、労働組合等従業員に共生・協働を呼びかけ、雇用の促進に連携を求めるべきだろうと考えます。


【2月交流会記録:2006/02/25】
視覚障害を持つ人のモビリティ ― 内的要因と外的要因

清水美知子

1.わが国の歩行訓練士養成の歴史
 東京都盲人福祉協会でつい最近まで歩行訓練をされていた大槻さんが日本で一番古い歩行訓練士と聞いています.彼によるとロングケインを使った歩行技術がわが国に紹介されたのは1966年だそうです(1995年11月24日タートルの会交流集会での講演より).1970年7〜9月の3ヶ月間にわが国で初めての「視覚障害者歩行訓練指導員講習会」が、Robert Jaekle 氏(当時の所属American Foundation for Overseas Blind、現在の所属Christoffel Blindenmission, Central East Asian Regional Office, Thailand)を講師として招いて開催されたのが、第1期厚生省委託歩行指導員養成講習会です(参考資料1).(その後、視覚障害生活訓練等指導者養成課程と名称を変え、今年第36期を迎えました.)第1期講習会の修了者12名の中には、『視覚障害者の誘導法』の著者として有名な村上さん、ジオム社の畑岸さん、広島大学の山梨さんらがいらっしゃいます.
 いまは「歩行訓練士」という名称は養成のプログラムの中では消えています.国立身体障害者リハビリテーションセンター学院では「視覚障害生活訓練専門職員」、日本ライトハウスでは「視覚障害生活訓練等指導者」を養成しています.「歩行訓練士」の養成プログラムはいま日本にはないのです.歩行訓練も含めた総合的な訓練を担う指導員を養成しています.
 現在の視覚障害生活訓練指導を行う専門職の養成期間は2年間です.1970年の歩行講習会は3ヶ月ですから、養成期間が大きく延び専門性の向上にもつながっているものと思います.一方、歩行、コミュニケーション、ADLに加えて、パソコン、ロービジョン機器、手話などたくさんの分野が2年間の養成カリキュラムに盛リ込まれています.養成期間は延びましたが、延びた分さらに勉強しなければならないことがどんどん入ってきています.

2.視覚障害者の移動の不自由さは理解されているか?
 今日のテーマの中に挙げた「内的要因」と「外的要因」とは、それぞれ皆さん方個人の要因と、社会の要因ということです.社会の要因のひとつは歩行者が移動する環境です.音響信号機や点字ブロックなどがその具体例です.視覚障害者の歩行を考えるとき、内的要因と外的要因の両面から考えなくてはなりません.
 まず内的要因の根本は何かといえば、身体、運動機能、体調です.立ち上がって歩けなければ「歩行」はありません.ここで、「歩行」は理学療法士がいう「歩行」、すなわち足腰の弱い高齢者や下肢の運動機能障害を持つ人の「歩行」とは内容が違うことに注意してください.視覚障害者の「歩行」は「モビリティー」、「オリエンテーション」そして「ナビゲーション」の三つの要素からなっています.これらの違いが明確に社会の人々に伝わっていなかったり、皆さんの頭の中でも明確になっていないきらいがあります.
 バリアフリー法や道路の段差の問題で、異なる障害を持つグループがせめぎ合いをしています.移動の容易性のための要求が相対し、それをどう調整するかが、重要な課題になっています.しかしながら現状では視覚障害を持つ人の要求や不自由の内容が正確に伝わっていっていないのではないか思います.正確な情報を伝えていかなければいけないと思います.そのためには、当然ながら皆さんの発言が重要です.障害原因や視機能の程度によって求めるものが異なると思いますが、とりあえずは視覚障害者が歩行で不自由がある、それは何かをもう少し明確に認識することが必要だと思います.
 私は、最近視覚障害者の歩行の大切さが少し軽んじられているように思います.または内的要因と外的要因のバランスが崩れていると思います.音響信号機、触覚的誘導路、ガイドヘルプサービスなど、外的要因が整備されつつありますが、その一方で、内的要因の重要性、とくにここでは視覚障害者の歩行能力の維持、向上の大切さが過小にとらえられているように思います.支援設備の整備がどんなに進んでも、それを利用する視覚障害者にも何らかの能力が必要です.
 思い立ったときに、思い立ったところへ、思い立った手段で行きたいわけです.しかしそのような環境を作るのは実際には不可能でしょうし、完全にバリアフリーな環境が完成するのを待って家に閉じこもっているわけにもいきません.そうした状況を解決するには二つの方法があると思います.ひとつは移動介助のような、人による支援です.そしてもうひとつは皆さんが自分の移動能力を向上することです.そしてそれをサポートするのが視覚障害の歩行訓練士なのです.歩行訓練士は皆さんの内的要因に非常に密接に関わる専門職なのです.

