会報「タートル」第14号

タ ー ト ル    1999.9.15.
中途視覚障害者の復職を考える会
(タートルの会)

【巻頭言】

払暁に友を思う
タートルの会幹事 吉永俊一

 現在8月27日の早朝、夜がやっと明けようとしている。最近は昼間の暑さを避けて未明から仕事をすることが癖になってしまった。今夏の忌まわしい程の猛暑や、ヒステリックな程の豪雨に煩わされた日々もようやく終わろうとしているようだ。先程来明るくなりはじめていた窓の外は、何時の間にか小糠雨が静かに地表を濡らして、残夏の火照りを若干やわらげているようだ。涼やかな秋の到来が遠くない事を思わせる。
 私がこの「タートルの会」を知ったのは2年前の今頃だったと思う。親友の持田氏が入会したのをきっかけに、私もお手伝いをする事になったのである。この時、会では会員の手記集を発行する作業が進んでいて、私も持田氏を手伝う形で表紙のデザインに参加させてもらった。初めは誤解をしていて、内部の会員たちだけの手記文集で、表紙も墨字だけの色気に乏しい本を想定していた。しかし良く聞いて見ると、一般刊行物として世に出す本だという。驚きであった。この会を知らなかった自分は、もっと小さな内輪の会だと勝手に考えてしまっていた自分の無知を恥じた。この「タートルの会」が社会的な存在へ向けて、自己アピールをしながら、確実に歩んでいる証であろうとも思ったし、このような本を出版出来る実力を持った存在である事をも認識させられた。本文を読ませてもらって、その思いは一層強まった。
 さて、友人の持田氏は40代半ばに視野の異常に気がつきはじめていた。それから数年が経っても、彼の視覚に対する不安は解消されること無く、逆に募るばかりであった。この会に参加した頃には、仕事を含めた生活の基盤全般を再構築せざるを得ない状況にまでなっていたのを思い出す。
 私たち二人は大学の研究室時代からの仲間であり、お互いにデザインの勉強をして来た者である。彼の視覚に関する障害の進行は、私には他人事とは思えない心配と不安を覚えさせた。そうしたある時、通院中の病院の医師から紹介されたのだと言って「中途視覚障害者の復職を考える会」に参加した事を伝えられた。その時点では、その会がどういう会なのか分からなかったが、私がとっても嬉しく感じたのは、彼が醸し出していた前向きな表情であった。それまでは、表面的には明るく振る舞うものの、どこか困惑を秘めたような表情が多かったからである。この人はこの会に参加して新しい生活を模索する力を得た、という感じが伝わって来て、私自身も救われたような気がした事が思い起こされる。もちろん彼は、自分自身については多くを語らない人である、だから私の一人合点であろう。しかし私は、この会の存在が彼に多くの力を与えてくれた事は確かなように思う。
 ただし、その後すぐに、彼が困惑と試行錯誤から解放された訳ではない。しかし今、彼は見事に転身を遂げている。今年の4月から埼玉県立の盲学校の専攻科の理療科で3年間の課程を学び始めたのである。50代の半ばに差し掛かろうとする人間の、苦渋の中での未知への決断であったろう。しかし、現在のその姿は、新たな物への挑戦権を持ち得た喜びに輝いているようにさえ思え、学べる事への感謝と歓喜に満ちた清々しささえ感じさせてくれる。私の知る、30年以上前の若さと自信をあふれさせて未来を見詰めていた学生時代の彼とは違うが…。
 彼とともに、この会の存在と、その出会いをもたらしてくれた運命に感謝したいと思う。


【記念講演】

「取材を通して感じた視覚障害者の就労問題」
高橋秀治
カトリック点字図書館
(元NHK視覚障害者の皆さんへ取材担当記者)

