中途視覚障害者の復職を考える会
タートル 32 号
1995年(平成7年)6月3日(土曜日)、港区立勤労福祉会館に於いてタートルの会設立総会が開催されてから、早いもので10年になろうとしています。発起人の一人として、この10年を振り返りながら、将来に向けての活動について私見を述べてみます。
私が難病のベーチェットを患い、失明の恐怖であちこちの病院を渡り歩いていたとき、「ベーチェットの典型的な症例だな。」と男女の医学生が大勢見守る中で、下半身を素っ裸にさせられモルモット扱いされたのはN大学付属病院の教授、「現在の医学では治療方法がない。私の手には負えないので紹介状を書きますから他の病院に移ってください。」と言ったのはT都立病院の女医でした。目の前が真っ暗になるような心無い宣告を受け途方に暮れていたとき、タートルの会設立に向けて奔走していた前会長である和泉森太氏と出会い、同じ障害をもった仲間達とともに活動をすることにより、「生きる」ための精神的活力であるパワーを得て、障害を背負ったショックから徐々にではあるが立ち直ることができたのです。
ボランティア組織である「中途視覚障害者の復職を考える会」(通称、タートルの会)の活動は、月1回勤務終了後の午後7時から9時30分頃まで幹事会を開催し懸案事項を協議することや機関紙の発送作業、会員からの相談への対応、交流会の開催準備、「中途失明」の発刊準備作業等々、四谷の日本盲人職能開発センターに集合した会員は、時間のたつのも忘れて意見交換をしました。
交流会を開催すると、毎回大勢の参加者で会場は熱気に包まれます。その時気づいたことは、講演テーマの聴取もさることながら、参加者自身がしゃべりたい、聞いてもらいたいという気持ちが会場いっぱいに拡がります。ほんの短い自己紹介に、参加者の日頃の思いがたくさん詰まっています。
皆さん一人一人が頑張っている姿は清々しく、他の人にも頑張るパワーを与えます。お互いにパワーを高めあい、不当な解雇から身を守っていくことが目的になっています。この目的を否定はしませんが、10年間ずーっと思い続けていたことは、生活のためには働かなければなりませんが、肩の力を抜いて「頑張らないライフスタイル」も有りじゃないのかなということです。
最低限の生活しかできませんが、働いていないゆったりとした時間が過ぎていく、そして好きなことが目いっぱい自由にできる日々が手に入ります。多分誰もがあこがれはしても、実行に移すとなると考え込んでしまうことでしょう。
私は、このテーマの実験台として定年5年前の昨年3月に退職いたしました。これから、「頑張らないライフスタイル」の報告を逐次いたしますので、是非会員の皆様も私の生き方に賛同していただき、実践する仲間になっていただきたいと思っています。
自由な時間は会の活動に充てていますが、篠島事務局長の補佐として事務局次長の仕事に努力するとともに、懸案事項である10年来の間借り生活から新事務所を開設するため、物件探しをすることと、タートルの会の広報活動に力を入れ、中途視覚障害者が途方に暮れることのないよう、フォローしていきたいと思っています。
今後とも、会員の皆様のお力添えをお願いいたします。
1.はじめに
埼玉県総合リハビリテーションセンターの水田靖士です。埼玉県総合リハビリテーションセンターは、上尾市の北方にあります。埼玉には、所沢の方に国立のリハビリセンターがありまして、国リハの生活訓練と同じように、歩行訓練、点字、TDL、体育訓練、3年前からパソコンを実施しています。私は歩行訓練・パソコン・体育を担当しています。
私は平成6年に国リハの学院(5期)に入学しました。当時、坂本洋一先生に指導を受けました。学院卒業後、国リハに1年間非常勤として勤務し、平成8年より埼玉県総合リハビリテーションセンターに勤務しています。
ロービジョンで視力があると「歩行訓練は必要ない」と思われる方もいますし、実際にもともと技能を持っている方もいます。ある程度訓練で学ぶ必要がある方も多いのです。機会があれば短い期間でも、訓練を受けると歩行に役立ちます。
視覚障害者が歩く手段は、「白杖を使用した歩行」です。それから盲導犬、ガイドと白杖を使用しないで歩く「単独歩行」です。
白杖の役割はいろいろありますので、ぜひ白杖を使用してください。
一般的に歩行とは、左右の足を交互に出す「ウォーキング」を指します。視覚障害の歩行は、ウォーキングではなく、「オリエンテーション」と「モビリティー」です。この2つの技能は関連しているので、両方の技能の熟達が必要です。歩行には、歩く姿勢・歩調・直線歩行の能力・体力・反応時間などが重要になります。それに、個人の価値観、自己評価等の心理的なことが影響します。
さらに年齢、障害の時期、過去の経験、その他の障害、残存視覚機能の程度、パーソナリティー、身体状況などが歩行の能力に影響を与えます。
歩行の理想と歩行訓練の目的は、いろんな技能を組み合わせて活用すること、知っている環境は当然として、知らない未知の環境でも、安全に効果的にスマートに、より美しく、単独で歩行ができるようになることです。
2.「オリエンテーション」とは
(1)「メンタルマップ」
歩行訓練を受けた方は聞いたことがあるかと思いますが「メンタルマップ」=「心的地図」といいます、
紙に書いてあるような地図を頭の中に入れること、その「メンタルマップ」を回転させるのを「メンタルローテーション」といいます。
例えば、通常の階段ですと、1階から2階に上るときに、踊り場で方向を変えます。踊り場で方向を変えて1階から2階に上り終わったとき、自分がその環境に対して、どういう向きにいるかを、きちんと理解できるかとうかなのです。
