会報「タートル」第18号

2000年8月29日発行 SSKU 増刊 通刊大238号
中途視覚障害者の復職を考える会[タートルノ会]開放
タートル(18)

【巻頭言】
地方の職場で起こる復職事例に思うこと

西村秀夫
タートルの会・幹事:広島県在住

 私は幹事の役は拝命していますが、 具体的相談を解決する能力を持っているわけではありません。
 一昨年以来、 広島でも、 退職勧奨を受けたが、 どうしたら良いか、 又現状の勤務を続けることができなくなったがどうしたら良いかという相談の事例が何件かありました。
 当然会員が本部へ相談をし指示を仰ぐのですが、 地方の会員の間だけでは相談事項を解決する能力を持つ者はいないのが現状です。
 我々が出来たことは、 相談者を囲み、会員の有志が集まって、 めいめいが思うところを述べるという状態でした。 話の内容がどの程度問題解決に役立ったか分かりませんが、みんなの励ましがうれしかったと語ってくれました。
 その方の場合は、 日本ライトハウスへ入所し、パソコンを勉強して、 復職して町役場の町議会の議事録のテープ起こしをするとのことでした。 そのような内容で落ち着いた背景は、ご本人自身が積極的に動かれて町役場の労働組合の支援、地元議員の協力を得たことが大きかったようです。
 当初、地元議員及び労働組合も、本人が50歳代という高齢でもあり、 支援するとしても本人が途中で復職の意思をあきらめて退職の道を選ぶのを心配して二の足を踏んでいました。 本人自身「絶対復職」という強い意志を示し、それによって労働組合も本気になって復職運動に取り組んでくれたようです。
 改めて一番大事なのは「絶対復職」したいという本人の強い意志が周りに認められることであると思いました。
 平成12年11月11日(土)は、タートルの会での地域相談&交流親睦会が広島で開催される予定となっています。 『中途失明〜それでも朝はくる〜』の本は、新聞でも紹介され、この本を読んでタートルの会を知った方もいらっしゃると思いますが、まず11月11日の広島会場での地域相談会&交流親睦会が開催される旨の広報活動が大事だと思っています。
 一人でも多くの人が集い、 相談活動を通じて「継続雇用」「働き易い職場」が増えていくことを願って、 地域相談会&交流親睦会の成功に微力を尽くしたいと思っています。


連続交流会のお知らせ

■9月交流会
「スポーツに話の花を咲かせよう!!」

 秋はスポーツで汗を流すのにふさわしい季節。日頃、あまり思いきって身体を動かせない私たちにとって、いろいろなスポーツに挑戦している仲間の話を聞き、自分もこれならやれる、これはやってみたい、と話に花を咲かせようではありませんか。
日 時  2000年9月16日(土) 14:00〜 16:30
場 所  日本盲人職能開発センター
     (四ッ谷駅より徒歩約8分)
話題提供者
 【ゴルフ】
   千木良孝之氏:横浜市立盲学校勤務
 【スキー】
 川添由紀氏:東京ワークショップ勤務
 【ダイビング】
 松坂治男氏:オータックス(株)勤務
 【マラソン】
     小川 剛氏:北海道大学勤務

■10月交流会
「新しい仕事の可能性」
=インターネットを活用した職域=

日 時  2000年10月21日(土)     14:00〜 16:30
場 所  日本盲人職能開発センター

■11月交流会
「タートル地域交流会イン広島」

 昨年の仙台に続いて、今年は広島で地域交流会を開催します。遠隔地に住んでいて、なかなか東京の交流会に出て来れない同じ悩みを持った人達(仲間)と講演会・交流会・相談会を行います。
 東京の会員も多数御参加ください。二日目の広島観光や懇親会で地方の人達と楽しい親睦の一時を過ごしましょう。
日 時   2000年11月11日(土)
              12日(日)
場 所  広島県生涯学習センター

◇詳細はタートルの会事務局へお問い合わせ下さい。
(Tel.03-3351-3208)


第5回定期総会

 2000年6月10日(土)、飯田橋のセントラルプラザ多目的ホールにおいて「タートルの会」の第5回定期総会が開催された。出席者数は70名に及び、過去最高の人数となった。北は北海道から南は広島と広範な地域へと広がりをみせている。
 午前は総会、午後は記念講演と交流会、そして親睦交流会を場所を移して錦糸町の「鮒忠」で行い、参加者は50名を超えた。
 総会は、内山幹事が司会進行を務め、和泉会長の挨拶、工藤幹事が相談事業を中心に、吉泉幹事にはメーリングリストとホームページについて、新井幹事には交流会事業について、それぞれ報告してもらった。また、山口幹事から会計報告があり、田中監査から会計監査の報告がなされ、全員の承認がなされた。さらに吉永幹事から会則の変更について提案があり、事務局長をおくことの提案を幹事会から行い、承認された。続いて事務局長に篠島幹事が、新任幹事に森崎正毅氏が推薦され、承認された。松坂幹事から2000年度の活動方針案が提示され、つづいて予算案の提案が山口幹事からあり、全員の賛同を得た。そして最後に下堂薗副会長から閉会の挨拶があり定期総会は無事終了した。
 午後の記念講演は障害者職業総合センターの工藤正氏にお願いし、講師を依頼した工藤幹事から紹介をしてもらい、「21世紀の障害者の雇用・就業問題」と題して約1時間拝聴した。
 そして、休憩後、交流会は持田幹事が進行役を務め、はじめに復職を果たした3名の会員の発言、関西電力(二見徳男氏)の「二見裁判」の和解判決による復職、広島・尾道郵便局職員(大本仁氏)の外勤から内勤へ病欠後の職場復帰、東京・港区役所(弘伸子氏)の研修、復職、配転に成功、それぞれに喜びの声を、次に参加者全員の一言ずつの発言があり終了した。

(事務局長・篠島永一)

1999年度活動報告
『相談活動』

(1)私たちを取り巻く情勢
 長期化する景気の低迷と過去最悪の完全失業率の中で、リストラ・会社分割、派遣労働者の増大、失業給付の切り詰めなど、私たちを取り巻く情勢はますます厳しくなっています。
 この1年、会員の何人かは退職または「あはき(あんまマッサージ指圧・はり・きゅう)」養成施設への進学を余儀なくされたり、正社員から契約社員へと身分変更を迫られたり、賃金を最低賃金まで一挙に引き下げられたり、「出社せずとも金は払うから」などの条件の下に退職を強要されたり等々、その厳しい実態は枚挙にいとまがありません。
 「視覚障害者の職業とパソコン」ということを考えると、パソコンの活用はますます重要となり、IT革命が進む中で新たな段階に入ったともいえます。日々変化発展しているパソコン環境は、視覚障害者にとって新たな困難を生じさせることもありますが、新しい変化を積極的に取り込むことで、新たな職域の開発に繋げた事例も生まれています。インターネットとデータベースを組み合わせて、これまでは全盲者には無理と思われてきた仕事をこなしている会員もいます。
 一方、視覚障害者の伝統的な職業である「あはき」については、ますます厳しくなっています。「あはき」資格所持者の晴・盲比率が逆転してから久しくなりますが、今日特に晴眼者の増大、無資格者の蔓延などに加え、鍼灸養成施設の著しい定員増が厚生省によって認可されたこともあり、視覚障害者の生活はますます脅かされようとしています。鍼灸養成施設の定員については、これまで約2000名であったものが、ここに至って、平成12年度では約600名増、平成13年度は約800名増(見込み)と、一挙に倍増に迫る勢いです。このことは、視覚障害者の「あはき」による職業的自立を脅かし、中途視覚障害者のみならず視覚障害者全体にとって、見過ごすことのできない問題となっています。

(2)相談の特徴と高まる会への期待
 タートルの会が結成されたのは1995年6月。6年目を迎えた今、ますます当会に対する期待の高まりを感じます。会の存在が知られるにつれ、年々相談件数も増加し、この1年間に寄せられた相談件数は約80件を数えました。
 相談経路では、新聞記事、福祉施設、医療関係、患者会、インターネットなど様々ですが、初期相談が重要という点では、医療期間経由の相談が少しずつ増えてきたことは喜ばしいことです。
 ちなみに、最近開設された幹事間メーリングリストは外部からの相談も受けることができ、プライバシーに配慮した相談も可能なため、今後はこのメールによる相談が増えてくることと思われます。
 職業・職種については、事務職、現業職、専門職など様々でしたが、郵便局職員と教師からの相談が複数ありました。
 また、障害者手帳未取得者からの相談も増えています。これは、必ずしも障害程度が軽いためばかりではなく、かなり重度である場合もあり、本人が手帳を持つことをためらっている場合が少なくありません。
 地域的には、首都圏以西が多く、東北・北海道が少ない西高東低型の傾向があります。
 年齢的には、40〜50代の働き盛りが多く、疾患別では、網膜疾患、とりわけ網膜色素変性症が多いという特徴があります。
 また、このように相談が増えるにつれ、この1年間に会員登録者数も約100名増え、現在440名に達しています。

(3)個別初期相談への対応
 この1年の間に初期相談として直接面談した事例は22件(7〜11p参照)となっており、この22事例については、以下のような特徴を見ることができます。
 進路に関して、「あはき」への道に進まざるを得なかった事例が2事例ありました。
 「あはき」を選択するかどうか迷った挙げ句、現在の職場で頑張ることとなった事例もありました。
 中には、深刻な心理的問題を抱えている場合もあり、いわゆるピアカウンセリングに留まらず、専門的な心理カウンセラーの協力を得ることが必要と思われる場合もありました。

(4)相談活動の成果と今後の課題
 初期相談で個別面談が活発に行われたことは、それ自体大きな成果ですが、中でも、この間に復職を果たした以下の4事例を新たに蓄積できたことは、今後のためにも貴重な成果です。なお、これらには労働組合や職場の仲間の支援がありました。また、障害者職業総合センターや地域障害者職業センターが大きな役割を担った事例が年々増えており、今後復職が予定されている複数の事例があることを付け加えておきます。
■復職事例
◇ 久保 賢さん(タートル16号参照)
 国立塩原視力障害センターで生活訓練、障害者職業総合センターで職業訓練を受け、平成11年11月1日、福島県安達町役場に職場復帰を果たしました。現在、会議録の作成などをしていますが、職域拡大にも意欲的に取り組んでいます。
◇ 弘 伸子さん(タートル17号参照)
 東京都盲人福祉協会の訪問による歩行訓練、障害者職業総合センターでの職業訓練を受け、平成12年3月中に復職を果たし、現在、港区障害保健福祉センターで、障害者福祉の仕事をしています。
◇ 大本仁さん(タートル17号参照)
 尾道郵便局に勤務し、配達業務が困難となり病気休暇を取得していました。休暇中に鹿児島における先例や役立つ情報を得て、パソコンにも取り組み、5月8日復職を果たしました。現在、配達経路組立、事故郵便処理など内勤の仕事をしています。
◇ 二見徳雄さん
 視覚障害を理由に平成8年12月1日関西電力を不当解雇された二見徳雄さんは、平成9年2月17日、大阪地裁に解雇無効を求める裁判を提訴していました。異例ともいえる「試用」を経て、民事調停法17条に基づく和解(裁判所決定)により、6月1日付けをもって3年半ぶりに野江電力所に原職復帰を果たしました。

