特定非営利活動法人タートル 情報誌
タートル 第9号

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2009年12月19日発行 SSKU 増刊通巻第3343号

目次

【巻頭言】

「ウサギに勝ったカメの明日」

理事 金子 光宏

就任して間もない鳩山首相が、障害者を積極的に雇用しているチョーク製造工場を視察したというニュースを聴いた。それで、この会社の会長である大山氏の講演を思い出した。「幸福とは、人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人に必要とされることです。そのうちの、ほめられること、人の役に立つこと、人に必要とされること、その3つの幸福は、働くことによって得られるのです。」と大山会長は語る。

誰もが幸福になりたいと願っている。だから,働き続けたいと願うことは,幸福を求める営みにほかならない。もしその営みが阻害されるとしたら、それは、東大の福島教授の言葉を借りれば「目に見えない透明な壁に囲まれた刑務所に『無実の罪』で収監された存在」になってしまうことを意味する。つまり、コミュニケーションや移動の自由を奪われ、社会から隔離されてしまうということだ。

私たちは、皆で手を取り合ってこの「透明な壁」から抜け出さなければならない。そのために、いろいろな団体やグループが障害のある方々の支援をしている。その歩みは様々であろう。障害者自立支援法の廃止を求める猛烈な反対運動もあった。その激しい運動の結果、新政権は障害者自立支援法の廃止を明言した。まさに‘虎は千里往って千里還る’の感がある。

一方でタートルの歩みは、一歩ずつ着実にその足跡を残している。カメはトラには及ばないが、「タートルの会」が発足した平成7年から数えれば、その歩みは15年にも及ぶ。そして、振り返れば、確かな道筋が築かれている。その道程を辿って多くの中途視覚障害の仲間が復職を果たし、それぞれの職場で働き続けることができるようになった。

もちろんタートルの活動だけがその道を切り開いたわけではない。以前から地道な運動を進めてきた先人の開拓があればこそ繋がった道筋である。

また、技術革新も大きな後押しになった。その恩恵によって我々は復職を果たすことができるようになったと言っても過言ではないだろう。その恩恵は、タートルの活動にも変化をもたらした。会員が全国に広がり、その仲間の輪が大きくなるにつれて課題となった情報の共有化は、インターネットやメールの普及により解消されつつある。タートルの理事会や交流会においても、スカイプを活用して地方にいながらにして参加することが可能になった。視覚障害のある私たちが音声によって遠隔参加する環境は、さながら円卓を囲むバーチャルな会議室を髣髴とさせる。

しかし、バーチャルな環境は、人の温もりをすべて伝えてくれるわけではない。だからこそ私たちは、人の輪の中にありたいと願う。だからこそ仲間を求める。だからこそ働き続けたいと願う。私たちはお互いの支え合いのなかで生きている。そして、私たちの存在の意味は、それぞれの心の内にある。

先日、仲間が働く姿を映像で観てもらえる就労支援啓発DVDが完成した。皮肉な言い方だが、‘百聞は一見に如かず’である。視覚障害のある人が働いている姿を見てもらうことは、職場の理解に大きく近づく。このDVDを活用できる機会が増えることは、職場復帰や就職に向けた啓発の場が増えることを意味する。どんどん活用したいものだ。

「タートルの会」がNPO法人「タートル」となって3回目の新年を迎える。社会的な責任も重くなった今、我々に求められる新たな使命は何であろうか。ウサギに勝ったカメは、トラに競争を挑むべきなのだろうか。新しい年を迎えるにあたって、改めて考えてみたい。新しい年は寅年である。

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【9月交流会記録(その1)】

「胆識」は、ありがとう!」

理事 堀 康次郎

東京会場、大阪会場の皆さん、こんにちは。 今回のぼくの話のキーワードは「ありがとう」です。今日はパソコンを持ってきました。テキストで箇条書きにした話の内容をカーソルを送りながら、イヤホーンで聞いて発表をします。

8年前の2001年5月、眼科医から「君の眼は治らない。」と言われました。このとき、ぼくは46才、会社ではマネジャー、管理職でした。2年3ヶ月の長期休業に入り、2003年8月に部長のスタッフとして復職、あれから6年が経ちました。

今から、これまでどうしてきたかということと、今、実際にやっていることを話します。眼の見え方は百人百様、千人千様と言われていますが、就労の形態も同様だと思います。ですから、特殊な事例かも知れませんが、ぼくのやっていることとか、考え方が少しでも参考になればとても嬉しいです。

話は3つです。
1. ぼくの履歴書
2. ぼくの1日と読書について
3. 3つの世界、その中の会社
そして、最後に、今、ぼくが大事にしている3箇条について話をします。

1. ぼくの履歴書

1954年(昭和29年)11月、神戸市で生まれました。今話題の本、村上春樹『1Q84』、その主人公の青豆、天吾と全く同じです。そういうこともあり、村上春樹の本をはじめて読みました。村上春樹が神戸生まれ、大学も東京という同じ境遇にも共感を持ち、彼の本をすべて読もうと、今はまっています。