3.視覚障害者の歩行の三要素
1)モビリティ
 モビリティとは単なる「移動」ではなくて「移動の容易性」のことです.すなわち、安全に、効率よく、楽に移動する能力です.物に身体を当てない、穴に落ちない、段につまずかない.車道の中央に寄らないなど.危険から自分の体を自分で守る技術を備えなければなりません.視力が残っている人は、視力も活用します.杖という道具を介在させてもいいですし、犬を使ってもいいです.今はミニガイドやモールスソニックなどもあります.まず自分の体を作る、そして体に合った安全を確保するための技術を習得する、これを歩行訓練士と一緒に考えて獲得するのです.
2)オリエンテーションとナビゲーション
 オリエンテーリングというスポーツがあります.オリエンテーリングでは、何も記入していない地形図と方位磁石を使って、地図上に示されたポイントを見つけ(オリエンテーション)、そこへ到達する(ナビゲーション)時間を競い合います.視覚障害者が目的地を探して、そこへ到達するのと似ています.違うのは、視覚障害者には地図も磁石もないということです.
 街中には番地表示、道路標示、看板、など現在地や目的地の位置を示すサインが豊富にあります.それに対して視覚障害者にとって同様な情報は、ほとんどありません.そして視覚障害者は、「メンタルマップがないから歩けません」と言わされています.点字ブロックにはそのような情報はありません.行き先のわからないベルトコンベアのようです.地形や建物などが見える晴眼者にさえこれだけのオリエンテーション/ナビゲーションのための情報が街中に必要なのに、視覚障害者にとって同様の情報を伝達するものが皆無に等しいのは、おかしいですね.
 目的地の位置がわかっていても、すなわちオリエンテーションがあっても、途中に川があったり、交通規制で一方向からしか進入できなかったり、目的地に直線的に向かって行ける場合は多くありません.川に沿って橋まで行き、一方通行路を迂回し、ルート決め、それを辿る、すなわちナビゲーションが必要です.近年、カーナビがここまで普及したのには、精度の高い位置情報はもちろんですが、目的地までのルート選びの煩雑さがその背景にあるのではないでしょうか.
 オリエンテーションは止まっている状態で、出発点と目的地、現在地と目的地/出発点との位置関係が把握出来ている状態のことです.ナビゲーションは、そこに動きが伴うのです.ただ、位置を知っているだけではそこには到達出来ないので、どの道を通ったら早いか、一番距離が短いか、これがナビゲーションです.

4.毎日の生活の中で歩行能力を育てましょう.
 歩行能力の基礎作りをしましょう.ラジオ体操をするのもよし、家の中で自転車をこぐのもよし、あるいはガイドヘルパーやご家族と少し早足で散歩をするのもよいでしょう.どのような方法でもよいのです.体力の維持、向上、体調の管理に努めましょう.皆さん方がご自分で出来ますが、歩行訓練士が関わってもよいと思います.従来、基礎体力の改善、向上は視覚障害者の歩行訓練の目的としないことが一般的でした.しかし、最近は高齢で視覚障害を負う例、糖尿病など生活習慣病による体力低下の顕著な例が増えているので、運動機能の回復、体力向上も歩行訓練の目的であると明確に位置づけるのがよいと思います.
 自分の体を作る、そして体に合った安全を確保するための技術を習得する、それは杖だけに限りません.眼の使い方でもいいです.耳がいいという方であれば、それも考えていいです.自分にとって自分の今の状況に合った安全な方法、これを歩行訓練士の人と一緒に考えて獲得することです.「移動の容易性」の中でも、危険な目に合わない、安全に移動出来る、ということは重要です.自分の体を自分で守れるだけの技術を備えておかなければいけないのです.障害物を未然に避けることが出来る、あるいは段差の手前で必ず止まることが出来るということが大切です.
 次に、オリエンテーションです.オリエンテーションというとまず現在地と目的地の位置関係あるいは地理的事象の配置を考えますが、ここではせいぜい杖を思い切り伸ばした範囲、自分を中心として直径3メートルくらいの範囲を考えてください.現実の場面でいうと軽自動車がやっとすれ違えるほどの路地を歩いていたら、後ろから自動車が来た、さてどちらに避けるかというときや、どれくらいどちらに寄ったら自動車が自分を邪魔にせずに通り過ぎられるだろうかを認識出来ることです.よく杖で塀や壁を叩きながら歩きますね.意外と気持ちの楽な歩き方ですね.その道に慣れてくると叩く回数が減ったりしますね.回数が減っても、自分はその塀の間近にいると分かっているのです.杖が当たらない範囲までも自分が意識しながら、その環境を認識しながら動けているということです.このレベルをその次の目標にしてください.
 ではそのためにどうするのかということですが、ただひたすら同じところをそうなるまで繰り返して歩いてください.初めてのところに行くには、慣れていない道はどう歩くのか、ということは、とりあえず頭から取り去ってください.
 まず自分の家を基点にします.必ずそこから出て行き、必ずそこに戻るからです.家を基点にして、10メートルくらいのところに電信柱が立っているとして、そこまでをただひたすら往復します.その時に、何かを伝うことを、基本に考えていただきます.塀があれば塀、なければ、地面に何か筋があるかもしれません.全くないことはめったにないので、まずそれをご家族の方と、訓練士がもし来てくれるのであれば訓練士と、どこをどう伝うかを考えてください.どうしても伝うところがなければ、伝うものを置いてしまえばいいのです.そしてそれを歩行訓練と思わない、ごく普通の自分の日課と思ってください.それが本当に日課であればなおさらいいのです.もうここは大丈夫だという自信を持ったら距離を伸ばしてください.または方向を変えてみてください.それをどんどん伸ばしていってください.最初の段階、あるいは不安感がある間は、ご家族や友人に付き添ってもらうとよいでしょう.距離は問いません.大切なことは、まず「外に出る」ことで、外に出ないと「移動」につながってこないのです.まず外に出て、それから伝い、障害物をよけ、段の昇り降りをします.そうすると杖の技術が出来てきます.
 これは熟錬者でも同じです.生活の中に散歩道を持って下さい.自分で楽しめる道を、家の周囲に見つけてください、なければ作ってください.公園、川の土手、校庭、歩道など.生活の中に「歩く」日課を組み込むような努力をしてください.

