(以下本文)

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2024年11月4日発行 SSKU増刊通巻 第8020号

SSKU
特定非営利活動法人 視覚障害者の就労を支援する会  情報誌

タートル 第64号 

キャプション

日本ロービジョン学会学術総会の展示ブースにて、理事・運営委員

目次

巻頭言………………………………………… 2
理事長 重田 雅敏

2023年3月講演会 「眼科医との関わり方を考える……………………………………… 4
~患者力&連携力を高めるために~」
国立障害者リハビリテーションセンター病院
第二診療部長 清水 朋美 氏

2023年6月通常総会記念講演会「これまでを振り返って」………………… 16
社会学博士 静岡県立大学名誉教授
有限会社 エクストラ
代表取締役 石川 准 氏

【職場で頑張っています】………………… 27
苦しさと切なさと心強さと~笑顔へ 
石川美紀

お知らせコーナー…………………………… 29

奥付…………………………………………… 32

タートル情報誌64号
巻頭言 

理事長 重田雅敏

まず始めに、担当者の病気による交代と編集体制の見直しに伴い、1年以上にわたってタートル情報誌の発行が遅滞してしまったことを、講演いただいた先生方ならびに会員の皆様に深くお詫び申し上げます。
事態を深刻に受けとめ、担当者の新たな配置を整えた結果、何とか情報誌の発行を再開する運びとなりました。その手始めとして情報誌63号特別版では、「初代会長和泉森太氏の追悼文集」をこの9月に発行しました。タートル創成期の活動の様子が手に取るようにわかる大変貴重な内容ですので、御一読いただければ幸いに存じます。今後の情報誌発行予定につきましては、お知らせコーナーをご覧ください。

今回64号の内容について思うこと

国立障害者リハビリテーションセンター病院の眼科医である清水朋美先生は、タートル・ロービジョン相談会などの活動を通して、眼科医サイドの取りまとめ役として大変お世話になっている方です。今回の講演では、私たち視覚障害者が病院に行き患者として眼科医の診察を受けるとき、どのような予備知識や心構えを持って臨めば、より上手に有益な診察を受けられるかについて、眼科医の立場から率直にわかりやすく整理したお話をいただきました。
藁をもつかむ思いで過度に期待して病院に行ったり、病名を告げられて落胆してしまったり、治療の意味や効果をしっかりと理解せずに、焦ったり諦めてしまうのはよくあることだと思います。眼科医としてできること・できないことなど、相手の立場を理解することはとても大事なことです。普段はなかなか聞けない眼科医からのアドバイスですので、ぜひ読んでみてください。治療における眼科医との連携や患者力とは、一体どういうことなのでしょうか。新しい発想と客観的な判断力を持って、受診できるようになれば良いですね。
そして、最近まで静岡県立大学の教授をしていた石川 准先生は、点訳ソフト「エクストラ」を開発し、起業した会社の社長としても有名です。それだけでなく、内閣府の障害者政策委員会・委員長や、国連の障害者権利委員会・副委員長もされた方です。また、視覚障害を理由に教壇から外された「山口雪子さんの教壇復帰を求める裁判」の口頭弁論では、原告側の陳述を快く引き受け、障害者が職場で働く意義や合理的配慮の必要性に関して、理路整然とした話をしてくれました。あまりの見識と格調の高さに、裁判法廷を埋めた傍聴者は心の底から感激しました。被告側弁護士は沈黙してしまい一言も反論できませんでした。
今回、石川先生は「これまでを振り返って」というテーマのもとで、視覚障害者のパソコン操作の基本となるスクリーンリーダーの開発初期の経緯や、国連で重責を担っていた頃の大変さに関し本音で話してくれました。さらには趣味の将棋の話や、ご自身の性格や行動のもととなる考え方など、ここでしか聞けない話もたくさん聞くことができました。ぜひ、働く視覚障害者の草分けとして第一線で活躍されてきた方の話をお読みください。

