2000年8月29日発行 SSKU 増刊 通刊大238号
中途視覚障害者の復職を考える会[タートルノ会]開放
タートル(18)
私は幹事の役は拝命していますが、 具体的相談を解決する能力を持っているわけではありません。
一昨年以来、 広島でも、 退職勧奨を受けたが、 どうしたら良いか、 又現状の勤務を続けることができなくなったがどうしたら良いかという相談の事例が何件かありました。
当然会員が本部へ相談をし指示を仰ぐのですが、 地方の会員の間だけでは相談事項を解決する能力を持つ者はいないのが現状です。
我々が出来たことは、 相談者を囲み、会員の有志が集まって、 めいめいが思うところを述べるという状態でした。 話の内容がどの程度問題解決に役立ったか分かりませんが、みんなの励ましがうれしかったと語ってくれました。
その方の場合は、 日本ライトハウスへ入所し、パソコンを勉強して、 復職して町役場の町議会の議事録のテープ起こしをするとのことでした。 そのような内容で落ち着いた背景は、ご本人自身が積極的に動かれて町役場の労働組合の支援、地元議員の協力を得たことが大きかったようです。
当初、地元議員及び労働組合も、本人が50歳代という高齢でもあり、 支援するとしても本人が途中で復職の意思をあきらめて退職の道を選ぶのを心配して二の足を踏んでいました。 本人自身「絶対復職」という強い意志を示し、それによって労働組合も本気になって復職運動に取り組んでくれたようです。
改めて一番大事なのは「絶対復職」したいという本人の強い意志が周りに認められることであると思いました。
平成12年11月11日(土)は、タートルの会での地域相談&交流親睦会が広島で開催される予定となっています。 『中途失明〜それでも朝はくる〜』の本は、新聞でも紹介され、この本を読んでタートルの会を知った方もいらっしゃると思いますが、まず11月11日の広島会場での地域相談会&交流親睦会が開催される旨の広報活動が大事だと思っています。
一人でも多くの人が集い、 相談活動を通じて「継続雇用」「働き易い職場」が増えていくことを願って、 地域相談会&交流親睦会の成功に微力を尽くしたいと思っています。
秋はスポーツで汗を流すのにふさわしい季節。日頃、あまり思いきって身体を動かせない私たちにとって、いろいろなスポーツに挑戦している仲間の話を聞き、自分もこれならやれる、これはやってみたい、と話に花を咲かせようではありませんか。
日 時 2000年9月16日(土) 14:00〜 16:30
場 所 日本盲人職能開発センター
(四ッ谷駅より徒歩約8分)
話題提供者
【ゴルフ】
千木良孝之氏:横浜市立盲学校勤務
【スキー】
川添由紀氏:東京ワークショップ勤務
【ダイビング】
松坂治男氏:オータックス(株)勤務
【マラソン】
小川 剛氏:北海道大学勤務
日 時 2000年10月21日(土) 14:00〜 16:30
場 所 日本盲人職能開発センター
昨年の仙台に続いて、今年は広島で地域交流会を開催します。遠隔地に住んでいて、なかなか東京の交流会に出て来れない同じ悩みを持った人達(仲間)と講演会・交流会・相談会を行います。
東京の会員も多数御参加ください。二日目の広島観光や懇親会で地方の人達と楽しい親睦の一時を過ごしましょう。
日 時 2000年11月11日(土)
12日(日)
場 所 広島県生涯学習センター
◇詳細はタートルの会事務局へお問い合わせ下さい。
(Tel.03-3351-3208)
2000年6月10日(土)、飯田橋のセントラルプラザ多目的ホールにおいて「タートルの会」の第5回定期総会が開催された。出席者数は70名に及び、過去最高の人数となった。北は北海道から南は広島と広範な地域へと広がりをみせている。
午前は総会、午後は記念講演と交流会、そして親睦交流会を場所を移して錦糸町の「鮒忠」で行い、参加者は50名を超えた。
総会は、内山幹事が司会進行を務め、和泉会長の挨拶、工藤幹事が相談事業を中心に、吉泉幹事にはメーリングリストとホームページについて、新井幹事には交流会事業について、それぞれ報告してもらった。また、山口幹事から会計報告があり、田中監査から会計監査の報告がなされ、全員の承認がなされた。さらに吉永幹事から会則の変更について提案があり、事務局長をおくことの提案を幹事会から行い、承認された。続いて事務局長に篠島幹事が、新任幹事に森崎正毅氏が推薦され、承認された。松坂幹事から2000年度の活動方針案が提示され、つづいて予算案の提案が山口幹事からあり、全員の賛同を得た。そして最後に下堂薗副会長から閉会の挨拶があり定期総会は無事終了した。
午後の記念講演は障害者職業総合センターの工藤正氏にお願いし、講師を依頼した工藤幹事から紹介をしてもらい、「21世紀の障害者の雇用・就業問題」と題して約1時間拝聴した。
そして、休憩後、交流会は持田幹事が進行役を務め、はじめに復職を果たした3名の会員の発言、関西電力(二見徳男氏)の「二見裁判」の和解判決による復職、広島・尾道郵便局職員(大本仁氏)の外勤から内勤へ病欠後の職場復帰、東京・港区役所(弘伸子氏)の研修、復職、配転に成功、それぞれに喜びの声を、次に参加者全員の一言ずつの発言があり終了した。
(1)私たちを取り巻く情勢
長期化する景気の低迷と過去最悪の完全失業率の中で、リストラ・会社分割、派遣労働者の増大、失業給付の切り詰めなど、私たちを取り巻く情勢はますます厳しくなっています。
この1年、会員の何人かは退職または「あはき(あんまマッサージ指圧・はり・きゅう)」養成施設への進学を余儀なくされたり、正社員から契約社員へと身分変更を迫られたり、賃金を最低賃金まで一挙に引き下げられたり、「出社せずとも金は払うから」などの条件の下に退職を強要されたり等々、その厳しい実態は枚挙にいとまがありません。
「視覚障害者の職業とパソコン」ということを考えると、パソコンの活用はますます重要となり、IT革命が進む中で新たな段階に入ったともいえます。日々変化発展しているパソコン環境は、視覚障害者にとって新たな困難を生じさせることもありますが、新しい変化を積極的に取り込むことで、新たな職域の開発に繋げた事例も生まれています。インターネットとデータベースを組み合わせて、これまでは全盲者には無理と思われてきた仕事をこなしている会員もいます。
一方、視覚障害者の伝統的な職業である「あはき」については、ますます厳しくなっています。「あはき」資格所持者の晴・盲比率が逆転してから久しくなりますが、今日特に晴眼者の増大、無資格者の蔓延などに加え、鍼灸養成施設の著しい定員増が厚生省によって認可されたこともあり、視覚障害者の生活はますます脅かされようとしています。鍼灸養成施設の定員については、これまで約2000名であったものが、ここに至って、平成12年度では約600名増、平成13年度は約800名増(見込み)と、一挙に倍増に迫る勢いです。このことは、視覚障害者の「あはき」による職業的自立を脅かし、中途視覚障害者のみならず視覚障害者全体にとって、見過ごすことのできない問題となっています。
(2)相談の特徴と高まる会への期待
タートルの会が結成されたのは1995年6月。6年目を迎えた今、ますます当会に対する期待の高まりを感じます。会の存在が知られるにつれ、年々相談件数も増加し、この1年間に寄せられた相談件数は約80件を数えました。
相談経路では、新聞記事、福祉施設、医療関係、患者会、インターネットなど様々ですが、初期相談が重要という点では、医療期間経由の相談が少しずつ増えてきたことは喜ばしいことです。
