会報「タートル」41号(2005.12.10)

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2005年12月10日発行 SSKU 通巻1972号

中途視覚障害者の復職を考える会【タートルの会】 会報
タートル41号


目次
【巻頭言】
「企業から見た「稼ぐ人材」とは?」
【9月交流会記録】
「情報のUDがもたらす障害者就労における可能性」
【10月交流会記録】
「こんな仕事をしています第6弾」
【職場で頑張っています】
【寄稿文】
 「音声パソコンテキストの完成にあたって」
【お知らせ】
【編集後記】


【巻頭言】
「企業から見た「稼ぐ人材」とは?」

幹事 石山朋史

 私は全盲の視覚障害者です。現在、IT系の会社で大学卒の新卒採用と業務経験者の中途採用の業務を担当しています。採用活動の仕事を、企業から見た「稼ぐ人材」ということを常に考えながら行なっています。
 最近、「コンピテンシー」という手法が「稼ぐ人材」を見極める手段として広がりつつあり、そのコンピテンシーレベルが高い人ほど、企業で高いパフォーマンスを発揮すると言われています。
 コンピテンシーとは、「成果を挙げるためにとる行動・思考特性」のことで、「あるとき、こんな問題が起こった、そこで自分はこう考え、こんな手を実際に打った」「どんなことにおいても常に自分の判断のもと、自分の考えで行動を起こしている」という点が大切で、日常このような行動特性を持っている人は、業務遂行においても、実際に行動し、成果を出すことが出来るので、ハイパフォーマーな人材として日々活躍し、企業にとっても一番必要とされる人材になります。
 それでは、行動に制約のある視覚障害者の場合でもコンピテンシーの考え方は当てはまるのでしょうか?
 上司にパソコン音声読み上げソフトの導入をお願いしているが一向に導入してもらえない、という事例はよくあります。この場合、上司と話し合うという手段で協議することになりますが、この話し合いがなかなか進展せず、したがってソフトの導入には結びつかないというケースは多いと思います。
 もしコンピテンシーレベルの高い人ならば、音声読み上げソフトの導入という目的に対し、様々な手段を考え、行動し、成果に結びつけようとしていきます。
 例えば上司と協議する時に、導入の目的、音声読み上げソフトの機能の説明、具体的に音声化されるアプリケーションの紹介、実際にどの業務が遂行可能になるかなどの効果を明記した、誰でも見てわかる提案書を作成して、これを元に対話し、更に自前のパソコンと音声読み上げソフトを使用してプレゼンテーションするなど工夫した提案活動を行ないます。その結果、上司に目的と効果をわかりやすく伝達でき、更に上司が役員や他部門へ提案する時、内容を明確に提案出来ますので、音声読み上げソフト導入の可能性はこの提案活動によってかなりアップするでしょう。
 このような提案活動は業務の中でもよくあります。コンピテンシーの概念から、提案活動で成果を出せるのなら、日々の業務においても成果を出すことができます。
 日常において、自ら考え、自ら行動し、成果を発揮すること、これが「稼ぐ人材」であり、企業にとっても、視力の有無に関わらず必要な人材になると言えるでしょう。


【9月交流会記録(2005/09/17)】 「情報のUDがもたらす障害者就労における可能性」

濱川 智(株式会社カレン)