<問題点と課題・提言>
 この間に係わった事例は今日の深刻な社会情勢を反映して、公務員では復職の実現など明るい事例もありましたが、多くの民間企業では、冒頭に触れたように総じて厳しいものでした。リハビリに関する情報不足に加え、リハビリを受けたくても認めてもらえないなど、労働者としての権利、障害者としての権利も守られない、非常に弱い立場に追い込まれている状況があり、障害者雇用の理念からかけ離れた事態も見られました。また、「あはき」養成施設への進学を選択せざるを得なかった事例も複数あり、「あはき」選択者の中には、厚生省施設では雇用保険の失業給付を受けられるのに、盲学校の場合は受けられないという問題もありました。
 中途視覚障害者の職業継続、職業的自立のためには、多くの問題や課題がありますが、今回の経験から以下のことを提言することができます。

・中途障害者の解雇規制
 いかなる場合にも障害を直接の理由とした解雇は認めてはなりません。障害者継続雇用委員会等の設置を義務付け、リハビリ期間中の解雇を許さないなど、安易な解雇を認めないよう、法的規制が検討されるべきです。
・リハビリを受ける権利の保障
 とりわけ中途視覚障害者には在職中の生活訓練などリハビリの保障が欠かせません。安心して訓練が受けられるように、訓練期間中の身分と所得保障が必要です。
 同時に、生活訓練や職業訓練施設の整備、専門職員の養成など社会資源の充実が必要です。
・定着指導体制の強化
 大きな困難を克服して、ようやく復職まで漕ぎ着けたとしても、復職後の定着指導を受けることができません。復職者についても新規雇用と同様定着指導を行い、そのための職業相談員の増員を図り、企業内の障害者職業生活相談員の役割の発揮を図る必要があります。
・「あはき」による職業的自立の保障
 最後の砦としても、視覚障害者のために「あはき」を守り発展させる必要があります。
 同時に、「あはき」を生かせるヘルスキーパーでの復職や再就職を積極的に促進すべきです。
・「あはき」進学者に対する所得保障
 盲学校に進学した場合も更生訓練施設に進学した場合と同様に失業手当が受けられるようにし、盲学校、更生訓練施設を問わず、「あはき」技能取得までの間の所得保障を図る必要があります。

 タートルの会の中心的な活動は、相談支援、研修、交流などであることは言うまでもありません。特に相談支援活動については、「本来なら公的機関においてなされてしかるべきもの」との評価を受けることもあります。それだけに、寄せられた個々の辛い体験から導き出された具体的な問題点や課題は、今後に生かされなければなりません。しかし、それらはタートルの会だけでは解決できない問題も少なくありません。それらを実現するために、要求の一致で一日行動を実施している「手をつなごう全ての視覚障害者全国集会」などと連携することは意義あることであり、今後の課題として考えていきたいと思います。

■初期相談一覧
 本資料は、平成11年6月から平成12年5月までの1年間に直接面談した相談事例について、本人の属性、相談日、相談のきっかけ、その概要などをまとめたものです。年齢は相談時点のもの。

事例1 神奈川県・男・61歳・緑内障・手帳なし・医師
相談日:99/05/12  新聞記事。
概要:緑内障のため仕事にも支障あり。直面している様々な問題を解決するにはどうしたらよいか。意見交換と情報提供。

事例2 岐阜県・男・33歳・2級・銀行員
相談日:99/06/27-28 の両日 『中途失明』を読んで。
概要:先天性視覚障害で弱視。大学卒業後地元銀行に総合職で就職。障害の進行、金融業界の再編の動きの中で、次第に職場の風当たりが強くなり、離転職の決断を迫られていた。職場に残る方向で検討したが、本人は退職を決意。盲学校への進学も考えたが、金融関連企業に再就職。

事例3 埼玉県・男・39歳・ベーチェット病・手帳なし・県庁職員
相談日:99/07/19   日本点字図書館の紹介。
概要:労働組合役員。情報提供。ワークテック21への参加を希望。講習会に誘う。

事例4 東京都・男・22歳・ステロイド緑内障・?級・大学4年生
相談日:99/08/06 眼科医師の紹介(タートル・ホームページ。以下HPと略記)。
概要:主治医である眼科医師に連れられて来所相談。それをきっかけに前向きな姿勢に変化。在京中は交流会に参加。留年することなく無事に卒業。現在、実家の愛知県でシステムアドミニストレータ試験と就職にチャレンジ。

事例5 神奈川県・男・40歳・緑内障・1級・中学校教師(体育)
相談日:99/09/07  新聞記事。
概要:病休を経て休職に入っていたが、リハビリの受け方、復職の仕方、その手順、方策、同僚や学校当局の理解の進め方などを知りたいと相談。具体的な情報提供、「教師の会」などの活動も紹介。タートル幹事がパソコン支援。現在、復職を目指して生活訓練中。

事例6 神奈川県・男・49歳・糖尿病・手帳なし(その後3級)・運転手
相談日:99/09/18  医療ソーシャルワーカーからの紹介。
概要:休職中だったが、交流会に参加する中で、盲学校に進学(あはき)。

事例7 岡山県・男・49歳・色変・手帳なし(2級相当)・郵便局・外務職員
相談日:99/10/10  全視協広島大会。
概要:交流を深め、広島会員が中心となりフォロー。

事例8 広島県:男・41歳・色変・2級・生協職員
相談日:99/10/10   広島視覚障害者の自立を進める会、全視協広島大会。
概要:職域を拡大するため、音声パソコン等リハビリ情報交換。

事例9 広島県・男・26歳・色変・2級・公務員・国家警察事務
相談日:99/10/10   広島視覚障害者の自立を進める会、全視協広島大会。
概要:視覚障害者に対する無理解と雇用管理上の配慮もない中では、本人の努力にも限界がある。視覚障害者を取り巻く情報収集、実情を見聞する中で、盲学校(あはき)への道を選択。現在就学中。

事例10 広島県・男・43歳・色変・2級・郵便局・外務職員
相談日:99/10/10   全視協広島大会。
概要:配達業務が困難になり、病休中であったが、内勤なら可能と思われた。その後、地元パソコンボランティアの支援で音声パソコンも修得。労働組合や視覚障害者の支援を受け、内勤で復職した。

事例11 徳島県・女・44歳・色変・3級・小学校教師
相談日:99/11/04  徳島県盲人福祉センターの紹介。
概要:「教師の会」などの情報提供と助言・意見交換。歩行訓練、地域障害者職業センターでの職業講習を経て、TT(チームティーチング)で復職予定。

事例12 新潟県・男・40歳・色変・2級・元電子機器設計プログラマー
相談日:99/11/18 (新潟) 新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会の紹介。
概要:退職後、新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会のパソコン教室のスタッフとしてボランティア活動。その活動を通してタートルの会とも交流し、現在、視覚障害者としてのプログラマー養成課程にチャレンジ。

事例13 千葉県・男47歳・自律神経失調が原因と言われている・手帳なし・小学校教師
相談日:99/12/11  新聞記事。
概要:学年主任をしている時、網膜剥離の症状が出現し、視力低下(医者から心理的なものと言われている)。歩行もままならず休職。「教師の会」や交流会で視覚障害教師と交流し、励まされている。

事例14 東京都・女・28歳・未熟児網膜症・4級・大手電気メーカー・事務職
相談日:00/01/13   世田谷区総合福祉センターの紹介。
概要:就職後、社内システムなど職場環境の変化に加え、気管支喘息、難聴も出現し、病休、休職した。復職後も、人間関係、ハード面での職場環境など様々な問題が重なり、職業継続が困難になり、緊急相談。多くの仲間から助言、励ましを受けながら職場定着に努力したが、体力が回復せず退職。

事例15 広島県・男・56歳・色変・1級・町役場職員
相談日:00/01/27 (事務局電話受) 広島会員が直接相談。
概要:広島会員が相談を受け、本人から事務局にも電話相談。録音速記での復職を目指して、日本ライトハウスで訓練中。

事例16 神奈川県・男・40歳・色変・2級・市役所職員
相談日:00/01/29  JRPS神奈川支部の紹介。
概要:障害が進行し仕事が困難になり、今後の進路の決断に迫られていた。情報提供と意見交換。現在、休職せず仕事を継続しながら、歩行・パソコンなどの訓練を自発的に受けている。

事例17 東京都・男・39歳・色変・手帳申請中・会社員・プログラマー
相談日:00/02/04  医療ソーシャルワーカーの紹介。
概要:情報提供と意見交換。休職中だったがその後、予定どおり復職し、内勤中心にしてもらっている。

事例18 神奈川県・女・31歳・若年性糖尿病・全盲(手帳なし)・団体事務職員
相談日:00/01/22  東京都盲人福祉協会の紹介。
概要:急激な視力低下で視力はほとんどゼロ。今後、どのように対処したらよいか。手帳の取得、職場に対する現状の告知、生活訓練を受けることなど、当面の課題を確認。同じ障害を持つ仲間と交流・意見交換。現在、休職し、川崎市の歩行訓練とワープロ訓練を受けている。

事例19 東京都・男・25歳・色変・手帳なし・市社会福祉協議会職員
相談日:00/02/23  新聞記事。
概要:大学(理工学部)在学中のボランティアがきっかけで福祉分野に就職したが、車の運転をしていて色変が判明。将来のことを考えるとどうすればいいのか不安。将来を悲観的にとらえる必要がないと分かり、仕事の継続を決意するとともに、福祉関係の勉強に一層励むこととした。

事例20 東京都・男・50歳・ブドウ膜炎・糖尿病・手帳なし・業界紙記者
相談日:00/03/16  東京都盲人福祉協会の紹介。
概要:小規模の会社のため退職は余儀なきものと認められた。退職に際して不利益を受けないよう社会保険、福祉制度、経済面など、総合的・具体的な助言とリハビリについての情報提供。現在、個々の課題を着実に処理している。

事例21 千葉県・男・54歳・視神経周囲炎・3級・専門学校教師
相談日:00/05/01 リーフレットとHP
概要:会社の指示で手帳取得したが、休職に追い込まれ、離転職の相談。情報提供と意見交換。職安、地域障害者職業センターにも相談。地域障害者職業センターで音声パソコン環境に慣れるための訓練に入る予定。

事例22 大阪府・男・42歳・黄斑部ジストロフィー・手帳なし・会社員
相談日:00/05/19  タートルHP。
概要:視力低下と会社合併の動きのなか、将来に不安。意見交換する中で、当面の課題を確認し、それに向かって具体的に取り組むこととなった。将来に対して安心と希望が持てたようで、不安はかなり解消。

(幹事・工藤正一)

1999年度活動報告
『連続交流会』

 1999年の連続交流会は、これまでの2回の連続交流会とはひと味違ったものとなった。今回は3つのポイントがあった。
1)これまで進めてきた「仕事の可能性  について考える」ことを追求する交流 会を開催。
2)生き方や、精神的な豊かさを考えてみる交流会の開催。
3)全国的な交流を展望した地方での交 流会の開催。(別途提起)
 これらは、今後も大切にしたいテーマであることが、開催する中で痛感されたのではないか。

