会報「タートル」34号(2004.12.12)

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2004年12月12日発行 SSKU 増刊 通巻第1637号

中途視覚障害者の復職を考える会
タートル 34 号


目次

【巻頭言】
「こだわらず、仲間こそ力」

幹事  藤井 貢

 突破口が見出せず、展望のない(と思っている)日々を暮らしていると、どうしても後ろ向きになります。が、就労するにしても、新たな道を切り拓くにしてもしんどさや辛さが頭いっぱいであったり、それを表に出したのでは、とても良い結果はかないません。余裕が必要なことは頭ではわかっている…。どうしても乗り越えられない…。
 何をするにしても、新たな挑戦には冒険がつきものです。辛さや恐れを軽々とこなす強さはだれにでも必要な力です。では、その勇気は何処で手に入れるのか、結局のところ仲間こそその力ではないでしょうか。
 タートルの会に集まる仲間は、励ましてくれたり、慰めてくれるわけでもありません。ただ自分の体験や、思いを語ってくれるだけにすぎません。時には、近況報告をするだけということもあります。それでも、初めて参加する仲間は、「皆明るいのに驚いた。」といって元気に帰っていく…。次からは、それが当然のように元気に参加して、新しい仲間に驚きを与えている…。それが巧まざる仲間の力です。
 11月20・21日、名古屋で地域交流会が開催されました。「働いて輝くぞ!」をテーマに、若い方々の、将来に向かう夢と弾くような喜びが基調となった、さわやかな交流会でした。
 家族の将来と生活をいかに切り拓くかという辛く厳しい現実を抱えた中高年には、もっと苦難をどう切り抜けてきたかという話こそ大切なのに…と、もの足りなさを感じた方々もいらっしゃるかもしれません。体験発表をされた若い方々は、本当は隠れた努力や苦労があるはずなのに、希望をこそ語ってくれました。恐れや責任の重さを軽々とこなせる若さ故の強さがあるのかもしれません。だれもが同じ状況じゃないし、抱えている課題も大きく違うわけで、今、発展しようとしている「成功(と言っていい)」事例のようになれるわけでもありませんが、学ぶものはたくさんありました。体験を発表してくれた方々は、「結局何に囚われているの?」と問い掛けてくれているのではないでしょうか?
 そうです。就労=勤め人ということにこだわって、自分の選択の幅を狭めてはいませんか、初めから自分の可能性に蓋をしていませんか、という問題提起だったのです。もう就労はかなわないのではないか、という恐れや不安…そんな気分を軽々とこなす若さは、ホントに眩しい(まぶしい)ですよね。
 こういう体験報告もやっぱり、勇気を与え、新しい自分を支えてくれる仲間の力なのです。自分を否定したり焦ったりする必要は(現実は重たいけれど…)ホントウはないですよね…。交流会や、総会、そんな場ばかりが仲間との出会いではありません。もっと互いに近づきあい、深く親密な関係を築くことが自分の力の源泉になるのだと感じています。なにも、眉間にしわを寄せて難しい議論をするばかりがよいとは限らないのです。仲間、互いを分かり合える関係こそが大切なんだと感じる…、そんな関係こそがタートルの会ではないでしょうか。


【9月交流会記録(2004/09/18)】
<こんな仕事をしています 第5弾>

○新井 今回は「こんな仕事をしています」第5弾です。新規採用や復職してから、このような仕事を、こんなふうにしているんだというお話をしてもらいます。また、就職してから4年たって今までの仕事、4年前からどうなのか、というようなお話もしていただきます。
 やはり僕たちは、見えなくなって見づらくなってどんな仕事ができるのかという、これが一番の大きな問題だと思うのです。その辺について具体的なお話を3人の方にしていただきます。また、最近職場内のネットワークがすごく普及してきましたが、どう私たちがアクセスしていけるのか、それをどう活用できるのか、いろいろな問題点が提起されていますので、そのようなこともお話をしていただければと思います。
 まずお話していただき、続いて質問をしてもらい、そのあとみんなで質疑討論していきたいと思います。会場からもぜひ質問をどんどん出していただければと思います。
 それでは最初に、嶋垣さんから現在の仕事を中心にお話していただきたいと思います。