5.さまざまにあっていい杖の振り方
 杖の技術については、あまり厳密なものだと考えないでください.歩行訓練士が40年間「杖はこうやって振るのですよ.」と教えてきたわけですが、ほとんどの人は教わったようには振っていません.なかでも「手首を身体の中央に置いて」という部分は、守られていないようです.最近、アメリカで“ヒップグリップ(hip grip)”という言葉ができました.歩行訓練士が一般に教える「体の中央で、手首を支点にして左右に均等に振る」という伝統的な杖の振り方に対し、ヒップグリップは、杖を身体の脇、腰骨の辺りで振ります.言葉ができるほどですから、腰で杖を振る人が多いということだと思います.杖が描く扇形が左右対称でないと、杖を持つ側の反対側で杖が掃く区域が縮小し、物に当たる、段差が検知できないという意見がありますが、手首の位置と物や段差の検知率には相関はないとする論文もあります(参考資料2).大切なことは、実環境で物に当たらない、段から落ちないなどといった、安全性を評価することです.歩行訓練士は杖の技術を作り上げるために、その形を教えます.しかし形を習得したから安全なのではありません.最終的には歩行訓練士の目を借りるのがよいと思います.それと、伝統的なテクニックが性にあっているのであれば、それを否定するものではありません.
 杖、とくに引っかかりにくい石突の開発普及と、コンスタントコンタクトテクニックのような杖の操作法が広く浸透することには関連があるでしょう.杖の振り方には、体力、杖の長さ、石突の形状、杖の重さなどが関係すると考えられます.杖を使って歩くときの移動の容易性には、振り方に加えて、杖の長さ、歩幅、歩行速度、反応時間、なども関与するでしょう.
 歩行あるいは歩行訓練を柔軟に考え、皆さんが持っている感覚や技能で自分の歩行能力を育て下さい.経験のある歩行訓練士、「形」を押し付けるのではなく、行動の観察評価に長けている歩行訓練士を介在させれば、より効率よく移動の容易性を向上できると思います.

参考資料
1.視覚障害者の歩行および訓練に関する参考資料集(その2)、盲人の福祉No.8、日本ライトハウス、1973
2.Vincent K. Ramsey, et.al.: A biomechanical evaluation of visually impaired persons’ gait and long-cane mechanics, J. Rehabilitation Research and Development, Vol.36, No.4, Oct.1999


【3月交流会記録・2006/03/18】
「みつばのクローバー」

丸山直樹(NTTクラルティ株式会社)