(1)各交流会報告
◆9月の交流会
 “生きることを考えたひととき”
 幹事会の議論の中で、私たち一人一人は、個々の生き方・進み方や暮らしぶり、それぞれのテンポ(時間軸)などの精神的な面が大きなウェイトを占めるのではなかろうか..という、率直な思いが語られたことがあった。「それでは、それを交流会のテーマにしてみよう」という事になった。「みんなはどう受け止めてくれるのか」という不安はあったが、 多くの人が、この問題提起に共感してくれました。当然、1回で語り尽くせる内容ではありませんが、自分の生き方を見つめてみる、良い時間をもてたと感じます。
 このような主旨の交流会は、今後も連続交流会のテーマの一つの柱にしたいと考えます。

◆10月の交流会
 “今後の可能性につながった議論”
 最近の、職場における業務のネットワーク化の急ピッチな進展の中で、私たちがどのように対応できるのか。それを3名の人の体験をもとに具体的に明らかにしていくと共に、IT技術の進歩を今後の職域拡大の可能性に結びつけられないのか、という観点で開催されたのが10月の交流会、「職場内ネットワークの現状と私たちのアクセス」であった。
 とかく、新しい技術の進歩の中で、「私達はついていけるのか」という、「対応すること」の議論で終始しがちであるが、この交流会では、講演や、体験発表を通じ、「IT技術の発展を私たちの今後の可能性に生かす」という意識の共有化がされたような気がする。

《提起された今後の議論に生かしたい点》
・IT技術は視覚障害者が晴眼者と肩を並べて働くことを可能にする技術である。
・グループウェアというのは、職場における情報共有・情報知識活用の要となる。この意味でも音声化対応の機能が絶対に必要なんだということを、常日頃からアピールしておくことが重要。
・IT技術を活用することによって開拓できる職種というのはたくさん出てくる。新しい職種の情報についても、どん欲に求めるということが必要。また自分の業務の可能性を新しい職種に求めてみることもできるのでは。
・事務職がネットワークを活用するときには、電子メールを活用するということが重要なポイント。
・コンピュータの環境は個々人で違うし、また業務も違う。自分が使いよいコンピュータのシステム、特に業務で使うに必要十分なシステムというのは何なのか、ということを早く見つけて、使いこなしていくということが大切。
 また、3名の方からの実態報告は、職場のペーパレス化の進展で、社内ネットの中にしっかりと自分の位置を得て、具体的に仕事を進めている状況が示された。この事実はきわめて重要な事だ思う。視覚障害者の働くということの可能性を考えるとき、大きな自信と、問題提起となったと思う。
 当然そこには、基本ソフトを使いこなすための目的意識をもった取り組みや、工夫していくことの大切さ、職場における仕事の流れの把握が不可欠となろう。また自分には出来ないこと、晴眼者に任せた方が能率的なことをはっきりと踏まえながら、それが社内の中で確認されて、実際に行われていることは大切であろう。
 今後の働くということを考えるにあたり、これらの提起を充分に生かし、実践的な議論を積み重ねていくことを、今後の課題の一つにしたい。

(2)今年度の連続交流会
1)仕事の可能性を具体的に検証するためにも、インターネットを具体的に仕事に生かしているケースを紹介し、可能性と課題を明らかにする交流会の開催。
2)精神的なゆとりや、豊かな生き方、健康的な生活を考える上で、趣味やスポーツは大切なことである。特にスポーツに焦点を当て、体験を出し合って、交流したい。
3)地域交流会は広島で開催し、交流の輪 を広げたい。

(幹事・新井愛一郎)

1999年度活動報告
『会活動におけるインターネットの活用について』

(1)メーリングリストについて

(A) 基本的事項
* 管理者のe-mail
owner-turtle@sl.sakura.ne.jp
* 開設年月日
1997年7月31日、
     朝日ネット上で開設。
2000年3月1日、
   さくらインターネット 上に移行。
* 開設契約ネット
  さくらインターネット
* 開設費用
  年間 4,000円 + 消費税
* 登録メールアドレス数
  2000年5月18日現在 178 (注)
* 通算書込数
  2000年5月18日現在 4141
  (さくらインターネット移行後 259)

(注)一人で複数のメールアドレスを登録している人もいるので、メーリングリスト(以下MLと略記)参加者の実数は170名程度。
 タートルの会のMLは、タートルの会の会員であるか否かに関わりなく、参加・退会手続きが自由に行えるようになっているため参加者数には多少変動がみられますが、長期的には増える傾向にあります。昨年の総会報告では、1999年5月12日現在で、登録アドレス数 112、通算書込数が2485と報告されています。

(B) MLの書き込みの内容等
 MLで交換される情報は多岐にわたります。項目としてあげるなら、会報第14号にある昨年のMLに関する報告と同じように、・会活動に関わる情報交換、・復職やリハビリにまつわる相談、・関連放送番組や行事等のお知らせ、・図書情報、・パソコンをめぐる技術情報、・便利グッズ、・視覚障害者の生活やリハビリに関わる話題、ということになります。
 ここ1年ほどのMLの書き込みをみると、関東地区におけるタートルの会の活動以外の動きも種々紹介され、また、それら活動の連絡にMLが利用されるケースも増えてきているように思います。MLと実際の活動がうまく連動しているとの印象をより強く感じるようになりました。
 例えば、10月の全視協広島大会、「タートル忘年会 イン 広島」、新潟の「信楽園新潟リハ推進の会」による視覚障害者誘導歩行学習用ビデオ等製作・配布、および同会が開催した講演会の様子等いろいろな紹介がありました。
 あるいは、リハビリテーションを実際に受けた体験、盲導犬ユーザーになるための訓練を受けた経験、マラソン完走にまつわる報告、それまでの職場を離れて盲学校に入学した経緯、年金や障害者手帳の制度等にまつわる相談、復職に向けての支援要請等々個人的でありながら普遍的内容を含む書き込み、他の人の参考になったり勇気づける内容の書き込みも印象的でした。
 地域や時間の壁を超えて情報や意見交換できるというMLの利点が、より自然な形で利用されるようになってきたと感じる1年でした。

(C) MLのシステム移行
 2000年3月1日より、それまで朝日ネットのサービスを利用して開設してきたMLをさくらインターネットのサービスに移行しました。それにより、次のような点で便利になりました。
・管理者を複数置けるようになった(2000年5月現在、3名配置)。これにより管理作業の分担・円滑化を図る足がかりとする。
・過去の書き込み記録をホームページ上で閲覧できるようになった(最大7Mb保存)。

(D) その他
 「MLに書き込むと、その後で個人メールにより悪戯と思われるメールが送られてくることがある。ML参加者にどのような人がいるのか分からない状態は不安。」との意見をいただきました。タートルの会のMLは、できるだけオープンにということで会員・非会員を問わず自由に参加・退会できるようにしてありますが、今後MLの在り方をどう考えるかについて、改めて検討していくことが課題として残されているといえます。

(2)ホームページについて

(A) 基本的事項
* URL
http://www.asahi-net.or.jp/~ae3k-tkgc/turtle/
* 公開年月日  1997年11月22日
* 開設契約ネット  朝日ネット
* 開設費用  月額1,700円 + 消費税

(B) ホームページの構成・内容
 ホームページの構成は、以下の12項からなっています。
 ・新着情報(ホームページ更新情報)
 ・お知らせ&ご案内
 ・タートルの会とは…
 ・なんでも掲示板
 ・こんな職場で働いています
 ・話題あれこれ〜MLから..
 ・手記集『中途失明』出版
 ・おしゃべりサロン
 ・会報『タートル』
 ・玉手箱!(各種資料)
 ・タートルMLへのお誘い
 ・関連リンク

 1999年9月12日、従来の「おしゃべりサロン」を二つに分割し、「話題あれこれ〜MLから」(MLで話題になった各種情報)と、「おしゃべりサロン」(会員のエッセイなど)の2つにしたほか、新たに「なんでも掲示板」のコーナーを設けました。
 掲示板は、ホームページにアクセスできる人なら誰でも書き込むことができ、MLよりも更にオープンな情報交換の場といえます。日常のちょっとした話題やパソコンをめぐる技術情報のほか、障害者手帳や年金制度等に関する相談も書き込まれるなど様々に活用されています。
 会報の掲載は従来どおりコンスタントに継続され、また、「なんでも掲示板」にはいろいろな書き込みが行われていますが、その他のコーナーについては昨年に比べ更新の頻度がかなり低下しています。今後のホームページの保守管理体制をどうするかが課題の一つといえます。

 2000年3月、タートルの会の連絡用メールアドレスを下のものに設定しました。
turtle.mail@anet.ne.jp
 このメールアドレスに送信されたメールは、会長、副会長、幹事、監査の各幹事会メンバーに同時送信されるよう設定しました(2000年4月13日より)。これを対外的なタートルの会の連絡用メールアドレスとして会の広報用パンフレットに記載し、また、ホームページ上にも掲載しています。
 従来、会の連絡受付メールアドレスとして個人のものを当てていましたが、複数の幹事会メンバーが関わるメールアドレスを設定することにより、会員内外からのメールによる問い合わせ・連絡にスムーズに対応できるよう図ったものです。
 なお、このメールアドレス設定に当たっては無料のメール転送サービスを利用しているため、特に費用は要していません。       (幹事・吉泉豊晴)

1999年度会合日誌

◆1999/04/09 幹事会(年次総会企画)
◆1999/6/23 幹事会(役割分担)
◆1999/6/27,28 個別相談会
◆1999/7/13 幹事会(連続交流会企画)
◆1999/7/26 幹事会(連続交流会企画)
◆ 1999/8/06 幹事会(交流会案内発送)
◆1999/8/17 相談会(東大眼科医交え)
◆ 1999/8/27 昨年交流会まとめ座談会
◆ 1999/9/07 幹事会(ビデオ作成企画と初期相談)
◆1999/09/07 幹事会(ビデオ作成企画と初期相談)
◆1999/9/18 連続交流会T 幹事会(ビデオ作成企画と初期相談)
◆1999/10/07 幹事会(パンフ作成部会、保健婦学生との交流)
◆1999/10/12 幹事会(安達町役場復職相談会)
◆1999/10/16 連続交流会U
◆1999/11/4 幹事会(仙台交流会報道関係案内発送)
◆1999/11/20 連続交流会V(仙台交流会)
◆1999/11/21 松島観光
◆1999/11/30 幹事会(忘年会案内発送と2000年1月交流会の検討)
◆1999/12/11 1999年忘年会
◆2000/01/14 幹事会(交流会案内の発送)
◆2000/01/22 交流会 講演「職業継続と歩行」石川充英氏
◆2000/01/29 幹事会(相談会)
◆2000/02/10 幹事会(パンフレット作成)
◆ 2000/02/23 幹事会(3月交流会案内文の発送と相談会 及び第5回定期総会の検討)
◆2000/03/17 「タートル」(16号)発送

パンフレットの作成
 2000年3月10日、5000部納品
 うち2000部は10任の幹事に200部ずつ送る。
 会員に3部ずつ機関紙16号と同送する。

機関紙の発行

 1999年5月10日、「タートル」(13号)
 1999年9月15日、「タートル」(14号)
 1999年12月20日、「タートル」(15号)
 2000年3月15日、「タートル」(16号)

2000年度活動方針

1. 相談活動の充実
2. 連続交流会の実施
 @スポーツを楽しむ仲間の体験談
9月16日(土)
マラソン、登山、スキー、ダイビング
 A新しい仕事の可能性
10月21日(土)
インターネットを活用した職域
 B地方交流会 イン 広島
11月11日(土)
広島市内にて開催
3. 交流会の充実(講演内容と相互交流)
4. 復職・定着支援活動の充実
5. メーリングリストやホームページの充実
6. パソコンボランティア活動の充実と連携の強化
7. 機関紙「タートル」の発行
5月15日(既刊)、8月15日、11月15日、2月115日の各号を発行予定
8. 啓蒙用ビデオの製作