 まず私の自己紹介をしておきます。私は先天性の弱視で、右目は1歳のときに取り、現在まで視力は少し落ちていますが、片方でも不自由なくしております。
 中学から都立文京盲学校に進み、三療の資格は取りましたが、大阪の日本ライトハウスに入り、そこで4年半ほど点訳・製版の仕事に就きました。そこから、東京点字出版所に移り、さらに日本点字図書館に行き、それぞれ2年半ほどおりました。次に東京ヘレン・ケラー協会に23年間ほどお世話になり、その間、『点字ジャーナル』誌の編集を9年半ほど担当しました。その中で、NHKとの関係が出てきたわけです。
 しかし、記者という意識は私の中にはほとんどありませんでした。製版という本業の傍ら時間を見つけて取材しました。特に土曜、日曜はほとんどつぶして、いろんな会合の取材をするわけです。家にいる時間が少なくて、家族との間には埋めがたい溝が出来てしまい、取材をやめてからでも、その溝が埋まらない状態です。娘と母親の世界がしっかりできていて、こちらの割り込む余地がない状況になっています。取材は時間との勝負です。いろんな方とお目にかかったり、いろんな出来事に立ち会う、そういう意味で広く浅く物事を知ることができたんですが、失うものも多いなという気がしております。
 取材の中で、「あはき」(あん摩、はり、きゅう)の世界では健康保険など非常に複雑な問題がありますし、福祉の世界では、途中で目が見えなくなった方の問題をどう社会の中で一般化していくのかなど、いろんな問題にぶつかります。それに立ち会い、そして皆さんにそれをご紹介できる、その意味での取材のよさ、意味深さも感じております。
 さて、視覚障害者の就労問題について、娘の例で少し考えてみたいと思います。私の娘は大学を出て、国際協力事業団(JICA)の青年海外協力隊の事務所に採用されました。大学では英語を専攻していましたので、英語を生かして、国際協力の片隅で何か力が発揮できたらと、大変勢い込んで職場に入れてもらいましたが、受け入れ側は何をやらせたらいいかということについて、あまり見通しを持っていなかったのです。丁度、盲児が普通学校に入ったのと同じような状況が、職場でもまた繰り返されたわけです。
 青年海外協力隊は、たくさんの候補生を募集して、そこで英語圏とかスペイン語圏とか、派遣国によって訓練する所が違います。当時の広尾訓練所は英語圏だったんですが、候補生の訓練は語学の熟達度、生活指導、団体生活のあり方、野外訓練など細かなプログラムが組まれています。娘はその中で、今は仕事が広がったようですが、最初はほとんどタッチさせてもらえなかったので、かなりストレスがたまっていたようです。
 それと訓練所では、視覚障害の職員にどんな仕事を与えたらよいかという基本的な方針がなかったようで、結局その日その日、封筒貼りをさせたり、コーヒー茶碗の片づけなどの雑用のほか、所長さんの講話のテープ起こしが主で、なかなか本業にタッチできなかったのです。
 また、少ない人数で大きな仕事をしている所ですから、周りの職員は非常に忙しい。全盲の職員に補助員を付けるというサポート体制などはほとんど期待できない状況がありました。その中でストレスが高まっていったせいでしょうか、だんだん聴力が落ちていって、会議の席では少し離れた所にいる人の声が聞こえにくくなっていきました。「私は耳が悪くなったので、出来るだけ大きい声で話して下さい」というビラをワープロで打って、周囲の人に配って協力を求めたりしたようですが、なかなか改善されない。上司に話を持っていくと、「だいたい仕事というのは与えられるものじゃなくて、自分で見つけるものだ。そういう甘ったれたことでは困る」と跳ね返される。対等な条件にある人であれば、こんな言い方も可能だと思うんですが、条件が同じでなくて、自分で仕事を見つけろというのは、要するにこの視覚障害の職員をどう育てようかという見通しや考え方がないわけです。かといって、今の段階では、すぐやめちゃおうというわけにはいきません。
 これが、視覚障害者が普通の職場の目の見える人たちの間に入っていくことの実態なのかな、と考えているわけです。勿論、娘の話ばかり聞いているだけで、先方の話は聞いてないんですが、対応のまずさがあると推測するのはやむを得ません。
 でも、例えば、視覚障害者を対象とした職場でも晴眼者中心に、目の見える人を軸に世の中は動いているわけです。特に忙しい時は、悪意はないにしても、視覚障害者は忘れられてしまうことが間々あります。何かの資料を配るとしても、急ぎの場合には点字の資料などできませんし、いろんな会合に行っても点字資料が保障されているところは少ないようです。
 こういう場面は、皆さんも日常的に体験されていることだと思うんです。だからといって、「ここは情報保障がないではないか」と原則論を振りかざしても、なかなか周囲の理解は得られないし、時にはとげとげしくなります。回転の速い社会では、時に視覚障害者が無視されたと感じることがたくさんあると思います。結局、後になって、「もう少しあの時の様子を教えてほしい」という形で一つ一つ押さえていくしかありません。こういう辛さは、ずっと続くんではないかと思います。この辛さを次の世代の人たちが味わわないですむように、周りに働きかけていくことが大事です。消極的な意味ではなく、我慢の生き方をするしかないのかな、と思っています。
 娘は目が見えなくなってから普通の学校に行って、それなりにいろんな体験をして、大きくなってきました。私が一番気にしたのは、目の見えないことをどんなふうに納得しているのかなということです。そういう話はなかなか面と向かってはできませんが、娘はあるところに文章を書きました。「目か見えないのは見える人と比べて、何をやるにしてもまだるっこいほど時間がかかる。でも、これは自分に与えられた一つのマイナスの条件なんだ。いろいろ助けてくれる人たちもたくさんいるので、その人たちに感謝しながら、がんばって生きたい」というような内容でした。私は、ああ、これで一つ壁を抜けたかなという感じを持ったものです。
「ともに生きる」というのは簡単ですが、その実現のためには、私たちは楽観もせず失望もせず、こつこつと周囲の理解を勝ち取っていく辛抱強さが柱になると考えているところです。