1978年、大阪ガスに入社。2年間の休業期間を含め勤続31年になります。仕事の分野は、出身が土木工学科なので、一貫してガスの供給・輸送分野をやっています。

1984年、まさに村上春樹の1Q84の年に結婚しました。まもなく銀婚式です。

1994年から3年間、東京に出向。虎ノ門にある日本ガス協会で、その当時通産省、現在経済産業省の対応をしました。その間、1995年1月17日に阪神大震災が起こりました。大阪ガスは87万戸のお客さまのガス供給を停止しました。このときは2週間の単位で、大阪と東京を行き来しました。1997年に大阪ガスに帰社。  2000年1月、ぶどう膜炎を発症。ステロイドの経口で治癒しました。翌年2001年に再発。このときはステロイドが効かず、最後の手段として2週間入院、ショック療法のステロイドの点滴を受けました。が、効果無く、主治医から「君の目は、今の医学では治らない。これからは悪くなっていないかを診て行こう。」と言われました。
 

 

そういうことで、ぼくは20世紀は「晴眼者」、21世紀は「視覚障害者」です。 眼の見え方は、両眼とも中心暗転30度程度、50cmで顔全体が、1mで胸から上が見えないという状態です。視力は偏心固視で両眼とも0.05程度、当然文字の読み書きはできませんが、ドーナツ状に見えているので歩行は出来ます。幸いにも8年経ちますが進行はしていません。

当時は、大阪ガス大阪導管部でマネジャーをしていました。部下が50人いる管理職です。資料の読み書きができない、パソコンが使えないということで仕事ができなくなりました。ここから3ヶ月の有給休暇を取りましたがダメで、2年間の休業に入りました。このとき46才。妻、高校生と中学生の子供3人、そしてこの後母とも同居することになりました。

1年目は、口コミの奇跡を信じて、妻と全国を二人三脚でいろんなとこ(怪しいとこもありましたが)を行脚しました。中国の蘇州に気功を受けに行ったこともあります。

2年目、2度の偶然から、障害者手帳を取る事ができ、そして、日本ライトハウスと出会うことができました。タートルとの出会いはこの時期です。日本ライトハウスでは、生活訓練と津田先生にパソコンの厳しい指導を受けました。そこで17才から80才までの元気で明るい見えない人、見えにくい人たち80人たちとの初めての出会いがありました。ぼくの中でまさにパラダイムシフトが起こりました。

2003年8月、現所属に復職。復職へのターニングポイントとなったのは、日本ライトハウスに上司と人事の担当に来てもらった時です。2人の前で、パソコンでメール、ワード、エクセル、パワーポイントなどを実演しました。まさに「百聞は一見に如かず」で、2人とも「眼からウロコが落ちた」という感じで、異口同音に「これなら仕事ができるね。」と言ってくれました。復職は管理職ではなく部長付スタッフとしてで、これまで3人の部長に仕えてきました。

2004年、現在代表を務めている、きんきビジョンサポート(通称・KVS)に出会いました。それ以降、このKVSを中心にNPO活動を続けています。 そして、このNPO活動を通じ、本当にさまざまな方々と出会わせてもらいました。今は、100人を超える人たちと情報交換等の交流を続けています。ぼくの大きな宝物です。

2. ぼくの1日と読書について

まずは、代表的なぼくの1日。 年のせいもありますが、朝は4時に起きます。6時までの2時間はボヤッーとしたり、読書したりです。このボヤッーの時間が大好きで大切にしています。このときにさまざまな気づきやヒラメキがあります。そして、この気づきやヒラメキを、すぐに行動に移せるかどうか、それが非常に大事になります。この後、仏壇と神棚の前で合掌、感謝をし、便所掃除をします。そして、7時30分に家を出ます。片道3km、結構アップダウンがありますが、それを約30分間歩きます。春の桜、夏の深緑、秋の紅葉、冬の雪と結構美しい中を歩くのです。コースも5コースほど設定していて、日によって替えます。もう歩き出して5年になります。帰りも歩くので、大体万歩計は1万5千歩程度になります。そして、駅や会社でも、なるべくエスカレーターを使わず階段を歩くようにしています。

夕方の5時40分に会社は終わります。7時半頃に帰宅、風呂に入り8時から食事です。大体は妻と2人ですが、娘たちが一緒のときもあります。このときは結構賑やかで、いろいろな話を聞かされます。テレビは、ほとんど観ません。観るのは月曜日の水戸黄門と日曜日の笑点やサザエさんぐらいです。去年の「篤姫」はおもろかったですね、すべて観ました。

10時過ぎには寝床に行くようにしています。らくらくホンでその日の行動を整理したり、翌日以降のスケジュールの確認をしたりします。そして本を聴きながらお休みです。睡眠時間は5時間です。これは30年前に入社してから、ずっと5時間、変わりません。これがぼくの代表的な一日です。

つぎは帰りに酒を嗜むときです。昔は同僚や先輩とほとんど毎日酒を飲んで、2次会のスナックはあたりまえ、午前様もしょっちゅうでした。最近は体力の問題もありますが、時間がもったいなくて、外で飲むのは、平均したら週に2日ぐらいです。

