特定非営利活動法人タートル 情報誌
タートル 第5号

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2008年12月16日発行 SSKU 増刊通巻第2999号

目次

【巻頭言】

「大切な一人一人の体験」

理事 新井 愛一郎

私は、タートルが任意団体として発足して以来活動に参加しています。そして、それ以前から、視覚障害者の団体に参加していました。もちろん、団体によって、課題や、活動の仕方など違うわけですが、私の中には、一つのつながりがあります。それは、「一人ぽっちの、孤立する視覚障害者をなくしたい」ということです。そして、私たち当事者の体験を、ぜひとも、多くの方と共有していきたいということです。

私たちは、見え方も、置かれた状態も一人一人違います。違って当然かも知れません。でも、一人一人の体験したことは、きっとほかの多くの方の、これからの生きていくための、大切なものになることは事実だと思います。ですから、参加している一人一人の体験をつなぎ合わせていくことは、本当に大切なことだと思います。

私は、以前、タートルの会で、交流会の担当をしていました。交流会の報告も、担当しましたが、なるべく体験談を、そのまま会報に掲載することに努力しました。生きた体験談は、一言も漏らさず、多くの方に伝えていきたいということです。うれしいことに、その思いは、今も継続して、実践されています。

今、こうしている瞬間も、情報がなく、どうしようかと、孤立している視覚障害者が居るのではないでしょうか。私はそう思う時に、私の周りの、Aさん、Bさん、そしてたくさんの、タートルの人たちを思い浮かべます。みんな、大変な状況もあるでしょうけど、みんな明るくやっているじゃないか。大酒飲みもいるし、みんな放り出して海に行く人もいるし、もぐったり、走ったり、楽しくスポーツもしている。ぜひ、こんな人たちがいることを、知ってほしい。話してほしい、と思うんです。なんとか、私の周りのそんな仲間たちと、関わりを持ってほしいと思うんです。

また、タートルに参加している皆さんは、自分の体験を、ぜひ、役立てていきたいと考えている方が多いと思います。その思いこそが、タートルの力なんだと思います。その意味では、みんなが主役です。そうです。私には、もうひとつ、活動の在り方について考えがあります。それは、みんなが主役。そんな活動を継続していきたいということです。そして、そんな団体が、つながっていくことにより、情報がなく、孤立して、悩んでいる視覚障害者をなくしたいということです。

目次へ戻る

【9月 交流会記録(その1)】

「IT 技術のスキルアップテクニック」

株式会社ラビット 代表取締役社長 荒川 明宏氏

「株式会社ラビット」の荒川明宏です。 よろしくお願いします。私のつたない話で申し訳ありませんが何かの参考になればと思います。それではいろいろ話しをしてまいりますが、弊社はどんな事を実際やっているのか、私自身も一般企業で働いていたことがありますので、その辺を最初に簡単に説明して実際のスキル習得方法や事例などを紹介していきたいと思います。

私は現在全盲で小学校3年の時に眼が見えなくなりました。それまでは弱視でした。一般の小学校に通いながら夜は盲学校の寮で寝泊まりしていました。栃木盲学校を高校まで出ました。その当時はコンピューターはなかったのですが数学が非常に好きな変わった子供でした。その後は按摩・マッサージの勉強が嫌でコンピューターの方に進みました。プログラマーになりたいと思って昭和60年に日本ライトハウスで生活訓練を受け、情報処理科を出ました。そして「リコーロジスティクス」というカメラとかコピー機の物流関係の会社に入社しました。従業員数が千人以上の会社でした。

そこの電算室でプログラマー・SE として4年間仕事をしたのですが、自分の中では「僕にはもっとすごい仕事ができるはずだ。」と、現状に納得できずにその会社を辞めて、皆さんもご存じだと思いますが「アメディア」という会社に入り、ヨメールとかのソフトの開発を中心にやってきました。その後、1999年3月に「ラビット」という会社を設立しました。そのころはソフト開発にちょっと飽きがきたことと、全盲でWindows のソフト開発をするのが身体的にも限界を感じてきていました。これまで培ってきたプログラマーやSEの経験をユーザーサイドの視点で役に立てられないだろうかと思い、自分で会社を設立しました。

それでは弊社がどういう会社かをお話しします。主にソフト販売をしているのですが、それに加えてサポートとか教材作成に力を入れようということでやっております。現在従業員が視覚障害者4名と健常者2名の6名で仕事をしています。見えない人には働きやすい職場です。お客様をお迎えに行くのに見える人がいない時もありまして、私がお迎えに行ったりすることもあります。ソフトやフレックストークのような機器の販売、Word やExcel の教材作成、個人指導、あとはカセットライブラリーシリーズといって先生が生徒に教えるというシナリオで教材を作り、それらを販売しています。

これまで10年間やってきて、ラビットでは就労についてどのようなサポートをしてきたかというと、いろいろなケースがあります。1番目は、Word とかの検定を受けたいので問題集に沿って個別に教えてほしい、結構難しいことをやるみたいです。これは試験に合格するという目標があります。最終的にはそれが就労に結びついているはずです。

2番目が、仕事の支援というのでしょうか。例えば、あるExcel ファイルを仕事でどうしても使わなくてはいけない。ところがそのお客様のスキルでは使えないのでどうしよう。そういった個別の案件です。実際のExcel ファイルをもとに見える人と組になって、どういうふうにキーボード操作をすればよいか。またはちょっとしたショートカットを作りながら、いかに効率よく仕事をしていくかを共に考えていく。 こういう視点でのサポートです。

3番目として、一般的なWord やExcel、インターネット等の指導です。

そして最後は、やはり一般企業で働いていて、周りにコンピューターがわかる人がいても、視覚障害者のコンピューター環境のことはなかなかわかってもらえないものです。例えば、Excel でフィルタをかけるにはキーボードでどうしたらいいのか、今すぐ解決したいなどと言ってきます。こういうテーマは電話でサポートしてすぐに解決できます。

大体この4つぐらいに分類できますが、何々の操作がわからないから今解決してほしいといったことが一番多い依頼内容となっています。ところが最近よくあるのですが、例えばVB であるとか、Excel のビジュアルベーシックのマクロとか専門的なことも教えてもらえないかといったような問い合わせがあります。

これはどうしているかというと、お断りしているというのが実情です。なぜかというと、教えるためには、当たり前ですがそれができるから教えられるというわけではなくて、教えられるだけのかなり高いスキルを持っている必要があります。パワーポイント、アクセスぐらいまでならいいのですが、それ以上の内容というのは視覚障害の方から勉強したいという要望があっても、残念ながら希望に沿ってあげられないのが実情です。

次に実際に就労しながらのスキルアップについてお話しします。スキルアップには大きく分けて2つあると思います。1つは自分が知らない新しいことを一から勉強していくことです。これは、なかなかちょっとやそっとでは成り立つものではないのです。例えばWord やExcel などを全く知らない人が、一体どのようにして勉強していったらいいの、といったいわゆる知識の習得です。それとある程度できるのだけど、ちょっとこの部分がわからないといった、自分の知識に上積みをしていくという、この2つに分かれるのではないかと思います。

前者のゼロから覚えていく、これが一番大変なことなのですが、私が会社をやっていて、就労において関わっていくというケースはほとんどないのが実情です。それはなぜかというと、皆さんは就職する段階で職能開発センターやリハビリテーションセンターなどで、ある程度訓練を受けてきているからだと思います。逆にゼロから教えるというケースは、仕事とは関係なくこれから家庭でパソコンを使っていくというケースがほとんどです。

スキルアップしていく上で重要なことは、手順良くきちんと教わっていくということだと思います。例えば初めてパワーポイントを教わるときに、やたらに、例えばA さん、B さん、C さんにパワーポイントの使い方を教わったとします。このような教わり方をすると、絶対に使えなくなってしまいます。同じパワーポイントの操作でも、人によってどのような手順を踏んでやっていくかというのは違うわけです。本人としては一生懸命スキルアップしたい、勉強したいと思っているのですが、混乱してどうも違うということになってしまいます。