○ 嶋垣 皆さん、こんにちは。嶋垣と申します。生まれは日本海側で新潟です。新潟市内で生まれまして、おととし、平成14年に職場に戻るということで、関東の方に家族共々引っ越してきました。年齢は1961年生まれ、昭和36年ですので43歳です。
 きょうは「こんな仕事をやっています」というテーマと伺いましたし、ネットワークの接続というテーマがあるということでしたので、その辺も自分なりに考えてきました。時間も限られていますので、大体大きく4つについてお話しようと思っております。そのうち3つは「私がこんなことをやっています」という内容です。もう1つについては、自分なりに今やっていることをお話しようと思いますが、やっぱりいろんなことが考えられるのではないかなというようなところを逆に皆さんからも、お教えをちょうだいしたりして、ディスカッションができればいいなと思っています。
 1つ目の話ですけれども、平成12年6月、だからまだ4年ぐらい前ですけれども、初めて視覚障害者ということで、身障者手帳をいただきました。
 当時はまだ3級ぐらいだったのですが、翌年には実は2級がやはりあった方がいいと、周りの人にいろいろ言われて2級をいただこうかなと思って、所沢の国立身体障害者リハビリテーションセンター病院のロービジョンクリニックに行って診断書を書いてもらいました。当時新潟に住んでおりましたので、新潟の役所に申請を出しましたら、「1級です」と言われまして、いやあ1級かと思って、何とも言えない複雑な感じで帰ってきたのを今も覚えております。
 仕事は18歳で高校を出ましてから、ずっと同じ会社に勤めています。ちょうど来年で25年なんです。四半世紀、よくこの会社が雇ってくれたなというのが実感です。
 入社してから目が大分悪くなるまでずっと営業をやっておりました。勤めているところは、中堅の化学関係のメーカーで、営業という仕事ですから、やはり外へ出ていろいろお客さんと折衝したり、時には夜一杯やったり、時にはグリーンの上を歩いたり、そういうことなどもありまして、どちらかというとかなり行動的なことをやらなければならない仕事でした。
 そういうような形でずっと18年、19年ぐらい営業をやっていましたが、やはり車の運転なども非常に厳しくなりまして、上司などにいろいろ話をしました。実は、私、休職を1回もしていないんです。
 たまたまその上長がいい上長だったんだと思いますけども、在宅勤務という処遇に1年あまりしてもらいました。在宅勤務っていいましても、仕事しているわけじゃなくて、それに入る前に、例えばこういう職業リハビリテーションを受けたいとか、こういう生活訓練を受けたいとかというものを、レポートとして出しました。
 うちにいて遊んでいるわけじゃなくて、たとえば千葉の幕張の障害者職業総合センターに行ったり、こちらの四谷の日本盲人職能開発センターの短期のセミナーなどを受けたりということを、自分なりに組んで、いろんなことをやらせていただきました。
 今、パソコンなんて一丁前なこと言っていますけれども、在宅勤務に入る前は、まだどうしてもマウス使って、大してよくも見えない目で文字を追いかけながら、メールなどをやったりしていました。大分きつかったんですけど、きつくてもなかなか、キータイピング、ブラインドタッチを全然できなかったんです。
 最初はやはりブラインドタッチをやらなきゃならないということで、それを約1カ月、地元の障害者職業センターで教えてもらいました。もともと余り過度な期待はしない方ですが、ただ、これだけはどうしても、例えばこの1カ月で何とかしたいとかいうものは、ある程度明確に持っていたつもりなので、その辺は結果としてよかったかなという気はしています。
 目的をはっきりして、いろんなことに取り組んでいくということは、その後の、仕事で戻ったとき、あるいは新たに就職したとき、そういう姿勢があると結構何とかなるものだなっていうことを得られたのは非常によかったと思っています。
 所属部署は経営管理室人事グループにいます。人事というと人を採用したり、研修をやったり、そういう感じでとらえられがちなんですけど、僕の仕事はどちらかというと庶務です。
 会社の機構図を見ますと、庶務というのは大体書いてあることが同じなんです。それはほかの、例えば人事、営業、開発などいろいろな部署がありますけども、そういうところではやっていない仕事と書いてあるんです。極端なことを言えば、何でも屋みたいな形で、流れの仕事というよりは、新入社員の仕事とか、あるいはそんなに急ぐわけではないが、だれかがやらなければ困るというような、そういう仕事が結構ある部署なんです。結果的に僕は非常によかったなって思っている部分もありまして、ある面では自由がきく部分だし、そんなに納期だとか、そういうものも追い立てられるわけじゃありませんから、非常に気分的に楽なんです。
 きょう皆さんに聞いていただこうと思っているのは、実は私の隣に脳性麻痺の女性がいまして、先週、パラリンピックの陸上に出るということでアテネに旅立って行きました。実はパラリンピックって、大したものなんですね。会社でも、パラリンピック壮行会というのを近所のホテルでやりました。
 その中で、「この子を応援するホームページをつくってくれないか」とか言われました。パラリンピック期間だけですから、今月いっぱいぐらいで閉めますが、社内のイントラネットに載せています。パソコンで、ホームページリーダーで流しますので、こんなのつくっていますっていうのを聞いてもらおうと思います。

(ここからホームページリーダーの読み上げ)

 ホームページリーダーを使っている方はおわかりだと思うんですが、私の職場も、ほとんどの情報をイントラネットを使って共有しています。たとえば手続き用の書類などをダウンロードするようになっています。工場の関係でも、安全データシートなどいろんなものがありますが、そのイントラからダウンロードして使うようになっています。
 従来は紙ベースでいろんな情報を回すというのが普通だったと思うのですが、今はもう、紙で文書をまわすなんていうことはなくなってきています。こういうインターネット、イントラネットという非常に便利なものが、ここ数年、どんどん職場の中にも入ってきまして、私なんかでも、ちょっとその気になればそれなりのものができるっていうような状況になっています。
 固定の業務を持っている方は、やはり1日や2日没頭してホームページをつくることは、なかなか時間がとれないと思いますので、自分でやる分についても、ネットワークにアクセスするのが難しいとか、難しくないっていうんではなくて、自分でアクセスしやすいようなページを自分でつくって、それをほかの人にも共用してもらうことができるわけなので、ぜひそれは今後も活用してやっていきたいなと思っています。
 いろいろな申し込みもイントラの中でしてもらうような形になっています。単に一方通行の情報だけじゃなくて、相手から情報もらうにも電話とか、ファックス、面談などいろいろありますけど、その中でやはりメールでいただくというのは、音声で大体内容が把握できますから、相手から情報いただくにしても、イントラというのを非常にうまく使うような形でやっています。
 もう1つは、労働関係の法律があって、その中には労働基準法、労働安全衛生法、労働組合法などがあります。ある程度の規模の事業所になりますと、その労働安全衛生法の規定で衛生委員会というのを置かなければならないのです。これはどちらかと言いますと勤務環境あるいは年に1回定期健康診断を皆さんに受けていただくということをやっています。
 東京都内に通勤している人でもお住まいは埼玉、神奈川、千葉などですね。だから健康診断もできるだけ社内に検診センターを呼んできて、そこでやってもらうような形をとったりしています。そんな健康診断の企画をやったり、法令上月に1回衛生委員会を開くとなっていますので、その事務局をやっています。
 10月に入りますと、今度全国労働衛生週間というのが始まります。この間の警察庁の発表で年間の自殺者が3万5000人近くになっています。交通事故で亡くなる方というのが8000人を切っているということですので、これを大幅に上回ります。
 メンタルな部分で長期に休んでいる方がいたりしますので、ここ最近、衛生委員会の中身が少しずつ変わってきまして、健康づくりやメンタルヘルス対策などをやるようになってきています。
 そんな中、成人病予防セミナーやメンタルヘルス研修を去年あたりからやらなければいけないということで、特に衛生委員会の仕事の中ではそれを中心に、今一所懸命やっています。衛生委員会などといってもなかなかイメージがわかないと思いますが、その内容は公開義務がありますので、イントラネットの中に衛生委員会のホームページを設けて従業員の誰でも見ることができるようにしています。
 そこに毎月毎月、委員会を開いた後に議事録を載せるのですが、それを聞いてもらおうと思います。