この「メンタルマップ」とか「メンタルローテーション」という言葉は知らなくても、歩行訓練を受けた方だと、そういう訓練を必ずどこかでやっているはずです。歩いて自分が移動していますから、連続的な環境の変化に応じて、方向を定位する能力が必要になってきます。
(2)オリエンテーション&モビリティーについて
例えば、直線歩行の維持は、アイマスクをした状態で、真っ直ぐに一直線上を歩くことは、ほぼ不可能です。誰でも左右、どちらかに曲がってしまいます。このようなことを「ベアリング」と言います。
ターンというのは「曲がる」ということ。90度曲がるという感覚がきちんとできるか、ぴったり90度でなくてもいいのですが、まったく違う角度になってしまうと、他に影響が出てしまいます。歩行の時の姿勢、例えば、猫背であったり、体が傾いている方です。そういうこともオリエンテーションに影響が出てきます。逆にオリエンテーション技能はモビリティー技能が低かったりしても補うことができます。また、オリエンテーションの過程で、次のaからeの心理・身体の両方も影響を与えます。
(3)オリエンテーションの3つの原理
1つめは自分はどこにいるのか、2つめは目的地はどこか、3つめは目的地までどのように行くのか、これがオリエンテーションの3つの原理です。
自分がどこにいるのか。次に目的地はどこなのか。目的地に対してどのように行くのか。常に歩きながら、自分は今どこでどのように、その目的地に行くかを自分に質問し、答えられるかどうかが重要です。
(4)オリエンテーション技能を確かめながら歩行するための5つの認知と過程
(5)オリエンテーションの構成と要素について
3.白杖について
(1)白杖と歩行訓練の歴史
白杖は世界各国において、視覚障害者のシンボルとなるなど普及している物です。最初に白杖が視覚障害者のシンボルとして公的に認められたのは1930年、アメリカのイリノイ州においてでした。日本では1960年の道路交通法の制定によって「視覚障害者は白杖を携行すること」が義務付けられました。道路交通法に義務付けられていますが、罰則規定はないそうです。持っていないからといって罰せられませんが、交通法に定められています。白杖操作の歩行訓練は、1940年代にアメリカの眼科医「リチャード・フーバー」等によって、体系付けられたものを基本としています。日本とは環境が違いますので、そのままではないのですが、かなり基本をベースとして使っています。白杖を使用した歩行で第1に求められるのは「安全性」です。第2に「能率性」。第3は「美しさ」、「上品に」というようなものと一緒です。美しく歩くというのは、結構忘れられがちです。美しくというのも是非これから意識して歩いていただきたいのです。フーバーの白杖操作を基本としていますが、歩行訓練の歴史というのは、日本では40年弱ぐらいです。
(2)白杖の3つの役割
(3)白杖の条件、構造
歩行に適した白杖の条件は、
(4)杖の形式
折りたたみ・直杖・スライド式
折りたたみ式は、4段か6段の物がよく使われています。折りたたみ杖が折れるのは、ジョイント部分(杖の嵌め込んでいる部分)、そこが折れてしまうことが多い。伝達性は落ちていきます。できれば、予備を持つことが一番です。万が一の場合は、直線の木などに、簡単にテープでも貼っておけば、応急処置的になります。
スライド式ですと、伝達性はかなり悪いので、一人歩きには最も適さないものです。ガイドが同行する場合に、シンボルの役割を果たします。
グリップが割れてくるのは、相当年数が経っていますので、白杖を交換した方が良いです。
(5)白杖の安全な使い方
4.通勤途中の歩行
重要で注意するところです。
(1)駅の歩行
(2)利用する駅の構造をよく知っておくこと
プラットホームとか、改札の構造を十分に理解することが必要です。駅は2つのタイプのプラットホームになっています。
(3)電車を降りた時
人の流れに乗った方がよいです。人がいなくなると迷ったり、方向を失ったりすると、危険があります。点字ブロックもありますが、毎年視覚障害者の方がホームから転落する事故が起きています。ホームであせったり、あわてたりすると、点字ブロックがあっても気づかないこともあります。点字ブロックだけだと危険がありますので、できるだけ人の流れについて行くようにしてください。
(4)エスカレーターの利用について
人の流れに乗ったとき、どっちに行くのかわからないということがあります。エスカレーターが階段と並んでいる場合、流れに乗ると人によっては、階段に行ったりエスカレーターに行ったりしますので、早い判断が必要になってきます。エスカレーターは、手前の段階から路面が金属になっていますので、杖をついて音の変化で、判断してください。関東では左がゆっくりで右が歩く社会的ルールがありますけれど、右側に乗っても進まない人がいます。歩いた方がいいのか、止まっていていいのか、判断をしなければいけないのです。エレベーターが一番安全なのですが、エレベーターが難しい場所にありますので、人の流れに乗るのが一番現実的です。
(5)知らない駅を利用する場合
あらかじめ情報として、ホームが島式なのか相対式なのか、改札がどこに何カ所あるのか知っておくことは、重要なことです。改札口が複数だと、何口ということを知っておく、改札がホームより上なのか下なのか。ターミナル駅だと、ホームと同じ所にあるなど、知っておくことは大事なことです。また、JRの電車は、連結部にカバーがしてあるので、安全になってきました。
(6)電車に乗る場合
これは注意が必要です。通勤時間のラッシュであれば、人が多いので大丈夫です。
5.援助を依頼する方法
歩行していると、未知の場所、すでに知っている場所でも、道に迷ったり方向を失ったりします。こうした場合、目的地までの行き方を尋ねたり、場合によってはガイドをお願いするということが必要になってきます。