2023年3月講演会 「眼科医との関わり方を考える~患者力&連携力を高めるために~」

国立障害者リハビリテーションセンター病院
第二診療部長 清水 朋美 氏

皆様、ただ今ご紹介いただいた国立障害者リハビリテーションセンター病院の清水 朋美と申します。よろしくお願いいたします。私の肩書は「第二診療部長」ということで、なぜか眼科の「が」の字もない不思議な肩書になっています。よく「第二診療部って何ですか」と聞かれますが、これは国リハの体制で、第二診療部には眼科、耳鼻科、歯科、放射線科、臨床検査科や泌尿器科があります。私は一眼科医ですが、第二診療部内で何かがあれば相談にのるという形で、少し不思議な肩書(ポジション)になっています。
本日の「眼科医との関わり方を考える~患者力&連携力を高めるために~」というタイトルですが、どちらかと言うと私の方から半ば志願させてもらって、この演題を選びました。今日の演題は私自身にとっても、非常にチャレンジングなものです。立場上いろいろな場所で話をさせてもらう機会はありますが、正直なところタートルで話をするのは初めてです。ですから、どこまで皆さまの役に立てるか心もとない部分はありますが、こういった話は今まで考えたり聞いたりする機会が意外となかったのではないかと思いますので、少しでも参考になることがありましたら幸いです。本日、話をさせてもらうことが全て正解ではないと思いますが、こういう側面に関し皆さんと一緒に考えていければ良いかと思います。よろしくお願いします。
本日の講演は大体1時間と聞いていますが、大きく4つに分けて話ができればと思っています。1つは患者さん、ご家族、周囲の方に関することです。皆さんは、「多職種連携」という言葉を聞いたことがありますか。「多い」という字に、職業の「職」と種類の「種」、加えて「連携を高める、連携を図る」という時の「連携」です。
私は、患者さんや家族、周囲の方も、「多職種連携」のメンバーの一人だと考えています。「多職種連携」と言うと、普通は医師や看護師がいて、眼科であれば視能訓練士がいます。さらに「医療と福祉と教育との連携」についても、最近ではよく聞かれることと思います。もちろん、中心には患者さんや家族がいるのですが、大切なのは皆がメンバーということ、そして連携を図るには相手を知らなければ上手くいかないということです。
今回はタートルでの話ですから、多くの患者さんや家族の方が聞いていると思いますし、今回の話の「相手」とは「眼科医や眼科関係者」と置き換えてもらえれば良いと思います。そして、「患者力&連携力」という言葉ですが、今回の話を貰ってから、私は「患者力」についてどんな本があるかと思い地元の図書館に行ってみました。すると、結構いろいろな本がありました。そこで、こういう問題がクローズアップされていると改めて感じたわけです。
さらに、先ほど重田 理事長が話をされていたように「ロービジョン就労相談会」には私も関わらせてもらっており、複数の眼科医も参加しているため、そこでアンケートをとって感想をまとめてみました。お話の最後には、その紹介をさせていただきたいと思っています。
まずは、昔の医者と患者の関係です。スライドにはピラミッドの絵があって、その頂点に医者のイラストがあります。今まではこういう構図が多かったのではないでしょうか。言葉にして言えば、「医者は神様」「医者の言うことは絶対」「お医者様の言うとおり」に加え、「医者の言うことが聞けないのか」等があります。
今、こんなことを言う人は大分減ったと思いますが、まだゼロではないかもしれません。こういう考えはカタカナで言うと「パターナリズム」で、日本語の漢字で書くと「父権主義」と言います。父権主義は父親の「父」という字に権力の「権」と「主義」ですが、そこには自分で自分のことを決める「自己決定権」はほとんど無いのです。
聞いたことのある人も多いかと思いますが、障害者権利条約には「Nothing About Us Without Us」と言って、「私たちのことを決めるのに、私たち抜きで決めないで」という英語の言葉があります。つまり、時代とともに「自分のことは、自分も一緒に考えなければいけない」という形に変わってきたのだと思います。私が医者になった頃、先ほどご紹介のように私は1991年(平成3年)に愛媛大学を卒業したのですが、1990年に日本医師会がインフォームド・コンセントを「説明と同意」として表現したのです。医学部は6年ですが、最後の5、6年生頃に臨床実習として医学生も白衣を着て、先生と一緒に患者さんを担当し、レポートをまとめていました。
当時私は大学生でしたが、大家さんが新聞販売所をしていたので朝日新聞をとっていて、新聞を読む機会が多くありました。ある時、新聞を見ると「インフォームド・コンセント」についての記事が載っていました。それを見て、「医学部で習ったことはないけれど、これからはこんな言葉が出て来るんだ」と思ったことが印象に残っています。30年ほど前の話ですが、今でも何となく覚えています。
現在は医学部を出ると研修医になることが必須ですが、私の時は続けて大学院に進学をしても大丈夫な時代でした。それで、平成3年3月に愛媛大学を卒業すると、そのまま横浜市立大学の大学院に行って眼科の研究をすることになりました。大学院は4年ですが、実務ができないと手伝いもできないため、4年のうち1年目だけは眼科の基本的な臨床の仕事をさせてもらいました。そして、2年から4年は当時の教授の方針で「研究に時間を費やす機会は他にはないから一生懸命に研究をしましょう」と、その間は研究だけをさせてもらいました。
次に現在の話をすると、先ほど言ったように「多職種連携」ということですね。「チーム医療」という表現もあります。これは全日本病院協会から拝借したイラストですが、中央に患者さんがいます。身体的苦痛、精神的な苦痛に加え、心理的な不安や社会・経済的な不安など、患者さんは様々な問題を抱えています。周囲には、医師、薬剤師、看護師、医療ソーシャルワーカー(MSW)のほか、その他の職種として保健師、栄養士、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、臨床検査技師、臨床工学士、ケアマネージャー、臨床心理士、医療事務担当者などが記載されています。
このように「チーム医療」では、ありとあらゆる方と連携をします。チームの基本方針が明確なこと、情報共有を皆で行っていくことに加え、何よりコミュニケーションが重要です。このことがすごく大事で、これが理想的な図になります。最初に話をしたように、患者さんもこの多職種連携のメンバーのお一人だということですね。
ですから、患者さん以外のメンバーとして、医師をはじめ多くのコメディカルや多職種のコミュニケーションがどんなに上手くとれていても、患者さんとのコミュニケーションが上手くとれていなければ、上手くいく治療も上手くいかないし、上手くいく訓練も進みづらいのではないでしょうか。
現在、私は国立障害者リハビリテーションセンター病院に勤めていますが、ここはリハビリテーションがメインの病院です。リハビリテーションというのはラテン語で、「再び」を意味するReと、「取り戻す」を意味するHabilisという言葉が語源です。人としての尊厳と人間らしく生きる権利の回復を「全人間的復権」と言いますが、これを目指してリハビリテーションを行っていくのだと言われています。
こちらは上田 敏 先生という方で、リハビリテーション医療では大変ご高名な先生です。多分、年齢は90歳ぐらいでしょうか。去年、横浜でリハビリテーション医学会が開催され、私も参加させていただきました。そこでは上田先生が日本のリハビリテーションの歴史に関する「特別講演」をされ、私も多くを学ばせてもらいました。
リハビリテーションは最初からチーム医療を行うことが基本であり、ロービジョンケアも全く同じだと思います。ロービジョンケアは視覚のリハビリテーションですから、リハビリテーションでチーム医療が大事なら、ロービジョンケアも同様なのだと思います。
 「連携が大事」という話は従来から盛んに言われているし、例えば日本ロービジョン学会のテーマ等にも選ばれていて、いろいろな場所で講演会や研修会なども開催されています。しかし、それが課題のままずっと残っているのは、やはり上手くいきにくい要素があるからではないでしょうか。
従来、「連携」というと、この大きな連携を指していました。同じような図になりますが、真ん中に患者さんがいて、眼科医、看護師、視能訓練士、メディカルソーシャルワーカー、歩行訓練士、介護福祉士、ケアマネージャー、そして訓練や就労支援対応の施設・団体や、患者団体・支援団体ですね。ここにはタートルもきっと入りますね。さらに視覚障害者情報提供施設、役所や教師など行政や教育系の方々、公認心理師といった大きな輪になりますが、この大きな輪から私が勝手にロービジョンケアを分けるとすれば、「本格的なロービジョンケア」という基本的な視覚リハビリテーションの部分になります。
もちろん、大きな団体や様々な部署と連携をとるのは難しいのですが、そもそも眼科の中にも「連携がとれているか」という問題があるのではないでしょうか。私が最近言っている「クイック・ロービジョンケア」というのは、少なくとも眼科の中だけでも連携をしっかりとり、必要とする患者さんに最低限のロービジョンケアを提供するという話です。
さらに、私が最近感じるのは「医療」という同じ枠組みのため、リハビリテーション科と眼科の連携がとても大事だということです。リハビリテーションチームの人たちは、昔から様々な職種の方と上手に連携を取りながら患者さんを支えています。当たり前かもしれませんが、リハビリテーション科のドクターやセラピストと話をすると、皆さんがよく「リハ・マインド」と言うように、リハ・マインドの考え方が大変しっかりしているのです。
ですから、それを眼科の医療に置き換えれば「ロービジョンケア・マインド」という話になると思いますし、こういった部分の連携も今後クローズアップされると良いと思います。このように、連携の重要性は周知の事実ですが、併せて課題も多いという実情があります。
それでは、リハビリテーション医療チームについてです。私ども国リハには半年から1年に1回、リハビリテーション科の若いドクターがローテーターとして東京大学から交代でやって来ます。数年前、ある若い先生に「リハビリテーション医学はどういう本で勉強するのですか」と聞いてみました。すると、「専門医を受ける際は『リハビリテーション医学・医療コアテキスト』という本がリハビリテーション医学会で指定されているため、その本を使って勉強します」と教えてくれました。3,000円か4,000円ぐらいだったと思いますが、私も参考までに買って読んでみました。すると、個人的には結構ショックを受けました。
何がショックかと言うと、そのページには「リハビリテーション医療チーム」とあって、中央には「リハビリテーション科医」と書いてありました。そして、周囲には各科の医師、歯科医、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、義肢装具士、看護師、管理栄養士、薬剤師、臨床心理士(公認心理師)、社会福祉士(医療ソーシャルワーカー)、介護支援専門員(ケアマネージャー)、介護福祉士、歯科衛生士等その他の職種ということだけ記されていました。
こちらの「患者・家族」は私が後ほど勝手に入れさせてもらいましたが、ここには「眼科領域」に関して、「が」の字すら入っていません。「各科の医師」や「歯科衛生士等その他の職種」に含まれていると読めなくもないですが、具体的表記がないのは結構残念だと思った記憶があるし、本当は今も残念だと思っています。リハビリテーション科と眼科に関してはそういう形で長いこと連携自体が乏しかったのです。そのために記載が漏れてしまったのかもしれません。
実は、去年のリハビリテーション医学会では、視覚障害がテーマのシンポジウムが組まれ、私も参加させてもらいました。すると、ご一緒したリハビリテーション科ドクターが「自分はリハビリテーションについては専門医だし自信があると思っていた」と言うのです。その先生とは東京オリンピック・パラリンピック選手村の仕事で偶然ご一緒し、そのご縁で昨年シンポジウムが組まれたのですが、リハビリテーション科の先生は「自分がいかに視覚障害のことがわかっていないのかを痛感した」と言うのです。そして「リハビリテーション科のドクターとしてはショックだった」とも言いました。ですから、これからはそういう部分の連携も必要なのだと思います。
では、ここからは眼科の話ですが、まずは押さえておきたい眼科の特徴をお伝えしたいと思います。実は、眼科というのは外科系です。いろいろな診療科は「内科系」と「外科系」に分けられますが、眼科は外科系になります。そして、他の診療科に比べ外来患者がとても多いことが特徴でトップ3に入っています。
これは最近も聞いた話ですが、ある大学病院の眼科外来では毎日夜の9時頃まで診察をしているそうです。ドクターの数に比べ患者さんが大変多いのです。私がその病院に伺ったのは17時頃でしたが、まるで昼間と同じような状態で診察をされていました。
受付で「何時頃なら先生に会えますか」と聞くと、「毎日こんな感じで夜9時頃まで診察をしています。よろしければ、いま会ってください」と言われたほど混んでいました。特に、眼科には視力検査、視野検査の他にも数多くの検査があり、その大半は眼科内で視能訓練士さんが対応していますが、それぞれの検査ごとに時間がかかってしまうのです。
例えば、他の診療科なら「放射線の方に行ってください」「採血の方に行ってください」という感じでお願いし、データが出てきた上で診察が始まるのでしょうが、眼科ではその辺が他の診療科と違うのです。そのために外来が本当に混雑し、大きい病院ほど混んでしまう状況なのです。
「なぜそんなに混むのか」と不思議に思われる人も多いと思いますが、先ほど申し上げたように眼科では各種の検査と診察に加えて、インフォームド・コンセントとしても患者さんにきちんと説明をしなければいけません。さらに、慢性的なスタッフ不足の問題もあります。意外かもしれませんが、大きい病院ではスムーズに人を増やしてくれません。例えば開業をされていて、自分がクリニックの院長であれば、院長判断で人を増やすことは十分可能だと思います。
しかし、大学病院や県立○○病院といった大きな病院では、それはとても難しいことなのです。例えば、国リハでも常勤眼科医は私ともう一人の先生の2名だけですし、「もう一人増やしてほしい」と言ってもそれはまず無理です。また、大きい病院では「日当直」ということで夜間に宿直し、昼も待機しなければいけない場合もあります。
さらに、救急外来の件もあります。眼科では救急外来に来る人も結構います。「急に目が痛い」「眼圧が急に上がった」とか、「目にケガをした」というように。加えて、大学病院や大きい病院では若手の指導もあり、研修医の若い先生や医学生の指導も必要です。さらに、大きな病院には様々な会議が入り込み、その数も決して中途半端ではありません。私などもいつも会議ばかりで、変な話ですが医者の仕事より会議の方が多かったりします。例えば、極端な月には1日に6つか7つの会議に出なければいけない場合も数日あります。
あとは、文書作成ですね。いろいろな資料を作ったり、「○○マニュアル」というものを作らなければいけない場合もあります。他にも地元の研修会に加え、様々な学会での発表もあるし、論文も作成しなければなりません。また、こういう面で若手指導が必要なケースもあります。他にも学会の仕事や、地元の眼科医会の仕事などもあって、かなり目まぐるしい日常です。そういう背景のもと、眼科では外来を行なっている状況です。
今、国リハでは手術をしていませんが、外科系として手術を行う眼科では、外来に加えて手術をする先生には周術期の仕事もあります。周術期は一周二周の「周」、手術の「術」に、期待や時期の「期」と書きますが、手術前後に行う仕事は山盛りです。まず、目の前に患者さんがいれば、「手術するかどうか」をカンファランスで他のドクターたちと相談します。また、手術前には必要な検査を行い、術前の「説明と同意」に加えて、術前準備をします。また、術後の管理等々もあります。難しいケースであるほど、周術期にかかる時間も必要になってきます。
例えば、見えにくい患者さんを一眼科医として外来で診察するとします。ところが、仮にそういう人が来たとしても、気づけない眼科医は残念ながらまだ多いのです。さらに、何でこういう話になるのか不思議ですが、「ロービジョンケア対象者は視覚障害1級と2級の人だけ」と考える眼科の先生が、未だに大勢いるということです。そして、最近よく聞くのは「必要だと思うが、どう説明したら良いかわからない」と話す先生もいることです。お伝えしたように、こんな形で時間に追われる毎日ですが、「見えにくい患者さんを何とかしたい」と考える眼科の先生は、案外多いのではないかと私は思っています。
では、どうしてロービジョンケアに繋がらないのでしょうか。目の前の患者さんが本当はロービジョンケアをした方が良いのに、スルーしてしまい気づけないのは、学習機会の不足が原因ではないでしょうか。先ほどから話をしているように、私は平成3年に医学部を卒業しましたが、振り返ると医学生の頃や臨床研修をした大学院の一年間に、ロービジョンケアや視覚障害について教えてもらった経験が全くないのです。