(ここからホームページリーダー音声読み上げ)

 5年くらい前にはとっても考えられなかったことですが、ネットワーク、インターネット、イントラネットは、組織にいる限りどんどん入ってきます。これだけパソコンというものが普及してきて、もうメールの送受信なんていうのは、通常の会社であれば、ほとんどの方がやらなければ仕事にならないという世界になっていると思います。特に我々もメーカーですので、海外とのやりとりもありますから、地球の反対側のところでも、メールというのは瞬時に到達するような世界になっています。つらい部分も確かにないわけじゃないですけれども、それをうまく使うということは非常に便利がいいというふうに思います。
 最後に一言だけいいますと、いろいろ大変なこともあるとは思いますが、世の中の環境はいろんな部分が変わってきています。我々の場合、ある面では、ちょっと先を読んだ方がいい部分があるのかなと職場に戻って思っています。
 流れの中に巻き込まれるというのは、非常に大変なことですけれども、小さな流れでもいいから自分の流れみたいなものを組織の中に生かしていければいいのかなと思っています。

○新井 2人目のお話は田中祐二さんです。田中さんは4年前にお話していただきました。新しい方にどんどん話していただくと同時に、1回お話した方が数年たって仕事がどうなったのか、問題提起された点はどうなったんだろうということで、田中さんに再度お話をお願いしました。田中さんから「4年前と同じ仕事をしていますよ」という返事をいただいて、非常にそれがうれしかったし、頑張っているんだなということを感じました。
 田中さんは、4年前からネットワークのアクセスの問題も既に提起されていまして、その2つで、またぜひ田中さんにお話していただきたいということになりました。4年前の話を聞いている方は、ここにはせいぜい数人だと思いますので、新しいお話として受け止めることができるんじゃないかと思います。

○田中 田中祐二です。最初に、少しお話しておきます。PC上で動いているスクリーンリーダーが、グループウエアに悪影響を及ぼすかどうかということについてですが、そんな話は聞いたことがないのですがどうでしょうか。グループウエアというのは、たくさんのクライアントといって店子みたいな扱いで、いわば子分がくっついているわけで、子分であるパソコンの上で動いているソフトがグループウエアに悪影響を及ぼすなんていうことは技術的に考えられません。
 私は年齢は31歳です。生まれつき弱視で、小学校は弱視学級というのがついた普通小学校に通っていました。中学から盲学校に進みまして、中学2年で一応全盲ということで、今に至っています。
 4年制大学を卒業して、運よく株式会社オービックというコンピューターの、いわゆるシステムインテグレーターといわれる会社に入社できました。企業向けに基幹ソフトなどを売っている、要するに企業向けにパソコン、コンピューターのものを一通りやる会社です。私は技術者ではなくて事務を担当しています。私が所属しているのは業務部で、やっているのは営業事務だと思ってください。
 どんな仕事をしているかというと、大ざっぱに言って会社の数字を管理する仕事です。営業マン一人一人がどのぐらい受注をあげたのか、どのぐらい売り上げたのか、コスト、要するに外注とかを使うことでどのくらいコストがかかって、最終的な利益はどのくらいなのかというのを、数字として一通り管理します。一通り管理しているものですから、そこからいろんな資料をつくれといわれます。
 月に1回会議があると、会議の資料をつくったり、週に1回、先週どのくらい受注が出たのかというのが見たかったら、週報といって報告を出したり、要するに大もとを管理しているものですから、そこからいろんなものを出して経営者や組織の長である人にこのぐらい数字が出ていますよ、あなたのグループは目標に対してこのぐらいですよというのを伝える、それが大きな仕事です。
 使用環境ですけれども、コンピューター、普通にウィンドウズのパソコンに95リーダー、今XPリーダーっていうんでしょうか、それを入れ、今、販売停止になりましたけど、アウトスポークンというソフトを乗せています。このソフトはいいですね。今はJAWSというのが売り出されました。JAWSはすごく便利ですね。
 ただ、うちの会社は困ったことに社内ネットワークをウェブで構築していないものですから、ロータスノーツという、ロータス社のグループウエアを、結構普及しているそうなんですけれども使っています。
 それを使わないことには出勤簿も押せませんし、休暇届けも出せません。もちろん社内のいろんな書類、私は直接関与していませんけど、営業マンが売り上げたときに出す伝票とか、そういうのも全部ロータスノーツ上で出されていまして、ノーツが使えなきゃ仕事ができない、そんな状態です。
 一応アウトスポークンという今、売っていないソフトを使えないことはなかったんですけど、今JAWSというソフトをIBMが売っています。IBMは「ノーツはしゃべります」と言っていますから、しゃべると思います。
 うちのノーツはしゃべらないという場合は、IBMに責任をとってもらいましょう。ロータスノーツというグループウエアは実は一辺倒じゃないんですね。カスタマイズといって、使うネットワーク管理者の趣味によって、いろんな構築の仕方があるもんですから、例えばオービックではしゃべるけど、他の会社ではどうかというのはちょっと責任が持てないんです。それはもうケースバイケースでいくしかないのかなと思っています。
 だから「私のやり方はこうです」と言っても、ここで「ああ、じゃあ、いいことを聞いた。うちでもやろう」としても、田中は責任を取れない可能性がありますので、コンピューターの技術に関しては違うことを参考にされた方がいいかもしれないですね。
 私のしていることはこのくらいです。

○新井 それでは最後に、川崎市でお勤めの伊藤さんからお話をしていただきます。伊藤さんは随分前からメーリングリストで問題を提起されて、大変ご苦労しながら仕事をしています。今、どんなお仕事をしているのか、ネットワークのアクセスの問題も含めてお話していただきたいと思います。

