目次

【巻頭言】 理事 事務局長 芹田 修代
【11月交流会講演】 (株)ラック 外谷 渉 氏
【職場で頑張っています】 会員 藤本 政博
【タートルレポート】
【お知らせコーナー】
【編集後記】
奥付

【巻頭言】

『ご縁をつなぐ』

理事 事務局長 芹田 修代(せりた のぶよ)

皆さま、こんにちは、2017年6月に3代目の事務局長になりました、セリタ ノブヨと申します。福岡県出身の晴眼です。セリタは植物の芹に田んぼの田と書き、ノブヨは修学旅行のシュウに時代のダイと書いて、ノブヨと読みます。姓も名も読みづらいところがありますが、本人は気に入っておりますので、どうぞ、よろしくお願いします。

事務局長は、初代の篠島先生、2代目の杉田さんと3代目もセリタで頭文字にSが続いているとのことで、ご縁を感じております。
タートルには、2013年に勤め先が賛助会員として入会した事をきっかけに、運営委員を経て、昨年、理事にご推薦いただきました。タートルとの出会いについて、質問をお受けすることがよくありますが、当時、勤め先で初めて、視覚に障害がある方の雇用を行なうことになり、タートルの皆さまに採用から受入れの準備まで、ご教示を受けたことが始まりでした。その頃から、勤め先の代表は、視覚に障害がある方の雇用に対し、理解が深く、現在も仕事を続けながら、事務局長の任務を応援してもらっております。

この原稿を書きながら、タートルとのご縁も5年になるのかと、思いを巡らせながら、当時の事を思い出してみました。元々、全盲の同い年の友人もいて、メールのやり取りをしたり、居酒屋やカラオケに行ったりはしていたのですが、職場で視覚に障害がある方を受入れることは、初めてであり、「そういえば、友達はどうやって、メールを読んでいるのかな?」などと、それまでは、考えてもいなかったことを考えるようになりました。今は自信を持って、歩行訓練や支援機器のこと、見え方の状態を知ることなど、お伝えできると思いますが、当時は不安もたくさんあり、高齢・障害・求職者支援機構に話しを聞きに行ったり、セミナーに出かけたり、情報を得るのにいっぱいいっぱいでした。その中で、大事だと思ったことは、入社してくれる方が、安全に通勤できて、お昼ごはんも好きな物を食べて、安心して仕事が出来る環境を整えること。そのために必要なことは対話でした。ご本人、周囲で働く社員、会社が入っているビルの受付の方や食堂の方とも話しをして、皆さんに協力をしていただきました。実はあまり交流が無かった職場周辺の方とも、この対話を通して、交流が始まり、この経験から私自身の世界も広がったと、今では、大変、有り難く思います。

タートルは対話をとおして、相談事業、交流会事業、セミナー啓発事業と理事や会員の皆さんが手作りで真摯に取組んでいらっしゃる、とても価値のある活動だと感じております。皆さんが活動しやすい体制を作り、また、タートルの輪が大きく広がっていくことが、事務局の役割だと思っておりますので、今後とも、お力添えをお願いいたします。

 最後に、「ご縁をつなぐ」をタイトルにしましたことは、亡くなった父は生まれながらの弱視でしたが、一生懸命、働いて、母とともに私たち3人の子供を育ててくれました。明るく、お酒が大好きな父が、タートルとのご縁をつないでくれたと思っております。

【11月交流会講演】

『視覚障害者のシステム開発分野での可能性』

(株)ラック  外谷 渉(そとや しょう)氏

ご紹介をいただきました外谷 渉と申します。中外の「外」に「谷」で「外谷」と言い、交渉するという字の「渉」で、外谷 渉と申します。株式会社ラックという、情報セキュリティを中心としたシステム開発や、セキュリティ関係の監視サービス、コンサルティング等をしている会社で働いています。

現在の所属は、サイバー・グリッド・ジャパン 次世代技術開発センターという、研究部門におります。基本的にはコンピュータウイルス等のマルウェアの情報や、アノニマスという言葉を聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが、そういったサイバー攻撃をするような団体の情報などを集めて、防御に役立てようという研究をしています。中・長期的に、将来的な事業につながるような、比較的自由なことをやっている感じです。

これから私の進路選択や就職、その後の話ということで、経歴の話をさせていただきます。その上で、「資格」等の仕事をしていく上で必要だと思うことや、感じたことをお話させていただければと思います。

最初に、簡単に経歴の話をさせていただきます。出身は岩手県。1987年生まれなので、今年でちょうど30歳になりました。生まれてから網膜芽細胞腫です。1歳ぐらいで手術をしました。右目は義眼で、左目は眼球は残っていますが光覚程度で、ほとんど物心ついた頃から全盲として暮らしてきました。

幼稚部から高校の普通科まで、計14年間岩手の県立盲学校におりました。今は名前が変わって、岩手県立盛岡視覚支援学校と言うようです。この時代の話をあまり語っても今回のテーマと違うのですが、この中学校の時代に、担任兼数学の先生が、初めて私にBASICというプログラミング言語を教えてくれました。これがきっかけで、プログラムを書くのは面白いと思いました。

進路選択については、中学校から高校に上がる時には「将来何をやりたい」というのは全くなく、マッサージとか、専攻科の教員もよいかなというぐらいしか考えていませんでした。