【記念講演)
21世紀の障害者の雇用・就業問題

講師:工藤 正
日本障害者雇用促進協会障害者職業総合センター
雇用開発研究部門主任研究員

1 「複雑系」の視点

 私は90年代から日本でも流行りだし最近では下火になっているようですが、「複雑系」の科学の視点に関心をもっております。20世紀の大きな技術革新・発展をもたらしてきた近代科学は、全体を数量的要素へ還元、分割、そこから機械的に人間行動や社会をみたりして、一義的、マニュアル通りで予測が可能というような前提にたっています。しかし、高度に複雑化した現代の現実や現象を理解するには、新しい科学のパラダイム、枠組み、視点の転換が必要になってきているのです。
 これに応えるのが「複雑系」の視点です。各要素は各自のルールでふるまい、各要素間には相互作用がはたらいている。そして、複数の要素からなる系(システム)はあるふるまいをするが、それがそのルールや相互作用にも影響を与えている、とみるのです。つまり、人間行動と社会全体を生き物的にみて全体の総合理解を目指す視点です。そこでは、多義的、あいまいさ、即興的工夫などを重視、予測は不可能と考えるのです。ですから、人間っていうのを合理的で、欲だとかお金によって動くんだっていうように単純に考えるのではなく、連帯や協働も可能だし、よく観察してみると事実としてそのようなことをしているのではないかとみるのです。いろんなことをしでかすのも人間で、非合理的な面も多くもちながら関係や歴史(時間)などをふまえ、その状況・環境に対応しながらそれなりにうまく調和・適応、創造しながら行動、社会をつくっている生き物じゃないかとみるのです。

 もともとはコンピュータの急速な発展を背景に自然科学の分野からでてきた視点ですが、学問の統合化を目指すもので、人文・社会科学にも応用可能であり、日本でよくみられる2つの科学の対立を否定する視点です。「複雑系」に関しては多くの翻訳本が出ていますが、その発生の物語については新潮文庫のワールドロップの『複雑系』、社会科学、とくに経済学の視点からは、埼玉大学の西山賢一さんのNHKブックスから出版されている『免疫ネットワークの時代』などが参考になるでしょう。
 この「複雑系」と障害者雇用問題との関係は、残念ながらまだうまく結びつけられないのですが、多くのヒントを得ることができると私は思っております。インペアメントや機能から障害をとらえるのではなく、環境との関係で障害をとらえなおす、また、障害をもつ人間を価値をもつ行動主体としてトータルにみていく、障害者に対する企業や社会の反応や変化ををみていく視点などは、「複雑系」と大いに関係してくるとみています。
 特に福祉の人と議論しますと、障害者はそんなに無理して働かなくてもいいんじゃないかといわれることがありますが、私は決してそうじゃなくて、無理してでも職場とかかわってその中からつぎの新しいものを生み出していく、また、自分が学習する、あるいは自己開発するっていう側面を積極的にとらえない考え方はおかしい、現実離れしていると思っています。単にお金をもらうことだけじゃなくて、そういう関係の中から新しい性質をもった人間や社会システムをつくりだしていく、「複雑系」でいうとこれを「創発効果」っていうんだけど、コミュニケーションだとか、そういういろんな関係を実体よりも重視する考えです。そして、変化を生み出す臨界領域、カオス(混沌)にとくに注目する、こうした視点はこれからの障害者の雇用・就業問題を社会問題として考える際に大いに参考になるだろうと考えています。

 今日のテーマっていうことで、「21世紀の障害者の雇用・就業問題」が私に課せられたんですが、この間工藤正一さんから電話があって、引き受けたのが失敗だったかなと思って悩んでしまいました。テーマから「21世紀」をとってほしいとお願いしましたが、認められませんでした。これも私にとっては進化の1つの過程といえるわけですが、まず「世紀」という歴史時間の長さに圧倒され、自分の小さな世界からみた展望を語るしかない、未来は予測できないというふうにみるのがよいだろう、というのが私が達した結論です。「複雑系」の視点からみると、先程もお話ししましたが、それぞれみんな利害関係を持ちながら、対立や協調、競争や連帯をしながら必死になって生き、進化していくのが人間、そして社会なわけですから、未来っていうのは混沌であり予測はできないということになります。
 世紀末ということもあって21世紀を展望、未来予測した本や情報は多くありますが、それよりももっと重要なのは、現実や現象、つまり数多くの要素の絡み合い、新しい構造が出現する状態を理解することにあると思います。どういう構造で秩序だとか調和がつくられてるのか、どこから崩れていきそうかを見極めるような視点からの研究や実践が重要です。秩序っていうのは絶えず崩れて再編して変わってそれなりに均衡を保っていくっていうか、自己組織化、調和していくわけですが、人間行動や社会も私はそのようなものだと思っています。そう考えるとあまり長期の未来、21世紀ってイメージがあまりできないんですね。私の空想・構想力の不足かもしれませんが。

 例えば、21世紀の展望、予測で有名なハーバード大学のハンチントンさんの『文明の衝突』では、キリスト教文明とイスラム文明がぶつかることになっちゃうとか、あるいは日本がその中では沈むっていうことになっているんですね。そういうのに対して、そうじゃないんだと、対立衝突だけでなく、現実のなかにある協調や共存の側面もふまえ、調和を図る糸口やプロセスを理解することの方がよほど重要だと思ってしまう。インターネットなどの情報技術革新の進展によって、グローバル化は「超国籍」と訳されるトランスナショナルな状態をつくりだしつつある。そういう問題はこれからの国のあり方にもかかわりますし、我々の働く産業社会にも当然大きな影響を与えることになるでしょう。しかし、その内容は誰も予測できないでしょう。それよりも現実の理解や分析の方が重要だと思ってしまう。
 これからの21世紀の社会や人間行動を理解する上で、私がイメージとして信頼できそうだと思っているものがあります。これも複雑系がヒントを出してるんです。近代社会にはピラミッド組織イメージみたいなものが根強くありますよね。きれいに要素が機械論的に組み合わさってでき上がってる三角形のピラミッド組織モデルのイメージです。しかし、これからは思想でいうとポストモダンの連中が盛んに言ってる「地下茎(リゾーム)」のイメージが、現実を理解するものとして重要な気がします。「地下茎」っていうのは例えば、竹だとか蓮の根茎で土の中に埋まってる部分ことですね。ピラミッドだとか、ツリーっていうのは地上部分の木の構造みたいにきれいに整理されているんですが、これからはそうじゃなくて地下の根っこの方のイメージ、四方八方にいろんなのが伸びている、根っこですから地中に埋まってるかと思ったら、ある日、数メートル離れた所で芽を噴出するなんてことはある、あるいは根っこの関係が途中でだめだったら切れちゃう。いわゆるネットワーク組織に似ているということになりますが、ネットワークよりももっと重なっちゃう、相互に絡み合っている状態、その周辺や先端である日突然新しい変化がうみだされてくる。こうしたイメージは、これまでの自分の人間行動や情報のコミュニケーションをちょっと想像していただければ、少しは納得できる部分があるのではないかと思います。近代を超える21世紀というのはきっとそういう時代に入るんだろうと予感しています。複雑系がよく強調する「カオスの縁」っていうか、やっぱり秩序と混沌との間っていうところにいて進化がうまれてきていることに、われわれはもっと敏感になって冷静に注目していくことの方がよほど重要なことだと思う。

2 産業、ビジネス社会の変化

 雇用・就業職業問題に入る前に、産業、ビジネス社会での変化についてお話します。1つはサービス経済化あるいは情報化であり、もう1つはグローバル化についてです。
 産業社会の大きな歴史的変化については、いろいろいわれておりますが、現在は脱工業化社会、ポストインダストリアル・ソサエティー、工業化社会以降の新しい社会を迎えてるというのが共通した理解だと思います。情報化だとか、あるいはサービス経済化社会、あるいはソフト化社会といういいかたもありますが、ほぼ同じことと理解してよいと思います。要は日本を含め、欧米先進国は、豊かな経済水準、生産水準に達し、それ以降の新しい社会に移行してるっていう考え方です。その中でモノ作り中心から、情報とか技術開発やサービスを重視した活動が主役になるような大きな転換が行われている、あるいはモノ中心から、サービス中心の社会への移行が進んでいるということです。
 モノづくりとサービスっていうのはかなり違うんですよね。サービスの場合はすごく人間活動そのものと一体化してるところに特徴がある。福祉の世界での、例えば人的サービスなんか考えても、そういう人間のいろんなサービス、介護サービスでもそうですが、相手は人間なわけですが、人間が人間をサービスするのは物をつくるのと明らかに違うわけですね。そこでは当然相互コミュニケーション関係が発生するわけで、それをお金で処理しようっていう側面もあるし、どうしてもお金で処理できないっていう側面の両面があります。ここでは一方的ではなく、相互関係が生まれるということが重要なのです。従来の特に経済学のモノ中心の単純人間モデルでは十分理解しにくい領域なわけですが、そういう活動が中心になる社会に移行してきているということです。

 また、複雑系の経済学の視点から情報が中心になってくると、これまでの「収穫逓減」の定説よりも、「収穫逓増」の現象がよく見られるようになるという。発想の大転換を迫るような考え方だ。情報産業なんかでみられますが、開発の1番手が長期間一人勝ち続けるという話なんですよね。マイクロソフト社なんか一番いい典型例だと思います。情報では先に開発した方がかなり長期にわたって儲かるっていうか、収穫逓増がみられる。それが、スタンダードになれば皆が従わざるを得なくなり、さらに儲かる。マイクロソフトのWindowsなんかはそういう感じですね。しかし、次の有力な製品やサービスが開発されそれが市場に受け入れられれば、その優位さはいっきに崩れる。こうした新しい産業の動きは、従来のモノの生産中心の発想や経済学ではとらえられなくなってきているのです。
 例えば、教育や情報なんかも従来のモノの生産とは違った性格をもち奥が深いっていうか、どんどん蓄積していっても、蓄積していけばしていくほど価値が高まって儲かるというか、そういう構造があるわけですね。かなり無限に近いっていうか、情報のデータベースなんかもそうでしょう。初期のころいいものをつくって、すぐ追いつかれるようなデータベースではだめですが、高度の独自性を発揮していけば、ますますそこが優位になっていくという構造みたいなのはありますね。だから初期の迅速な研究開発投資や組織合併などが、モノづくりに代わって重要視されるようになってくるのです。産業活動のサービス化・情報化によって、従来の発想ではとらえられない領域が拡大してきていることに、われわれはもっと敏感になる必要があります。
 もう1つのグローバル化は、トランスナショナル(超国籍)な金や物、人や情報の移動が容易になり活発化、国際的競争を激化させてきているということです。お金や物は早くから行われています。貿易なんかを通じて製品というのは、例えば日本でつくった物は日本だけでなくて、世界に駆けめぐるわけだ。あるいは、外国でつくられた物や部品が日本に入ってくる。日本人で海外で働くとか、外国人が日本で働くとかいうグローバルな人の移動も行われるし、当然情報なんかは、インターネットの普及によって一層低いコストで容易に移動できるようになってきている。そうなると、国よりは国際的な基準、競争ルールをどうつくればいいのかということが極めて重要な課題となる。それらの影響を受けながら行う産業活動という視点がこれまで以上に重要となりますよね。従来、職業・労働問題は国内問題ととらえることが多かった。だけど、これからは国際問題という側面を無視しては益々できなくなるだろう。当然、障害者の基本的人権の保障、その基準なども国際的産業活動を行う上では無視しえなくなってくる。
 さらに1つ加えると、インフォメーション・テクノロジーのことをITっていっていますが、インターネットの普及なんかでIT革命が加速しており、その発展も産業活動に大きな変化をもたらしてくるでしょう。それによって、これまでのピラミッド組織では対応できなくなる状況がうまれつつあります。もっとフラットで、下の方に権限をおろして、下の方が判断しながら顧客だとか市場に迅速に対応しないと市場競争に負けるという感じになるわけですね。いわゆるネットワーク型組織が中心となっていく。だから、中間は要らなくなるという話はあたっていると思います。しかし他方で、目に見えにくいのですが、組織のなかで情報の集中管理が進み、産業や労働活動が木目細かくこれまで以上に管理されるというマイナスの側面も見落とすことはできませんね。