そして、今でも覚えているのは、横浜市大で診察した患者さんが「手帳を取りたいから、書いてほしい」と言って用紙を持って来たことです。当時、そんな用紙は見たこともないし、第15条指定医という言葉も全く知りませんでした。先輩に「どのように書くのですか」と聞くと、「いやぁ、わからないな」と言われました。そして、「以前○○さんの件で手帳申請をした気がするから、その人のカルテを見て調べて」と言われました。その時のことを今でもよく覚えています。
つまり、多くの眼科医はそういう内容を系統立てて学ぶ機会がなかったのだと思います。先ほどの「ロービジョンケア対象者は手帳1級・2級のみ」という話もそれが原因なのかもしれないし、未だに「視覚障害手帳の5級、6級など取っても意味がない」と説明している眼科医もいるぐらいですから、認識が足りていない部分があるのかもしれません。
次に「どう説明したら良いかわからない」という件ですが、幸いにも最近はロービジョンケアに関する学会や研修会が増えてきたので、必要性を感じる先生も以前より増えてきたと思います。しかし、必要だとわかっても「患者さんにどう切り出して説明したら良いのかわからない」という先生が結構いるのです。
一年ほど前でしょうか。わりと若い先生から言われたのは、「ロービジョンケアが必要な患者さんを結構診ていますが、いきなりロービジョンケアの話をしたら怒り出しませんか」という話でした。さらに、「不快にさせるのではないかと思うと、怖くて説明できない」という相談をされたこともあります。
それで、「そんなことないんじゃないですか」と言うと、「清水先生はどのように説明していますか」と聞くので、「治療ではないのですが、ロービジョンケアというものがあって、それを試すかどうかで生活のしやすさが変わります。良かったら試してみませんか」という感じでご紹介することが多いと答えると、「そうなのですね」と言われました。ですから、こういう基本の「き」を学べるような機会が、意外と少ないのかと思ったりもしています。
私は、国リハで「視覚障害者用補装具 適合判定医師研修会」、いわゆる「国リハ医師研」を毎年2回開催させてもらっています。そんなご縁もあって、いろいろな眼科の先生と話をする機会が多い立場にいます。この研修会は私が医学部を出た1991年から始まりましたが、最初は参加者が非常に少ない状態でした。
当初は、平日5日間の缶詰状態で定員も20人でしたが、定員割れをしていたようです。しかし、2012年にロービジョン検査判断料が導入されて、検査判断料を算定するためには「国リハ医師研」を受講修了しなければいけない条件となり、その頃から参加者が急速に増えはじめました。コロナにより1年間の休みとなりましたが、2021年度からはオンラインで実施し、今では日本の眼科医の10数%が修了生になっています。
ただ、この「医師研修会」に参加する先生方でも、「初めて知った」と言っている先生がすごく多いのです。何を初めて知ったのかと言うと、「スマートサイト」や「歩行訓練士」、「プレクストーク」や「白杖」に関する話です。もちろん、白杖については知っていますが、今までは気軽に「もう白杖を持った方がいいんじゃないですか」と言っていたそうです。
私は「白杖という言葉は失明と同じぐらい重い言葉だから、患者さんに気安くかける言葉ではない」と毎回この研修会で言うのですが、たぶん多くの先生方はそういうことをあまり意識していないのだと思います。他にも、障害年金と手帳の件が入り混じっていたケースもあります。先生の中には「手帳の申請をすれば、役所に行くと自動的に障害年金が貰える」と思っていた人もいるぐらいです。本当に、笑い話にもならないような感じですね(笑)。
そして、「スマートサイト」や「歩行訓練士」という言葉ですが、医師研修会に来る先生でも知っている人は60%ぐらいでしょうか。さらに「プレクストーク」に至っては知っている先生は10%ぐらいです。つまり、医師研に来るような先生でもそんな状況ですから、世の中の多くの眼科医はもっと知らない可能性が大きいのだろうと思います。
残念ですが、現状では「すべての眼科医がロービジョンケアに精通しているわけではない」ということを、まずは知ってほしいのです。しかしロービジョンケアに精通していないからと言って、「ロービジョンケア・マインドがない」という話ではないのです。ここが大切で、「単に知る機会がなかった」という眼科医がすごく多いのだと思います。
ですから、眼科医に味方になってもらうことがすごく重要なのですが、「忙しそう」とか、「話を聞いてくれない」「希望どおりにしてくれない」「どう伝えたら良いのかわからない」という思いが、患者さん側には結構あるのかもしれません。もし、「忙しそう」とか、「話を聞いてくれない」という状況であるならば、眼科医に知ってもらいたい点をまとめることが大切です。そして「希望どおりにしてくれない」という状況なら、伝え方を工夫することが大事です。また「どう伝えたら良いかわからない」というのは、眼科医にとっても同じ課題であり、各人が各々の立場で学ぶ必要があります。いわゆるコミュニケーション力を磨いて、それをアップしていくことが重要ではないかと思っています。
数か月前、「多職種連携」について原稿を書く機会がありました。イギリスの医学教育に関して少し調べたところ、イギリスでは医学部を卒業した時点で「コミュニケーション力」を備えていることが必須条件でした。それが評価ポイント含まれると記載されているのを見て、「大分違うのだ」と思いました。欧米の人たちは、ディスカッションが得意ですよね。いろいろな立場の人と踏み込んで話をするトレーニングを若い頃から受けているからだと改めて痛感しました。これからは日本でもそういう工夫が必要かもしれません。このように「眼科医に味方になってもらうために」と考える部分で、「患者力・連携力」も必要なのかと思います。
では、「患者力・連携力」のうちの患者力とは何でしょうか。患者力とは「自分の病気を医療者任せにし過ぎない」ことと、「ある程度は関連知識を習得できるように努める」ことです。しかし、この2つは、過度に行うと逆効果になる場合もあるかもしれません。さらに、「医療者と十分なコミュニケーションを通じ信頼関係を築く」とか、「人生を前向きに生きようとする患者の姿勢」ということも該当すると思います。次に、連携力とは何かというと「互いに協力しあいながら物事に取り組んでいく力」であって、治療が困難な病気や今後も付き合わなければならない病気に対し特に大切なものだと思います。
これは後ほどご紹介しますが、ある本に書かれていた「医者にかかる時に使うシート」の一例です。まずは「症状」、次に「どこの具合が悪いか」が記載できます。絵が描けるようなら絵を描いても良いし、文字にできるなら文字でも構いません。そして、「どのように」ということと「時間経過」を記載できます。
ここでは一例としてグラフを載せています。縦軸が頭痛で横軸が時間になります。7日前から痛みが出て、5日前に痛み止めを内服し、その後少し軽くなったものの、今はまた痛くなっている状態をグラフにしていますが、こういう表記の仕方でも良いと思います。
あとは、「症状以外に困っていること」「その他の症状・お願いしたいこと」等を記載できます。通常、一生懸命に伝えたいため、こういう場合は多くの文字を書いてしまいますが、それは逆効果であり、忙しい眼科医に伝えるなら箇条書きの方が伝わりやすいと思います。
また、こちらも私が読んだ本に書かれていましたが、医者が困る患者さんとして「治療と関係のない話が長い」「医者の個人情報をたくさん聞こうとする」に加えて、「平日の日中に検査や外来を入れてくれない」「医療機関を転々とする」という場合があります。もちろん、セカンドオピニオンは除きますが、よく俗語で「ドクターショッピング」と言われるようなものは、あまり良くないわけです。
また、変な言い方ですが、医者に「袖の下を渡す」という場合も同じです。そういうことより手紙の方が喜ばれますし、病院には意見箱のようなものが設置されていますから、そこに手紙を入れてもらった方が良いという話も書かれていました。
これは架空例ですが、ご紹介をしたいと思います。40歳代男性で緑内障、視力は眼鏡を使用しても左右0.3で、視野は2級相当の状態です。例えばその患者さんが「最近、文字の読み書きが難しく仕事に支障が出ている」と言ったとします。それに対し、眼科医が「治療や眼鏡では難しいですが、読み書きで工夫できることをしてみましょう」とか、「歩く時に怖い思いをされたことはないでしょうか。歩行訓練に詳しいスタッフに相談できますが」と提案をしたとします。
この提案に対して、「私は読み書きに困っていて、歩行には困っていないので、読み書きの訓練をしてください」と答える場合と、「私は読み書きに困っていて、歩行には困っていないので、今回は読み書きの訓練だけでどうでしょうか」と答える場合を考えるとします。そうすると、最初の例と2番目の例ではどう感じますか。印象が少し違いませんか。
つまり、話し方ということです。患者さんの話の仕方によっても、医者が不機嫌になるかどうかが違ってきます。皆がみなすぐ不機嫌になるわけではありませんが、これは医者だけの問題ではなくて、例えば訓練を受けているなら、訓練士にも同じことが言えるのではないでしょうか。
例えば「私は読み書きに困っていて、歩行には困っていないので、読み書きの訓練をしてください」というように「〇〇してください」と言うと、これはご自身で診断をしてご自身で治療や訓練の内容を全部決めるという形になります。相手は医者や訓練士という場合もありますが、相手を無視した発言になってしまう可能性もあると思うのです。
もちろん、ご自身からすると「すごく治したい。すごく訓練をしたい」という思いから、「○○してください」という表現になるのでしょうが、この言い方では往々にして良い結果を生まない場合もあるため、ご注意いただく方が良いのかもしれません。
では、どのように言えば良いかというと、「〇〇はどうでしょうか」という形で、先ほど例に出したように「今回は読み書きの訓練だけでどうでしょうか」と提案すれば良いのです。お互い気持ち良く治療や訓練を進めるためにも、「提案型」を意識いただく方が上手くいくと思います。実際、私が参考にさせていただいた本にも同じことが書いてありました。
次に、チーム医療での医者の役割ですが、先ほど提示したチーム医療の図と同様に中央に患者さんがいます。周囲に医師、看護師、医療ソーシャルワーカー、その他の職種、薬剤師と記載されていますが、これはオーケストラと同じでないでしょうか。オーケストラが良い音を奏でるには、やはりコンダクター(指揮者)が必要で、指揮者の指示はすごく大事です。それが上手くいかないと良い音も出ませんから、医者はちょうどコンダクターの役割なのかと思っています。
そして、医療者と十分なコミュニケーションを通じて、信頼関係を築くことが大切です。もちろん不満な場合もあるでしょうが、「こうして下さい」「ああして下さい」などクレームだけを並べても、やはり上手くいかないと思います。もし不満があるなら、一番困っていることを解決してほしいのです。「こういう形に変えてほしい」と思うのなら、「何々するのはどうですか」と、提案型で端的に伝えることが理想的なのだと思います。
私が参考にさせていただいた本にも書いてありましたが、医者と患者が心を通わせると治療や訓練が良くなっていきます。この本の先生はそれを「こころの結束」と表現していました。こういうこともすごく重要ではないかと思います。
こちらは参考というよりも、「医者がかかりたくない医者の4つの条件」として本の中に書いてあったことです。自戒を込めて参考までにご紹介したいと思います。医者も人間ですから、「こういう医者なら代えても良い」という一例にしてもらえればと思います。まずは、「話を聞かない医者・話を遮る医者」です。あとは「白衣がヨレヨレな医者」と、「看護師や若手医師に異常に高圧的な医者」、そして「『わからない』と言えない医者」の4つです。
括弧内は私見ですが、「わからない」で終わりにせず「次回までの宿題にします」などと答えれば良いのです。もし、わからないのなら、「次はどうすれば良いか」ということです。次の手段を指示できないのも、どうかと思います。なぜなら、わからないで止めてしまうと、一番困るのは患者さんだからです。もし、わからなければ誰かに聞いて伝えるという方法もあります。それができないのは良くないと思います。
では、私が今回参考にさせてもらった図書を紹介します。結構面白いと言うと失礼ですが、なかなか良いと思いました。右側の写真は、中山祐次郎先生が書いた『医者の本音-患者の前で何を考えているか』という本の表紙です。左側は『伝え上手な患者になる!―「医者と何を話してよいかわからない」あなたへ―便利な3つの「気持ち伝達シート」つき』で著者は平松 類 先生という眼科ドクターです。ユーチューバーでもあるようなので、良かったらどこかで見てください。
それでは、残りの時間で最後の話をします。医師と患者連携の一例となる「ロービジョン就労相談会」について、ご紹介をしたいと思います。こちらは、コロナ禍以降にタートルと日本眼科医会が協力して進めています。それまでは、集合型の相談会を開催されていたようです。タートルから「ロービジョン就労相談会」の話を貰った時に、私としては特定の医師のみならず、様々な眼科医師に関わってもらって、少しでも視覚障害者のことを理解できる眼科医を増やしたいと考えました。そして、日本眼科医会に相談したところ、白根会長にもご快諾をいただき、今に至ったという経緯があります。
こちらの相談会ですが、今はオンラインで毎月第4土曜の午後、タートル相談担当の方と眼科医とで開催しています。担当している眼科医は合計12名で、主担当とオブザーバーの2名が交代で対応しています。相談前の事前打ち合わせや相談後の反省会も行い、相談者は各回とも1名ないし2名の形をとっています。
実は、1月に12名の眼科医の先生方にアンケートを行いました。無記名回答のため誰が回答したかは把握できませんが、自由に書いてもらえたと思います。75%の回答率でした。まず、「ロービジョン就労相談会担当を経験していかがでしたか」という質問には、100%が「良かった」という回答でした。
次に「ロービジョン就労相談会担当を経験したあと、先生が担当されているロービジョン患者さんの就労問題について意識が向くようになりましたか」という質問には、「以前より意識が向くようになった」が66.7%、前から意識が向いているため「以前と変わらない」という回答が33.3%で、「意識が向かない」という先生は当然ながら0%でした。
また、「ロービジョン就労相談会を担当して、ロービジョン患者さんや周囲の眼科関係者にタートルをすすめることが増えましたか」という質問については、「以前より増えた」が88.9%で、以前からすすめているため「以前とは変わらない」という回答が11.1%でした。もちろん、「以前より減った」という方は0%です。
さらに、「ロービジョン就労相談会を担当して、印象に残っている良かったことがあれば、教えてください」という質問に対しては、「開始直後と終了時の患者さんの顔・話し方に、今後への気持の変化を感じる」という回答や、「相談者が相談している中で方向性を見つけたり、具体的対策を提示された時に、今までわからなかったことが少し前に進んでいく様子がわかります。もちろん、それぞれの方の受け入れや前に進む速度は違いますが、その後の様子の報告もされるので参考になります」といったご意見もありました。
また「他職種の方がどのように関わり、助言しているのか具体的にわかって良かったです」という声や、「仕事に前向きに取り組む相談者がいたのは喜ばしい」「中心視野がかなり狭い相談者さんの時は、文字を探すのに時間がかかることから、音声利用をすすめたことがありました。その時にタートルの皆さんから『自分もそうだった』と共感のコメントを多数いただき、相談者さんの表情が明るくなったのが印象に残っています。当事者会の強みだと思います」といった声もありました。
他にも「相談者の生の困りごとを聞くことができました」という声や、これは歩行訓練士の中村さんのことだと思いますが、「中村さんの助言には、いつもハッとさせられます」というご意見もありました。
次に、「ロービジョン就労相談会を担当して、今後改善した方が良いことがあれば教えてください」という質問で、「タートル側」「日本眼科医会側」「全般」に分類した項目ですが、「都内以外の場合、医療機関と職場以外では、歩行訓練士等への連携のしづらさを感じます」「違う地域の相談を受けても、電車の路面図、東京近辺の福祉サービス等がわからないので、アドバイスできているか不安だ」という回答もありました。また、「Webで行うのであれば、平日の夜なども検討していただけると助かります」とか、「相談は就労に関することに限定すること」「相談者さんの居住地や勤務先近くの担当者を含めた方が良いと思います」や、「就労相談なので多くは担当会員の助言が役に立つと思います。眼科医会側に遠慮しないで、相談を進めていただけたら良いと思います」というご意見もありました。
また、「今後、他の眼科医にもロービジョン就労相談会の担当になることをおすすめしますか」という質問には、「はい」が44.4%で、「いいえ」が22.2%でした。他には「はい。しかし、合う・合わないは当事者にとってもあると考え、適性が求められると感じる。ある程度ロービジョンケアをされている方におすすめ」といった回答や、「向き不向きがあると思う」「連携できる力がある程度ないと難しい」という回答がそれぞれ11.1%ありました。
そして、ロービジョン就労相談会についてのご意見としては、