 皆様はじめまして。私はご紹介いただきましたように株式会社カレンというところに勤務しております。それが一つ、私の顔です。もう一つは、インターネットを通じてスSpeak Up!という「皆さん、ちょっと声を上げましょう」という、今からお話する情報のユニバーサルデザインをもっと広げていこうという個人的な活動です。今回は、「情報のユニバーサルデザインがもたらす障害者就労の可能性」について出来るだけ分かりやすくお話をさせていただきたいと思います。
 まず、私の専門ですが、ITと呼ばれるものです。情報技術とも呼ばれます。中心はインターネットです。
 株式会社カレンは、インターネットを使って企業のマーケティング活動いわゆる販売促進ですとか、新しい商品が出たらそれをもっと皆さんに知っていただくとか、そういったことを支援する仕事をしています。いま我々の課題になっているのが実際に使う方、利用者の方が非常に使いにくい場合があるということです。具体的にいうと、障害者に限らず、例えばパソコン初心者、高齢者などがうまく使いこなせていない。それは我々の活動がうまくいっていないということなのです。
 「販売促進をしたのにあまり売れていないよね。」というのが我々の会社に限らず非常に大きな問題になりえます。それを解決するためにユニバーサルデザインを標榜しているんです。ユニバーサルデザイン、例えば最近ですと斜め式の洗濯機≠ェ有名ですが、実は情報にもあるのではないかということを最近我々が言い出しています。まだまだ耳慣れない情報のユニバーサルデザインという概念だとは思いますが、6月の後半にNHKの「おはよう日本」で、また今月の28日に北海道限定のテレビ番組にも紹介され、徐々に理解が広まっています。みんなが使いやすい情報ですとかインターネットを使ったサービス、例えばネットショップと言えば分かりやすいと思います。お買い物もしやすくなるといったことで、企業にも、利用者にももちろんメリットがあります。それをもっと世の中に広めていくため、我々が今株式会社カレンとして活動させていただいています。
 ただし、企業としての活動だけですと、なかなか広まっていかないものです。個人的にネットを使っていろいろご協力をいただきながら、情報のユニバーサルデザインを広めていこうという活動もしている状態です。
 今実際にインターネットの問題点は、企業の目的を優先し、使う利用者の人達の使いやすさを考慮したサイトになっていないことです。
 皆さんもインターネットを使っていて、すごく使いにくいと思うことがあると思うんです。なんか変なところに入ったきり抜けられなくなってしまったとか、写真がいっぱい貼ってあるんだけど、そこにちゃんと代替するテキストが用意されていないとか、実際使う人のことを想定してまだまだ作られていません。なぜかと言うと、Webサイトとかインターネットを作る際に企業は投資をしそれを回収しようとする、そうなってくると、どうしてもそちらの目的ばかりに目がいってしまって、実際に使う利用者は置いてきぼりにされてしまう。必要としている人達とか、使う人達というのがそこにいるということを認識出来ないのです。よくシニア市場とかいうと思うんですけど、そういう市場に向けてメッセージを出していくんですが、その先に人がいるということが、なかなか企業の側は気がつかない。これが大きな問題です。それが最近になって、それではうまくいかないことが企業側も見え始め、解決策を模索し始めたのが、今年に入ってからくらいの大きな企業の市場の状態です。
 そこで、ここからが就労支援みたいなところに非常に関わってくるのかなと思うんですが、我々が進めているのが実際に障害者、高齢者の方達にテストをして使ってもらうことで、今年から始めています。そうすると、いろんな問題点がぼろぼろ出てくるんですね。
 企業の側がこういうのをきちんと認識すれば、今まで100人しか使えなかったものが200人、300人と使えるようになっていくことに、ようやく気がつき始めました。そういった部分をなんとか導入しようという企業が増えてきています。ただし、日本の企業の数に比べると非常に少なく、まだまだこれから啓発活動をしていかなければいけないんです。
 去年6月、高齢者、障害者に配慮を促すという、インターネットでJIS規格が発行されています。これにおいて変わったのは公共団体とか地方自治体とか行政がJISでやりなさいということになったので、皆さんしょうがないと尻に火がついて始めるようになりました。ただし民間企業は、そのとき全然そんなこと思ってなかったんです。そこを変えたところで、あまり利益が出てこなかったこともあります。ですが今年に入ってJIS規格に遵守するだけではなくて、利用者の人たちとうまく入っていけば私たちが作るインターネットの利用者が増えていくという単純なことに気がつき始めています。
 非常に単純なことですけど、高齢者の方たちは、やはりうまく使えない方が多くいらっしゃいます。今高齢者の65歳以上の方は人口の20%くらい占めています。この人たちが使えるようになれば、単純に今まで20%使えなかった分が増えてくるではないかという、企業の単純な発想です。それが最近分かってきて、そのためには実際に使ってユーザーテストしていけばいいではないかという非常に大きな流れになってきて、新聞とかインターネットなどいろいろなメディアで取り上げられています。
 ただし、どうしてもインターネットを使ってホームページなどを作っていく場合に、実際に作る人は若い成人男女です。その人たちにとって、高齢者、障害者の方たちにどうすれば使いやすいものが作れるのかは、なかなか分からないのです。これは、教育をしたからどうなるものというのではないんです。最終的にその人たちがどういうものを求めているのか、どうしてもわからない。作る側は、どうしても利用者にはなりえないんです。典型的な製作者と利用者は、絶対に相反するものだと最近分かってきました。
 実際に、障害者の方たち、高齢者の方たちに、ものづくりに参加してもらうことが大きな解決法です。ただし、想像していただければわかると思うんですが、高齢者、視覚障害者、肢体不自由者の方々のそれぞれの意見、製作者の意向を全部取り込むと、ただのおもちゃ箱みたいなものになってしまうんです。
 それは、決して使いやすいものにはなっていないというのが実は我々のした失敗です。結局そこからわかったのは、先ほど製作者は決して利用者になりえない話をしましたが、逆もしかりでして「利用者は、どうしても専門家にはなりえなかった」というのが一つの答えでした。そこで、我々に分かってきたのが、まず「利用者の立場でものを見ることができる人、ただし、専門家の視点で、いろいろ問題を発見できる人」。この二つを持った人が、いわゆるつくる側の人間と利用者側の人間の間を取り持つハブみたいな通訳者として重要だということです。
 利用者の視点を持ちながら、かつ作る側の視点で問題を解決できる人、アドバイスできる人、こういう人たちは、いろいろな方がいたほうがいいのです。障害者の方も、高齢者の方も、若い方も必要です。そういった多様な人たちが、そこの部分に参加することで、ようやく情報がユニバーサルデザインになっていきます。
 ユニバーサルデザインになっていくことは、みんなが使いやすいということですから、みんなに使いやすくするためには当然いろんな人が携わっていくほうが好ましいわけです。こういう利用者の視点を持ち、かつ専門家の視点を持つ新しい職業、職能といったものがいま我々のような作る側からみて、非常に求められる人材になってきました。この新しい職能、今いった二つの能力を持つ人はやはり、なかなか簡単にできるものではありません。教育していかなければいけない、育てていかなければいけないということがございます。
 これについては、今月の25日に、浜松のほうでN−PocketというNPOと我々とで、「こういった人たちを育てていく、それで情報のユニバーサルデザインというものを実現していきましょう」というセミナーが開催されます。全部で何回になるかは分からないですけど、初回はまずそこで行なわれて、そういう人たちを育てていきましょう、そういう人たちに社会へ出てどんどん活躍していただきましょう、といった趣旨のセミナーが開催されます。今後、東京でも開催していく予定です。まだ、開催日は未定ですが、日本財団という大きな財団法人がございます。そちらと協力して、そういったものを広めていく勉強会を実施することが進んでおります。詳細が決まりましたら、ご連絡させていただきたいと思います。
 そういった形で、新しい利用者と専門家の間に立って、いわゆる評価をする人たちを求める企業の傾向が強まり、企業の側で育成する動きが見られます。あとは当然ですが、情報のユニバーサルデザインをどんどん導入してくれる企業を我々のほうが探してくる、もしくは導入していただけるように啓発活動をしていくプロセスを踏む必要があります。
 今までインターネットを通じた就労支援というと「ホームページ作ります」というところはかなりあると思うんですが、今「ホームページをインターネットでうちが作ります。」という企業が、本当に星の数ほどあるんです。そういう中で高いクオリティで安くというところがものすごい競争になっているんで、そこと同じ舞台で仕事を取りにいこうと思うと、非常に厳しいと思うんです。