3 職業・労働世界の変化

 こうした産業、ビジネス社会の変化は、当然、職業・労働の世界にも大きな影響を与えることになります。1つは職業・労働の質的変化であり、必要とされる職業能力の変化、高度化です。もう1つは雇用形態の多様化や働き方の柔軟化の進展です。
 サービス経済化や情報化は、職業分類のなかでは専門技術的職業を増大させ、生産工程技能職を減少させる傾向がみられます。統計データからもその点は明確に確認することができます。先進諸国での製造分野を発展途上国などの海外にシフトさせていることも関連しています。必要とされる職業能力の高度化は、判断を必要とするホワイトカラー労働などにみられるようなマニュアル化できない仕事の増大といってよいかもしれません。マニュアルどおりに動けばいいような仕事も必ず国内に残るのですが、そういう仕事は機械化が進んだり、人件費が相対的に低い発展途上国へ流れていくことになります。現在の多くの職業・労働は、マニュアルが十分作成できなかったり、作成されていてもその通りにはいかず、それぞれの持ち場での創意工夫が必要な分野です。グローバル化や技術革新によって競争が激化していますから、ニーズに対応した製品・サービスの開発や多品種少量生産・サービスに対応する高度なシステムの構築やそれらを支える高度な職業能力をもった人が必要となってきているのです。「サービスの工業化」といってサービスの提供などもマニュアル化して低水準の労働力で対応することもできますが、顧客がより良いサービスを求めはじめるとそれはすぐに限界がきてしまいます。
 もう1つは雇用形態の多様化や働き方の柔軟化ですが、この動きも確実に進展していきそうです。従来は9時から5時まで働くだとか、ある組織と正社員として長期の雇用関係をきちんと結んで働くっていう、「典型労働」が多かったのですが、そうした典型じゃない非正社員などの雇用形態の多様化や勤務先組織を頻繁にかわる労働市場の流動化も進展、従来の労働法や労使関係なんかで処理、保護できない領域がどんどん拡大してきています。IT革命による情報化の進展っていうのは、いつでも、どこでも働くといういうふうになりがちなんですよね。例えば雇用契約じゃなくて、個人で仕事を請け負う労働者や人材派遣の労働者が増大、同じ職場や事務所で「典型労働」の従業員やパートタイマーといっしょに働くなんてことがあり得るわけです。いろんな雇用形態の労働者が同じ職場で働くケースが増大するわけですよね。今アメリカは景気がよくて、雇用がふえているんだけども、本当に良質の「典型労働」の雇用がふえているのではなく、むしろ良質でない雇用がふえているんじゃないかという議論があります。従来のようにきちんと守られたところで、ある程度の安定した収入で、雇用が安定して、働けるところが少なくなってきていることです。それは企業から言わせれば、いろんな労働力を安くうまく使えるようになったということもできるが、他方で労働者の側からみれば柔軟な働き方を選択できるようになった、両方の見方ができると思います。
 柔軟な働き方が増大してきている背景には、専門技術職の増大や個人の価値観の変化もあります。組織(人)より仕事(人)を重視する価値観の変化があります。例えば、滋賀大学の太田肇さんが、『<個力>を活かせる組織』(日本経済新聞社)で、個人の専門的仕事能力、すなわち「個力」がこれからは重要だと主張しています。これからの働き方は組織中心ではなく、「個力」中心で、その発揮の場、基盤を提供してくれるのが組織だと主張しています。個々人が一時的に仕事仲間とうまく連携しながらできる場を提供するのが組織、そういう考えですね。ですから組織を維持する管理職は、従来のように組織のなかでえばって指揮命令する立場ではなく、芸能プロダクションのマネジャーみたいになり、決して表に出ずに裏方でタレント、労働者が能力を発揮、活躍しやすい環境づくりに徹する役割を演ずることになる、というのです。これはまず組織ありきの日本人の一般的組織観とは全く反対にあります。組織がフラットになる、あるいは仕事を中心に組織を編成していくと、その先はこういうスタイルになってくるのかもしれませんね。
 そこで重要なことは、組織人より仕事人っていう考え方では、組織の現状変革は求めているが組織を否定していないことです。仕事はいろんな連携を必要としますが、それは1つの組織の中でも行う場合もあるが、組織を越えても仕事をベースに連携することもある。これからは1つの組織を越えた仕事仲間の連帯が、1つ組織内部の共同体よりも重要になるということです。みんなで一緒にっていう組織人論理は、労働力の質や価値観の違いを認めないんですよね。認めないから、何をやればいいのか絶えず周りを見ながら判断・行動するという、すごく不明確、残酷なところがある。反面、自分を抑え、組織人の論理に従っていれば、すごく優しくしてもらえるとこもあるんだけど。グローバルな競争激化や個人の価値観の変化のなか、そういうスタイルの組織管理はますます通用しなくなり、これから仕事人が「個力」をいろいろな組織で発揮していく働き方へ移行せざるを得ないだろうということです。
 それでは、これまで多くの日本人が1つの組織内部で長期間にわたっていろいろな仕事を経験しながら、能力形成、あるいは、キャリア形成してきたやり方はどうなるのだろうか。私は、OJT、つまり職場で仕事を通じながら訓練して能力を身につけるってことの重要性は、これからも変わらないと思います。その反対の組織外部の教室に集まり行う講習や訓練などのOFF−JTは、仕事能力形成の上では補完的役割しか果たさないと思います。技術革新だとか新しい知識っていうのは、職場の先輩もわからないし、OFF−JTで学ばなくちゃいけないんじゃないか、OJTはもう古いっていう言い方がありますが、そうじゃなくて、仕事の能力っていうのは、単なる学習で習得することにはやはり限界があると思います。ですから、いろいろな組織で、柔軟な働き方をする人、「典型でない労働」をする人にとっても、関係した組織での仕事内容は、能力形成やキャリア形成に大きな影響を与えることになります。そこで任される仕事内容が雇用の安定や所得保障よりも重要になってくるかもしれません。
 現在、これらの新しい労働についても社会的にカバーできる新しい労働関係法規や制度、セーフティネットの構築が求められていると思うんです。例えば失業保険なんかですと、典型労働で雇用関係がきちんとあるとこしかカバーしていない。個人請負なんて失業保険なんかないわけですよね。また、職業紹介や訓練機会の提供を含めこういう新しい動きに対応した社会的支援の仕組みづくりに失敗することは、個々人の仕事能力形成やキャリア形成にも影響しますから、社会的にみても大問題となってくるのです。雇用労働の概念をこれまで以上に広げたところで考えなくちゃいけない大きな制度改革の時代になってきていると思います。