○伊藤 川崎市盲人図書館の伊藤と申します。
 私の仕事ですけども、盲人図書館ということで、川崎市直営の点字図書館です。点字図書館で視覚障害者が働くというイメージは、点字図書の校正、読み合わせ作業を、朝から晩までやっているということが多いわけで、今でもまあ、大分多いんだろうと思います。
 事務補助者が入ったことによって、例えば図書の性質を見て、どういうふうに点訳で処理するか決めたり、講座を企画するのにいろんな依頼状をつくったり、出張したり、そういう講座関係の支出の手続きをやったりしています。
 それから、本来業務ではなかったんですが、ナイーブネットという点字図書館のネットワークに、dBASEだったんですが、以前、別の形で管理されていた図書を移行するのに、CSVファイルをつくることをエクセルでマクロなども使って、並びかえるということもやっていました。
 そういう中で庁内LANが導入されてきているわけです。イントラネットはどんな機能があるかということですが、出張命令の関係、出張命令書の入力、いろんな電子決裁、健康診断の日程の調整などがあります。それから将来は人事評価制度の目標の入力や結果の通知なんかもシステム化していくということになっています。それから当然メールなんかもあります。
 ウェブ方式なんですけども、ウェブ方式だからといって安心しないでもらいたいと思います。また、スクリーンリーダーなどがあまり知られてないっていうことですけど、うちの職場ではスクリーンリーダーは昔からあって知られていました。
 では知られているから大丈夫かというと、そんなもんでもありませんという話をしたいと思います。
 イントラネットが本格的に稼動したのは2003年の4月です。何年か前に、障害をもった組合員の意見を反映しようということで、労働組合のレベルで定期的な集まりをもっていて、たまたまそこの健常者の仲間で、障害があるなしにかかわらず参加できるということでやっているんですけど、システムの開発の情報がすごく入ってくる立場の人がいたんです。
 その人が「2〜3年先にはもう電子決裁になるよ」という話をしまして、組合で問い合わせをしたら「ウェブ方式だし、一般的なつくり込みをしています。特殊なつくり込みではありません」ということだったんですね。しかし、皆さん苦労されているという話を聞いていましたから、いや、そんなものじゃないので、ちょっと検証させてほしいということになりました。
 それで、バリアフリー研究会を立ち上げ、4月から7月まで3カ月だったんですけども、そこにはシステム企画課、人事課、各局、組合、それから行政当局にも呼びかけて、各局から各障害別に、それぞれが集まって研究会という形で検討しました。何をやったかというと、実態把握ですね。つまり、それぞれの人がどういう環境で使っていて、どんな配慮をすればいいのか、ということを話し合いました。
 ホームページリーダーのデモをIBMの方もお呼びしてやったり、日立のグループウエアのデモをやったりしました。でも何かデモ用の機械を入れるための予算要求の資料づくりという感じもあって、何か7月までバタバタとやって、報告書を適当にまとめて、それで終ったという形でしたので、参加者はすべて継続をと意見を出したんです。
 けれども、その後、継続はされていない状態で、しかも、ではイントラネットはどういう方式になるのかと聞いたんだけど「まだ決まっていません」という話でした。心配していたんですが、全然システムの方も話に乗ってこなくて、これはちょっとPRした方がいいということで、例えば、95リーダーなんかでも、こういうつくり込みをすれば音が出ますよっていう資料も用意しました。
 それは幕張の障害者職業総合センターに問い合わせていただいたりして、システム企画に送ったり、組合でやりきれないところは何とかしようということで、自主研修グループをつくっているんですけど、そこで職員文化祭にラビットの方をお呼びしたり、パソコンボランティアの方をお呼びしたりして、音声パソコンや肢体障害者のパソコンのデモをやって、システム企画課にも大量にチラシを持っていきました。
 こちらとしては十分PRをしたつもりだったんです。ところが、2002年の10月にまず旅費システムから本格稼動するよという話がその年の夏前にあって、これは心配だということで、音声環境で試させてほしいという話をしたんですけども、あまり乗り気ではなかったですね。
 開発プロジェクトの主なところは7人ぐらいいるらしいですけど、組合のメンバーが、もうそのときはプロジェクトに入っていたので、会議に出してくれていたらしいんですが、7人中、問題を感じてくれたのは、たった一人だけだったということなんです。
 その一人の人が、当時何をやっていたかというと、最終チェックで、要するにイントラネットで例えば電子決裁の部分は文書課が所管し、出張は労務課が所管し、お金を支出する方は収入役室が所管しているという形で、ログインするところは基盤システムの上に各所管が乗っかっていて、それぞれに中で動いているスクリプトなどが違うんだそうですね。結局ログインしてから、各システムに入ると全然雰囲気が違うという感じなんですね。
 そういう形で、それぞれがテスト用のフロアを借りて、パソコンをたくさん並べて最終チェックをやっていたんです。そこに理解のあるシステム担当者の人、この人は収入役の方の財務をメインにやっている方だったんですが、、その人が労務やほかの部署に声をかけてくれて、状況を聞きながらやってくれたんです。
 ソフトは体験版を取り寄せて動かそうということで、バリアフリー研究会でホームページリーダーを試したので、ホームページリーダーをやってみたら、ログインすると、アドレスがURLだと普通貼りつけたりすることできると思うんですが、アドレスが見えないようになるんですね。
 そのため、ログインするとウィンドーがいっぱい開いたり閉じたりして、端末を、IPアドレスが固定になっていて、登録されている端末過程をチェックした上でログイン画面が開くんですけど、その段階でホームページリーダーがとまってしまい、これはだめだということになってしまいました。
 つぎに、PCトーカー、JAWS、ボイスサーフィンもあるという話をしたら、体験版を取り寄せて試してみましょうということでやってくれました。ボイスサーフィンについてはログイン画面が出たり出なかったりしたそうです。