そして、土曜日や日曜日などの休日ですが、どちらか1日は家に居るように心がけています。出かけるのはNPO活動のときがほとんどです。家に居るときは、2冊を目標に読書をします。

ここからは、ぼくの読書の話です。 読書については、デイジーまたはOCRソフトでテキスト版にした本を読みます。小説など古い本は多くはデイジーになっていますが、新しい本や、ビジネス関係の本は、デイジー版が無くて、OCRでテキスト版にして読んでいます。本以外には、雑誌として、[ウェッジ」や「世界」、「プレジデント」、「トップテン」などを読みます。それから、もちろん会社の会議資料なども読みます。これらをプレックストークのPPTポケットで聞いています。PPTポケットはテキストを直接聞けるので、我々にとって本当に画期的なツールです。本の多くは勤務地近くの「大阪市立中央図書館」で借ります。あとは、購入するわけですが、3つの形態があります。@自分で購入、A会社の読書サークルで購入、B高め合いネットワークの仲間でのやり取りです。来年1月施行の著作権の大幅な改正により、日本ライトハウスや公共図書館でテキスト版の本の貸し出しが可能になります。本当に楽しみにしています。

さて、読書の量です。週に2冊から3冊、月に10冊から15冊、1年に120冊から150冊の本を乱読します。大体3冊の本を平行して読み進めています。ひとつは現代小説、今は村上春樹にはまっています。ふたつ目は古いものとして、歴史の本や小説です。3つ目はビジネス関連や流行の本や雑誌。この3種類を平行して読んでいます。

最近読んだ本を紹介します。まず村上春樹です。『1Q84』の後は『風の歌を聴け』、『ノルウエーの森』、『ダンス・ダンス・ダンス』、『国境の南、太陽の西』を読みました。共通しているのは「ハッピーエンドの予感」で終わることです。何かしたくなるという感じです。古いものでは、湯川秀樹の30歳までの自伝で『旅人』。河合隼雄の心理学で『無意識の構造』。それから、司馬遼太郎の『坂の上の雲』全8巻を読みました。来年の大河ドラマになるそうで楽しみです。安岡正篤『重職心得箇条を読む』、『統計で嘘をつく法』も読みました。ビジネスや流行関連。『現場力復権』、これは大阪ガスも取り組んでいますが、改善活動や見える化などの活動の本です。石原結(ゆう)實(み)(男性の医者)『食べない健康法』、『病気に強くなる生き方のヒント』。大津秀一(この方も医者です。)『死ぬときに後悔すること25』、千人のターミナルケア、終末医療に関わってきた体験を25にまとめたもので、最後に「ありがとう」と言って死ねることが後悔を残さないことと著しています。

3. 3つの世界、その中の会社

眼が悪くなる前の20世紀は、家庭と会社の2次元の世界、それもほとんどが会社の世界でした。今は家庭と地域、会社、それにNPO活動が加わりました。2次元から3次元に広がって、本当に奥行きが出てきたのかなと思っています。今、よく言われる「ワーク・ライフ・バランス」(WLB)ですね。もちろん世界が広がるということは、人間関係も広がるということで、家庭、地域とか会社以外に視覚障害者になってから、いろいろな人に出会いました。眼科医等の医療従事者、大学の先生や学生、リハビリ関係者、補助具業者の方、支援団体や教育・労働関係の方々などです。もちろん、見えない、見えにくい当事者の方々とその家族という、本当に大きな人間ネットワークも出来ました。素晴らしい、うれしいなと思っています。

ここで、会社の話に入る前に、NPO活動のことに触れておきます。現在、きんきビジョンサポート(KVS)の代表とタートルの理事を務めています。KVSは、「医療とリハビリの架け橋に」を合言葉に、発足して7年目に入るNPOです。見えにくい・見えない当事者と家族、眼科・リハビリ・教育・カウンセラー・補助具等の従事者によりスタッフと顧問を構成しています。この多彩なスタッフがさまざまな情報や出会いとふれあいの場を提供しています。各種講座と誰でも参加 OKのサロン、30・40才代女性や中高年、勤労者などの会を開催するとともに、医療関係者を対象としたロービジョンケア講演会&交流会も行っています。9月で代表を降りて、スタッフに戻り活動を続けます。チャーミングな新代表のもとでの新たな展開を楽しみにしています。

ここから、会社の話。 まず、社会の変化です。@IT技術の進化、Aバリアフリー、ユニバーサルデザインの浸透、BCSRの高揚の3つです。この変化は我々にとって非常に大きな価値を持っています。

つぎに、会社でのツールです。ハードはIBMのノートパソコン、ベスマックスの拡大読書器、プレックストークPPTポケットとらくらくホンを使っています。ソフトは、OS:WindowsXP、音声:XPリーダー、拡大:ZoomText、OCR・らくらくリーダーです。このツールの購入とインストールについては、2度雇用助成金を活用させていただきました。