企業で働きながらスキルアップしていく、特に初めて取り組むものについては、じっくり腰を据えてやっていくことです。その教わった先生が仮にあまり良い先生ではなかったとしても、その人と心中するぐらいのつもりでやっていかないと、一つのことは身にならないかなと、そういうふうに思っています。現在ある程度の知識を持っていて、さらに新しいことを上積みしていくというのは土台があるわけですから、うまく自分で吸収していけると思うのです。こういうことも踏まえて一人の人に教わった方が定型的に覚えられるというわけです。

次に、仕事をしているとなかなかスキルアップというのはできません。夜間とか土日をどのように活かしていくかという話になるのです。弊社では今までは土日もやっていましたが、最近は日曜日だけ休みにしています。私が会社を作った一番の目的として、「視覚障害者もコンピューターを使えるようにしよう。仕事でもプライベートでも自立するためにコンピューターを使っていくんだ」ということがあります。ところが、日曜日あるいは1ヵ月間で週4 回、集中的に教えて欲しいという要望に対応できるかというと、残念ながらできないのが実情です。本来、そういうことはものすごく大切なことだとは思うのですが、先程も申し上げたように、弊社は少人数でやっていますので、それに対応しようとすると労働基準法に違反してしまいます。

よく、Excel とかWord を短期間に習得するにはどうしたらいいんですかと聞かれるのですが、これはひとえにご自身の努力しかありません。弊社ではWord またはExcel、他の分野のものについても個別の教材を制作販売しています。その教材に沿って勉強していただければ、ある程度のWord、Excel の技術は身に着くはずです。仕事をしながら通う時間もないから自己学習をしたいという方には、そういったものを使っていただいています。また、今後のテーマでもあるのですが、簡単な通信教育的なこととか、課題に沿って勉強をしていただいて、テストをやりつつ自己学習のサポートをしていくというのが理想ではあるのです。ゆくゆくはやらなくてはいけないと思っているところです。

スキルアップするためのテクニックとしては「目標を持つこと」、これがまず一つ大切だと思うのです。特にゼロから始めることに対しては何を勉強していきたいのかです。人間というのはどうしても忘れます。その学習していることを使わなければすぐに忘れます。ですから、いかに仕事で使っていくかです。逆に実際に仕事では役立つ場がないということであれば、それを日常生活の中でいかに使っていくかということをしないと無駄になってしまいます。

自分の職場でどういう技術を身に付ければどういう仕事ができるか、まずここを具体化します。自分の頭の中でこれをイメージしていかないと実際には身にならないし、勉強のための勉強で終わってしまいます。かえって、何で勉強をしているのに仕事ができないのといったマイナスの要素にもなってしまいがちです。ここをきっかけに何を勉強して何をとらえていくのか、これを明確にすることがとても大切ではないかと思います。そうすると、どういうふうに学習していくかというところも自然と見えてくると思います。

今や、Word やExcel はできて当たり前の時代です。見えない人でもできて当たり前になってきました。それでも健常者と肩を並べて仕事ができますかといったら、厳しい言い方ですが見えない分仕事が遅いです。同じ仕事をするとして、健常者が100の仕事をやるのに対して、やはり50とか60という仕事しかできないというのが現実ではないかと思います。悲しいですけどそうです。ではそこをどうやってもっと自分を活かしていくかを考えたとき、何か自分にしかできないものを職場の中で磨いて、そのスキルを上げていく。これがやはり居心地のよい職場、見えなくてもあまり人に気兼ねなく職場に行ける、一番のポイントなのではないかと思います。

私は一般企業に勤めていた4年間、電算室で電子メールもないし音声化ソフトも買ってもらえませんでした。音声化もない中で自社のコンピューターを使い、オプタコン(触読装置)で仕事をしていました。正直、周りが忙しいときには自分には仕事がこないのです。周りが暇になると読んであげる時間があるというので私のところに仕事が回ってくるのです。いくらそれで仕事ができても、何かこう、自分というのは何なのかという心境でした。

そういう私にも唯一、会社で人に負けないというものがありました。それはコンピューター言語を6言語使えたということです。普通の人はコンピューター言語を一つしか知りません。コンピューター言語にはCOBOl とかC、アセンブリ、Perl とか、いろいろあります。それを自由自在とはいかないのですが、移行するという技術です。これが私にとって、その職場では誰一人できないことだったのです。1ヵ月間暇していても、たまたまそのような仕事が出ると、これは荒川にしかできないのだからやってもらおうということになります。本来それではいけないと思うのですが、そういうものを持っておくとコミュニケーションもうまくいくし、他のこともやりやすいのではないかと思います。

では、そういうスキルをどうやって身に付けていたのかといいますと、教材も一切ありませんから、図書館の対面朗読を利用しました。休みの日にはかなり利用しました。とにかく一般のコンピューター関係の本を読んでもらって勉強しました。それに尽きます。人から教わるということはほとんどできなかったし、特に私の場合は専門がコンピューター言語ですから、一般のセミナーに行ってもなかなか学習できません。そういう意味では、自力で勉強して何とか4年間生き延びていられたということです。

なぜ私がスキルアップできたかというと、「他の人はこれを知らないから、自分はこの言語を勉強しよう。」そういう確固たる目標を持って、隙間というか、そういったものを自分の中で見い出しました。もっとも趣味がコンピューターだったということもあったのですが、フリーソフトを書いたりとか、いろいろなことをしていたということもありました。そういう勉強をしながら遊びでゲームを作ったり、いろいろなことをしながら、いざとなるとそれが仕事に役立つ、そんなようなことをしていました。例えば、Word、Excel を使っている人が、アクセスで集計を取ったりということは、ある程度勉強をしていないとなかなかできないわけです。会社でアクセスをやろうと思っても急にはできないわけですから、例えば自宅で、「今まで付けていた住所録や家計簿をアクセスで付けよう。」と目標を立てるのです。そうすると、いやが上でも日常的に使っていくわけです。

例えば、家計簿を作ります。単純に、何月何日何を買いました。という家計簿ばかりを付けていたのが、今月は、ビールを月にいくら飲んだのか、いくら使ったのか、回数はいくらだったのか、そういう集計を取ってみるわけです。日常生活の中でどんどん覚えた事柄を膨らませていくわけです。こういったことをやっていくと、ITの技術というのは知らず知らずのうちに身に着いていきます。そうして、例えばAという業務についてこういうことが自分はできるから、こんなふうな分析をやってみたと形として出してみたり、話をしていくわけです。そうやって、自分の価値観というのか、存在観を上げていくことができるのではないかと思います。

就労しながらスキルアップをするには、目標をしっかり持って勉強していくことがすごく大切なのですが、仕事というのは勉強をする場ではありません。当たり前ですが、仕事というのはあくまでも給料をもらうわけです。給料をもらうことは会社の利益になるように働くことです。ですから、勉強のための勉強というのは決してやってはいけないわけです。その職場で何が活かせるかという視点で勉強しなければ決して評価されません。

けれども新しい仕事はすぐにはできません。勉強をしたものを仕事では活かせません。では、それを忘れないでいつでもきちんと使えるように自分の武器にするためにはどうするのか。それは、日常生活で使っていることです。Excel が苦手な人で したら日常生活で家計簿を作ったり、何でもとにかくやっていきます。そうしてやっていったことは、必ずもっと良い方法があるはずだとか、もっと複雑な集計ができるはずだとか、どんどん膨らませて自分の能力に深みを増していきます。 こういう視点から良い成果が得られるのだと思います。

ラビットは、いくつかの会社とヘルプデスクの契約をしています。視覚障害の社員が職場から電話でわからない点とか困ったことについて依頼してきますので、それに対応しています。しかし、本来は筋は違うと思うのですが、かなりの方が個人的に弊社と契約して職場から電話をかけてきています。大企業などでは専門のQ&A があったり、普通は周りの人に聞いたりできるのですが、視覚障害者はそういう点では不利な状況です。なぜ自己負担でやらなくてはならないのかと思ったりします。実際にそういう方が何人もいらっしゃって、何となく心苦しく思ったりします。しかし、私も仕事ですからその辺を割り切って対応しているのも現実です。ご静聴ありがとうございました。

