会報「タートル」26号(2002.12.13)

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2002年12月13日発行 SSKU 増刊 通巻第967号

中途視覚障害者の復職を考える会
タートル 26 号


目次

【巻頭言】
 正義とは?(回想)

タートルの会幹事 和泉森太

 私が学生の頃に大学紛争があり、後にその世代を「全共闘世代」と呼ぶようになった。
 その一時代前に「60年安保世代」と呼ばれる世代もあった。
 時代時代にはそのような呼称が存在するようだが、それらの持つ歴史的な印象をや意味を私なりの冷静さで眺めてきた。
 60年安保闘争は、国際平和や世界平和の観点からアメリカとの二国間による安全保障条約の締結を認めないとする勢力と締結する政府との攻防にあり、鳩山、石橋、岸と内閣が変わる中、自由民主党による支配が強まっていた時代に日本の置かれた国際情勢での現実認識からの選択としてアメリカの要求に応じていかなければならないと、最後には国会での条約批准を強行成立させた。
 一方、反対する野党、労働組合、学生らは「戦争に道を開くのは平和憲法に反する」と条約破棄を求めて連日デモを行い、それが普及し始めたテレビのニュースで報道される毎日でもあって、そのような中、国会前では警官隊との応酬で樺美智子(かんばみちこ)さんという東京大学の女子学生が命を落としている。
 2年後には、統一された社会党の二代目くらいの委員長だった浅沼稲次郎氏が僅か17歳の右翼と称する少年に演説中に刺し殺されるという事件があった。
 新聞配達をしていた中学1年生のときで、その事件を報道する「号外」を配った記憶がある。
 今思えば、戦争前に育った世代が敗戦と共に未経験な「自由」を得てその活用を考える混乱期にあったのかも知れない。
 初めてお小遣いを貰った子供が何を買ったらよいか迷うような・・・
 (例えが好くないかも知れません)
 子供心に、弱者に厳しい現実を見て義憤を感じた覚えがある。
 国会での強行採決、牛歩戦術などはこの頃からの現象だが、批准した後、岸内閣は倒れ、池田内閣が成立し、そして「所得倍増計画」を掲げて東京オリンピックや新幹線を絡めた高度経済成長の一歩を踏み出していくという経過をたどる。
 高速道路整備も並行して行われ、私の子供の頃の「夢の立体交差」は実現した。
 昭和43年頃から、大学紛争が始まる。
 東京大学医学部の医局に縛られてインターンを強制される学生が医局(講座)制に反対の狼煙を上げるところから端を発し、私学では授業料値上げ問題と日本大学の理事者の不正問題が絡んで方針の異なるセクトが全学共闘組織を作り、団交(団体交渉)を行うようになった。それが「全共闘」の名前の起こりだと言われている。
 この大学紛争が燎原の火のように全国の大学に広がっていった。
 「自己否定」、「総括」が流行した。その他にもあったようだが今は忘れてしまった。
 それは大人社会の「不正義」、「不誠実」に養われてきた自己から脱出することを意味したのかも知れないが、私の場合は既に経済的には自立せざるを得ない状況にあったため(金も無く貧乏だったが)養われる「不合理さ」さえ無かった。
 敢えて「自己肯定」を主張する立場で居たが、当時も現状から出発する以外には方法が無かったように思われたから。
 正義を考える力と正義を行う力は別、即ち「正義感」と「正義漢」が異なるように言行不一致が現実世界であり、そこに立脚しないでは言行一致の統合はできないことになる。
 差別が不正義であることは観念では理解しているのに、横行するのは何故なのか?
 差別をされ不誠実だから、受ける側は何をしてもよいというのではおかしい。
 であればこそ差別をなくす努力、誠実に対応する努力をすべきなのではないかと思う。
 最後に、『善も偽善も同じ行為として具現すれば変わらない』、「小人閑居して不善を為す私」は、時間を持て余し考えることのできた学生時代からそう思っている。


地域フォーラムin京都を終えて

社会福祉法人京都ライトハウス次長  田尻 彰

 今日、視覚障害者を取りまく雇用・就労の問題は、視覚障害ゆえの就業機会の制約に加え、景気の低迷による失業率の上昇などの社会的要因が加わり、極めて厳しい出口の見えにくい状況であるといっても言い過ぎではないでしょう。
 そんななかで、今回開かれた京都での地域フォーラムの地元開催にあたり、参加された方々と共にその場を共有できた喜びを大切にしていきたいと思います。
 ここ京都には全国的にも注目された「障害者職業相談室」が1975年から開設されています。また当事者団体である京都府視覚障害者協会には以前から「職業部」という専門部が設置されています。毎年職業部が主催して「視覚障害者就労問題懇談会」を開催し、今年で17回目を迎えます。労働行政関係者や府立盲学校進路指導部、更生施設等関係者が集まり、その時々のテーマについての意見や情報交換等を行っています。
 直面している課題の一つに、中途視覚障害者の社会復帰という問題があります。特に、社会適応訓練施設「鳥居寮」での生活訓練を終了した後の進路が準備されていないことが、最も大きな課題です。そのため、現在建て替えられている京都ライトハウスの完成時には、現行事業に加えて、新たに「障害者通所授産事業」を併設する計画が進んでいます。重度障害者のための「社会就労センター」であり、就労支援や職能技術訓練なども視野に入れた幅のある事業展開を考えています。
 聞くところによれば、この地域フォーラムは仙台・新潟・広島に次ぐ地域開催だそうですが、開催によって多くの成果を残せたことは今後への大きな力になるものと思います。一つには、地元の多彩な顔ぶれと実行委員会に参加でき、普段の関係をさらにに密にすることができたこと。とりわけ、眼科医や視能訓練師などを交えたチーム編成は新鮮で、今後こうした取り組みを京都で行っていく場合の大きな経験となりました。二つには、職場で一人で就労する地域の視覚障害者に大きな情報提供と激励を与えたこと。体験発表に見られた共感は、おそらくそれぞれの職場で大きな勇気を生み出す原動力になったことでしょう。相談コーナーでの課題の解決に向けた取り組みは大変好評のように数人から伺うことができて良かったと思います。
 それにしても、既成の団体などには加入していない若い世代の参加は大変特筆すべきことでした。目的意識的に地域でのイベント企画がなされるならば、こうした参加者のニーズに応えることができるのだという新たな教訓を身を持って体験することができました。
 いつの日かまた京都開催がされる場合には、今回の反省を踏まえ、施設・団体が胸を張って全国の皆さんをお迎えできる体制作りにも努力して行きたいと思います。本当にありがとうございました。