その後、高校入学後ですが、周囲の進路担当や担任の先生方から「大学に行ったらどうか」と薦められました。最初は、県立の近くの大学等も調べたのですが、最終的には、愛知県にある日本福祉大学というところに、今はその学部が無くなってしまいましたが、情報社会科学部という情報関係を中心とした福祉系の学部に入学しました。

大学に行くと決めた時から、将来的にはシステム開発の仕事がしたいと思っていたので、大学に入学してからは、基本的に情報系の授業を中心に受けました。就職に役立つかと考えて、大学2年生の時に「基本情報技術者」という、比較的にIT業界ではベーシックな入門資格を、点字で受験して取得しました。

あとは3年生の後半ぐらいから、障害者向けの合同面接会を行っているサーナや、クローバーが関係する面接会に参加しました。実際に選考が始まるのは4年生の4月ぐらいだったので、話を伺うぐらいでした。その頃から活動をし始めて、4年生になってから大手のIT系の会社を中心にいくつも受けました。大学や教授の付き合いがあったりするところを推薦いただいたりしましたが、結局は全部落ちました。

その大手に落ちた後で、障害者採用をしているIT系の、システム開発ができそうな会社を片っ端から受けました。ただ、やはり視覚障害で全盲として申し込むと、そもそも試験や面接までとはならず、その段階で「ちょっとうちの会社では活躍してもらえるフィールドが無い」と断られてしまうケースも多々ありました。 エントリーをしたのは30~40ぐらいであったと思います。そのうち面接をしてくれたのは、10に満たないのではないかという印象です。4年生の夏頃までは特に決まっていなかったので、「大学院に行こうかな」とか、いろいろ思っていました。

たまたまグーグルで検索をしていて、システム開発をしているSIの会社で、全盲の方が働いているという記事を見ました。その人が働いているのなら、少なくても「活躍してもらえるフィールドが無い」という理由で断られることはないだろうと思い、メールをさせていただきました。「受けたいのですが」と言ったところ、結構スムーズに話を進めていただき、面接をしていただくことができました。

ただ、その面接の段階で知ったのですが、記事で紹介されていた「SIの会社で働いている」というのは確かでしたが、その方が働いているのは人事部で、技術部という開発側に全盲の人間はいなかったことを後から知りました。

面接はしたのですが、会社側でもどういった形で働けるかというイメージができないし、私も実際に働いてみないとわからない部分もあったので、インターンのような形で2週間ほど働かせていただくことになりました。 親切にしていただいて、私自身も楽しく過ごすことができて、こんな感じなら働けるのではないかと私の方でも感じました。会社の方がどう考えていたかわかりませんが、採用してくださるという話になり、入社したのがエー・アンド・アイシステムという会社です。今は株式会社ラックにいるという話をしていますが、基本的には会社統合で名前が変わっただけで、特に転職したわけではありません。

そして、就職してから最初に集合研修が行われました。当時、新入社員全員で100人強で受講しましたが、この期間は2~3か月で、講師の方にも協力いただきましたし、人事の方からの事前の打ち合わせなどもあって、データをいただいたりもしました。また、新入社員同士のグループワーク等ではメンバーの協力もあって、特に不自由なく過ごすことができて、無事に研修期間が終わりました。

その後は実際にプロジェクトに配属となって、そこでOJTの形で入社1年目の仕事をしました。今はちなみに9年目ですが、この後は入社何年目という言い方をしたいと思います。

私の1年目は、システム保守と言われる、以前に作ったシステムに関する不具合の対応をしたり、顧客からの要望で機能を追加したりする、そういうプロジェクトに配属となりました。 ただ、このプロジェクトで私がやったことは、プロジェクトマネージャーが稼動管理するための、Excelの表を集計するマクロを書いたぐらいでした。9か月ぐらいのうち、たぶん仕事をしたのは1か月ぐらいで、あとは何をしていても良いという感じで、何をしようかなという状態でした。入社2年目もそんな感じで、遊んでいてもいいとは言いませんが、ほぼ2年間は自由な時間で、悪く言えば暇な時間が続きました。

暇だったので、何をしていても良いのなら、何か勉強をしようと思いました。幸い、会社で教材をいろいろと借りることもできたので、プログラミング言語の勉強をしたり、あとはインターネット上にもいろいろな情報があるので、仕事中はずっと勉強をしていました。

この2年弱の時代に資格をいろいろと取りました。「こんなこともできる」というアピールに使おうと思って、計10ぐらい取りました。業界では、比較的有名な応用情報技術者や、情報セキュリティスペシャリストという資格、あとはマイクロソフトやオラクルという民間企業が認定している資格等、いろいろ取りました。その効果があったかどうかは別ですが、入社3年目になって、やっと別のプロジェクトに移動して、そこで仕事を振っていただけるようになりました。

その当時のプロジェクトマネージャーとは年も比較的近かったこともあって、よく話をしてくれました。一緒になって、最初はバッチ処理という深夜に一日分の売上を集計するプログラムなど、基本的には在るものの手直しや不具合を直すような仕事を任せられて、それを実施していました。 その上で、「それなりにプログラムを書けるのではないか」と思っていただけたこともあって、実際にお客様が使う画面部分で「このボタンを押したらこういう処理が走って、画面上にこういう結果が表示される」という一連の流れがあるので、その中で上手く動いていないものを直したり、新しい機能を作ったりするようなことをしました。