 JAWSは、余計なことばっかりしゃべるっていう印象を持ったらしいんです。価格も高いので、ちょっとおいとこうということになりました。予算がないってことなんですよね。PCトーカーがたまたまログインまでは大丈夫だったんです。
 財務や旅費はまだテスト版のシステムしか動いてなくて、これで試せますかと言ったら、その開発の人が「いや、まだ細かい技術的なところは、変わるかもしれないんで、どうなるかわかりません」と言われて、では体験版を1本、職場にパソコンだけは配置されていたので、旅費の本格稼動のときに体験版を入れて試しましょう、それで直せる分があったら直しましょうという話になりました。
 実際にやってみると、まず、ログインの部分でいうと、ID、パスワードを入れてログインはできたんですが、3カ月に一辺、強制的にパスワードの変更を求める画面が出るんです。普通インターネット関係で、たとえば会員制のホームページを触られたことある方はご存じだと思うんですけど、ちゃんと自分で変更できるはずなんですね。
 旧パスワードと新パスワードは書けるんですけど、タブキーでは変更ボタンにいかないんです。聞いてみると、特殊なツールバーを使っているのでキーボードではいきませんということでした。管理職は指紋認証を使っていましたので、これは指紋認証対応にするということで解消しました。
 ログインしたときに、いろんなメニューが開きますけど、Alt属性がついてないので、全部タブキーでhttp://……を読む状態なので、何段目に何が入っているかというのを憶えて、何回押したらどこが選択されているかを憶えなければいけない。弱視の方でズームテキストを使っている方もあるんですが、この絵文字がどうも不評のようで、やっぱりよく見えないので、同じように何番目というふうに憶えてやっているんだそうです。
 こんなのは大したことないはずだし、お金がかかることもないと思って、要望も出しました。翌年の4月の本格稼動のときに直しますと言っていたんですが、結局直りませんでした。なぜ直らなかったかの説明もありませんでした。財務システムだと、財務からサブメニューが開いてフォルダーみたいになっているらしいんですけど、そこが押せないんですね。
 全然だめかというとそうではなくて、JAWSだったら当然押せるんでしょうけど、PCトーカーはテンキーをマウスのかわりにすることができるので、憶えてしまえば右に270回押して、下に30回押してというふうにすればできるんですけど、実際はむずかしい。幸いにして、ログインにしたときに「お気に入り」といって、その人用のメニューを登録することができるんですね。そこに見える人の力を借りて登録しておけば開けるということがわかりました。
 ところがこれも4月になると決済区分が変わったり、人事異動があったりするので、ログインした後の自分のホストにあるファイルを整理するらしくて「お気に入り」を全部消されました。ヘルプデスクに電話したら、SEに頼まないと復旧できませんということを言われて、緊急に必要な部分だけは直しました。
 それから、当然Altがなくておかしくなったところもあるし、さっき、ホストに音声ソフトがあったら悪影響があるのかという話だったんですが、ホストにはないようですけども、音声が入っていることで端末がとまるということはしょっちゅうあります。例えば、会議ルートで職場外の人に文書を回そうとすると、インターネットエクスプローラーのランタイムエラーとか言って、せっかくやったのが全部閉じてなくなるということがあるんですね。
 どうも、PCトーカーが動いているとなるらしくて、終わらせて操作してもらうと直るということになったり、XPリーダーでも試したんですけど、XPリーダーもやっているうちにエラーがよく出て閉じてしまい、今までやったことが全部だめになるということが、ままありました。後は選択をすると、ウィンドーがいっぱい開いてくるんですけど、フォーカスが、全然違うウィンドーにいきなり移ってしまうので、またAlt Tabとかで、戻ってこなきゃいけないという状態になっていることもあります。
 文書についても、電子化、電子化と言っているんですけど、文書はドキュワークスという、富士ゼロックスでつくったソフトで流通させるのが原則なんですが、そのソフトはもちろんワードで打った文章も取り込めますけど、紙をスキャナーしたものも一緒に取り込めるんですね。
 あるいは、OCRにかけるしかないということで、電子化したからといってもパソコン上に紙の墨字が画像データとして存在しているってことが出てきています。
 まず、システムの方も組織として使えるかどうかと検証したわけではなくて、問題意識のあった開発者がボランティア的に検証してくれたから、何とかなったということです。システム管理者としても今、どういう状態なのかを把握していないですし、中には動いているだけ、動いているだけというのは、健常者のことも含めて、反応が遅かったりとか、いろんな問題があるんですけど、動いているだけいいじゃないかというふうな意見を持っている人もいるぐらいです。
 今は何とか部分的には使えていますけども、システムというのは当然バージョンアップがあり得るわけで、バージョンアップしたときに突然使えなくなるっていう可能性も十分あります。あとはウェブだからといって、インターネットがそのままできるわけではないってことですね。
 さっきの変更ボタンの話だけではなくて終了ボタンも押せないので、Alt F4で閉じるしかないとか、あとはインターネットを立ち上げたファイルや編集のメニューが出ますけど、ログインすると、そういうメニューも使えないようになってしまいます。Alt、左矢印とか、右矢印とかをやろうとすると、この機能は使わないでくださいって出てくる。Alt、左矢印は「戻る」というショートカットキーですけど、その機能は使えませんというふうに出るんですね。
 普通にインターネットを見たり、イントラネットのログインしない、だれでも見られるホームページになるとそういう機能が戻ってくるんですが、そういう形で制限がかかってきますので、ぜひ、ウェブ方式だというところでも、安心をしないでチェックをしていただければよいのではないかと思います。相当声を出したつもりですけど、出して出し過ぎることはなくて、かなり厳しい状態だということで、しっかり取り組んでいっていただかなければいけないのではないかと思います。


