タ ー ト ル No. 11
1998. 9.15.
中途視覚障害者の復職を考える会
生きることへの熱情・働くことに
対する姿勢が、人を動かす
タートルの会幹事 内山義美
私たち目の不自由な者が働き続けるための権利を定めた「障害者の雇用促進法」が、1997年4月に改正されました。
その内容の一つは、企業に障害者の雇用を義務づけた雇用率が1.6%から1.8%に引き上げられたことです。
これは、56人以上の従業員を雇用している企業は、障害者を雇用する義務があり、雇用率が達成しない場合は、一人につき毎月5万円の納付金を払わなければなりません。
雇用率が0.2%引き上げられたため、納付金の増を見越して、各種助成金制度も1998年4月から改正されました。
納付金による助成金の目的は、これから採用になる人、現在雇用されている人の能力が開発され、適性が引き出されるよう、作業施設・設備などを整備、改善したりする場合、その資金を援助するものです。
また、中途障害者が職場復帰、あるいは継続雇用される場合、事業主が作業施設・設備の設置、整備などを行うに当たって、職場に適応するための処置をする資金の援助を受けられることです。
視覚障害者についての助成金制度は、音声ワーブロ、パソコン、点字プリンター、拡大読書器などを対象に助成され、従来5年で更新とされていたのが、3年経過すると、新しい物と取り換える時に援助されます。
職場介助者(ヒューマンアシスタント)は、事務的業務の人に配置します。助成金一人月15万円、10年間。
新たに事務的業務以外(ヘルスキーパー、マッサージ)の視覚障害者に職場介助者を委嘱する場合にも助成がされるようになりました。一人年間24回、1回1万円、10年間です。
このように私たち、多くの仲間の粘り強い活動、それを支援する人々の力によって、法律・制度は一定の前進はしていますが、視覚障害者の就職、職場復帰は依然として厳しい状況にあります。世の中にはいろんな障害を持った人が、星の数ほどいます。その中でも視覚の障害者は、旧態依然として、偏見・差別・選別が、まだまだ根強く残っています。これは短時間で解決するものではありません。一人ひとりの絶え間ない向上心、ねばり強い信念を持って、一歩一歩、前進させるため頑張りたい。
幸いに、コンピューターなどの新しい科学技術の飛躍的な進歩があります。視力以外のすべての機能を活用し、鍛えれば人間としての力を十分に発揮することができます。毎日、一つの感動、喜び、感謝の心を大切に生きていきたい。
第3回定期総会開く
1998年6月13日、港区勤労福祉会館にて午前は機器の展示会、午後からは総会に引き続き鍛谷氏の記念講演を聞き、そして出席会員(60名)の交流が図られた。
総会における活動報告の詳細及び活動方針の骨子は、「タートル」(10号)に掲載しているので参照願いたい。また、役員選任では、前年役員は全員留任となり、また地域の拠点となり地域に密着した相談窓口となる役員が今後は必要とされることから、北海道地区(札幌市・小川剛)、東北地区(仙台市・金子光宏)、近畿地区(和歌山県下津町・山本浩)の3氏が新たに幹事として選出された。
※連続交流会その1 「パソコン通信とインターネットの利用」
1998年9月26日(土) 2時から5時まで
話題提供:大脇俊隆氏(小泉産業株式会社)
【第3回年次総会記念講演】
豊かな高齢社会を目指して
〜高齢者協同組合の実践を通して〜
日本労働者協同組合連合会
専務理事 鍛谷宗孝
1. 変化する社会
(1)1995年−−新しい社会への転換を示唆した年
- 阪神大震災−オウム−沖縄をつらぬくもの
- 薬害エイズ問題にみること
- 支配する者達の腐敗、混乱と社会不安の広がり
- 社会問題への新しい人々の胎動
- 人間とは、人間らしさとは何かが問われている
(2)価値意識が変わる
生活が、地域が、社会が変わる
- 「企業万能・企業一元化」社会のいきづまり
- 大量生産システムの破綻
- 「市場経済万能」主義のゆがみ−−資本主義の暴走