  • 生活に不安を持っている方のお手伝いを少しでもさせていただき感謝しております。
  • Webで行うのであれば、平日の夜なども検討していただけると助かります。
  • 治療に関する相談は主治医ではないので難しい。
  • 相談した方のその後がどうなったのか、お伺いできる機会があれば良いと思います。
  • 眼科での対応がどうだったか、それを詳細に知ってからの相談の方が良いと感じました。
  • 直接、患者さんを診察しているわけではないので、医学的助言は手帳、年金、補装具など大まかなことに限られるので、ロービジョンケアの経験が少なくても対応可能です。むしろ、そういう先生方に参加いただいた方が、ご自分の患者さんと照らし合わせて支援を考えるきっかけにもなり良いと思います。
  • なかなか難しいでしょうが、例えば「半年後に相談者がどのようにされているのか」を、担当眼科医にフィードバックがあると、より学べるのではと思います。

以上のようなご意見がありました。
では、本日の話の中で最後のスライドとなります。眼科医でロービジョンケアに馴染みのある人はお伝えしたように多いとは言えず、今は発展途上です。これは私個人の感想になるかもしれませんが、「ロービジョンケア・マインドを持つ人は少なくない」と思うのです。なぜなら、お伝えしたように「単に知る機会がなかった」ということが大変多いからです。
また、患者さんとのやり取りを通じロービジョンケア・マインドが高まり、ロービジョンケアに取り組める先生も実際に一定数はいらっしゃいます。医師研修会に参加する先生方と話をすると、そういう方が多いことに気づきます。
最近はコロナで少し減りましたが、各地で開催された眼科医会主催のロービジョンケア講演に行く機会が立場上多くありました。講演後、現地の先生方と話すと、「ロービジョンケアは、自分が思っていたものから変わってきました」と話される方が多いのです。また、「手帳の5級や6級でも意味があるんですね」と話す先生もいらっしゃいます。
今年の1月に偶然ご縁があり、角膜の病気を専門とする先生方の会でしたが、そちらでもロービジョンケアの話をさせてもらいました。すると、座長の先生から、「今まで5、6級は意味がないと患者さんに言っていました。でも、違ったのですね。明日から改めます」と言ってもらえました。ロービジョンケアに関しては、知らない先生も多いのだと思います。これからも「知らない」と思われる眼科の先生が大勢いる場所に行って、ロービジョンケアの話をする機会を増やす必要があると思います。今後も眼科医がロービジョンケアに取り組めるよう、患者さんの立場から続けてのご支援をお願いできれば幸いです。以上で私の話を終わります。ありがとうございました。

参考文献
中山 祐次郎『医者の本音-患者の前で何を考えているか』 SB新書 2018年
平松 類『伝え上手な患者になる!-「医者と何を話してよいかわからない」あなたへ』
自由国民社 2012年

2023年6月通常総会記念講演会 「これまでを振り返って」

社会学博士 静岡県立大学名誉教授、有限会社 エクストラ 代表取締役
石川 准 氏

ご紹介ありがとうございました。石川 准です。それでは、お話をさせていただきたいと思います。スクリーンリーダーを操作しながら話をするため、音が入ってしまって阻害するかもしれませんが、ご容赦ください。
最近では、振り返る系の話をしたり書いたりする機会が増えているので、そういう年齢になったのかと思います。昨年は大学を退職するにあたっての最終講義を行いました。それを皮切りに「内閣府障害者政策委員会」の10年の活動を振り返る論文を書きましたが、本日はもっと長いスパンで活動を振り返りたいと思います。皆様にとって参考となる話になるのかわかりませんが、聞いていただければと思います。

[学生時代]