ちなみに、最近開設された幹事間メーリングリストは外部からの相談も受けることができ、プライバシーに配慮した相談も可能なため、今後はこのメールによる相談が増えてくることと思われます。
職業・職種については、事務職、現業職、専門職など様々でしたが、郵便局職員と教師からの相談が複数ありました。
また、障害者手帳未取得者からの相談も増えています。これは、必ずしも障害程度が軽いためばかりではなく、かなり重度である場合もあり、本人が手帳を持つことをためらっている場合が少なくありません。
地域的には、首都圏以西が多く、東北・北海道が少ない西高東低型の傾向があります。
年齢的には、40〜50代の働き盛りが多く、疾患別では、網膜疾患、とりわけ網膜色素変性症が多いという特徴があります。
また、このように相談が増えるにつれ、この1年間に会員登録者数も約100名増え、現在440名に達しています。
(3)個別初期相談への対応
この1年の間に初期相談として直接面談した事例は22件(7〜11p参照)となっており、この22事例については、以下のような特徴を見ることができます。
進路に関して、「あはき」への道に進まざるを得なかった事例が2事例ありました。
「あはき」を選択するかどうか迷った挙げ句、現在の職場で頑張ることとなった事例もありました。
中には、深刻な心理的問題を抱えている場合もあり、いわゆるピアカウンセリングに留まらず、専門的な心理カウンセラーの協力を得ることが必要と思われる場合もありました。
(4)相談活動の成果と今後の課題
初期相談で個別面談が活発に行われたことは、それ自体大きな成果ですが、中でも、この間に復職を果たした以下の4事例を新たに蓄積できたことは、今後のためにも貴重な成果です。なお、これらには労働組合や職場の仲間の支援がありました。また、障害者職業総合センターや地域障害者職業センターが大きな役割を担った事例が年々増えており、今後復職が予定されている複数の事例があることを付け加えておきます。
■復職事例
◇ 久保 賢さん(タートル16号参照)
国立塩原視力障害センターで生活訓練、障害者職業総合センターで職業訓練を受け、平成11年11月1日、福島県安達町役場に職場復帰を果たしました。現在、会議録の作成などをしていますが、職域拡大にも意欲的に取り組んでいます。
◇ 弘 伸子さん(タートル17号参照)
東京都盲人福祉協会の訪問による歩行訓練、障害者職業総合センターでの職業訓練を受け、平成12年3月中に復職を果たし、現在、港区障害保健福祉センターで、障害者福祉の仕事をしています。
◇ 大本仁さん(タートル17号参照)
尾道郵便局に勤務し、配達業務が困難となり病気休暇を取得していました。休暇中に鹿児島における先例や役立つ情報を得て、パソコンにも取り組み、5月8日復職を果たしました。現在、配達経路組立、事故郵便処理など内勤の仕事をしています。
◇ 二見徳雄さん
視覚障害を理由に平成8年12月1日関西電力を不当解雇された二見徳雄さんは、平成9年2月17日、大阪地裁に解雇無効を求める裁判を提訴していました。異例ともいえる「試用」を経て、民事調停法17条に基づく和解(裁判所決定)により、6月1日付けをもって3年半ぶりに野江電力所に原職復帰を果たしました。
<問題点と課題・提言>
この間に係わった事例は今日の深刻な社会情勢を反映して、公務員では復職の実現など明るい事例もありましたが、多くの民間企業では、冒頭に触れたように総じて厳しいものでした。リハビリに関する情報不足に加え、リハビリを受けたくても認めてもらえないなど、労働者としての権利、障害者としての権利も守られない、非常に弱い立場に追い込まれている状況があり、障害者雇用の理念からかけ離れた事態も見られました。また、「あはき」養成施設への進学を選択せざるを得なかった事例も複数あり、「あはき」選択者の中には、厚生省施設では雇用保険の失業給付を受けられるのに、盲学校の場合は受けられないという問題もありました。
中途視覚障害者の職業継続、職業的自立のためには、多くの問題や課題がありますが、今回の経験から以下のことを提言することができます。
・中途障害者の解雇規制
いかなる場合にも障害を直接の理由とした解雇は認めてはなりません。障害者継続雇用委員会等の設置を義務付け、リハビリ期間中の解雇を許さないなど、安易な解雇を認めないよう、法的規制が検討されるべきです。
・リハビリを受ける権利の保障
とりわけ中途視覚障害者には在職中の生活訓練などリハビリの保障が欠かせません。安心して訓練が受けられるように、訓練期間中の身分と所得保障が必要です。
同時に、生活訓練や職業訓練施設の整備、専門職員の養成など社会資源の充実が必要です。
・定着指導体制の強化
大きな困難を克服して、ようやく復職まで漕ぎ着けたとしても、復職後の定着指導を受けることができません。復職者についても新規雇用と同様定着指導を行い、そのための職業相談員の増員を図り、企業内の障害者職業生活相談員の役割の発揮を図る必要があります。
・「あはき」による職業的自立の保障
最後の砦としても、視覚障害者のために「あはき」を守り発展させる必要があります。
同時に、「あはき」を生かせるヘルスキーパーでの復職や再就職を積極的に促進すべきです。
・「あはき」進学者に対する所得保障
盲学校に進学した場合も更生訓練施設に進学した場合と同様に失業手当が受けられるようにし、盲学校、更生訓練施設を問わず、「あはき」技能取得までの間の所得保障を図る必要があります。
タートルの会の中心的な活動は、相談支援、研修、交流などであることは言うまでもありません。特に相談支援活動については、「本来なら公的機関においてなされてしかるべきもの」との評価を受けることもあります。それだけに、寄せられた個々の辛い体験から導き出された具体的な問題点や課題は、今後に生かされなければなりません。しかし、それらはタートルの会だけでは解決できない問題も少なくありません。それらを実現するために、要求の一致で一日行動を実施している「手をつなごう全ての視覚障害者全国集会」などと連携することは意義あることであり、今後の課題として考えていきたいと思います。
■初期相談一覧
本資料は、平成11年6月から平成12年5月までの1年間に直接面談した相談事例について、本人の属性、相談日、相談のきっかけ、その概要などをまとめたものです。年齢は相談時点のもの。
事例1 神奈川県・男・61歳・緑内障・手帳なし・医師
相談日:99/05/12 新聞記事。
概要:緑内障のため仕事にも支障あり。直面している様々な問題を解決するにはどうしたらよいか。意見交換と情報提供。
事例2 岐阜県・男・33歳・2級・銀行員
相談日:99/06/27-28 の両日 『中途失明』を読んで。
概要:先天性視覚障害で弱視。大学卒業後地元銀行に総合職で就職。障害の進行、金融業界の再編の動きの中で、次第に職場の風当たりが強くなり、離転職の決断を迫られていた。職場に残る方向で検討したが、本人は退職を決意。盲学校への進学も考えたが、金融関連企業に再就職。
事例3 埼玉県・男・39歳・ベーチェット病・手帳なし・県庁職員
相談日:99/07/19 日本点字図書館の紹介。
概要:労働組合役員。情報提供。ワークテック21への参加を希望。講習会に誘う。
事例4 東京都・男・22歳・ステロイド緑内障・?級・大学4年生