- 拝金主義、「物」至上主義と人間性の破壊
- 新保守主義−−「規制緩和」「自己責任」主義の無責任と欺瞞
- 人類生存の危機をどう超えるか
- より広い経済、人間的な経済への希望
- 高齢社会は福祉を絶対課題とする社会−−何が変わる
(3)高齢社会とは何か一−高齢社会で問われること
- 高齢とは何か、人間とは何か
- 福祉とは何なのか−−新しい概念の必要
- 公共事業が変わる
- 高齢者の自立、社会参加と社会の活動
- 「分断」を超えて人間と地域社会の「絆」の再生へ
2. 21世紀を生命の輝きと人間の希望の世紀へ
−−より人間らしく生きうる社会のあり方=共生・協同の社会システムを
(1)人間の尊厳−−人間らしさとは何か
- 人間とはそもそもどういう存在なのか−−目を覆いたくなる現実の中から
- 環境破壊の時代からの訣別−−種の絶滅に何をみるか
- ガン死が人の死の圧倒的多数となった時代にみること
- 「脳死」ははたして人の死か(死生感の変容)−−死をもつらぬく人間性
- 死をも含めて「人間らしく」「自分らしく」があらゆる分野の焦点に
(2)真の豊かさと福祉
- 新しい価値観の必要−−自然感、人間感、社会感
- 障害者運動から学ぶ
この子らを世の光に
- ボランタリズムの胎動と事業
- 「営利」は全てに優先する目的か
- 社会的テーマへの新しい担い手と人間の絆
- 社会と人間−−生活と地域
(3)社会のしくみは変革できるか
- 「大資本、公共事業、軍拡」からの転換−−人と地域の必要からの出発
- 人間の自立、発達とそれを支えるシステムのある社会の創造
- 共生・協同の原理と新しい公共性
−−「公共、公益」の概念が変化する
(4)新しい福祉社会の創造
- 人間の尊厳が真に大切にされる社会
- 「労働の人間化」と「地域の人間的再生」
- 高齢者の人間らしい生活に必要なこと
- 誰もが人間らしく生きられる社会のあり方−−分断を超えた「自立」を支えあう地域社会システムの必要
3. 「福祉」が社会を変える
−−公的介護保険の時代と社会
(1)厚生省の高齢者施策の光と影
- ゴールドプランから公的介護保険制度へ
理念はどう掲げられているか
−−高齢者保健福祉3原則と新介護システムの理念
- 利用者本位とはいうけれど
- 医療保険制度はなぜ破綻したか
- 何が問題か、福祉(介護保険含めて)は誰が推進するのか−ー市民の主導性
- 高齢者全ての現実を基礎におく
−−地域保健福祉運動を
- 情報開示ー−ディスクロージャ−が絶対である
(2)ケアワ−カー(ヘルパー)に求められること
- 求められる4つのこと(任務)
- よい仕事−−仕事の能力の高さと姿勢
- 地域保健福祉運動の担い手・コ−ディネーターとして
- ケアワ−カーの全国的協同−−全国の仲間のネットワークづくり
- 高齢者(本人・家族・高齢者協同組合)との協同・連帯
- ケアワ−カーの現実
期待の高まりと困難・遅れる条件整備
(3)ケアワ−カーが必要とすること
- 自立して人間らしく仕事をする権利
- 社会的条件の整備
- 専門職としての確立と総合的なネットワーク
- ボランタリズムと専門職
- 情報を得る、情報を提供するシステム
- 社会的職能としての確立
- 「自立と協同」をめざして
(4)「ケアワ−カーユニオン」の必要と共済の確立を
4. 高齢者協同組合運動を自らの課題に
- 高齢者協同組合とは何か
- 何故この運動が必要か−−時代の要請
- 高齢協とケアワ−カーの提携
- 全国の運動の発展から学ぶ
5. 21世紀の始まり−−何が変化するのか
−−公的介護保険を焦点とした福祉の事業運動の展開が社会にもたらすもの
- 女性の社会進出と自立を決定的なものとする
- 高齢者の自立と社会参加の本格化
- 地域での人間の絆の再生
−−新しい人間らしい文化の創造
- 本物の市民組織−協同組織の地域での登場と飛躍
−−市民の多様なネットワークの確立
- 社会的、公共的分野における市民の自主事業があたりまえの社会へ