ただ、スクリーンリーダーを使用しているため、画面に結果を出すとは言っても、画面上に文字が書いてあるのはわかりますが、文字が大きいのか小さいのか、他の画像や写真との位置関係的にどうなのか、そういうことを判断するのは、どうしても困難でした。そこは一度作っては見てもらい、「もうちょっと下」「もうちょっと右」「文字がかぶっている」などと言ってもらいながら、直しては画面を更新するという形で仕事をしていました。

そんな感じで、1年ぐらいはその仕事をしていました。ある程度そのシステムにも詳しくなり、仕事をしている気分で仕事ができるようになったのは、3年目ぐらいという記憶があります。

その後、入社4年目に、事業部長かもう少し上の方とお話をしました。SI側の仕事は、お客様から「こういうシステムが欲しい」と言われて、それを作るようなプロジェクトが多いため、要件が済んでしまえば、そのプロジェクトは終了です。そのため、どうしても短期間で終わってしまうプロジェクトが多く、せっかくそのシステムを覚えたと思っても、覚えた頃には終了してしまい、また新しいものに移っていきます。新しいものを覚えるとなると、どうしても図や資料等を見て、システムを把握することが必要になるので、それは大変だろうということでした。 そうであれば、同じシステムに関連した仕事を長くできる方が良いだろうと。また、先ほども例に出しましたが、画面を作るという部分はどうしても一人ではできないですし、見てもらいながら直すのは効率が良くないので、そういう仕事は向かないでしょうという話になりました。

ちょうどその頃、私が入ったエー・アンド・アイシステムと、今の株式会社ラックが会社統合をしました。ラック側では、セキュリティの仕事をもともとやっていました。ラックはお客様先からいろいろなログを集めて、そのログをシステム分析した結果、「攻撃されていますよ」とか、そういうことを監視するサービスを行うのですが、そのシステムを自社で開発して活用開始するという年でした。 利用を開始すれば、当然その後には不具合が出たりしますし、機能を追加したりするのは、自社で使い続ける限り続くことになります。そうであれば、この自社システム、つまり私たちの監視システムを開発するプロジェクトが良いのではないかということで、4年目にそちらに移動になりました。結局、4年目から6年目までの3年間、私はそこで仕事をしました。

最初はシステムがどういうものかという把握が必要ですから、ソースコードでプログラム内容を読んだり、文書で書かれているドキュメントがあれば確認しました。図はどうしてもわからないので、必要部分を口で説明してもらい、その1年ぐらいはあまり仕事をしていませんでした。 唯一やっていたのは、そのシステムにルールを作ることで、先ほど言ったようにログ分析をするシステムですから、ログ分析の結果、こういう危険を表すログが、例えば5分間に10件以上あれば通知を飛ばすというような、そういうルールを登録するプログラムを私の方で引き継いでメンテナンスをすることとなりました。 ソースコードレビューと言いますが、この時に、上司が私の書いたプログラムを見て、コメントをするわけです。「もっとこうした方が良い」「もうこの辺は考え直した方が良い」というようなことを、丁寧にやってくださる方でした。ソースコードレビューというのは、やる方は時間がかかるし、手間になりますから、実際に忙しいとやってくれないと言うか、やりたくない仕事です。それをすごく丁寧にやってくださったので、個人的にはとても感謝しており、非常にスキルが伸びた時期だったと思っています。先ほど言ったルールをメンテナンスするようなツールの開発で、ある程度のものは作れるということを、新しく移動したプロジェクトでも認めていただけました。

ログ分析システム本体の機能追加の他にも、自社開発システムには、いろいろとトラブルがあったり納期が遅れたりしましたし、物はありますが、何をやっているかという資料やドキュメントのない部分が多々ありましたので、その部分について、実際にプログラムを読んで、何をやっているかまとめて報告するような仕事をしました。そのように3年ほど過ごしました。

その当時の上司で、先ほど申し上げたソースコードレビューをよくしてくださった上司が、新部署を作って、そこのセンター長になることになりました。研究部門ということで、研究所と事業部の間に立って、研究所の成果を事業化につなげるというような部署ですが、声をかけていただき、一緒に仕事をすることになりました。それが入社7年目です。 会社は組織がいろいろと変わりましたが、以後は、基本的にはずっと研究寄りで、7年目は事業化に向けてというところが強かったのですが、8年目以降、現在に至るまで、より研究に近い方の位置づけで仕事をしています。

この研究は比較的人数も少ないため、少人数の中で何をやるかを相談した上で、こういうシステムを作る、それをもとに分析をする、そういう役割分担をしています。その少人数の中にも、やはり分析が得意な人間やシステム開発が得意な人間がいますが、私はシステム開発を中心に、プログラムを書くという仕事を行っていて、今に至ります。

少し振り返ってお話をさせていただきたいと思います。先ほど、最初の暇だった時期にたくさんの資格を取った話や、大学時代に基本情報技術者の資格を取った話をしました。私は、比較的資格はたくさん持っていますが、これに意味があるのかというと、いろいろな意見があると思います。私見としては「少なくともこの分野に関して基本的な知識がある」ということですので、「そういう仕事をさせてほしい」というきっかけとしては、非常に有効なのではないかと思います。