相談日:99/08/06 眼科医師の紹介(タートル・ホームページ。以下HPと略記)。
概要:主治医である眼科医師に連れられて来所相談。それをきっかけに前向きな姿勢に変化。在京中は交流会に参加。留年することなく無事に卒業。現在、実家の愛知県でシステムアドミニストレータ試験と就職にチャレンジ。
事例5 神奈川県・男・40歳・緑内障・1級・中学校教師(体育)
相談日:99/09/07 新聞記事。
概要:病休を経て休職に入っていたが、リハビリの受け方、復職の仕方、その手順、方策、同僚や学校当局の理解の進め方などを知りたいと相談。具体的な情報提供、「教師の会」などの活動も紹介。タートル幹事がパソコン支援。現在、復職を目指して生活訓練中。
事例6 神奈川県・男・49歳・糖尿病・手帳なし(その後3級)・運転手
相談日:99/09/18 医療ソーシャルワーカーからの紹介。
概要:休職中だったが、交流会に参加する中で、盲学校に進学(あはき)。
事例7 岡山県・男・49歳・色変・手帳なし(2級相当)・郵便局・外務職員
相談日:99/10/10 全視協広島大会。
概要:交流を深め、広島会員が中心となりフォロー。
事例8 広島県:男・41歳・色変・2級・生協職員
相談日:99/10/10 広島視覚障害者の自立を進める会、全視協広島大会。
概要:職域を拡大するため、音声パソコン等リハビリ情報交換。
事例9 広島県・男・26歳・色変・2級・公務員・国家警察事務
相談日:99/10/10 広島視覚障害者の自立を進める会、全視協広島大会。
概要:視覚障害者に対する無理解と雇用管理上の配慮もない中では、本人の努力にも限界がある。視覚障害者を取り巻く情報収集、実情を見聞する中で、盲学校(あはき)への道を選択。現在就学中。
事例10 広島県・男・43歳・色変・2級・郵便局・外務職員
相談日:99/10/10 全視協広島大会。
概要:配達業務が困難になり、病休中であったが、内勤なら可能と思われた。その後、地元パソコンボランティアの支援で音声パソコンも修得。労働組合や視覚障害者の支援を受け、内勤で復職した。
事例11 徳島県・女・44歳・色変・3級・小学校教師
相談日:99/11/04 徳島県盲人福祉センターの紹介。
概要:「教師の会」などの情報提供と助言・意見交換。歩行訓練、地域障害者職業センターでの職業講習を経て、TT(チームティーチング)で復職予定。
事例12 新潟県・男・40歳・色変・2級・元電子機器設計プログラマー
相談日:99/11/18 (新潟) 新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会の紹介。
概要:退職後、新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会のパソコン教室のスタッフとしてボランティア活動。その活動を通してタートルの会とも交流し、現在、視覚障害者としてのプログラマー養成課程にチャレンジ。
事例13 千葉県・男47歳・自律神経失調が原因と言われている・手帳なし・小学校教師
相談日:99/12/11 新聞記事。
概要:学年主任をしている時、網膜剥離の症状が出現し、視力低下(医者から心理的なものと言われている)。歩行もままならず休職。「教師の会」や交流会で視覚障害教師と交流し、励まされている。
事例14 東京都・女・28歳・未熟児網膜症・4級・大手電気メーカー・事務職
相談日:00/01/13 世田谷区総合福祉センターの紹介。
概要:就職後、社内システムなど職場環境の変化に加え、気管支喘息、難聴も出現し、病休、休職した。復職後も、人間関係、ハード面での職場環境など様々な問題が重なり、職業継続が困難になり、緊急相談。多くの仲間から助言、励ましを受けながら職場定着に努力したが、体力が回復せず退職。
事例15 広島県・男・56歳・色変・1級・町役場職員
相談日:00/01/27 (事務局電話受) 広島会員が直接相談。
概要:広島会員が相談を受け、本人から事務局にも電話相談。録音速記での復職を目指して、日本ライトハウスで訓練中。
事例16 神奈川県・男・40歳・色変・2級・市役所職員
相談日:00/01/29 JRPS神奈川支部の紹介。
概要:障害が進行し仕事が困難になり、今後の進路の決断に迫られていた。情報提供と意見交換。現在、休職せず仕事を継続しながら、歩行・パソコンなどの訓練を自発的に受けている。
事例17 東京都・男・39歳・色変・手帳申請中・会社員・プログラマー
相談日:00/02/04 医療ソーシャルワーカーの紹介。
概要:情報提供と意見交換。休職中だったがその後、予定どおり復職し、内勤中心にしてもらっている。
事例18 神奈川県・女・31歳・若年性糖尿病・全盲(手帳なし)・団体事務職員
相談日:00/01/22 東京都盲人福祉協会の紹介。
概要:急激な視力低下で視力はほとんどゼロ。今後、どのように対処したらよいか。手帳の取得、職場に対する現状の告知、生活訓練を受けることなど、当面の課題を確認。同じ障害を持つ仲間と交流・意見交換。現在、休職し、川崎市の歩行訓練とワープロ訓練を受けている。
事例19 東京都・男・25歳・色変・手帳なし・市社会福祉協議会職員
相談日:00/02/23 新聞記事。
概要:大学(理工学部)在学中のボランティアがきっかけで福祉分野に就職したが、車の運転をしていて色変が判明。将来のことを考えるとどうすればいいのか不安。将来を悲観的にとらえる必要がないと分かり、仕事の継続を決意するとともに、福祉関係の勉強に一層励むこととした。
事例20 東京都・男・50歳・ブドウ膜炎・糖尿病・手帳なし・業界紙記者
相談日:00/03/16 東京都盲人福祉協会の紹介。
概要:小規模の会社のため退職は余儀なきものと認められた。退職に際して不利益を受けないよう社会保険、福祉制度、経済面など、総合的・具体的な助言とリハビリについての情報提供。現在、個々の課題を着実に処理している。
事例21 千葉県・男・54歳・視神経周囲炎・3級・専門学校教師
相談日:00/05/01 リーフレットとHP
概要:会社の指示で手帳取得したが、休職に追い込まれ、離転職の相談。情報提供と意見交換。職安、地域障害者職業センターにも相談。地域障害者職業センターで音声パソコン環境に慣れるための訓練に入る予定。
事例22 大阪府・男・42歳・黄斑部ジストロフィー・手帳なし・会社員
相談日:00/05/19 タートルHP。
概要:視力低下と会社合併の動きのなか、将来に不安。意見交換する中で、当面の課題を確認し、それに向かって具体的に取り組むこととなった。将来に対して安心と希望が持てたようで、不安はかなり解消。
1999年の連続交流会は、これまでの2回の連続交流会とはひと味違ったものとなった。今回は3つのポイントがあった。
1)これまで進めてきた「仕事の可能性 について考える」ことを追求する交流 会を開催。
2)生き方や、精神的な豊かさを考えてみる交流会の開催。
3)全国的な交流を展望した地方での交 流会の開催。(別途提起)
これらは、今後も大切にしたいテーマであることが、開催する中で痛感されたのではないか。
(1)各交流会報告
◆9月の交流会
“生きることを考えたひととき”
