「チョット、一息」わんこそば体験記

1999年
上尾の和泉

「チョット、一息」わんこそば体験記・その1

 こんにちは、上尾の和泉です。

 先日ラジオを聞いていたら、今日は今年の日本一を決めるわんこそば、大食い大会があると言っていました。夜には、テレビでその模様が放映され、今年は40代の女性が470杯と言う驚異的な数で優勝しました、と言っていました。私自身、食べたことが有るのでこの数字がいかに「ハンパジャぁーねえぞ」って思っちゃいました。
 その翌日、たまたま駅でいつもの場所に「キヨスク」が無くなっているので、通りすがりの人に、「キヨスク」はどこでしょう?と聞いたところななんと昔の職場の同僚でした、相手も白杖をついている私の姿にビックリしていました。声の感じと背格好で何となく、もしかして和泉さん?って感じでした。
 実は、この方のお姉さんの嫁ぎ先が盛岡だったので、そのお姉さんを頼って、わんこそばを食べに行ったのです。あの当時のことが楽しく思い出されました。ですが、偶然とはいえ結構続くんですよね。結局、駅の通路で30分も立ち話をしてしまい、別れた後に「キヨスク」の場所を聞くの忘れちゃいました。せっかくいつものように暖かい酒を買って飲もうと思ったのに、いったい何処にイッチマッタンダンベーー、の思いでした。

 ではでは、その当時を思い出しながら書きますね。
 私が丁度30歳の誕生日をむかえ、何か思い出に残る事がしたいと、飲み屋で同僚に話をしたところ、とんとんびょうしに話が進み、盛岡にわんこそばを食べに行くことになったんです。土曜、日曜の休みを利用して、金曜日に会社の帰りに待ち合わせて行きました。7人で車二台、車を出す人は会社を定時で終わり、駅まで車を持ってきてもらいその他の5名はチョット残業して飲み屋で一杯やって、運転手の弁当やつまみを買いこみました。
 赤羽を午後の10時にでて盛岡に着いたのは、翌日の午前7時ごろでした。車の中では、盛り上がって飲めや、歌えの大騒ぎでした。これで着いてから大丈夫?って感じでした。2台の車の送信はトランシーバーで行ないました、今なら携帯電話でしょうがその当時は、そんなもの有りませんでしたしね。
 車の中で決めたことは、全員が2千円を出し合い、一番食べた上位2名にわたす、と言うことで全員が納得、ですが、私以外の6名は全員170センチの身長で、体重も70キロと言う恵まれた体格の人ばかりなんです。私にハンディをくれ、と頼んだら和泉さんの大食いは有名だから却下します。とのこと、しかも和泉さんは手と足が短いだけで胴体部分は私たちと全く変わりが無いから大丈夫だよと言いやがるのです。全くお金が関わってくるとみんな冷たいやつらなんです。
 私も全盛期は結構食べたので、こうなったらいっちょうやったるかとき合いを入れました。私だって全盛期は、昼食にラーメン、チャーハン、餃子、卵ドンを毎日食べていたんだから、でもこれってバカの大食いってやつですね。今思えば良く食べたと思いますよ。お陰で半年後は、胆のう炎で一ヶ月も入院をしてしまいました。そして一週間は何も食べさせてもらえませんでした。そしたら、妻が「貴方にはつける薬が無いから絶食させられたのよ」と言われました。返す言葉がなくて、痛みにたえていた事を覚えています。話が横道にそれちゃいましたね。さあ、着いてからが楽しみだよ。