【職場で頑張っています・その1】
仕事を続けるために

岡山市 植田昌典

 私は網膜色素変性症(RP)です。この病気がわかったのは8年前です。それまで、普通の人と同じように仕事をしておりました。
 勤めている会社は肌着で有名なG社の子会社でG社製の商品を専門に販売しています。入社は大阪で、3年半勤め、転勤で故郷の広島へ戻りました。
 入社当時は経理事務をしていました。その仕事を約20年つづけました。
 社内の組織変更で、社内のコンピュータシステムの運用担当になりました。当然画面を見る時間が増えました。自分のペースでできる仕事ではありませんので、家に帰る時間も遅くなりました。
 当時は車で通勤をしていましたので、帰る時間を気にせず、仕事をしていました。ある時、交通事故を2カ月続けて起こしてしまいました。2回とも夜でした。これおきっかけに車の運転をやめました。
 その頃の目の状態は、明るい所から暗い所へ行ったら、すぐには見えませんが、しばらくすると慣れてきて見えてきます。また夜など暗いところではみえにくく感じるようになりました。
 コンピュータの画面を見ているから目が疲れているんだろうなあ、と考えてました。今思えばRPの症状が始まっていたんですね。
 その後、会社の健康診断の眼底検査で異常と言われ、近くの眼科へ行ってRPの宣告を受けました。いずれは失明すると言われショックでした。何年かはなぜ自分だけこんな病気になってしまうんだろう、とくよくよ考えていました。
 書類の文字が見えにくくなり眼科医に相談したところ、拡大読書器を紹介され早速購入し会社へ持ちこみました。もしこの読書器がなければ仕事を続けられなかったでしょう。
 何年かして、JRPSの行事が広島であり、同じ病気の人が大勢いることを知りました。ちょうど同じ頃インターネットを始めようと自分のパソコンを購入しました。そしてインターネットでタートルの会を知り、さっそくメーリングリストに参加しました。そしていろいろな情報を得ることができるようになりましたし、一人ぼっちではないことを知り、大変心強く思えました。
 そして2級の手帳を取得、障害年金の受給、白杖の購入等々、また、視覚障害者団体の行事にできるだけ参加しました。終わったあとのみんなでお酒が呑めるのが楽しみでしたが、今まで一人で悩んでいたことが、仲間と一緒に共有できるんです。そして次の行事を楽しみに仕事をするようになりました。
 それから視覚障害者向けのパソコンボランティアグループに参加し、ボランティアもしました。その活動の中で、画面が見えなくてもスクリーンリーダーを使えば、パソコンが楽に操作できることを知りました。いくつかの場面ではマウスを使うより早く操作ができます。会社でパソコンを使う上で、大変役に立ちました。
 会社は中四国の本部を従来は広島に置いてましたが、不況のあおりを受け、事務所経費の削減を目的に、広島の規模を縮小し本部を岡山へ移しました。しかし私が障害者ということで、会社は私に転勤を命令しませんでした。
 しかし少しずつ広島の人数が減り、仕事の量が減ってきて、こんな状態で仕事をしていてもいいのかな?と思いながら通勤してました。そして今年4月にとうとう私にも順番が回ってきました。その時、上司は「広島に居ても仕事量が減っているんで、やり甲斐がないだろう。岡山へ行って君の力を発揮しなさい。」と言ってくれました。とてもうれしいことでした。
 すぐにOKしたかったんですが、家族の都合で、3ヶ月待ってもらいました。そして8月に岡山へ転勤したんです。でも会社が交通の便の良くないところにあり、車でないと通勤できません。私は車の運転ができませんので、歩いてでも通勤しなければならないかな?と思っていましたが、同僚の車に同乗させてもらうことになりました。会社として、その同僚に話をしていて、その同僚には私を送り迎えをするのも仕事の内なんだから、と言ってあるのでその同僚に気兼ねせず仕事をしなさいと言ってくれました。
 仕事の内容も広島の時とほとんど変わりませんが、人が多くいるので量が増え、けっこう忙しくなりました。また、中四国の本部としての仕事が増えました。私の場合入社以来同じ会社で働くことができ、目が悪くなっても今までの経験を活かすことができますので、楽でした。
 また会社も拡大読書器の持ちこみや、スクリーンリーダーの購入など、そして通勤のことについても理解があり、助かっています。定年まであと11年、不自由なことが出てくるでしょうが、工夫しながら、勤めつづけたいと考えています。今後ともタートルのみなさん、よろしくお願いします。そして私が皆さんから役に立つ情報をいただいたように、他の一人で悩んでいる人達のお役に立ちたいと思います。


【職場で頑張っています・その2】
6年ぶりの教壇に立って

東京都大田区 佐藤正純

 6年半前に不慮の事故で瀕死の脳挫傷を負った私は、辛うじて一命を取りとめ、1カ月後からようやく少しずつ意識が回復し、植物状態から脱却できました。しかし、一瞬の怪我で視力障害と記憶障害、そして下肢の麻痺による歩行障害という重複障害を負う高次脳機能障害者となっていました。
 そのうち記憶と歩行についてはリハビリによって多少の回復が得られましたが、両眼とも手動弁となって文字や画像の認知が全く不可能な視覚障害については、それ以上悪化の心配は無いものの、医学的にも回復の見通しが無いことはよく自覚され、99年末に休職期間が切れると同時に、勤務先であった大学の脳外科医局から退職せざるをえませんでした。
 41歳で本当に無職となった私は、いよいよ真剣に復職の手段を考え始め、翌2000年初めから四谷のセンターで篠島先生にスクリーンリーダーの指導を受け始めました。秋からはそれを発展させて松坂さんからメーラー操作の指導を受けてタートルMLへの投稿も始めました。翌01年初めにはタートル交流会で講演された都盲協の山本さんの指導で歩行訓練を受け始めました。こうした数々の恩師がまだ残る私の記憶障害も考慮して根気良く指導してくださった結果それが私の障害の回復にも結びつき、その年の秋までにはメールで情報交換をしながらの資料作成と決められた区域の独立歩行が可能になっていました。
 しかし、私がどうしたら自分の経験を生かせる職業を探せるかについては悶々と悩む日々が続いていました。そこで相談に乗っていただいた工藤さんから、私が実際に経験を生かせる職業を見つけるには人脈に頼る他は無いというアドバイスをいただき、幸い趣味でも交流を保っていた医局のかつての同僚を私が出演しているジャズバンドのライブに招き、思いきって私の考えをぶつけました。彼は私の思いがけない回復と衰えない復職への意欲に驚き、とりあえず医局から講師を派遣し始めていた専門学校に、私が聴講生としてしばらく通う方向で話が進みました。
 これが今年初めに私が脳外科の特別講義をする話に発展し、4月からは非常勤講師として復職にまで結びついたことはMLでもご報告させていただいた通りです。私が勤務する学校は横浜市戸塚区にある湘南医療福祉専門学校という鍼灸按摩師と介護福祉士を養成する専門学校で、学生は100%健常者ですが創立者が中途失明の鍼灸按摩師であったことから障害者との交流を目的として点字が授業の1部に取り入れられており、視覚障害者の講師は学生の教育に有益だと考えていると校長が私の面接の時に言ってくださったことは私の大きな励みになっています。
 私が自らの重複障害を克服して講義を進めるためにはまず前もって完璧な講義資料を書き上げる必要があると考えました。私が担当する医学史と公衆衛生はいずれも私の専門からは少し外れた科目であるため苦労は多いですが、幸い今まで大切にしてきた多くの友人がメールを通じて手を差し伸べてくれています。書き上げた資料は講義の数日前までにメールで学校に送っておけば当日までにスタッフが学生に配布できるようにしてくれます。そして出席を取ったり私の出勤簿なども講義の前後にスタッフが管理してくれます。
 私の講義は資料を板書の代わりとしてまず概略を説明した後は資料を順番に学生に音読させて補足説明を加えて後は質問を受けるというスタイルを取っています。私が見えないのを嘗めてかかって眠っている学生もいるそうですが、時々急に大きな声を出したり、雑談やクイズを入れたり学生を飽きさせない努力もしています。学生の質問は教室よりもメールで寄せられることが多くそれに悩み相談なども混じって私のアドレスは大賑わいです。
 こうして私は6年ぶりに後進の指導のために教壇に立つという形で復職を果たすことができました。それには私自身が何度も挫折を感じながら、それでも夢を達成する意欲を捨てなかったことと、ほんの少しの前進でもそれを進歩と感じられるお目出度い性格がプラスに働いたのだとおもいますが、それをずっと応援してくださった多くの方々、特にタートルの皆さんのご援助には多大なものがあったと深く感謝しております。
 さて、今後は今の職場で仕事の継続ができるように努力して行くのが私の課題だと思っておりますが、これにも基本的に性善説を取って友達との交流を大切にして来た私のおめでたい性格がプラスに働いてくれればと思っています。最後に今回投稿の機会を与えていただいた篠島先生、およびご指導をいただいた多くの方々に感謝し、現在復職を目指している方々のご健闘を祈って筆をおき終了のエンターキーを押します。