4 障害者の雇用・就業問題

 ここではまず政府統計から明らかになるマクロの障害者の雇用・就業状態について、私なりのポイントの整理、評価をお話してみます。それから、これからの課題は何かということをお話してみたいと思います。
 まず障害者の全体的状態ですが、それをあらわす指標として障害者就業率がよく利用されます。障害者人口のうちどのくらいの障害者が働いているのかを示した比率です。そのなかには雇用以外の働き方も含んでいます。その際、母数となる障害者人口は、障害者の半分以上を占める65歳以上の高齢者を除いた18歳から64歳の労働年齢層に限定すべきですが、厚生省公表の統計調査結果概要ではそれを含んでおり、みんなそれを利用し障害者の就業率は極めて低いんだと議論しています。しかし、最新の調査では、日本の労働年齢期の障害者の就業率は40%台と高い水準にあります。障害定義や範囲が異なることもあって、この就業率の厳密な国際比較は難しいんですが、欧米先進国に比べてすごく高い水準にあります。ちなみに、アメリカは大体20%台、ヨーロッパが大体30%台です。この数値だけ見ると、日本というのは障害者に対してすごくチャンスを与えている国ということになりますが、その就業者の中身を見ると雇用者の割合が半分以下とすごく少ない、逆にいえば福祉的就労が多いことが大きな特徴となっております。つまり、現在の労働関係法規で保護されず、不安定で低収入の不完全就業者が多くいるということです。
 また、厚生省の調査によると、近年、高齢者の増加もあり障害者全体の総数は増大しているのですが、労働年齢期に限定した障害者の人数はむしろ減少傾向を示していることにもっと留意すべきです。これは、障害者の手帳交付制度とも関係しているようです。さらに、労働年齢期の就業者数は約100万と、前回調査に比べ実数も減少してきております。障害者の雇用・就業問題はその人数や量の大きさが問題というより、数が少なくても障害者を労働市場の枠組みにいかに入れていくかが問われている、社会改革問題であると私は考えています。
 就業者のなかでも半分以下の雇用者に限定しますと、労働省調査があります。最新時点で精神障害を除いて、身体障害者と知的障害者をあわせて約47万人と公表されています。5年前の同じ調査と比べて増加している。時点が違いますので単純な比較ができないんですが、先程、お話しした厚生省調査とは逆の傾向を示しています。また、皆さんともかかわるんですが、そこでは視覚に限定されませんが、採用された以降に障害を持った人、いわゆる中途障害者が雇用者全体の約30%を占めていることが明らかにされております。残りの70%は障害をもった人を企業が採用したということになります。例えば、トイツでは障害をもつ雇用者全体のうち70%以上が採用された以降に障害をもった人、中途障害者という研究報告もあり日本とは全く逆で、障害者の解雇規制の強弱が関係しているようです。
 また、皆さんにもおなじみの毎年発表される雇用率制度調査ですが、現在、この雇用率制度でカバーされている雇用者は、雇用者全体の半分以下であることもぜひ理解しておいてください。つまり、雇用率制度調査から明らかになる状態は、障害者雇用の全体を示すものではなく、半分以下であるということです。だから、法定雇用率対象企業規模以下の小零細企業でかなり障害を持った雇用者が働いているっていうことですね。こうした結果をみますと、雇用率制度はどちらかというと、大規模企業の雇用状況をあらわしているんだということになります。その中で、大規模企業の雇用率達成状況を批判しても、あまり意味のあることとは思いません。
 障害者の雇用・就業問題を労働市場の枠組みでとらえるには、「労働力」という用語を理解することが重要です。働く能力と意思のある人が「労働力」で、それが労働市場の範囲・単位になります。毎月新聞などで公表されている失業率も、その母数はこの「労働力」です。それ以外の部分は「非労働力」で、病院に入院して働けないとか、主婦などで働く意思がない人が含まれます。女性は、近年、「非労働力」から「労働力」へシフトしてきています。障害者の特徴は、「非労働力」になっていることが多いことですが、女性の場合と似ていますがそれ以上に、社会制度などを含む環境改善の状況によって「労働力」になる可能性が大きいとみるべきです。ですから、障害者の雇用問題といった場合、「非労働力」になっている人をどのように労働力化するかっていうことがまず大きな問題になりますね。その前提として障害者の場合でも、「労働力」という概念を明確にした政府の統計調査が必要です。アメリカやイギリスなどでは、「労働力全国調査」から障害者と非障害者の両方の失業率を公表、障害者の失業率の高さが問題とされています。そして、その失業者の年齢などの属性も公表されています。私も機会があるごとに、総務庁統計局が実施している「労働力全国調査」のなかで、障害者についても把握、非障害者との状態比較を簡単に行えるようにすべきだと主張しているのですが、なかなか実現しません。
 日本の政府統計は、厚生省調査も労働省調査も、非障害者を含まず障害者に限定した調査で、非障害者との比較が簡単にできない難点があります。これまでお話してきた私のマクロの状態認識も、いくつかの調査結果を繋ぎ合わせてようやくつくった全体像です。現在、障害者のマクロの状態については、各省のサンプル調査で実施しているため、先程、少しふれましたが障害をもつ雇用者数という基本指標ですらその増減が逆方向を示しているという問題もでてくるのです。私が統計調査を活用することが多いからいうのではありません。政策や支援施策プログラムの基本あるいは成果・結果評価ともなる障害者統計の整備が緊急の課題としてあります。これがマクロの状態把握を困難とし、マクロの議論をしにくくし、議論を混乱させることにもなるのです。
 障害者の労働力化のつぎの課題は、先ほども少しお話ししましたが、日本は授産施設や小規模作業所での福祉的就労が多いわけだから、もっと一般雇用を拡大させることが課題となります。福祉的就労から一般雇用へ移行する人が少ない現実を変えることが必要です。さらに、一般雇用から福祉的就労への逆に流れを含め、障害の程度や状態に応じたいろんな多様な就業・雇用の機会をつくることも、これからの大きな課題としてあります。現在の福祉関係組織を拠点とする福祉的就労よりも、一般雇用や就業のなかで、サポートを受けながら働く機会を創出することも重要な選択肢といえるでしょう。障害者の場合は、もともと多様な雇用・就業機会を選択したというよりも、環境整備の遅れや障害の多様さによってそうならざるを得なかったという側面があるわけですよね。しかし、これからは環境整備を伴いながら、職業能力や意思に応じて、部分的就業を含めいろんな形態で働くチャンスを拡大、選択できるようにすべきです。その際、先ほどお話した産業・ビジネス社会での変化のなかで進展している雇用形態の多様化や柔軟な働き方の対応とも連動しながら、労働市場の枠内でのあり方を議論すべきだと思います。厚生省と労働省が来年の一月から合併しますが、そうなると益々、こうした議論が重要となるでしょう。
 雇用だとか、就業の場、機会をつくるってことは重要ですが、そのためにはいろんなリハビリテーションや訓練、雇用支援サービスの提供が必要になります。従来はどちらかというと施設の中で訓練して、ある水準に達してから就職させる、「労働力」になるという考え方が一般的だったと思います。その発想では、就職以降の「労働力」にはとくに支援サービスが必要だという認識はなかなかうまれません。しかし、重度障害者の雇用・就業を維持させるためには継続的支援サービスを含めた雇用・就業形態の工夫が必要です。それができないから福祉的就労と一般雇用を分断しておくというのでは、ノーマライゼーションやインクルージョンの理念にも大きく反することになるでしょう。
 また、最初にお話しました複雑系の視点からも、施設ではなく企業職場をベースにリハビリテーションや訓練を実施、長期間の雇用支援サービスの提供するのが良いということができます。それは近年大きな流れとなってきています。アメリカからはじまったSE(支援者付き雇用)もそうですが、企業職場を中心にサポートしていこうという流れで、私はこれはすごく重要な視点を含んでいると思うんです。この会に出席されている篠島さんの論文読ませてもらうと、企業の外の職業能力開発施設の役割は、技術的指導の部分もあるが、それ以上に自信を失った中途視覚障害者が働き続ける自信を回復させることにあるという。現実の企業職場での訓練がより重要で、訓練施設での訓練にはやはり限界があるということであろう。もっとも篠島論文では、指導員が出向いて企業職場での訓練ができない現実や中途障害者に対する他の相談機関が十分機能していないこと、その不足部分を能開センターなんかが果たさざるをえないのだという現状の問題を描いているのですが。もちろんそういうことをすることはすごく重要だし、誰かがせざるをえないというのが現実だと思う。しかし、具体的な職場環境の中でどうサポートするかってという発想は大切だと思うんですよね。抽象的なところからの学習ってのは限界がある。具体的な環境、状況、条件の中での訓練・学習っていうのをどうつくるのかということがこれからの課題になる。これは何も障害者に限定されないが、障害者の場合、とくにその整備がより大きな課題となるだろう。
 重度障害者の一般雇用を考えると、もっと地域ベースの支援体制をどうつくるのかということも重要ですね。日本では、残念ながら自立生活運動と雇用との関連が弱い。本来は、自立生活と雇用との問題は一体的にとらえる視点が重要だと思う。職場生活以外での地域生活支援には、介護・介助やヘルパー・サービスの確保なども含みます。他方、企業が地域社会との関係や顧客・消費者対応をどう変えていくのか、これなんかも21世紀の企業のあり方を考える上ですごく重要なんですよね。それで、また篠島さんの論文をとりあげますが、中途視覚障害者の職場復帰のプロセスで、労働組合が機能しないだとか、最初からやっぱり障害者を排除することしか考えていない企業があるとかの報告を読むと、そういうところには啓発・説得ということは当然重要になるわけだが、もっと法的な枠組みが必要になってきているのではないかとの印象を強くもちます。

5 労働市場の構造改革を目指して

 最後に結論的なことをお話します。障害者雇用の拡大には労働市場の構造改革が必要で、そのために法的規制と当事者同士の労使関係の枠組みでの対応が必要だろうということです。
 従来の考えだと、一般雇用はもう一人前なんだからサポートが要らないと考え、重度障害者を結果的に一般雇用から排除、サポートが必要な人は福祉的就労か「非労働力」と2分法だったですね。そうじゃなくて、一般雇用でもサポートを含む職場環境整備をする必要があり、それが障害配慮、障害者雇用なんだと位置付け直すことが必要ですね。一般雇用のなかで、サポートを多く必要とする人、少ない人、ない人とが混在しているというような労働市場への構造改革が必要だということです。
 この会が出版した『中途失明、それでも朝は来る』を読んで、私は大変驚き、不勉強を反省したのですが、休職期間中にリハビリテーションを受ける、あるいは訓練を受けるということ自身がトラブルを起こしちゃう、そんな段階にまだとどまっているのかと痛感したのです。中途障害者のリハビリテーションの権利が十分保障されていないということですね。一方では、障害者雇用促進・拡大の法律があり、それと矛盾、一貫性がないからです。また、週20時間未満の短時間労働者は、現在の雇用率制度ではカウントされませんが、障害者だけでなく雇用形態の多様化や柔軟な働き方などの非典型労働の拡大が全般的に進むなかで、最低賃金制度や解雇規制制度(雇用の安定)、障害者雇用などを含めた労働関係法規の大幅な見直しが必要となってきていると思いますね。また、グローバル化が進むなかで、国際基準づくりやその対応も重要な課題としてあります。職場での障害差別禁止や障害を配慮した職場環境整備に関しても、障害者だけでなく女性、高齢者、外国人などを含め労働市場で弱い立場にある人々の保護という視点から一貫性のある基本枠組み、法的規制が必要な段階にきているのではないかと思います。
 しかし、雇用、とくに障害者雇用の拡大は、法的整備だけで進む単純なものではないと私は考えております。働き方は価値観や文化の領域との関わる問題だからです。法的整備とともに、使用者と労働者、双方の当事者が信頼関係の上で、雇用や仕事の仕方のルールづくりで合意、それを実行していかなければたてまえだけで内容はすすみません。制度的にも保障されている労働組合がもっと積極的に障害者の問題に取り組む必要があります。障害者だけでなくて、例えばパートタイマーだとか、拡大してきている典型労働以外なども組織化、カバーしていく視点がぜひ必要なのでしょう。雇用形態多様化や働き方の柔軟化は、市場競争の激化のなかで、個々人がバラバラな不安定状態やキャリア形成に失敗する状態におかれやすいことになるわけですから、その役割は法的整備とともに労使関係による解決が一層期待されることになります。弱者の救済や労働者の連帯・友愛というのは、やっぱり労働組合としても考えの射程に絶対入れておかなくちゃいけない。労働組合があまり期待できない部分では、NPOや福祉関係者など市民活動家への期待が一層高まることになるでしょう。そして、こうした部分が新しい勢力として重度障害者などの雇用拡大で、生活支援機能を担うことにもなってくるのです。さらに進めば、新しい勢力が雇用機会自身も創出することになるかもしれません。
 中途障害者の職場復帰プロセスも、法的整備は重要ですがそれだけではやはり限界があります。個々の多様なケースが考えられますし、労使関係の枠組みで処理することも必要です。日本の企業組織は閉鎖的な面を強くもちますから、職場における差別禁止や苦情処理の過程で、組織の中にいる職業生活相談員などの機能強化はそれだけ求められていることになります。さらに、障害をもつ個々人に対応した職場環境整備は、アメリカの障害者差別禁止法(ADA)では、法的に企業に強制されており、それがアメリカ企業の障害者採用を躊躇させているという指摘もありますが、1つの障害者雇用機会拡大の政策です。日本では法定雇用率は強制ですが、人的支援者の配置を含め職場環境の改善については、あくまで企業の自主的判断に任されています。助成金制度の整備も進んできておりますが、あくまで企業の申請で、個々の障害者の要望とのズレを生じることも起きます。こうした状況では、職場環境改善も労使関係の枠組みや職業生活相談員制度などを通じて、障害をもつ個々人の細かいニーズに対応していくことがより重要になってくるでしょう。職場環境改善の1つで皆さんともかかわる職場介助者、ジョブパートナー、手話通訳者の配置などの人的支援サービスの確保や活用などは、これから重度障害者の雇用拡大を考えていく上では、益々重要な問題ですが、これについては私の同僚でこの会のメンバーでもある指田研究員が現在、研究を進めておりますのでぜひご期待ください。
 こうした職場における差別禁止なり環境整備は、企業レベルでの対応で限界がある場合、個別の苦情処理を既存の男女雇用機会均等調停委員会、労政事務所などの公的機関が積極的に受け付け、介入・調整する法的、組織的整備も必要な段階にきているのかもしれません。いづれにしろ、現在の労働組合を含む労使関係が、急激に変化してきている産業や労働世界の変化に十分対応できず限界を露呈するなら、私は望みませんが法的規制の強化あるいは無用な混乱という方向に残念ながら進むことになるでしょう。
 20世紀は社会主義の実験が失敗して、資本主義勝利ということになりました。しかし、弱肉強食を原型とする資本主義も、大きな政府の介入による福祉国家へと変質をとげたのです。しかし、それも費用負担の増大や官僚主義でデメリットが多く指摘されるようになってきています。21世紀は、市場と民主主義をベースとした分権的制度中心社会というようなものになるのではないでしょうか。政府は基本的な法的整備、地域や企業レベルは民主主義をベースに現実の変化に対応した独自の制度・プログラムの合意形成をはかりながら運営していく。企業のメンバーや地域の住民が意見を出し合い、行動にも参加しながら、社会や組織を形成・維持していく制度を中心とした社会となるでしょう。法的整備だけでは、限界があります。現実に生活している場所・空間で、その状況を理解できるメンバーが自分の能力を発揮して働きやすい、障害者にも働きやすいルール、枠組み、慣行をつくりながら、それがいろいろな形の組織なり地域をつくっていくことになるのでしょう。障害者の雇用・就業問題は、組織や地域、そして社会の形成の仕方とも大きく重なっているのです。複雑系の視点からみると、これから先の発展モデルはなく、進化があるだけです。それぞれが現実を直視しながら考え行動し、新しい環境に適応、創造していく、それに失敗したら滅びるだけ、そういった21世紀のイメージを私はもっています。