目次へ戻る

【9月 交流会記録(その2)】

「職務に応じたIT 活用・スキルアップ」

副理事長 松坂 治男

松坂と申します。きょうは、仕事のスキルをどういうふうに身につけたかという点についてお話したいと思います。

私は現在「オータックス株式会社」という電子部品メーカーに勤めております。会社の規模は、日本のメンバーは百数十名。 メインが中国工場で、二千名くらいいます。その他に韓国とマレーシアに工場を持っています。私の専門がスイッチで、技術部設計管理課に所属しております。

私は転職して現在の職場におりますが、前も同業社の「松久」という会社に、新卒後22年勤めておりました。そこでスイッチの技術をやっている間に、網膜色素変性症で眼が悪くなってきました。前の会社を首になって、少しぶらぶらしていたんですけど、ぶらぶらしているのもなかなか苦しいものです。それならば働いた方がいいだろうということで、オータックスの社長と技術部長を知っていたので、そこに45 才の時に転職しました。ぶらぶらしていてもしょうがないから、ちょっと籍を置かせてくれないかとお願いしたら、一人で歩いて来れるならばいいですよと言うことでした。じゃあ3年くらい、籍を置かせてくれないか、ということで籍を置かせてもらいました。

勤務時間としては、色変特有の夜盲症があるということで、当初は変則で日の入り30分前、4月から9月くらいまでですと、通常勤務が9時から5時半なんですけど、9月以降どんどん日の入りが早くなりますので、15分刻みに日の入りの時間をチェックしておいて、10月中旬からは4時に退社という形で、10年くらいやっていました。しかし、なかなか先に帰るというのが難しく、今は真面目になって、2年前から5時半まできっちりやっております。それはどうしてかというと、60 過ぎている人間が2 名、準社員として私の下につきまして、その人達が5時半に帰るので、一緒に駅まで帰れるということで、みんなと同じ5時半にそろえております。

会社の仕事ですが、全部パソコンで処理をしています。今は一人1台、設計者はパソコンを使ってCAD をやります。そこにスクリーンリーダーとしては、XPReader、Reader Ver.6.0 を入れて、それがメインでやっております。その他にFocusTalkというスクリーンリーダーと、内緒でJAWS も入れてあります。会社で買ってくれないので、自分で持っていって、入れているという状態です。

主な仕事としては、ソフトとしてはExcel、インターネットはホームページリーダーを使っております。OCR ソフト、拡大ソフトがあったんですけど、今はOCR もやりません。準社員の人がいますので、何か書類で回ってきた時には、「これは何と書いてあるの、読んで」という形で、OCR ソフトは抜いております。メールソフトとして、Orangesoft 社のWinbiff。会社では今まではOutlookとかOutlookExpress を使っていたんですが、今では社内のメールというのは、イントラネットでガルーンというシステムを入れています。メールのアクセスだとか掲示板だとかに使用します。それのメールのソフトがあまりにも低級だということで、Winbiff を使っております。メールソフトとしては、Outlook Express も使っているんですけど、それは変換だけでやっております。

それを使って何をやっているかということですが、主な仕事があまりない。規格の管理ということで、スイッチ・コネクター・医療器の関係の法律規格の最新版管理です。うちの会社もISO(国際標準化機構)の9000とか14000というものを取っていますので、規格は最新版でないといけない。それをどういうふうに確認しているかということがありましたので、それをネットを使っての更新作業ですね。法律とか規格の種類としては、200種類くらいを管理しております。月次と年次ということで二つに分けて、月次の方はなるべく面倒くさくない、少ないやつをチェックしておこうと。UL(アメリカ保険業者安全試験所)規格だとか、CSA(カナダ工業規格協会)規格、IEC(国際電気技術標準機関)規格の3 点は毎月の報告、その他の規格については年次ということで、年2 回、5月と10月に更新をしています。その台帳の方は、Excel で管理しております。文字が書けないということで、Excel で200 枚のシートを使って管理をして、月次報告書は、またExcel のシートを使って管理をしています。それの最新版がどうであるかということになると、今は便利でインターネットで何でも検索ができるので、そのページにいって最新版が何であるか、更新がされていた場合には、これは更新されていますよ、規格を変えますかということで、それの報告書を出しております。稟議書が手書きですので、それは準社員の人に頼んでやっております。

規格に関しては、ネットで注文をして取るということなんですが、日本語のページは日本規格協会の方へアクセスすれば取れるんですけど、UL 規格だとかCSA、EC の規格は現地の規格のサイトに取りにいくということで、当然英語であると。英語はわからない、どうするか。入れるところくらいはわかるから、今はクレジットカードを使っての入力をしております。すごくセキュリティが厳しくて、PDF ファイルは3 回までしかコピーできない、印刷は3 回までとか、3 回過ぎると使えなくなっちゃうんですよね。そういったページがあるんですが、私は視覚障害でそんなことを言われても困るということで、アメリカの方に手紙を出して、別ルートで規格を送ってもらうような形です。今、PDF の場合には、注文した人の名前が入っちゃうんですよね。ページ・ページに名前が入るようになっていたり、印刷の回数が制限されているということで、非常に厳しいセキュリティがかかっているんですけど、セキュリティのないやつをサポートしている人間からこっそり送ってもらうような形で、なんとか処理をしております。それが主な仕事です。

あとは新製品の材料だとか、そういった新製品情報というのを取らなきゃいけないということで、技術が約40名いますので、その相談に乗るという形での、これはインターネットで検索をして答えるようにしております。製造しておりますので、いくつかトラブルがあります。その時のトラブルの対処方法で、担当者が困っている場合には、相談に乗るというのが業務です。今は環境の問題が厳しいので、各社から環境調査という形できますので、それは営業の方からメールでもらったものをパソコンの中に取り込んで、答えを書くのはExcel のマクロが組まれております。到底私にはできませんと言ってありますので、準社員の人間が2名いますので、その人間が処理したものを、ある一定のところに置いてもらうと、それを営業に発信をするという作業です。営業からきたものを、サーバーの中で決められたところに、番号順にこんなメールがきていますということで、整理をしてやってもらって、処理されると、営業に発信という形でそれが仕事になっております。その四つだけということで、私は仕事をしないのが仕事だよと言って、健常者とは争わない。健常者ができることを私がやる必要はないんじゃないか、というのが持論的にありまして、何か解らないことがあれば協力はする、できることはやれという話で、今まで14年やってきております。

その仕事をするために、どのようにスキルアップするかが問題です。もう一つ、会社の情報をどうやって取るか。視覚障害者はなかなか情報が取れないということなんです。

私は幸いにして、同僚が私のうちの近所にいます。彼が朝運転手代わりで、私が家の前に待っていると車を横付けしてくれたうえで会社の玄関に横付け、すごく恵まれた環境にいるという状態です。朝20分くらい車に乗っていくんですけど、その時に会社の状態、外部とのコミュニケーションというか、どういうトラブルが起こっているかとか、どういった製品で今会社が問題になっているのか、技術にどういう問題があるかという話を同僚から聞きます。それが私の分かる範囲だったら、そういうコミュニケーションをして、こういうふうに対処した方がいいよと。この会社はこういう癖があるから、こういうふうに言った方がいいと。その20分間の車の移動時に情報を得ます。それがゆくゆくは技術部の方にも、問題として提起されますので、いち早く情報をキャッチできるということで、それの相談にきた場合には、どうやって回答したらいいかな、どんな問題があるかな、ということをインターネットで調べたりする時間が取れます。だから私の存在がちょっと認められているというか、そういうことになっております。