【ちょっと一息】
与論島へのダイビングツアー

タートルの会副会長 松坂治男

 北から紅葉の便りも聞かれる頃の10月24日から三泊四日で、鹿児島県の最南端の与論島にダイビングに行ってきました。南の島はまだまだ夏シーズンで水温が26度もありダイビングには絶好の季節です。今回のツアーは総勢10名、ダイビングインストラクター2名、ハンディキャップダイバー5名は肢体不自由4名うち1名は車椅子使用者と視覚障害者の私、一般参加者3名で年齢も20代から60代と幅広くなかなかユニークなメンバーとなりました。
 私は、与論島を沖縄県の島だと思っていました。出発直前に予備知識を得るために検索をしたところ、なんと鹿児島県の最南端の島とわかりびっくりしました。鹿児島から590km、沖縄本島の北端から30kmなので、やっぱり気候は沖縄です。周囲約24km、最高地でも100m弱の珊瑚礁の島でリゾート気分が味わえる素敵な島です。なんと信号は一つしかなく小学生の登下校時以外は点滅であり、交通整理ではなく教育上のためと言う、のどかな島でもあります。
 今回は那覇経由となり、那覇から小さな41人乗りプロペラ機で40分、風が強く不安もありましたが無事に与論島に到着し、民宿の女将さんと島のダイビングショップのインストラクターの出迎えを受け、車で民宿に向かいました。
 まだ午後1時30分ということで早速1本潜ることになりました。ダイビング機材はかさばり重いため、女房と2人分の機材はあらかじめ宅急便で送っていたので移動もスムーズにできました。荷物の整理もそこそこに水着の上にウエットスーツという姿に変身して集合、その間わずか1時間。天候は曇り時々雨、気温22度、北東の風がやや強いため、島の南側のポイントで潜ることになりいざ港へ、何せ小さな島なので港まで約5分で到着。
 潜るポイントが近いので港で各自機材のセッティングを行うことにしました。まず初めにBCにタンクを装着。BCとはタンクを背負うためのリュックみたいなもので、エアーを入れると浮き袋の役目もします。タンクはアルミ製で重量は約12キログラムあります。その中に約200気圧に圧縮した空気が約10リットル入ります。次にレギュレータをタンク上部とBCに取り付け、タンクのバルブを開いて安全点検をします。エアーを吸うためのホースは2本あり、それぞれ正常に呼吸ができるか、BCにエアーを入れて膨らましたり、エアーを抜いたりして確認をします。これでセッティングは完了です。
 ボートは全長12メートル程で座席も日よけもないので床に座り、地元のインストラクターから潜るポイントについて説明を受け、いざポイントへ。早く潜りたいという思いと何度行っても最初の1本目は不安と緊張で口が渇き、なんとも不思議な気分となります。
 あっという間にポイントに到着。すばやく各自鉛の付いたウエートベルトを腰に巻き、タンクを背負い、マスクを付け、フィン(足ひれ)を履き、グローブを付けて準備完了です。BCにエアーを入れて潜る順番を待ちます。船から海に入る法は何種類かありますが、船の側面に腰をかけて後方の海面に背中から落ちるように入水するバックロールエントリでの入水です。マスクとレギュレータを押さえて数秒間じっとしていると海面に顔を出すことができます。潜行用ロープまで移動してBCのエアーを抜いて潜行です。耳抜きをしながら8メートル下の海底から突き出た根の上に、全員が集合してから移動開始です。海面のうねりからは想像もつかないほど海の中は静かです。体が大きく、かつ経験の浅い私は、エアーの消費量が多いため大体最後にエントリーすることになっています。ダイビングでは、潜行する時が一番緊張します。実は普段から耳の抜けが悪く、しかも直前に風邪を引いていた私は、幾度となく潜行ロープに掴まりながら、下がったり上がったりして悪戦苦闘をしました。
 今回も何度も一緒に潜ったことのある元美容師の独身女性インストラクターとバディを組んでます。ダイビングは弱い人に合わせて行うスポーツで、安全第一を考え、予めお互いの行動をチェックするバディを決めて移動を行います。視覚障害者の登山やマラソンからヒントを得て、お互いに紐の両端を指にかけて、赤い糸ならぬ、青い紐で結ばれ、BCにエアーを入れて中性浮力を取り、ゆっくりフィンを上下に動かしながらペアでの楽しい海中散歩の始まりです。
 与論島の地形はダイナミックで、数十メートル下の海底から突き出ている山状の根が点々とあり、その岩の周りは珊瑚や団扇のような海藻に覆われています。中性浮力をとって根と根の間を渡って行くことは、まるで鳥が空を舞うような気分でダイナミックな地形を満喫できます。透明度は30m以上あり、カスミチョウチョウウオの群れ、イソギンチャクの中に群がるクマノミ、キンチャクダイなどなど。
 ポイントでは相棒のインストラクターが私の頭の上に顎を乗せてガイドをしてくれます。骨振動をを利用したコミュニケーション手段でハッキリ言葉が聞こえます.これは私に海を楽しめるようにとインストラクターが工夫をしてくれています。普通は手話とホワイトボードを使ってコミュニケーションをとります。誰かのエアーの残圧が70になると船に戻る準備をします.船の下まで戻って、身体の中に溜まった窒素を調整するために、5mで3分間の安全停止を行い、ゆっくり海面に浮上します。これで約40分の海中散歩の終了です。
 2日目、3日目に各3本づつの合計7本潜ることができました。最大水深29m、平均水深約15mドームの中にも入れたし、海底の白い砂と珊瑚礁、最高に感激したのはクレパス状岩の割れ目を1人で移動したことです。幅が狭くて2人並んで通れなかったのです。上を見上げると光がキラキラと降り注ぎとてもきれいでした。
 広い海に溶け込むように、潜水を開始するときの緊張感と重力から解き放たれた解放感、呼吸時に発生する泡の音だけがする静寂。カラフルな魚や珊瑚礁、太陽の光と海水と泡が織り成す煌き、そして陸に上がってからのけだるさ、などなど。普段の生活で体内に蓄積されたストレスが雄大な海の中で呼吸によって吐き出される泡とともに清められるような気がします。
 でも、いつになったら私の腹の中はきれいになるのでしょうか?ただいまライセンスを取得してから通算42本。100本目指してこれからも楽しみながら修行に励みます。
 なお、沖縄まで行かなくても、真鶴や伊豆半島でも体験ダイビングをすることができます。泳げなくても大丈夫です。水着さえあればOKです。シーズンは、6月〜10月でベストは9月〜10月です。
 興味のある方は、松坂まで連絡をください.


【連続交流会(2002/9/28)】
<講演>「甘えの成熟〜大人の依存法」

講師:和田秀樹氏

●はじめに

 本業は精神分析ですが、老年精神医学というお年寄り対象の精神科の医師として、痴呆症の診察をしたり、その人のお世話だとか、介護保険のケアを提供されるための診断書を書いたりいろいろな仕事をしています。
 痴呆症というのは、何もかもわからなくなるというわけではなく、最初は記憶だけが衰えるわけです。記憶は衰えるけれども知能は残っているみたいなのが初期の状態でして、そのときに例えば物がなくなって、どこに置いたか忘れてしまったときに、全く記憶がないものですから、それを取られたと解釈する人もいれば、逆に、自分は何て物忘れがひどいのだろうと落ち込む人もいるわけで、同じ痴呆症でもいろいろな症状が出てくるわけです。
 いずれにしても進行性で、ある種の障害を抱えてしまい、少しずつその障害が悪くなっていくとき、どのようにつき合うかという大きな問題を抱えているわけです。
 65歳以上の人をとってみると大体6%ぐらいが痴呆症だそうで、5%ぐらいがうつ病だと言われており、痴呆症と同じぐらいのうつ病の患者さんがいらっしゃるわけです。
 うつ病もなかなかつらい病気で、どんどん物事が悪く感じられ、何も食べる気もせず、痴呆症以上にひょっとしたらつらい病気かもしれないわけです。
 痴呆症は、病気が重くなるにつれて、その自覚がなくなる病気ですから、大体だんだん明るくなってくることが多いですが、うつ病はひどくなるほど暗くなるので、そういう意味でも悲しい病気です。
 ところが、お年寄りのうつ病の場合、前途を悲観してとか、ひとり暮らしだからとか悪い条件ばかりのように見えるんですが、うつ病になりやすいのは脳内の神経伝達物質というのが減ってきているので、薬を足してやると意外によくなる人が多いのです。
 精神分析はフロイトという人が始めたのですが、その人は83歳まで現役で、死ぬ直前まで論文を書き続けていたし、その娘のアンナ・フロイトという人も86歳まで、やはり現役でばりばりやっていたそうです。カール・メニンガーは、アメリカを代表する精神分析医だったのですが、その人は97歳まで仕事をやっていたということで、全く病気のない高齢者というのもたくさんいらっしゃるわけです。
 ところが一方で、60代で痴呆になってしまう人もいるわけで、年をとるほどいわゆる障害者の比率がふえるということではないかと思うんです。 例えば、65歳から70歳ぐらいだと、いわゆる要介護と言われて、だれかの世話を受けないと生きていけない人が、大体1%から2%と言われているのに対し、85歳を超えると、要介護の比率が20%から25%ぐらいになり、要介護の比率が年をとるほどふえるのです。
 一方、若い人だったらだれの世話にもならない人しかいないかというと、そんなことはなく、やはり若い人でも人口の1%ぐらいは何らかの世話を受けて生きていくということがあるわけで、そういう障害を持った人の比率が年をとればふえるという話だろうと思うのです。
 だから高齢社会というのは、いわゆる元気な、しかし障害を持っている人の比率がふえる社会であって、ますます、助け合いの必要とか、甘え、成熟した依存ということが大事になってくる社会だろうと思うんです。

●視覚障害とのかかわり

 今日は、中途視覚障害者の集まりとお聞きしていましたが、私自身、裸眼だと多分0.04ぐらいで、両方ともコンタクトレンズで今、どんなに頑張っても0.8ぐらいしか出ません。あまり目がよくないので、目が見えなくなることに対する恐怖は、わりと強いんです。
 小学校2年生のとき急に近視がひどくなり、1.0とか見えていたのが0.2ぐらいになったので、どこかの眼科では、手術が必要と言われたり、医大では手術はしてもしょうがないよという話になるなど振りまわされたのですが、もしも手術を仮にして実際うまくいっていなかったら、失明という問題を抱えていたかもしれないということもあったわけです。
 また、高校2年生のときにコンタクトレンズをし始めて1年目ぐらいのころサッカーボールが目に当たって、網膜剥離を起こしてしまったんです。この時も見えなくなる可能性もあるよなどと言われたのですが、まあ、運よくまだなんとか見えているんです。このようなわけで、目が見えなくなったらどうなるんだろうと空想した時があるんです。
 それで、今日のテーマである「共感」というのは、要するに相手の立場に立って相手の心の世界を読んでいくというものですから、目が見えなくなったらどうなるんだろうという想像をした時期があったということを理解いただけたらと思ったわけです。
 高齢者を専門にしているので、障害者の比率が高いということから、病気、障害、いろいろな機能低下等の問題を抱えているということが1つ。自分自身がちょっと目が見えなくなるのが怖いなというような体験をしているということが二つ目で、私が専門としている精神分析が三つ目で、ここからが本題といえるのかもしれないです。