 当社はNTTの特例子会社で「NTTクラルティ株式会社」といいます。弊社の設立準備段階から現在に至るまでをこの数年間を振り返りながらご紹介させていただきます。

1.会社設立の準備(2004年3月〜2004年6月)
 NTTは電電公社と呼ばれた時代から障害者雇用には積極的に取り組んでいました。障害者雇用率でみても今から10年前は2.0%前後をキープしておりました。5千人以上の障害者が雇用されていた時期もあったと思います。その後、NTTは持株会社(NTT親会社)、NTT東・西日本会社、NTTコミュニケーションズの4つに分割されました。その際、「人業一体の移行」(仕事に携わっている人がその仕事と一緒に異動すること)の方式を取り、その結果として障害のある社員が携わっていた仕事が東日本会社と西日本会社に偏ってしまいました。雇用されていた障害者の多くは、上肢とか下肢の障害で、電話受付部門で仕事をしている人が圧倒的に多かったのです。
 当時、私はNTTコミュニケーションズの会社設立準備室におり主に人事の仕事をしていました。スタート時の障害者雇用率は0.3%くらいだったように記憶しています。NTT全体の障害者雇用率が下がったのではなく、会社毎の雇用率にばらつきが出てしまったということです。実質的な雇用率の低下の要因は、ITの普及でインターネット事業者間の価格競争を生き抜くための合理化だったのではないかと思っています。それと、アメリカの雇用の仕組みが日本企業に急激に入ってきて、日本的雇用(終身雇用)では国際競争に勝てないと言うことになったのです。
 当時よく耳にしたのが、ハイリスクハイリターンという言葉でした。結果を出した人には相応の報酬を出す。言い換えれば、結果が出せない人はいらない、ということなのです。NTTも3年間にわたって大幅な採用抑制を行ったり、数回にわたり希望退職を実施したり、営業拠点を一気に減らしていったりという、過去に例を見ない規模で合理化を進めました。このような合理化の中で障害者の多くの人も職を離れ、NTTグループ全体の障害者雇用率が一気に下がり始めました。障害者雇用率の低下はグループ全体の大きな経営課題となってきました。
 そこで、その対策として考えられたのが特例子会社の設立です。会社設立のプロジェクトは、2年前の3月1日にNTT第5部門という組織に作られました。私はそこに呼ばれて「3カ月ぐらいで会社を立ち上げ、翌年4月には営業を開始しろ。」というミッションを受けました。
 さて、特例子会社は親会社(NTT)のほか11社を連結することとなりました。その合計の常用雇用労働者数は約1万2千人でしたので、全体の障害者雇用状況からみると、法定雇用率に到達させるには100人近い障害者雇用が必須条件となりました。
 会社作りにあたっては一般的に設立後3年目ぐらいに単年度黒字化しろと言われております。私が作ろうとしている会社も、3年後には従業員100人規模にしなくてはならないし、新入社員ばかりで黒字化できる仕事ってあるのだろうかと、日々頭を抱えていましたが、そんな中で障害に関する勉強や特例子会社の見学などをしていました。そして、「障害者を雇用していく会社であれば、障害者の役に立つような仕事をして稼げるといいな」と考えるようになりました。障害者雇用イコール補助作業・単純作業、といった既成概念から脱却したかったわけです。
 そんな折、一昨年の6月20日に障害者や高齢者がWebを利用しやすくするための「JISX8341-3」のJIS規格が制定されました。高齢者や障害者が便利になるためのWebアクセシビリティの仕事はとても価値があると思いました。
 そこで、事業の3本柱を@障害者・高齢者向けポータルサイトの運営、AWebアクセシビリティ診断、B紙ベースの資料をパソコンで扱うPDFに変換するサービス、としました。この事業に親会社のNTTが3億円出資してくれることが正式に決定し後戻りできなくなりました。

2.出会い(2004年6月)
 営業を開始するためにまず20人程度を採用する必要がありました。一流のスキルを持った障害者は引っ張りだこだと聞いていたので、「やる気のある人」を第一条件に何ができるか、何がやりたいかを聞きながら採用していこうと決めました。手始めに毎年東京体育館で開かれている、企業と障害者とのお見合い会に参加させてもらいました。会社設立前で求人票すら出せない状況ですので、NTT研究所の求人ブースにこっそり座っていました。そこに現れたのが、当タートルの会会員のKさんでした。とても見えない人とは思えないくらいスムーズに面談の席にやってきたのです。横で対話の内容を聞いているうちに、「この人だ!」と直感したのです。これからやろうとしている仕事に必要な人だと思いました。横で座っているだけという約束を破り、会社設立の話をしてしまいました。それとKさんと会ったことによって、視覚障害者の人と一緒に仕事が出来そうだという自信を持つことができました。その他の人材採用についてはハローワークを中心にご支援をいただき、所沢の国立職業リハビリテーションセンターなどを紹介して頂きました。
 一方、Web関係の仕事をやることにしたからには、そのノウハウを持った社員がいなければ実現できません。NTTにはジョブチャレンジ≠ニいって社内で人材を公募できる仕組みがあります。そしてNTTレゾラントという会社から優秀な若手社員が一人来てくれてweb関係の仕事を切り盛りしてくれました。

3.会社設立(2004年7月1日)
 2004年7月1日、NTTの広報部門から、NTTクラルティ誕生のニュースリリースが流されました。会社名「クラルティ」の命名の経緯をご紹介しますと、発案者はプロジェクトメンバーの一人ということになっていますが、実のところはその人が、プロジェクトに来る前にいた会社のマンションの名づけチームからもらってきた名前なのです。フランス語で輝くという意味の“clarte”に、ユニバーサルの頭文字“u”と可能性のアビリティの“ty”をくっつけてクラルティとしたのです。