1998年度事業報告

I 相談活動

(1)私たちを取り巻く情勢

 私たちを取り巻く労働環境は、今、大変厳しい状況です。視覚障害者の雇用の拡大と安定を考えるとき、新規雇用の拡大と、中途視覚障害者の雇用の継続という両面から考える必要があります。しかし、今日のような不況とリストラのなかでは、何れも、これまでになく大変厳しいものとなっています。
 視覚障害者の職域として実績のある電話交換手、コンピュータプログラマー、ヘルスキーパーにしても、新規雇用は伸び悩み、視覚障害者の伝統的な職業である「あはき」(あんま・マッサージ・はり・きゅう)業にしても、その厳しさは例外ではありません。
 私たちの会員のなかにも、退職を余儀なくされたり、労働条件を切り下げられたり、また、復職、再就職、あるいは、休職することなく働いてきた人も、「いつまで働けるだろうか」と、不安のなかで過ごしている人は少なくありません。

(2)高まる会への期待

 手記集『中途失明〜それでも朝はくる〜』の発刊後、1年6カ月が経過し、およそ4,000部が普及されました。これに先だってメーリングリストとホームページも開設され、それらは活発に運用されています。これらが相まって、会には様々な相談が寄せられるようになり、会員も増え、必然的に会報の発行部数も増えました。
 ちなみに、『タートル第13号』(5月10日付け)発行時点で、会員の登録者数は340人で、内、当事者は240人となっています。会報の発行部数は500部となり、総会以降の発行回数は4号を数えました。
 最近では、全国各地から数多くの相談が寄せられ、本人や家族はもとより、労働組合、医療機関などからの相談も増え、会への期待も高まっています。

(3)個別相談への対応

 相談のなかには、情報提供や他の機関へ繋げることで終わる場合も少なくありませんが、単にそれに留まらない、個別的継続的なものも少なくありません。
 この1年間にうけた新規個別相談は、13都府県から40件を数えました。都府県別では、東京13、神奈川7、埼玉5、千葉5、以下、青森、茨城、長野、福井、和歌山、大阪、広島、山口、福岡、熊本、それぞれ各1件となっています。相談者別では、本人33、家族4、同僚1、労働組合1、病院ソーシャルワーカー1となっています。当事者の性別では、男31、女8、不明1となっています。
 相談に至る経緯をみると、手記集、ホームページ、メーリングリスト、新聞、ラジオ、あるいは、医療・福祉関係機関、地域障害者職業センターなどを通して、会の存在を知ったというものでした。電話による相談がほとんどですが、なかには、直接事務局を訪ねて来られたり、メーリングリストで行われる場合も少なくありません。
 それらに対する対応については、会長、事務局、担当幹事を中心に、主に幹事会や交流会で、あるいは、メーリングリストなどでの機会を捉えて対応しました。機敏な対応を要する場合は、緊急に幹事会を開き、必要に応じ、拡大幹事会で対応しました。
 相談内容については、在職中の相談(職場復帰、継続雇用)だけでなく、初めての就職や、再就職についての相談、あるいは、子どもの将来に対する相談などもありました。在職中の場合で、進行性の疾患などでは、深刻なケースが多く、現在20人弱の人が微妙な立場に立たされています。また、私たちとの出会いにより、新たな目標を目指して頑張っている人や、交流会に参加することで元気を取り戻す人も少なくありません。
 個別相談ケースとして特筆すべきこととして、次の三つを挙げることができます。
 一つには、郡悟さん(東京)が昨年10月、1年3カ月ぶりに元の職場に原職復帰を果たしたことがあります。復職を祝って、東京(両国)において祝賀会を開催しました。
 二つには、大阪の「二見裁判」(中途視覚障害となった二見徳雄さんの関西電力不当解雇事件)があります。今年に入って、裁判長の提案を受け、新たな段階に入りました。現在、「試用」という形でテスト的に働いています。5月21日の「支援する会」の第3回総会に向け、会としてメッセージを送るとともに、山本浩幹事(和歌山県)が参加してくれました。名実ともに職場復帰が実現するまで、引き続き支援をしていきたいと思います。
 三つには、福島県のある町役場職員Kさんの職場復帰についてです。まもなく職業訓練が実現するか否かという新たな段階にあります。労働組合が全面的な支援をしていますが、昨年夏、当会会長と松坂幹事が労働組合の学習会に講師として参加しました。引き続き会として支援をしていきたいと思います。