●弱い個人と自立

 私が、精神分析の勉強のためアメリカに留学したのが1991年から94年ぐらいです。当時アメリカでは非常に不景気だったということ、またいわゆる「弱い個人」という問題が浮かび上がったことなどにより精神医学とか精神分析とかというのが、変わったと思います。
 弱い個人というのはどういうことかと言うと、1つは、精神分析の流れがいわゆる患者さんを自立させるというのを目標にしているということです。つまり精神分析というのは、治療を受ければ心の中のことがすっかりわかるんだから自分の力で不安だとかが解決できるようになるはずだというようなモデルをやめて、どちらかというと精神科医に支えられながらでも、とりあえず日常生活をうまくやっているんだったらその方がいいんのではないかということで、人に頼るということはそんなに悪いことなのかなというような考え方が出てきたことです。
 もう1つは、実はこれも1970年代からの流れですが、トラウマという問題があります。トラウマというのは、心の傷です。たとえば、ぼかすかと殴られただとか、爆弾がそばで爆発しただとか、目の前で人が死んでしまっただとか、突然目が見えなくなった等々です。そういうトラウマの後遺症がいろいろな精神障害を引き起こしているというわけです。
 例えば小さいころからの生まれ育ちさえよければ心の病気になんかなかなかならないんだ、というような考え方のモデルがあったのですが、ところが、小さいころから生まれ育ちがしっかりしていて幸せだった人が、1回レイプをされただけで全く人間が信じられなくなってしまうみたいなことが起こるわけです。そういう意味で、弱い個人という問題を多少はアメリカでも考えるようになってきました。
 アメリカは戦争はずっと勝ち続けていたので、戦争の心の後遺症なんて全く問題にされていなかったのですが、ベトナム戦争のころからやはり戦争の心の後遺症というのも大変なものなんだと考えられるようになってきました。つまり強い個人のモデルという考え方だと、精神分析を受けるであれ薬を飲むであれ、そうすれば自立できる、人になんか頼らなくてもよくなるだろうというものです。それから、戦争へ行って心の傷を負って帰ってくるような人というのは、もともと心が弱かった奴で、だめな人間なんだと考えられてきたのが、そうじゃなく、どんなに強い人間だって、ひどい目に遭ったら心の傷は受けるとか、そんなに自立ということにこだわらなくたって、精神科医にかかりながらだってうまくいけばいいではないかというような考え方です。
 実際僕がアメリカに行って一番びっくりしたことに、精神分析を自分で受けないと精神分析医になれないというきまりがあるので、受けて患者さんの経験をしたのですが、だんだんやっているうちに患者さんらしくなり、大体、医者に愚痴をこぼすとか、嫌なこととか不安なことばかり話をするようになっているわけです。そうすると、余り深く悩まなくても、どうせ明日分析の先生に聞いてもらえればいいやと思うと、非常に気持ちが楽になるということがあるわけです。医者とか看護者とか心理学者とかのグループが患者になり治療を受ける体験もしたのですが、そのグループの中で、夏休みで治療者が1カ月いなくなるんだけど、去年は具合が悪くなったら、いつでも電話かけておいでと言って1カ月のバケーションに行く場所の連絡先を教えて行ったのに、今年は、「あんたもう大分よくなったから要らないだろう」と言って教えてもらえなかったと一人で泣きわめくおばさんがいたんです。僕も分析を受けている先生には頼っていましたが、後で聞いてみると、そのおばさんというのは地元では結構評判のいい精神科医だったんです。
 要するに、精神科で患者さんの話をいろいろ聞いたり、相づちを打ったり共感したりしていたら疲れるんですよ。そういう人でも、自分が今度は聞いてくれる先生がいるということでメンタルヘルスを保っていくということは結構あるわけです。だから結局、アメリカが、すごいエグゼクティブの人たちが自己責任だとか全部自分で責任を負って自立しているだとか、あんなストレスによく耐えられるなとか、アメリカ人って働かない国みたいに言われていますけれども、たとえば外資の会社の社長さんが言っていましたが1日3時間ぐらいしか寝させてもらえないと言うんです。
 つまり、今年の売り上げを6億と目標を課せられて、それをやっとクリアして何とかなりましたと言ったら、では、来年は12億を課せられるというのを3年続けられたら、睡眠時間がもうどんどんなくなってしまうというのです。ストレスフルな環境の代わりに、全部の権限を持たせてもらい、だめだったら自分が責任をとるという会社の社長さんがいっぱいいるわけですが、アメリカの場合だとそういう人の愚痴とか、すごくつらくてたまらないときに話を聞いてくれるカウンセラーがいるわけです。
 自立ということをものすごく大事にする社会でアメリカがたまたまうまくいっているからと言って、日本も景気が悪いからこれから日本の社会とか経済とか経営者とかは自立しないといけないし、労働者だって会社に甘えていたり、もたれ合いはだめだと、いつまでたっても終身雇用で雇ってもらえるなんて考える方が甘い、これまでの日本の甘えた風土はもうだめで、アメリカ型にならなくてはいけないというようなことをさんざん言うわけです。
 ところが本家本元のアメリカには、実際は競争社会の中での自立性みたいなものは言われている裏ではちゃんと支えるメンタルヘルスのシステムがあるわけです。
 それから精神科の治療法に関していえば、弱っているときぐらい甘えてもいいじゃないかみたいな、かなり甘えを許していこうという形になりつつあるように思うんです。それが比較的決定的になったのは私の『「甘え」の成熟』という本で紹介したハインツ・コフートという精神分析医が出てきたことにあると思います。

●未熟な依存から成熟した依存へ

 コフートは実は自立が大事だということを言っているフロイトとフロイトの娘のアンナ・フロイトがやっている、自我という心のコントロールセンターを強くしていくと人間というのは自立でき、不安にも対処できる、だから精神分析で一応心のメカニズムをキッチリ勉強したら、あなたはもう自我がしっかりして欲望にも打ち勝て、不安にも打ち勝てるという自我心理学という学派の重鎮で、アメリカの精神分析学会の会長もやった人なんです。ところが、その人がある時期から「ちょっとこれおかしいんじゃないか」、「こんなやり方をしていても患者はなかなかよくならない」ということで、実はいわゆる「依存から自立に向かう」ということではなく、人間の方向性としては「未熟な依存から成熟した依存」に変わっていくという方が本当の発達の方向性ではないかというように考えるようになり、成熟した依存ができるようになるのであれば、十分大人になっているというふうに考えるべきだろう、と。それがアメリカでは非常に人気を得て、コフートが出てきて大分違ってきたわけです。
 患者さんの方は毎回通っていると気持ちが楽になるし不安の種なんて尽きないわけだから、やはりそこで不安になってくるとついつい頼りたくなるわけです。でも昔からのルールだと、「あなたは心が強くなったはずなんだから、もう大丈夫でしょう」という考え方から、一旦やめて治って帰った人の相談は絶対受けてはいけないというものでした。
 ところが、有名な脚本家で監督で俳優のウッディー・アレンという人は正直なものですから、自分がもう20年か30年か精神分析医にかかっていて、ちょっと具合が悪くなるとすぐ相談に行くんだみたいなことを書いているわけです。だから、医者にしてみたらそんなことをやっていると「こいつはなんていい加減な精神分析医なんだ」と、昔のルールでいくといつまでたっても患者を治せない甘え続けさせているという「だめな精神分析医」という扱いを受けると思うんです。ウッディー・アレンの方もいつまでたっても治らない、ついつい人に頼ってしまう「だめ患者」というレッテルを張られるわけですけど、このままコフート流の考え方でいくと、ウッディー・アレンというのは精神分析医に頼りながら数々の業績をなし遂げ、アカデミー賞をとったりいろんな賞もとったりするような立派な仕事を続けているわけだから、「だめ患者」でなく「優等生患者」ということになるわけで、さらに、その甘えさせている治療者というのも「だめ治療者」でなく、その人が上手に心を支えているわけだから「いい治療者」ということになるわけです。
 要するに精神分析医にかかりながら世の中でうまく行く人が出てくるわけですから、それもよかろうというふうな考え方になってきており、コフートのやり方の方がいいではないかというわけです。実際患者さんとしても心地よいものですから、患者さんがコフート流の流派の先生のところにかかりたがるわけで、アメリカの場合非常に市場原理の盛んな国ですから、コフート流の治療がアメリカではむしろ主流になってきているということです。
 「自立、自立」と言いながら、精神分析とか心のケアの領域ではむしろ成熟した依存ができるようになるのがいいというのが基本的な流れです。