つぎは、職場で配慮してもらっていることです。パソコンは1人1台で、ペーパーレスですが、音声でうまく読み上げられないイントラネットの部分や事務手続きについては、総務の方やマネジャーに支援をしてもらっています。会議については、ぼくのためというわけではなく、資料はほとんど事前に配付されますので、それを確認して会議に臨みます。会議のときは、「こそあど言葉」、これ、それ、あれ、どれは使わないようにお願いをしています。「日経ビジネス」、「プレジデント」などの雑誌と新聞のコピーが回覧で回ってきます。部長が付箋を貼ってくれた箇所を拡大読書器で読んでいます。

大阪ガスと職場について話します。 オール電化による侵攻がすごいです。ガス離れが進んでいます。それから、LNG、原料の価格が高騰するとか、価格が不安定という状況です。創業103年になりますが、本当に1番厳しい時代に入ったと言われています。変革であるとか、新しい発想が今本当に求められています。

ぼくの職場は大阪導管部です。大阪市内150万戸のお客さまにガスを供給するためのパイプラインの建設、維持管理する現場部署です。社員と嘱託で222人の組織で、トップは部長、6つのチームに6人のマネジャーがいます。今の部長は3人目で4才年下です。

だいぶ前ですが、部長は朝礼のとき「感謝」について話されました。とても感動したので、その部分を引用します。
「『ありがとう』の言葉は、人と人のコミュニケーションの潤滑油であり、人を幸せにする、本当に魔法の言葉だと思っています。どうぞ、たくさん感謝することで、本当に幸せがやって来るか皆さんもトライしてみて下さい。」
ぼくは、この言葉を聞いたとき、この人はすごいなと思いました。年齢に関係なく、敬意を持ちました。そして、この部長のためにぼくが出来ることは何か、ということをずっと考え続けています。

ぼくは部長付のスタッフですが、部長の夢に近づく、そして実現するためのフォロワーだと思っています。今、フォロワーがぼくの職場での輝ける場所です。フォロワーとは参謀のようなもので、貢献力といい意味での批判力、この2つの力のバランスをどうとるかが大事です。貢献力というのは、与えられた役割を受け入れることで、批判力というのは、自分で考えて発信する力です。

具体的に何をやっているか、3つを紹介します。マネジャー会議関連、情報の配信、そして、新しい活動の企画と運営です。

マネジャー会議は週に1回あり、大阪導管部の最高決議機関です。各々の議事に関して発言もしますが、終了後、マネジャー会議への雑感として、部長やマネジャーにぼくの率直な想いも伝えています。また、より効率的に、より深い議論ができる会議のあり方について、メンバー特に事務局にかなりキツイことを言い続けています。部長のぼくへの期待ですが、ウチからだけでなくソトからの目で見て、大阪ガスの良いところを賞賛し変えるべきところを批判するということだと感じています。

つぎは情報の配信です。情報源は、読書やラジオ、テレビからのものと人間ネットワークによるものです。この情報がだれに有効かを考え、はっきり区別して配信しています。

3つ目は新しい活動の企画と運営です。ここでは4つの事例を紹介します。まず、タートルに関係することとしてコーチングがあります。何年か前、名古屋での交流会で近藤さんからコーチングの紹介がありました。そのときの部長が職場の活性化のために何かしたいねということで、すぐに名古屋の近藤さんに会いに行きアドバイスをいただき、部長と3日間の研修を受け、グループコーチングを導入しました。それから質問会議があります。人間ネットワークからの紹介でアクティブ・ラーニングを受講し、導入したものです。意見はなしで質問だけになると、結構本質的で深い議論ができるのです。つぎは「ありがとうカード」。先程、部長のありがとうの話をしましたが、うれしかったことは、ありがとうカードをお互いにやりあい、掲示する仕組みです。読んだ本の中にザ・リッツ・カールトンのファーストクラスカードの話があり、総務の若手の担当と一緒に、実際にリッツを訪問し話を聞かせてもらい、それを基に運営しています。

最後の事例は読書サークルです。この5月からはじめました。本が好きな人がたくさんいるので、月2回、仕事が終わってから1時間集まり、読んだ本について質問会議形式で内容を深めている課外活動です。終了後は懇親会です。読みたい本があれば会社で購入してもらいます。そして、「ありがとう文庫」として蔵書しています。

以上で3つの話は終わりです。ここからは、今、ぼくが大事にしている3箇条について話をします。 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」、前々社長がしばしば話された言葉です。歴史とは他人の経験であり、人や本との出会いはその歴史を知ることです。

その1、「達者でぽっくり 酒は毎日飲まなければならない」。ホリスティック医療で著名な帯津良一著『達者でポックリ』の中に、帯津式達者でポックリの12カ条というのがあります。その5番目で、酒をたしなむ、酒は体に良い、お酒が好きな人は、体に良いから毎日適量飲まなければならないと。これを見たときに、ぼくは感動しました。すぐに妻にこれを見せて、こう書いてあるから毎日飲むぞと宣言しました。いいとこ取りはダメなので、他の11個も見てみたら、9個はできているなぁと思いました。酒の飲み方は、楽しくなければダメです。夢を語り、よい意味の批判の場であってほしいですね。酒を飲み続けて健康であるためにはどうしたらいいか?最近出会った本がさきほど出てきた『食べない健康法』です。6000年前のエジプトの碑文に「人は、食べる量の4分の1で生きている。ほかの4分の3は医者の糧になっている」と書かれています。要は、最近の我々中高年は食べ過ぎということで、この9月6日から著者の提唱する1日1食をはじめました。この1食は何を食べても、何を飲んでもいいのです。