 よほどクオリティが高いか、あるいはよほど料金が安いか、このどちらかでないといま太刀打ちできない状況にあります。今後インターネットを使って就労していくことを考えた場合、作っていくのは難しいのが我々の実感です。我々が実際にどこかの企業に作ってくださいと頼むわけですけど、星の数ほどの製作会社がある中で、障害者の授産施設等が入ってきてもなかなか頼みにくいです。それは当然納期とか料金とかもあります。後はお金払ってくれお客さんに対してのクオリティというのも当然あります。なかなかそこの部分でがっぷりと戦っても厳しいことを正直感じています。
 そんな中で、今お話した新しい利用者と専門家の間に立つ人たちは、逆に製作会社の健常者の若い人たちにはできない職種です。例えば私は晴眼ですけど、晴眼の人間は視覚障害者の人たちがこういうところで困るという部分は、全然わからなかったりするのです。逆にいろんな方とユーザーテストをしていて思うのが、例えば視覚障害者の方に実際テストしてもらうと、聴覚障害者の人たちが不便だと思うところはあまり気がつかなかったりするところがあります。そこの部分は、星の数ほどある製作会社は絶対に太刀打ちできない領域です。やはり、そういう強みを活かしたところで、新しい職能を磨いていくというのことが非常に大きな可能性があるのかなと考えています。
 実際に、企業はそういう人たちが欲しいのです。ただし、今いないかものすごく少ない状態で、本当に一握りの専門家の人たちが、そこの部分をコーディネートしているのが現状です。とにかく企業はそういう人を求めている。ニーズがそこにあることは、そこには必ず仕事があるということです。そういった部分を磨いていくことで、もしかしたら、新しいIT、インターネットを使った就労に対して、可能性が見えてくるかなというのが今回の大きな趣旨です。
 実は今、ほとんどいないという話をさせていただいたんですが、そういった方が実際何人かいらっしゃる。そういった方たちと、作っているホームページは非常にいい評価を受けています。それは少なくともビジネスとしては成功しているのです。私は当然企業の人間ですから、ビジネスとして成功しないものには、手を付けるわけにはいきません。やはり、ビジネスとして成功したと評価をもらったことが大きなポイントで、今後どんどんこういった活動を進めていきたいと思っています。
 情報のユニバーサルデザインと一口で言えば、簡単な話ですけど、実はこれを実践するためにはいっぱい失敗してきました。1年くらい、ずっと失敗してきたんです。やっと最近、今言ったような手法で実際に利用者の人たちの意見を聴く、その意見を専門家の言葉で解釈する人がいて、それを製作会社の人にちゃんとつないでいくという、一連の流れができてから、うまく実際に使う人が使いやすいな、と言っていただけるインターネット環境が作れるようになりました。
 本当に、まだ始まったばかりです。情報のユニバーサルデザインという言葉は、まだまだ知名度も低いです。が、先ほど言いましたように、最近ではテレビなどでいろいろ取り上げられていることもありまして、どんどん企業も取り組んできています。当たり前な話ですけど日本は世界一の高齢社会ですから、企業はそこの人たちに対してどうやってアプローチしようか、今課題として考えています。今後ユニバーサルデザインという言葉が、もっともっと普及してくるのは間違いない話です。その中でこれは、障害者の就労支援という部分の可能性を持っているんじゃないかというのが、今回の私のお話になります。
〔質疑〕
質問 私の方から2点、質問させて頂きたいのです。1点目は、専門家と利用者の間に立てるような人が重要だという話だったと思うのですが、例えば、ホームページを作るにしても、要は現状分析をして問題点を抽出して、改善の方向を探れる人というような、その位のレベルの方は、かなり専門性の高い方でおそらくもう製作者に立てる程のスキルなどを持っているような人にも聞こえるのです。その辺をどう考えているかということ。2点目はビジネス上の成果と言われていたことを具体的にお聞きしたいのです。
濱川 1点目について、すごく噛み砕いて言うと「何処が使いにくいのかを発見できる人」というのが一番求めているところです。「ここは使いにくいです」と問題を認識できることであって、決して高度な技術ということではなく、視覚障害者であれば音声ブラウザを使った場合に、「ここの部分がどうも使い難いです」という所を指摘できる方が必要かなと考えています。
 2点目については、成果の部分なのですけれども、詳細は申し上げる事は出来ないのですが、単純に会員の申し込み数が、今までより150%位上がりました、という例もありますし、単純にお問い合わせが減ったという事も案件ではございます。今まで「ここに行きたいのですが、どうしたらいいのですか?」と、問い合わせが来るわけです。それがなくなったという事は、皆さん、そこにちゃんと辿り着いた、という仮説が今我々の所にあります。定量的なものと定性的なものを、両方共一応数値としては見えているといった点です。
司会 どう何いう質が問われるのかと疑問を持っている方が多いと思うのです。ですから、先程あったように、かなり技術的にも優秀な人、理科系の勉強をして、というような人はもちろんいいけれども、決してそうではないですね。質、問題点を見付けられるセンスが問われているのだという、そのところが私も重要だと思います。
濱川 専門家を育てるお話では全くないのです。ただし最低限インターネットを使えなければ、なかなか難しいお話ではあります。後はもう本当に、「こういう所を探して下さい」みたいなことを教育して勉強していくという形になると思うのです。使い難くなる原因というのは、結構いくつかちゃんとあります。この中にそれがあるかどうかを、あなたの環境で探していただけませんかというところに、最終的にはなるのではないかと思っております。
質問 今、濱川さんのお話を聞くと、悪い原因を探すというお話なのですけれど、私の見方からすると、製品等を作る場合に、企画段階、設計段階でその製品の良し悪しは、70%は決まってしまう、もう1回作り上げてしまったものを改善しようとしてもあと良くて30%です。逆に言うと、その部分しか直せない。ですから、設計段階のうちに如何に情報を入れていくかという事が重要と考えています。
 ですから、例えば自分の情報を登録する時に、A社は入れ易かったけれども、B社、C社は、名前を入れる所が分からなかった、というようなサイトの例だとか、商品を選ぶ時に、「ここの商品は選び易かったけど、ここは駄目だった、だから基本的にはこういう商品を選ぶ時にはこういうページを参考に」とか、「名前の所は、こういう入力の所が分かりやすかったよ」というのを設計段階でアドバイス出来るような、問題探しというと非常に難しそうに見えるけれど、逆にそういった段階での参入というのは出来ないものですか。
濱川 おっしゃる通りです。設計段階から入っていかないと、最後に検証だけやっても、もう後の祭りと言いますか、上手くいかないということは我々も経験しています。
 最終的に間違い探しをする人達と、当然設計段階から一緒に入って来ていただきたい、そして「今までのこのサイトは使い難かったけれど、ここは使い易かったよ」とか、それがなぜかという理由を説明できる人達と一緒に作っていくというのが、多分、重要だと思います。ただし「ここがこうだから、使い易かったのですよ」と説明できるレベルを求めることは、ある程度難しいところだと思うのです。
質問 それが指摘出来れば、「Aは使い易かったよ」ということですね。では、それの解析というかソースコードを見てもらって、設計者というのは、A社のページとB社のページを比べてもらえれば、その中身は技術的には分かるわけですよね。A社はこういう作り方、B社はこういう作り方で、「こちらの方がいいよ」という事は、専門家が分かるわけです。そういう所で、こんな目的の所を探す時に、クレームが対応されていて、目的地まで辿り着かなかったとか、ページが多すぎて、同じリンクが一杯あって辿り着かなかったとかそういうことが、具体的に幾つかのパターンで、同じ入力フォームでもABCDと幾つか持っていれば、その中で1番良かったのがこれ、悪かったのがこういう形というものをある程度整理されて持っていれば、そういうもので、設計段階でお話できるのではありませんか。
濱川 例えば、実際にあった話なのですけれど、テストをしていて、名前と住所と電話番号を入力して次へ進む、という事がよくあるのですが、そこが、いつまで経っても失敗してしまうというケースがあって、それは、単純にパスワードを入れなければいけなかったのですが、そのパスワードは、アルファベットと数字を混在させなければいけなかったのです。「最初にアルファベットと数字を混在させて下さい。」と書いてあれば、多分、その人は入れられたと思うのですが、下に米印で注1みたいに書いてあり、それが読めなかったんです。このようなことは結構ある話なのではないかと思うのです。それを製作者、技術者に対してフィードバックをしても、何で使いにくいか分からないと答える人は結構多いのです。この注意書きが、パスワードを入れる前にちゃんとあれば使えたのですよ、という人達が必要になってくる。実は製作者の人達は、自分達が作るものに対して、なかなかそういう冷静な評価を下せなかったりするのです。ソースコードを見ても、それは分からない話で技術的な話ではないですよね。
 「使いにくさ」は割りと細かいところに潜んでいたりするのです。そういうのを発見する人が、設計段階から入り、「あなたはこういう設計図を書いているけど、これちょっとおかしい。」と話すことで、ロスなくやっていけるというのが私の意見です。
(まとめ:幹事・小林千恵)