(1)行く方向を尋ねる有効なやり方
(2)ガイドを依頼する方法
相手の人はガイドヘルパーではないので、ほとんどの方が、ガイドの仕方を知らないのです。ある目印があったとして、皆さんがそこまでガイドしてもらいたいといった時に、適切に姿勢をとってもらえるよう、説明をする必要があります。いきなり腕を引っ張られて連れて行かれた経験のある人はおられると思いますが、ガイドされる方は善意からと思いますが、かえって危険です。
(3)ガイドの断り方
ガイドをしてもらえる人に、待ってくださいと言って、必要であれば適切な援助をしてもらい。いらないのであれば丁重に断りすることも、外を歩くと絶対に必要になってきます。断り方として、あまり強く言わないでください。「相手に声をかけられて、結構ですよ、一人で行けますから」「なんだ、失礼だ」。みたいな感じで言ってしまうと、そう言われた人は善意から言っていますので、少なからずショックを受ける人もいると思うのです。そうすると今度他の視覚障害者が困っている時に、おそらく声はかけなくなってしまうと思います。断り方も他の方のことも考えて、丁重にお断りしてください。場合によっては、「必要はないけどガイドさせてやるか」ぐらいの心の余裕を持っていただきたいと思います。
説明しているのに、他の所に連れて行かれることもありますから、気をつけてください。ガイドには一番近い所までを、お願いするのが良いと思います。
6.雨天・強風・雪中、方向を見失うなどの歩行について
(1)雨天の歩行
雨の時は通常の歩行とは、特に音が変化しますから、異なってきます。傘をさしている時は、聴覚的な手がかりを利用するのは困難になります。一方で傘をさしていれば、防御になるという利点もあります。雨に限らず方向を失いがちになります、音の情報がかなり認識しにくくなります。通常のやり方で歩いていると、音が取りにくい時、難しい所では、壁を伝って歩くとか、より確実な方法を取る必要があります。雨音で他の音が消されたり、いつも使っている聴覚的なランドマークと手掛りが使えなくなった場合は、それ以外の手掛りになるランドマークを、使用できるように、あらかじめ、自分の中で準備しておくことが必要です。
水溜りを認知することは非常に困難なので、長靴のような濡れても沁み込まない、タイプの靴を履くと非常に有効です。
(2)強風のときの歩行
向い風だと顔をそむけたり、姿勢も変わりますから、技術的には雨の時と同じです。より確実に歩くには、伝い歩きだとか確実な手掛りのランドマークを使用することが、必要になってきます。
(3)雪中の歩行
雪中の歩行は、降り始めとか、降っている最中とかは、まだ硬くないので、杖を地面に強めに着けるやり方が有効的です。また、雪が固まってかなり硬い時は、通常人が歩く歩道は、歩くことによって雪は溶けており、そこを歩いて行けば。比較的安全に歩けます。革靴はかなり滑り易いので、滑りにくい靴を準備することが必要です。
(4)方向を失った時の歩行
方向を失ってしまった時の修正方法としては、より確実なランドマーク=目印、あるいは手掛りの所に行くことです。歩道を歩いていて、駐車場のような空間に入り込んでしまって、方向がわからなくなった場合、一番わかりやすい修正方法として、車道に車が走っていますので、車の音の近くまで寄って行きます。歩道の方が一段高くなっているなど違いがあることが多いので、音の方をめざして段差などのところまで行き、再び方向を確認します。
7.音声信号・点字ブロック
最近の交通状況は、音声信号などでもいろいろ研究を重ねています。音声信号には、「鳴き交わし方式」という、片側が『ピヨ』後ろ側が『ピヨピヨ』と、音の変化を付ける音声信号が最近使われています。
横断歩道の所に点字ブロックより小さい「横断帯」といった物を使っている所(所沢、春日部)駅にありました。「横断帯」はあまり使い勝手がよくないのと、色が点字ブロックは通常黄色なのですけど、横断帯のものはグレーなのです。視覚的に使うのは困難です。段差はあまりないので、触覚的には使いづらい物です。
8.埼玉リハビリテーションセンターの歩行訓練
歩行訓練を受ける前に、基礎評価として、自己概念・空間概念・メンタルマップ・メンタルローテーション・記憶力のチェックをします。
(1)屋内の歩行訓練
(2)屋外の歩行
<質問に答えて>
ご紹介いただきました東京女子医大病院ソーシャルワーカーの小松美智子です。どうぞよろしくお願いします。皆さんの自己紹介をお聞きしていて、お一人お一人の人生の重たさのようなものを伺って、私の胸も重たい感じで今ここで何がお話できるのかなという気持ちになっています。今日は医療ソーシャルワーカーとして患者さんの相談に関わっている立場から、お話しさせていただきたいと思います。
皆さんはこれまでに病院にかかられて、ソーシャルワーカーにどれくらいの方がお会いになっているでしょうか。もしかしたら全く会ったことがないという方が多いのではないかとも思います。医療ソーシャルワーカー(MSW)の多くは社会福祉士という国家資格を持って、病院の中で社会福祉の専門職として働いています。他には精神保健福祉士や介護支援専門員などの資格をもっている人もいます。私たちには「日本医療社会事業協会」という全国組織があります。全国で約4000人の会員がいます。会に入っていない人もいますので全体では約7,000人〜8,000人いるものと思われます。