基本情報技術者は、幅広く情報関係の知識があるという程度の資格ですから、それを持っているから何の仕事ができるかと言われると、非常に難しいのです。例えば、データベース管理の資格等であれば、この資格を持っていればデータベース管理ならできるというのが、明確にわかります。 そういう意味では直属ならプロジェクトマネージャーなのか、もっと上の部長レベルかもしれませんが、そういった段階で「次はどこのどういう仕事をさせようか」と言った時に、「こういうスキルがあるから、この仕事が良いのではないか」と考慮していただけるわけです。そういう意味で、自分がやりたいことのスキルを身につけて、資格を取ってアピールするのは非常に有意義なのかと思います。

一方では、それをもとに業務を拡大することが重要ですから、資格は何でも取ればよいものではないとも思います。資格によって、実力がどんなものかある程度はわかりますが、だからと言って、例えば視覚障害があったりすると、本当にそれができるのかということもあります。

例えばデータベースであれば、本を読めば知識はいくらでもわかりますが、実際に仕事でやろうと思うと図が出てきたり、情報が図で書いてあったりするし、プロジェクトではそういう図を更新しながら管理したりするので、どうやって仕事で使っていくのかというところは、また別途アピールが必要となってきます。

この点に関しては、実際にやってみせるしかない部分だと思います。とりあえず資格を持っていて、こういう知識やスキルがあるというのをアピールした上で、徐々に最初は簡単なことから任せていただき、それに関してはきっちり成果を上げるということです。非常に簡単なことでも、それがきっちりとできることを示すわけです。 その際は、相手が予想しているレベルよりも、例えば思っているより速く行うとか、相手の期待を超える付加価値をつけるとか、そういった部分で相手の予想を超えるような成果を上げるとよいでしょう。「そういうこともできるなら、他のこともできるのではないか」と考えていただけたりして、業務範囲を拡大できるのではないかと思います。

ちょっと話が変わって「資格」ということから外れますが、あと一点、私が心がけている点は「強みを生かす」という部分です。視覚障害があると、どうしてもできない仕事は確実にあると思います。絶対にできないこともありますし、できたとしてもものすごく効率が悪いことはあると思うのです。 頑張れば何とかなったとしても、明らかにスタート地点で効率が悪いとわかっているような仕事は、いくら努力してもなかなか評価にはつながらないと思います。 そういう意味で、最初の段階では「見えないことが極力ハンディにならないような仕事を」ということです。

ただ、対等までいくのはなかなか難しいことで、細かいことを言うと、視覚障害があるせいで移動が難しいなど、いろいろありますから、完全に対等まではいかなくても、極めて対等に近い立場で始められるような仕事に関して、専門性を磨いて強みにしていくことです。その分野を突き詰めていければ、そこを強みにすることができると思います。現在はまだそんなに一般企業での職域は広くないとは思いますが、実際に視覚障害があっても対等にできる仕事は、思っているよりも多いと思います。

私の経験と言うか、狭い範囲の話をさせていただくと、情報セキュリティ関係のシステム開発という仕事をしていますが、例えばセキュリティシステムと言っても、これはすごく広いです。 皆さんの中には使っている方もいらっしゃると思いますが、アンチウィルスソフトとしてのウイルスバスターなど、パソコンにインストールするものを作る仕事もありますし、先ほどご紹介したように監視してログ分析をするようなシステムもあって、それもセキュリティの仕事になります。いろいろな仕事がありますが、その中には視覚障害に向かない部分はあると思います。先ほど一例を上げましたが、やはり画面を作るのは非常にやりにくいですし、そこで成果を上げるのは非常に難しいと思います。

ただ、画面に関係のない仕事もいくらでもあります。部分的なシステムの開発等もそうです。逆にシステム開発までいかなかったとしても、今の時代、情報セキュリティはいろいろな会社で必要とされている分野です。そういう意味では、会社の情報セキュリティのポリシーを考えるなど、考えることなら見えなくても関係ないですから、パソコンで資料をまとめて出すとか、支障なくできるはずです。 また、資産管理などもそうです。どこに何台パソコンがあって、どういうネットワークになっているか管理するとか、非常に身近な業界だけで考えても、視覚障害があっても大きなハンディとならない仕事はあるのではないかと思います。

話は変わりますが、現在、働き方改革ということが、いろいろなところで言われています。弊社でも、今年ぐらいから盛んに言われるようになって、外部の会社とも連携しながら推進しようとしています。その中にテレワークと言われるものがあり、どこでもいいのですが、自宅や外出先等の会社以外の場所から会社のネットワークにつなぎ、遠隔地で作業をすることを推進しています。 昨日もそうだったのですが、私自身も今年何回か自宅で作業をしています。環境さえあれば、環境というのは普段使って研究開発しているネットワークに接続できることですが、そういった必要なシステムにつなげる環境さえあれば、通勤をしなくてもいいのです。それだけでも2時間程度の節約になりますし、非常に効率よく仕事ができると思っています。 さらに、これは視覚障害者にとっては、非常に意義のあることかと思います。今は首都圏など都会のように公共交通機関がある程度発達していないと、職場に行くのも大変ですし、生活も大変です。そういう意味ではどうしても制約もありますが、このテレワークがもっと社会的に推進されていけば、別に職場がどこにあろうが関係ないわけです。通勤を気にする必要もないですし、「あの職場は駅から遠い」といったことを考える必要もありません。視覚障害者にとっては可能性があると思いますので、さらに推進されることに期待をしています。