【10月交流会記録(2005/10/15)】
「こんな仕事をしています第6弾」

1.職業訓練を受けて、新たな仕事にチャレンジ  佐藤利昭さん

 初めまして、佐藤利昭と申します。今回初めて参加させていただきました。年齢は56才で川崎市に住んでいます。仕事は財団法人郵便貯金振興会というところに、平成16年1月に再就職して勤務しています。パソコンを使ってデータの入力、データの確認、簡単な資料の作成などを担当しています。当社は日本郵政公社の子会社ですので、郵政民営化法案が通って、私共の身辺もあわただしくなりそうです。
 私は4年前に糖尿病を悪化させて眼が悪くなりました。左眼は全く見えません。右眼が0.08、視野は10度程度、視覚障害1種2級の認定を受けている状態です。眼が悪くなって再就職できるまでの体験を、どんな訓練をしたかなどを中心にお話ししたいと思います。平成13年9月に糖尿病で視力を失ったのですが、当時を振り返るとかなり精神的なショックで全く何もすることができなくなっていました。一人で外出することもできず、自宅にこもりっきりの、今考えると非常に恐ろしい生活をしていました。この生活が約半年続きました。翌年の平成14年3月に、ある方の紹介で日本盲人職能開発センターを訪問させていただき、“水曜サロン”に通うことになりました。この水曜サロンへの参加が、自分にとって大きな転機になったと思います。水曜サロンに通う中で、スクリーンリーダーというソフトに出会い、それを使って視覚障害者でもパソコンをかなり自由に使えることを知りました。そして、自分も訓練を積み重ねていけば、仕事に就けるかもしれないという希望を持つことができました。私はパソコンについて全くの初心者でしたので、一から勉強を始めました。まず最初にタッチタイピングとWindowsの基礎について指導を受けました。それと自宅の押入に使っていないノートパソコンがあったので、それに95Readerをインストールして自宅でも毎日数時間タッチタイピング等の練習をしました。
 次に検定に向けてWordの勉強を始めました。その年の8月に日本語文書処理技能検定試験の3級と4級の試験があり、ちょっと高望みして3級の試験にチャレンジしました。勉強の方法は職能開発センターの先生からいただいた試験問題集と、本屋でWordの解説本を購入してルーペを使って勉強しました。一番困ったことは、解説本というのはマウス操作による解説しか載っていないわけで、自分の場合マウスは使えませんので、それに代わるショートカットキーを使った操作法を習得するのに苦労しました。解らないところは職能センターの先生方に質問してご指導いただきました。そして8月、自分なりには自信を持って検定受験に臨んだのですが残念ながら不合格でした。さらに自宅で勉強を続け、11月に再挑戦して検定3級に合格しました。そしてその直前の平成14年10月に職能開発センターのOA事務処理科に途中編入をさせていただき、翌年の3月まで就職に向けたパソコンの訓練を受けました。Word、Excel、インターネット、その他パソコンの基礎に関することをしっかりと勉強しました。卒業前の2月に、Excelを使った検定試験であるビジネスコンピューティング3級にチャレンジして1回で合格しました。今の自分にとってこのOA事務処理科での訓練が大きな力になったと思います。
 卒業後、私の場合、井上先生の紹介でテピアデジタルプラザで視覚障害者の方を対象にパソコンの指導をやらせていただくことになりました。また一方では自身のスキルアップを図れればと、ビジネスコンピューティング2級の勉強をしながら就職活動を続けました。翌年の平成16年1月に現在の会社に就職が決まったわけですが、その間、約10カ月かかりました。30数通の履歴書を書いては応募しました。しかし9割方は書類選考で不合格、途中でめげそうになった時期もありましたが、粘り強く就職活動を続けた結果、現在の会社に就職することができたのだと思います。
 次に会社での仕事についてお話させていただきます。会社では本部総務部人事担当に所属しています。身分は恒常的臨時職員、民間でいうとフルタイムのパートという身分です。半年契約ですので半年ごとに契約を更新していきます。使用機器は両サイドキャビネット付の机を与えられており、机上正面にノートパソコン、その手前にフルサイズの外付けキーボード、左側に拡大読書機を置いています。スクリーンリーダーはXP-ReaderとIBMホームページリーダーを使用しています。
 具体的な仕事の内容は、厚生年金基金の基礎データを作成しています。B5サイズくらいのデータカード1枚に1名分の個人情報が載っているものがあり、そのデータカードの内容を拡大読書機で確認しながらExcelのシートに入力していきます。カード1枚に約20項目のデータが載っており、その項目の中の3項目くらいが毎月変化していきますのでその部分のデータを入れ替えたりしています。顔は少し左を向いて拡大読書機の画面を見ながら、体は正面を向いて手はキーボードを叩いているといったスタイルで、1日8時間仕事をしています。1日に約400枚のデータ処理をして、2000枚のデータを1週間かけて処理しています。そのような資料を3種類担当していますので、3週間分くらいの仕事量が常時与えられています。残りの1週間は、他の人の作業の補助をやっています。Wordを使って文書を作成したり、Excelのデータをもらって加工したり、グラフにして提出するといった補助的な作業をしています。
 私は仕事をする上で正確にそして効率的に仕事をすることを常に念頭に置いています。ミスが多くては自分の命取りになりかねません。そのためにパソコンのいろんな機能を使って、また自分なりに工夫をしながら仕事をしています。集中力を切らさずに仕事を続けることはとても大変です。1時間くらい集中して、少し休憩を入れながらまた続けるというスタイルで、日々仕事をしております。
 次にパソコンを使った仕事をするために、どういうことを準備しておけばいいのかについてお話させていただきます。これは私のかなり主観の部分が入っていますので、その辺はご容赦いただきたいと思います。視覚障害者に与えられる仕事の内容はデータ入力や資料作成が多いのではないかと思います。そのために勉強しておくことは、まずパソコンの基礎であるタッチタイピングです。これは、文字だけでなく記号、特殊記号等も含めて、正確にかつスピーディーにデータを入力できるように訓練をしておく必要があると考えています。次にWord、Excelのスキルは必須条件になっていると思います。これについては検定3級の資格は、是非取っておいたほうが良いと思います。さらに欲を言えば、2級レベルの勉強をして実力をつけておくと、かなり業務をスムーズに遂行できるのではないかと考えています。
 それから最近は、インターネットを使った仕事が多くなってきています。私どもの会社は本社に60名くらいしかいないのですが、一人1台のパソコンが与えられています。社内だけでなく課内の連絡もサイボウズというWebサイト上でメールによって連絡を取り合い情報交換をしています。視覚障害者の場合、MMメールを使っている方が多いかと思いますが、会社のシステムに組み込むということが出来ないケースが多いかと思います。そういう意味ではその他のメールソフトも体験しておいたほうが良いと考えています。そういったことでインターネット関係も使えるように訓練をしておく必要があると感じています。
 スクリーンリーダーを使っていると結構トラブルことがあります。仕事中、突然音声が乗らなくなることがあります。それのトラブルシューティングは自分で解決できるようにトレーニングしておいたほうがいいと思います。スクリーンリーダーに関しては一般の人はほとんど知識がありません。トラブルが起きた場合、自分で解決するしかないと私の体験からはそのように感じています。
Q 今の会社に就職できた決め手というか、会社側に与えたインパクトは何だったのかということと、サイボウズの中にあるメールソフトを使っていると思うんですが、音声でどう対応されているかお伺いできればと思います。
A 一点目の自分のセールスポイントを何に持っていったかということですが、まず一つはテピアデジタルプラザで視覚障害者にパソコンの指導をボランティアでやっていたということ、それと検定3級の資格を持っていて、現在2級にチャレンジしていること、それで一応自分としてはそのレベルのスキルは持っていると少し下駄を履いた言い方をしました。そして1カ月のトライアル雇用があってそれとなく試されました。
 サイボウズについては私はIBMホームページリーダー3.01を使っています。メールは当然サイボウズの中にあるメーラーを使ってやっています。これは私もちょっと苦労しています。ルーペで液晶を一生懸命見ながら、マウスを使っています。自分が使いやすいように画面をいろいろカスタマイズしています。字は見えませんが何とか苦労しながらやっています。
Q データ入力作業は視覚障害者にとって非常に辛い仕事の部分もあるのかなと思います。例えば拡大読書機を使い、かつブラインドタッチで入力する、拡大読書機を使うことを長時間やっていますと、船酔いをして気分が悪くなってしまったりするかと思います。その辺はどのようにクリアなさっているのかお伺いできればと思います。
A 仕事中の姿勢は非常に悪いと思います。自分の場合特に左肩がパンパンに張ります。最近はかなり慣れてはきましたが、始めの半年くらいは大変でした。慣れるしかないのかなという気がしていますが、これは上司に『ある程度集中してミスを少なくするために、多少休憩を取らせてください』と言いました。自分の場合は1時間やったら少し休憩して、机に座ったまま簡単な体操をしてリラックスしています。