幹事会の議論の中で、私たち一人一人は、個々の生き方・進み方や暮らしぶり、それぞれのテンポ(時間軸)などの精神的な面が大きなウェイトを占めるのではなかろうか..という、率直な思いが語られたことがあった。「それでは、それを交流会のテーマにしてみよう」という事になった。「みんなはどう受け止めてくれるのか」という不安はあったが、 多くの人が、この問題提起に共感してくれました。当然、1回で語り尽くせる内容ではありませんが、自分の生き方を見つめてみる、良い時間をもてたと感じます。
このような主旨の交流会は、今後も連続交流会のテーマの一つの柱にしたいと考えます。
◆10月の交流会
“今後の可能性につながった議論”
最近の、職場における業務のネットワーク化の急ピッチな進展の中で、私たちがどのように対応できるのか。それを3名の人の体験をもとに具体的に明らかにしていくと共に、IT技術の進歩を今後の職域拡大の可能性に結びつけられないのか、という観点で開催されたのが10月の交流会、「職場内ネットワークの現状と私たちのアクセス」であった。
とかく、新しい技術の進歩の中で、「私達はついていけるのか」という、「対応すること」の議論で終始しがちであるが、この交流会では、講演や、体験発表を通じ、「IT技術の発展を私たちの今後の可能性に生かす」という意識の共有化がされたような気がする。
《提起された今後の議論に生かしたい点》
・IT技術は視覚障害者が晴眼者と肩を並べて働くことを可能にする技術である。
・グループウェアというのは、職場における情報共有・情報知識活用の要となる。この意味でも音声化対応の機能が絶対に必要なんだということを、常日頃からアピールしておくことが重要。
・IT技術を活用することによって開拓できる職種というのはたくさん出てくる。新しい職種の情報についても、どん欲に求めるということが必要。また自分の業務の可能性を新しい職種に求めてみることもできるのでは。
・事務職がネットワークを活用するときには、電子メールを活用するということが重要なポイント。
・コンピュータの環境は個々人で違うし、また業務も違う。自分が使いよいコンピュータのシステム、特に業務で使うに必要十分なシステムというのは何なのか、ということを早く見つけて、使いこなしていくということが大切。
また、3名の方からの実態報告は、職場のペーパレス化の進展で、社内ネットの中にしっかりと自分の位置を得て、具体的に仕事を進めている状況が示された。この事実はきわめて重要な事だ思う。視覚障害者の働くということの可能性を考えるとき、大きな自信と、問題提起となったと思う。
当然そこには、基本ソフトを使いこなすための目的意識をもった取り組みや、工夫していくことの大切さ、職場における仕事の流れの把握が不可欠となろう。また自分には出来ないこと、晴眼者に任せた方が能率的なことをはっきりと踏まえながら、それが社内の中で確認されて、実際に行われていることは大切であろう。
今後の働くということを考えるにあたり、これらの提起を充分に生かし、実践的な議論を積み重ねていくことを、今後の課題の一つにしたい。
(2)今年度の連続交流会
1)仕事の可能性を具体的に検証するためにも、インターネットを具体的に仕事に生かしているケースを紹介し、可能性と課題を明らかにする交流会の開催。
2)精神的なゆとりや、豊かな生き方、健康的な生活を考える上で、趣味やスポーツは大切なことである。特にスポーツに焦点を当て、体験を出し合って、交流したい。
3)地域交流会は広島で開催し、交流の輪 を広げたい。
(1)メーリングリストについて
(A) 基本的事項
* 管理者のe-mail
owner-turtle@sl.sakura.ne.jp
* 開設年月日
1997年7月31日、
朝日ネット上で開設。
2000年3月1日、
さくらインターネット 上に移行。
* 開設契約ネット
さくらインターネット
* 開設費用
年間 4,000円 + 消費税
* 登録メールアドレス数
2000年5月18日現在 178 (注)
* 通算書込数
2000年5月18日現在 4141
(さくらインターネット移行後 259)
(注)一人で複数のメールアドレスを登録している人もいるので、メーリングリスト(以下MLと略記)参加者の実数は170名程度。
タートルの会のMLは、タートルの会の会員であるか否かに関わりなく、参加・退会手続きが自由に行えるようになっているため参加者数には多少変動がみられますが、長期的には増える傾向にあります。昨年の総会報告では、1999年5月12日現在で、登録アドレス数 112、通算書込数が2485と報告されています。
(B) MLの書き込みの内容等
MLで交換される情報は多岐にわたります。項目としてあげるなら、会報第14号にある昨年のMLに関する報告と同じように、・会活動に関わる情報交換、・復職やリハビリにまつわる相談、・関連放送番組や行事等のお知らせ、・図書情報、・パソコンをめぐる技術情報、・便利グッズ、・視覚障害者の生活やリハビリに関わる話題、ということになります。
ここ1年ほどのMLの書き込みをみると、関東地区におけるタートルの会の活動以外の動きも種々紹介され、また、それら活動の連絡にMLが利用されるケースも増えてきているように思います。MLと実際の活動がうまく連動しているとの印象をより強く感じるようになりました。
例えば、10月の全視協広島大会、「タートル忘年会 イン 広島」、新潟の「信楽園新潟リハ推進の会」による視覚障害者誘導歩行学習用ビデオ等製作・配布、および同会が開催した講演会の様子等いろいろな紹介がありました。
あるいは、リハビリテーションを実際に受けた体験、盲導犬ユーザーになるための訓練を受けた経験、マラソン完走にまつわる報告、それまでの職場を離れて盲学校に入学した経緯、年金や障害者手帳の制度等にまつわる相談、復職に向けての支援要請等々個人的でありながら普遍的内容を含む書き込み、他の人の参考になったり勇気づける内容の書き込みも印象的でした。
地域や時間の壁を超えて情報や意見交換できるというMLの利点が、より自然な形で利用されるようになってきたと感じる1年でした。
(C) MLのシステム移行
2000年3月1日より、それまで朝日ネットのサービスを利用して開設してきたMLをさくらインターネットのサービスに移行しました。それにより、次のような点で便利になりました。
・管理者を複数置けるようになった(2000年5月現在、3名配置)。これにより管理作業の分担・円滑化を図る足がかりとする。
・過去の書き込み記録をホームページ上で閲覧できるようになった(最大7Mb保存)。
(D) その他
「MLに書き込むと、その後で個人メールにより悪戯と思われるメールが送られてくることがある。ML参加者にどのような人がいるのか分からない状態は不安。」との意見をいただきました。タートルの会のMLは、できるだけオープンにということで会員・非会員を問わず自由に参加・退会できるようにしてありますが、今後MLの在り方をどう考えるかについて、改めて検討していくことが課題として残されているといえます。
(2)ホームページについて
(A) 基本的事項
* URL
http://www.asahi-net.or.jp/~ae3k-tkgc/turtle/
* 公開年月日 1997年11月22日
* 開設契約ネット 朝日ネット
* 開設費用 月額1,700円 + 消費税
(B) ホームページの構成・内容
ホームページの構成は、以下の12項からなっています。
・新着情報(ホームページ更新情報)
・お知らせ&ご案内
・タートルの会とは…
・なんでも掲示板
・こんな職場で働いています
・話題あれこれ〜MLから..