まず、最初の項目の「学生時代」ということです。私は16歳の時に失明しました。それまでは弱視で右眼だけ0.08ほど見えていましたが、網膜剥離を抱えいつ見えなくなるのかわからない状態でした。多分、毛細血管が網膜に入り込んでしまい、網膜剥離の手術ができなかったのではないかと思います。
そのころ2年弱の入院をしましたが、全く見えなくなって退院しました。そして、東京教育大学附属盲学校の高等部に入学したので、高校に入り直した形になります。ですから、私の盲学校経験は「高校3年間」ということになります。
ただ、盲学校は自分がイメージしていた場所と全く違っていたので、カルチャーショックを非常に受けました。生徒たちはみな杖を使わずに廊下を走ったり、近くの商店に買い物に行ったりして、点字も猛烈なスピードで読むうえに非常に雄弁でした。また、盲人バレーの動きも大変激しく全くついていけない状態でしたから、良い意味でカルチャーショックを受けました。そして「見えない=できない」ではないことを強く確信したのです。そういうこともあり、周りの活気やエネルギーに私は鼓舞されました。そして、点字受験ではまだ東京大学の合格者が出ていないということで、私は東大合格に挑戦しようと考えました。すると、母親が家事できり出して参考書や問題集を録音したり、点訳してくれました。また、盲学校の先生たちもバックアップしてくれました。ただいくらなんでも、現役での合格は無理だと思いましたが、運良くまさかの合格になりました。
そして、大学に入りましたが、そこで高い壁にぶつかりました。「暗黒時代」というと言いすぎですが、このころは私の人生でちょっとブルーな時代でした。「本が読めない」「論文が読めない」、そして「自分にできることは何もない」という感じで、ネガティブな気持ちの時代でした。そして、展望もないまま大学院へ進学しました。当時はコンピューターもインターネットもない時代で、すべてがボランティア頼みで非常に限界を感じる状態でした。
その当時の話ですが、某国立大学の教授会に呼ばれて意見を求められました。どういうことかと言うと、教授会では視覚障害学生の受け入れに関して「災害時等の安全に対して責任を取れないため断るべきだ」という意見があるが、「あなたはどう思いますか」と聞かれたのです。私は「大学ほど安全なところはありません」と答えて苦笑されましたが、これは嫌味で言ったわけではなく本当にそう思ったのです。
この話のように、「専門家」と言われる人々も自分の専門分野を離れると、言葉は悪いのですが、突如として愚かになるのだと理解しました。これは、先ほど重田理事長が話された岡山短大のケースでも全く同じだと思います。バカバカしくて理屈にもならない屁理屈を主張して恥ずかしくないのかと感じたのです。
その時から30年経って障害者差別解消法が成立し、障害のある学生も大学で学ぶ権利を主張できるようになったことには隔世の感があります。この差別解消法で一番進んだ分野の1つは、高等教育機関における障害学生支援だと思います。ただ、就労に関してどの程度改善したかに関しては、改めて論じる必要があると思います。
そして、2014年になりますが、「AHEAD JAPAN」という団体を作りました。これは、「全国高等教育障害学生支援協議会」というもので、全国で障害学生の支援を担当する職員や教員のヨコのつながり、情報交換の場になります。また、研究や協力の場であると同時に、全国の大学や短大、高等専門学校を法人会員とし、大学間での障害学生支援のネットワーク強化を目的とするものです。こちらの代表理事もしていましたが、6月に退任しました。
次の話ですが、大学院のドクターコースに入った1993年には、アメリカに留学しました。障害者を対象としたダスキンの奨学金で障害者リーダーの海外派遣事業に応募し、9か月ほど留学しました。場所は、ニューヨーク州立大学のストーニーブルック校という大学です。マンハッタンの東の方角に「ロングアイランド」という細長い大きな島があり、その東側にあるので、ニューヨークでも郊外の大学ということになります。
そこでは音声パソコンや点字プリンターに加え、今でこそ未来予測やアンチエイジング分野、シンギュラリティで有名なレイ・カーツワイルの「リーディングマシン」というものに出会いました。フラットベッド型スキャナーと、音声合成装置を持つ音声読み上げ読書器を作って販売しており、そういったものが大学図書館に入っていました。それにカルチャーショックを感じて感動したことを記憶しています。
1年の留学の後日本に帰国して書いたのが「逸脱の政治―スティグマを貼られた人々のアイデンティティ管理」というテーマの論文で、確か1985年に岩波書店の『思想』という雑誌に掲載されました。評価や承認をめぐる社会的相互作用に関するものでアイデンティティ管理の私的戦略と集合的戦略について論じました。
簡単に言うと、人は社会から否定的に評価されるラベルを貼られかねない立場に立つと、パッシング(身元隠し)戦略をとるか、カミングアウト戦略をとるか、もしくはリカバリー戦略をとるというもので、3つの戦略のいずれかを採用すると論じたものです。
当時、私は生粋のリカバリー派で、努力と克服によるリカバリーを中心としていたため、その後の障害者政策、障害者の人権確保に関わる仕事や、障害学でアンチテーゼを出す人になるとは思えない状態でした。
次のスライドは「論文は書いたけれども問題は未解決だった」という話になります。論文を書くことは「言語化」であって、自分の抱えている問題を言葉にして整理する作業であり、客観視できるものにしていきます。それによって、気持ちが落ち着き安定します。
しかし、読み書き問題や情報へのアクセス問題というものは未解決のままでした。書籍を読む際の「ボランティア依存」の状況は変わらなかったし、文章を書く時にAOKワープロはあったものの未導入のため、パソコンのキーボードを使ってブラインドタッチで入力し、誤変換があれば隣席のボランティアに声をかけてもらう餅つき方式を使用していました。当時は、だれもがキーボード入力をテキパキとできる時代ではなくて、自分で入力し、音声によるフィードバックの代わりに人的支援をお願いするといった状況でした。

[自分の道具は自分で作る]

次に、「自分の道具は自分で作る」という2つ目の項目です。アメリカではMS-DOSの「フリッパー」というスクリーンリーダーに触れて実際に使用したところ、その素晴らしさに魅了されました。そのスクリーンリーダーにはレビューモードという機能があって、画面上のすべての文字情報をレビューすることが可能でした。
刻々と表示される文字情報を読み上げるだけではなくて、既に画面上に表示されている文字もレビューできる機能を持っていて、MS-DOS用スクリーンリーダーとしては大変優れていました。名前の「フリッパー」というのは、イルカのフリッパーからきているのだと思います。
そして、自分もこういったものを作りたいと思いましたが、既に日本では斎藤正夫さんがMS-DOS用のスクリーンリーダーの開発を進めていました。そこで、プログラミングができないと話にならないと思って、Pascal(パスカル)やC言語の勉強を始め、プログラミングにのめり込みました。まさにDIY(Do It Yourself)という感じですが、当時の視覚障害者で技術的なことが好きな人たちは、国内の人も海外の人も皆なDIY系のことをしていました。
シリコンバレーでは、ペイン(痛み)とペインキラー(痛み止め)という言葉がよく使われていますが、ペインには「痛み」だけではなくて「不便」「不都合」「不快感」「問題」といった意味があります。シリコンバレーで成功をするためには、まだ言葉になっていなくて、はっきりと形になっていないペインを発見し、解決策を提示することが重要だというのです。これが、シリコンバレー流ベンチャー企業の成功の秘訣と言われています。
同様に「障害の社会モデル」というと、社会環境を改善していくことが中心になりますが、当時は「自分が経験している問題を解決するためのペインキラーは、テクノロジーしかない」と思っていました。そういう意味でペインキラー開発に大きな希望を持っていたしそれに夢中になっていたと言えると思います。
そして、「MS-DOS」というOSは、DIYでもどうにかなるような素朴な環境でした。そこで自動点訳ソフトや、「グラスルーツ」という名前のMS-DOS用スクリーンリーダー、「ベガ」という名前のエディタなどを作りました。
さらに、その延長線上として2000年には有限会社 エクストラをスタートさせました。就労や教育で求められる支援機器のソフト開発を行う会社という位置づけでした。そして、自動点訳ソフト「EXTRA」のWindows版を開発し、販売することになりました。
加えて、「out SPOKEN(アウトスポークン)」というWindows用のスクリーンリーダーの日本語開発も行い、それを富士通中部システムズという会社からリリースしました。開発した会社がオランダのアーネムにあったので、私ともう一人の技術者でアーネムまで行き、開発会議を行ったこともありました。
また、2003年~2004年頃までは、日本IBM社が「JAWS」スクリーンリーダーの日本語版のローカライズを行い、JAWS IBM Versionの3.7と4.5シリーズをリリースしたのですが、Version5はリリースをされませんでした。すると、折しも2005年3月にCSUN(シーサン)というカンファレンスがロサンゼルスで行われ、JAWSの開発元である「フリーダム・サイエンティフィック社」の社長と副社長が、私に声をかけてきたのです。昼ごはんを食べながら、「JAWSの日本語版のローカライズに興味はないか」と聞いてきたのです。
そこで「もちろん興味はあるが、IBMがやっているので」という話をすると、「IBMとの契約は終了可能なので、興味があれば是非やってほしい」と言われました。それならと引き受けることになりました。
そして、当時最新版のJAWS6.2の日本語版を4か月間で作って、2005年7月25日に発売をしました。今なら「こんな速いペースでは絶対にできない」というすごいスピードで、突貫工事で日本語版を作りました。基本的な枠組み等が全然できていない状態でしたから、本当に推理小説を解くような感じでした。「どこに何を入れたらどういう情報が取れるのか」「どんな処理を中に入れたら問題解決できるのか」を必死に考えて作ったので、一番思い出深いですし、大きな充実感もありました。
また、韓国のHIMS(ヒムス)社と一緒に、点字携帯端末「ブレイルセンス」の日本語化もずっと行ってきました。最初は「ブレイルセンス・クラシック」という初代のブレイルセンスから始めて、「ボイスセンス」「ブレイルセンス・プラス」「オンハンド」「U2」「ポラリス」「シックス」という感じで開発しました。現在はアンドロイドOSを搭載した「シックス」が最新のブレイルセンスシリーズとなっています。また、有限会社エクストラでは数多くのセンスアプリの開発もしてきました。
ただ、これらはすべて自己資金で開発するため、作れば作るほどブレイルセンスから得られる収益は減りますが、センスシリーズの付加価値は上がって便利になります。ですから、大きな損失さえ出さなければ、必要なセンスアプリは積極的に開発する方針で取り組んできました。なぜなら、点字携帯端末は仕事でも学校でも必須の道具だからです。
次は「移動支援」の話ですが、頭の中で「塔の上からの視点」と「路上の視点」を明確に描きながら、「一人で足どり軽く歩きたい」というのが、視覚障害のだれもが持つ夢というか、望みなのだと思います。ですから、新しい移動支援アプリが出る度にフォーカスが当たり、皆さんも一度は試すことを続けるのだと思います。本当に様々なものが出てきて、選択肢も豊富になっているのが今の時代の特徴だと思います。
私も、最初はヒューマンウェアというカナダの会社の「トレッカーブリーズ」という移動支援専用機器の日本語版開発をしました。さらに、センスアプリとして「GPSレーダー」を開発しU2とU2ミニに搭載しました。さらに、アンドロイド版を開発して、シックスシリーズ用の「GPSレーダー」をリリースする準備もしています。
ブレイルセンスは高額な機械であるため、これを持って歩きながら使うのは無謀なことです。基本的には安全が確保された環境で、例えば在宅で仮想モードとして事前に使うとか、あとから復習をするために使うとか、車や電車の中で移動時に使う方法が合理的だと考えています。
この機器は、音声と点字によって情報を提示することができます。仮想散歩、仮想ナビといったシミュレーション機能や点字マップ機能も持っています。先ほどの話のように、塔の上からの視点を描くには地図が必要で、紙の地図が一番良いのですが、任意の場所の地図を点字で描くわけにいかないため、一行の点字ディスプレイで強引に地図表現をしています。
ちなみに、将棋関係ソフトの作成もしています。こちらは、「将棋倶楽部24アクセス」というソフトで、将棋倶楽部24で対局できる形です。将棋盤には9×9のマスがありますが、一度に表示できるのは一行分だけ。それでもネットで将棋を指したいと思いソフトを作りました。