もともと仕事は嫌いな方ですので、何かをやっている時には、モットーとしてもっと楽に仕事ができないかということを考えます。例えば500代のフォルダを連番で作らないといけないという仕事がありました。営業からきたやつを番号順に揃えておく時に、500のフォルダを作らないといけないんですけど、そういうのを前は2時間半くらいかけて、1代新しいフォルダを作って1代を2代にする、コピーして倍にしていく。1・2・4・8・16・32・64・128・256・512と10 回やると、512代のフォルダができる。名前は適当なものができちゃうわけですね。名前を全部1番からの連番でやらなきゃいけない。Excel のシートで連番発生させて、EGIA の1番から500番までのファイルを作るということをやっていました。2時間半もやって、手が痛くなるほど打っていても、こんなの無駄じゃないかということがありました。今では勉強をして、私が勉強したわけじゃなくて、そういう知り合いをつくったということです。その人に飲み会で、俺はこんな仕事をやっているんだけど、ちょっと無駄なんだよなという話をしたら、VBA でそのソフトを作ってくれました。今では一瞬で20秒くらい待つと、500のフォルダが自分の思ったフォルダに変身して、できるような形での作業効率を上げています。

みんな他力本願というか、知り合いがいろんな引き出しを持っているということで、業務の改善については、さっき荒川さんから出たVBA なんていうものも使って、仕事の方は処理をしています。それは他力本願でそういうものを作ってもらって、それを活用しているというのが現状です。

ちょうど眼が悪くなって1995年に転職しております。Windows95 が出始めた時代で、同年からタートルの会に関わってきています。それからこういう盲人の世界というか、いろんな団体に顔を出すようになってきているということがあります。色々な活動をする中で、仲間とか知り合いがいっぱい増えております。そういった関係があって助けてもらえるというか、この処理に関してはこの人に聞いたらいい、この人がスペシャリストになるという形の、言ってみればいろんな情報の引き出しというのが、今13年経つと出てきております。ソフトメーカーなんかもそういった感じで知り合いになってきているということです。使いにくいソフトがあれば、これはこういうふうにした方が使いやすいとかいうことも、言える段階になってきております。そういった仲間の知り合いができていると、何かトラブルがあったり、こんなことをやりたいということになると、情報がいっぱい入ってきますので、瞬時に電話をかけて、仕事中でもサポートを受けられたりすることもあります。

仲間をつくるのはどうしてつくったかというと、私はタートルの副理事長をやっておりますけど、1999年の時に、SPAN「視覚障害者パソコンアシストネットワーク」をつくるということで、その時はどういう活動をするのかわかっていなかったんですが、みんな仲間、知り合いがいますので、そんな悪い団体じゃないかと、とりあえず参加しようということで参加して、その活動も10年になってきております。土日にそういった活動をしています。視覚障害者のスキルアップということで、日本全国でのボランティア講座なんかもやっております。実際、視覚障害者の初期の導入の講座も開いておりますので、そういったことを通して色々な仲間とか、その人の癖だとか、どういうことが得意なのかということがわかってきました。

視覚障害者になって何が財産かということになると、そういった年月によってのたくさんの仲間ができたということで、勉強を自分からしなくても、しなきゃいけない環境になります。パソボラの活動をやっていると、思ってもないようなことを聞かれたりすることがあります。それを解決しようということになると、自分で操作してこういう解決方法もあるんだなということで解決したり、自分が一人でわからない時には、また相談をするということで、意識して勉強してきたわけじゃないんですけど、そういうことを積み重ねてスキルアップということができたんじゃないかと思います。

そういった中で活動を通して、SPAN より1年早く、弱問研の方で「パソコンクラブ」というものも立ち上げて、それも毎月活動をしております。そこはユニークな生徒がいっぱいいます。そういった幅広い活動をする中で、自然的にスキルアップがされてきました。ぐずぐず言って効率がどうのということなんですけど、ここまでだったらできるけど、この先に関しては音声が出ないからできない。これは眼が見えた人間がやった方がいいということになれば、項目は作るけど、体裁とか印刷物にする時のレイアウトなんかは、全体が眼で見えた人の方が速いですので、そういった人にお願いをするという割り切りで仕事をしております。

私は眼が悪くなってから、何かを教えてもらうということがありませんでした。歩行訓練も受けていないし、日常生活訓練も受けていない、パソコンの訓練も受けていないということだったんです。でも、少しは訓練を受けなきゃいけないということで、最近ここ3年くらいですか、いくつか講座を見つけてお世話になっております。2年前にここのセンターの講座で、Access の講座というのが4日間開催されました。Access の方は、一応一通り動かし方はわかるんですけども、それのVBA での作り方とか、そういったものまで勉強することができました。一つつながると、Access の勉強が終わって何があるのといったら、Excel のVBA をやりたいということで、またそういう勉強会の仲間もできて、スキルアップもそれなりにできてくるんじゃないかという形で、Access とExcel の講習会は受けております。今まであまり講習会を受けたことがない、教えたことはあるんですけど、まとまった形では受けていなかったので、そういった仲間をつくることによって、私よりみんなができますので、質問をしたり、困っていることをその先生に言ったりして、また一段階アップの勉強ができるということがあります。

昔からスイッチを設計していたということで、ないものを形にするということで失敗を恐れない、失敗して当たり前だという世界で、生活環境がそういう環境にありました。できて儲けもんという生活パターンというか、そういったことがあります。あまり細かいことは、気にしないようにしております。会社では情報は最先端の情報を取って、それをいかに反映していくかということで、自分の存在をちょこちょこと認めさせるようにしております。自分の立場上でいろんなものをベースに、みんなができないことを、ちょっとインパクトがあるやり方で導入していくということで、一目置かれるような状態にしております。

私は人間関係を作る上でちょっと変な癖があるんですけど、普段は猫をかぶっております。そういったところはうまくやりながら、猫をかぶりながらも人間関係を壊すことなく、この人はこういったところに実力がある、という人を見る目はあるつもりですので、そういった関係での大きな仲間に支えながら、現在があるように思います。皆様に感謝という気持ちで、いつも生活を送っております。以上です。

目次へ戻る

【10月 交流会記録】

「補助具などを用いて、社会資源を有効活用しながら継続就労」

独立行政法人都市再生機構埼玉地域支社都市再生企画室
長井 修氏

皆さんこんにちは。ただいまご紹介いただきました長井と申します。私はNPOタートルの集まりに出させていただくのは初めてですが、前身であるタートルの会が発足した頃から、下堂薗さん、工藤さん、それから新井さんたちが一生懸命に活動されているのを横で見させていただいていました。私自身は当時は「弱視者問題研究会」の方で弱視者の立場でいろいろ活動をしておりました。

私はもうすぐ51 歳になります。勤務先は「独立行政法人都市再生機構」という会社で事務職で働いています。いわゆる昔の住宅公団です。私が就職したのは昭和56年で、もうかれこれ27年、来年の4月で28年になります。当時は名前が「宅地開発公団」といいました。その後すぐに「住宅・都市整備公団」、そして「都市基盤整備公団」、「UR 都市機構」となりました。まさに行革の流れの中で仕事をしてきました。

28年の間にはいろいろな仕事をしました。2年〜3年ぐらいで異動があります。就職した直後は鉄道部門に4年在籍しました。ちょうど千葉ニュータウン中央駅という所まで4キロ間の鉄道を作っていた時で、仕事の上では鉄道の予算などをやっていました。その後、賃貸住宅の募集部門や管理の方もやりました。大規模な区画整理に関わる事業の仕事等もやってきました。

私の視力は今現在0.02〜0.01 ぐらいです。網膜色素変性症という病気です。物心がついた幼稚園・小学校の頃から、なんとなくこの子は視力が悪いね、というふうに言われていました。網膜色素変性症の中でもレアなケースだと思います。子供の頃は、0.1〜0.2 ぐらいの視力がありそんなに視野も狭くはなかったように記憶しています。それで普通の幼稚園、小学校に行きました。中学、高校と今の筑波大学附属盲学校に行って、その後大学を出て就職しました。就職したときも0.1 強ぐらいまで見えていたので、補助具的にはルーペを時々使う程度でした。現在は、視力は0.02〜0.01 で視野もだいたい20 度ぐらい、中心暗点もあります。経験的に言うと、かなりこのギャップは大きいです。日常の行動、いわゆるきょうのテーマでもあります「継続就労」という面でもかなり変化がありました。職場では拡大読書器と拡大ソフトを入れたパソコンを使って仕事をしているという状況でございます。