【職場で頑張っています・その1】
「これは結構いけるかも!」
〜視覚障害者の職域としてコールセンターの可能性を探りたい〜

建築資料研究社 顧客サポートセンター
長澤 麻実子

 私は現在、建築資料研究社という会社でコールセンターのお問い合わせ応対の仕事をしています。視力は数年前から全くなくなってしまい、以前の一般の仕事を辞めて今の仕事を探したのですが、感触として、今後視覚障害者(特に全盲)の就労の可能性として、コールセンター業務は結構いけるのではないかと感じるので、ちょっとだけ様子を紹介させてもらおうと思います。
 ところで、目が見えなくなったころ、私は視覚障害者に対する特別な教育を受けていなかったので、すごく困りました。とりあえず、点字、歩行などの訓練を終え、一応生活できるようになりました。その後、社会復帰しようと思いましたが、特に専門知識も特技もなかったので、何がやれるのかさっぱりわかりませんでした。とりあえず日本盲人職能開発センターのOA実務科でパソコンや周辺機器の音声操作などをせっせと学んでいました。
 あちこちに面接にも行きましたが自分が会社という組織の中でどのように貢献できるのか、具体的なイメージはわかないままでした。どうしようかな、と思っていたところ、たまたま今の会社がコールセンターを作るにあたり、その応対要員として障害者雇用を考えている、という話があり、日本盲人職能開発センターに紹介してもらって、入社しました。コールセンターというところで自分が何をどこまでできるのかは、相変わらず雲をつかむようなままでしたが、何となく、電話の仕事なら結構いけるかもしれない、という予感がしました。
 ところが入社してみると、どういうわけかコールセンターなるものはどこにも存在していませんでした。上司曰く、「いやあ、実はなかなか話が進まなくて、そのうちできることは決まっているんだけど、まだできていないんだよ。」ということでした。というわけで、私はしばらくの間は適当な部署に配属されて、その片隅にデスクをもらって、商品知識とか、関連サイトとかをせっせとチェックしてすごしておりました。今考えれば笑っちゃうようなことです。でも、おかげでJAWSの使い方を習得する時間もあって、あれはあれでよかったと思います。
 ようやくコールセンターができて、私は応対業務にデビューしました。結論から言うと、「コールセンター」は全盲でもやり方を工夫すれば結構いける感じです。電話交換と違って、内容を自分で答えなければならないので、問い合わせ資料を事前に音声環境で使いやすいように用意しておく必要がありますが、それを準備してしまえば、後は検索をしながら答えればいいので、見えなくてもまあ大丈夫です。とはいえ、お客さんはちょっと待たせただけで怒り出すことがありますので、検索をいかに速やかにできるかが業務遂行上のカギとなります。
 ホームページ検索でも目的の場所に行くまでタブを押し続けている時間はありません。必要な資料を引き出すためにいちいちホルダの深い階層まで潜って探す余裕もありません。見える人ならマウスで速やかに移動し、目的のものを発見することができますが、音声環境ではそういう部分が効率が悪いです。コールセンター業務をやる上で、先ず努力が必要な点はそういう部分を克服することだと考えます。
 支店所在地一覧ファイルも用意していますが、ただ支店の住所を案内するだけでも、目で見ながら案内できるわけではないので、地名の読み方などはあらかじめ振り仮名を振っておき、市町村名でいちいち改行するなど、パソコンの音声を聞きながら案内できるように編集してあります。それでも「その地名はどんな漢字を書きますか?」など聞かれると、その部分までカーソルを移動していき、詳細読みをさせて確認しなければいけないので、結構焦ります。検索中にパソコンが固まることもよくあります。次から次へと電話がかかってくると、どんどんタスクが増えてきてわけがわからなくなったりもします。ほとんど毎日ヒヤヒヤしながら応対業務をやっています。
 そんな苦労はありますが、それは克服できる範囲の問題だと思います。日々回ってくる資料はこまめにチェックして最新のデータが瞬時に引き出せるような状態をキープする。スクリーンリーダーになるたけ習熟して効率よく作業できるようにしておく、などです。細かい作業なので面倒といえば面倒ですが、それさえクリアできれば特別な専門的知識がなくても、ある程度やっていける仕事です。実際に2年半やってみて、そういう実感があります。
 だから、今後、視覚障害者の職域としてはずいぶん可能性があるのではないかと考えます。もうちょっと経験を積んで、いろいろわかるようになったら、視覚障害者の職域としてのコールセンターの、具体的なイメージをアピールしていければいいと考えています。
 話は変わりますが、会社という組織は日々ちょっとずつ変化していきます。人も入れ替わりますし、業務内容も変化します。時代の流れについていくために当然なことです。最近感じるのは、そういう中にあって、今はある程度問い合わせ応対業務として貢献できるとしても、何らかの事情によって、それが不可能になるシーンもあるんじゃないかということです。たとえばの話ですが、テレビ電話が一般に普及すると、コールセンターもきっとモニターに向かって応対をする時代になるかもしれません。そうなると視覚障害者が応対するのは難しくなるでしょう。一昔前、電話交換が視覚障害者の職域として広く存在していましたが、現在は電話交換の部署がある会社は少なくなっています。そういう感じで今できている仕事が今後ずっとできるかといえば、必ずしもそうでもないような気がします。そうなったとき、自分が同じ会社の中でどのように貢献していけるのか、考えてみることがあります。現在は応対業務を専門にやっているにしても、少しずつでもほかの業務にも幅を広げられるように、自分をアピールしていく必要があるだろうと考えています。


【職場で頑張っています・その2】
「就職への挑戦」

佐藤 利昭

 私は、川崎在住の佐藤利昭と申します。年齢は55歳です。3年半前、急に視力が低下しあわてて医者にかかりましたが糖尿病による網膜剥離症で視力が回復せず、視覚障害者になってしまいました(障害者手帳2級の認定を受けております)。
 視覚障害者になったことから職を失ってしまいました。紆余曲折しましたが幸いにも今年の1月より再就職することができました。仕事の内容はパソコンを使用し各種資料の作成及びデータ入力の作業を行っております。
 私と同じ視覚障害者の方々が就職を目指すうえで少しでも参考になればと思い、私の経験及び取り組んできた事について述べさせていただきます。

●現在担当している仕事の内容
 財団法人郵便貯金振興会に勤務し、パソコンと拡大読書器を使って各種情報のデータ入力及び社内連絡文書、その他各種資料作成の業務を担当しております。使用ソフトはワード、エクセルを使って作業を行っております。また、インターネットを活用していろいろな情報を入手し、資料の作成を行っています。