2.在宅勤務で明るくチャレンジ  安達文洋さん

 安達文洋と申します。よろしくお願いします。在宅勤務というと何か暗い感じがするのですが、それを明るくチャレンジするということで私の体験をお話させていただきます。年齢は56歳で団塊の世代の末尾です。昭和48年に今の会社に入社して営業一筋、30年間輸出業務に携わってきました。会社は紙パルプの製紙を中心に印刷機械や化成品等の販売をしています。従業員は約700人で、紙パルプの輸出入に関しては業界1位となっています。そのような会社でこれまで積み上げてきた経験と知識を活かしながら在宅勤務で働いています。
 私どもの会社は7年前に約300人の会社と合併したのですが、その結果法定雇用率が未達成となり、人事のほうから「安達さん、そろそろ障害者手帳を取られたらどうですか。」と言ってきました。ちょっと考えましたね。すると人事のほうで「今の給料と職種、それから資格は現状のままでいいです。それと障害年金の受給も可能です。」ということでした。そのようないきさつで平成12年7月に網膜色素変性症で障害者手帳を取得しました。そのときに縁があって私どもの会社の所属している社会保険庁に新井さんが、そしてハローワークに工藤さんがいらっしゃって本当にいろいろと助けていただきました。会社としても中途視覚障害者の就労継続という初めてのケースでお二人には本当にお世話になりました。それから約2年間白杖も使わずに会社に通勤していました。しかし、会社側からは私の行動の様子から、「通勤が危険で困難であろう。」という理由で在宅勤務を打診されていました。しかし、毎日会社へ行ったほうが楽しいし、どちらかと言えばアフターファイブが楽しかったのです。そういうことで会社側の心配に反して逃げ回っていました。そして平成14年の6月、今でもはっきりと覚えていますが、月曜日の朝6時頃、上司から電話が入って、「安達君、今日は会社に来なくて結構です。」と言われ、「えっ、どういう意味でしょうか。」と聞いたら「今週いっぱい来なくていいよ。」と、それで電話を切られてしまい、頭の中は真っ白で、家内とともにそろそろクビかも知れないと非常に落ち込んでしまいました。そして翌週の月曜日に今月いっぱい自宅待機の連絡があり、悶々としながら何をすることもなく過ごしていました。
 それから2週間後、人事の担当本部長と自分の所属している事業本部長が、社内規定のコピーと雇用契約の書類を持って自宅に来られました。「今後は会社としては中途障害者の従業員のために在宅勤務が必要であれば認めるという規定を作った」という説明でした。その第1号に私が適用されたわけです。それと雇用契約というのは「今の身分保障を定年まで社員として雇用する。」という内容だったのです。この2つの書類は会社が1カ月ぐらいの間に弁護士やハローワークに相談して作成してくれたもので、私の現在の在宅勤務の母体となっています。恵まれた待遇で就労を続けることができ、会社に対して本当に感謝しています。その頃には目の状態は手動弁で光を感じる程度になっていました。読み書き、歩行移動は全くできませんでした。そして7月に1種1級の手帳を取得しました。
 1カ月間の自宅待機の後、在宅勤務の準備としてパソコン、スキャナー、電話、FAX、プリンター等が自宅に設置されました。業務内容としては、海外の紙パルプ関連の情報をインターネットで入手して英語の記事を日本語に訳すというものでした。私は30年間営業の輸出業務を英語中心でやってきましたが、英検とかの資格を持っているわけではありません。それでもやってみようと始めたのですが、皆さんもご存じのようにスクリーンリーダーで英語を読ませると変な発音をします。”paper and pulp”とあると、「パパエンドプルト」と発声して、こんな発音では判らないし本当に困りました。在宅勤務のシステムは揃ったのですが、実は目の見えているうちも、視覚障害者になってからもパソコンに触ったことがありませんでした。在宅勤務になる半年位前に、会社の私の机の上にやっとパソコンが置かれて、スクリーンリーダー等を設置して頂きました。ブラインドタッチでタイプは打っていたので、操作方法については会社のコンピュータシステムグループの人間に教えてもらいました。自宅にも月に1〜2回来て頂いて、テープにも録音して聞きながら習得しました。半年程でWordと翻訳作業の形が整いました。しかし、業務上の関連記事を訳すということはスピードが要求されるのです。情報は新鮮でなければ役に立ちません。特集記事になるとA4で10ページくらいあって、それを訳すのに2週間ぐらいかかってしまうわけです。半年ぐらいやってみたのですが、そういう面で困っていました。そこで海外店の英文議事録の翻訳が滞っているので、今度はそれをやってみました。これは毎週火曜日に届くのですが、それまでの仕事の内容も含まれていて訳しやすかったので、今はそれを中心にやっています。2つ目の業務はEUやアジアの社会産業情報や紙業界関連の情報を、メールマガジンからピックアップして会社に発信しています。3つ目は毎月海外店から市況報告が来るのですが、それに対するコメントを関連部署に発信しています。これはとても喜ばれています。4つ目は、会社に対する働きかけとして、職場環境の改善ということで、メンタルヘルスを実行すべきだと提案いたしました。そして今年の4月にその推進チームが立ち上がり、その社内研修のアドバイザーとして月に2〜3回出社しています。
 それから今年の4月から、コンピュータシステム関係を外注で社外で管理することとなりました。従って今まで私のシステムも含めてサポートしてくれていた社内のシステムグループは解散になりました。そのため、私が使っているシステムについては特別に、視覚障害者用システムの会社との間でビジネスサポートの契約をして保全管理を委託することになりました。