4.ポータルサイトの立ち上げ(2004年12月〜2005年3月)
 4月からの営業開始に向けて、ポータルサイトの構築に取りかかりました。採用内定者のうち、12月から準備作業に携わることとなったメンバーは4人。タートルの会員のKさんと国リハのTさん、伊賀忍者の里近くから出てきた車椅子ライダーYさん、そして社内公募で来てくれた出向社員Tさんという個性豊かなメンバーです。12月からNTT研究所の会議室が吾がクラルティの事務室となり、ポータルサイト構築開始となったわけです。といっても、この4人だけで商用のポータルサイトができるほど簡単ではなく、グループ会社のNTTラーニングシステムズという会社と手を組みました。試行錯誤の繰り返しが仕事みたいな日常だったようです。
 ポータルサイトの名前はいろいろ出た中で、Kさんの提案でユニバーサルやユビキタス、ユーザビリティとか優(ゆう)しさとか、もろもろの思いを込めてアルファベットで“UUU”と決まりました。ところが、商標登録でNGとなり、ひらがなの“ゆうゆうゆう”となった次第です。ポータルサイト“ゆうゆうゆう”の開設にあたり、シンボルマークを募集しました。最終的に決定したシンボルマークのコンセプトを紹介させていただきますと、デザイン作成者のコメントは次のようなものでした。「ハートのようなウサギのような柔らかみのある手描きの「U」の文字を組み合わせ、クローバーのような優しく穏やかなデザインにしようと思いました。色もそれぞれ愛や友情、希望、すべての人々を繋ぐ空を3色で表現。また、一色でも違和感はないと思います。」、これはこれで素敵なコメントです。このコンセプトを聞き、この作品をシンボルマークに決定させてくれたのが、またまたKさんだったのです。弊社が発表したコンセプトは、こんな感じです。「ゆうゆうゆう」のコンセプトである「だれでも(Universal)」を広がる空で表現し、柔らかみのある手描きの「U」を組み合わせて、優しさを、クローバーをモチーフに描いています。障害者マークとして四つ葉のクローバーを使用しているところがありますが、「特別な存在ではない」、「みんなと同じ」ということをあえて表現するために、「ゆうゆうゆう」では三つ葉のクローバーを用いました。いかがでしょうか。私はこのコンセプトは、中途失明者のKさんだからこそ見事に表現できたものだと思っています。

5.事業開始(2005年4月〜)
 会社の事務室の工事も完成し、ポータルサイトのアップも完了して無事に入社式を行う運びとなりました。当日はNTTグループ総帥であるNTTの和田社長に出来たばかりのクラルティの事務室へも来ていただきました。PRとして、KさんにJAWSでパソコンの音声読み上げをやってもらい、その後ろで社長に聞いてもらったのです。経験のない人が聞くと、これが早くて全く理解できないですよね。これに大いに関心された様子で、激励の言葉をたくさんいただきました。6月に特例子会社の認定を報告に行った際にも「みんな元気でやっているか」といった調子です。
 弊社は障害者手帳を持った社員24名、手帳を持っていない社員が8名、役員が2名の構成となっています。内訳は視覚障害が4名、聴覚障害が6名、上下肢障害が13名、内部障害が1名です。会社の組織は、企画部と業務部があり、企画部では経営戦略や総務・人事ならびに経理などの業務をやっており、ここには車椅子使用の社員2名と視覚障害の社員1名が従事しています。業務部には、Webグループとメディア変換グループがあります。ここでお金を稼ぐわけですが、障害のある社員中心で仕事の切り盛りをしています。
 Webグループはチーム制で仕事に取り組んでいます。一例を挙げると、インタビューチームというのがあり、このチームでは、インタビュー相手の決定から実際のインタビューや写真の撮影、さらに原稿作成までの一連の作業をこなし、出来上がったものがホームページにアップされます。インタビューの相手が聴覚障害者の場合、聴覚障害の社員が手話でのインタビューを行い、その様子をビデオ撮影します。インタビュー終了後、インタビューした社員がビデオを見ながら、手話を解読し原稿起こしをしていくのです。視覚障害者のインタビューはテープを聴きながらの原稿起こしとなります。
 ポータルサイトの運営は、障害者があまりハンデを感じることなくできる仕事だろうと考えて始めたのですが、実際やってみるとこれがなかなか大変なようです。さらに、視覚障害者と聴覚障害者が共同で仕事をやるためには多少の工夫が必要です。一緒に企画会議をやったり、同じチームで作業したり、ケースは様々ですが、仕事でのコミュニケーションであれば、パソコンが補償してくれますので、ちょっとした工夫や、ちょっとしたNWに関するスキルなどがあれば一層やりやすくなります。しかし、仕事以外のコミュニケーションになると簡単ではありません。目が見える私であれば筆談という手もあるし、覚えれば手話での対話も可能です。食事中や休憩時間の雑談には第三者の仲介が必要ですが、最近では視覚障害者のTさんは、手話の指文字や簡単な単語を覚えて、会話を楽しんでいます。
 現在は、毎週木曜日の昼休みにクラルティの社員が手話教室を開いてくれていまして、視覚障害者には手取り、指取りでのレッスンが行われています。いろいろな障害者が仕事しやすいように、社内の服装は自由としています。ワイシャツとネクタイだと準備に数十分かかるという人もいるので、服装の自由はずっと継続したいと思っています。時間外のお付き合いですが、視覚障害者の場合はお店に階段があっても大丈夫なのですが、ノンベの車椅子ライダーのために、新宿の戸山サンライズで宿泊での飲み会を何回かやりました。和室での宴会になると障害の特性を忘れてしまっていることに気づかされます。体幹障害で上肢の機能も低下している人は、畳の上では全く動けないのです。日常、車椅子でスイスイ動いているのを見慣れているせいなのでしょう。知識としてはある程度はいろいろと障害を理解しているつもりですが、まだまだ不勉強だなと感じるのです。