(4)相談活動の成果と課題

 この1年を振り返ると、私たちとの繋がりのなかで、10人の人が職場復帰や再就職などを果たしました(「復職者等一覧」参照)。このなかには、会発足直後の相談で、理学療法士への道に進み、見事に再就職を果たした人や、メーリングリストを通じて、多くの先輩たちに励まされながら、新社会人となられた人もいます。
 また、継続雇用や再就職の可能性を求めながらも、最終的に「あはき」への道を選択し、この4月から盲学校専攻科に進学した人も3人います(東京、埼玉、千葉)。
 さらに、休職期間満了とリストラの影響で、止むなく退職し、新たな気持ちで再就職を目指している人もいます。
 ここでの課題の一つには、復職後の定着支援・定着指導があります。一旦復職すると、本人が支援を望んでも、なかなか受けられないという問題があります。一人の中途視覚障害者の職場復帰には多くの人たちの努力と、莫大なエネルギーを費やしています。それらを無駄にしないためにも、中途視覚障害者の職場復帰に対する定着指導は、今後の大きな課題と言えます。
 今一つは、「あはき」を、視覚障害者の最後の砦として守っていかなければならないということです。
 全体を通して、今後の課題と考えられることは、微妙な立場にあって悩んでいる人たちと、遠隔地にいて悩んでいる人たちに対する支援のあり方です。どうしても、首都圏を除けば、なかなか直接会う機会を持てず、十分な支援ができません。今後、北海道、宮城、和歌山、広島の地方幹事と連携した取り組みを考えたり、他の地域へも幹事を増やしていくことなども含めて検討していく必要があると思います。

【復職者等一覧】

 以下、復職・就職年月、氏名、性別、復職・就職時の年齢、障害等級、使用文字、所在地、職場、職種等の順に記します。
  1. 98年5月、K.Y.、男、28、1級、点字、東京、データ入力サービス会社、テープ起こし。
  2. 98年7月、H.T.、男、47、5級、普通文字、鹿児島、郵便局、事務職(外勤から内勤に)。
  3. 98年10月、S.U.、男、54、1級、点字、東京、都立高校、事務職。
  4. 98年10月、S.K.、男、38、1級、点字、東京、コンピュータ会社、事務職。
  5. 98年12月、N.I.、女、48、4級、点字・拡大文字、東京、保育所、調理士。
  6. 98年12月、Y.I.、男、43、1級、点字、群馬、電機メーカー、事務職。
  7. 99年1月、Y.A.、男、37、1級、点字、埼玉、養護学校、教諭。
  8. 99年1月、T.I.、男、31、1級、点字、東京、システム開発会社、事務職。
  9. 99年4月、A.I.、男、34、3級、拡大文字、東京、練馬区、理学療法士。
  10. 99年4月、N.I.、女、25、1級、点字、神奈川、大手スーパー、電話交換手。

(注)上記のうち(8)、(9)は再就職。(10)は新規就職。 (幹事:工藤正一)