私が視覚障害者に関わる諸課題に関して問題意識を持ったきっかけは、中、高と盲学校に行って、盲学校の中では0.1〜0.2 見える弱視の人はそんなに不自由、不便はないんですが、盲学校だからといって、そういう弱視に対して当時はほとんど配慮もされていませんでした。私たち世代では、大活字の教科書が用意されているわけでもなく、ほとんど普通の教科書を与えられて、見えないときはルーペ等を使っているという状況でした。実は1年浪人しまして予備校に行って、初めて自分は視覚障害者だったんだなぁとつくづく思ったんですね。なぜかというと、大きな教室で授業を受けるとか、出欠が紙に貼ってあって、学籍番号のところに○を付けるとか。これは自分ひとりではできないぞとか、板書を読んで写し取っていくのは大変だぞ、というのを改めて感じ、自分は視覚障害者だったんだという最初のひとつの自覚というか気付きでした。そして、大学に入った年に弱視者問題研究会を立ち上げました。

おかげさまで弱問研は、去年30 周年で今年31年目になります。一応私が十数年間代表をやっていました。手前味噌になってしまいますが、私たちの当初の考え方、弱視者としてどういうふうな立場に立って行こうかということが、ひとつの発足の原点です。ひとりの弱視者として自己主張しようよ。見えないってことを表に出していこうよ。見えないってことは別に恥ずかしいことだったり、劣ったことだったり、みっともないことじゃないよね。見えないことをひとつの人間の個性という形で外に出していこうというのが、弱問研の当初の原点だったんです。でも、これは言うのは簡単なんですけれど、なかなか実践するのが難しいです。年齢を重ねてくると、それなりに図々しくなりますが、当時10代・20代の頃は、やっぱり抵抗とか葛藤とかがありました。その後の仕事に対する意識も、その辺がひとつの原点になっています。

では仕事をするうえで職場ではどうなのかと言いますと、大切なことは大きく3つあると思います。まず自分自身の問題。それから周りの人たちということ。それから仕事の環境を改善するために、先ほど三輪先生の講演のなかにもありましたが補助的な器具です。拡大鏡ルーペ、弱視眼鏡、拡大読書器や、そういうハード的な機器、あるいはそういう仕事を支えていくようないろいろなサービスがあると思います。そのなかで一番私がポイントにしたいのは、自分自身のことだろうと考えているのですが、それは一番最後の方に置きたいと思います。

まず、周りの人たちのことについてお話をしてみたいと思います。私が新入社員で入って、弱視だということは周りの人も承知の上でしたが、それがどこまで見えて、どこまでできるのかがわからなくて困りました。私自身も、うまくそれを伝えられない部分がありました。例えばある時、上司から「この図面に蛍光ペンで色を塗っといてくれる。これと同じようなものでいいから、これを2 枚作って。」と言われました。それは極端な話、何の知識もなくてもできそうな、ただ見て写せばいいだけの作業なのです。ところが私にとって、蛍光ペンの色が黄色はまったく着色されているかどうかもわからないし、ピンクとオレンジの区別も、うーんという感じで、その仕事を指示された時に、「これはやっぱり私にはできません」と言って上司に返しました。これならできるだろう、これならやらせても大丈夫だろう。その辺の意思の疎通が最初はうまくいかないことが多いと思います。

今の都市機構のなかで28年いますから、周りに知っている人もたくさんいます。そういうなかでも、わからない部分はいっぱいあると思うのです。ではどうしたら理解してもらえるか、これがある意味では第一歩です。相手に自分の見えにくさを理解してもらう。どういう時に見えていて、どういうことができて、どういうことが苦手なのかを、わかってもらえるようにするのが一番です。そのためには何が必要かというと、やっぱりいろんなその場その場を共有していくことだと思います。私は網膜色素変性症です。暗い所が苦手なのです。それこそ明るい所からぱっと暗い所に入ったときには、ウーッとした感じで見えなくなってしまいます。暗さに対応できないという問題があります。今までスタスタと行動していたはずなのに、突然ゆっくり抜き足、差し足になってしまって、そういう行動パターンが、一緒にいないとなかなかわからないです。なぜなのかを説明して、「イャー僕は暗い所では見えないんですよ。」と言わないとわかってもらえないです。だから職場のなかだけではなく一緒にお昼を食べにいくとか、夜飲みに行くとか、いろいろなところに職場の人と行って、自分自身のことをさらけ出して、在りのままをわかってもらうのが一番だと思います。

もう一つは上司です。異動などの権限を持っている人たちにしても、部下が何ができて何ができないのかがわからないと、非常に使いづらいです。私たちの職場は、結構異動が頻繁にありますので、ずっと同じ上司と付き合うということはありません。そうすると、何をやらせようか、ある程度中堅になってきても、あるいは管理職になっても、こいつは何ができるのだろうかと、会社側というのは、いつも悩んでいるのではないかと思います。

結論からすると、できないことはないと思っています。全くできないことはないと思った方がいいと思います。それは、皆さんにも伝えたいところなのです。そのためには何が必要かというと、先ほどの周囲の人たちというところに関係しますが、仕事を一から十まで完結させるのが苦手なのです。さっき色塗りの例を出しましたけれども、そういう単純なことというのが、意外と視覚障害になってしまうとできないです。また、視覚障害歴が長くなってくると、記憶力がいいねと言われます。メモを取れなければ自分の頭の中に書いておくしかないわけです。記憶力がいいわけではなくて、それは生きていくための必然の術です。そういう意味で得意分野、苦手な分野というのは、絶対にあるのです。苦手な分野は手伝ってもらわなくてはいけないし、頼んだ方が職場という組織的な仕事はうまくいく場合が多いです。自分で抱えて時間をかけて不完全にやるよりは、そういう仕事は上司だろうが部下だろうがかまわず頼みます。今この人は忙しいのかな、暇なのかな、見て判断はできないので、何となく空気を読みながらお願いをします。ただお願いをするだけではなくて、やはりそこは、その代わり僕はこれをやりますというような形で仕事上の振り分けをするのです。そうやっていくことによって、いろいろな仕事を周りとうまくやっていけるのかなと思います。

それから次に機器についてです。今の科学技術はどんどん進歩しているので、使える器械はいっぱいあると思います。私の実体験からすると、欠かせないのは、拡大読書器と拡大ソフトです。会社にいると、会議があったり、出張してとか、研修でとかいうのがありました。例えば、研修に行きました、最後にアンケート用紙が配られます。その場では書けないです。社内の研修とかでしたら、研修担当に電話をして、私は書けないから、後で社内メール便で送りますと、会社の中のことですから、いいですよということになります。私も拡大読書器はどういうのが使いやすいだろうと、いろいろな器械を使いました。例えば、ナイツのVS-4という、パソコンのマウスを少し大きくしたような形で、書類にペタッと付けて、それをテレビ画面に写し出します。ただそれだと、書けないんです。今は多少穴が開いていてペンをさせるようなものもあるようです。そこで、今度はエルモのMG10という器械を買いました。それはもともと工場で製品検査をするための器械で、アームの上にCCD カメラが付いていて、固定して上から写すような感じのものです。間にペンが入りますからもちろん書けるんですけど、当時のものはオートフォーカスでなかったり、白黒反転は別の四角い箱のユニットボックスを接続したりと、配線とかも非常に面倒くさくて苦労をしていました。

これは宣伝になってしまうかもしれませんが、今私が使っているのは、ニモという器械です。丸ビルの高田メガネに行って、何かいい物ありませんかという話をしていてこれを見せてもらいました。興味がある方は、私の席に来てもらえばお見せします。そうですね、四角い箱で任天堂DS ぐらいの大きさです。液晶画面がついていて、その画面に映すカメラは裏側についています。これも書けないという点はあるのですが、充電ができるし、配線の必要がないのですごく便利です。これだと気軽にカバンにも入りますし、使い勝手は非常にいいです。これで見えるよという方には、すごくいい器械でした。