−分断を超えて働く者、市民自身による仕事が中心に
- 公共性・公益性・公共事業の概念が変わる。
−−市民こそが中心の担い手へ
◆市民の主導性をつくりあげていけるなら、これらを現実化する可能性が存在する。
それは21世紀日本がより良い人間的社会へ向かって一歩を踏み出す事でもある。
【資料】 (a)高齢者保健福祉3原則 (b)新介護システムの理念
高齢者保険福祉3原則
- 人生の継続性
- 自己決定の尊重
- 残存能力の活用
- 個人の自立と尊厳の尊重
- 個人の人生観・価値観の尊重
新介護システムの理念
- 介護サービスの社会化−(家族依存型介護からの決別)
- 選択と自由−(高齢者の自立支援、利用者本位のサ−ビス提供)
- 給付・負担両面での公平・公正(効率的システムの実現)
- 社会連帯の具体化一世代内・世代間連帯としての介護費用保障
- 公的部門の責任と市場経済の活用(競争原理と負の担保)
- 基盤整備とサービス保障の一体的実施
【交流会報告】
〜初めて参加された方の声を中心に〜
総会の終了後、いつものように交流会を行いました。これには約60名が参加されました。
参加者の職業や立場は実に様々で、授産施設への通所者、病院勤務者、学校の教員や事務員、保育所や老人ホームの調理師、管理栄養士、システムエンジニア、自衛官、事務職の会社員、事務職や専門職の公務員、福祉施設の指導員、デザイナー、研究者、学生、家族などでした。
今回の交流会に初めて参加された方は20名以上で、全体の3分の1を占めていました。
以下に、今回、初めて参加された方の声を中心に、視覚障害者17名の方の声を紹介します。
- 東京のSさん(男、授産施設通所者)。「一昨年から、横浜にある視覚障害者を対象とした授産施設に通所しています。タートルの会のことは今年『点字毎日』で知りました。私どもの施設では重度の重複障害を持った人たちの進路をどうしていくかということが大きな問題になっております。先ほどおっしゃっていたような『視覚障害=情報障害=無能力者』というような就職難の実態があります。私どものような施設を基準に考えると、やはり視覚障害者が就労して、社会で生きていくということはどういうことなのか考えさせられてしまいます」
- 静岡のSさん(女、三療・病院勤務)。「整形外科病院で働いていたのですが、昨年6月頃から視力が低下して、歩行も困難になり、今、施設に入所して、復職を目指して生活訓練を受けているところです。きょうは一緒に訓練を受けている仲間に誘われての参加です。東京と地方との福祉のギャップを感じました。帰ったら、今回の体験を福祉関係者などにも知らせたいと思いました」
- 埼玉のKさん。「今は学校の事務をしています。これから自分もだんだんと悪くなるかなと思うと、不安があります」
- 老人病院勤務のZさん(男)。「工夫しながらレントゲン撮影条件の設定なんかをしたり、それ以外にも、厚生省の情報など医療情報を集めています。それには、バンテージで読んだり、クリッピングサービスも利用しています。パソコンの画面を見ようとしてもなかなか見にくいので、バンテージの下に液晶板の薄いディスプレイを置いています。拡大ソフトもありますが、それで拡大しても見えないので、こういうふうに右側に寄ると何とか見えます。95Readerも使っています」など、いろいろと工夫をしながら仕事を続けていることや、老人病院の将来への危惧などについても話されていました。
- 埼玉のNさん(男、自衛官)。「自衛官というのは、いざという時には戦争に参加しなければいけないのですが、今のところ戦争もありませんので、何とか務まっていますが、ただ、夜間の訓練もありますので、厳しいところがあります。病気は網膜色素変性症です。普段は一般の隊員と同じような生活をしていますが、だんだんつらくなってきたなということであります。今後仕事を続けていけるのかどうか案じているところで、苦しいところがあります。こちらの会に参加をさせてもらいながら、何とかやっていきたいと思っております」