II 連続交流会の報告

 98年度の連続交流会は、97年度の連続交流会「どんな仕事をどのようにしているのか」という中で出された多くの課題から、3つのポイントに絞って開催された。それは、
  1. 会社でのパソコン通信の活用
  2. 情報の収集と活用
  3. 仕事に生かそうデータベース
というものであった。
 毎回一人の方に報告をお願いしたので、具体的にどのようにやっているのかという点について詳細に知ることができた。(1.と3.についてはパソコンの操作を交じえ仕事ぶりを再現していただいた。)また、3名の方の新たなチャレンジの意味・意図するところも知ることができ、今後に生かせる内容が提起された連続交流会であった。
それぞれの提案の内容は、「タートル」12号に掲載したので、それらをどう発展させるかと言う観点で、整理してみる。
  1. 会社でのパソコン通信の活用
     これまで視覚障害者が職場の中で「情報の発信者」になるというのはなかなか考えにくいことであった。しかしパソコン通信の活用がそれを変えた。これには二つの意味がある。
     一つは、職場でどうしても孤立しがちな働き方を強いられる中で、周囲の人との関係を双方向に変えるものとして「パソコン通信の活用」が提案された。職場の中における自分の存在を見つめ、それを変えていこうとする試みとして、重要な提起だと思う。
     もう一つは、どんな情報が、どの人にとって重要かを理解できる、経験を持つ中途視覚障害者にとって、通信上で得た情報を、他の社員に提供するという作業が、新たな仕事として提案されたことである。当然インターネットによる情報の収集も考えると、この領域での、多様な形での仕事の創出を考える事ができるのではないか。
  2. 情報の収集と活用
     復職してから意識的に行ってきた情報の蓄積が現在の相談業務に役立っている。テープに録音すること、点字でメモすること、データを自分でコツコツと入力すること。たくさんの人との関わりを大切にすること。これらは一朝一夕にはできないことだけあって、このような実践の積み重ねは、大きな力となっている。このように色々な方法を組み合わせ、情報を入手し、それを自分で使いやすいように加工することはかなり大変な労力を費やす。しかし、だからこそ、意味ある情報の蓄積ができるのである。確かに、「視覚障害者は情報障害」と言われる。しかし、この状況を突破し、反対にたくさんの情報を、自分の仕事に充分に生かせるのであれば、仕事でも色々な可能性が考えられるような気がする。
     また、様々な手段で手に入れた情報は、やはりパソコンを活用し整理することが私たちにとってきわめて重要であることが再確認された。必要な情報を即座に、自分の使える形で取り出すことができることが大切である。
  3. 仕事に生かそうデータベース
     データベースを活用した進捗管理・予算管理の仕事の実践から、データベースの活用について、幾つかのポイントが提起された。
     まず、仕事の現状を良く知り、自分がその中で何ができ、どのようにやれば役立つのかという、仕事を見つめる「センス」のようなものを、身につけることが大切になる。もちろん、私たちのこのような姿勢を受け止める雇用側の基本的な理解は前提となるのだが。自分が何をしようとするのか、それをやりやすくするためにどんな方法をとればいいのか。このような考え方でデータベースも一つの道具として、仕事をやりやすくするための手段として使う事がポイント。
     そしてデータベースの活用において、常に他の人との共用性−他の人が見てすぐわかる、周り人とのデータのやりとりが自由にできること。これは社内での仕事ではとても大切。
     そして、このように考えれば、さらにデータベースの仕事での活用の可能性は広がろう。具体的な事例をさらに集め、整理したい。 (幹事:新井愛一郎)

III メーリングリスト及びホームページについて

(1)メーリングリストについて

(A)基本的事項
(注)一人で複数のメールアドレスを登録している人もいるので、メーリングリスト(以下MLと略記)参加者の実数は 105〜106名程度。
 タートルの会のMLは、タートルの会の会員であるか否かに関わりなく、参加・退会手続きが自由に行えるようになっているため参加者数には多少変動がみられますが、長期的には増える傾向にあります。昨年の総会報告では、1998年5月24日現在で、参加者60名、通算書込数が約1千と報告されています。
(B)MLの書き込みの内容等
 MLで交換される情報は多岐にわたります。項目として上げるなら、会報第10号にある昨年のMLに関する報告と同じように、1.会活動に関わる情報交換、2.視覚障害に悩む本人やその周辺の人からの相談、3.関連放送番組や行事等のお知らせ、4.図書情報、5.ソフトウェアの使用方法等パソコンをめぐる技術情報の交換、6.ネットワーク上で得られた視覚障害関連等の情報、7.便利グッズ、8.視覚障害者の生活やリハビリに関わる話題、ということになりますが、ここ1年くらいにおける特徴としては次のような点が上げられます。
  1. 会の幹事のほとんどがMLに参加するようになり、会務にまつわる連絡がML上で更に行われるようになった。
  2. 参加者増により、話題の幅が更に拡がった。例えば、「ちょっと一息」などの連載エッセイが投稿されるようになったほか、視覚障害を持つ女性の問題に関する情報・意見交換、会の交流会に関しての更なる意見交換等が行われた。
  3. MLからオフラインミーティングが生まれた。ソフトクリームを食べる会が2月に、「みえない展覧会」の見学会(ラーメンを食べる会を兼ねる)が4月に持たれた。そのほか、JRPSの広島医療相談の参加者による情報交換、千葉中視連にまつわる情報交換も行われるなど、実際の活動と通信ネットとの連携がみられた。