あと、パソコンの方ですが、ZoomTextというソフトを長く使っています。これは、キーボードで+・+、−・−とやっていくと、画面の倍率が上がったり下がったり、必要に応じて倍率を変更できるというメリットがあります。白黒反転も簡単にできます。これも、あると非常に便利です。今はどこの会社もイントラネットということで、いろいろな社内処理をパソコンでやるようになっています。書類づくりも大体、Word、Excel ということになるので、拡大ソフトは大きく役に立っています。

もう一つ、Windows の標準機能のハイコントラストがあるので、その機能を上手く使ってやるといいと思います。ソフトを使うということだけではなくて、Windows をカスタマイズすることによって自分の使い勝手を良くすることもできるはずです。これは、皆が皆そうだとは、言い切れないのですが、例えば私は、パソコンの画面は黒のバックに白の文字とか黄色文字の方が見やすいのです。白のバックにブルーの文字だと、大きくてもほとんど見えないんです。そこでハイコントラスト機能を使って、黒バックの白文字・黄色文字みたいにしています。そうすると眼に入って来やすいのです。ハイコントラストは、単に黒バックにするためではなくて、いろいろな色に変えられるので色を変えて使ってみるといいと思います。ただ色の設定によっては画面表示や印字がされないこともありますので要注意です。

イントラネットから書類を自分のパソコンに読み込んで、ハイコントラストにしていると普通に見えるんですけれども、黒バックで白文字ですから、印刷すると、どうしても出てこないんです。ヘルプデスクの方もいろいろ調べてくれました。余談になりますが、ヘルプデスクの方でどういう画面を見ているのかわかるんです。パソコンの管理番号を聞かれました。そうするとマウスがすごい勢いで動いているのです。見える人というのは、こんなに早くマウスを動かしているんだと、改めて思ったのです。ちょっと現象を再現します、ということでやったのですが、何回かやっているうちに、長井さん、色をかなりカスタマイズされていますよね、ということで、私は目が悪いからハイコントラストにしてやっていますと説明しました。Word は文字が白でした、だから出ないということが判ったんです。Excel は印刷はされるのですが白い文字しか出てこないんです。Excel のシートは、ハイコントラストを切ると普通に出てきます。面倒くさいんですけど、見えない方が困るのでハイコントラストにして使っています。

あとは、今の私ぐらいの視力0.02〜0.01 になると、ルーペで読むということは、普通は無理なのです。ただパソコンの画面なんかを一番最初にインストールするときや、異動したときに前任者のパソコンは当然ノーマルな設定になっていますので、そんな時にマウスの位置を探したりするのにルーペを使います。しかし、そういうときは、周りの人に最初の設定だけこうしたいんで、指示をするからあなたは目と指と手を貸して下さい、という方が、一番手っ取り早いとは思います。

ハード的な部分以外でも視力が悪くなってくると、音声ソフトは使うと楽だなとつくづく感じております。音声ソフトは会社では使っておりませんが、自宅ではPC-Talker Vista を使っています。Web などの旅行の情報を読みたいな、でも長文だなというときは、音声をドラッグして読ませると聞いていられるのでとても楽です。また、例えばファイルというところをクリックしたときに、メニューを読んでくれるので、自分を補助するという意味では便利な部分だと思います。

就労とは多少離れるかもしれませんが、今年から初めて対面朗読というのを受けてみました。1,000ページぐらいのテキスト本を読んで勉強したいと思ったのです。なにせ1,000ページもあるので、拡大読書器で読みこなしていくのは、正直言ってかなりきついです。そこで、対面朗読をお願いしてみようと思いました。

浦和駅前に、さいたま市立中央図書館というのがあって、そこで対面朗読をしてもらっています。毎週土曜日に2時間お願いして、約半年かかりました。そのままだとそれで終わってしまうのでIC レコーダーで録音させていただいて、音声ファイルにしました。それをSD カードに移して携帯プレイヤーで通勤途中とか昼休みに聞くというような活用法をしました。何か勉強をしようとしたときには役に立ちます。

最後に自分自身ということでお話をしたいと思います。なんといっても視力が落ちてきている、でも仕事は続けなくてはいけない。という意味では、やはりご本人次第かなと思います。まずはポイントとして、「最大限の工夫と最低限の努力かな」というふうに思っています。工夫は、目一杯にやった方がいいけど、努力は目一杯にやると疲れるだけだし、大変なだけだし、嫌になるだけなんで、自分の努力は最低限で最大限の工夫をしましょう。工夫というのは多種多様だと思います。器械を使って器械に替わってもらう、あるいは器械で補ってやる。あるいは周りの人との関係を作っていく。というようなことをまずお考えになることが、一番かなと思います。

ちょうど、私は一年前ぐらいに初めて機構から出向をして、関連会社に行きました。どういう仕事かというと、関連会社の人間が機構の中で働いている、それを監督をするという役でした。10 数人が埼玉地域支社の中に働いていて、それを指揮命令をするという仕事です。ただ、10 数人パッと異動で行って、はい誰々さんですと言われても、晴眼者の方でしたらID カードを見て名前が判るのかもしれませんが、ID カードが見えません。私はどのようにお願いしたかと言いますと、管理室に行って、「申し訳ないけど誰々だと名乗ってください。僕は眼が見えないので名前を言ってください。」とお願いしました。最初はそれをしないとなかなか人も覚えられないんです。何週間か経てば大体声で誰さんだなと判るようになります。やはり仕事をしていく上では、一言お願いすることが重要なのかなと思います。

とにかく見えていた方が、見えなくなると確かに、あれもできない、これもできないと考えがちかもしれません。ただそれまでやられていた仕事のノウハウとか、キャリアをお持ちのわけですから、絶対にそれは生かせるはずです。専門職でやってきた方が、違う職種でというのは、なかなか難しさはあるかもしれませんが、組織にお勤めということであれば、その組織の中の仕事で違う仕事に移る、あるいは仕事の担当分野を換えることでかなりできると思います。それは、当人からはなかなか難しいと思いますので、周りの方、第三者の方に協力をしていただいて、会社の方とお話をするとかをすれば、本当に可能性というのはどんどん広がると思います。

僕が思うには、見えないと普通の晴眼者の方に比べると慣れるまでの時間がかかります。そこはやはり周りの方に協力してもらうしかないと思います。工夫は一生懸命やった方がいいけど、努力は、努力・努力とやったら重石になって憂鬱になるだけです。そういう意味では少し気軽に考えて、ある程度開き直ることがいいのではないかと思います。そこができるようになれば、“悟りの境地”と言えば大げさですけど、それがすらっと周りの人たちに出せるようになれば、上手く仕事を継続してやっていけるのかなと思います。

場合によっては、本当にしがみつくというのも、ある面必要な部分だとも思います。自分自身が継続という意味で、がんばるよという気持を持つというか、あきらめないということです。私のつたない27年ぐらいの経験ではありますが、そこが一つの結論になりました。ご静聴ありがとうございました。

目次へ戻る

【手記(その1)】

「宮古島ウルトラマラソン」

関東地区運営委員 重田 雅俊

昨年の1月に初めてウルトラマラソン(100キロ)に挑戦しました。制限時間は16時間、私は12時間48分で完走しました。文の中にある2号とは私のことです。ランニングクラブの人達は、みなさんハンドルネームで呼び合っています。以下、ウルトラマラソンの様子が良く分かるのではないかと思ったので、当時の報告文をご紹介させていただきます。

初のウルトラ100キロを完走することができました。自分が100キロも走れるようになるなんて不思議な感じです。伴走していただいたツバッキーさんには、病み上がりを押して100キロも伴走していただき、本当に感謝しております。南国のためか天候がめまぐるしく変わる中で、とても印象深い大会になりました。以下当日の様子です。

スタートは5時、和気藹々の雰囲気でカウントダウン、 街灯もほとんどない、真っ暗闇の道に飛び出しました。あちこちで、ウルトラ仲間や友達との再会を交わす声を聞きながら走っていくうちに、次第にばらけて暗闇の静けさが戻ってきました。