[障害学への招待]

次が、3つ目の「障害学への招待」という話ですが、もともと私は「存在証明の社会学」というものをテーマにして、『アイデンティティ・ゲーム』や、『見えないものと見えるもの-社交とアシストの障害学』などの本を出版してきました。人には承認や評価をめぐって様々なせめぎ合いや葛藤があります。それを通じ、社会関係や社会現象を説明し理解しようと考えて研究してきました。
それでも、1999年に『障害学への招待』という共著を出版しました。長瀬 修さんという人と友達になり、二人の編著でこの本を出しました。そして、この『障害学への招待』という本の中で、障害の社会モデルを紹介しました。障害の社会モデルは、障害関係であれば理解される方が増えていると思いますが、念のために説明します。
障害についての「医学モデル」と「社会モデル」の違いですが、「医学モデル」において、健常者は「配慮を必要としない人たち」であり、障害者は「特別な配慮を必要とする人たち」と位置づけられてきました。
一方で、健常者は、「既に一定程度環境により配慮をされている人たち」であり、障害者は「未だ十分な配慮がされていない人たち」と考えるべきというのが、障害の「社会モデル」の考え方です。以下のようなイメージをすればわかりやすいと考え「悪夢なもの」というスライドを用意しました。
もし、次のようなものがあるとしたら、それはだれにとっても悪夢でしかないと思います。例えば、「階段のない二階建て住宅」「階段しかないタワーマンション」、「街灯のない真っ暗な道」「3秒で変わる信号機」、「スピーカーとマイクのない講演会」「字幕・吹き替えのない外国映画」などは、大多数の人が対応できない環境です。だからそういうことが現実には起きることはなく悪夢でしかないということになります。他方で、障害者は「環境と自分の特性との間のミスマッチがつねにあり、社会的にその状態が容認されている状態にある人々だという話になると思います。
そこで、障害学会というものを2003年に設立しました。今年でちょうど20周年なので、20周年の記念大会や出版を予定していますが、私は初代の会長を引き受けておりました。そして、十数年ぶりですが、現在も会長をしています。障害学会の取り組みですが、障害者差別解消法のできる前から、多様な障害を持つ会員に対し、環境調整や合理的配慮の提供といったものを実施してきました。
まず、2004年の第一回学会大会は静岡県立大学で行いました。他学会に先駆け、ろう者には手話通訳を提供しました。また、手話ユーザーではない聴覚障害者に対しては、PCのキャプションとして、インターネットを使用した「リモートPC要約筆記」を導入しました。
そして、精神障害や発達障害のある会員に対しては、会場にソファベッドを用意し、横になったまま報告を聞ける状態にしました。また、パーティションで視線の遮断を図りました。さらに、休憩室にはベッドを入れ、そこからでもスピーカーで報告が聞ける形にしました。
加えて、視覚障害の会員には、あらかじめ学会ホームページに報告資料を掲載し、事前にダウンロードできるようにしました。そのため墨字資料集などは配らないこととし、事前のダウンロードを全員に依頼しました。「自分にとって使いやすいメディアで持参ください」とお願いし、希望する視覚障害の会員には最寄り駅からの誘導サービスも実施しました。
また、学会の取り組みとして『障害学研究』という学会誌を年に一冊発行していますが、印刷物の読みに困難のある会員に対しては、テキストデータという形で提供をしています。今回、20周年記念号を出す予定ですが、kindle版も出版する予定です。ご承知のように、リフロー型のkindle電子書籍は一定程度アクセシブルであると考えているからです。
話は少し戻りますが、『障害学への招待』という書籍には、本の末尾に「テキストデータ引換券」というページを用意しました。その引換券を切り取って出版社の明石書店に送り、自分がプリント・ディスアビリティであると申告をすれば、テキストデータ形式での提供が可能となります。多分こういう方式を日本で行ったのは、『障害学への招待』が初めてではないかと思います。
そして、いくつかの出版社がこういった取り組みに賛同してくれました。とりわけ生活書院では、すべての書籍に対して、テキストデータ引換券の提供をしてくれています。生活書院社長の高橋 淳 氏は、かつて明石書店で『障害学への招待』の担当編集者をされていましたから、そのご縁もあってのことだと思います。
それで読書方法に関する話ですが、私の場合には書籍を電動カッターで裁断し、ドキュメントスキャナーで画像にしてから、OCRソフトでテキストファイル化する方法を長い間使っています。本一冊をOCRでテキスト化するには、この方式が一番効率的であり、「これが良いだろう」と考えて実施しています。
あとは、kindle(電子書籍)の活用ですが、最近はかなりの本がkindle版で出版されているため、昔に比べ読書の自由がかなり広がっていると思います。ただし、専門書や学術書は中小零細の出版社が出している場合も多く、相変わらず紙媒体でしか出版されない本も数多くあります。

[思いがけなく障害者政策の最前線に]

では、次に4番目の項目として「思いがけなく障害者政策の最前線に」という話をしたいと思います。「障害者権利条約」は2006年に採択され、日本は2014年に批准しています。当初、日本では権利条約の早期批准を予定し、2009年春には国会での承認の段取りが既にできている状態でした。しかし、障害者団体は「批准前に国内の制度改革を先行させるべき」と主張し早期批准に反対しました。これは非常に賢明な判断だったと言うことができます。なぜかというと、鉄は熱いうちに打ったほうが良いからで、条約の批准をしてしまうと国内の制度改革が棚上げとなり遅れてしまう状況を、他の人権条約でも経験していたからです。
「批准はしたいが、遅らせる勇気を持っていた」というのは、当時の障害者団体リーダーの見識が非常に素晴らしかったからだと思います。そして、政府は障害者団体の主張を受け入れ、制度改革を優先する選択を行いました。そのことによって、障害者基本法の改正でも権利条約とある程度の整合性を確保できたし、障害者差別解消法の制定もできたわけです。
そして、障害者基本法改正により、内閣府 障害者政策委員会が設置されることになり、図らずも私が初代委員長になりました。本来なら、政策委員会委員長として最も適任なのはJD(日本障害者協議会)の藤井克徳さんでしたが、当時藤井さんの委員長就任を阻むような政治状況があったことも理由になるかと思います。ただ、石川が委員長になり多くのことが政府主導になったと言われたら皆さんには申し訳ないし、私としてもシャクにさわると考えこの10年間は自分なりにがんばってきました。
では、内閣府障害者政策委員会の任務ですが、そこでは「国の障害者基本計画の策定」や「基本計画の実施状況の監視」のほか、「障害者差別解消法の基本方針の策定」「障害者差別解消法の見直しのとりまとめ」などを行いました。また、国連障害者権利条約の「独立した監視枠組み」としての役割も担っていました。
制度的には審議会に過ぎませんが、他方で独立した監視枠組みという役割を持っていて、ダブルスタンダードの立場というのでしょうか。制度的に独立性もないし強い権限があるわけでもないのですが、責任は重いことが政策委員会の立ち位置でした。
政策委員会の10年間の目標は、「障害者政策委員会を、国連障害者権利条約実施の独立した監視枠組みとしていかに機能させるか」ということで、私にとっては10年間で一番のテーマでした。具体的にできたのは、政策委員会の見解を権利委員会に報告できたことです。実施上の主要な懸念事項として暗礁に乗り上げている点、権利条約が求める方向と異なる方向に向かっている点など、きちんと指摘し報告することです。そして、権利委員会の初回審査の「建設的対話」の場で、政策委員会の委員長として独立した監視枠組みを代表して、冒頭発言を行うことができました。この二点は大きな成果だと思います。
また、「事業者に対し合理的配慮を義務づける」という内容に関する改正を、「障害者差別解消法」の見直し時にとりまとめ追加できたことも、もう1つの成果だと考えます。そして、障害者差別解消法の基本方針の策定を2回行いました。最初の障害者差別解消法に加え、改正障害者差別解消法に関しても基本方針をまとめることができました。
さらに、権利条約との整合性をできるだけ確保した「障害者基本計画の策定」に関しては、第3次、第4次、第5次という形で基本計画を3回作りました。第3次は、まだまだの状態でしたが、第4次、第5次となるに従い、主導権を確保しつつ基本計画を徐々に権利条約に近づけていくことが、ある程度できたのではないかと思います。
次は、「国連 障害者権利委員会」の対日審査に関するものです。昨年8月の22日、23日に行われましたが、私が発表した冒頭ステートメントを聞いていただけたらと思います。

Thank you, Madam chair.
Commission on the Policy for Persons with Disabilities that I chair is the officially pointed Independent Monitoring Mechanism.
I will address three major concern from our monitoring.
Our first concern is regarding article 12.
Regime shift from substituted decision making to supported decision making is not yet officially considered.
Equal recognition of persons with disabilities before the law is restricted by the Adult Guardianship system.
Under the current system, persons with disabilities who are judged to lack the capacity to appreciate right or wrong are restricted from exercising legal capacity, even if they have mental capacity and can enjoy exercising legal capacity ifappropriate support is provided.
Our second concern is regarding article 14.
In Japan the number of psychiatric beds is outstandingly large.
The average length of stay in psychiatric hospitals is outstandingly long.
Involuntary admissions have reached the same number as voluntary admissions.
The majority of involuntary admissions are medical care and protection admission.
The medical care and protection admission is a unique system in which patients are forcibly admitted to a psychiatric hospital, even if there is neither a risk of self-injury nor of causing harm to others, as long as their families agree with the decision made by designated psychiatrists.
The number of people undergoing physical restraints in psychiatric care has doubled in the past 20 years.
Restraint in mental care and in-patient facilities can be applied to persons with psychosocial disabilities, persons with dementia and persons with behavioral disorders even when these measures are not necessary as emergency measures or measures of last resort.
No specific roadmap to abolish such practices has been developed.