(2)ホームページについて

(A)基本的事項
(B)ホームページの構成・内容
 ホームページの構成は、以下の10項からなっています。
 1.新着情報(ホームページの更新情報)、2.おしゃべりサロン(MLで出た話題や会員のエッセイなど)、3.タートルの会とは、4.会報『タートル』(第1号〜13号まで)、5.こんな職場で働いています、6.手記集『中途失明』出版、7.ご案内情報(イベント・図書情報)、8.タートルMLへのお誘い、9.玉手箱(資料集)、10.関連リンク(他のホームページへの入り口)
 このうち内容がコンスタントに更新されているのは、2.おしゃべりサロン、4.会報『タートル』、7.ご案内情報、9.玉手箱の4項です。
 「玉手箱」のコーナーには、全国視覚障害者雇用促進連絡会の機関誌「雇用連情報」の第33号(1993年7月1日)〜第44号(1999年4月1日)を掲載しているほか、日本理療科教員連盟 進路対策部&ヘルスキーパーの制度化を求める連絡会が 1998年5月に取りまとめたヘルスキーパーに関する実態調査、国際視覚障害者支援技術セミナー 1998 予稿集、障害者の雇用に関わる助成措置、刊行物「職リハネットワーク(1998.10)」(中途視覚障害に関する特集号)等々の資料を昨年度追加掲載しました。
 また、「おしゃべりサロン」ではMLで書き込まれたもののうち、プライバシーに関わりのない内容のものを掲載させてもらっており、かなり蓄積されてきています。
(C)その他
 ホームページの更新は、平均すると月あたり2回程度ですから、それほど頻繁ではありませんが、タートルの会の会報や雇用連情報等の着実な蓄積により、資料価値のある内容になってきています。中途視覚障害者やその周辺の人からタートルの会に電話等で相談があった場合も、ホームページを参考にしてもらうケースが出てきています。
 また、「おしゃべりサロン」や「タートルMLへのお誘い」のコーナーをホームページ上に設けていることもあり、それらを見てMLに参加してくれる人も以前より増えてきています。MLとの連携が取られ、少しずつながら情報交換の輪が拡がっているといえます。
 今後の課題としては、より読みやすいページ作成と構成設定、ほとんど更新されていないページの充実あるいは見直しが上げられます。
(幹事:吉泉豊晴)

1999年度活動方針

  1. 相談活動の充実
  2. 連続交流会の実施
  3. 交流会の充実(講演内容と相互交流)
  4. 復職・定着支援活動の充実
  5. メーリングリストやホームページの充実
  6. パソコンボランティア活動の充実と連携の強化
  7. 機関紙「タートル」の発行
  8. PRパンフレットの作成
  9. 啓蒙用ビデオの作成

1999年度役員名簿


1999年度業務分担

<1999年度・業務分担 〜 担当スタッフ>

※会議体の位置づけについて


◇お知らせ◇

連続交流会

◆9月の交流会

 これまでタートルの会の交流会などでは、職場復帰にしろ再就職にしろ、「業務をこなすための知識」や「仕事をするための技術習得」など、どうしても「仕事・業務」を前面に考えた形で物事をとらえがちでした。しかしながら、あらためて「障害を持って働く」「障害を克服して職場復帰」といったことを考える中で、意外と、職場内での人間関係、個々の生き方・進み方や暮らしぶり、それぞれのテンポ(時間軸)などの精神的な面が大きなウェイトを占めるのではなかろうか..とも考えられます。そこで、少し今までとは違う視点で「生きてゆく中での仕事」といった観点から、精神面に関する議論の場が持てればということになりました。

