1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2014年12月16日発行 SSKU 増刊通巻第4996号
『前向き思考へ自己変革を』
理事 篠島 永一(しのじま えいいち)
「前向き思考」とはどういうことだろうか。要するに物事をプラスに捉え、常に良い方向に進むだろうと考え、積極的に行動に移せることではないでしょうか。とはいえ、そう簡単に物事を割り切って、ネガティブ思考からプラス思考に自分の思考方法を変えることなどできないのが普通の人間でしょう。
視覚に障害をもつと、当初誰しも『うつ状態』に陥るのではないでしょうか。この状態から抜け出すために何が最も効果的か、いろいろな要素が関係し、そう簡単に普遍性のある答えなど見つかりません。
よく言われることの一つは「障害の受容」という言葉です。この「受容」の定義というか、何をもって「受容」というか。これも難しい問題です。視覚障害を「受容」することなど生涯不可能だと言われます。
「目が不自由になった、物が見えにくくなった、生活が不自由になった、文字処理が困難になった」など「できていたことができなくなっていく」といったいろいろと悩ましい事柄が増えてきて、自信の喪失が顕著になってきます。そこで『うつ状態』になるのも当然といえば当然です。
しかしながら、このままの状態でよいはずはありません。自らの変革が必要です。それには「きっかけ」が大切です。人との出会い、自分の心に響く言葉に共鳴するなど、それぞれ個人個人の社会的な立場、年齢、家族の状況、経済的な状態などいろいろ条件が影響します。また、自信を回復するためには、訓練を受けることも必須でしょう。
NPO法人タートルは、相談事業、交流会事業、情報提供事業を三位一体として捉え、当初から、視覚障害者の支援を続けてきています。「自己改革」にむけてサポートしていると考えてもいいかもしれません。
特に「独り」ではないんだという当事者の疎外感を取り除くことに力を入れています。交流会の役割が大切なのです。目が不自由になり、どこに相談したらよいのか、同じ目が不自由な仲間はどのようにしているのか、仕事は続けられるのかなど、情報不足がますます『うつ状態』にとどめる要因になっています。
相談会での様々なコメントや助言、交流会への参加を促して仲間との交流をしながら諸々の情報を得たり、視覚障害の先輩たちや同じ状況の悩み真っ最中の仲間との話し合いによる共鳴や共感を得て、現状から抜け出すための自己変革をしていくのです。
自分が変われば周囲も変わります。これは当事者だけが自分の視力や視野の状態を認識しても、今までの自分とは違うのだといった思いを抱くこと、つまり、「開き直る」、「割り切る」、「自分を見つめ直して現状を明確に捉える」ことが求められます。それによって視覚障害という難しい事態に陥っている当事者に周囲(家族、友人、同僚、上司等)も理解を示し,深く考えてくれるようになると思うのです。
「多幸感」という言葉があります。日常生活の中で、様々な出来事、自然の変化、人との出会い等に向き合った時、「よかったなあ、いいなあ、素晴らしいなあ」と思えるようになることを生活習慣にまですることが、プラス思考へと進めてくれるのではないでしょうか。大げさに言えば、「生きていてよかったなあ」と実感できるようになれば、まさに「多幸感」を持ちえたと言えます。このことも自己変革の一つと言えますね。「多幸感」を持てれば、「前向き思考」につながると思うのです。
『再就職、就職継続に向けての職能訓練の実際』
日本盲人職能開発センター 職能開発訓練部 主任職業訓練指導員
廣川 正樹(ひろかわ まさき)氏
こんにちは、廣川正樹と申します。本日はよろしくお願いいたします。 まずは、お話できる機会をいただいたことを、松坂理事長をはじめとするタートルの皆様に感謝申し上げます。 本日は、私が担当している訓練部門において、「再就職」「就職継続にむけての取り組み」というテーマを基にして話したいと思います。それでは、講演に入りたいと思います。
はじめに、当センターの入所までの一例を言いますと、外来相談の電話を受けた場合、センターの館内説明や、クラスの見学を勧めるのと併せて、当センターが主催する講習会に参加していただいて、各個人の状況に見合うコースを選択してもらうようになります。また、約3年前から福祉の体系で就労移行支援がおこなわれていますので、選択肢が増えたということも大きな特徴になるかと思います。
それでは、当センターの事務処理科から説明します。平成6年10月から、一般企業への新規就労・復職・継続就労を目指す視覚障害の皆さんを対象に、事務処理科を開設いたしました。なお、平成6年からなので、20年近くの歴史があることをお伝えしておきます。
具体的に言いますと、1つ目は就労に必須となるWord、Excelをはじめとしたパソコンスキルの習得です。2つ目は、パソコンスキルがあっても、社会常識と言われるビジネスマナーや、外資系企業からの採用に対する英会話などとなっています。 また、それ以外に簿記の科目もあり、過去に2〜3名の方が拡大処理で日商簿記検定を受験していますが、合格率を踏まえると、一日も早くExcel等での簿記の受験ができるように願っています。 補足として、パソコンスキルの習得と、それに付随する事務作業ができるように、必要と思われる事務作業を適時訓練に取り入れています。