Our third concern is regarding article 24.
The definition of inclusive education system by the government of Japan includes special needs education school.
The number of children and students enrolled in special needs education schools and special needs education classes continues to increase.
Paradigm shift from separate education to inclusive education is further required.
Measures to provide reasonable accommodation and individualized support at regular classes are still limited.

I hope the constructive dialogue today and tomorrow will be very fruitful.
Thank you.」

ここから翻訳
議長、ありがとうございます。
私が委員長を務める障害者政策委員会は、独立したモニタリング・メカニズムの役割を担っています。
私たちのモニタリングの中で、3つの大きな懸念事項を取り上げます。
最初の懸念は、第12条に関するものです。
代理決定から支援決定へのパラダイムシフトは、まだ公式に考慮されていません。
成年後見制度によって、障害者が法律上平等な扱いを受けることが制限されています。
現行制度では、たとえ精神能力があり、適切な支援が提供されれば法的能力を発揮することができる障害者であっても、善悪を判断する能力がないと判断された場合、法的能力の発揮が制限されます。
第2の懸念は、第14条に関するものです。
日本では、精神科の病床数が突出して多いです。また、精神科病院の平均在院日数も群を抜いて長くなっています。
非自発的入院は、自発的入院と同じ数に達しています。
非自発的入院の大半は医療保護入院です。医療保護入院とは、自傷他害の恐れがなくても、精神保健指定医の判断に家族が同意すれば、強制的に入院させるという独特の制度です。
精神科医療において身体拘束を受ける人の数は、この20年間で倍増しています。
精神科医療・入院施設における化学的拘束を含む身体拘束は、精神障害者や認知症患者に対して、緊急措置や最後の手段として必要でない場合にも適用されています。
このような問題を解決するための具体的なロードマップは作成されていません。
3つ目の懸念は、24条に関するものです。
日本政府によるインクルーシブ教育システムの定義には特別支援学校も含まれています。
特別支援学校や特別支援学級に在籍する児童・生徒の数は増加の一途をたどっています。
分離教育からインクルーシブ教育へのパラダイムシフトが遅れています。
通常学級での合理的配慮や個別支援の取り組みは限定的です。
今日と明日の建設的な対話が実り多いものになることを期待しています。
ありがとうございました。

上記のような形で、私は冒頭ステートメントを述べました。2017年~2020年の4年間、国連の障害者権利委員会の委員として仕事をしていたこともあり、冒頭ステートメントに関しては、このような感じで発言を行うことができました。
権利委員会の委員ということですが、障害者団体と政府の両方から「日本から委員を出したいので、立候補をしてもらいたい」という要請があって、最終的には立候補をすることとなりました。ニューヨークの国連本部に行って、選挙活動を5回行うことになりましたが、私は富士山にも登ったことがないのに、「ヒマラヤに登れ」と言われたような気持ちでした。当時もいまも、私は英語力に自信がありませんでした。
権利委員会の委員の仕事ですが、朝から夕方まで週5日ぶっ通しの会議が4週間ずつ、一年間に2回あるような大変な激務でした。膨大な資料も読まなければいけないし、長時間英語のシャワーを聞きながら対応しないといけない状態でした。長時間の英語のシャワーによって、何度も頭がシャットダウンしました。特に一年目は頻繁にシャットダウンを繰り返しました。
そこで、昼休みにはピクニックシートを敷いて、その上で休憩するというか、仮眠しないともたないような状態でした。休憩室ぐらいはあると思っていたのですが、休憩室もないために身体を休める場所もなくて庭にピクニックシートを敷いて寝ました。
この権利委員会の仕事は、人権条約である「障害者権利条約」の実施状況に関して、各国からの報告を審査し総括所見を出すことが一番大きな任務です。その他には「一般的意見」と言って、各条文に対して権利委員会としての解釈を示すことも大きな役割です。さらに、選択議定書を批准した国の市民から要請された人権救済に対処する大変難しい仕事もあり、これらすべてが障害者権利委員会の仕事でした。

[将棋に余暇人生をかける]

次の項目ですが、写真を見ていただこうと考えて、弱視の方に写真をお見せしています。5つ目の項目として少しだけ趣味の話もしたいと思います。この10年は「将棋に余暇人生をかけるが如く」という感じで、今まで趣味としていたことを全部削り、将棋に投入している状態です。
毎晩のようにスカイプを使ってリモート対局をしたり、詰将棋の勉強をしています。また、解説書やAIソフトを使った定跡の勉強に加え、プロの棋譜を並べて学習したり、プロ棋士の先生に教えてもらったりして様々な勉強をしてきました。やはり、将棋で大切なのは、「理屈と読み」です。読みに関しては、読みの面積、つまりヨコ幅とタテ幅を掛け算した面積を広げていくことが重要です。面積が広いか狭いかというのがすごく重要です。
子どもであれば、母語のように「将棋ネィティブ」としてどんどん吸収し、読みの面積が拡がっていくと思いますが、大人になってからの学習ではわずかずつしか広がりません。
また、気持ちによってブレる状態も生じるため、気持ちよりも理屈を信じることが非常に重要です。昨今では、記憶として覚えることも非常に多く重要ですが、ザルで水をすくうといった状況です。「一つ覚えたら二つ忘れる」状態ですから、ザルで水をすくい続けるしかない感じがしています。
実は、将棋には香車(きょうしゃ)という駒があります。「香車一本強くなる」といった表現があります。初段であれば二段、二段であれば三段というように、一つ段位が上がるぐらいの棋力向上を「香車一本強くなる」と言います。「香車一本強い自分」を視界の中で遠く捉えながら、追いつくことを目標にするイメージが、自分としては好きです。そういう感覚がある時は大変気持ちが良いですが、香車一本強い自分が全く視界に入ってこない時には苦しくなる感じがしています。

[人生はフィールドワーク]

さて、最後の項目ですが「人生はフィールドワーク」だと感じています。「自分には荷が重い」と思うようなことを、いつも引き受けてきたと思います。いつも、その役割に追いつこうとして取り組んできました。権利委員会の委員の時もそうでした。英語はあまり得意ではないし、よく聞き取ることもできませんでした。そして、政策委員会委員長の仕事にも、「追いつこう」と思って一生懸命に取り組んできました。
また、「JAWS」の日本語版開発の際も、技術力が全然足りないのに行うことになって、「追いつこう」と思ってきました。もっと言えば、大学では国際関係学部の教員を30年以上担当しましたが、専門は社会学です。国際関係や地域研究分野ではなかったので、国際関係学部の教員として学生指導を行うことに、どうにかして追いつこうとしてきました。最後には障害者権利委員会の委員を経験し、どうにか追いついたのではないかと思いますが、大変時間がかかってしまって、若いころに指導した学生には申し訳なかったと思っています。
問題解決しようとして、いろいろ悪戦苦闘すること自体が私は面白いと感じます。そして、それ自体が面白い作業になると、それが手段だったことを忘れてしまうほどです。例えば、ペインキラーを作ろうとしたことを忘れるほど、開発の仕事は面白いものでしたし、政策委員会の仕事もやりがいのあるものでした。ストレスやプレッシャーのかかる役割や、責任を引き受けた時は、フィールドワークのつもりで取り組むということでしょうか。自分から距離をとって全体を見渡せば、少しは気持ちにも余裕が出てきます。
では、最近引き受けることになって、「荷が重い」と感じた仕事の話です。「日本社会学会」という学会に『社会学評論』という学会誌がありますが、その編集委員長を引き受けることになってしまいました。
学会自体は3,000人ほどですが、政策委員会の現場で10年以上仕事をしていたために、最近の若手や中堅の社会学者がどんな研究をしているか知らないまま、投稿論文の査読者選定や特集の企画を組むという難しい案件を担う役割になりました。このことについても、社会学者のフィールドワークだと思って取り組んでいる状況です。引き受けるほうも引き受けるほうですが、頼むほうも頼むほうです。
最初にご依頼いただいた60分の話ということで、ここまでの話をさせていただきました。聞いていただきありがとうございます。では、マイクを司会にお返しします。

*引用文献
第70回 障害者政策委員会 議事次第 
資料4 障害者権利条約政府報告審査における石川委員長の冒頭ステートメント
第70回 障害者政策委員会 議事次第 - 内閣府 (cao.go.jp)
インターネット 2023/6/15アクセス