6.初年度の事業成果
 心の奥底では、無謀な計画を実行してしまった、という自責の念がないわけではないのですが、今更後戻りも出来ませんので、事業初年度の大赤字は当たり前と開き直っています。それより、社員一人一人が着実に実力をつけてきたことが大きな成果だと思っています。Webアクセシビリティ診断の仕事(ホームページを障害者や高齢者が不自由なく閲覧できるようにする仕事)をみても、最初は視覚障害者の専売特許状態で、なかなかついていける人がいませんでしたが、今では診断のみならず、ホームページそのものの修正や、納品時の見栄えのいいプレゼンテーション資料まで作れるようになっています。
 売上げだけでなく、コストの面でもきつい一面があります。特例子会社の認定前にハローワークの視察があり、バリアフリー環境のすばらしさに驚いていただいたのですが、このことによる家賃は相当高く、その家賃も社員が稼がなくてはいけないんだということはハローワークの指導員には説明しませんでした。親会社が家賃負担をすると寄付扱いの税金を払うことになるので、家賃は家賃できちんと支払い、その分を親会社から仕事でもらってくるのが私の役割だとも思っています。クラルティの所在地である武蔵野市より西側のエリアには多くの特例子会社があります。2、3カ月に1回、多摩地区企業連絡会が開催され、懇親会も含めた意見交換を行っています。最近は知的障害者中心の特例子会社作りが増えていますが、いろいろな障害者を雇用している会社もかなりあります。ただし、私どもの会社だけでなく、どの会社も台所は火の車のようです。武蔵野市には武蔵野東学園という自閉症児の学園があります。その中の武蔵野東技能高等専修学校の生徒さん3名をお預かりして就労前研修をやらせていただきました。一人ずつ1週間の研修で、3週間実施したのですが、何より驚かされたのがその集中力です。月曜日の午前中に作業手順など一通りの指導が終わったあと、机に向かっている姿は、他の社員と区別がつかないほど溶け込んでいました。仕事の中身は、弊社が提供しているメディア変換サービスを中心にやってもらいました。

7.今年の抱負
 今年は2年目ということで、一人一人が実力を発揮できる年になることを期待しています。JISX-8341-3の制定や障害者基本法での官公庁に対するWebアクセシビリティの義務化などから、社会一般にも障害者や高齢者に配慮するホームページ作成についての関心が高まってまいりました。また、環境に対する取り組みも重視され、紙ベースの資料を大量に保管したくないというニーズも増えつつあります。今年のテーマは、これらのニーズをどうやって受注に結びつけるかということです。私たちに何が出来るかを上手に表現できれば、仕事が増えることは間違いないでしょう。

8.将来展望
 NTTグループ各社の障害者雇用はさほど順調に推移していないのが現状です。2、3年後には東日本会社ほか大きな会社の連結拡大を行うことになりそうです。安定した収入が確保できる事業を受託していくことが必須条件だと考えています。今年手がけるのが、東日本会社のコールセンタ業務の受託です。NTTの巨大な顧客情報システムを利用することとなるので、パソコン操作をしながらの電話応対となります。
 今回40名を上限に採用しているところですが、残念ながらこのシステムは視覚障害者は使えない仕様となっており、障害種別限定での採用となりました。
 ここから先、新規の事業分野は、またまたゼロからの検討になるわけですが、ぼんやりとあるのは「在宅勤務」での雇用です。NTTのBフレッツによる高速ブロードバンド環境を利用すれば、安全・安心な在宅勤務による何らかの事業が出来るのではないかと考えています。幅広い分野に目を向け検討しなくてはならないと思っています。
 一方、ポータルサイトゆうゆうゆうの充実も図っていかなければなりません。インタビューやコラムなどは独自性を出したコンテンツであり、一部の方には高い評価をいただいております。しかしながら、障害者や高齢者の方々から支持されるサイトとなるには、まだまだ長い道のりが必要かと感じています。