●甘えは当り前の心理

 日本でも実は甘えということがあり、『甘えの構造』(土居健郎著)が1971年に発刊されました。「甘えの構造」というのは決して悪い意味ではなく、甘えというのは当たり前の心理であって、むしろ甘えを十分受けて育ってこないと、しっかりとしたいい大人になれないとか、日本社会ではうまくやっていけないとか、すぐにすねたりふてくされたりして甘えられない人間になってしまうとか、そういうことを言ってるわけです。
 どういうことかというと、甘えというのは要するに他人の行為を期待する心理ですが、他人の行為を期待する心理であると同時に期待する能力でもあると言っているんです。
 例えば一般の席で宴会が始まったとき、ビールをだれかがついでくれるのを待つことがあったとして、それを待っている人間が自分がついでもらえないような状況になったら、それは口に出してハッキリと「ビールついでくれよ」と言えばいいではないかというのが欧米の考え方です。ところが日本では、つがないほうが気がきかないということになるわけで、他人の行為を期待して当然いい状況というのがあるわけです。だから例えば、お酒を手酌でしてしまう人の方がかえって周りの人間にとって、おかしいけど周りの人間の顔に泥を塗ったといっていいのか、自分を待てない人間みたいな扱いを受けるわけです。
 だから、人に依存するとか人の好意を当てにするだとかということが、決して悪いことだという文脈でとらえず、むしろ周りがそれを満たしてあげることが大事なんだという社会ですから、お互いが相手の気持ちを気遣うというのが日本の文化だし、逆に言えば相手の気遣うのを待っているわけです。自分から「こうしてくれ」とか言う方がむしろはしたないという社会を「甘え」と言っているわけです。
 そういう甘えの心理があって、それが悪いことではなしに、度を越した甘えをするだとか、逆に言えば甘えられないですぐにすねたりふてくされたりするような方がまずいんだ、ということを土居先生は言っているわけであって、日本というのはそういう国なんだというわけです。
 それでは、外国みたいに口に出して言わないとなかなか物が出てこない国であったとしても、例えば物すごい暑い中、、もうだれがどう見てものどが乾いているのがわかってる人が入ってきたとき、向こうから「何か冷たいものください」と言われる前に冷たい物を出してあげたら、やはり喜ぶわけです。だから、甘える心理がないかといったら、あるわけです。あるんだけども、別にだめだったときに口に出せばいいというだけの話であって、やはりそこで冷たい水を飲ませてもらえば、冷たいジュースを出してもらえば、冷たいビールを出してもらえばうれしい、という心理は普遍的なものなわけです。
 だから人間、やはり自分の心理ニーズを満たしてもらえばうれしいという当たり前のことはアメリカでも気がついているわけで、甘え理論というのは、むしろそれは日本人だけの心理ではなしにだれもが持っている普遍的なものなんだということがあって、甘えという理論が国際的な意味では再評価され、1999年ブエノスアイレスで国際精神分析学会があったときに、「甘え」がシンポジウムのテーマになったりしているわけです。

●依存のレベルはいろいろ

 もう1つ、高齢社会というものに対して、例えば高齢社会がひどくなってくると若者2人で老人を1人食べさせていかないといけないだとか、結局高齢者というのが若者にもたれ依存し、お荷物だ。だから、高齢社会になればなるほど日本人というのは、本当に税金も高くなるし年金とられる、天引き額も高くなるし、そういうお荷物の高齢者をたくさん食べさせていかなければいけないみたいなものの見方をされます。若い人は依存されるばかりのつらい社会、というふうなものの見方をされるわけです。
 しかし、高齢者は、大体8割〜9割の人はいわゆる人様の世話にならなくても済んで働いていけるということが1つあるわけだし、それから、いわゆる依存というものを考えたときに、レベルというものを無視されることは多いと思うんです。
 ということは、障害を持ってる人間が100%人に依存しているかといったら、そうではないわけです。だから、寝たきりの高齢者と軽い痴呆の高齢者とで差し延べるレベルというのは全然違ってくるわけです。それから、そういう意味では、高齢者が多くなるからといって、全面的に手がかかるいうのはそれほど多くないだろうという問題が1つあります。
 もう1つは、今度は寝たきりみたいに100%人様に依存することになったときに、そんなもう生きてる価値がないというふうに言っていいのかどうかという問題があると思うんです。というのは、結局人間というものを考えたときに、実はそういう人を邪魔だからとか、何も役に立たないから殺してしまえということがみんな言えないものですから、寝たりきりになってまで生きてたくないでしょうというロジックを使うわけです。だから寝たきりになってまで生きていたくないのに、無理やりに日本の医学は生かしてるんだというような言い方をすることが多いです。
 たとえばテレビに出たとき、北野たけしさんに聞いた話ですが、お母さんのサキさんが「寝たきりになってまで生きていたくねえな。あんなのは見苦しいな」とか言っていたらしいんですが、いざ寝たきりになってみると「もっと生きていてえよ」とよく言って、早く医者に礼をやっておかないとちゃんとしてもらえない、ということで、寝たきりになってからの方が生への執着が余計強くなっているというようなことをお話になりました。
 だからなってみないとわからないことというのはいっぱいあるわけで、多分私は運よく、今現時点では目が見えなくなる不安を2回ぐらい抱えたことがあるわけですが、ならなかったわけで、なってみてからどういうふうに生活が変わるかというのは、その当時の空想にすぎないので、本当のことはわからないわけですが、 しかし、見ることというのは割と好きなので見れなくなったら、 特に2回目のときが思春期でしたから、生きる楽しみもないなどというようなことを考えたりも当時はしたわけです。

●ものを忘れる能力

 例えば年をとるということは、やはりある種の受容の過程というのがあると思うんです。寝たきりになる人だって、最初は多分少し足が不自由になってきたなとか、少し白内障とかで目が見えにくくなってきたなとか、少し耳が聞こえにくくなってきたなとか、少し物覚えが悪くなってきたなとかいろんな老いの兆候が見られるわけです。
 そうしたときに、若いころだったら、あんなふうになってまで生きてたくないなとか思っていたことがあったとしても、そこで「まあいいか」と思える部分が出てきて、この「まあいいか」っていういろんな衰えを割と素直に聞き流せる能力を、赤瀬川原平さんは「老人力」とおっしゃっています。老人力がついてくると、だめになった自分が割と素直に受け入れられて、昔みたいにこうでなければいけないなどということをあまり感じなくて済むようになり、ものを忘れる能力がついてきた老人力は、実は便利な能力なんだということをおっしゃっているわけです。
 いずれにしても、例えばまずちょっと足が弱ってきたとか、何かのきっかけで本当に車いす生活になったときに、1つ1つの段階でまあいいか、まあいいかという形で受容していき、もしくはその中で幸せを見つけていくみたいなことをされ、最後何段階か落ちたときに寝たきりになるわけです。
 これまで「まあ、いいか」と受け入れられてた人間が、寝たきりになった途端に「まあ、よくない」というふうになるということは余りないだろと思うんです。だから人間、例えば失業してしまったにしても目が見えなくなったにしても、なる前はもうこんなふうになりたくないなとか、なったらもう生きてても楽しくないだろうなと思うかもしれないけども、そこでちゃんとそれを受け入れるなり、それなりにそこでの新たな楽しみを見つける能力って、結構人間はやはり持っていると思うんです。
 そういう意味で、能力が衰えるということが一方的に依存するというわけではなく、今度は逆に何らかの楽しみを持っていたり、あとは人に教えるものがあったり、それだとかいろんな結局お互い様みたいなものがあるというふうに思うんです。 だから、高齢者がふえるからといって一方的に頼られっぱなしなのかといったら、恐らくはそういうことではなく、本当はもっと学ぶものが出てくるかもしれないということもあるだろうと思うのです。
 いずれにしても高齢社会になってきたときに、その高齢者を単なる依存者と見るのか人生の先輩と見るのか、いろんなことを考えないといけないと思うのです。