【職場で頑張っています】

苦しさと切なさと心強さと~笑顔へ 

会員 石川美紀 氏

病は突然やってくるのか。

私は中途で視覚に障害を持った、ロービジョンの石川美紀と申します。
今から20年近く前、当時住んでいたオランダから一時帰国した際、受診した人間ドックで高眼圧を指摘され、すぐに眼科を受診。医師もびっくりされる程の眼圧は40もあり、目薬を何本か処方されました。「とりあえず様子を見ましょう」と言われ、開放隅角緑内障と診断されました。自覚症状は特になかったのですが、ライトの周りに虹が見える状態で虹彩、この違和感が始まりだったように思います。
オランダに戻り生活する中で目薬を求めて現地の病院を受診し、日本から持ってきた目薬を見せて「これをお願いします」と私の拙い英語で説明しても、「何を言っているの?」となりました。日本の目薬を見せても、伝わるわけはないのですよね(涙)。
オランダでは、春から夏はとても気持ちの良い季節ですが、秋から冬にかけてはどんよりとした天気の毎日。気分もモヤっとし、滅入る日々も多くなり、思い描いていた海外生活に終止符を打ち日本に帰国することを決めました。日本に戻って眼科に通う中、新たに仕事を始め、子育てと両立する忙しい日々となりました。緑内障のことも忘れるように過ごしていた数年。
しかし、忘れていた頃に、気がつくと眼圧は30を超えていて、医師から「眼圧を下げるには手術しかない」と勧められ、そこから私の手術生活の始まりが来てしまいました。眼圧が上がるたび、3年ごとに手術を繰り返すようになって、気がつくと計6回の手術を。さらに、気づかないうちに右眼の視野がほとんど欠けていました。視力、視野がだんだんと欠けていく、これが緑内障なのでしょうか。
当時住んでいた静岡県ではほぼ車生活のため、片眼の見えない中で運転し、対向車のライトが眩しいことや、雨の日には地面の反射で前が見えないことも。ハラハラした怖い思いもたくさんあって、事故を起こしたこともありました。毎日、神様に祈るばかりで、心も疲れ果て限界となって仕事を辞めることに。
そこから私の暗黒期が。どこに行けば良いのか。何ができるのか。何もできないのか。どこにも繋がれない。どうすれば良いのかと、もがく日々。
そんな時、一人の盲導犬を連れた方を見かけ、一つの光が見えたのです。その方は福祉事業所に通われていました。そこを見学にいって、特別支援学校のあることを教えてもらいました。特別支援学校で視能訓練士をしている田中先生と出会うことができ、田中先生が私の人生を変えてくれるきっかけとなりました。いろいろなことを教えていただき、このタイミングで埼玉に移ることとなりました。
東京では日本点字図書館の小林先生に繋げてもらい、国立障害者リハビリテーション病院に、そして視覚障害者のヨガクラスであるチャレンジド・ヨガの存在を教えてもらいました。そこに参加した際、隣で偶然一緒になった方から、「バンバンクラブというランニングクラブを知っている?」と言われました。タートルのこともこの時に初めて教えてもらって、こうした繋がりにより出会いの扉が次々と開かれていったのです。その後出席したタートル女子会でも、たくさんの素敵な方との出会いがありました。ご縁は有難く素晴らしいです。
そして、国立障害者リハビリテーションセンターの機能訓練後に就労支援を受けました。就職活動では10社ほど落ちましたが、今は以前経験した労務管理の仕事を、拡大読書器と音声補助を活用したPCで行いながら、人事部で5年目を迎えています。私なりの社会復帰がかない、本当にありがたく感じます。
また、大好きなスポーツも2年前から始めた、まさかのブラインドサッカーでフィールドプレーヤーとして試合にも出していただき、チーム仲間と切磋琢磨しながら楽しんでいます。そして公園での活動、障害の有無に関係なく様々な方がスポーツを楽しめるユニバーサルスポーツ・コミュニティの場です。車いすの方、脳性麻痺の方、お互いを思い合いながら行うこのコミュニティは、たくさんの繋がりの生まれる大切な場となっています。
そしてもう一つ、微力ではありますが、2年前より埼玉県ヘルプマーク普及大使という大役を任命いただき、ヘルプマークの理解・啓発や普及活動などを通じ、見た目でわからない障害や病気の方への援助・見守りなど、皆さんにご理解いただけるよう活動しています。
私自身もヘルプマークに助けられ、公共交通機関で席を譲ってもらうことや声を掛けていただくこと、困っている時に案内してもらうこともあります。人の優しさや繋がりを有難く感じる日が数多くあります。
今、私が特に思うのは、自分が障害を持ったことにより助けてくださる人の有難さを感じ、自分の声掛けや伝え方でより理解をいただけるということです。心地よく過ごすための気持ちの持ちようは、自分が作っていくことが大切なのではないでしょうか。
これからの社会が、障害の有無にかかわらず、すべての人が助け合い、支えあいながら共に生きていける社会になること。自分自身も、困っている方を助けられるような人でありたいと強く願っています。
21歳という若さで突然の難病により天国へ旅立った姪の思いを忘れずに、たくさんの笑顔を与えてくれた姪に感謝。ありがとう。頑張っていきたい。見守っていてね。

お知らせコーナー

タートル情報誌今後の発行予定について

情報誌65号 2025年2月発行予定
・2023年9月講演会
「視覚障害者の就労について思うこと ~これまでを振り返って~」
タートル運営委員 吉田 重子 氏
・2023年11月講演会
「歩行訓練とはどんな訓練なのか」
東京視覚障害者生活支援センター 機能訓練課長 中村 亮 氏

情報誌66号 2025年4月発行予定
・2024年3月講演会
「視覚障害者の就労の現状」
社会福祉法人 日本視覚障害者団体連合 総合相談室相談員(雇用・就労担当) 相沢
保 氏
・2024年6月総会記念講演会
「失明から50年 病院と学校、地域で出会った人々に支えられて」
日本盲人福祉委員会 常務理事 指田 忠司 氏

以上、充実した内容をお届けしますので、ご期待ください。

ご参加をお待ちしております!!

◎交流会

本年度は1月、3月の第3土曜日にオンラインと一部、対面で行います。毎回、講演を聴いたあと、講師との質疑応答の時間も設けます。

◎タートルサロン

上記交流会実施月以外の毎月第3土曜日の14:00~16:00に行います。情報交換や気軽な相談の場としてご利用ください。
他にも、原則第1日曜日には、テーマ別サロン(偶数月)、ICTサロン(奇数月)も行います。
一人で悩まず、先ずは相談を!!
「見えなくても普通に生活したい」という願いはだれもが同じです。職業的に自立し、当たり前に働き続けたい願望がだれにもあります。一人で抱え込まず、仲間同士一緒に考え、気軽に相談し合うことで、見えてくるものもあります。迷わずご連絡ください! 同じ体験をしている視覚障害者が丁寧に対応します。(相談は無料です)
*電話やメールによる相談はお受けしていますので、下記の事務局まで電話またはメールをお寄せください。
ICTに関する情報提供・情報共有を行っています。
タートルICTサポートプロジェクトでは、就労の場におけるICTの課題に取り組んでいます。ICTについては、専用のポータルサイトやグループメールをご活用ください。

タートルICTポータルサイト
https://www.turtle.gr.jp/hpmain/ict/

タートルICTグループメールへの登録は以下をご参照ください。
https://www.turtle.gr.jp/hpmain/ict/activity-2/ict-groupmail/

正会員入会のご案内

タートルは、自らが視覚障害を体験した者たちが「働くことに特化」した活動をしている「当事者団体」です。疾病やけがなどで視力障害を患った際、だれでも途方にくれてしまいます。そのような時、仕事を継続するためにはどのようにしていけばいいかを、経験を通して助言や支援をします。そして見えなくても働ける事実を広く社会に知ってもらうことを目的として活動しています。当事者だけでなく、晴眼者の方の入会も歓迎いたします。
※入会金はありません。年会費は4,000円です。

賛助会員入会のご案内

賛助会員の会費は「認定NPO法人への寄付」として税制優遇が受けられます!
視覚障害当事者はもちろん、タートルの目的や活動に賛同し、ご理解ご協力いただける個人や団体の入会を心から歓迎します。
※年会費は1口3,000円です。(複数口大歓迎です)
眼科の先生方をはじめ、産業医の先生、医療に従事しておられる方々には、視覚障害者の心の支え、QOLの向上のためにも是非、賛助会員への入会を歓迎いたします。また、眼の疾患により就労の継続に不安をお持ちの患者さんがおられましたら、どうぞ、当法人をご紹介いただけますと幸いに存じます。
入会申し込みはタートルホームページの入会申し込みメールフォームからできます。また、申込書をダウンロードすることもできます。
URL:http://www.turtle.gr.jp/

ご寄付のお願い

税制優遇が受けられることをご存知ですか?!
タートルの活動にご支援をお願いします!!
視覚障害者からの就労相談希望は、本当に数多くあります。また、視力の低下による不安から、ロービジョン相談会・各拠点を含む交流会やタートルサロンに初めて参加される人も増えています。それらに適確・迅速に対応する体制作りや、関連資料の作成など、私達の活動を、より充実させるために皆様からの資金的ご支援が必須となっています。個人・団体を問わず、暖かいご寄付をお願い申し上げます。

当法人は、寄付された方が税制優遇を受けられる認定NPO法人の認可を受けました。
また、「認定NPO法人」は、年間100名の寄付を受けることが認定条件となっています。
皆様の積極的なご支援をお願いいたします。
寄付は一口3,000円です。いつでも、何口でもご協力いただけます。
寄付の申し込みは、タートルホームページの寄付申し込みメールフォームからできます。また、申込書をダウンロードすることもできます。
URL:http://www.turtle.gr.jp/

≪会費・寄付等振込先≫

●郵便局からの振込
ゆうちょ銀行
記号番号:00150-2-595127
加入者名:特定非営利活動法人タートル

●他銀行からの振込
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
支店名:〇一九店(ゼロイチキユウ店)
支店コード:019
預金種目:当座
口座番号:0595127
口座名義:トクヒ)タートル

ご支援に感謝申し上げます!

多くの皆様から本当に暖かいご寄付を頂戴しました。心より感謝申し上げます。これらのご支援は、当法人の活動に有効に使用させていただきます。
今後とも皆様のご支援をお願い申し上げます。

活動スタッフとボランティアを募集しています!!

あなたも活動に参加しませんか?
視覚障害者の就労継続・雇用啓発につなげる相談、交流会、情報提供、就労啓発等の事業を行っております。これらの事業の企画や運営に一緒に活動するスタッフとボランティアを募集しています。会員でも非会員でもかまいません。「当事者」だけでなく、「晴眼者(目が不自由でない方)」の協力も求めています。首都圏以外にも、関西や九州など各拠点でもボランティアを募集しています。
具体的には事務作業の支援、情報誌の編集、HP作成の支援、交流会時の受付、視覚障害参加者の駅からの誘導や通信設定等さまざまです。詳細については事務局までお気軽にお問い合わせください。

タートル事務局連絡先

Tel:03-3351-3208
E-mail:mail@turtle.gr.jp

編集担当者

理事 杉田 ひとみ 大橋 正彦 芹田 修代 協力者 高橋 律子 氏

奥付

特定非営利活動法人 タートル 情報誌 『タートル第64号』 2024年11月4日発行 SSKU 増刊通巻第8020号

■ 発 行 特定非営利活動法人 視覚障害者の就労を支援する会 理事長 重田 雅敏
■ 事務局 〒160-0003 東京都新宿区四谷本塩町2-5 社会福祉法人 日本視覚障害者職能開発センター 東京ワークショップ内 
電 話03-3351-3208 ファックス 03-3351-3189 
■ NPO 法人タートルの連絡用メール mail@turtle.gr.jp
■ URL http : //www.turtle.gr.jp/