東京女子医大病院は1,400床あまりの入院ベッドを持ち、1日に約4,000人の外来患者があります。それを医療社会福祉室の6名のソーシャルワーカーが担当しています。私は大学を卒業してすぐに当院に入り、26年になります。就職当初から視覚障害の方に関わる機会があり、特に印象的だったものとして21歳の女性のケースがありました。その方は子供の頃からの糖尿病が原因で失明状態でした。当時、当院の糖尿病センターではまだまだそういった視覚障害の症例が少なく、これからの生活についてどのように対応したらよいだろうということで、医師からソーシャルワーカーに依頼がありました。私と同年代の女性ということもあって、その大変さとか辛さなども一緒に関わっていきました。何回かお会いしているうちに「もう病院で泣いて暮らすのは嫌になってきた。自分でできることがあったらやってみたい。」という言葉が本人の方から出てきて、それだったら何ができるかを一緒に考えましょうということになりました。本当にまだ何もわからなくて視覚障害に関する知識もありませんでした。
とりあえず都の身障者センターやいくつかのリハビリ施設に連絡をとって、患者さんと一緒に見学に行きました。その当時はまだ糖尿病患者のインシュリンの自己注射が法的に認められておらず、入所可能な施設が少なくて、せっかく気持ちが前に向かおうとしたときに受け入れ先が見つからないという状況でした。そして七沢リハビリセンターが病院と併設していたので、やっとそこで生活訓練を受けることになりました。生活訓練を終えて、白状をついて、一人で相談室を訪ねてきてくれたときはとてもうれしく、ご本人も一人で歩けることのうれしさをかみしめているようでした。次に彼女は仕事をしたいということでリハビリセンターで三療の勉強、そして卒業して仕事探し。彼女が自分の生き方を見つけて歩いていくのと一緒に、つかず離れず外来でお会いしながら一つ一つ歩いてきたというのが、駆け出しのワーカーとしての私の関わり方でした。その方を通して障害を持っていても自分の生き方は自分で見つけていくのだということ、そしてこちらはそれをサポートする立場なのだということを経験させていただきました。視力を失うことは大きな喪失です。失ったものは大きいけれど、自分の足で歩くことの大切さ、また歩いくためには具体的な道具、サポートが必要なことを強く感じました。
病院の中でのソーシャルワーカーの役割は、患者さんの生活面に視点を置いて支援することです。それはまたその医療機関が提供している医療の質の向上につながっていると思います。医療機関はただ医療を提供するだけでなく、その患者さんの生活に活かされるところまで視野に入れた医療の提供が必要と考えています。私たちは相談を必要としている患者さんに的確な時期にお会いして、支援していきたいと思っています。しかし、医師や看護師が診療の中で気づいて私たちへ繋いでくれないと、なかなかそのような患者さんと出会えないわけです。そのためにはソーシャルワーカーの行なうサポートの内容、福祉制度や社会資源などを診療部門や看護部門、事務部門など病院全体に紹介して、病院の医療社会福祉的環境を整備し、構築していくことが必要だと思います。
ソーシャルワーカーのところには病気やけがによってひき起こされた心理・社会的課題を抱えた患者さんや家族がお見えになります。まず面接でその方の話をゆっくりと聴き、受けとめ、今抱えている課題を一緒に考えていきます。例えば障害の受容というような大きな問題はそれを最初に課題として取りかかってもあまりにも大き過ぎてエネルギーがなくなってしまいます。今、少し努力をすれば解決できることからまず改善していくようにアドバイスします。社会資源や制度を使いながら身近な状況を改善していくと、いくつか連なって、大きくなっていた課題の一角を崩すことになります。少し負担を軽して、それから次の課題に取り組んでいけるように支援していきます。またたとえば退院にあたって地域での支援が必要な場合には福祉事務所や保健所、ときには学校や児童相談所とも連絡を取りネットワークをつくって患者さんの療養環境を整えるために働きかけもします。
疾病構造の変化といわれていますが、慢性的な病気が多くなってきています。病気の状態でありながら、障害が重度化していくことがあります。このような病気の場合、ある程度の時期になると治療をするということも含めながら、その中で自分の足で歩いていくということに切り替えていく必要が出てきます。視覚障害では失明の告知もそのひとつのくぎりといえるかも知れません。失明ということの受けとめ方はさまざまだと思います。「糖尿病で網膜に変性が起きています」と伝えられただけでも失明ということを感じられる方もありますし、手帳が1級でも部分的に見えたり、日によって目の様子は変わりますので自分は失明しているとは感じていない方もいます。その言葉や表現は本当に一人一人で受けとめ方は違うのだと思います。必ずしもここからが失明ということではないし、医者も明らかな告知をしているとはいえないと思います。例えば糖尿病で網膜症の患者さんは治療も続けていくわけですが、仮に失明という状態になったとしても医療から離れるわけにはいきません。やはり良くなりたいという気持ちに変わりはないし、それと同時に一方で見えなくなったらどうしよう、このまま回復しなかったときはどうしようかという不安も抱えておられるわけです。見えづらくなったからといっていきなり福祉事務所に相談に行ける方は少ないと思います。医療の場にいるソーシャルワーカーは、病気の状態でありながらも自分の足で歩いていく、患者さんと言う受身の立場から障害をもって生活していく、積極的に生きていく人への橋渡しの役をもっていると思います。
また、ソーシャルワーカーは患者さんだけではなくご家族の方も対象にしています。ご家族とも一緒にお会いすることもありますし、個別で会った方がよいと思うこともあります。まずは本人が一番大変な思いをされているわけですから、その方に対してサポートをしていきます。同時にご家族にもどういうところに手助けが必要でどこは要らないというようなお話も具体的にします。一緒に暮らすご家族が視覚障害の方の心理面だけでなく、生活上の具体的なことをどれくらい理解されるかによって暮らし方は変わってくると思います。