次回につづく、

上尾の和泉。

わんこそば体験記・その2

 こんにちは、上尾の和泉です。

 盛岡に着いたのは、午前7時頃でした、私達はまず、今回大変お世話になった、同僚のお姉さんに挨拶をと思い、尋ねることにしました。同僚も3年ぶりに合うと話していました。チョットした手土産を持って尋ねたところ、疲れたでしょう?と言い少しでも休んで行きなさいと言って私達に布団を敷いてくれました。私たちは早速あつかましくも、せっかくの好意なので昼まで寝かして戴きました。
 「わんこそば」は午後の1時に予約してあります。その予約もお姉さんにして戴きました。その当時でも、わんこそばを食べるには一ヶ月半前から予約が必要でしかも団体ツアー以外は電話予約ができずに、何度もなんども、足を運んで戴きました。ですから地元の人もなかなか食べられないとの事でした。
 午後の1時チョット前に、そば屋へ行きました。するとあなた達は、裏に回ってくれとの事でした。店の入り口の脇に細い通路がありそこを歩いて行くとプレハブ作りの二階建ての建物が有りました。そこの二階で食べました。外見から見たのとは違い、好い雰囲気をかもしだしていました。50畳ほどのスペースをいくつかにびょうぶで仕切りをして、それぞれみんな、黙々と食べています。その熱気が伝わってきて、なんかこれから食うぞぉーー、って感じになります。まもなく店のおねえちゃんが私達のテーブルにきました。おねえちゃんと言っても良く見ると50代半ばすぎって感じでした。絣の着物を着て、それにたすきを掛けて、赤いまいかけをして、頭には手ぬぐいを巻いていました。
 お、ぎゃぁぐさんだぢわ、「わんこそば」わはずめてですか?と聞かれ3名は経験が有りますと答えると、それならばその方たちは、100杯は行きそうだなと言いました。やっぱりハンディを付ければよかったと後悔、後悔。内の店は100杯食べると南部鉄で出来た「おちょこ」を記念品に出してます。200杯食べると「徳利とおちょこ」のセットが貰えるし、300杯食べると次回の招待券とでっかいプレゼントが有るから頑張りなよと言いました。今回お金も賭けているし景品まで貰えるとなると、やっぱり、そこそこ気合も入ってきます。
 コースは松、竹、梅の3コースで私達は竹コースを頼みました。その内容の違いは、つまみや、やくみの違いだそうです。いよいよ、つまみとやくみが運ばれてきました。つまみはまぐろのさしみで、ひときれの大きさがものすごく大きいんです、厚みが2.5センチから3センチのあつぎりで、ちょうど蒲鉾を2から3センチの厚さで切ったような大きさです。それが、オオトロ、チュウトロ、赤身、のそれぞれ4切れがありました。やくみも、ノリ、わさび、ごま、七味、などなど、目の前に並んできます。そして、いよいよお姉さんがそばを持ってきて、これからルールのせづめいをすっがらな、ちゃんときがっつせヨーー。と言われました。

次回につづく、

上尾の和泉。

わんこそば体験記・その3

 こんにちは、上尾の和泉です。

 いよいよお姉さんがそばを持ってきて、これからルールのせづめいをすっからな、ちゃんときがっせヨーー、と言われました。ですが何となく言い方が変なんです。私は、お姉さんはどこの生まれですか?と尋ねると、わたしけェーー、わだすわ、ふぐすまだあ、と言うのです。アッそれなら私と同じですね私は会津若松ですと言うと、あらそうかよお、きぐうだなヤ、と言いました。わだすの、親戚の者があー、この店をやってんだあ、んーーだから、たまあニ、忙すうときわ、てつでえに、くんだあいわいる、でかせぎっつうやつなんだあ。それは大変ですねと言うと、んだあー、もうひどづぎもけえってねえよ。それでは沢山、稼いでいるんですね。あんまり大きいこえでえ、いえねえども、けちであんましくんねえだあ。「笑い」
 色々話したあげく、はええとこくわせて、けえさねえと、商売になんねえかんな、ハジメッツォ。と切り出されてしまいました。あんたわ同郷のよしみでえ、あとで、サアビスすっからな、んだらルールの説明をすます。そしてルールの説明をして頂きました。

  1. 時間は1時間30分、
  2. おわんの中身をきれいに食べてからおかわりをすること。
  3. 一度やめたら、時間が残っていても終わりです。
  4. 食べているおわんの中につゆがたまって来たら脇に有る器に捨てる。
  5. おわんは、10杯食べるとかたずけるのでマッチ棒を一本置いてください。