・手記集『中途失明』出版
・おしゃべりサロン
・会報『タートル』
・玉手箱!(各種資料)
・タートルMLへのお誘い
・関連リンク
1999年9月12日、従来の「おしゃべりサロン」を二つに分割し、「話題あれこれ〜MLから」(MLで話題になった各種情報)と、「おしゃべりサロン」(会員のエッセイなど)の2つにしたほか、新たに「なんでも掲示板」のコーナーを設けました。
掲示板は、ホームページにアクセスできる人なら誰でも書き込むことができ、MLよりも更にオープンな情報交換の場といえます。日常のちょっとした話題やパソコンをめぐる技術情報のほか、障害者手帳や年金制度等に関する相談も書き込まれるなど様々に活用されています。
会報の掲載は従来どおりコンスタントに継続され、また、「なんでも掲示板」にはいろいろな書き込みが行われていますが、その他のコーナーについては昨年に比べ更新の頻度がかなり低下しています。今後のホームページの保守管理体制をどうするかが課題の一つといえます。
2000年3月、タートルの会の連絡用メールアドレスを下のものに設定しました。
turtle.mail@anet.ne.jp
このメールアドレスに送信されたメールは、会長、副会長、幹事、監査の各幹事会メンバーに同時送信されるよう設定しました(2000年4月13日より)。これを対外的なタートルの会の連絡用メールアドレスとして会の広報用パンフレットに記載し、また、ホームページ上にも掲載しています。
従来、会の連絡受付メールアドレスとして個人のものを当てていましたが、複数の幹事会メンバーが関わるメールアドレスを設定することにより、会員内外からのメールによる問い合わせ・連絡にスムーズに対応できるよう図ったものです。
なお、このメールアドレス設定に当たっては無料のメール転送サービスを利用しているため、特に費用は要していません。 (幹事・吉泉豊晴)
パンフレットの作成
2000年3月10日、5000部納品
うち2000部は10任の幹事に200部ずつ送る。
会員に3部ずつ機関紙16号と同送する。
1. 相談活動の充実
2. 連続交流会の実施
@スポーツを楽しむ仲間の体験談
9月16日(土)
マラソン、登山、スキー、ダイビング
A新しい仕事の可能性
10月21日(土)
インターネットを活用した職域
B地方交流会 イン 広島
11月11日(土)
広島市内にて開催
3. 交流会の充実(講演内容と相互交流)
4. 復職・定着支援活動の充実
5. メーリングリストやホームページの充実
6. パソコンボランティア活動の充実と連携の強化
7. 機関紙「タートル」の発行
5月15日(既刊)、8月15日、11月15日、2月115日の各号を発行予定
8. 啓蒙用ビデオの製作
講師:工藤 正
日本障害者雇用促進協会障害者職業総合センター
雇用開発研究部門主任研究員
もともとはコンピュータの急速な発展を背景に自然科学の分野からでてきた視点ですが、学問の統合化を目指すもので、人文・社会科学にも応用可能であり、日本でよくみられる2つの科学の対立を否定する視点です。「複雑系」に関しては多くの翻訳本が出ていますが、その発生の物語については新潮文庫のワールドロップの『複雑系』、社会科学、とくに経済学の視点からは、埼玉大学の西山賢一さんのNHKブックスから出版されている『免疫ネットワークの時代』などが参考になるでしょう。
この「複雑系」と障害者雇用問題との関係は、残念ながらまだうまく結びつけられないのですが、多くのヒントを得ることができると私は思っております。インペアメントや機能から障害をとらえるのではなく、環境との関係で障害をとらえなおす、また、障害をもつ人間を価値をもつ行動主体としてトータルにみていく、障害者に対する企業や社会の反応や変化ををみていく視点などは、「複雑系」と大いに関係してくるとみています。
特に福祉の人と議論しますと、障害者はそんなに無理して働かなくてもいいんじゃないかといわれることがありますが、私は決してそうじゃなくて、無理してでも職場とかかわってその中からつぎの新しいものを生み出していく、また、自分が学習する、あるいは自己開発するっていう側面を積極的にとらえない考え方はおかしい、現実離れしていると思っています。単にお金をもらうことだけじゃなくて、そういう関係の中から新しい性質をもった人間や社会システムをつくりだしていく、「複雑系」でいうとこれを「創発効果」っていうんだけど、コミュニケーションだとか、そういういろんな関係を実体よりも重視する考えです。そして、変化を生み出す臨界領域、カオス(混沌)にとくに注目する、こうした視点はこれからの障害者の雇用・就業問題を社会問題として考える際に大いに参考になるだろうと考えています。
今日のテーマっていうことで、「21世紀の障害者の雇用・就業問題」が私に課せられたんですが、この間工藤正一さんから電話があって、引き受けたのが失敗だったかなと思って悩んでしまいました。テーマから「21世紀」をとってほしいとお願いしましたが、認められませんでした。これも私にとっては進化の1つの過程といえるわけですが、まず「世紀」という歴史時間の長さに圧倒され、自分の小さな世界からみた展望を語るしかない、未来は予測できないというふうにみるのがよいだろう、というのが私が達した結論です。「複雑系」の視点からみると、先程もお話ししましたが、それぞれみんな利害関係を持ちながら、対立や協調、競争や連帯をしながら必死になって生き、進化していくのが人間、そして社会なわけですから、未来っていうのは混沌であり予測はできないということになります。
世紀末ということもあって21世紀を展望、未来予測した本や情報は多くありますが、それよりももっと重要なのは、現実や現象、つまり数多くの要素の絡み合い、新しい構造が出現する状態を理解することにあると思います。どういう構造で秩序だとか調和がつくられてるのか、どこから崩れていきそうかを見極めるような視点からの研究や実践が重要です。秩序っていうのは絶えず崩れて再編して変わってそれなりに均衡を保っていくっていうか、自己組織化、調和していくわけですが、人間行動や社会も私はそのようなものだと思っています。そう考えるとあまり長期の未来、21世紀ってイメージがあまりできないんですね。私の空想・構想力の不足かもしれませんが。
例えば、21世紀の展望、予測で有名なハーバード大学のハンチントンさんの『文明の衝突』では、キリスト教文明とイスラム文明がぶつかることになっちゃうとか、あるいは日本がその中では沈むっていうことになっているんですね。そういうのに対して、そうじゃないんだと、対立衝突だけでなく、現実のなかにある協調や共存の側面もふまえ、調和を図る糸口やプロセスを理解することの方がよほど重要だと思ってしまう。インターネットなどの情報技術革新の進展によって、グローバル化は「超国籍」と訳されるトランスナショナルな状態をつくりだしつつある。そういう問題はこれからの国のあり方にもかかわりますし、我々の働く産業社会にも当然大きな影響を与えることになるでしょう。しかし、その内容は誰も予測できないでしょう。それよりも現実の理解や分析の方が重要だと思ってしまう。
これからの21世紀の社会や人間行動を理解する上で、私がイメージとして信頼できそうだと思っているものがあります。これも複雑系がヒントを出してるんです。近代社会にはピラミッド組織イメージみたいなものが根強くありますよね。きれいに要素が機械論的に組み合わさってでき上がってる三角形のピラミッド組織モデルのイメージです。しかし、これからは思想でいうとポストモダンの連中が盛んに言ってる「地下茎(リゾーム)」のイメージが、現実を理解するものとして重要な気がします。「地下茎」っていうのは例えば、竹だとか蓮の根茎で土の中に埋まってる部分ことですね。ピラミッドだとか、ツリーっていうのは地上部分の木の構造みたいにきれいに整理されているんですが、これからはそうじゃなくて地下の根っこの方のイメージ、四方八方にいろんなのが伸びている、根っこですから地中に埋まってるかと思ったら、ある日、数メートル離れた所で芽を噴出するなんてことはある、あるいは根っこの関係が途中でだめだったら切れちゃう。いわゆるネットワーク組織に似ているということになりますが、ネットワークよりももっと重なっちゃう、相互に絡み合っている状態、その周辺や先端である日突然新しい変化がうみだされてくる。こうしたイメージは、これまでの自分の人間行動や情報のコミュニケーションをちょっと想像していただければ、少しは納得できる部分があるのではないかと思います。近代を超える21世紀というのはきっとそういう時代に入るんだろうと予感しています。複雑系がよく強調する「カオスの縁」っていうか、やっぱり秩序と混沌との間っていうところにいて進化がうまれてきていることに、われわれはもっと敏感になって冷静に注目していくことの方がよほど重要なことだと思う。