●高齢者を敬う文化

 北欧はものすごく福祉がいいわけです。ところが福祉はいいんだけども、基本的な精神がチャリティーですから、いわゆる高齢者にはチャリティーで慈善の気持ちでやってあげようというわけです。
 日本はどちらかというと、チャリティー的な福祉はないが年金とかお金は割といいし、また、もう大分衰えたがもともとが儒教の国だから高齢者を敬うという文化があります。
 ここで不思議なことに、福祉のものすごくいい北欧諸国というのが意外に高齢者の自殺が多いんです。ということは恵まれてる、恵んでもらってるというだけでは、なかなかある種の自己愛的なものが満たされないものですから、それだけでは幸せになれないと言えると思うのです。

●コフート流の生き方

 そこでコフートの話にまだ戻るのですが、コフートは要するに発達モデルとしては、未熟な依存から成熟した依存になり、それとか人間関係をより豊かにしていくということが人間の発達の方向性だと言ったわけです。これに対して、フロイトは、どんどん自立していくのがいいこだというふうに言ったわけで、そこが、コフートとフロイトとは全く逆です。
 コフートは晩年に書いたものの中で、人間というのは例えば歯が痛いときに人のことなんか構ってられないよとか、年をとってくるとだんだん自己愛的になるのは当然の適応現象だと言い、年をとればとるほど人に頼りたくなったり甘えたくなったりするのは、それはむしろ適応的なのであっていいことなんだと開き直ったようなことを書いているわけです。
 晩年、コフートは白血病、フロイトは舌がんになったのですが生き方が全然違うわけです。コフートは弟子だとかに頼りながら、割と依存をよしとするような晩年を送って、みんなに「先生、先生」とちやほやされて非常に喜んでるみたいな暮らしをしているのですが、フロイトは舌がんでものすごい痛みがあったのに、絶対に鎮痛剤とか麻酔剤とか飲まないで、理性の力でこの苦しみに打ち勝つといってどんどん死ぬまで論文を書いてきたわけです。
 この両者で、どっちがまねをしやすいかといったらコフートの方がまねしやすいということが言えると思うんです。コフートとフロイトは、やはり人生観が全然違うわけです。だけどもコフートの人生観の方が普通の人にとってはまねをしやすいし、それで決して悪いことではないというふうに思うんです。
 そこで、成熟した依存という問題が出てくるわけですが、成熟した依存というのは何なんだろうということを考えたとき、多分2つぐらいあると思うんです。
 1つは、一方的でない依存です。つまり子供の依存と大人の依存と何が違うかといったとき、子供の場合は一方的に依存するわけですが、大人になってくれば、例えばノートを貸してもらったら、じゃあ別の機会に何かしらのことで頼るとか、人の相談に乗ってもらったら次はこっちが相談相手になってやるとか、何かしらの形でギブ・アンド・テークをするということで、とにかく一方的に頼りっぱなしということがなく、こういうときに頼るかもしれないけどもこういうときには今度は役に立つよというような関係性です。
 もう1つは、本人次第の部分もありますが、その人にとって過度なものにならない依存です。依存が過度なものにならないというのは、例えば相手にお金を借りるというとき、向こうが5百万しか持ってない人から「2千万貸してくれなければ親友ではないよ」とか言ったら、それは過度な依存になるだろうし、例えばそれこそクラブのおねえさんのひもになっているような人が、「もっともっと金を用意してもらわないと困るよ」とか言って、それに売春とかを強要するようだったら、それはやはり過度な依存と言われると思うのです。
 これは寄生虫なんかの世界でも、レベルの低い寄生虫ほど宿主を殺してしまうとよく言われるわけで、宿主を殺してしまったらその寄生虫だって生きていけないわけです。だから、レベルの高い寄生虫は共生関係になって相手のばい菌も殺してあげるとか、結構相手にとっても栄養を与えてあげるだとかということがあるらしいです。
 いずれにしても成熟した依存ができるということは、お互いその人に依存することによって相手にもプラスになるということですから、そういう形でいけば、当然依存してるんだけれども相手も得をするというようなことがあると思うんです。

●成熟した依存は成功のカギ

 アメリカでは精神分析学者は、成熟した依存という言葉を使っているわけですが、それに似たような言葉にEQという言葉があります。
 IQが勉強ができるとか、頭がいいとかというものですが、EQというのはどちらかというと、大体おおむね3つの要素があります。
 1つ目は感情の要素です。感情の要素というのは、例えば腹が立ってかっとなっているのに、「おまえ、かっとなってるだろう」とか「かっとなんかなってないよ」とか、そういうような自分の感情状態がよくわからないやつがいるということで、ちゃんと自分の感情ぐらいわかっておけよということと、それによって感情がコントロールできるかどうか、つまり感情の抑えがきかないやつというのは、いくら頭がよくても結構社会でも、うまくいかないということです。
 2つ目が自己動機づけということです。要するにやる気になるかならないかということで、もうおれはだめだとか、本当は頭がいいんだけどやる気がないよとかということがあるわけです。
 3つ目が共感能力と対人関係能力ということです。つまり他人の気持ちがわかり、それを使って人とうまく接することができるということです。
 大きく分けて、感情能力、動機づけ能力、対人関係能力と、その3つまたは、1つずつ細かく分けて、感情能力を自分の感情を知っているということ、その感情の抑えがきくこと、動機づけ、人の気持ちがわかってそれでうまくやっていくという、細かく分けると5つに分かれるその能力をEQというわけです。
 何でEQかというと、いわゆるアメリカも実は日本以上の学歴社会かもしれなくて、例えばハーバードのビジネススクールとか出てると、もうそれだけで初任給が普通の人の3倍とか5倍とかもらえたり、出世コースに乗れたりするわけですが、中にはうまくゆかない奴がいるわけです。
 何でそんなに勉強ができるやつがうまくいかないんだということで、欠けてる能力を調べてみたところつまりすごい頭はいいんだけれども、ついついかっとなって職場でけんかをするとか、やけくそになって大事な決定を失敗してしまうとか、やる気のないやつ、対人関係能力が悪い奴等々EQだったわけです。
 対人関係能力が悪くても、アメリカというのは日本と比べたら出世のしやすい社会なんですが、最終的にはだめなんです。IQもEQも持ってないと出世できないよと言っているわけで、IQは古くてEQを持ちなさいという話ではないのですが、少なくともアメリカ人が初めて「対人能力がないと出世できないよ」と言ったということに非常に意味があると同時に人の気持ちがわからないと出世できないよと言ったわけです。
 アメリカはリーダーシップというのは冷酷な人間でないといけないと思われてたのが、EQ的に人の気持ちもわかるやつでないとちゃんとしたリーダーにならないよというわけで、そういう成熟した依存ができる人間の方が成功者になっているわけです。