(第1 ステップ) 立ち直りのキッカケ
 私は、突然に視力を失った事から精神的なショックが強く自宅にこもりきりの状態になってしまいました。約半年この状態が続きましたが、ある方の紹介で日本盲人職能開発センターの存在を知りそこで水曜サロンに出会い参加させていただく事になりました。
 そこでは、視覚障害者の方々が、明るく、元気に、また前向きに行動されている姿に私は大きな勇気を与えてもらいました。
 さらにスクリーンリーダという素晴らしいソフトにも出会うことができました。これを使えば、一般の健常者と同じようにパソコンが使える事を教えていただきました。今から思えば、私が立ち直りのキッカケになった出会いだったと考えております。

(第2 ステップ) 就職に向けての取組み
 スクリーンリーダを使ってパソコンを自由自在に使いこなすことが出来れば再就職する事も夢では無いと考え、しっかりとパソコンを使えるように訓練を受ける事にしました。
 まず初めに取り組んだことは、タッチタイピング(ブラインドタッチ)とウインドウズの操作方法で水曜サロンの塩屋武先生に訓練を受けました。この訓練は、幸いにも埃をかぶったパソコンを持っておりましたので自宅でも練習をすることが出来、2ヶ月ほどでマスターすることができました。
 その後、平成14年10月に事務処理科に途中編入をさせていただき、本格的にワード、エクセル、インターネット等の操作方法の訓練を受け、パソコン操作の基礎を築くことができました。
 平成15年3月に卒業いたしましたが、その間、「日本語文書処理技能検定試験3級」と「ビジネスコンピューティング検定試験3級」の資格を取得しました。
 その後、日本盲人職能開発センターの井上英子先生より紹介していただいた東京のお台場近くに在りますテピアデジタルプラザで視覚障害者を対象にボランティアでパソコンの指導をする事になりました。それと並行して、就職活動を行っておりました。
 活動方法は、ハローワークを活用したり、障害者のための就職合同面接会に出かけ約30社ほど受験しました。障害者に対してもかなり門戸は開放されているようですが、私が中高年ということで実際に職が決まるまではなかなか厳しかったです。
 それから、ボランティア活動でパソコンを指導したことが今の自分にとって、非常に技術のレベルアップを図ることに役立ちました。

(第3 ステップ) 就職するための指針
 これは私の私見ですが、パソコンを使った職種を目指すのであれば、下記内容についてしっかりと訓練をし準備しておくことが重要です。

● タッチタイピング゛
 350文字を10〜12分で正確に入力ができること。

● パソコン操作
 スクリーンリーダのインストールはもとより自分がパソコンを使い易いようにするための各種設定が自由に出来るよう準備しておくこと(画面の設定、スクリーンリーダの設定、ユーザ補助の設定等)。
 その他に、ワードは日本語文書処理技能検定試験の3級以上のレベルまで訓練しておくといいと思います。
 また、エクセルについては、ビジネスコンピューティング3級、できれば2級レベルまで訓練しておいたほうがいいと思います。
 それと、インターネットでいろいろなデータが検索できるように訓練しておくのも重要なポイントだと考えております。
 例えば、上場企業の決算をインターネットで検索するとか、最近私がよく業務で利用しているのは、各県のホームページから県の条例をチェックすることで、それを基に資料を作成しております。
 以上いろいろと述べてきましたが、私の経験からこれらの事を準備しておけば業務についてもある程度スムーズに対応できると考えております。
 常に挑戦する気持ちと、たえまなく努力していれば必ず道は開けてきます。視覚障害者の方々で就職を目指しておられる皆さん、頑張って夢を掴みましょう。


【活動記録】 (2004年9月〜12月)


第5回日本ロービジョン学会学術総会に参加して

 下堂薗会長及び工藤副会長より以下の報告と感想が寄せられました。

<全体的な概要と感想 /文・工藤正一>
 平成16年10月8日から10日の3日間、東京・明治記念館において、第5回日本ロービジョン学会学術総会が開催されました。私は、日本ロービジョン学会(田淵昭雄理事長)の評議員ということもあり、同じく評議員をされている下堂薗保会長と共に9日、10日の両日参加しましたので、以下に、報告と感想を述べさせていただきます。なお、今回の学術総会は、第52回日本臨床視覚電気生理学会との合同学会として、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院の簗島謙次先生が担当されて開催されたものです。
 9日に行われた「ユニバーサルデザインを考える」というシンポジウムの内容は大変素晴らしいものであったと思います。このシンポジウムは、札幌鉄道病院の永井春彦先生の座長の下、患者の立場、建築関係やメーカーのデザイナー、研究者、行政の立場から、5人のシンポジストが発言しました。
 患者の立場では、JRPSの吉本浩二さんがご自分の体験から、当事者の体験や考えを分かりやすく述べられました。また、意外にも、国の研究機関で一級建築士として仕事をされている方が網膜色素変性症の当事者でもあり、このような方がいらっしゃることに心強いものを感じました。
 ユニバーサルデザインの取り組みがいくつか発表されましたが、その一つに、色盲の人にも分かりやすい表示方法として、どのような配色や工夫が必要なのかというのがありました。着色された色の中にその色の名前も書き記したり、地下鉄路線図に色の線だけで路線を示すのではなく、路線名も書き記すなどの工夫がされていました。
 行政の立場からは、主な仕事は予算と規制に関することであるとしながら、大切なことは、様々な立場の人が率直に十分に話し合うこと、実際の体験を通して気付きと思いやりの心を育てること、このような取り組みの積み重ねの中でユニバーサルな社会に近づいてゆけるという話がありました。
 それぞれの報告を通して、実際に今、”ユニバーサルな社会を目指して”というかけ声だけではない、本当に中身のある研究や取り組みがいろいろなところで進んでいるのだなと思いました。我々としても声を上げていくことが大切であると思いました。
 翌10日に行われた一般口演の中に、和歌山の田中憲児先生(眼科田中クリニック院長)の「職場環境の悪化に対し、行政の相談サービスが就労の継続のために有効であった一例」という発表がありました。中途視覚障害者となった当事者の就労上の悩みを受けとめた非常に共感のもてる興味深い内容でした。これを受けて、私は中途視覚障害者の就労継続にとって眼科医の診断書の記載の表現次第で人生の岐路を分けることがあることなどを紹介しつつ、この事例において就労継続を可能とされた努力に敬意を表しました。また、柳川リハビリテーション病院眼科部長の高橋広先生からは、視覚障害者の就労の可能性と就労継続の支援に当たっては、見えなくてもできるという肯定的な視点に立ち、その上で、どのような工夫や配慮が必要になるのかを個々の状況に応じて具体的に探るということを、復職事例を通して述べられました。
 ここでの討論を通して感じたことは、就労問題はまさに応用問題であり、医師にとってもなかなか難しく、まだまだ踏み込み難い領域の問題にとどまっているのではないかということでした。我々にとってはいかに就労問題に理解ある医師に出会うかということが、復職や雇用の継続を可能とするか否かに直結するだけに、視覚障害者の就労問題に理解ある眼科医がもっと育って、たくさん世に出てきて欲しいと思いました。
 なお、次回第6回日本ロービジョン学会学術総会は、兵庫医科大学の山縣祥隆先生が担当されて、第14回日本視覚障害リハビリテーション協会研究発表大会との合同学会として、9月17日から19日の3日間、神戸国際会議場にて開催されることになりました。内容としては、「連携」をテーマに、「理想のロービジョンケア体制を求めて」と、「疾患別ロービジョンケア」についてのシンポジウムが予定されています。中途で視覚障害となった人のリハビリを考える時、いろいろな職種の人、いろいろな関係機関の連携は大変重要と思われますので、両者による合同開催の意義は非常に大きいと思います。まだ先の話ですが、積極的に参加していきたいものです。