夜明け前のランは、家出か夜逃げデモするような気分でどこかどきどきした緊張感があります。まだ風は冷たく、港から波の音や、冬なのに虫の声が聞こえてきました。そのうちお腹が冷えてきたのかトイレに行きたくなりましたが、トイレは15キロも先とのこと、「ゆっくりペースで行こう」というツバッキーさんの声を耳に入れる余裕もなく、池間島橋手前のトイレまで、前日の食べすぎを悔やみながら時々差し込む痛みに耐えながら頑張りました。混雑して列ができているトイレの順番を待っているうちに夜明けとなり、やっと26キロが終了です。

長い池間橋を渡り、のんびりとした休日の朝の池間島を、鶏の鳴き声を聞きながら一周すると、山さんとルリちゃんに会いました。情報によると、ライバルのミスターと高さんが5分も前を走っていると聞き、慌てて追撃を開始しました。「トイレの間に先に行くとは卑怯なり。」でも、行けども行けどもなかなか追いつきません。このころから日差しが真夏のように強くなり、南国ならではの炎天下のレースを覚悟しました。

40キロの手前でようやくミスターと高さんを捕らえ、エイドにいた清さん、松さん、子供たちにプレゼントを配りながら走る赤い服のサンタさんと一緒に写真を撮りました。それから、ゆるやかにアップダウンを繰り返す東シナ海側の道を自然の音を聞き、やしやソテツに触れてみながら楽しく走りました。途中、ツバッキーさんがいつもお手伝いをしているという施設エイドがあり、ジャスミン茶に良く似た三品茶(さんぴんちゃ)をいただきました。

48キロ地点、昼食を取れるエイドで一休み、前半戦がやっと終わりました。待ち構えてくれていた大さん、二人の忍ちゃん、清さんの奥さんから激励を受けました。宮古島特性のフルーツポンチ、サトウキビジュース、おにぎり、だんご汁などを掻き込んでからいよいよ後半戦です。さすがに食後の満腹感と前半の疲れが出て足が重くなってきました。単調な道とかんかん照りの日差し、間隔が長く長くあいてなかなか着かないエイド。それでもトイレ休憩と、エイドでの腰かけ休憩と、パイナップルアメで何とか気を紛らわせながら70キロ地点の平安岬(へんなざき)まで耐えて行きました。時計を見ると、スタートからちょうど9時間がたっていました。8時間耐久練習のときよりも、1時間遅いゆっくりの走りになっていました。この体力的貯金(ゆとり)がこれからどう影響してくるのか、楽しみのような恐ろしいような。

これからが走った経験のない未知の世界です。平安岬で灯台を見たり記念撮影をするなどの観光をして、待望の「べにいもソフトアイス」を買って食べました。するとまた、ミスターと高さんがアイスも食べずに追いかけてくるではありませんか。そこで早々にエイドを切り上げて、上り下りが続く地獄のステージに、逃げるように向かいました。

ところがここで、予想外に曇り始め、霧雨が降ってきました。「待ってました、雨の神、ツバッキー!暑いからここらでちょっと一雨欲しいなあ。でも昨夜のような土砂降りは嫌だよ。」「おいらは雨男だけど自分には降らせないのさ。2号だけが濡れるがいい。はっはっはっ。」その直後、突然ザバーッ!私だけが頭からつま先までびしょぬれになってしまいました。「こらーっ!そこの車、止まれー!」ツバッキーさんの鋭い声に急ブレーキ。中からドライバーとバスタオルを持った若いお姉さんたちが出てきて、「水溜りを跳ねてしまって・・ごめんなさい」を繰り返していました。やれやれ、これで暑さも一段落、上り坂を波・風・鳥の声など周囲の音を楽しみながらのんびり歩き、下り坂を走って服を乾かしました。地獄のステージはことのほか快適で宮古島の自然や南国の雰囲気を楽しみました。

ドイツ村を目指し、ゴルフ場の外周を回り、86キロ地点の自分たちが宿泊しているホテル前を盛大な仲間の応援の拍手に送られて、その場だけはなんとか元気に通り抜けました。 そろそろ夕方です。ところがそのころから風が強まり、歩道も狭くなって走りにくくなりました。しかも最後の難関と言われていた来間島橋(くるまじまばし)になかなか着きません。まだか、まだか、ここに来て初めて二人とも無口になってひたすら走り続けました。というよりはツバッキーさんに引っ張られている自分に気づきました。「ちょっと、ちょっとツバッキー、引っ張ってるんだけど・・・。どうしたの。」恐るべしツバッキー。病み上がりでこんなに余裕を持っていたとは。そういえば、「疲れきっている最後の10キロは、次のウルトラに繋げるためにもスピードアップするといいんだ。」とか言っていたのを思い出しました。「まさか、このままゴールまで行かないよね。」どこまでこのスピードについていけるかと不安に駆られながらも、なんとか93キロのエイドについてほっとしました。

そこで橋を渡ってもう一度このエイドに来れば98キロになると聞き、希望の光が見えてきました。 ところが、その2キロもあろうかという長い長い来間橋はまるで台風のような強風がビュー、ビューと吹き荒れ、夕暮れの心細さも重なって、南国の孤島、宮古島の自然は厳しいなと感じさせられました。それでも来間島内の95キロエイドではアイスキャンディをもらって元気が出ました。この風と寒さの中で、そんなものをもらって喜んでいるのは私たち二人ぐらいだったでしょうか。荒れ狂う逆風の橋をよろよろ渡り最後のエイドに立ち寄ると、いよいよあと2キロです。

東急リゾートの敷地に入り、S 字カーブを最後の力を振り絞って走っていくと、とうとう待ちに待ったフィニッシュです。写真とゴールテープの準備のために、少し間をおいてから、ツバッキーさんと二人で万歳をして感動のゴールをしました。「やった。完走だ!」長かった練習。周到な準備の数々、みんなこのときのためだったんだ。終ってみれば、たくさんのことがありすぎたような、あっけなかったような複雑な気分でした。楽ではなかったけれど、未知の冒険が沢山あった楽しい一日でした。

ホテルに着くと安心してしまったのか、立ちくらみがして、シャワーもそこそこにベッドに倒れこんでしまいました。またいつもの貧血です。「やっぱり100キロはやり過ぎだったかなあ。」「ああ、みんなと完走を祝う宴会に行きたいよう。」でも体が動きません。情けなや!夕飯も食べずに眠るしかありませんでした。

翌朝は、みんなで砂浜に行き、珊瑚の白砂の感触を足の裏で楽しみながら足裏マッサージとアイシングをしました。そこでやっと自分たちが南国の高級リゾートホテルに来ていたことを実感しました。南の島は本当に美しくそよ風が心地よく吹いていました。ここはまさに楽園パラダイスです。来年は3 連休。ぜひまた宮古島に行きたいと思います。楽しい思い出ができたとてもいい大会でした。

目次へ戻る

【手記(その2)】

「視覚障害者生活訓練を受講して」

関東地区運営委員 長岡 保

私は、5月中旬から11月末まで約半年強、新宿区河田町にある東京都視覚障害者生活支援センターに入所し、生活訓練を受講しております。会員の中にはすでにこの種の訓練またはその他の訓練を受講された方もおられましょうが、事情により受けるに至らない方、この種の情報を持ち合わせていない方もおられることと思います。そこで、会員の皆様方に、何らかの参考になればと思い、投稿する次第です。自分の偏見で書くことをご承知ください。自分の状況、入所に至った経緯、同センターの状況、自分の訓練状況や受講結果および受講結果についての自分の印象等について述べさせて頂きます。

まずは自分の状況及び入所に至った経緯についてです。私は現在、八木アンテナ(株)という会社に嘱託として勤務し約4年になります。前職は陸上自衛官で、平成17年に定年退職しました。自衛隊退職の数年前に網膜色素変性症が分かりましたが、何とか自衛隊を定年まで持ちこたえ、再就職もできました。再就職の際は、勿論視覚障害について全て説明し、周囲の方にも状況を説明し理解を得ております。