●相手の心理ニーズを読む

 さて、成熟した依存をするために何が必要かということですが、成熟した依存というとき、例えば百万円借りたら百万円返すのが成熟した依存かといったら、そうとばかりは言えません。つまり金持ちと貧乏な人がいたときに、金持ちがいつも依存される側で貧乏な人が依存する側かというと、そうとは言えない部分があるわけです。
 なぜかというと、例えば金持ちはお金は持ってるけどお金で幸せというのは必ずしも買えるものではないわけですから、「昔の同級生なんだけど会社がつぶれてしまって、おれ困っているんだよ」とか言われて、「おまえ金持ちだからちょっとだけでも用立ててくれないか、おれ、それしないと子供を学校やめさせないといけないんだ」とかいう話になったとき、その金持ちにとってみたら、「じゃあ幾ら要るの」と、「百万円ぐらいあればすごい助かるんだけど」。
 百万がその人にとってはへでもない金だったとします。「じゃあ、いいよ」と言って、「おまえも昔の仲間だし、百万ぐらいだったらもう返すこと考えないでいいから、あげるよ」とか言われたときに、じゃあ、その借りる側がこんな金持ちから百万ぐらい巻き上げたって当たり前だという態度をとる場合もあるかもしれませんが。むしろ「おまえって本当は実はいいやつだったんだ」とか言って、昔は守銭奴だと思ってたけどとかって、それですごい喜んで、「おかげで子供も学校続けさせることできるし、いつか恩返しするよ」とか言ってめちゃくちゃに喜んだ場合があるとすると、その金持ちはこれまで例えば百万円を銀座のクラブかなんかに使っても余りたいして見入りがなかったなとかって思ってたのが、その百万円でめちゃくちゃ喜んでくれる人がいて、すごく心理的な満足感が得られるということだってあるわけです。おれもいいことができる身分になったんだ、というような満足感が得られるかもしれないわけです。
 要するにギブ・アンド・テークというときに、こっちも向こうが困ってることを助け、こっちが困っていることを助けるというのか、要するにそれでどれだけの満足が得られるかという話です。そういう意味では、やはり成熟した依存ということを考えるときに、相手が欲してるものを与えることができるかという問題はあると思うんです。
 そうすると、実は大事なのは、要するに何かしてもらったからという形で、例えば何かしらの形で別の礼を返さなければというようなことがあるとしても、それが別に礼として返してもらうとか、例えば何か出産祝いで5万円ぐらい贈ったとすると、向こうが気を使ってしまって5万ぐらいのものを返してきたら、何て水くさい話だということになるかもしれないわけです。
 だから、そこは相手が何を欲しているかということを、見ないといけないということだと思うんです。それはすごい喜んだお礼の電話なのかもしれないし、そういうことが必要になってくるということになると、相手の心理ニーズが読める人の方が成熟した依存をしやすいということになると思うんです。つまり困ってるところを助け、そのかわり向こうの困ってることを助ける、みたいに相手の気持が読めて相手の求めているものをできるだけ察してあげることができれば、依存関係が非常にうまくいくわけです。
 ところが、相手が求めていないものを金をやればいいだろうかとか、何々すればいいだろうとか思って、もうこっちで勝手に「こいつは金がない」と決めてかかるだとか、人間って割と単純だから、例えば視覚障害の人と接するときに、困っていることは目のことだけだろうかって思ってしまうかもしれないですよね。だけど目の問題以外にも困っている問題は幾らでもあるはずだと思うんです。目が悪いからといって、ほかのことで悩まなくなることはあり得ないですから、その人その人で心理的ニーズは多分違うと思うんです。
 例えば学歴があれば悩まないかといったって、人間というのはそんなに単純な問題ではないのです。つまり、学歴があって金儲けができていたら悩まないで済むんだったら、みんなそうかどうかはわからないけれども、それだけで幸せになれないところがあるから、アメリカの金持ちのエグゼクティブたちがみんな精神分析を受けたりしているわけです。
 だから、そういう中で、共感能力というのは、相手の立場に立って考えることですから、自分がもし相手になったときにどう感じるかを想像するというのが共感能力です。
 例えば、失恋した友達がいて、それで失恋した友達に、自分は彼女がいてるんるん気分のとき、「まあ、彼女なんてすぐできるよ」、ポンって肩をたたくようなことをしたとき、相手からすると「おまえは彼女がいるからいいだろう」という話になるかもしれないです。自分も最愛の彼女がいなくなったという前提でどう感じるかというのを想像してみることなんです。
 それは、例えば目が自分が見えなくなったときにどう感じるだろうかという、空想をしてみるということで共感能力が出てくるわけですけど、ただ見えなくなったからといってほかのことに悩みがなくなるわけではなくて、そのときに例えば会社をリストラされるかもしれないだとか、今まで仲よくしていた友達に裏切られただとか、いろんな問題が出てくるわけで、そこでどっちが苦しいんだろうということを感じてみるというのも共感だと思います。
 そういう意味で、共感能力というのは、基本的には相手の立場に身を置いてみてものを考えるということができるかどうか、ということだと思います。

●人間のもつ3つの心理ニーズ

 僕は、相手のニーズをお互いが満たしてやるというのが、成熟した依存関係だと思っています。その中で、人間には幾つか基本的な心理ニーズがあるのではないかという考え方があるわけです。
 つまり、相手の立場になって、相手の気持ちを想像したら、相手の気持ちがわかるといいますが、なかなかわからない部分だってあるわけです。
 例えば、いくら精神科医だからといって、初対面の人の気持ちがわかるかというとわからないわけだし、どういう心理ニーズを持っているかということだって、そうそう予想がつくものでもないんです。
 コフートは、人間の心理ニーズというのはおおむね3つぐらいあると言って、困ったときはその3つのうちのどれかを予想したらいいと言っています。

●鏡を求めるニーズ

 1つ目は、「鏡を求めるニーズ」です。要するに人間というのはだれかに褒めてほしい、注目されたいというニーズがあるわけです。例えば、子どもがヨチヨチ歩きを始めたときにお母さんが「秀樹ちゃんすごいすごい」と言って喜んでくれれば、子どもは自分がいいことをしたと気がつき、それでもっともっと元気に歩くということになるんです。
 逆に言えば、だれにも注目されない相手にされないほどつらいことはないわけです。年をとることで体力が衰えることより、昔は「何々先生」などと呼ばれていたのが相手にされなくなることの方が自分の能力の衰え以上につらいとか、名前で呼んでもらえなくなり「おじいちゃん」などと呼ばれる方がつらいということがあるかもしれません。
 人間というのは認めてもらわない、褒めてもらえないと、ムカッとくる部分があるわけです。そういうムカッとくる部分、逆に言えば心理ニーズが満たされていないときってのは、腹が立ちやすいということをよく言っています。
 つまり、「自己愛」っていうのですが、自己愛が満たされていないときというのは、人間は非常に精神状態も悪くなるし、腹が立ってくるということです。例えばこれまでは高齢者を敬う文化だったのに、今は高齢者はお荷物だという扱いをするから、高齢者の自己愛が満たされなくなり、余計高齢者のメンタルヘルスが悪くなっちゃうということが十分あり得ると思うんです。

●自分にとって強い人の存在

 2つめは、自分にとって強い人のそばにいたいみたいな気持ちです。
 人間みんな褒められて、褒められるようなことをするとか認めてもらえるようにするというふうに、いつもいつも、「おれはもう今日はこれをやるんだ。あしたはこれをやるんだ」って、頑張って褒められるという生き物ではなくて、たまには、一生懸命やったつもりなのに全然失敗に終わったとか、学校に行ったらいじめられたようなことがあって、「だめな人間だ、おれはもう何てだめな人間なんだ」と思うことがあるわけです。そういうときに学校からいじめられて帰ってきたときに、パパがひざの上に乗っけてくれて、「パパの子だから大丈夫だよ」と言って、「まあ、おまえは強いんだから」みたいなことを言ってくれると自分まで強くなったような気がするとコフートは言っています。
 どういうことかというと、自分の周りにすごく強い人がいるとか、神様みたいな人がいるとすごく安心感が出て不安が解消され、パパみたいになりたいと生きる方向が与えられるみたいな、そういう自分にとって強い人のそばにいたいみたいな気持ちなんです。
 だからどんな大金持ちでどんなに社会的に成功した人でも、何かわけのわからない神様を信じたりするということがあるわけです。自分がすごく偉い人だと思っても、何かもっと自分より強い人をそばに置いておきたいという心理っていうのは、どこかにあると思うんです。
 そういう場合に、よく「虎の威を借る狐」とか言われるけど、まあ虎の威の借り方がひどくなければそれでいいと思うのです。
 例えば「和田先生の患者さんになってから、もう本当に私は幸せですよ」とか、「テレビに出ていると、先生みたいなすごい医者に診てもらうなんて」とか言われるとき、そこではこっちが「いや、まあ、なるべく期待に沿うように頑張りますよ」とか言って、割と自分がいい医者みたいにして振舞っていた方が、患者さんが具合がよくなることってままあるわけです。
 だから大体日本の大学の医学部の教授なんて論文ばかり書いていてほとんど臨床ができないのですが、教授に診てもらうだけで治るような人がいっぱいいるわけです。肩書きというのは便利なもので、心を元気にするわけです。だから「助教授に診てもらう」というより教授に診てもらう方が、何か偉い先生に診てもらっているような気がして、大したことのない病気が治るわけです。
 いずれにしても、人間というのは強い人間がそばにいると強い気になれるという生き物なんです。

●人間は同類の人間を求める

 3つ目は、人間は同類の人間をそばに持ちたいということです。こっちが褒めてあげたり、強い先生だとかいうような振るまいをしても、それをすねちゃったり、ひがんじゃったりする人もいるわけです。
 「先生は、私がちょっとよくなったとか褒めてくれるけども、それってどうせ金をもらっているからでしょう」とか、「先生はいいですよね、若いし、東大も出ているし」というような感じでひがんじゃうとか、「私なんか別世界の人間ですから」みたいなことを言われてしまったら、こっちも困るわけです。それで「やあ、僕も昔はそうでなかったんだよ」とか、「患者を治せない医者っていうのも、なかなかつらいもんなんですよ」とかそういうことを言って、自分も同じ人間なんだという感覚を与えてあげると、少し患者さんが乗ってくるということがあるわけで、人間って本当に疎外感を得たとき、自分と同類の人間がそばにいると気持ちに安心感が与えられることがあると思うんです。
 このように、人間ってのは褒めてもらいたい、注目されたい、強い人をそばに置いておきたい、もしくは同類の人間を持ちたいって、その3つの気持ちが割りと主流の気持ちだから、その人その人が落ち込んでいるとか頑張っているとかいろんな状況の中で、どのニーズが今一番強いのかなということを見つけていくということだと思います。
 そういう意味で、とりあえず3つのニーズを知っておくだけで、ああ、今この人っていうのは割と頑張っている時期だから褒めてほしいんだなとか、この人は割りと気弱になっているから「おれがついてる」みたいな態度をとってやった方がいいんだなとか、この人は何かもう本気で落ちこみ切っているから、同じ人間がそばにいてくれる方がいいというような気持ちの読み方をすればいいということです。