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 講演記録の作成では、ワークアイ船橋に大変お世話になりました。心から謝意を表します。本稿は、その記録をベースに講演の流れに即して整理しておりますが、最初の自己紹介と質疑の部分は全面的にカットさせていただきました。また、字数制限があったため大幅に短縮・要約したところ、また、わかりにくいところは文章をさらに追加しました。

(工藤 正)

職場で頑張っています

職場で頑張っています(1)

ずっと働きつづけること
『いつも前向きに、可能性は無限大!』

森下めぐみ
山口県柳井市在住

 私には、「普通に見える」ということは解りません。先天性白内障による人工的無水晶体眼、生まれてから現在までずっと弱視です。高校2年の時に網膜剥離で右眼の視力を失い、左眼も3年前に網膜剥離の手術を受けました。幸い視力も視野も幾らか残りましたが、仕事や日常生活において、苦労することは多くなりました。
 そんな私も今の職場に勤めて今年で6年目になります。不安と希望の中で泣いたり笑ったり一喜一憂しながら、ただ我武者羅に走りつづけた5年間でした。3年前網膜剥離の手術を受けた時にも、職場の理解と支援、そして生来の負けず嫌いの性格のおかげで、2ヶ月の休暇で通常業務に戻りました。仕事の内容も年を重ねるごとに増え、4年前には、大会行事の総合司会も経験させていただき、今も一部経理の仕事も含めて幅広く担当をさせていただいています。様々な研修会など勉強の機会もいただきながら、可能な限り周囲と隔たりなく仕事のチャンスをいただいています。私にやる気さえあれば、かなりの仕事を任せてもらえる環境にあり、チャンスも周囲と等しく与えられています。
 日々何の不自由もないと言えば嘘になります。逃げ出したくなること、「もうそろそろ限界かな?」と弱気になることもしばしばです。ただ、私は、今の仕事が好きです。ルーペを片手に読み書きをする、苦労も多い毎日ですが、そんな毎日がとても楽しいし、充実もしています.
 今の職場で仕事をしていく中で、自分自身の努力は惜しみません。でも、「電話帳で電話番号を調べる」そんな何でもないことに周囲の人の手を借りなければならないこともあることは、逃れようのない現実です。周囲の人との円滑な人間関係の下に、いかに自分の障害と上手く付き合っていくか、障害が、決してマイナスとはならないことを、そして、私自身の障害の状態を周囲にいかに理解してもらうか、それが、私が、仕事を続けていく以上乗り越えていかなければならない課題だと思っています。
 私は、十分な視力を持って生まれてくることはできませんでした。でも、その分だけ多くの人の思いやりと優しさに出逢い支えられて、これまでも、そして、これからも生きていく事ができます。視覚に障害があるからこその喜びや、「普通に見えないからこそ見えるもの、できること」もきっと沢山あるはずです。
 「たとえ視力を失っても、心の光は失うことなかれ」そう教えてくれた人があります。仕事も、それ以外のことも自分が諦めない限り可能性は無限大、私は、そう思っています。
 私の夢は、今の職場でずっと働きつづけること、私を支えてくれる多くの人たちに感謝しつつ、私にできる最大限の努力で、これからも頑張っていこうと思います。

職場で頑張っています(2)

教育事業は中途視覚障害者の有力な職域

小宮慶太(43歳)
社団法人商事法務研究会勤務

私が勤務するのは、法務省認可の公益法人。事業収入のうち書籍・雑誌の売上げが占める割合が高いので、産業分類に当てはめれば「出版業」ということになるが、ビジネス・ロー(企業法務)に関する総合的な研究・情報センターとしての役割を果たすべく、民・官・学を横断する様々な事業を行っている。正職員数50人弱のスモール・オフィス。この少数精鋭(?)が、10のセクションに分かれ、毎日忙しく働いている。その光景は、おそらく、一般の多くの人々が描いているであろう「社団法人の事務所」に対する職場イメージとはまったく異なるものに違いない。
私が所属する部署は、教育事業部。部員数は、部長と私と同僚の3人(+アルバイト1人)。ビジネス・ローに関する多岐にわたるテーマをとりあげ、年間140〜150タイトルのセミナーを企画・開催している。
1981年に新卒で入社してから84年まで書籍(単行本)の編集、その後92年まで雑誌(企業法務専門誌)の編集を担当。文字通りの「眼力労働」に従事していたが、この間に緑内障が進行。91年以降、急速に視機能が低下。92年頃には、右眼はほぼ失明状態となり、左眼も中心部をはじめ視野欠損が拡大。校正作業に多くの時間を割かなければならない編集職から退くことを余儀なくされ、現在の部署に異動となった。
具体的に行っている仕事の内容は、・実務、研究、政策動向についての情報収集・取材、・企画立案、・講師への講演依頼・打合せ、・パンフレットの作成、・マーケティング(DM送付先リストの作成)、・受講者への配布資料の作成、・セミナー当日の運営事務等だが、経理に係わることを除いては、セミナーの実施に必要な業務で「担当外」の仕事はない。
96年、所沢市にある国立リハビリテーションセンター病院のケースワーカーでロー・ビジョン・ケアの分野で活躍されている久保明夫先生のご指導もあり、日本盲人職能開発センターを訪問。97年4月から1年間、同センターの事務処理科でパソコン操作の習得を中心とする職業リハビリ訓練を受ける機会を得た。同センター通所のためのいわばライセンスとして97年2月に身障者手帳の発行を受ける。申請するまでは、3級かせいぜい2級だろうと思っていたところ、診断の結果は1級。しばらくは、複雑な思いが続いた。当初、1年間は、休職となることを覚悟していたが、幸いにも、会(会社)が、センターでの訓練を会の研修扱いとすることを了承してくれたため、休職することなく訓練に通うことができた。
センターに通う前は、「パソコンできないオジサン」の典型だった私だが、今では、事務仕事のうちの相当部分をパソコンを利用して行っている。ご指導いただいたセンターの先生方には幾重にも感謝を申し上げなければならない。
そういえば、タートルの会の会員である熊懐敬さん(第一勧銀総合研究所調査役)も私と同じセミナー関係の仕事に就いておられる。ビジネス分野の教育事業は、今後も発展の余地が大きく、中途視覚障害者の職域として開拓可能な有力分野なのではないか。

職場で頑張っています(3)

復職して8ヵ月、自分にしかを見つけたい

加藤 晋(36歳)
千葉県千葉市在住

 今から丁度2年前の4月に急に目の奥が痛くなり、数分間、目がまったく見えなくなりました。数分後に、徐々に見え始め視力は回復しましたが、痛みが残ったので、家の近くの休日診療の病院に行きましたが、原因がわからず、翌日総合病院に行き検査をしたところ、視神経炎と診察され、ステロイドを2週間飲みつづけ治りました。同年9月に視力が落ちていくのがわかり、その時は痛みはなかったのですが、病院に行き、再度検査をしてもらいましたが、原因がわからず、不安のまま、1日1日視力が落ちていきました。
 このままではダメだと思い、知人に大学病院を紹介してもらい、検査した結果、レーベル病と診断されました。担当の先生からは、治らない病気と聞き、その後の説明が全然耳に入りませんでした。
 また、今後のことを考えると、とても不安で、どうしたら良いのか悩みなした。このままでは納得できないので、違う大学病院の診察を受けようと思い、昨年の1月に違う大学病院に3週間入院して検査を受けましたが、結果は同じでした。
 結果が出た以上、これから会社で出来ることを考えなければならないが、会社の中でも重度の障害者で視覚障害者は初めてなので、会社の方も自分も何が出来るかわからず時間が過ぎていきました。
 4月に入り、友人から所沢の国立リハビリテーションセンターを紹介してもらいました。友人に付き添いをしてもらい、午前中に簡単な検査、午後からロービジョンの説明を受けました。内容としてはルーペの種類、拡大読書器の使い方、そして音声による説明と文字を拡大してくれるソフトの入ったパソコンを実際にいじった時にはすごく興味をもちました。
 話をしているうちに、千葉の幕張に障害者を対象に3カ月パソコンを教えてくれる所があると教えていただきました。所沢の帰りに幕張の障害者職業総合センターに立ち寄り、案内のパンフレットをもらい、翌日上司に同センターに3カ月間講習に行きたいと相談をしました。
 数日後に、会社から了承をもらい入所の手続きに行き、5月の連休明けより講習を受けたわけです。内容はパソコンのワード、エクセル、そして途中からインターネットと電子メールを教えてもらいました。
 そこの訓練センターで阿部貞信氏(千葉県中途視覚障害者連絡会会長)と知り合いとなり、今日まで色々なことを教えていただき、相談に乗ってもらいました。
 3カ月の講習を無事に終了して、会社と1年間の休職の約束でしたから自宅にいたのです。でも、無性に仕事をしたくなり、お盆明けに復職できるよう、会社にお願いに行ったのです。それから、何度かお願いに行き、ようやく10月4日に復職できました。
 今までは営業をやっていましたが、復職後に配属になった運輸の配車の仕事は、内容はわかっていたつもりでも、実際にやって見ると、イメージと違い、初めは戸惑いました。「運輸」とは、営業の人が仕事をとってくると、建築資材のリ−スが発生し、その資材を10トンもしくは、4トン、2トンのトラックで運搬します。その行き先別に手配をする、部署のことです。
 訓練センターで拡大読書器とパソコンを習いましたが、今の仕事では拡大読書器しか使っていません。
 通勤はバス、電車、バスで1時間30分ぐらいかけて通っています。会社の前が国道ですが、そこには信号も横断歩道もないんです。その道を渡る時は少し怖いと思うことがあります。
 復職して8カ月過ぎ、多少慣れてきたので、今後は自分しか出来ないことや、他人が気がつかないことを探していき、自分の存在をアピールしていきたいと思っています。