- 東京のWさん(男、システムエンジニア)。「まだ、症状がそんなにひどくないので、一般の生活には困りません。仕事はコンピュータソフトをフリーでやっていますが、今のところは大きな問題もありません。ただ、今後症状が進むかも知れないと言われていることもあり、今回初めて参加しました」
- 北海道のOさん(男、公務員)。「2年ほど前に交通事故で失明しました。きょうはみなさんにお会いできることを楽しみにしてきました。タートルの会に入って、心構えができました。これからもいろいろな壁にぶつかることでしょうが、頑張っていきたいと思います」
- 東京のFさん(男、公務員)。「現在の視力は0.05です。会計関係の仕事をしていますので、ミスのないように慎重に仕事をしています。昨年10月、自宅の方にパソコンを買って、みなさんに教わりながらいろいろと試しています。そのなかから、今の仕事に役立ちそうないいものがあれば、職場に入れたいと考えてやっております」
- 和歌山のYさん(男、公務員)。「網膜色素変性症で弱視です。教育委員会総務係に勤務しています。学校の施設の確保、工事関係の仕事をしています。この4月に人事異動がありましたが、私のサポート役の人がいるのは、私にとって朗報です」。
- 埼玉のIさん(男、プログラマー)。「視覚障害者として採用された時はほとんど補助具も要らなかったのですが、だんだん落ちていく視力に、今はほとんど画面も見えなくなり、どうしてよいか分からない状況です。職場の理解も今一つ弱く、自宅に帰ってから、拡大読書器を使って仕事をしなければならない始末です。何とかしなければと思っていますが、みなさんのアドバイスをお願いします」
- 千葉のYさん(男、会社員)。「第3セクターの会社に勤務しています。就職して今年で4年目ですが、就職してから視力が落ちました。それで、仕事ができなくなり、去年は1年間職業訓練を受けておりました。昨年の11月に解雇通告を言い渡されました。それから、タートルの会を知り入会しまして、多大な御支援をいただきました。先月5月21日の午後から会社に行って、それから次の日からテープの聞き取り入力で、それを一応仕事としてやっております。4月から私の給料は10%削減ということになりました。会社の方では、とりあえず1カ月ほどやらせて、それから様子を見るようなことを言っておりました。だから、会社はこの先のことをどういうふうに考えているのか、正直言って私は非常に不安なんです。不安ばっかり抱いていてはどうしようもないので、とにかくこれからはもう毎日、会社では自分の命はきょうまでだという緊迫感を持ちながら、無我夢中で仕事に従事していこうと思っています」
- 東京のEさん(女、元教員)。「小学校の教員をしておりました。現在は生活訓練を受けています。復職は難しいかなという気がしておりますけれども、新しい環境が私を待っております」
- 東京のIさん(女、調理師)。「保育園で給食の調理をしていましたけれど、現在は休職中で、1年間、訓練を受けております。復職を目指してタートルの会のみなさんと相談をしたり、これからもまだどんな感じだか今のところわからないのですが、来年の4月までに何とか戻れたらと思っております」
- 神奈川のOさん(男、施設職員)。「先天性の弱視です。仕事は身体障害者の養護施設で指導員をしております。この会は『点字毎日』等で前から知っていたのですが、自分も視覚障害者として興味があったので、今回参加させていただきました」
- 韓国からの視覚障害留学生Tさん(男)。「韓国のソウルから来ました。今筑波附属盲学校の専攻科理療科2年生です。きょう初めてタートルの会に参加させていただきました。社会と障害者、特に盲人との関係で、タートルの活動をきょう聞いて、とてもいい勉強になりました」