次に早い時期に会いたいと思うのがバリバリ仕事をされている方です。急に視力を失ったり、見えづらくなるかもしれないという状況になったときに、早い段階で仕事をきっぱりとやめてしまう方が多くいます。治療に専念するということもありますが、どうやったらもとの仕事に戻れるかを一緒に考える時間があれば、また違った方向もあったのではないかと思うこともあります。それまで仕事をしてきた中での人間関係やその方の実績などは、同じ仕事に戻れなくても違うかたちでその職場に貢献していけるものがたくさんあるのではないかと思います。障害を持ったからといって辞めなければならない職場というのは、元気な人たちにとっても不安を呼ぶような職場というふうにも思います。
以前、当院の医療社会福祉室で相談に見えた糖尿病性網膜症の方の調査をしたことがあります。身障者手帳の等級で振り分けてみたところ、等級に該当していない軽度の方が3分の1くらいを占めていました。視力がかなり低下してからだけでなく、はっと気づいたときに来ていただいて気持ちの整理をしてみたり、見えなくなったとしてもこういう生活の方法もあるし、一人で暮らしていくことも可能だということを伝えていくことで、また元気を取り戻す方も多くいらっしゃいました。また障害を自分なりに乗り越えて自分の生活や仕事を実現されている方から、視力は失ってもそれによって見えてくるものがたくさんあることや、元気なときは気づかなかったけれども、たくさんの人に支えられて生きているのを感じるというようなお話を伺うこともあります。自分らしく生きていらっしゃる方の言葉には本当に強いものがあります。そんなことを感じさせてもらいながら日々仕事をしています。
質疑応答(抜粋)
一向に抜け出せない日本経済の不況の中、リストラや若い人達のフリーターへの流れの中で失業率は改善されないままの状況です。中でも、視覚障害者の就業率は目を覆いたくなるような実態です。国が平成13年6月に行った身体障害者実態調査でも身体障害者全体でおおよそ52%の就業率といわれています。視覚障害者のそれは23.8%だそうです。これにしても、中途失明者などが家族と共に従事していることの多い農林漁業や商店業など多種多様の職種が含まれていると思われます。
センターでは、そのような悪環境の中で視覚障害者の三療業(鍼・灸・あんま)を除いた就労実態はどうなのか、視覚障害者の雇用を拡大するためにはどのような取り組みが必要なのかを明らかにするため、「視覚障害者の就労促進のための就業実態調査(仮題)」を実施したいと計画しています。
対象は47都道府県と政令都市・市区までの自治体、それらに働く公務員(教員を含む)、民間企業や関係福祉施設などの雇用主と雇用されている人達にできるだけ回答していただきやすい質問を郵便で行いたいと思っております。
ご承知の方もおありかと思いますが、センターでは1981年の国際障害者年以来、「障害者の完全参加と平等」をスローガンに何回かこの種の調査を行って単行本としてもまとめ、関係者に資料として、また啓発書として、好評を博してまいりました。しかし、1997年の調査を最後に今日までまったく実施しておりません。その理由の一番のネックは「プライバシー」ということから、ご回答いただく折に必要な住所や氏名などが伺えなくなったことで「正確性」を欠くということです。
センターが毎年行っています「視覚障害者の大学進学合格者調査」と同様に行ってきました「大学卒業者の就職状況調査」はここ数年、先のような事情もあって取りやめております。
よく就労問題が取り上げられる時に「その就労実態は」などといったことが中心になります。しかし、その「視覚障害者の就労実態」が新しいものとして出ていないことは各方面で残念がられているところです。センターではできるだけ多くの皆様のご理解とご協力をいただきながら、この調査を意義あるものとして実現させたいと思っております。皆様をはじめ、周辺の方で三療以外の仕事に就いておられ、ご協力いただける方に情報を提供していただきたく切にお願い申し上げる次第です。
情報は手紙か電話、FAX、メールで担当の伊瀬(いせ)までお知らせくだされば幸いです。
[お問い合わせ先]
社会福祉法人 視覚障害者支援総合センター
担当:伊瀬
〒167-0043
東京都杉並区上荻2-37-10 Keiビル
TEL 03-5310-5051
FAX 03-5310-5053
E-mail : mail@siencenter.or.jp
2004年1月31日(土)18時〜21時、大阪/産業創造館で、Kinki−ビジョンサポート(略称:KVS)主催の"医療関係者向け講演会"が開催されました。
当日は、医療関係者(眼科医、看護士、視能訓練士)の方々、約80名が参加しました(会費 3000円)。いつもに比べ、眼科医の方が多く、目立ちました。
京都では、5年前から医療関係者に向けた活動を中心にロービジョンケア情報交換会としてロービジョン者のQOL向上のための活動を、地道にやっていましたが、一昨年名称をKVSに改め、活動も京都に加え、大阪に足を伸ばし、新大阪での"ロービジョン講座"、北新地での"サロン"(どちらも月一回)、そして、今回のような医療関係者向け講演会(3か月に1回程度)も開催しています。
KVS"サロン"は、眼科医、視能訓練士、リハビリ指導員、そして障害当事者とその家族およびボランティアの方々20〜30人が集まり、テーマを決めて活動しています。
これからの1年間のテーマは、「医療現場から、障害当事者への、"適切なときに、適切な情報が提供される"には、どうしたらいいか」です。