また、複雑系の経済学の視点から情報が中心になってくると、これまでの「収穫逓減」の定説よりも、「収穫逓増」の現象がよく見られるようになるという。発想の大転換を迫るような考え方だ。情報産業なんかでみられますが、開発の1番手が長期間一人勝ち続けるという話なんですよね。マイクロソフト社なんか一番いい典型例だと思います。情報では先に開発した方がかなり長期にわたって儲かるっていうか、収穫逓増がみられる。それが、スタンダードになれば皆が従わざるを得なくなり、さらに儲かる。マイクロソフトのWindowsなんかはそういう感じですね。しかし、次の有力な製品やサービスが開発されそれが市場に受け入れられれば、その優位さはいっきに崩れる。こうした新しい産業の動きは、従来のモノの生産中心の発想や経済学ではとらえられなくなってきているのです。
例えば、教育や情報なんかも従来のモノの生産とは違った性格をもち奥が深いっていうか、どんどん蓄積していっても、蓄積していけばしていくほど価値が高まって儲かるというか、そういう構造があるわけですね。かなり無限に近いっていうか、情報のデータベースなんかもそうでしょう。初期のころいいものをつくって、すぐ追いつかれるようなデータベースではだめですが、高度の独自性を発揮していけば、ますますそこが優位になっていくという構造みたいなのはありますね。だから初期の迅速な研究開発投資や組織合併などが、モノづくりに代わって重要視されるようになってくるのです。産業活動のサービス化・情報化によって、従来の発想ではとらえられない領域が拡大してきていることに、われわれはもっと敏感になる必要があります。
もう1つのグローバル化は、トランスナショナル(超国籍)な金や物、人や情報の移動が容易になり活発化、国際的競争を激化させてきているということです。お金や物は早くから行われています。貿易なんかを通じて製品というのは、例えば日本でつくった物は日本だけでなくて、世界に駆けめぐるわけだ。あるいは、外国でつくられた物や部品が日本に入ってくる。日本人で海外で働くとか、外国人が日本で働くとかいうグローバルな人の移動も行われるし、当然情報なんかは、インターネットの普及によって一層低いコストで容易に移動できるようになってきている。そうなると、国よりは国際的な基準、競争ルールをどうつくればいいのかということが極めて重要な課題となる。それらの影響を受けながら行う産業活動という視点がこれまで以上に重要となりますよね。従来、職業・労働問題は国内問題ととらえることが多かった。だけど、これからは国際問題という側面を無視しては益々できなくなるだろう。当然、障害者の基本的人権の保障、その基準なども国際的産業活動を行う上では無視しえなくなってくる。
さらに1つ加えると、インフォメーション・テクノロジーのことをITっていっていますが、インターネットの普及なんかでIT革命が加速しており、その発展も産業活動に大きな変化をもたらしてくるでしょう。それによって、これまでのピラミッド組織では対応できなくなる状況がうまれつつあります。もっとフラットで、下の方に権限をおろして、下の方が判断しながら顧客だとか市場に迅速に対応しないと市場競争に負けるという感じになるわけですね。いわゆるネットワーク型組織が中心となっていく。だから、中間は要らなくなるという話はあたっていると思います。しかし他方で、目に見えにくいのですが、組織のなかで情報の集中管理が進み、産業や労働活動が木目細かくこれまで以上に管理されるというマイナスの側面も見落とすことはできませんね。
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講演記録の作成では、ワークアイ船橋に大変お世話になりました。心から謝意を表します。本稿は、その記録をベースに講演の流れに即して整理しておりますが、最初の自己紹介と質疑の部分は全面的にカットさせていただきました。また、字数制限があったため大幅に短縮・要約したところ、また、わかりにくいところは文章をさらに追加しました。
私には、「普通に見える」ということは解りません。先天性白内障による人工的無水晶体眼、生まれてから現在までずっと弱視です。高校2年の時に網膜剥離で右眼の視力を失い、左眼も3年前に網膜剥離の手術を受けました。幸い視力も視野も幾らか残りましたが、仕事や日常生活において、苦労することは多くなりました。
そんな私も今の職場に勤めて今年で6年目になります。不安と希望の中で泣いたり笑ったり一喜一憂しながら、ただ我武者羅に走りつづけた5年間でした。3年前網膜剥離の手術を受けた時にも、職場の理解と支援、そして生来の負けず嫌いの性格のおかげで、2ヶ月の休暇で通常業務に戻りました。仕事の内容も年を重ねるごとに増え、4年前には、大会行事の総合司会も経験させていただき、今も一部経理の仕事も含めて幅広く担当をさせていただいています。様々な研修会など勉強の機会もいただきながら、可能な限り周囲と隔たりなく仕事のチャンスをいただいています。私にやる気さえあれば、かなりの仕事を任せてもらえる環境にあり、チャンスも周囲と等しく与えられています。
日々何の不自由もないと言えば嘘になります。逃げ出したくなること、「もうそろそろ限界かな?」と弱気になることもしばしばです。ただ、私は、今の仕事が好きです。ルーペを片手に読み書きをする、苦労も多い毎日ですが、そんな毎日がとても楽しいし、充実もしています.
今の職場で仕事をしていく中で、自分自身の努力は惜しみません。でも、「電話帳で電話番号を調べる」そんな何でもないことに周囲の人の手を借りなければならないこともあることは、逃れようのない現実です。周囲の人との円滑な人間関係の下に、いかに自分の障害と上手く付き合っていくか、障害が、決してマイナスとはならないことを、そして、私自身の障害の状態を周囲にいかに理解してもらうか、それが、私が、仕事を続けていく以上乗り越えていかなければならない課題だと思っています。
私は、十分な視力を持って生まれてくることはできませんでした。でも、その分だけ多くの人の思いやりと優しさに出逢い支えられて、これまでも、そして、これからも生きていく事ができます。視覚に障害があるからこその喜びや、「普通に見えないからこそ見えるもの、できること」もきっと沢山あるはずです。
「たとえ視力を失っても、心の光は失うことなかれ」そう教えてくれた人があります。仕事も、それ以外のことも自分が諦めない限り可能性は無限大、私は、そう思っています。
私の夢は、今の職場でずっと働きつづけること、私を支えてくれる多くの人たちに感謝しつつ、私にできる最大限の努力で、これからも頑張っていこうと思います。
私が勤務するのは、法務省認可の公益法人。事業収入のうち書籍・雑誌の売上げが占める割合が高いので、産業分類に当てはめれば「出版業」ということになるが、ビジネス・ロー(企業法務)に関する総合的な研究・情報センターとしての役割を果たすべく、民・官・学を横断する様々な事業を行っている。正職員数50人弱のスモール・オフィス。この少数精鋭(?)が、10のセクションに分かれ、毎日忙しく働いている。その光景は、おそらく、一般の多くの人々が描いているであろう「社団法人の事務所」に対する職場イメージとはまったく異なるものに違いない。
私が所属する部署は、教育事業部。部員数は、部長と私と同僚の3人(+アルバイト1人)。ビジネス・ローに関する多岐にわたるテーマをとりあげ、年間140〜150タイトルのセミナーを企画・開催している。