◆10月の交流会

 「職場内ネットワークの現状とそのアクセスについて」
 社内LAN、グループウェア、イントラネットなど、各職場内で徐々に広がりつつあるネットワーク社会。実際に今の職場ではどんな環境になりつつあるのか、そして、私たち視覚障害者にとって、そのアクセスの可能性はどうなのだろうか、といったことを中心に考えたいと思います。

◆11月の交流会

 タートルの会としては初の地域での開催を企画し、仙台市で行うこととなりました。  東京に閉じこもりがちだった交流の場を地域に拡げ、職場復帰、再就職、業務をこなすための知識、仕事をするための技術習得、職場での人間関係等々、短い時間ではありますが、とことん語り明かし、失職の未然防止の一助としたいとの願いを持っています。  そして、翌日は松島観光ツアーも予定しています。
 講師には、東北における視覚障害者の復職などに熱心に取り組んでおられる佐々木康次郎氏にお出いただくことになりました。

【9月交流会講演要旨】

人間の幸せについて
−『高瀬舟』の喜助に学ぶ少欲知足の生き方−
講師:本郷慧成氏

 小説『高瀬舟』の主人公・喜助は弟殺しの罪を着せられて、島送りとなる。遠島は死刑にも匹敵する厳しいけいであったが、喜助は少しも悲しそうな表情を見せず、むしろ楽しい旅に出るかのような顔。護衛役の同心・庄兵衛にはそれが不思議でならなかった。
 「なぜお前はそんな明るい顔をしていられるのだ?」それに対する喜助の答えに、庄兵衛は深く心を打たれるのだった・・・。
 人間は誰でも幸せになりたいと願って生きている。けれども、現実にはなかなか幸せ感を感じることができず、逆に人生は苦しみの連続だと考え、時には絶望して自ら命を絶ってしまうこともある。
 お釈迦さまも人生は苦であるととらえた。そこまでは私たちと変わりがなかった。けれどもその先が違う。お釈迦さまは人生はなぜ苦なのかと考えた。そして苦しみの依って来る原因は、私たち人間が、心を無明(無知)と渇愛(欲望)に支配されているからだという結論に達した。それを説いたところから仏教は生まれた。
 では無明とは、渇愛とは・・・?そしてそのことと人間の幸福は、どこでどのように関わっているのだろうか。

◇会合日誌◇

◇編集後記◇

 本年の定期総会は参加者65名、さらに懇親会参加者は54名と盛況かつ活気にあふれ、次年度につながる成果をもてた交流であった。地域に広がりをもち、交流会を地域で行う要望が出され、この実行に力を注ぐべく役員の業務分担と相互の連携の強化が求められた。
 「地方で交流会を開催しよう」という提案に、早速動いた。この亀なかなか動きが速かった。副会長の下堂薗さんが仙台の金子光宏幹事に打診したところ、快く「引き受けましょう」という返事。とんとんと話がすすみ、松島観光とからめて、講演会と交流相談会として「仙台フォーラム99」の開催の運びとなった。
 メールのやりとりにより話がスムーズに進められたのである。電話だけでは、こうとんとんとはいかなかった。メーリングリストの有効活用は、今後の地域活動の広がりと展開に大きな力となる。多数の参加を期待する。
 また、不特定多数の人たちが当会のホームページを閲覧し、メーリングリストのメンバーとして入ってきたり、特筆すべきは、東大眼科の国松医師がMLでのやり取りから「初期相談会」に結びつき、前途ある青年に希望を持たせ得たことである。患者のために積極的に動いてくれる医師に敬意と感謝を申し上げたい。
 なお、機関紙「タートル」のテープ版、あるいはフロッピー(テキストデータ)版を用意しています。ご希望の方は事務局まで連絡ください。
(篠島永一)

『タートル』(第14号)1999年9月15日発行
中途視覚障害者の復職を考える会
タートルの会
会 長   和 泉 森 太
〒160-0003 東京都新宿区本塩町 10-3
社会福祉法人 日本盲人職能開発センター東京ワークショップ内
電話 03-3351-3208 ファックス 03-3351-3189
郵便振替口座:00130ー7ー671967
URL=http://www.asahi-net.or.jp/~ae3k-tkgc/turtle/index.html

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