その2、「高め合いネットワークを持とう!」。竹中平蔵著『竹中式マトリクス勉強法』にエクスクルッシブ(exclusive)という英語が出てきます。エクスクルッシブは一般には排除するという意味ですが、エクスクルッシブ・クラブと言えば、会員制クラブを表し、あなたを特別に優遇していますよ、というそんなニュアンスで、ここではいい意味での排他性という意味で使われています。我々の時間には限りがある、時間の使い方は自分で決めましょう。何の示唆も与えてくれない人や「なかよしクラブ」とはおさらばして、そろそろいい意味での排他性を発揮してもいいのではないかと書かれています。そのためには高め合いネットワークを持ちましょうということです。帯津式の達者でポックリの12カ条の12番目でも「良い場に身を置く、いい人たちと交流する、生命のエネルギーに満ち溢れた人に会う」とあります。しかし、ネットワークと言いながらどんなメンバーがいいかというのはなかなかむずかしい。例えば、映画『七人の侍』や『荒野の七人』があります。年齢はバラバラでできることもバラバラ、それぞれが違う、そういう人達が集まって何かの志のもとに動く。まさに、これはかなり理想に近いかなと思いますが、ぼくの場合は、さらに、女性に入ってもらうのです。現在、いくつかの高め合いネットワークを持っています。もちろん懇親会付きですが。

 その3、「Win-Winでいこう!」。これは、有名なビジネス書、スティーブン・R・コヴィー著『7つの習慣』の中の第4の習慣がこのWin-Winです。対極にゼロサム(zero-sum)があります。マージャンのように100負ける人がいれば100勝つ人がいる、足してゼロになる、勝者がいれば、必ず敗者も存在するということです。Win-Winはそうではなくて、お互いが喜び成長するということです。共生、共存共栄、ギブアンドテイクに近いかな。さきほど、ぼくはフォロワーと言いました。吉田典生著『上司を動かすフォロワーシップ』のサブタイトルが「組織と個人がWin-Winになる」なのです。フォロワーとは参謀とか補佐役とか番頭という感じですが、参謀といえばかなり高い立場のように思いますが、ここでのフォロワーは、そうではなく、主任を補佐する若手であったり、係長と一緒に働く主任とか、そういう目の前の上司や同僚に対するフォロワーでいいのです。そして、リーダーがフォロワーを育て、フォロワーがリーダーを育てるのです。
 

安岡正篤著『重職心得箇条を読む』の中に「知識、見識、胆識」が出てきます「知識」は経験、「見識」は判断力と批判力と書かれています。ここでも批判力がでてきます。そして、「胆識」については何も書かれていません。ぼくは、「胆識」とは「ありがとうの心」ではないかと思っているのですが・・・。

これまでに出会った人たちや本に感謝いたします。そして、これから、どんな人たちや本に出会うか、本当に楽しみです。 ありがとうございました。

追記
・『坂の上の雲』は来年の大河ドラマではなく、この秋からの特別番組だそうです。
・『食べない健康法』ですが、まもなく3ヶ月になろうとしています。体重66kg→62kgに、腹囲87cm→78cmになりました。先日の健康診断では、眼と右耳(メニエールの診断で以前から高音域が聞きづらい)以外は血液検査をはじめパーフェクトでした。そして、疲れにくく、翌日に酒が残らなくなりました。本の内容をしっかり理解して、ぜひ、トライしてください。

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【9月交流会記録(その2)】

東京と大阪をスカイプで結んで

理事 大脇 俊隆

今期の連続交流会は、視覚障害者の復職、再就職、就労継続についてともに考え、障害者として生き抜くヒントを出し合うというコンセプトです。

そして、今期から新しい取り組みとしまして、例年東京のみにて開催している連続交流会に併せて、「スカイプ」を活用し、今回初めて大阪でも同時開催することができました。 インターネット通信ソフトの「スカイプ」を使用することにより、距離の壁を越えて東京と大阪で同時に交流を図ることができました。このことは、今までにない試みにて素晴らしいことだと思います。 今後の連続交流会が、各エリアにいらっしゃるお一人お一人の会員の皆様にとりましても、「スカイプ」の活用で、距離の壁を越えて、身近に感じる交流会になっていくことが、間違いないということは、言うまでもないことだと思います。

9月は、「仕事の事例紹介、社内で役立つ仕事と視覚障害でもできること」というテーマで講師の「堀 康次郎」氏に、「スカイプ」を活用して大阪から話をしていただきました。 また、今期は、「決して一人じゃあない」という観点から大阪と東京の各会場でグループディスカッションを実施しました。
テーマA 「職場の人間関係について考える。」
テーマB 「仕事に有効なスキルやツールについて考える。」
テーマC 「仕事や日常生活の工夫や知恵について考える。」
 大阪では、グループ分けせずに、参加者全員にてグループディスカッションを行いました。 参加者数は、大阪が34名、東京が56名の合計90名となりました。