9.おわりに
 私自身10年くらい前に脳梗塞をやりました。わずかな期間でしたがちょっとした視覚異常をきたし、その時に書類が読めなければ仕事できないな、と会社を辞めることも頭をよぎりました。正直言いますとその時、会社の先輩で鬼怒川の保養所の管理人をやっている人が頭に浮かんできて、あの仕事なら出来るかも、などと勝手に考えていた瞬間もありました。この1月に所沢の国立職業リハビリテーションセンターで、視覚障害者のT社員と一緒に視覚障害者がうちの会社でどういうふうに仕事をしているかを簡単に実演しました。その後、そこに参加していた会社の方が中年の視覚障害者の職転の参考とするためにということで弊社に見学に来られました。現在携わっている仕事がなくなるので、どんな仕事をやってもらえばよいのか悩んでのことでした。解決策を真剣に考えている姿をみて、「いい会社だなあ」と思いつつ、私がアドバイスできたのは、パソコンというツールを活かすことが一番の近道だということでした。
 さて、表題とさせていただいた“みつばのクローバー”についてですが、マメ科に属するシロツメグサをクローバーと言っています。三つ葉のクローバーは、キリスト教以前の古代からお守りとして使われていました。古代アイルランドでは、三つ葉のクローバーをシャムロックと呼び、三つの葉っぱを「希望」「信仰」「愛」と意味付けしました。もともと三つ葉のクローバー自体が古来から幸福のシンボルだったということです。それでは四ツ葉のクローバーはというと、学術的には遺伝という説と、踏みつけられクローバーの成長点が傷つけられたためにできた奇形という説があります。伝説的なものでいうと、皇帝ナポレオンが四ツ葉のクローバーを見つけそれを採ろうとした瞬間に、銃弾がすれ違い命が救われた、などという幸運の象徴になっています。
 三つ葉の「希望」「信仰」「愛」に「幸福」が加わるわけです。障害者マークの一つである四つ葉のクローバーは、ある意味特別なイメージがありまして、私自身もそうだったのですが、障害のある人と直接の交流がない者は、障害のある人と接する時、ついつい特別な人と見てしまいがちです。私も一緒に働いて初めて、障害があっても特別ではない、みつばのクローバーであるということに気付いたのです。さらには健常者に比べ障害者のほうが、チャレンジする意欲と行動力は上だとも思っています。クラルティの社内では障害のある社員が8割を占めており、日常の仕事も障害者主導で動いています。その中でも、特に視覚障害の3人の社員がそれぞれの立場で社員を引っ張ってくれています。
(まとめ:幹事・杉田ひとみ)


【職場で頑張っています】
「自立と責任とリスク」

椎野 孝伸

 私は、3年前に京都市職員として働き始め、現在介護保険課で勤務しています。視力の状態は、10歳のときに不慮の事故により両眼の視力を失い全盲になりました。
 小学校6年生の時に横浜の盲学校に編入し、以後、中学・高校生活を送り、大学は東京都町田市にある和光大学で、主に教育について学び、サークルではJUDY AND MARYのコピーバンドを組んでベースを弾き、学生生活を満喫していました。
 大学3年生の秋ごろ、卒業後の進路について考えるようになり、大学やハローワーク、民間企業主催の身体障害者を対象とした企業面接会にも参加しましたが、社会経験が全くなく、加えて全盲という立場上、なかなかよい結果を出すことはできず、面接に臨んでも門前払いを受けたり、自宅のポストの中の不採用通知を溜め込む日々が続きました。
 並行して、自治体の公務員試験にも挑戦していました。電話で各自治体の人事委員会に問い合わせをし、居住地制限がなく点字受験を認めている所ならば遠方でも出向いて受験をしました。結果としては、筆記試験は通過できても、面接試験で不採用になることばかりで、こちらもあまり思わしくない状況が続きました。
 大学卒業から3年後、その年に初めて京都市が全国を対象にした点字受験を認めるようになりました。この試験で筆記・面接共に合格し内定をいただくことができ、翌年の春から京都市職員として勤めることとなりました。
 1カ月の研修を経て、私は介護保険課への配属を命ぜられました。職種としては事務職なのですが、具体的には各区役所から送付される介護保険に関する苦情や事故の報告書の取りまとめ、介護相談員派遣事業の運営、介護保険に関する「市長への手紙」の回答案の作成、課内研修の企画等を担当することとなりました。
 また、事前に人事担当者と相談し、私が事務職員として業務に当たれるよう条件整備に関する要望を出させていただきました。その結果、スクリーンリーダーをインストールしたWindows2000のパソコン、ピンディスプレイ、OCRを使用するためのスキャナーを事務機器として与えていただきました。加えて、私の業務全般をサポートするための補助職員をつけていただきました。
 基本的には担当業務に関する資料や統計表、決定書などはWORD、Excelを使って作成していますが、表の構成が乱れていたりレイアウトが崩れていたり、漢字の変換ミス等の誤字脱字もありますので、作成した文書を補助職員に提供し校正してもらっています。
 また、回覧される文書や他部署からの通知や依頼などの文書はOCRを使って読んでおりますが、手書きなどには対応していないので補助職員に読み上げてもらったりしています。
 配属当初は仕事をこなすために、どう手をつけていいか分かりませんでした。具体的には、ある仕事が与えられたとき、過去のファイルを見る、前任者に相談する、起案担当者に質問するなどして解決していくのですが、補助職員が代読してくれるからといっても、実際に指示を出すのは私自身です。そのときに、何を見てもらえばいいのかが分からない、人に聞きたくても誰が何を担当し、どの部署がどのような業務を担っているのかが分からず、しばしば不十分な資料や決定書を提出してダメだしを喰らっておりました。
 特に昨年は、私の担当する介護相談員派遣事業について事業拡大することもあり、ほとんどの業務の責任を私が負わなければならない状況で、本当にてんてこまいな毎日を過ごしておりました。
 結果としては無事に事業拡大をすることができ、軌道にも乗ってきましたが、この時期に特に感じたことは、仕事というものは、自分に与えられた業務について責任を持って結果を出すことが原則ではありますが、組織として仕事に当たっているので、一人でこなすのではなく、他の人からの助言や協力を得て達成するものであると、改めて感じさせられました。
 仕事には必ず締め切りがあり、その締め切りに間に合うように完成させなければならない、いわば時間との戦いであります。その中で効率よく確実にこなすためには、直属の上司や所属長などときちんと打ち合わせを行い、組織内のルールを把握したうえで、少しずつ様々な担当者と協力、連携を図りながら進めていくことになります。そこで必要なのは、自分の業務に必要な情報及び組織内で共通しているルールの情報を把握するための情報収集能力と、他者と仕事の上で協力体制を構築するためのコミュニケーション能力だと思いました。
 また、現在補助職員がおりますが、できるだけ自分ひとりでこなせるよう、今はWordやExcelを使ったビジネス文書の書き方について勉強しております。基本的なパソコン操作については心得ているつもりですが、単に1つの動作について、どのような結果として反映されるか、知識として知っているだけでは全く役に立ちません。仕事上で作成する文書に関して、そのルールにのっとるために、どのような書式が必要であるか、今一度基本に立ち戻って勉強することが必要であると感じました。
 そして、今いる職場についてできるだけ快適に業務が遂行できるよう、例えばタグペーパーで必要なファイルなどに点字を貼るなどして、できるだけ自分ひとりで判断、作業できるような職場環境を少しずつ作っています。この職場環境作りは自分ひとりでやるしかありませんが、これを前もってしておくか否かで、今後の仕事量に大きく差が出てきます。
 ここまで考えてたどり着くまでに2年以上掛かりました。それまでは本当に手探りの状態で不安だらけな毎日でした。
 今後はできるだけ自主的に、そして独力で完結できるよう、日々の業務の中からどのような工夫をすれば解決できるかを考えながら、京都市職員としての責任を果たしていきたいと考えております。