 以上です。
 それでわ、みれんのこさず、たべっせヨーー。と言うと20歳くらいの女の子が二人やってきました。わだす、みてえな、ばあさんに、相手されるより、わけえのがいいべ。といって二人に代わりました。どうやらこの子達もアルバイトのようです。それでは始めます。と言って私達の後ろへ回りました。そして「はじめ」の合図で、いっせいに食べ始めました。
 勿論おわんの中には一口大の量しかそばは、入っていないので一瞬で食べてしまい、全員が一斉に、おわんを差し出したんです。当然給仕の近くに居る人は、すぐに入れてもらえるが、一番端に座った私はなかなか入れてもらえません。7人で二人の給仕ではあまりにも少なすぎます。
 後で考えると、このペースの狂いが後々響いたんですね。私が一杯食べるのに、給仕の傍に居る人は、三杯も食べているんです。気賀あせるだけで、なかなか進まずに、だんだん頭に、きちゃいました。すると今度は、こちらの方を重点的に入れますねと私の後ろに回ったんです。今度はいきなりのハイペース、おわんをだした瞬間に次のが入る食べても食べても、すぐに入る。しばらく続くとまたあっちのほうへと行くと言うペースで自分の、ペースで食べられません。
 ところが経験のある連中は、なれたもので給仕が離れるとつまみを食べながらゆっくりそばをすすり、近くにくるとペースを上げると言うコンビネーションができているんです。「やられたなあー」って感じでした。ですが私もそのペースにだんだん慣れてきました。
 そろそろ30杯を食べた頃、何だか変なんです、この「そば」いやいや絶対に変だよと隣に話し掛けると俺もさっきから、そんな気がしていたんだよと返って来ました。感じたのは私だけではなかったんです。うん、絶対に変だよ、こんなのありかよって感じ?。

次回につづく、

上尾の和泉。

わんこそば体験記・その4

 こんにちは、上尾の和泉です。

 うん、絶対に変だよ、こんなのありかよって感じ?なんです。一杯のおわんのそばの量がまちまちなんです、それも極端に多いものは少ないものに比べ2倍は違っています。これって喜んで良いのか悪いのか複雑なところです。おわんの数で競争しているのだから、やっばりこれに当たったら「ついてない」と思うしかないでしょうね。
 50杯を食べた段階で一人が脱落しました、この人は「わんこそば」体験者の三人の内の一人でした。60杯を食べた段階で二人が脱落、残りは四人です。脱落者が増えるにしたがい当然に給仕の女の子のペースが早くなってきます。食べ終わったやつらは、食べ方について、ああだの、こうだのと意見を言い、「そばこ」やお茶をすすりながら言いたいことを言って笑っていやがる。それにひきかえ私を含めた四人は一言の会話も無く黙々と食べていました。
 80杯を前にして、また一人が脱落、残りは三人です。その内の私以外の二人はわんこそばの経験者で、片方はお姉さんが盛岡に居ると言う事で、今回で5回目と言う恵まれた経歴をお持ちの方なんです。全くハンディを付けておけばよかった。しみジィーーミ、後悔、後悔、しきり。
 90杯を過ぎた頃から、先ほども書きましたが、一杯のそばの量がだんだんと増えているような気がします。いや始めの頃に比べやっぱり確実に増えています。だって口の中を空にして新たに口の中にそばを入れても入りきれない量です。店としても100杯は、くわせねえぞって言う感じです。
 そこえ福島のお姉さんがやって来ました。オッ「けばって、たべてっかヨーー」。みれんのこさずたべっせヨーー。そして食べ終わった人たちに、あんだわ、いぐづたべだの?と一人一人に聞いて、東京からわざわざ来たんだべェーー、ひゃっぺえわ、くわねぇど「にしき」かざれねえよ、と言われていました。
 あど三人かヨーー、んじゃあ、さっさとかだづげっか?と言うと立ちあがって私の後ろに来て、給仕を始めたんです。その手際の良さったら、おみごとと言う感じで今までの女の子とぜんぜん違うんです。これで給仕が三人になり、一対一の対決になりました。私の後ろに付いた福島のお姉さんは、しゃべりっぱなしで、笑わせたり、尻をたたいたりと、そしてあんだわきゃしゃなわりにわいげえとくうんだなあ、と言ったりそばわかむんでねえヨ、のみこむんだヨォーー。すすってのみこむようにしなっせェーー、といちいち食べ方に口を入れてくるんです。私のペースは、めっちゃくちゃです。
 ですが、やっと、やっとの思いで100杯食べました。後の二人は103杯目を食べるところでした。すでに食べ終わった4人は、和泉さんも100食べたなあと拍手をして盛り上がっています。すると福島のお姉さんがこう言うきゃしゃっツーーカ、よわよわしいのが、いげえとくうんだ、わだすわ、さいしょぬ、みだどぎ100ぺえわくうなあって、おもっただわい。と言うのです、そして、この店の最高記録は355杯で女性の方が出したんだとかでそれも細身の女性だったと言うのです。
 すると、別の女性がやってきて、追加をもってこようか?と給仕に聞いたところ、福島のお姉さんはもうすぐかだづぐからいいべーー、といいやがる。私達がまだ食べていると言うのに、これには食べおわった連中ももっと、持ってきてくれないとたらないよ、この3人ははんぱじゃあないから200杯はいくよと言うと福島のお姉さんは、このさんぬんわもう目が、「しんでっから」もうすぐおわりだあ、ながねんみでっどわかるんだ!きのどくだどもそろそろげんけいだべーー。といいやがる。こうなったらくってやるゾーー。