<参加しての感想と希望 /文・下堂薗 保>
 今回の学術総会は、私にとって、評議員となっての初めての参加でしたが、私ども自助グループとはいく味も違った角度からロービジョンクリニック(リハビリ)について議論がなされており、極めて有意義な体験をさせてもらいました。中でも、中途視覚障害者の就労継続に関する和歌山の田中先生の口演は、質疑応答も含めてたいへん興味深いものがありました。
 視覚障害者の就労事情は、IT機器等の活用により、ようやく目覚しい変化・拡大を見せつつあることに鑑み、医学会のご理解ご協力はますます増大するものと思われますので、
 1、ロービジョン学会が目指している(と、私は信じていますが)、見えなくても働けるという認識を他の認識の遅れている眼科医に拡げてほしいこと。
 2、全国どこの眼科医にかかってもロービジョンケアを受けられるようになること。
 3、眼科医は、患者の補助機器などを活用した職業訓練などをよく理解され、就労可能という所見を自信をもって書いてほしいこと。
 4、ロービジョンケアを制度化すること。
 5、医学生時代から視覚障害者も十分働ける場面があることを認識させ得るように教育界を改革してほしいこと。
などについて、私見ながら、日本ロービジョン学会に対し、大きな期待を寄せて希望(提言)をさせてもらいたいと思いました。


【お知らせ】

●2005年1月交流会
日時:2005年1月15日(土) 午後2時より
講演:「視覚障害者等の移動環境・交通権ー信号・駅等ーについて」
講師:高瀬 清氏(神奈川県視覚障害者の生活と権利を守る会)
会場:日本盲人職能開発センター

●2005年3月交流会
日時:2005年3月19日(土) 午後2時より
講演&講師:未定
会場:日本盲人職能開発センター


編集後記

 「健全なる身体に、健全なる精神が宿る」と言われます。
 最近、どうも多くの日本人に慢性疲労が蔓延しているようです。しかも年齢に関係なく、子供たちまでが「ああ、疲れた」と昼間から気だるそうに欠伸まじりに生気のない顔をしています。
 日本全体が24時間活動しているという社会環境、これが人間の生体リズムを壊す大きな要因とも言われています。家庭生活の中にこうした異常事態が入り込んでしまっているのでしょう。
 サラリーマンのサービス残業をはじめ、勤務体系から、やむを得ず不規則な生活習慣に蝕まれていくわけですが、それが子供たちに知らず知らずのうちに影響を及ぼしていると思われます。
 なぜこんなことを書いているかと申しますと、「人格障害の時代」などという著書が売れているように、何か人間の本質からずれた行動や事件が頻発しすぎる世の中に直面しているからです。
 西洋医学的発想の対症療法ではなく、「医食同源」とか「全人的医療」といった自己治癒力の回復、健全なる身体の維持に努めるべきではないか。東洋医学的発想が今こそ求められているのではないかと思うからです。
 「タートルの会」の編集後記になぜこのようなことを、と疑問に思われるかもしれません。また、門外漢が何を言うか、という非難もあるかもしれません。
 『いやしの鍼』(木村愛子著・日経BP社出版)という本を、三療関連教材作りを支援している方(会員)から、大部の寄贈を受けました。著者が自費出版されたようです。木村先生は、筑波大学附属盲学校を卒業された後、理療科で教鞭をとり、鍼治療の実践を積みながら、東洋医学の真髄である全人的医療を心がけてこられ、本年、定年により退官されました。鍼治療の素晴らしさを広く理解してもらえる本として、是非読んでほしい、また紹介していただきたいと思ったからでもあります。
 また、三療の職域拡大の閉塞状態の突破口を開くために、晴眼者による癒し系のヘルスキープハウスの活況を見るにつけ、晴眼者との対立ばかりでなく、共存共栄をはかる方向性もあっていいのかなと思った次第です。
(事務局長:篠島永一)

中途視覚障害者の復職を考える会【タートルの会】会報
『タートル34号』
2004年12月12日発行 SSKU 増刊 通巻第1637号
■編集 中途視覚障害者の復職を考える会 会長・下堂薗 保
■事務局 〒160-0003 東京都新宿区本塩町10-3
     社会福祉法人 日本盲人職能開発センター 東京ワークショップ内
     電話 03-3351-3208 ファックス 03-3351-3189
     郵便振替口座:00130-7-671967
■turtle.mail@anet.ne.jp (タートルの会連絡用E-mail)
■URL=http://www.turtle.gr.jp/


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