●他人の話をよく聴くこと

 もう1つはやはり人の話を聞くことです。
 僕は、アメリカで精神分析を受けて何が変わったかというと、患者さんの話が聞けるようになったことです。それまでは相手のことを決めつけるみたいなことを、平気でやっていましたが、向こうに留学して自分の話を聞いてもらうという体験をすると、人の話が不思議と聞けるようになるし、そして人の話というのは、それこそ聞いてみないとわからないわけです。
 例えば目の見えない人とか、年寄りの悩みということをワンパターンに決めつける人って多分いると思うんです。高齢者は高齢者、それから身体障害者は身体障害者、精神障害者は精神障害者とか、みんな同じような悩みを持っているとか、貧乏な人は貧乏の悩みとか、お金さえあれば解決するのだとか、そうはいかないわけです。
 よく「先生は精神科医だからちょっと診ただけで、私のことなんてすぐわかっちゃうでしょ」とか言われるわけですが、そんなこと絶対あり得ないわけです。なぜ精神科医が相手の気持ちがわかるかというと、患者のみなさんが本当のことをしゃべってくれるからです。つまり、僕たちは運がいいことに正直な人の話を聞かしてもらっているという職業だから、その範囲内で相手のことがよくわかるわけです。
 何回も聞いているうちにこの人にとって自分が役に立てる部分というのは何なんだろうと考えるとき、やはりまず聞いてみるということは大事だし、その中で共感ということをするために、もう1つ大事なことはよく相手を観察することだと思います。
 さっきの失恋した人を例にすると、みんながみんな落ち込むとは限らないわけです。相手の女性のことが恨み骨髄になって、ストーカーみたいなことをやるやつとか、ストーカーまでは行かないにしても、「あの女って本当にひどい女だったよな」とか言って、「そうだそうだ」と、一緒になってやけ酒飲んだ方が共感になる場合も有り得るわけです。
 だから大人の依存を上手にやっていくためには、相手の心理ニーズを一生懸命読むことだろうと思います。つまり共感できるなら共感する、相手のことを観察するのだったらなるべくちゃんと観察する、それから話をしてくれるならなるべく聞いてみるみたいなことで、本当のところ「こいつは何を困っているんだろう」ということで、それを満たしてあげるわけであって、「金は貸せないが、でもここの部分で不安になっているところに関しては協力できるよ」とか「仕事を探すのだったら頑張って一緒に回るよ」とかいう形で、心理ニーズに対してなるべくこちらがこたえるということはあると思うし、それから心理ニーズを満たすことはできなくても、わかってあげるだけでもホッとするというものです。
 つまり精神分析医というのは、例えば患者さんがこっちのことを好きになって、それで「ああ、私に恋人になってほしいんだなあ」と思ったって、それはなってあげることはできないのですが、それだけ愛情に対するニーズがあるんだなということを、わかってあげることができるわけだし、それだけで、患者さんの具合がよくなることの方が多いわけです。
 そういう意味では、どうしてもこちらがギブ・アンド・テークでギブするものがなかったとしても、わかってあげるというのは非常に心理的には大きなギブになると思うんです。仲間をつくるということだって、そういう意味で非常に意味があることだと思うわけです。

●同情と共感は違う

 いわゆる同情と共感は違うというんですが、同情というのは、こっちで一方的に相手がこんなことに困っているに違いないから与えるみたいなことで、割とやりっぱなしになっちゃうことが多いわけですが、共感というのは相手の立場に立ってものを考えるわけで、相手が悲しんでいるときにはこっちも悲しむんだけど、相手が喜ぶときはこっちも喜ぶわけです。
 だから、同情というのは何か施しを与えているみたいなところがあるわけですよ。そのかわり、施しなわけだからもう面倒くさくなったらやらなくなっちゃったりすることもあるわけです。だけど共感というのは相手の気持ちになるわけですから、そこでうまくいかなかったら、それはもう怒るだろうなとか悲しむだろうなというのがある程度わかる部分ってあると思うんです。
 いずれにしても、相手の心理ニーズというものをやはりちゃんと読む、もしくはなるべくならば相手の立場に立てる方がいいと思うんです。

●依存することはお互い様

 受験生の時に助け合った例で言えば、大学受験というのはすごい不安がつのるわけで、ましてや東大に受かるとかいうとき相当勉強に自信があったとしても落ちたらどうしようとかって思うわけで、同じ立場に立っていられるから割と共感がしやすかった部分もあると思うんです。お互いみんながつらい環境に置かれることによって、何かしらの共感の芽というのが出てくることだってあると思うんです。
 一番まずいのは、心理ニーズを共感して理解しようとするのではなくて、決めつけちゃうということだと思います。決めつけてしまった時点で、目の見えない人って同じに見えちゃうわけです。
 だからおのおの、多分きょう来られている人が70人いたら70通りの悩みがあるだろうし、70通りの喜びだってあるということだと思うんです。だからそれなのに、結局そこでもうみんなどうせそこしか悩んでないだろうと思っていたら、それは話にならないだろうと思うんですよ。 それは目が見えないこと以外にも同じことが言えるわけで、高齢者の悩みは同じだろうとか、経営者の悩みは同じだろうとか、劣等生の悩みはみんな同じだろうとか。そういうふうに外面的なところでみんな切ってしまう。それは、個人個人みんな違うから共感が必要なわけで、個人差がないんだったら共感する必要なんてないわけです。
 甘えというのは要するに相手が今欲してるものを与える、もしくは欲してるものを言葉を出さなくても、つまり今、例えばお茶が出てくればいいなと思っているときにすっと出てくるみたいなことというのが結局、お互い満たしあっているということほど幸せな社会だと思うんです。
 僕は、みんな、おのおの困ってる問題がある以上は、そこで依存をすることってためらう必要はないと思うんです。それは目が見えないって状況になったときに手を貸すだとかいうことだって、別にそんなのは当たり前のことであって、コフートはすごくいいことを言ったと思うのは、赤ん坊が母親におっぱいを依存することというのは依存じゃないと言ったんです。そんなの健康な子供がやってることなんだから、それは依存ではない。だから当たり前に求めていいことってのは求めていいんだということだと思うんです。
 しかしそれで事足りたわけじゃないわけで、その上で、1人1人が違った心理ニーズがあるんだよということを理解しないといけないわけで、人間、それはできないことがあったら、そこは頼る。でも結局できることがあったらもちろんする。それからできないこと以外にも悩みがある、という当たり前の問題だと思うんですね。
 そういうことがお互いにわかり合える社会になったら、もっと世の中というのはすごく円滑にいくと思うので、僕はそういう意味では依存イコール悪なんじゃなしに、自分が依存すると同時に今度は人様に対して何ができるんだろうとか、人の心理というのはどうなっているんだろうとか、他人の気持ちをもっとわかってあげるということだと思うんです。
 何かしらダメージがあったときに被害者意識ばかり出てきてしまって、自分たちが何をできるんだろうということを考えないということって結構あると思うんです。それは、確かに被害を受けてること自身は確かに被害者なわけだし、それに自分だけ運が悪かったという部分もあるのかもしれないが、そこの部分は人に頼るかわりに、自分だってやはり役に立てることをやる。
 僕は、高齢社会だって本当は高齢者がある意味では助けが必要な部分があるかもしれないけども、逆に高齢者の側も人に何かできることを考えるみたいなことが、やはり重要なポイントだと思うんです。
 そういうことで依存が悪いことではなしに、むしろ自分も人様の世話になっているので、人様の世話になってる部分について、今度はこっちが何ができるかということを考えるということが大事である。それが甘えの成熟だというように思っています。どうもありがとうございました。

【お知らせ】

●2003年1月18日(土)14:00〜17:00

 1月の交流会は歩行についての話です。
 講師:長岡雄一氏
 (東京都視覚障害者生活支援センター歩行訓練士)

【編集後記】

 本号は予定より1カ月も遅れてしまいました。10月の交流会の報告は次号(27号)に回します。
 9月の講師和田先生の話がとても良かったため、なるべく削らずに編集したわけです。社会生活のなかで成熟した人間関係をつくっていく上で、大変示唆に富んだお話です。
 本号から墨字版とともに、メール配信か朗読テープ版のいずれかを希望に応じて届けることにしています。まだ希望を出されていない方、遠慮されずにどちらかを申し出てください。
(事務局長・篠島永一)

中途視覚障害者の復職を考える会【タートルの会】会報
『タートル26』
2002年(平成14年)12月13日 編集
■編集 中途視覚障害者の復職を考える会 会長・下堂薗保
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     社会福祉法人 日本盲人職能開発センター 東京ワークショップ内
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