1981年に新卒で入社してから84年まで書籍(単行本)の編集、その後92年まで雑誌(企業法務専門誌)の編集を担当。文字通りの「眼力労働」に従事していたが、この間に緑内障が進行。91年以降、急速に視機能が低下。92年頃には、右眼はほぼ失明状態となり、左眼も中心部をはじめ視野欠損が拡大。校正作業に多くの時間を割かなければならない編集職から退くことを余儀なくされ、現在の部署に異動となった。
具体的に行っている仕事の内容は、・実務、研究、政策動向についての情報収集・取材、・企画立案、・講師への講演依頼・打合せ、・パンフレットの作成、・マーケティング(DM送付先リストの作成)、・受講者への配布資料の作成、・セミナー当日の運営事務等だが、経理に係わることを除いては、セミナーの実施に必要な業務で「担当外」の仕事はない。
96年、所沢市にある国立リハビリテーションセンター病院のケースワーカーでロー・ビジョン・ケアの分野で活躍されている久保明夫先生のご指導もあり、日本盲人職能開発センターを訪問。97年4月から1年間、同センターの事務処理科でパソコン操作の習得を中心とする職業リハビリ訓練を受ける機会を得た。同センター通所のためのいわばライセンスとして97年2月に身障者手帳の発行を受ける。申請するまでは、3級かせいぜい2級だろうと思っていたところ、診断の結果は1級。しばらくは、複雑な思いが続いた。当初、1年間は、休職となることを覚悟していたが、幸いにも、会(会社)が、センターでの訓練を会の研修扱いとすることを了承してくれたため、休職することなく訓練に通うことができた。
センターに通う前は、「パソコンできないオジサン」の典型だった私だが、今では、事務仕事のうちの相当部分をパソコンを利用して行っている。ご指導いただいたセンターの先生方には幾重にも感謝を申し上げなければならない。
そういえば、タートルの会の会員である熊懐敬さん(第一勧銀総合研究所調査役)も私と同じセミナー関係の仕事に就いておられる。ビジネス分野の教育事業は、今後も発展の余地が大きく、中途視覚障害者の職域として開拓可能な有力分野なのではないか。
今から丁度2年前の4月に急に目の奥が痛くなり、数分間、目がまったく見えなくなりました。数分後に、徐々に見え始め視力は回復しましたが、痛みが残ったので、家の近くの休日診療の病院に行きましたが、原因がわからず、翌日総合病院に行き検査をしたところ、視神経炎と診察され、ステロイドを2週間飲みつづけ治りました。同年9月に視力が落ちていくのがわかり、その時は痛みはなかったのですが、病院に行き、再度検査をしてもらいましたが、原因がわからず、不安のまま、1日1日視力が落ちていきました。
このままではダメだと思い、知人に大学病院を紹介してもらい、検査した結果、レーベル病と診断されました。担当の先生からは、治らない病気と聞き、その後の説明が全然耳に入りませんでした。
また、今後のことを考えると、とても不安で、どうしたら良いのか悩みなした。このままでは納得できないので、違う大学病院の診察を受けようと思い、昨年の1月に違う大学病院に3週間入院して検査を受けましたが、結果は同じでした。
結果が出た以上、これから会社で出来ることを考えなければならないが、会社の中でも重度の障害者で視覚障害者は初めてなので、会社の方も自分も何が出来るかわからず時間が過ぎていきました。
4月に入り、友人から所沢の国立リハビリテーションセンターを紹介してもらいました。友人に付き添いをしてもらい、午前中に簡単な検査、午後からロービジョンの説明を受けました。内容としてはルーペの種類、拡大読書器の使い方、そして音声による説明と文字を拡大してくれるソフトの入ったパソコンを実際にいじった時にはすごく興味をもちました。
話をしているうちに、千葉の幕張に障害者を対象に3カ月パソコンを教えてくれる所があると教えていただきました。所沢の帰りに幕張の障害者職業総合センターに立ち寄り、案内のパンフレットをもらい、翌日上司に同センターに3カ月間講習に行きたいと相談をしました。
数日後に、会社から了承をもらい入所の手続きに行き、5月の連休明けより講習を受けたわけです。内容はパソコンのワード、エクセル、そして途中からインターネットと電子メールを教えてもらいました。
そこの訓練センターで阿部貞信氏(千葉県中途視覚障害者連絡会会長)と知り合いとなり、今日まで色々なことを教えていただき、相談に乗ってもらいました。
3カ月の講習を無事に終了して、会社と1年間の休職の約束でしたから自宅にいたのです。でも、無性に仕事をしたくなり、お盆明けに復職できるよう、会社にお願いに行ったのです。それから、何度かお願いに行き、ようやく10月4日に復職できました。
今までは営業をやっていましたが、復職後に配属になった運輸の配車の仕事は、内容はわかっていたつもりでも、実際にやって見ると、イメージと違い、初めは戸惑いました。「運輸」とは、営業の人が仕事をとってくると、建築資材のリ−スが発生し、その資材を10トンもしくは、4トン、2トンのトラックで運搬します。その行き先別に手配をする、部署のことです。
訓練センターで拡大読書器とパソコンを習いましたが、今の仕事では拡大読書器しか使っていません。
通勤はバス、電車、バスで1時間30分ぐらいかけて通っています。会社の前が国道ですが、そこには信号も横断歩道もないんです。その道を渡る時は少し怖いと思うことがあります。
復職して8カ月過ぎ、多少慣れてきたので、今後は自分しか出来ないことや、他人が気がつかないことを探していき、自分の存在をアピールしていきたいと思っています。
去る6月25日、「手をつなごう全ての視覚障害者全国集会」(代表世話人=藤野高明・全視協会長)は、特別企画として、「どうする21世紀の視覚障害者の権利」をテーマに集会を開催しました。集会には、日盲連会長の笹川吉彦さんからメッセージが寄せられました。会場となった東京都港区の障害者福祉会館には65人が集い、タートルの会も呼びかけに応えて、下堂薗副会長、篠島事務局長など幹事を始め一般会員も参加しました。
午前中は、各会からの発言に先立ち、「障害者福祉と社会保障」と題して東京都立大学助教授矢嶋里絵さんによる記念講演があり、今後の障害者福祉制度の変革について学習しました。また、弱視者問題研究会からは、成立したばかりの交通バリアフリー法についての解説が行われました。
午後からは、各会の活動の紹介や、21世紀へ向けての課題や提言の報告がありました。公共図書館で働く視覚障害職員の会、弱視者問題研究会、全国盲ろう者協会(文書発言)、グループ・飛躍、パソコンボランティア・SPAN、二見訴訟を支援する会、全国病院マッサージ問題連絡会、視覚障害者の歩行の自由と安全を考える『ブルックの会』の団体や個人からの発言がありました。タートルの会からは私が代表して発言しました。私の発言内容は、今年6月の総会報告とほぼ同じです。つまり、障害を理由とした解雇の規制、リハビリを権利として受けることなど、中途視覚障害者となっても安心して働き続けられる21世紀になって欲しい、と訴えました。また、視覚障害者が生活していく上でパソコン活用が必須となった今、視覚障害者のパソコンへの公的助成や技術習得の問題は視覚障害者共通の課題となっていると述べました。タートルの会のメンバーでもあり、関西電力に職場復帰を果たしたばかりの二見徳雄さんが6年ぶりの職場の様子を報告し、これまでの支援に感謝しました。また、『ブルックの会』の佐木理人(さきあやと・全盲)さんは、大阪市営地下鉄御堂筋線天王寺駅の転落事故の当事者で、大阪市を相手取って起こした「佐木訴訟」の原告として、自らの事故の体験と訴訟の意義、理解と協力を訴えました。発言者の顔ぶれを見ると、これまで一緒に行動したことのないところばかりで、本当にいろいろなところがそろったという印象を受けました。
「手をつなごう全ての視覚障害者全国集会」は視覚障害者団体の共同組織として1984年9月、27団体延べ350人の参加で結成され、現在、33の協賛団体を数えています。それぞれの団体の立場を尊重し合いながら、視覚障害者の統一した要求を確認し、政府などに要請行動を行ってきました。