今期の新しい試みとしまして、「スカイプ」を活用することによって、今後、タートル連続交流会の各エリアへ向けての活動の場が間違いなく拡大していくと思います。そして、視覚障害者の就労問題に特化したタートルの活動において、重要視している初期相談の機会の場を各エリアにおいても提供できるということも今回の交流会にて痛感しました。 また、タートルに関心はあるものの東京までは出向くことが困難な視覚障害者にとりましても、安全の確保と経済的な負担の軽減ができるということが分かりました。

これからの課題としまして、北海道から九州までどの地域においても対応できるよう環境整備を進めるために、各エリアに向けて晴眼者も含めたスタッフの拡充と安定したインターネット通信環境の確保が急務だということを確信しました。

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【10月交流会記録(その1)】

「職場復帰とその後」

会員(熊本市) 甲斐 幸二

私は、熊本にあります公益法人に勤務する甲斐と申します。 まさか、私がこのような機会に、大勢の方を目の前にして話すとは、思ってもいませんでした。それは、私が、人前で話すことが大の苦手だからです。脈絡のない話に終始することをまずもってお詫びし、御了解いただきたいと思います。

さて、私の病名は、視神経萎縮症です。中心視野が欠損し、周囲視野にわずかに視力が残っており、そのわずかな視力で、至近距離の人や物の輪郭が、ぼんやりと分かるだけです。遠くは、全く判然としません。人間誰しも長所と短所があるもので、私にとって唯一自慢できるものが、1.5あった視力でした。本当に視力だけは自慢でした。

それが、8年前の平成13年47歳の春、突然急激な視力低下に襲われ、その状況を受け入れることができずに、茫然自失になりました。両親は、私以上に驚き落胆しました。この日から、目の病気に御利益があるという神社やお寺を訪ね回る日が、1か月程続いたのですが、元来信仰心の薄い私に、御利益を期待すべくもありません。

このような状況で妻は冷静に判断し、一刻も早く病院に入院して、治療することを勧めました。病院では、ステロイド剤の投薬が、約1か月続きましたが、回復の兆候は全く見られませんでした。わずかな望みを捨てずに病と闘うためと、見舞客に弱みを見せないために、「今はピットインしているだけ、必ず職場復帰する。」と言ってきました。

このとき、眼科治療と同時に神経内科をも受診していたので、その先生が、高橋先生のローヴィジョンケアを紹介してくれたのです。これが、高橋先生との出会いのきっかけであり、職場復帰の大きな足掛かりとなりました。

ついに、ステロイド治療の効果なく退院し、高橋先生を訪ねると、これまでの経緯や現状を聞かれました。このあと、ローヴィジョンケアの詳細な説明があり、今後の方向性を明確に示していただいたので、早速当院に入院しました。私は、職場復帰に向けて、新たな希望を抱きました。

入院後、高橋先生は、私の目を綿密に検査し、どの部分に視野と視力が残っていて、文字の判読が可能かを教えられたのです。そして、拡大読書器で、半年ぶりに文字を読む体感をしたことは、感無量の喜びであり、職場復帰が、「希望」から「確信」へと変わっていくのを覚えました。

やがて、職場復帰をするには正式な訓練が必要と、高橋先生の助言があり、熊本で基礎訓練を受け、さらに大阪の日本ライトハウスで、本格的な訓練を受けました。そこでは、津田先生の特訓を受け、音声によるワードやエクセルのパソコン操作が、どうにかできるようになりました。この特訓こそが、職場復帰の礎となりました。

大阪での訓練を終え、不安を抱きながらも熊本に帰り、私に同行された津田先生が、当時の事務局長と総務課長に対して、これまでの訓練によって職務遂行は可能であると、熱心に説明して下さり、また私は、職場復帰の強い意思を伝えました。

すると、彼らは十分な検討もせず、分限の規定を盾に、「原状回復していない状況での職場復帰は無理で、ましてや白杖をついての出張はやれない。」と言明しました。同じ職員でありながら、あたかも使用者のような強い口調は、取りも直さず、私のような重度障害者が、健常者と同様に就労するなんて、思い上がるなといわんばかりでした。1年近くに及んだ訓練と熱い思いは、まさに頭から冷や水を浴びせられたようでした。

一方、私が発症時に在籍していたところの会長に、帰熊の挨拶に行き、大阪での訓練の経過と、事務局長や総務課長とのやり取りを話したところ、「ここでは職員が少ないので、甲斐君もいづらいだろうけど、異動したところでは職員が多いので、皆で甲斐君をカバーしていけるはずだ。とんでもないことだ。どうしても異動先で復職させないなら、またうちの事務所で面倒を見るから心配するな。」とまで言っていただきました。涙があふれて止まりませんでした。

また、高橋先生もこのことを聞いて、総務課長に電話をかけられ、烈火のごとく叱責されました。それに、周囲の様々な方が、当時の県知事との人脈を通して、私の職場復帰が叶うよう、働きかけて下さいました。というのも、私の職場の人件費と事業費は、県からの補助金であり、また当時の知事は、自ら福祉事業を実践されていた方でした。高橋先生をはじめ、様々な方に助けていただいたお陰で、首の皮一枚つながっていた私の職場復帰は、望みが叶って終止符が打たれました。