最終回につづく、

上尾の和泉。

わんこそば体験記・その5(最終回)

 こんにちは、上尾の和泉です。

 「わんこそば」は、10杯で普通のもりそば一人前の量なんですが、100杯を過ぎる頃になると、やっぱり苦しくなって来ます。福島のお姉さんは私を完全につぶそうとしています。そばわかむんでねえヨのみこむんだヨォーー。すすってのみこむようにしなっせェーー、と相変わらず話しています。私の食べ方やペースは、めっちゃくちゃです。おゃぐざあん、ひゃっぺいくったなあ、きゃしゃなわりにわてえしたもんだ、そろそろやめっかよ?
 この時点で私は101杯目、他の二人は103杯目でした。後半で前半の遅れを取り戻してきましたがいかんせん苦しくて苦しくて、ズボンのベルトをゆるめて、また食べ始めました、福島のお姉さんは、100ぺえっつうと、ゆであがったそばがちょうどばげづいっぺえぶんのりょうなんだあ。と言っていましたこんなことを、耳元で話されては気分的にもだんだん食欲が無くなって来ます。どうやら、この辺が限界のようです。
 結局、私は103杯あとの二人は105と108杯でした。時間を見ると食べ始めてから50分でした、目の前に美味しそうな刺身があるというのにぜんぜん食べられません。苦しくて苦しくて、すると福島のお姉さんが、そばわあどがらズーーンとくっがらすごし横になっせえ。と言いました。20分ほど横にならせてもらい、その間に色々と話を聞きました。

質問。
 まず、そばの量がなぜあんなに違うんですか?あれはずるいですねと聞くと
 お姉さんいわく!んだがあ、だどもわざとでねえよ、きけいでなぐで、アルベエトがあ、やってっからしゃーーねえだぁ。笑い。

質問。
 テレビなんかでは、一人一人に給仕が付いているのでてっきりそうおもっていましたが?
 お姉さんいわく!そっだらことしたら、店がつぶれでしまうべえ、づんげんひっでやつで、これにも納得。

質問。
 私はあれでペースが始めっから狂いっぱなしでしたと言うと。
 お姉さんいわく!んだがあ?そんだら、いっせきぬちょおっていうやづがあ?笑い。

質問
 食べたおわんをずっと目の前に積んでおくとおもったんですが?
 お姉さんいわく!そんだこどしだら、おわんがいぐつあっでもたんねえべえ、そんだども、うぢわ1万7千個ぐれえわ、あんだよと言いました。そして、福島のお姉さんは私に、あんたなら、じけいわ3びやくわ、むりだども、2ひゃくぐれえならぜっていにくえっから、これわ、わだすがたいこばんをおすてもいいよ、んだから、またきなっせよ。と言われました。

 そんな会話をしてから店を出ました。店を出るときに、福島のお姉さんは、景品のおちょこをもう一つ、そっと私のポケットに入れてくれました。まっでっがんなあ、 ほんとぬ、まだきなっせよ、と言いながら。

おわり。


追伸。
 この「わんこそば」を一番食べた方は、その後あるテレビ番組の大食い大会で、優勝しました。そして、全国大会で準優勝をしました。その内容は、またのきかいに書かせて戴きますが、今こそ大食いは世間でも認められていますが、その当時は、ただの「バカ食い」だけでしたのでその事を知っている人は極わずかです。ちなみに、食べた物は、2時間でだんご50本大福50個ラーメン10杯でした。
 ほうげんを文章にしようと頑張ったのですがなかなかうまく書けませんでした、95リーダーでうまく読んでくれないので、多少ニュアンスが違って書いた部分もありました。お許し下さい。

それでは、失礼します。

上尾の和泉。

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