最近は就職したばかりや2~3年目ぐらいの相手と話をすることがありますが、私が就職活動をした10年ぐらい前と比べ、10年経ったから非常に障害者採用が進んだかと言うと、そうでもないような気がします。特に、全盲であればすごく苦労している話を聞いたり、一般企業への就職を諦めて盲学校に戻ったりするような話も聞きます。 ただ、視覚障害者が晴眼者と対等に仕事をしていける分野は、探せばいっぱいあると思います。さらに、今はパソコンを使わない会社はほぼないと思うのです。何十人もいるような会社であれば、少なくても情報はパソコンで管理をしているでしょう。そういった意味で、視覚障害者が仕事をしていく可能性のある分野はたくさんあると思います。

私が今やっている情報セキュリティの分野であれば、いくらでもとは言いませんが、可能性があると思います。また、それ以外であってもヘルプデスク等、パソコンに関連したような仕事で、視覚障害があまりハンディにならない仕事はたくさんあると思いますので、より職域を広げていくことができれば良いと思っています。

また、対等に近いような、ハンディがあまりない仕事であったとしても、その仕事ならOKなのかと言うと、そうではないのです。強みを伸ばしていく必要があるし、スキルを向上していく必要は絶対にあるのです。 これは別に視覚障害がなくても同じことで、当然、業務を続けることは、その業務に関する専門性を高めていくことになるので、置いていかれないようにするため、視覚障害者の立場としても、自分が働いている分野のスキルを向上していく必要があります。

現在、就労支援等の部分に関しては、雇用率が上がったり、いろいろな制度ができたりして、比較的充実してきています。十分かは別としても、充実してきているという認識ですが、就職した後にスキルを向上していくとか、専門性を高めていくような、職域を拡大していくような、そういうチャレンジに対する支援というのは、まだまだ今後の課題なのかという印象があります。 今回お呼びいただいたタートルのような当事者間の組織もそうですが、国などの公的な団体や、NPO等がいろいろありますが、そういったところの支援等も含めてのことになると思います。もちろん本人の努力という部分も重要な点ではあります。

例えば、私などでもよくありますが、専門書を読みたいと思っても、電子化されていないと手に入りにくいですし、カンファレンスやいろいろな研修等もありますが、そういう所に行きたくても、そこまでどう行こうかなとは考えますし、それが海外であれば、もうすでにどうやって行くのかと考え込むような感じになってしまいます。 そういう意味では、やはり視覚障害がネックになって、スキル向上の妨げになっている部分は少なからずあると思いますから、こういった部分が今後充実していくことを願っています。

私は、今年から始まった「情報処理安全確保支援士」という経済産業省管轄のIPA(情報処理推進機構)が実施している資格を、これは試験を受かった後にも毎年講習を受ける必要があり、今年はオンライン講習というパソコンで行うものと、集合講習という実際に集まり実施する講習を両方受ける必要がありますが、オンラインで受けなければいけない時は、そのシステムが使いやすいかなど、非常に丁寧に対応いただき、直していただきました。 「これでは使えないから、もっとテキストを付けてくれ」というリクエストに対応していただいたり、集合講習に関しても、いかにしたら他の晴眼受講者と一緒に受講できるかを検討いただきました。データをいただいたり、当日の進行の仕方を工夫いただいたりしました。 今後、さらにそういった方向で、社会としても、いろいろチャレンジしやすくなるような環境が進むのかと、そういう期待を持っています。

私自身についても、今後は今の仕事もそうですし、いま身につけているスキルの向上などもそうですが、それ以外に関してもさらにと思っています。今年からシステム開発以外に、知的財産である特許等の仕事もさせていただくようになりましたが、新しい分野に関する挑戦も、していきたいと思います。皆さんが今の仕事を確立されるのはもちろんそうですが、是非、周辺の新しい仕事を広げていくところもと思います。

挑戦を通して視覚障害者が職域を拡大して、できるだけそれを社会に周知し、結果、認知度が上がっていければ、将来的により暮らしやすくなります。また、進路選択の自由が広がると思います。より良い社会になると思いますので、ぜひ一緒に頑張って、そういう社会を目指していければと思います。 ご清聴、ありがとうございました。

<お断り>
本稿の内容は講演者の個人的見解であり、所属団体・企業及び、当会と関係するものではありません。

【職場で頑張っています】

『社労士試験体験記』

会員 藤本 政博(ふじもと まさひろ)

昨年、社会保険労務士の試験を受験し合格いたしましたので、私の体験の中に皆さんに参考にしていただける部分があるかもしれないと思い、以下にその合格までの道のりについて書かせていただきます。 感傷的なことは抜きにして、皆さんに参考にしていただけるのではないかと思う点に絞って記述しますので散文的なつまらない文章になるかと思いますが、ご容赦ください。