その結果、この17年間に様々な要求を実現してきました。例えば、今日なお続いている経過的福祉手当の実施、日常生活用具を拡大読書機にも適用、点字図書給付事業の創設、点字母子手帳の発行、国家公務員点字採用試験の実施、職場介助者制度の創設、NTT104番号案内無料サービスの存続、郵便物の点字不在者通知や集荷サービスの実施、音声信号機の開発普及、駅ホーム転落防止柵の前進、点字ブロックのJIS化の前進等々を挙げることができます。
21世紀を目前にして福祉制度が大きく変わろうとしている今、それぞれの視覚障害者団体が一堂に会し、要求や課題を持ち寄り、お互いに交流し、統一要求としてまとめていくことは、今後の視覚障害者の要求実現のために、大いに意義あることだと思います。
笠井和代さん(小学校教諭・2級)が職場復帰をして丁度1か月目の7月23日、徳島のタートル会員、視覚障害教師の会会員、県立盲人福祉センターの歩行訓練士の方達と職場復帰を祝う会をしました。
笠井さんは、夏休みに入ってほっと一息、少し疲れが見えましたが、元気そうでした。
話題はもっぱら学校での出来事、体験、感想など話は尽きませんでした。
タートルの工藤様、篠島様からお二人の体験に基づいた親身な励ましのメッセージを頂き、感激致しました。
さて、笠井さんは網膜色素変性症による視力低下で昨年6月に病休に至ってしまい、悶々とした日々を送っていた時、8月徳島で開催された全国視覚障害教師の会の新聞記事の「目は見えなくても教師はできる」という言葉に一筋の光を見い出し、県立盲人福祉センターに相談に来られたのが、笠井さんとの出会いでした。
まず、国リハでのロービジョンの受診を勧めました。専門医のきちんとした視機能検査と補助具の選定のアドバイスを受けるのが先決だと思ったのです。
国リハでの受診の日、日本盲人職能開発センターでタートルの幹事の方々とお会いでき、目が不自由になっても仕事は続けられるかもしれないとの思いを持たれたそうです。徳島へ帰ってから、身障手帳の取得、障害者職業センターでのパソコン講習、盲人福祉センターでの歩行訓練と復帰への準備を進めました。
この間、タートルの会、視覚障害教師の会をはじめ、多くの方から励ましや情報が寄せられました。
しかし、現実に復帰となると問題がなかった訳ではありません。最初、T・T(チーム・ティーチング)での復帰が危ぶまれたり、拡大読書器については急遽タートル会員の鈴木様からお借りして急場を凌いでいますが、未だ配置されない状況です。
とはいえ、学校側は笠井さんがスムーズに復帰できるように、色々な配慮をして下さいました。復帰に先だって職員会議で現在の状態や1年間復帰に向けて取り組んだこと、教育にかける思いなどを話す機会が持てましたし、復帰後は全校生徒に校内テレビで笠井さんからのお願いを話したり、保護者には、笠井さんが復帰された事、現在の状態や学校側の考えなどを手紙にしたためて理解を求める努力もして下さいました。
学校は900人余りのマンモス校ですが、笠井さんは1、2年生の算数をT・Tの形で教えており、また5年生の総合学習で視覚障害についての話もしています。笠井さんが元気で教壇に立つこと自体が教育なのではと思います。
今回、情報の取得、早期の相談、仲間との交流の大切さを痛感しました。
身近にタートル会員がいる事も必要です。全国各地にタートル会員を増やして、支援活動を活発に展開しましょう。
今回、ワークテック21に参加して感じた事は、全国どこの視覚障害者でも同じような事で悩んでいると思いました。
午前の講演では、アメリカのアンソニー・コップ氏の講演でした。JOBプログラムの確立とそれをとりまく問題等について話されました。
目標設定型雇用支援計画プログラム(JOB)は、現在の視覚障害者に雇用の機会を与え、その人が自信を取り戻すことや、社会に貢献することを気づかせる。そういう活動が、一人ひとりの視覚障害者に必要だと思いました。
このような視覚障害者が活躍することによって、次の人が社会に出るチャンスが増えると思います。
また、この計画の訓練は多岐に渡っており、情報学だけではなく、法律、経済等も含めているので、このような活動が日本でも広がれば、視覚障害者も職業の選択の自由が得られるようになると思います。
そのような中で、障壁となっているのが、障害者に対する誤った通念や固定観念からの、障害者に対する誤解です。特に、視覚障害者が何もできなくて、他人に手をかけてもらわなければならない存在、そんなふうに思っている方が現実にまだ数多くおります。私の地域や職場でも時々そのようなことを思います。
特に、視覚障害者に何を話したらいいか、そんなきづまりで話さなくなる方もいます。また、部屋に入ってきても声を出さない方などは、視覚障害者には誰がきているのか全くわかりません。
アメリカでもそのようなケースがあるそうでした。それを聞いて私も自分に直せる所は直さなくてはならないなあと思っています。
午後には、情報提供などがありました。これからの音声スクリーンリーダーの話や、ホームページリーダーの今後のバージョンアップの話などでした。
ホームページリーダーでは、新しいページに対応する、必要な情報だけを取りやすい研究経過の報告がありました。
今使っているものでも使いやすいんですが、確かに色々な余分な情報を聞く必要がないのは便利だと思います。
是非早くそうしたものが出てくればもっと使いやすくなりますね。
これからは、色々な方が使いやすいホームページを作っていただきたいです。特に音の出ない表現が多くなってきて私も困っています。
また、視覚障害者を雇用している会社の社長さんの話もありました。その中で、質問があり、もし、視覚障害者にサポーターが入っている場合に、今のパソコンはあまり知らなくても出来てしまう。そうした場合に、視覚障害者が主であったはずが、サポーターが主になってしまうのではないか、というものでした。私も、もしこれからそうなれば困る問題だと思います。その回答に、アメディアの社長の発言に納得しました。確かにそういう事はあるかもしれないが、主は視覚障害者であって、事業主の意向を知って物事を判断する能力はあるのだから、その人が判断するべきでしょう、という話で、確かにいちいち何かあれば事業主に聞いているのより、その人の判断で、事業主の意向に沿って仕事をする人材こそ必要なんだとわかりました。
今回で一応ワークテック21は終わると聞きましたが、これからも形を替えてでも続けて欲しいと思います。一人でも多くの視覚障害者が社会復帰を実現する事ができれば、そこから新しい社会が出来ていくと思います。
最近、中途視覚障害者のことがマスコミに取り上げられる機会が多いように思います。それにも関連するのか、当会への問い合わせや相談も多くなってきています。
相談の多くは「将来への不安」に関わることです。視力低下の進み具合、見えなくなっても仕事は続けられるのか、みんなどうしているのかなど、不安を取り除くことのできる情報を少しでも欲しいのです。本人からが最も多いのですが、友人、奥さん、お母さんからなどさまざまです。親身に心配してのところなのでしょう。
「タートルの会」の役割は、「働きつづけたい」という本人の強い意志を支えること、周囲に視覚障害の理解を深めるための情報を提供すること、そして事業主と雇用支援機関、医療・生活リハ・職業リハ機関などとの円滑な連携を調整することにあります。
さらに視覚障害者としての先輩が、自分たちの経験によって得た知恵と工夫を、視覚障害者としての後輩達に伝えていく。これがまさに「タートルの会」の義務ともいえ、真の役割といってよいでしょう。会の具体的な活動は初期相談会と交流会に重点をおいています、ぜひ参加してみてください。
また、会員への情報提供だけにとどまらず、啓蒙啓発のために、眼科医、保健婦、医療ケースワーカー、職業カウンセラー、ハローワーク雇用指導官・障害者窓口、生活リハ・職リハ職員、更生相談所・福祉事務所障害者窓口、事業主・経営者・組合幹部等々、多方面にわたる方々に情報を提供していきたいと思っています。これには機関紙「タートル」の発行や、ホームページが役割を果たすことになります。当会はできるだけ多くの方々に機関紙「タートル」(年4回発行)を購読していただき、視覚障害者の「働く」ことへの理解を深めてほしいと願っています。ぜひ御購読ください。年間購読料は3000円です(会員は年会費に含まれています)。郵便振替口座は00130−7−671967です。
『タートル』 (18)2000年8月29日発行