- 東京のMさん(男、大学生)。「現在、大学の4年生です。大学院に進学を考えています。去年、4年生の時、就職活動中に健康診断で引っかかったのです。1年間休学し、今年4年生に復学したところです。タートルの会に初めて来て、みなさんの意見を聞いて、自分も元気が出てきています。これからもお世話になることがあると思います。よろしくお願いします」
- 東京のMさん(女、Mさんの母)。「今年の1月17日に親子ともどもパニックになっていました。どうしていいかわからずにいた時、読売新聞で見て、この会にとりあえず参加しようと思ってまいりましたところ、みなさんに励まされました。『とにかく、息子さんは今もうパニックなのだから、お母さんが元気になって明るくしなきゃだめ』っていうことでした。交流会の後、みなさんと一緒にお酒をいただきながら、これがまたよかったんです。お酒を飲みながら励まされまして、この5カ月の間に私も本当に元気になりました。息子も前向きになってきたところです。おかげで体重もふえまして、きょうもこの後の懇親会で、本当にまた別な楽しいお酒を飲まさせていただこうと思っています」
参加者全員の発言のなかには、厳しい状況に追い込まれているケースもありましたが、復職を果たしてから、新しい職域の拡大に努力しているケースなどもありました。
いずれにせよ、それぞれ一人ひとりの話に対して、自分自身の今の状況やこれまでの体験と重ね合わせて聞き入ることは、実に有意義なことだと思います。
なお、交流会終了後、懇親会がありました。これには、約40名が参加しました。前半の緊張感もほぐれ、暖かい雰囲気に会話も弾みました。
(工藤正一)
親睦旅行の報告
- 日時 平成10年7月5日〜6日
- 場所 御殿場「ホテル時之栖」
- 参加人員 20名(女性4名を含む)
- 地ビール飲み放題の宴会
タートルの会では毎月のように幹事会が開催され、会の運営や会員の相談に対応しています。議論が白熱し2〜3時間は瞬く間に過ぎていきます。まったなしの状況に対応しなければ、明日から職場を追われる会員がひっきりなしに助けを求めて来るのです。
こういった毎日の中で、誰言うともなく「たまには、帰る心配をせずに思い切り話し且つ飲みたい」という発言に、すぐさま皆で反応し、親睦旅行の計画が練られました。
会員の皆さんに案内状が届いたとおり、御殿場に宿をとり30名の予約をしましたが、参加希望者は以外に少なく残念でありました。やはり、月曜に休暇を取ることが難しかったようです。次回は参加者が大勢集まる旅行にしたいと考えております。その節は宜しくご参加下さい。
当日、新宿の小田急線改札口に集合した女性4名を含む20名は、吉永さんがこしらえてくれたタートルの会ワッペンを胸に、意気揚々と沼津行きのロマンスカーに乗り込みました。勿論、車内で飲む冷たいビールをドッサリ買い込んだことは言うまでもありません。
車内での1時間少々は瞬く間に過ぎ、御殿場の駅に到着。前もって頼んでいたホテルからの送迎バスに乗り込み、20分程でホテルに着きました。スポーツ施設を隣接した合宿が可能なホテルで、若者の姿があちこちに見受けられ一種独特の雰囲気が漂う空間に、一同は満足したのであります。
部屋のつくりも和洋混合でベッドと畳での布団もOKです。子供も喜ぶ二段ベッドもあり、大勢の人数での雑魚寝も可能な部屋となっています。5部屋に別れ、6時の夕食まで余裕があるのでお風呂に行くことにしました。
お風呂の種類は露天風呂にジャグジー風呂、そして「浮く」お風呂。なぜ浮くのかというと、塩分が濃く浮力が増すためだそうです。試しに入ると、なるほどバランスを取らないとひっくり返ってショッパイ思いをするはめになる。
さてさて、飲み放題、食べ放題のバイキングレストランはホテルの中庭に別棟であり、地ビールが作られ4種類の違った味が楽しめついつい飲み過ぎたのは誰のせいでしょうか。食べ物もお皿に大盛りで美味しくいただきました。飲んで食べておしゃべりして、おまけにフィリピンの歌姫まで我々のテーブルの側でリクエストに応えてくれて、至福の2時間はアッというまに終了。レストランを出て部屋での続きが真夜中まで・・・。