 在宅勤務には問題も課題もたくさんあります。一番問題になるのは会社としてはどうやって管理すればよいかということで、会社の在宅社員に対する信頼が非常に大事だと思います。私は毎月、勤務日報表を会社に提出しております。これは始業時間、終業時間、休憩時間、業務内容を記録したものです。朝9時から仕事を始めて10時過ぎにお茶を一杯飲んで、またお昼ご飯まで仕事をして、午後は3時頃にまた少し休憩して、7時まで仕事をします。気分転換にタバコを吸うためにベランダに出ます。それとトイレに行くことで1日の歩数は約500歩くらいでしょう。
 在宅勤務で私が得たことは自己管理と健康管理です。じっくりと自分を見つめ直したことが大きな自信につながっています。障害者であることを受容して、自分のできることとできないことを自己理解できたことです。朝から晩まで家にいるわけですから3度の食事やお茶など家内の負担は大きくなり、ストレスを感じていたようです。会社に行っている時には周りの人間がいろいろとやってくれました。今では簡単なことですが、火傷をしないでお茶を入れられるようになったことも大きな一歩です。
 それから趣味とかスポーツのことです。昨年の5月にNHKのテレビニュースでブラインドセーリングが放映されました。健常者とともに視覚障害者がヨットに乗っています。このニュースを聞いた時にすごく夢が広がりました。1カ月後にはその協会を見つけて行ってみました。初めてのヨット体験で、これは視力がなくてもすごいスポーツだと思いました。風を体のいろいろなところで感じるのです。それと座っているお尻と足の側面から伝わってくる潮の流れです。両サイドから聞こえてくる風の音、視覚以外の機能を集中して働かせます。これはもう乗ったらたまらなくなりました。練習場所は月に2回、土曜日に新木場、そして葉山と三崎口です。春日部から電車で2時間以上かかりますが、乗りたい一心で頑張って通っています。もう30回くらい乗りました。ヨットは集中力と体力が必要です。そのために筋力トレーニングやストレッチングなどの基礎トレーニングをしました。練習を続けたおかげで全日本ブラインドセーリング選手権大会に出場できました。結果は残念ながら最下位でした。実は来年世界大会がニューヨークのニューポートであります。それにチャレンジしたいと思っています。そういう夢を見て体も健康になり、1日500歩の生活もだいぶ改善されました。
 それから最後になりましたが、地域でボランティア活動をしています。中学校の福祉教育の中で、障害者に関する福祉という話をさせていただいています。これは3年も続いています。そのように地域の中にも自分を一歩踏み出しながら貢献しています。やっぱり健康第一、心身ともに健康でなければ何もできないということだと思います。
Q 私は今白杖で通っていますが、将来のわが身になるかもしれないと思って聞いていました。会社のほうで在宅就業規則を作られたとき、待遇を保障してくださるというお話でしたが、給与を含めて普通の扱いをしていただけたのでしょうか。
A 視覚障害1級になったときは2年間ほど現状維持でした。それで在宅雇用の契約を結んだときは2階級落ちました。まあ、これはしょうがない、それぐらいの能力しかないと思って、甘んじて受けました。そのときに弁護士に相談しましたが、弁護士の意見は、「ここまでやっていただけるのはすばらしい。でも一方的な話ですね。」ということで終わりました。非常にショックな内容でした。それでも雇用契約では定年まで契約するということで、給与面については2年ごとの見直しになっています。
Q 在宅勤務に変わられて最も変わった点、良好な人間関係を維持するために何に注意したか、そして在宅ワークのメリット、デメリットを再度お聞かせください。
A 人間関係においては、それまで一緒に働いていた人間が役職を取ると『俺自身ではなくてやっぱり役職だな』と痛感しました。そこで変わったことは、自分を見つめなおすことによって彼らにどれだけ迷惑をかけていたか、あるいはどれだけ理解していなかったか、逆の意味で彼らの痛みや悩みが見えてくるようになりました。今、彼らも相談ごとなどで私を待っていてくれている気がします。
 メリットは自由です。何時に寝ようが何時に起きようが、これはメリットでありながらデメリットでもあるわけです。だから自己管理が非常に厳しいし、健康管理も大変だということです。日課を規則正しく自分でコントロールするだけではなくて、外的要因からプレッシャーをかけることもできます。朝6時ごろに起きてまず散歩に出かけます。その後、8時20分ぐらいまで朝食を摂りながらラジオからいろんな情報を入手しています。これも外的要因というか、それを聞かなくちゃいけないという状況を作り上げていきます。新聞を読めないので一般情勢を知るためにニュースを聞きます。それから8時20分から中国語をやっております。これも6年ぐらいになりますが、NHKのラジオ講座を20分間聞いています。このあと40分からラジオ体操が運良くあるんです。私は、第2体操ができないものですから、首の運動を終わった後、ストレッチ体操をして、それから片足上げ、足踏み体操などをしていますと9時になります。9時になるようにしているんです。9時からパソコンを開けて仕事が始まり、やがて1日の仕事が終わるわけです。夕食はNHKの7時のニュースに合わせるようにしています。
 1日をマスコミという外的要因に合わせてリズミカルに生活しながら、頭はヨットのことを考えつつ週末を迎えております。そういう面では、デメリットをメリットにしていく方法もあるのかなと思います。
(まとめ:幹事・杉田ひとみ)