1.社労士を目指した動機について

資格試験に限らず目標を達成するには「そうなりたい」という強いモチベーションを維持することが大切だと思います。 私が社労士試験を受験しようと思ったのは、あくまで漠然とですが、人の役に立つ仕事、中でも障害者の手助けになる仕事がしたいと考えたからです。 そして、勉強していく中で、そんな思いを強くしたのは、ある全盲の方が東日本大震災のあと継続的に被災者にマッサージのボランティアをしているという話を聞いてからです。私自身は、震災後もちろん何か支援したいと考えては見るものの、弱視で何もできず邪魔になるだけだと思い、何もできずにいましたが、何か「手に職」があればそれを活かしてできることがあるということを思い知らされました。

2.勉強方法について

実際の社労士試験の勉強方法については、私の場合弱視とはいえもはや墨字の本を何らかの方法で読むという状態ではありませんでしたので、教科書を買って、それをスキャナーにかけてOCRで、テキスト化するという方法をとりました。教科書はイラストなどが多用されており、OCRの精度は一層、落ちてしまいますが、ここは諦めて、推測力をフル活用して乗り切りました。テキスト化した文章はエクセルに貼り付けて、理解度・重要度でランク付けをして重要ランクのものを繰り返し勉強しました。

この教科書選びでもいくつかの教科書を購入しましたが、最終的に講義CDが付属しているものに行き着きました。というのは、講義CDがあれば、それだけでも音声によって勉強できると考えたからです。ただ、結局、講義というのは教科書の内容をかいつまんで説明するだけですので、最終的には、教科書をパソコンで何度も読み上げさせて勉強する方法をとり、CDはほとんど聴いていませんので、講義CDはあまり意味がなかったかもしれません。 あとは、10年分の過去問集を、やはり、OCRにかけて繰り返し勉強しました。

3.試験の特別措置について

そして、いよいよ試験を受けるという段になったわけですが、社労士試験には音声受験というのは認められておらず、これを認めてもらうための交渉が次の課題となりました。 まず、1回目27年は文書での要望を出し、個別に何度か電話でも交渉しましたが、「今年の試験は準備が間に合わない」ということで、認められませんでした。 翌年は、「時間がない」という言い訳は効かないのですし、障害者差別解消法も施工された年ということもあり大いに期待していたのですが、やはり、認められませんでした。 そして、昨年29年、問題文をデイジーCDで聞いて、回答を自分の持ち込んだパソコンとプリンターを使って解答するということが認められました。ここでも、デイジーとパソコンを使い分けるのは困難であることや、プリンターの持ち込みは負担が大きいことから問題文もパソコンで読めるようにしてほしいと交渉しましたが、認められませんでした。 とは言え、最初の出願から3年目にして、やっと音声受験が認められることとなり、これにより、遂に合格できたわけです。

この3年間を振り返り、なぜ音声受験が認められるようになったかを考えると、あるいは私個人の毎年の要望が試験センターのほうに響いたのかもしれませんが、毎年のやり取りの中でそうした実感はなく、27年に私が出願したのとほぼ同時期に日盲連から申し入れがあったことが効いたのかもしれません。また、あるいはそうしたことが重なり合ったからかもしれませんし本当のところはわかりません。

このことから、私が今思うことは、試験勉強を始めるにあたっては、音声受験等の自分に合った特別措置があるのかどうかを、事前に調べておき、もし、無いようなら、残念ながら受験はあきらめるということも大切な選択肢だと考えています。 というのは、私の場合で、音声受験を認めてもらうのに、日盲連のアシストがあっても、3年もかかっているのであり、そもそも、試験によっては自分の望む措置が全く認められないというリスクもあるわけです。もちろん、誰かがパイオニアにならなければ世の中は変わらないという考えもありますが、無責任にそれを勧めることは私にはできません。

とはいえ、最初のモチベーションが高ければ、そうしたリスクも突き抜けるしかないわけで、結局のところ現実とモチベーションとのかねあい次第ということになるかと思います。 そして、現状、特別措置が無くても、どうしてもチャレンジしたいと思う方にアドバイスしたいのは、勉強を進めて願書を出すときではなく、勉強を始めたらすぐに「○年後に受験するので、音声受験を認めてほしい」等の交渉を始めた方がよいと言うことです。 そうすれば、少なくても「時間が無いから対応できない」という言い訳は効かなくなるわけですし、こちらも日盲連等を通して要望するなどの「攻め方」も見えてくると思います。

4.最後に

最後に、特に、私が重要だと思うのは、やはり、人との交流だと思います。というのは、タートルの会等でいろんな人と話したり、FACEBOOK等で友達の話を聞いていると、やはり、強く刺激されます。この刺激というのは私の場合、決してきれいなものではなく、羨望や妬みと言った腹黒い気持ちであることも多いですが、そうした気持ちを「なにくそ!負けてられるか!」という気持ちに転換できれば、良い結果が得られるのだと確信しました。 その意味で、タートルの会で多くの刺激を与えてくださったみなさんに本当に感謝しております。