しかし、職場復帰が叶ったとはいえ、今後1年間の業務遂行に、堪え得るかという条件付でした。しかも、このことを明記した念書を差し出したので、いままで応援していただいた方々のことを思うと、絶対に署名押印できるものではなく拒絶しました。このような雰囲気での職場復帰は、針のむしろに座っているようなものでしたが、これに負けないように毎日が自分との闘いでした。

復職後まもなく歓送迎会がありましたが、事務局長のグループ数名を除くと、ほかの人は皆優しく迎えてくれました。業務中や休憩時でも、私が困っているとみるやすぐに手を貸してくれました。

復職後最初は、広域振興課という部署でした。経営環境が厳しくなり、資金繰りの悪化や、資金調達が困難となった事業所の対応に当たるものです。倒産寸前の経営状況の打開策を講じるため、中小企業診断士を同行してヒアリングを行うものです。私の場合、大まかな実態をあぶり出し、現場での作業を迅速かつ的確に進めるため、事前に決算書や借入金返済表等を取り寄せ、経営分析を行うようにしています。

ある日、このような相談案件があったので、白杖を携えバスでその現場に行き、仕事を終え無事事務所に戻って来ました。ある意味で、私の復職を拒んだ者たちの期待を裏切り、鼻を明かしたようで実に痛快極まりない気分でした。ですが、この課での仕事らしいものは、3か月でこの案件だけでした。

いろいろな部署での対応状況を見るということで、3か月後に指導課に移りましたが、ここではたまにエクセルを使って集計をするだけでした。広域振興課と指導課の課長は、事務局長や総務課長と同じグループの人間であり、私を常に懐疑的に見ていたので、1日中全く指示のない日が殆どでした。いわゆる飼い殺し状態でした。

そして、復職を拒んだこじつけの理由として、私が電話等の質問に即答できなかった場合、相手から信頼を無くして、自信を喪失し疎外感を味わうだけだということでした。当然質問に即答できないこともありますが、調べたうえ折り返し回答することで、何ら問題がありませんでした。

指導課も3か月が過ぎ業務情報課に移ったとき、いかなる力が働いたのか事務局長の異動があり、これを機に私の職務環境が様変わりし、少々責任の伴う仕事も任されるようになったのです。

この課では、共済の貸付け制度のシステムを変更することになり、幾日も関係する金融機関に赴き、交渉を重ねました。当然外出先では拡大読書器がないので、交渉に際しての資料を拡大読書器で読み、十分頭に叩き込んでおかなければなりません。この業務情報課を最後に、職場内ジプシーは終わりました。

そして、業務情報課での3年半が過ぎ、平成19年4月から現在の人事課に配属されました。紆余曲折の中でやっと自分の職場復帰を果たした者が、職員採用や分限に関係するとは、考えてもいませんでした。人事課の課長は、以前勤務していたところで、常に相談のうえ仕事を進め協力しあった人で、気心の知れた仲だと思っています。日頃から私のことを気遣っていてくれます。

ところで、平成の大合併により熊本も行政合併が進み、これに伴い私の働く組織の合併も進みました。合併は、業務が広範多岐にわたり職員の心身の負担が増え、ここ数年これに堪えることのできない職員の中途退職が、目立ってきています。中途退職しないまでも、精神的な疲労の蓄積から鬱になり、自分を見失って長期入院する者もいます。こうなると、残った職員の業務量が増え、負の連鎖を起こす結果となっています。

昔の中国に孫子という兵法家がいて、「巧遅は拙速に如かず。」という言葉を残しておりますが、つまり、「物事をするのが上手でも遅いのは、下手でも速いのには及ばない。」ということですね。果たしてそうでしょうか。現代は、ある程度スピードと結果を求められても止むを得ませんが、そこは、人間性を軽視した効率主義とか成果主義が、跋扈している社会です。職場や社会で人間関係が希薄になり、もう少しゆとりがあり思いやりのある社会にしていかなければ、心を病む人はあとを絶ちません。

私には、30年来の気の置けない友人がいます。目の病気が発症したときから、私の途切れかける心を支えてくれています。この友人とはよく酒を酌み交わす仲で、何でも本音を言える有難い間柄だと思っています。このように、多くを語らずとも私の心を斟酌し、支えてくれる友人のいる私は、十二分に幸せ者だと思っています。

最後になりましたが、病気になる前は、自分の存在は、自分の力によってあるものだと思い上がっていました。それは、とんでもない間違いで、常に周りの皆に支えられ生かされていることが、はっきりと分かりました。そして、中途視覚障害者が就労することは、生活手段のため当然のことですが、身近に社会参画できる職場を通して自己実現を図り、今後の人生を自らの足でしっかりと歩んでいくためにも、とっても 重要なことだと思います。