私が担当している科目と定員は、以前からある事務処理科と、平成9年から委託訓練を受けている東京障害者職業能力開発校のOA実務科を合わせて10名です。なお、委託訓練のOA実務科は、ハローワークを通して願書を提出することとなり、職業訓練校と同じ扱いで4月入校の3月修了となります。 しかし、事務処理科の定員と、就労移行支援の定員は決められていますので、途中からの入校を希望される方にお答えできない場合があります。
修了実績では、平成26年5月末で、新規就職が125名、継続就労が48名、自営の方が1名、学校等への進学が17名、結婚された方が5名、合わせて196名の方が修了しており、視覚での修了内訳は、全盲の方が74名、弱視の方が122名となります。
それでは、当センターの訓練内容の説明に入ります。訓練課程では、Word、Excel、PowerPoint、Outlookに関しては、PC-Talkerで訓練をしていますが、Accessに関してはPC-Talkerで対応できないので、JAWSを使用しています。
1日の講義時間は9時から17時となります。例えば、火曜日のスケジュールで言うと、10時から12時の2時間は、その時の実情に合わせた点字と、一般教養試験の対策などとなります。また、点字は大丈夫だという方には、筆記試験のほうで一般教養が出題される場合があるので、一般教養の時間を設けたり、パソコンスキルを上げたい方には、習得に必要な時間を設けています。 その後は、12時から13時までは昼食となり、13時から16時までの3時間は、Excelとなります。当然、最初から難しい講義内容ではなく、「取り合えず計算をしてみよう」「データの個数を数えましょう」という講義から始まり、段階を追ってIF関数やVLOOKUP関数などを使う講義内容となります。
また、9月の時期になると、東京ブロックでは9月25日から面接会が始まりますので、求人台帳の読み上げをして、読み上げが一通り終わると、次は書類の作成をしています。実際には、履歴書や職務経歴書になりますが、まだ就労したことが無い方もいますので、職務経歴に代わる書面として、自己PR書を書いてもらっています。
なお、一般にも募集されているアビリンピックという技能大会が、2月に東京障害者職業能力開発校で開催されるのですが、視覚障害の部門にはExcelの競技大会があります。そういう競技会に対しては、講義で勉強しているExcelの成果を見ることもできますので、積極的な参加を促しています。
その後の16時から17時までの1時間は、当日の講義の復習をする時間になりますが、強制的ではなく本人の意志に任せていますので、各個人の技量が磨かれていると思います。
これまで述べた訓練を終了して、ほぼ就職するわけですが、1年受講したからといって、就労環境等々によって就職できない方がいるのも事実なのですが、毎年約8割の方が就職していますので、受講生の一生懸命さから力をいただいていることも事実です。
会社名を言うと具合が悪いかもしれませんが、簡単に5年間の資料を言うと、ベルシステム24、物流二十四、リクルートオフィスサポートなどがあります。その他には、英語を得意とする訓練生で、東京医科歯科大学に就職された方や、点字校正の経験を活かして、校正関連の業種に就職された方、起業された方、在宅就労の方が2人います。この在宅の1人の方は、2社受験して5割の確率で1社に合格しているわけですから、まれに無い確率で合格しているのです。手元の資料は、平成25年からの過去5年間ですが、利用者総数65名に対して、就職者数は54名ですから、就職率としては8割以上となります。
また、「面接でどういうことを聞かれるのですか」という話もありましたので、聞かれた内容などを基にお伝えします。 まずは、履歴書の内容を一通り聞かれます。職歴がある方には「何で、転職したのですか」と聞かれるわけですが、その返答に「辞めたいから、辞めたのです」とは言えませんので、訓練生との面談の中で「面談の際、このように返答してみてはいかがですか」などと伝えたこともあります。 また、男性の訓練生から「就職先が決まらないのですが、どうしたらいいでしょうか」という相談を受けた時には、「面接する際、お互いが面接の時間を共有できるように、心がけてみてはいかがですか」ということを伝えしたこともあります。 それから、その方の就労スキルや経験があり、充実した志望動機を書いていたとしても、会社が求めている人材と同じでなければ結果が出ない場合があるので、その辺の見極めが難しいところだと思います。
あとは、障害に対する理解と、障害に伴う配慮事項となります。例えば、「現在通院していますか」「どの程度の頻度で通院していますか」「フレックスタイム制を検討したほうがいいですか」「機材は、何を準備したらいいですか」などということを聞かれます。あるいは、「自社のビルではないので、エレベーターの階数ボタンに点字を貼れませんが、大丈夫ですか」と聞かれたときには、「すみませんが管理会社さんにお願いして、何とか貼り付けていただけますか」とお願いしたこともあります。
あとは、個人的なことを聞かれます。とある面接先では、「合コンに行ったことはありますか」と聞かれたことがあるので、事例を含めて受講者の皆さんに伝えています。
回答できないところがあるかもしれませんが、これまでの話で皆さんからの質問に回答したいと思います。
東京会場より 質問 A氏