【タートルレポート】

『isee! "Working Awards" in神戸アイセンター レポート』

去る1月21日 isee! "Working Awards" の表彰式が神戸アイセンターで行われました。 このコンテストは、視覚障害者の「就労」に焦点をあて、見えない、見えにくい人がどのように働いているのか?また、それに関連するアイデアを募ったもので、理化学研究所の高橋政代先生が立ち上げた神戸アイセンター ビジョンパークを運営する公益社団法人NEXT VISION の主催で行われました。

松坂理事長が団体として「見えなくても働く人々を支える、認定NPO法人タートルの役割」として受賞された他、次の会員の方が受賞されました。

<事例部門>

大橋 正彦さん
「徹底したワークシェアリングで、自分にできることを率先して担当」

的場 孝至さん
「上司や同僚の理解と協力で、困難な事務所移転を乗り越える」

六川 真紀さん
「多くの方のサポートで復職~公私ともに充実した毎日を」

藤田 善久さん
「不可能と思われた就労継続を可能にしたものとは?」

梅澤 正道さん
「職場の協力で高まった勤労意欲。あきらめかけた事務の仕事を定年まで」

嶋垣 謹哉さん
「視覚障害を患いながらも継続就労。新たな職場で、経験を生かした挑戦を」

<アイデア部門>

井上 直也さん
「シグナルエイドを用いた、SOSサインの発信・受信システム」
長谷川 晋さん
「QRコードを活用した、書類やファイルの便利な仕分け法」

私も「視覚障害者の環境向上を目的にロービジョンの日制定の提案」で受賞させていただきました。 詳しくは次をご参照ください。
http://isee-movement.org/contest/prizewinner

isee! "Working Awards"表彰式と同時開催された『第4回 Grants4Apps Tokyo』視覚障害に関する革新的なデジタルヘルステクノロジーのコンテストにおいて、タートル賛助会員の遠藤知慎さんも、研究開発中のウエアラブルデバイスとそのシステムを発表され、特別賞を受賞されました。完成、実用化に期待したいと思います。

さて、表彰式が行なわれた神戸アイセンターはどんなところか? 昨年12月にポートアイランドにできたiPS細胞を用いた再生医療の眼科領域研究施設、眼科専門病院、そして表彰式が行われたビジョンパーク。これらの構成で研究、臨床、ロービジョンケアや視覚に関わる様々な情報発信・収集などすべてを一貫して行う最先端の施設です。

ビジョンパークは、神戸アイセンターの入り口フロア全てを使い、視覚障害者だけでなく健常者も一緒になって楽しみ学べるおしゃれな空間になっています。世界初?光りと音の出るクライミングウォール。運転の危険を感じさせるドライブシュミレーター、大人の絵本というか、視覚のハンディがあっても楽しめる本や元気のでる本など、独特の蔵書。もちろん本を読む為の拡大読書器も配置されています。その他、わざと段差をつくり、白杖の必要性を感じさせたり、何故かビジョンパークの真ん中には大きなキッチンテーブルがあり料理もできるようになっていますが、授賞式が行われたときは、施設全体を触って理解できる模型がおかれていました。

こういった常識にとらわれないビジョンパークですが「見えにくい」「見えない」人だけでなく全ての人が視覚について学べたり、企業、医療、福祉、教育など様々な分野の情報収集の場として、今後も様々なイベントや情報発信が行われていくことと思います。

文責:理事 神田 信

【お知らせコーナー】

ご参加をお待ちしております!!(今後の予定)

◎タートルサロン

毎月第3土曜日  14:00~16:00
*交流会開催月は講演会の後に開催します。
会場:日本盲人職能開発センター(東京四ツ谷)
情報交換や気軽な相談の場としてご利用ください。

◎交流会(予定)

9月 ※詳細は決定次第お知らせいたします。

◎勉強会(予定)

4月28日(土) 14:00~16:00
テーマ:「墨字文章にどう対応しているのか」
※東京・大阪・福岡をテレビ会議で結んで行う予定。

◎総会

6月2日(土)
※詳細は決定次第お知らせいたします。

一人で悩まず、先ずは相談を!!

「見えなくても普通に生活したい」という願いはだれもが同じです。職業的に自立し、当り前に働き続けたい願望がだれにもあります。一人で抱え込まず、仲間同士一緒に考え、気軽に相談し合うことで、見えてくるものもあります。迷わずご連絡ください!同じ体験をしている視覚障害者が丁寧に対応します。(相談は無料です)

正会員入会のご案内

認定NPO法人タートルは、自らが視覚障害を体験した者たちが「働くことに特化」した活動をしている団体です。疾病やけがなどで視力障害を患った際、だれでも途方にくれてしまいます。そんな時、仕事を継続するためにはどのようにしていけばいいかを、経験を通して助言や支援をします。そして見えなくても働ける事実を広く社会に知ってもらうことを目的として活動しています。当事者だけでなく、晴眼者の方の入会も歓迎いたします。
※入会金はありません。年会費は5,000円です。

賛助会員入会のご案内

☆賛助会員の会費は、「認定NPO法人への寄付」として税制優遇が受けられます!
認定NPO法人タートルは、視覚障害当事者ばかりでなく、タートルの目的や活動に賛同し、ご理解ご協力いただける個人や団体の入会を心から歓迎します。
※年会費は1口5,000円です。(複数口大歓迎です)
眼科の先生方はじめ、産業医の先生、医療従事者の方々には、視覚障害者の心の支え、QOLの向上のためにも賛助会員への入会を歓迎いたします。また、眼の疾患により就労の継続に不安をお持ちの患者さんがおられましたら、どうぞ、当認定NPO法人タートルをご紹介いただけると幸いに存じます。