拙い話を最後まで御清聴いただきありがとうございました。

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【10月交流会記録(その2)】

「音声ソフトのスキルアップ」

会員(宗像市) 野 昭男

私は、正常眼圧緑内障で中心視野が欠けていますので、文字の識別が困難です。そこで、拡大読書器を職場に持ち込んで周辺視野で読んでいます。

ところで、緑内障を発症して、眼科に通って投薬治療を続けていましたが、だんだんと見えにくくなってきました。数年前には「もう、だめだ」と感じ、上司に退職の意思を伝えました。辞表を書くように勧められた時に、偶然に柳川リハビリテーション病院の高橋先生を知り、診断を受けました。そこで、「視覚障害者でも働いている人がいる。辞めたらだめだ。」と言われ、先ほど講演された甲斐さんの職場復帰までのビデオテープを渡されました。それを見て、復帰を決めました。人事課との交渉は、高橋先生や厚生労働省の工藤さんのおかげで、休職して6ヶ月の日本ライトハウスでの生活訓練をすることができました。その中でもパソコンを用いた音声ソフト訓練は、その後の職場復帰にたいへん役立ちました。ワード、エクセルを主として訓練をしました。その時の音声ソフトはXPリーダーでした。訓練終了間際にジョーズを用いてアクセスの訓練をうけました。今考えると、ジョーズの訓練をしたことが役立っています。職場復帰する時にも、高橋先生やいろいろな方の援助ですることができました。

音声パソコンのスキルアップですが、ほとんど「ヘルプ機能」で勉強しました。ショートカットキーも少しずつ覚えています。しかし、なかなか上達しません。

復帰後はこれまでのような水質分析はできませんので、サーバーに蓄えられた水質データを抽出、検索できるようにアクセスやエクセルプログラムに挑戦しています。どうしても、見えていたときの自分と比較してしまいますが「あせらずゆっくりすればいい」と言い聞かせて仕事をしています。定年まで1年半ですが頑張って働こうと思っています。退職後は、音声ソフトを教えたいので、これからもパソコンのスキルアップに努めたいと思っています。

発表の時に言い忘れましたが、職場復帰をしようとする場合は、生活訓練は必要だと思います。1人で外出したり、りんごの皮を剥くことができたりと、自分に自信がもてます。職場に1人で安全に行けることから始まると考えています。

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【10月交流会記録(その3)】

「自分で復職前後に出来ることは?」

運営委員 藤田 善久

私は株式会社熊谷組に勤めております藤田善久と申します。 体験発表のテーマであります「職場復帰とその後」ということで、「自分で復職前後に出来ることは」という小テーマにて発表いたします。

1つ目は、復職前の訓練期間中においては、訓練内容をプレックストークなどに録音し、操作手順を全てエクセルデータにまとめることです。 まとめる理由につきましては、簡単です。自分は、プレックストークで繰り返し聞いても、覚えることが出来ないので、確実に覚える方法は「文字を入力することだ」と思ったからです。また、まとめておけば、訓練期間中と復職後において、見直しが出来ると思ったからです。

2つ目は、毎日の訓練内容の復習と合わせて、訓練休日に課題ごとの訓練内容を一通りおこなうことです。

3つ目は、社内担当者に、訓練の進捗状況を毎月報告することです。 これは、休職中における職員の報告義務ですが、それ以上の理由として、社内担当者に対して、どの程度のスキルを習得しているのかをアピールするためです。

4つ目は、訓練期間中において、社内担当者から復職後の業務になると思われるデータをいただくことです。 これは、復職後において音声リーダーの特性を知りえる職員がいないため、業務習得に時間がかかるため、事前におこなえる有効な訓練手段の1つです。

5つ目は、社内担当者に、会社内の環境訓練を許可していただき、自宅からの通勤経路を含めた一連性の最終訓練をおこなうことです。 これは、1番重要である「社内担当者ならびに職員に対して、無事に通勤が出来るな」と安心していただくためです。

訓練期間中におきましては、訓練の習得も大切なのですが、必ず復職するという意識とともに、社内担当者とのコミュニケーションが必須であると思います。

復職後におけるエクセル業務では、いただいた仕事のデータを認識するとともに、データに関数を入力し、自分が利用しやすいように修正することです。
インターネットエクスプローラーでの業務では、社内ホームページやメール画面の画面構成を認識し、どのような操作が適しているのかを見極めることです。
また、エクセルのマクロボタンやインターネットのリンクボタンにつきましては、ジョーズスクリプトを作成し、各ボタンへのショートカットを作成することです。

皆様、ご拝聴有難うございました。

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【お知らせ】

タートルの会員の方で、新たにメールでの会報配信を希望される方は、下記のNPOタートル窓口までお申込みください。
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【編集後記】

今号には9月と10月の交流会記録を掲載しました。なお、都合により、10月の高橋先生のご講演記録は次号に掲載させていただくこととなりましたのでお知らせいたします。
また、情報誌「タートル」はメールでも配信しています。会員の方でメール配信をご希望の方は事務局までお知らせください。
さて、私も転職して早いもので3年になります。ゆく年くる年、職を得ていることに感謝しつつ新年を迎えたいと思います。皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

(理事 杉田 ひとみ)

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