今回の講演会は、まさにこのテーマの流れに沿ったもので、医療関係からは眼科医が、福祉関係からはリハビリ指導員が、そして障害当事者(実は、僕なんです)が、それぞれの立場から発表しました。
目が悪くなると、眼科に行く。そこで、"失望"の宣告を受ける。しかし、残念ながら、その上で、"希望"につながる情報を与えてくれる医療関係者は、非常に少ない。
確かに、医療の最大の使命は"cure"だろうが、それと同等に"care"も重要であるべき。やる気があって、適切な訓練をすればかなりのことができるようになるんです。その訓練成果の例として、僕は、パソコンでパワーポイントを使って発表をし、職場で、パソコン、拡大読書器、スキャナーを使って仕事をしているビデオを流したのです。
講演は、医療関係者にとっては、かなり"耳が痛い"内容である反面、「へえー、こんなことができるんだ!」という実感も得てもらったと思います。
終了後、「パソコンを駆使されての講演は感動しました。彼の精神の歩みに励まされ、仕事への意欲になりました。」「聞いていて耳と胸が痛かったです。見えない人たちを暗いトンネルに閉じ込めてしまうのは、やはり視能訓練士の怠慢としか思えません。」などと、ありがたく、気恥ずかしいような感想をいただきました。
これから、医療関係者と"共働(コラボレーション)"でやっていきます。そして、大阪府眼科医会、京都府眼科医会や大学、そして日本ライトハウスや京都ライトハウスとの絆をより太いものにしていき、推進していきたいと思っています。
このKVSの活動に関して、ご意見、ご助言、ご要望そしてご叱責をお聞かせください。また、一緒にやってもいいなと思われる方は、是非一度、"サロン"をのぞいてみてください。お待ちしています。
以下に今回の、講演会の題目、そして、京都の眼科医 塚本 慶子先生が、本講演会の内容を包括的にまとめられましたので、掲載します。ご一読ください。
2. 病気の説明が十分に理解されていない
告知のされ方で復帰の仕方が全く違ってくる治療法の確立されていない病気については、病名を告げることすら躊躇します。
「医者から見離された」と感じさせない対応が大切ですがきっちりと病名を告げないと次のステップへ踏み出せず気持ちの上でも長い期間ウロウロすることになり、人生の貴重な時間を無駄に過ごしてしまいます。緑内障の視野検査結果説明でも、「前回と変わりありません」と言われているけれど、どのあたりが見えにくいのか実際の視界で本人がちゃんと分かっている人はほとんどいないのではないのでしょうか?これでは、どの部分で見たら見易いかを判断できません。
眼科医は治療と平行して患者さんの生活を考える必要があります。本人自身が治療法は無いまたはこれ以上良くなる見込みが薄いことを感じていても医者やスタッフの「どうしようもない」という気持ちが伝わるとパニックに陥ります。患者さんが希望を持てる表現を挙げてみます。
(1) 最新治療の新聞記事を渡して、「今はまだこの病気の治療研究は"サル"の段階だがいずれ"ひと"の段階へ行くときがくる」と言ってくれたと、新聞記事を握り締めてロービジョンケア相談に来る人が何人もいる。
(2) 「これから長い道のりを一緒に行こうね」と先生に言われたと気持ちが楽になったと言う人がいる。
(3) 不便さに共感し少しでも生活が楽になるように「いっしょに考えましょう。」という態度を示されるとリハビリに入り易い。「治療によってもさほど改善しないと認めるようなものとは言えない」という医者が多いですがロービジョンケアやリハビリが遅れる事によって不利を被ったと訴えられるようになるかもしれません。ましてや障害年金の受給が遅れたことによる不利益に対して今後はクレームがついてくる時代になるかも。(少々過激な表現にしましたが)患者の会などを紹介すると、自分一人でない、同じような問題を抱えて頑張っている人に出会って励まされたと感謝されることがよくあります。
3. 医者、医療機関でなにもかもしようということを考えずに「橋渡し」ができるように情報を仕入れておくことが大切。
KVSでは訓練のごく初歩を短時間で体験してもらい少し訓練すれば不安が薄らぐことを実際に知ってもらう。同時にロービジョンの仲間の存在を知り「私だけ」という孤立状態から脱却し見違えるように元気になっていかれる人をよく見る。その中から本格的な訓練に入る決心をする人もでてきて、KVSの仲間から利用者の立場での施設の情報を得ている。
4. 身体障害者手帳取得を医者に勧められた人はとても少ない(近所の人、友人に勧められて福祉事務所に行った等)
患者同士の集まりで「身障手帳のことをどこで知ったか」を出席者に聞いたところ「医者からの勧めは少ないだろう」と予測していたが予測を上回ってもっと少なく、日本での障害者の福祉制度の根本である身体障害者福祉法の制度利用に必要不可欠な身体障害者手帳の案内が、視覚障害者が必ず訪れる眼科で熱心に取り組まれていないことが分かります。ひどく見えにくくなってしまってからリハビリに取り組むとなかなか上達しませんが、障害が軽めのころは取っ付きも良いし、できることも多いし本人の達成感も得やすくスムーズにリハビリの効果がでます。矯正視力0,3くらいになってくると、"生活に困っているかも"ということを考えてあげてください。(WHOのロービジョンの基準)
5. 障害者の自立
障害者の自立に、「障害の受容」という言葉がよく出てきます。しかし、障害を受け入れ克服することは本当の意味では不可能です。ただ立ち直れるためには経済的な自立、仲間との出会いが大きな役割を担うといわれています。
最近新聞で、「13歳のハローワーク」の著者村上龍氏にとっての働くことの意味は?という記事を見ましたが、「お金と充実感、自分も捨てたものじゃあないという思い。作家の仕事によって、誰かと知り合ったり、友達になったり、人とのネットワークができる。」ことを挙げておられました。これは、誰にも共通することではないでしょうか?仕事をしてお金を稼ぐ。年金で貰うお金とは根本的に意味が違ってきます。