【お知らせ】

第11回定期総会
日時:平成18年6月17日 午前10時より
会場:東京都障害者福祉会館
 〒108-0014 東京都港区芝5−18−2
 TEL:03−3455−6321
内容:
 午前 定期総会 10:00〜12:00
 午後 講演・交流会(懇親会)
     13:00〜17:00(17:30〜20:00)
 講演:「私達のパソコン教室・10年のあゆみ」」
    〜教えて自立した人、教わって元気になった人〜
 講師:山田幸男先生(新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会代表)


【編集後記】

 本会は昨年、創設10周年を迎え、記念誌の発刊に向けて、就労事例のアンケートを行いました。皆様のご協力のおかげで、104事例の回答があり、貴重な資料として記念誌編纂に活用させていただきました。
 また、この就労事例は後に続く中途視覚障害者のためにも、データベースを構築し、活用しやすいものとすると同時に、今後さまざまな働く事例を積み上げていく予定です。当然のことながら、このたびの就労事例は、日進月歩で日々変わっていくわけですから、データの更新には努める所存ですが、アンケートに協力していただいた皆様の今後のご協力をお願いするしだいです。
 「目が見えなくて、一体何ができるのだろうか?」、「目が不自由でも働けるというが、どのような工夫をしているのだろうか?」などといった疑問を持つのはごく自然だと思います。視覚障害者の雇用は難しいと避けるのではなく、積極的に情報を集めていただきたいのです。
 経営者、障害者雇用担当者、障害者就労支援関係者、医療機関の方々に、視覚障害者が事務職として、さらに広範囲に及ぶさまざまな職域で働いている実態を知ってほしいのです。就労事例データベースに「働く」視覚障害者の存在を知る情報として活用願いたいのです。情報の不足から雇用を躊躇していた視覚障害者雇用が一歩でも進められれることを期待するしだいです。
 人生半ばにして視覚障害になっても、「視覚障害リハビリテーション」等、一定の訓練を受けることで、十分働き続けられるのだ」という現実を認識していただき、診断書に「就労可能」という記載を眼科医にお願いしたいのです。この記載が中途視覚障害者の継続就労の可否を決める鍵と言えるのです。
 事務局から2点についてお詫びいたします。1点目は、清水美知子氏の校了を待たず、印刷に見切り発車してしまい、42号を再発行し、再送付すること。2点目は、総会案内(点字文)を「雑草の会」の印判入りの封筒で送付してしまったこと。皆様方に不信感を与えてしまったこと、深くお詫び申し上げます。
(事務局長:篠島永一)

中途視覚障害者の復職を考える会【タートルの会】会報
『タートル42号』
2005年3月8日発行 SSKU 通巻1717号
■編集 中途視覚障害者の復職を考える会 会長・下堂薗 保
■事務局 〒160-0003 東京都新宿区本塩町10-3
     社会福祉法人 日本盲人職能開発センター 東京ワークショップ内
     電話 03-3351-3208 ファックス 03-3351-3189
     郵便振替口座:00130−7−671967
■タートルの会連絡用メール m#ail@turtle.gr.jp (SPAM対策のためアドレス中に # を入れて記載しています。お手数ですが、 @ の前の文字を mail に置き換えてご送信ください。)
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