楽しい旅行ができたのも、持田さんと吉永さん他皆さんのおかげと感謝しつつ初めての親睦旅行の報告を終わります。
(田中 均)
楽しかった居合道の基礎実技
暑気払いの交流会は、8月22日、日本盲人職能開発センターで行われた。
居合道の「無双庵」道場主である大和竜門氏にお出で願い、お話と実技指導を受けた。話は地下の講習室で伺い、実技は屋上で行った。
場の提供者として心配していた天気も曇ってはいたが、残暑厳しい暑い日であった。前半は地下で交流会の形で、会員約40名が講師の竜門氏を囲んで対話した。武道の現代における意義など、氏は自らの考えを率直に語られ、豪放な人柄をうかがわせ、かつ一同に信頼感を与えた。
後半は、各人素振り棒を手に持ち、屋上に上がり、いよいよ居合道の基礎実技を体験することとなる。事前に送られてきた50本の麺棒のような白木の素振り棒が足りなくなるのではないかと思われるほど参加者は増えていた。女性の参加も5、6人はいた。
講師の指導よろしく、みな元気よく「エイ、ヤッ」と気合いと気迫を込めて、天突きの屈伸や打ち込みの実技を始めた。近所の人が驚いて何事が始まったのかと「毎日、これが続くんですか」と問い合わせてきたほどであった。
特に竜門氏の打ち込みを受ける防御の無言の気合いは「ムムッ」という声なき声の激しさが伝わる。竜門氏の素振り棒が3本折れた。
福島県の安達町役場に復職を目指して頑張る久保さんは、竜門氏の打ち込みに最初はたじたじとなっていたが、次第に気迫がこもり見事な受けに入っていった。竜門氏の素振り棒は折れ、「3番目の弟子として入門を許す」と言わせるほどだった。
無双庵には2人の全盲の弟子がいる。
一汗かいた後のビールの美味しかったこと、また格別であった。
(篠島永一)
夢双庵
問合せ先:TEL:03-3290-2041
◇会合日誌◇
- 98/7/5,6 親睦旅行会(御殿場)
- 98/7/27 幹事会(復職問題)
- 98/7/28 二見訴訟第3回公判
於:大阪(和泉会長)
- 98/8/4 幹事会(交流会案内発送)
(復職問題討議)
- 98/8/19 復職問題(デモンストレーション)
於:日本盲人職能開発センター
(和泉会長、松坂幹事、工藤幹事、郡氏)3氏のデモと話し合い
- 98/8/22 交流会(居合道)
講師:大和竜門氏
- 98/9/4 復職支援 於:群馬県庁
(和泉会長、篠島幹事、北林氏)
- 98/9/5 復職支援 於:福島県二本松 (和泉会長、松坂幹事)
◇お知らせ◇
◎98年度連続交流会
- 1998/9/26(土)14:00〜17:00
パソコン通信やインターネットを活用した仕事について、「これからの展望」 話題提供ーー大脇俊隆氏
- 1998/10/17(土)14:00〜17:00
- 1998/11/21(土)14:00〜17:00
『中途失明〜それでも朝はくる〜』のデジタル録音版が完成しました。
問い合わせは都立中央図書館の田中章治さんまで。
電話(03)3442-8451
◇編集後記◇
「タートル」のカセットテープ版があります。ご希望の方は事務局まで連絡ください。聖イグナチオ教会の音訳サービスの方々によるものです。
テキストデータ版は「タートルの会」のホームページから落としてもよし、3.5インチのフロッピーでもよし、いずれでも事務局に問い合わせてください
(篠島 永一)
『タートル』(第11号=総会特別号)1998.9.15.発行
中途視覚障害者の復職を考える会
タートルの会
会 長 和 泉 森 太
〒160-0003 東京都新宿区本塩町 10-3
社会福祉法人 日本盲人職能開発センター
東京ワークショップ内 電話 03-3351-3208 Fax.03-3351-3189
郵便振替口座:00130ー7ー671967
URL=http://www.asahi-net.or.jp/~ae3k-tkgc/turtle/index.html
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