1年半ほど前から視野狭窄、視力低下が加速し精神的にも苦痛になり、退職を申し出ようかと悩みました。退職はいつでもできると思い直し、思い切って上司と人事担当である総務部長に目の状況と生活訓練を受講したい旨相談したところ、ふたつ返事で了解を得ました。通院している埼玉県の国リハに相談したのですが、半年以上待たないと空きがないということと、週に1日は会社に出て状況確認や業務処理をしたいという考えもあり、東京都視覚障害者生活支援センターに相談したところ、都以外からの受け入れは1 割との説明でしたが、運よく受け入れて頂きました。(同センターについてはタートルの仲間や知人から情報を得ました)

次は同センターについて自分の知りえた範囲内で、参考になると思われる事項についてです。(間違い等もあるかも知れません。その際はご容赦願います)

○場所・交通等:
新宿区河田町、都営大江戸線若松河田駅から徒歩1分、バス停も目の前にありJR 高田馬場、JR 市ヶ谷駅方向から利用できる(徒歩2分)立地条件です。

○主要訓練内容及び訓練要領:
歩行訓練、点字、パソコン、プレクストーク、ADL(調理やアイロンかけ、各種視覚障害者用の用具の使い方等)で、点字を除き、マンツーマンでの訓練です。

○個人の受講要領(希望)等:
仕事や健康状態等に基づき可能な範囲で本人の希望にあわせ、入所は勿論通所の曜日等も考慮していただけるようです(時間の調整は状況によるみたいです)。また、個人ごと習いたい科目も希望に応じて訓練の計画が作成されます。

○訓練のレベル・位置づけ等:
視覚障害者としての初歩的なlevel の訓練が殆どで、就労のためのパソコン技術などはその後他の就労訓練の施設につないでくれる模様です。また、盲学校や鍼灸マッサージ等訓練施設への入所前の資質を身に付けるための訓練の位置づけのようです。

○センター行事等:
東京都身体障害者スポーツ大会(駒沢オリンピック記念公園)への参加、東京都障害者スポーツセンター(北区王子)の研修と体験、日帰り旅行(今年は山梨県小渕沢)、サイトワールドの見学、年始行事として落語を聴きに行く(今年はまだですが)等の行事を通じ、経験と自信をつけてくださっているように感じます。

○生活面について:
入所、通所に関わらず、センターでの給食を希望により申し込むことができます(有料)。管理栄養士の指導の下、メニューは一緒ですが個人ごとカロリー計算をして食事を出してくれます。また、毎食、職員1 名が食堂で誘導、メニュー等を説明し一緒に食事をしてくれます。

○健康管理:
職員の中に看護師さんがいて健康チェックや健康指導をしてくれます。また、毎月1 回眼科と内科の医師が来て受診や相談ができます。また、毎日朝礼を実施し、職員と受講生全員でラジオ体操とストレッチングを実施します。

○施設・居住環境等:
入所者の部屋は2人部屋ですが、現在入所者が少なく1 人で広々と使っています。洋室、和室も希望により選べます。風呂は共同です。勿論、男女別々です。通所者は休憩室があり、ロッカーが備えてあります。その他、小さいながら体育室がありトレーニングが出来ます。また図書室、自習室があり、消灯までパソコンが自由に使えます。(入所、通所者を併せ約30 名程度の受講者です)

○ボランティアの支援等:
週4日、「グループ・かなりや」という朗読ボランティアの方が交代できてくださり、お願いすれば必要な記事や書類の読み上げ、本の朗読は勿論、買い物の手伝いもして戴けます。また、1〜2 ヶ月に1 回くらいでしょうか、美容師さんのカットが受けられます(無料)。

○利用料金等について:
自治体の支援(身体障害者手帳と受給者証の交付)を受け、住民税の課税状況により個人差があります。他人のことは分かりませんが、自分の場合、訓練費用、食事代、宿泊料等すべて含めて4 万数千円位です。通所の方はほんのわずかのようです。(歩行訓練時の交通費や調理のための材料費など、訓練で生じる費用は利用料金に含まれているので、新たな費用負担は殆どありません)少し話が違うかもしれませんが、東京都民は都営交通の交通費も無料ですので、通所の方は交通費も少額で済むようです。

○その他:
職員の方は、受講生に本当によく耳を傾けてくださり、アットホーム的です。また、自治体の生活支援用具等についても情報提供のみならず、職員が直接自治体の担当者と話し合い、申請等まで手伝ってくれます。
東京都視覚障害者生活支援センターのURL:http://www.tils.gr.jp/

ここからは、生活訓練を受けての私個人の感想です。

○精神面について:
視力低下の急速な進行により、仕事はもちろん、今後の日常生活等に関しての不安が大きくなっていくのを感じておりましたが、入所し、すぐにそれらが薄れていくのを感じました。訓練期間中も視力低下は止まらず、見えにくさは増す一方ですが、精神的には落ち込むこともなく、逆に元気を取り戻したような気がします。理由は漠然としていますが、自分が思うには、完全にではありませんが仕事から離れたこと、訓練を受けることにより、何かが出来るということを少しずつ感じてきたこと、同じ仲間の中での生活で、情報や勇気のようなものを得られたこと等々。これらを通じ、これまで視覚障害ということや他人の支援を受けること等に相当な抵抗やプレッシャーのようなものが強かったのですが、少しずつ薄らいできたような気がします。

○受講のタイミングについて:
全盲になってからよりも、少しでも残存視力があるうちに受講してよかったと感じております。理由は、歩行訓練をはじめいくつかの訓練科目で、イメージがつかみやすく、訓練進度が早いと思います。また、精神的に落ち込みが少なくて済むような気がします。

○訓練進度と今後について:
通常1年くらいの訓練が望ましいとのことですが、私は会社との約束で約半年としてきたので、点字やその他の不足分は、今後、有給休暇を活用して週1 回、半日から1日程度、通所で習いたいと考えております。

最後になりますが、受講を認めてくださった会社、仕事面で温かく協力してくださる会社の同僚、今でも色々面倒を見てくれる自衛隊時代の同期、タートルはじめ入会している会の皆様、今回指導していただいている生活支援センターの先生方、何よりも毎日自分を支えてくれている妻はじめ家族に感謝しております。

訓練も残すところわずかになりました。現在の会社も定年まで1年半を切りました。訓練を終わって会社に戻って何処まで勤められるかは、気持の面で多少の不安もないわけではありません。先のことを心配してもしょうがないので、その時々に考えることにして、でも自分なりに、出来ることをやってきました。今後は、あせらず、あわてず、あきらめず、それでいて頑張らず、風に吹かれる柳のように過ごしたいと思っている現在の心境です。

(追記)同センター入所期間中、センター行事で、東京都障害者スポーツ競技会に参加し、50m 走と200m 走に出場し、両方とも金メダルを頂きました。その競技会が全国障害者スポーツ大会の予選を兼ねていたらしく、運よく、東京都代表27 名に選考されました。そして、10月9日から14日の間、大分国体(障害者)に参加し、50m走で金メダル、200m 走で銀メダルを戴いてまいりました。よい思い出を頂きました。目が悪くなる前にやっていたマラソンを始めるきっかけになればと、体を動かすほうにも心が開いてきたこの頃です。以前のように何とかフルマラソンを!!!

目次へ戻る

【お知らせ】

●地方交流会(名古屋)

日時:2009年1月17日13時30分〜16時45分
場所:名古屋都市開発センター
テーマ:「出会い」 〜「連携と協力」の輪をみんなで広げよう〜

●3月交流会(東京)

日時:2009年3月21日13時30分〜
場所:日本盲人職能開発センター
テーマ:就労継続・復職、就業・雇用に関する制度

目次へ戻る

【編集後記】

今号は交流会記録の他、投稿していただいた記事を2編掲載しました。なお、10月交流会「病院関係者によるロービジョンケアから復職、就労継続への道のり」国立障害者リハビリテーション病院 三輪まり枝氏の講演記録は編集の都合により今号には掲載できませんでした。次号には掲載する予定です。それでは皆様、良いお年をお迎えください。

(編集担当 杉田 ひとみ)

目次へ戻る