入会申し込みはタートルホームページの入会申し込みメールフォームからできます。また、申込書をダウンロードすることもできます。
URL:https://www.turtle.gr.jp/hpmain/

ご寄付のお願い

☆税制優遇が受けられることをご存知ですか?!
認定NPO法人タートルの活動にご支援をお願いします!!
昨今、中途視覚障害者からの就労相談希望は本当に多くあります。また、視力の低下による不安から、ロービジョン相談会・各拠点を含む交流会やタートルサロンに初めて参加される人も増えています。それらに適確・迅速に対応する体制作りや、関連資料の作成など、私達の活動を充実させるために皆様からの資金的ご支援が必須となっています。
個人・団体を問わず、暖かいご寄付をお願い申し上げます。

★当法人は、寄付された方が税制優遇を受けられる認定NPO法人の認可を受けました。
また、「認定NPO法人」は、年間100名の寄付を受けることが条件となっています。皆様の積極的なご支援をお願いいたします。
寄付は一口3,000円です。いつでも、何口でもご協力いただけます。

タートルホームページの寄付申し込みメールフォームからできます。また、申込書をダウンロードすることもできます。
URL:https://www.turtle.gr.jp/hpmain/

≪会費・寄付等振込先≫

●郵便局からの振込
ゆうちょ銀行
記号番号:00150-2-595127
加入者名:特定非営利活動法人タートル

●他銀行からの振込
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
支店名:〇一九店(ゼロイチキユウ店)
支店コード:019
預金種目:当座
口座番号:0595127
口座名義:トクヒ)タートル

ご支援に感謝申し上げます!

本年度も多くの皆様から本当に暖かいご寄付を頂戴しました。心より感謝申し上げます。これらのご支援は、当法人の活動に有効に使用させていただきます。
今後とも皆様のご支援をお願いい申し上げます。

活動スタッフとボランティアを募集しています!!

あなたも活動に参加しませんか?
認定NPO法人タートルは、視覚障害者の就労継続・雇用啓発につなげる相談、交流会、情報提供、セミナー開催、就労啓発等の事業を行っております。これらの事業の企画や運営に一緒に活動するスタッフとボランティアを募集しています。会員でも非会員でもかまいません。当事者だけでなく、晴眼者(目が不自由でない方)の協力も求めています。首都圏だけでなく、関西や九州など各拠点でもボランティアを募集しています。
具体的には事務作業の支援、情報誌の編集、HP作成の支援、交流会時の受付、視覚障害参加者の駅からの誘導や通信設定等いろいろとあります。詳細については事務局までお気軽にお問い合わせください。

タートル事務局連絡先

Tel:03-3351-3208
E-mail:m#ail@turtle.gr.jp
(SPAM対策のため2文字目に # を入れて記載しています。お手数ですが、上記アドレスから # を除いてご送信ください。)

【編集後記】

全国のタートル会員の皆様、お元気でお過ごしでしょうか?
1月は、都内で数年ぶりの大雪になりましたね。近所の子供たちはわいわいと楽しんでいるようでしたが、通勤通学をしているとなかなか楽しい気分だけというわけにも行かないようで、情報誌をお読みの方の中には、交通機関が麻痺して帰宅が大変だった人もいらっしゃったのではないでしょうか?首都圏では、山手線がとまったり、バスが電柱に接触したりなど混乱していました。かくいう私も帰宅時に点字ブロックが積雪で分からなくなり困りました。何かテクニックのようなものがあるのかもしれませんが、すぐに周囲の人にヘルプしてしまいました(汗)。ただ、そのときに声をかけてくれた人はお年を召した男性でしたが少々お酒が入っている様子で、親切心はいっぱい(一杯?)なのですが、お話が長くすぐそこにたどり着くのに数分…結構寒い思いをしたのですが、果たして彼は寒くなかったのかな?(お酒で?)

ところで、雪には粉雪、細雪、ぼたん雪などの表現がありますね。しんしんと降る雪はとても叙情的で、本当ならゆっくりと味わいたいものですが、皆さんは雪というとどんな雪景色を想像されるのでしょうか?

この情報誌がお手元に届く頃は、気温も気分も上々となっている事でしょう。大雪の記憶も少し遠いところにあると思います。そう!もう、1年の4分の1が過ぎたのです。なんと早い事か!多くの団体・企業などでは、3月は年度末でお忙しいという方も多いと思います。少しお時間が出来たときに、ゆっくり情報誌を手にとってもらえたらと願っております。そして、是非ご感想をいただければ嬉しく思います。

さて、今回の「情報誌」はいかがでしたでしょうか?これからも、会員の皆様に楽しんで頂けるような誌面にしていきたいと思っております。どうぞ宜しくお願い致します!!

(市川 浩明)

奥付

特定非営利活動法人 タートル 情報誌
『タートル第42号』
2018年2月16日発行 SSKU 増刊通巻第6012号
発行 特定非営利活動法人 タートル 理事長 松坂 治男