「手をつなごう全ての視覚障害者全国集会」特別企画に参加して

タートルの会・幹事
工藤正一

 去る6月25日、「手をつなごう全ての視覚障害者全国集会」(代表世話人=藤野高明・全視協会長)は、特別企画として、「どうする21世紀の視覚障害者の権利」をテーマに集会を開催しました。集会には、日盲連会長の笹川吉彦さんからメッセージが寄せられました。会場となった東京都港区の障害者福祉会館には65人が集い、タートルの会も呼びかけに応えて、下堂薗副会長、篠島事務局長など幹事を始め一般会員も参加しました。
 午前中は、各会からの発言に先立ち、「障害者福祉と社会保障」と題して東京都立大学助教授矢嶋里絵さんによる記念講演があり、今後の障害者福祉制度の変革について学習しました。また、弱視者問題研究会からは、成立したばかりの交通バリアフリー法についての解説が行われました。
 午後からは、各会の活動の紹介や、21世紀へ向けての課題や提言の報告がありました。公共図書館で働く視覚障害職員の会、弱視者問題研究会、全国盲ろう者協会(文書発言)、グループ・飛躍、パソコンボランティア・SPAN、二見訴訟を支援する会、全国病院マッサージ問題連絡会、視覚障害者の歩行の自由と安全を考える『ブルックの会』の団体や個人からの発言がありました。タートルの会からは私が代表して発言しました。私の発言内容は、今年6月の総会報告とほぼ同じです。つまり、障害を理由とした解雇の規制、リハビリを権利として受けることなど、中途視覚障害者となっても安心して働き続けられる21世紀になって欲しい、と訴えました。また、視覚障害者が生活していく上でパソコン活用が必須となった今、視覚障害者のパソコンへの公的助成や技術習得の問題は視覚障害者共通の課題となっていると述べました。タートルの会のメンバーでもあり、関西電力に職場復帰を果たしたばかりの二見徳雄さんが6年ぶりの職場の様子を報告し、これまでの支援に感謝しました。また、『ブルックの会』の佐木理人(さきあやと・全盲)さんは、大阪市営地下鉄御堂筋線天王寺駅の転落事故の当事者で、大阪市を相手取って起こした「佐木訴訟」の原告として、自らの事故の体験と訴訟の意義、理解と協力を訴えました。発言者の顔ぶれを見ると、これまで一緒に行動したことのないところばかりで、本当にいろいろなところがそろったという印象を受けました。
 「手をつなごう全ての視覚障害者全国集会」は視覚障害者団体の共同組織として1984年9月、27団体延べ350人の参加で結成され、現在、33の協賛団体を数えています。それぞれの団体の立場を尊重し合いながら、視覚障害者の統一した要求を確認し、政府などに要請行動を行ってきました。
 その結果、この17年間に様々な要求を実現してきました。例えば、今日なお続いている経過的福祉手当の実施、日常生活用具を拡大読書機にも適用、点字図書給付事業の創設、点字母子手帳の発行、国家公務員点字採用試験の実施、職場介助者制度の創設、NTT104番号案内無料サービスの存続、郵便物の点字不在者通知や集荷サービスの実施、音声信号機の開発普及、駅ホーム転落防止柵の前進、点字ブロックのJIS化の前進等々を挙げることができます。
 21世紀を目前にして福祉制度が大きく変わろうとしている今、それぞれの視覚障害者団体が一堂に会し、要求や課題を持ち寄り、お互いに交流し、統一要求としてまとめていくことは、今後の視覚障害者の要求実現のために、大いに意義あることだと思います。


「笠井和代さんの職場復帰を祝う会」を終えて

野尻許子
徳島県在住:県立盲人福祉センター・参与

 笠井和代さん(小学校教諭・2級)が職場復帰をして丁度1か月目の7月23日、徳島のタートル会員、視覚障害教師の会会員、県立盲人福祉センターの歩行訓練士の方達と職場復帰を祝う会をしました。
 笠井さんは、夏休みに入ってほっと一息、少し疲れが見えましたが、元気そうでした。
 話題はもっぱら学校での出来事、体験、感想など話は尽きませんでした。
 タートルの工藤様、篠島様からお二人の体験に基づいた親身な励ましのメッセージを頂き、感激致しました。
 さて、笠井さんは網膜色素変性症による視力低下で昨年6月に病休に至ってしまい、悶々とした日々を送っていた時、8月徳島で開催された全国視覚障害教師の会の新聞記事の「目は見えなくても教師はできる」という言葉に一筋の光を見い出し、県立盲人福祉センターに相談に来られたのが、笠井さんとの出会いでした。
 まず、国リハでのロービジョンの受診を勧めました。専門医のきちんとした視機能検査と補助具の選定のアドバイスを受けるのが先決だと思ったのです。
 国リハでの受診の日、日本盲人職能開発センターでタートルの幹事の方々とお会いでき、目が不自由になっても仕事は続けられるかもしれないとの思いを持たれたそうです。徳島へ帰ってから、身障手帳の取得、障害者職業センターでのパソコン講習、盲人福祉センターでの歩行訓練と復帰への準備を進めました。
 この間、タートルの会、視覚障害教師の会をはじめ、多くの方から励ましや情報が寄せられました。
 しかし、現実に復帰となると問題がなかった訳ではありません。最初、T・T(チーム・ティーチング)での復帰が危ぶまれたり、拡大読書器については急遽タートル会員の鈴木様からお借りして急場を凌いでいますが、未だ配置されない状況です。
 とはいえ、学校側は笠井さんがスムーズに復帰できるように、色々な配慮をして下さいました。復帰に先だって職員会議で現在の状態や1年間復帰に向けて取り組んだこと、教育にかける思いなどを話す機会が持てましたし、復帰後は全校生徒に校内テレビで笠井さんからのお願いを話したり、保護者には、笠井さんが復帰された事、現在の状態や学校側の考えなどを手紙にしたためて理解を求める努力もして下さいました。
 学校は900人余りのマンモス校ですが、笠井さんは1、2年生の算数をT・Tの形で教えており、また5年生の総合学習で視覚障害についての話もしています。笠井さんが元気で教壇に立つこと自体が教育なのではと思います。
 今回、情報の取得、早期の相談、仲間との交流の大切さを痛感しました。
 身近にタートル会員がいる事も必要です。全国各地にタートル会員を増やして、支援活動を活発に展開しましょう。


「ワークテック21」に参加して

久保 賢
福島県在住:安達町役場勤務

 今回、ワークテック21に参加して感じた事は、全国どこの視覚障害者でも同じような事で悩んでいると思いました。
 午前の講演では、アメリカのアンソニー・コップ氏の講演でした。JOBプログラムの確立とそれをとりまく問題等について話されました。
 目標設定型雇用支援計画プログラム(JOB)は、現在の視覚障害者に雇用の機会を与え、その人が自信を取り戻すことや、社会に貢献することを気づかせる。そういう活動が、一人ひとりの視覚障害者に必要だと思いました。
 このような視覚障害者が活躍することによって、次の人が社会に出るチャンスが増えると思います。
 また、この計画の訓練は多岐に渡っており、情報学だけではなく、法律、経済等も含めているので、このような活動が日本でも広がれば、視覚障害者も職業の選択の自由が得られるようになると思います。
 そのような中で、障壁となっているのが、障害者に対する誤った通念や固定観念からの、障害者に対する誤解です。特に、視覚障害者が何もできなくて、他人に手をかけてもらわなければならない存在、そんなふうに思っている方が現実にまだ数多くおります。私の地域や職場でも時々そのようなことを思います。
 特に、視覚障害者に何を話したらいいか、そんなきづまりで話さなくなる方もいます。また、部屋に入ってきても声を出さない方などは、視覚障害者には誰がきているのか全くわかりません。
 アメリカでもそのようなケースがあるそうでした。それを聞いて私も自分に直せる所は直さなくてはならないなあと思っています。
 午後には、情報提供などがありました。これからの音声スクリーンリーダーの話や、ホームページリーダーの今後のバージョンアップの話などでした。
 ホームページリーダーでは、新しいページに対応する、必要な情報だけを取りやすい研究経過の報告がありました。
 今使っているものでも使いやすいんですが、確かに色々な余分な情報を聞く必要がないのは便利だと思います。
 是非早くそうしたものが出てくればもっと使いやすくなりますね。
 これからは、色々な方が使いやすいホームページを作っていただきたいです。特に音の出ない表現が多くなってきて私も困っています。
 また、視覚障害者を雇用している会社の社長さんの話もありました。その中で、質問があり、もし、視覚障害者にサポーターが入っている場合に、今のパソコンはあまり知らなくても出来てしまう。そうした場合に、視覚障害者が主であったはずが、サポーターが主になってしまうのではないか、というものでした。私も、もしこれからそうなれば困る問題だと思います。その回答に、アメディアの社長の発言に納得しました。確かにそういう事はあるかもしれないが、主は視覚障害者であって、事業主の意向を知って物事を判断する能力はあるのだから、その人が判断するべきでしょう、という話で、確かにいちいち何かあれば事業主に聞いているのより、その人の判断で、事業主の意向に沿って仕事をする人材こそ必要なんだとわかりました。
 今回で一応ワークテック21は終わると聞きましたが、これからも形を替えてでも続けて欲しいと思います。一人でも多くの視覚障害者が社会復帰を実現する事ができれば、そこから新しい社会が出来ていくと思います。


初期相談会や交流会へのお誘いと
機関紙購読のお勧め

 最近、中途視覚障害者のことがマスコミに取り上げられる機会が多いように思います。それにも関連するのか、当会への問い合わせや相談も多くなってきています。
 相談の多くは「将来への不安」に関わることです。視力低下の進み具合、見えなくなっても仕事は続けられるのか、みんなどうしているのかなど、不安を取り除くことのできる情報を少しでも欲しいのです。本人からが最も多いのですが、友人、奥さん、お母さんからなどさまざまです。親身に心配してのところなのでしょう。
 「タートルの会」の役割は、「働きつづけたい」という本人の強い意志を支えること、周囲に視覚障害の理解を深めるための情報を提供すること、そして事業主と雇用支援機関、医療・生活リハ・職業リハ機関などとの円滑な連携を調整することにあります。
 さらに視覚障害者としての先輩が、自分たちの経験によって得た知恵と工夫を、視覚障害者としての後輩達に伝えていく。これがまさに「タートルの会」の義務ともいえ、真の役割といってよいでしょう。会の具体的な活動は初期相談会と交流会に重点をおいています、ぜひ参加してみてください。
 また、会員への情報提供だけにとどまらず、啓蒙啓発のために、眼科医、保健婦、医療ケースワーカー、職業カウンセラー、ハローワーク雇用指導官・障害者窓口、生活リハ・職リハ職員、更生相談所・福祉事務所障害者窓口、事業主・経営者・組合幹部等々、多方面にわたる方々に情報を提供していきたいと思っています。これには機関紙「タートル」の発行や、ホームページが役割を果たすことになります。当会はできるだけ多くの方々に機関紙「タートル」(年4回発行)を購読していただき、視覚障害者の「働く」ことへの理解を深めてほしいと願っています。ぜひ御購読ください。年間購読料は3000円です(会員は年会費に含まれています)。郵便振替口座は00130−7−671967です。

(編集後記にかえて 事務局長・篠島永一)

『タートル』 (18)2000年8月29日発行
中途視覚障害者の復職を考える会
タートルの会
会長 和泉森太
〒160-0003 東京都新宿区本塩町10-3
社会福祉法人 日本盲人職能開発センター 東京ワークショップ内
電話 03-3351-3208 ファックス 03-3351-3189
郵便振替口座:00130−7−671967
turtle.mail@anet.ne.jp (タートルの会連絡用E-mail)
URL=http://www.asahi-net.or.jp/~ae3k-tkgc/turtle/index.html

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