私たちみんなにとって税金を納めてくださる人が多いほどよいに決まっています。私たち医療者は、病気の治療は第一の使命ですが、同時に人間として自立して生きていけるように患者さんに情報を流し、サポートするためにアンテナを張っていなければならないと思います。矯正視力0.3くらいになると仕事に就いている人は読み書きに困難を感じていて、職業継続に問題が出始めています。職業上の情報を知らせてあげるのも眼科医の役目でしょう。
もう続けられないと悩んでいる人に「休職」制度を教え休職期間に訓練を始めるように勧めると仕事を辞めないで復職に繋げられることもあります。この不況時代、一度退職したら次の職を見つけることはほぼ不可能と考えた方がよいでしょう。休職せずに仕事を継続しながらパソコン技術のスキルアップをすることもできハローワークを通じて相談すれば道はみつかります。按摩鍼灸の三療でしっかり稼いではつらつとしておられる人には感銘を受けます。
ぶどう膜炎で大きな中心暗点があり職業の継続が危ぶまれたことのある大阪ガスの堀さんは、意欲的に情報を収集して職場復帰を果たしておられます。
平成16年1月31日のKVSロービジョン情報交換会では、PCを駆使して講演をしてくださり、訓練と本人の意欲、まわりの人々の協力で職場復帰が可能なことをデモンストレーションしてくださいました。訓練だけでなく復帰に当たって職場との交渉などにも当たりサポートされた日本ライトハウス職業訓練部の津田氏も当日参加してくださり弟子の活躍を見守っておられました。障害のある経営者の集まりも活動されています。またタートルの会(中途視覚障害者の復職を考える会)も堀氏の職場復帰の重要なサポーターです。
職業技能がたいへん優れていても通勤に危険を伴うようでは、企業は採用、復職を受け入れません。通勤途中の怪我は労災になるからです。そのためにも歩行訓練は絶対に必要です。ちょっとコンビニにと思っても人を頼まなければ出かけられないのも困りますから誰でも近所くらいは歩けるようにしてあげたいものです。しかし、老人の場合には、ガイドヘルパーを利用する方が安心かもしれません。
家族へのサポートも取り組んでいかなければならない課題です。
6. 「補助具の77%は使われていない」ともいわれています。
1月4日に国立函館視力障害センターの山田信也氏を招いて拡大読書器講座を行いました。
この第2弾として夏に京都で指導者講習会を開きたいと思い準備をしています。受講者は毎日30分の課題を貰って帰られましたが、電話問い合わせできっちり課題をこなしている人は8人中2人でした。他の人たちも習って使いやすくなった、船酔い状態にならない、目から鱗です、とたった2時間の講習でしたが、成果を実感して貰えたようです。
このとき、眼底疾患の何人かは、色の識別が困難で中学の英語の先生が赤鉛筆と思って緑の鉛筆で生徒の答案に丸付けをしていて慌てたと体験談を披露してくださり、かなり早い病期から色覚が落ちてくることを教えられ、不得意な色を並べ対比することにより判別できることをロービジョン者のみならず色覚異常の方に診療の中でちょっと話すと喜ばれるだろうと思いました。
医療従事者向け講習として、日本ライトハウスでは毎年医療関係者視覚障害リハビリテーション研修会を3日間開き、移動介助、ルーペなどの使い方、弱視体験などを教えてくださるそうです。平成15年9月30日から10月2日まで行われました。平成16年は未定、日本ライトハウスのホームページに載るのでスタッフの方の受講を考えてみてください。
私自身いろいろな立場、職業、職種の方とお話し、いっしょに活動でき眼科だけに籠っていたら知り得なかったことを体験でき本当にありがたいと思っています。出会い、めぐりあいを楽しみ、眼科に関わった縁から、情報の80%が視覚からといわれる時代、高齢化社会では多くのロービジョン者が出る時代、視覚に不自由を感じておられる方々のサポーターとして眼科医みんなが情報の共有、提供をしていかなければならないと思います。
◆はじめに
1人の糖尿病網膜症患者さんの自殺から、新潟の視覚障害リハビリテーションが始まりました。1人の医師が、「医者として自分に何ができるのか。」を苦悩された末「視覚障害リハビリテーション外来」が信楽園病院に1994年5月に開設されました。
その外来を受診した目の不自由な人が、「もう一度文字が読みたい、書きたい。」の声から「音声パソコン教室」が1995年6月に誕生しました。
1人の医師とは、信楽園病院内科部長の山田幸男先生です。多くの糖尿病患者さんを抱え、超多忙な内科医が、目の不自由な人に注ぐ情熱はどこから来るのか?ユニークな発想はどのようにして生まれるのか?1人の患者さんの「死」や「願い」に真っ正面に向き合い「なんとかしなければ・・」の思いの深さではないでしょうか。
その山田先生の下、医療関係者、目の不自由な人、家族、ボランティアさん、学生さんなど、社会の人全部を巻き込み理解と支援の輪を広げ、作り上げていったのが新潟独自のリハビリテーションだと思います。外来開設から10年、昨年12月までに受診された患者さんは240名になりました。
◆リハビリテーション外来(月2回)
スタッフは、埼玉、東京から生活・歩行訓練士に来ていただき、眼科医、内科医、視能訓練士、アシスタントなどでチームを組んでいます。1回の外来に8名から12名、1人30分から40分を要します。