【職場で頑張っています・その1】
「社会人一年生」

NTTクラルティ株式会社 業務部WEBサイトグループ
伊藤 一真

 私は、2004年7月に設立され、2005年4月1日に営業が開始されたNTTの特例子会社、NTTクラルティ株式会社に4月1日より採用され働いています。
 先天性緑内障で物心ついたときには右目は見えませんでした。当時は左目の視力が0.2程度ありましたが、大学入学後、1年目に病気が進行し、現在は0.03を維持しています。このときに身体障害者手帳を申請し、現在、視覚障害2級です。
 大学在学中、ハローワークへ行き、地元の企業の求人をさがし、就職活動もしましたが、就職することはできませんでした。そこで、首都圏での就職を考えました。まず、一人暮らしのことを考え、国立塩原視力障害センターで生活訓練を受けました。それから、国立職業リハビリテーションセンターで職業訓練を受けました。
 生活訓練では、歩行、点字、調理、ロービジョン訓練などを受け、一人暮らしのための準備をしました。特に歩行と調理は、日常生活の中で必要不可欠なものなので、訓練を受けて自信がつきました。職業訓練では、主にプログラミング、htmlを勉強しました。
 現在、私が携わっている業務は、障害者・高齢者向けのポータルサイト「ゆうゆうゆう」の運営とwebアクセシビリティチェックです。
 パソコンにはスクリーンリーダーにJAWS、PC-Talkerを、webブラウザにIBMホームページ・リーダーを、また拡大ソフトにZoom Textを導入しています。各スクリーンリーダーを併用して記事の作成をしています。記事の作成は、エディタを使うことがほとんどですが、資料の作成には用途に合わせてWordやExcelも使います。アクセシビリティチェックは、JAWS、PC-Talkerに加え、IBMホームページ・リーダーを用いてチェックしています。音声だけでチェックできないところは、ソースを見てチェックします。
 社内には、たくさんの障害のある人がいます。聴覚に障害のある人とは、メッセンジャーソフトを使ってコミュニケーションをとったり、手話で伝えたりします。そうすると、私が見えていないことがわかっているので、メッセンジャーで返信をくれたり、発話で対応してくれたりします。このようにしてコミュニケーションをお互いとる努力もしています。
 私は、今年の春から働き始め、社会人として一歩を踏み出したばかりです。わからないことがたくさんあり、会社の中で悪戦苦闘の毎日です。5W1Hや報告、連絡、相談など、頭でわかっていてもなかなかうまくできなかったりしています。こういったものを当たり前のようにできるよう努めていかなければと思っています。
 私が社会人として一歩を踏み出すことができるようになったのは、周囲の多くの先輩の方々が支援してくださったことが大きく、感謝しています。まだ、社会人一年生で、わからないこともたくさんありますが、社会人として一人前になることが当面の目標です。


【職場で頑張っています・その2】
「中途失明、相談員として再出発するまで」

宇田川 昌寛

 思い起こせば7年前、あれは5月の薫風香る初夏のことでした。私は入院先の病院で光を失いました。眼の治療を始めてから2年、8度目の手術の末のことでした。失明の事実を知った時にはどんよりした得体の知れない塊が胸中に充満したような気持ちがしたものでしたが、さりとて怒りや悲しみといった激しい感情は沸き起こりませんでした。ただ逃れようの無い現実に囲まれて茫漠とした感覚にとらわれていました。聞けば、入院を経て失明した方々の多くが担当医を憎んでいると言います。私はと言えば、私の担当医は若く美しい女医さんでした。私が失明という帰らざる点を通過した直後にも周囲に「ありがとう」を言い続けられたのは、先生のおかげだったと信じています。はっきり申しまして、私は先生に岡惚れしていました。こうして私は半年に及ぶ入院生活で失明と失恋を同時に体験した後、新たな境地を開拓すべく、再び人生行路へと踏み出したという訳なのです。  退院3カ月後の秋、私は栃木県にある国立塩原視力障害センターに入所し、約半年かけて生活訓練を受けました。パソコンと出会ったのもこの時のことです。そしてこの訓練期間を経て、学校へ行き直して勉強することを決めました。何の当てもありませんでしたが、もう一度学校へ行って社会福祉を学ぼうと考えたのです。センターの先生が応援して下さったのも強い心の支えとなりました。
 明けて3月、センターを卒業すると、かねて決めていた大学の聴講生として通学し始めました。1年間は準備訓練に充てるつもりでした。何より、地元市原市から港区の学校までの単独通学に慣れるにはそれくらいの期間をかける必要があると思ったのです。そして翌春、晴れて社会福祉学科に編入の運びとなりました。編入1年目は横浜校舎に通わなければならないなど、聞きようによっては大変なこともありましたけれど、何となくという感じで、普通より1年余計にかけて卒業年次にこぎ着けました。この間、歩行訓練士、朗読ボランティア、学友、教職員など様々な、そしてたくさんの方々から物心両面に渡る支援の手を差し伸べ続けて頂いたことはいくら感謝してもし足りないくらいです。
 卒業年次には言わば最大のイベントでもある社会福祉士試験が控えています。これがまた中々一筋縄ではいかず、試験センターとはすったもんだの交渉で、受験前にあらかたのエネルギーを費やしてしまった思いで、寒中1月下旬に、試験教室の席に着くことになったのでした。幸いにも合格する事ができたのは、偏差値教育で体得した一夜漬けによるところ大と言えそうです。改めて現代の教育制度の功罪に思い至ります。ともあれ、こうして社会福祉士資格と卒業証書を手に、ようやく2年前の4月、社会人としてのスタート地点に降り立ったのでした。
 学校にしろ試験にしろ、金を払うのはこちらでしたが、社会人となれば立場は逆になります。いきなり独立自営する術を持たぬ以上、どこかの組織で働く事になりますが、卒業ギリギリまで仕事は見つかりませんでした。しかしここでも幸いに、講義を通して知り合った方から、都区の共同事業であるホームレス自立支援事業の一端のシェルターでの仕事を紹介して頂けました。「緊急一時保護センター」と呼ばれる施設です。非常勤職ではありましたが、在学中よりしばしば寄せ場に出入りしていたこともあり、この仕事は非常に魅力的でした。私は卒業後2カ月を経て今度は大田区に通勤することになったのです。ただ業務上必要なパソコン能力が不足していたため、当初数カ月は、幕張の障害者職業総合センターでパソコン訓練を受講しながらの就労となりました。仕事は、路上生活から様々な思いを持って入寮して来られた方々と面接をし、今後の身の振り方を一緒に考えるというものでした。本人の履歴書や健康診断の結果などの事前資料は、他の相談員などに朗読してもらいました。記録はパソコン入力ですが、作図箇所はコーディネーターと呼ばれる業務管理者に描いて頂きました。このように視覚に頼らなければ解決できない部分などを周囲から援助して頂いたおかげで、業務の本筋は、他の相談員と同等に単独でこなすことができました。しかし、私が援助を受けたのは職場に限ったことではありません。毎朝通勤する駅での乗り換え、改札からバス停まで、バスを降りてからと、いろんな所でいろんな人の手が差し出されてきます。そのうちには私を見知って下さって、見れば必ず声をかけて下さる人も何人も出てきました。歩くたびに支援の輪が広がっていくような気さえしました。
 こうして2年余り、様々な人生をお聞きし、新たな人生の再出発のお手伝いをほんの少しばかりさせて頂いて参りました。そして今、私は市川の児童相談所に勤務しています。この9月より非常勤の電話相談員として働き出したのです。もっとも、現在はまだ研修中であり、実務には就いていません。これからどんな事に出会うのか、どんな人とふれあうのか、楽しみと言うより不安のほうが多い毎日なのです。
 さて、今はまだその時ではない事を承知の上で、この7年余りを振り返ってみれば、頭をよぎる事も無いわけではありません。『目が見えなくなったって努力すれば健常者と対等に渡り合えるんだ。僕にもできる事がきっとあるはずだ』。私はそんなふうに考えていたように思います。どうなのでしょうか。勿論、自分を高める努力は、障害の有無に関わりなく崇高な事です。しかしそれとは別次元の事として、私には障害を負った事で自分自身がかつてより低い存在になってしまったという思いがあったような気がします。だから、その低くなった分を努力で補ってかつての自分に近づけようと考えていたのでしょう。この発想は、努力して健常者に近づく事ができれば社会からも受け入れられるという考え方に置き換える事ができます。これでは自分で自分を蔑んでいるのと同じですね。『障害を乗り越えて』なんていう美辞麗句から自分もそして社会も解放されたら、本当の意味での自由を手に入れられるのかもしれない、今はそんな気がしています。