外来の内容は、悩みの相談、白杖歩行訓練、ロービジョンクリニック(弱視めがね、拡大読書器の使い方など)、音声パソコンと「教室」の紹介、点字、日常生活に便利な器具類、調理指導、福祉援助制度の紹介などです。視力を失ったばかりの患者さんに、中央からの先生は適切な心理カウンセリングを行いながら、その方の困っている問題を聴き、話し合いながらリハビリテーションが進められます。月2回の「リハビリ外来」と、目の不自由な人とボランティアさんが指導する週2回の「音声パソコン教室」「拡大読書器教室」他「グループセラピー」などが、うまく連携しながら、リハビリテーション効果が高まります。
◆「音声パソコン教室」(週2回)
初めはボランティアさんが視覚障害者に、技術をマスターした視覚障害者が次の視覚障害者に教える教室でした。
それが5年前、常識では考えられない「見えない人が見える人に教える教室ができないものか?」「あの粘り強い特性の君たちならできる・・・。」と普通でない医者山田先生は、逆転の発想に歓喜します。若い人を中心にチームを組み挑みました。
そのお陰で、目の見える肢体不自由の人、言語障害、こころを病んでいる人、不登校の少女、など違う障害の人、高齢者をも元気にしました。可能性に果敢に挑戦、目の不自由な人の自信を取り戻し「生きがい」に繋がった大きな変化でした。また、お昼やお茶の時間をとびきり楽しく、有意義な時にしようと工夫してます。情報交換、友との出会い、他者に耳を傾け、自己主張も出来る場、影響し合い、助け合いながら、自然治癒力が高まる教室ではないかと秘かに自慢に思っています。
現在「音声パソコン教室」は、新潟県内に姉妹校が10カ所、長野県に1カ所、福島県にも広がりつつあります。他の地域に波及して目の不自由な人たちの相談所や心のよりどころ、「白杖歩行・誘導歩行」を普及させる拠点になって欲しいと願っています。
◆「就労」に関する相談
「仕事を続けたい、どうしたら?」「手帳はまだです。職場に話すタイミングは?」「帰りの歩行が難しくなった。」などの相談が増えています。現在使っているパソコンの使い方の工夫や拡大読書器の活用、職に関する情報、白杖や強力ライトなどの紹介、辞めないで仕事が続けられるように「一人で悩まない、専門家や多くの人の知恵や力をお借りすれば道が開けます。」と萎えそうになる気持ちをサポート、タートルの会にも繋げます。「タートルの会」の存在、新潟出身で働き続ける坂上さん、嶋垣さんの存在が光になってくれます。
今の仕事を続けながら、地方で職業訓練や歩行訓練ができないか?土日や夜に一般のパソコン教室で、障害者のプログラムが指導できる教室があったなら、タートルの会と地方が繋がって、定期的継続的に「就労のための相談会」「仕事に関するピアカウンセリング」、合わせて行政側、雇用者側にも働きたい障害者を理解してもらう何かが欲しい。「なんとかしたい。」と思い煩っているのが現状です。
◆おわりに
「リハビリテーション」とは、人間の持つ自然治癒力や、失うことで生まれる可能性など「障害があっても人間の力は凄い」。人間を、自分を信頼できるようにするのが「リハビリテーション」のような気がします。
哲学者の梅原猛さんが、宗教観、道徳観を失った今の子どもたちに仏教の授業をされるのですが、その中で「自利利他」の精神を話されます。自分の利益と他人を利益することの両面性を教えています。自分のために努力して自分の利益にする。それを他者に活かすことで、その人自身がもっと強くより豊かに生きられる。私達のパソコン教室の中にも、そんな光景が多々見られます。また、過酷とも思える運命を使命に変えたヘレンケラーさんのように、「タートルの会」の人たちの生き方も多くの人を感動させています。
この混沌として希望が見いだせない世の中に、「どう生きたらいいのか?」「何が正しいのか?」障害を持ち生きる人たちが、ある意味鮮明に教えてくださるように思います。
今後「タートルの会」と越後がもっと繋がることで「今出来ること」が新たに見えてくるように思えます。いかが思われますでしょうか。これからも障害をお持ちの皆さんや山田先生から教えていただきながら、歩き続けたいと思っております。
追記:上記文中の他、「リハビリテーション講演会」「こころのケアセミナー」「白杖・誘導歩行講習会」や、学生さんのための「サマースクール」、「学校訪問指導」など、多くのみなさんのご協力で取り組んできたこともご報告させていただきます。
本号には、近畿圏におけるロービジョンを支援する「近畿ビジョンサポート(KVS)」講演会・情報交換会の報告と、新潟県の一病院を核にした「信楽園病院視覚障害リハビリテーション外来・音声パソコン教室」の実践報告が掲載されました。
視覚障害者、特にロービジョンに対する医療、福祉、教育、職業などの支援機関が連携して、当事者を含めた活発な活動が展開されています。特に医療関係者が眼科リハビリテーションを志向してきている実態がよくわかります。
いずれも実践の蓄積から、連携の広がりがもたらされており、やはりそこには当事者の積極的な参加が大きな影響を与えているように思われます。地域に根ざした視覚障害者グループが密接なかかわりをもちつつ、活動が展開されていくことが大事なことだということを示しているものと思います。
さて、平成17年度は創設10周年となります。本年度では創設以来の総括をしつつ、あらためて会員のニーズと実態を調査したいと考えています。ご協力を宜しくお願いします。
中途視覚障害者の復職を考える会【タートルの会】会報
『タートル32』
2004年6月13日発行 SSKU 増刊 通巻第1474号
■編集 中途視覚障害者の復職を考える会 会長・下堂薗 保
■事務局 〒160-0003 東京都新宿区本塩町10-3
社会福祉法人 日本盲人職能開発センター 東京ワークショップ内
電話 03-3351-3208 ファックス 03-3351-3189
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