【寄稿文】
「音声パソコンテキストの完成にあたって」

信楽園病院視覚障害リハビリテーション外来(新潟市)
山田 幸男

 1人の目の不自由な人の自殺がきっかけになって、私達は1994年5月に信楽園病院に視覚障害リハビリテーション外来を開設しました。開設半年後に受診し音声対応パソコンを習いたいという人の夢をかなえるために、パソコン教室を作る決意をしました。
 音声パソコンがどのようなものかも知らない私達でしたが、日本盲人職能開発センターの篠島永一先生や高知システム開発さんのご協力で1995年6月にパソコン教室をスタートすることができました。
 教室を始めてみるといろいろな変化が現れてきました。パソコンを教わりたい人やボランティア活動をやってみたいという人達が増え、毎回30〜40人の人が集まるにぎやかな教室になりました。病院の中でもっとも笑い声が多い部屋になり、目の不自由な人の交友の場、情報交換の場、そして心のケアの場に様変わりし、パソコン教室は心のオアシスといわれるようになりました。
 教室の体制も変わりました。最初は晴眼者が教えていましたが、だんだんと目の不自由な人も目の不自由な人の指導にあたるようになりました。さらには、目の不自由な人が晴眼者の使うワードを勉強して、高齢者や肢体不自由者に教えるようになったのです。驚きでした。これは、目の不自由な人の自信回復になり、周囲の人の誤解を和らげるのに役立ちました。
 しかし、指導の立場にあった坂上さんや伊藤君が就職をして新潟を去ると、パソコン教室のレベルの向上がみられなくなり、むしろレベルダウンするようになりました。
 教える人のレベルアップのために、また教わる人が少しでも楽に習えるようにするために、パソコンのテキストが必要でした。幸いにも、開設時より本越純子さんを中心にスタッフの皆さんがマニュアルを作ってくださっていたので、それをもとにこの度パソコンのテキスト「視覚障害者の初めてのパソコン教室」が完成しました。
 本書には、ワープロ、電子メール、インターネット(ホームページ)、手紙やはがきの書き方、活字文字読み取り装置の使い方などを、書いてある手順どおりに操作すればパソコンが使えるように、手順を順序だてて、論理的にわかりやすく書きました。さらに、目の不自由な人には今後一層必要性が高まる拡大読書器と携帯電話についても簡単に紹介しました。
 パソコン教室のもう一つの大きな役割に心のケアがあります。集まってお茶を飲んだり、おしゃべりをする場です。そのような場づくりの参考になるように、私たちの教室の沿革や現状も紹介しました。
 本書は、おもに晴眼者が視覚障害者にパソコンを教えるための指導書として作りましたが、視覚障害者にとって必要度の高いページについては、ある程度視力の残っている人にも読めるように大きな文字にしました。

 本書が、目の不自由な人のコミュニケーションの輪を広げ、仕事の継続のために、さらに元気を取り戻すために役立つことを期待しています。

書名 『視覚障害者の初めてのパソコン教室』
 〜音声パソコンで広がるコミュニケーション〜
編集 山田幸男
出版 メディカ出版
●本書の内容に関する問い合わせ先
新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会
〒950-2087 新潟市有明町1-27 信楽園病院(内)
TEL:025-267-1251
FAX:025-267-3199
ホームページ:http://www.fsinet.or.jp/〜aisuisin/
Eメール:aisuisin@fsinet.or.jp
定価(本体2,800円+税)


【お知らせ】

●1月交流会
日時:平成18年1月21日(土) pm 14:00〜17:00
会場:日本盲人職能開発センター
講演:「視覚障害を持つ人のモビリティー内的要因と外的要因」
講師:清水美知子氏
プロフィール
1975 歩行訓練士養成プログラム修了
2002年まで20年間視覚障害者更生施設施設長
現在は病院の視覚障害リハビリテーション外来、学校,地域で歩行訓練 や相談を行っています.

●3月交流会
日時:平成18年3月18日(土)  14:00〜17:00
会場:日本盲人職能開発センター
講演:演題未定
講師:丸山直樹氏(NTTクラルティ株式会社社長)


【編集後記】

 本年度は37号に始まり、年末に41号を発行することができました。年度内に42号が出せると思いますので、年に6回発行することとなります。
 発行回数が多ければいいということではありませんが、10周年記念式典の際に行なった分科会報告が内容的に充実したものとなり、多くの人から中身の濃い会報です、と好評でした。本号も同様に充実しています。
 ところで、「前向きに生きる」とか「プラス思考」などといいますが、どのような考え方をすればいいのでしょうか。随分前のことですが、交流会(99年9月)の講演で次のようなことが話されていました。
 ーー 例えば、1万円というお金がありますね。これをある人は1万円しかないよと、こう思う。つまり、満足できていませんから、その人は不幸なわけです。ところが、いやあ、こんなに1万円もあると、貴重な1万円だなと、こう思う人は心が豊かであるから幸せになれる、と。「も」と思うか、「しか」と思うかで、人生がらっと変わってくるんですね。「も、しか」の哲学なんていうことをいう人もいますけれども、「1万円も」か、「1万円しか」かでもって人間の幸せ観は変わってくる。 −−
 まさに、この考え方こそ、プラス思考だろうと思うんです。見えなくなってくると、「あれもできなくなった、これもできなくなった」とマイナスに考えがちです。「これしかできない」と考えるより、「これもできる」と考えたほうが良いよということですね。ゼロからの出発、上乗せ、プラスの考えです。「あれもできるようになった、これもできるようになった」と。見えなくなっても、訓練しだいで、「できなくなったことが、できるようになる」ことはたくさんあるわけですからね。
(事務局長 篠島永一)

中途視覚障害者の復職を考える会【タートルの会】会報
『タートル41号』
2005年12月10日発行 SSKU 通巻1972号
■編集 中途視覚障害者の復職を考える会 会長・下堂薗 保
■事務局 〒160-0003 東京都新宿区本塩町10-3
     社会福祉法人 日本盲人職能開発センター 東京ワークショップ内
     電話 03-3351-3208 ファックス 03-3351-3189
     郵便振替口座:00130−7−671967
■タートルの会連絡用メール m#ail@turtle.gr.jp (SPAM対策のためアドレス中に # を入れて記載しています。お手数ですが、 @ の前の文字を mail に置き換えてご送信ください。)
■URL=http://www.turtle.gr.jp/


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