一番初めの話で、事務処理科とOA実務科の関係がよくわかりませんでしたので、再度お願いします。
回答 廣川氏
事務処理科は平成6年10月から始まりましたが、その後3年後までの取り組みの期間は、センターから離れていたので、どういう経緯でOA実務科ができたのか把握していません。
ただ、平成6年から始めていた一般企業就職への取り組みが、やはり背景の1つにあると思いますし、前任者からは平成9年から、東京都と国営の東京障害者職業能力開発校の委託先ということで、委託訓練を受けることになったと聞いており、その能力開発校で募集している科名は、OA実務科になっています。
事務処理科は、職業訓練校扱いとなるOA実務科を含めた訓練部門ということで、定員5名を受け入れていますが、残る5名の定員は当センターの裁量となるので、この5名はハローワークに願書を提出したり、筆記試験を受けることをほぼしなくてもいいわけです。
補足内容を簡単に言いますと、地方自治体の財源にもよりますが、この東京障害者職業能力開発校では訓練手当が支給されます。1人あたり、手当として月に12〜13万円が支給されますが、当センターの裁量で事務処理科に入所した方は、訓練手当は支給されません。
もう1つの縛りとして、このOA実務科の東京障害者職業能力開発校(能力開発校)では、「半年間は訓練に専念してください」ということで、就職活動が9月16日以降となります。
東京会場より 質問 A氏
ありがとうございました。
東京会場より 質問 B氏
就職した受講生から相談を受けたケースがあれば、どのようなケースが多かったのかを具体的に教えていただけませんか。
回答 廣川氏
相談件数は結構あります。例えば、就労中の方からは「周りの理解がない」「目と手を貸してくれない」などがありますが、「どうしたら仕事が貰えるようになるのか」という相談内容が占めています。
その他、弱視で白杖を使用していない就労中のOA実務科の修了生からは、「後任で来られる上司や同僚から、パソコン画面上で業務説明を受けています。仕事の指示が明確でない場合、どうしたらいいのでしょうか」という相談がありましたので、会社の方に「業務指示は、明確に出してください」ということを電話で伝えて、対応いただいています。
付け加えて言いますと、今の仕事を12年間経験していますが、一人ひとりの目の状況も異なりますし、仕事の状況も異なりますし、入社企業も異なりますので、これという決め手が見当たらないため、一件一件の事例が手作りだと言えます。
併せて、その方に合った仕事を一緒に探していくというスタンスでやっています。
東京会場より 質問 B氏
はい、どうもありがとうございました。
熊本会場より 質問 C氏
質問は3つありますので、よろしくお願いします。
1つ目は、訓練の話で主にExcelなどを使用していると言われていましたが、視覚障害者が事務職をおこなう際に、訓練課題で必須としていることがあれば、必要なものを具体的に教えていただけませんか。
2つ目は、就労中の方から「このExcelの訓練は、本当に役に立っています」「このセンターで、こういうところを訓練させていただいて良かった」というような嬉しい声があると思いますので、教えていただけませんか。
3つ目は、視覚障害者が仕事をする際、パソコンを使うと事務処理がしやすいと聞きました。例えば、受付業務というように、どういう業務内容が可能で、視覚障害者に向いていると感じられていますか。
回答 廣川氏
まず、Excelで言うと、事務処理で必要となる方は、「Excelを使わない日はない」と言われる方もいます。一人ひとりの就労先が異なりますし、決定的なものとは言えませんが、1つ目と2つ目の回答として、喜ばれることと、必要とすることはイコールでつながると思います。
例えば、喜ばれたケースで言いますと、IF文やVLOOKUP関数を単体で使用したものや、IF文とVLOOKUP関数を併用するように、複数の関数を組み合わせたものがあります。その他には、ピボットテーブルを使用した集計や、データが重複しないよう抽出するところは、重宝がられるみたいです。
3つ目の回答では、実際に可能なことはいくつもあると思う反面、限られてくるというところが正直なところです。結局その方の持っているスキルによって差が出て来ると思います。一般論的に言いますので、一般論的なこととしてご承知おきください。
こういう言い方が適切であるかどうかは別として、どうしても、人事系や総務系での預かりが多くなるのですが、いわゆる一般社員の通常業務で妨げになることを、切り出していただくということです。
例えば、総務系でいえば何かの備品の受・発注の場合となり、人事系でいえば実際にエントリーシートを受け付けるということです。「どこの大学から何人来たのか」「次のオファーをするので、オファーレターを送りましょう」ということがあります。
中には、実際に面接会場に出向いて、当事者の立場で面接を担当する方もいました。
熊本会場より 質問 C氏
ありがとうございました。
大阪会場より 質問 D氏
3つの質問をさせてください。
1つ目は、今年から障害者雇用率が引き上げられたことにより、ハローワークでは過去最高の障害者採用率と公表しています。実際のところ、情報障害を持つ視覚障害者について、企業が障害者を採用したいと思った時に、視覚障害者だからという理由で採用する企業はあるのでしょうか。
2つ目は就職先です。高い就職実績を上げられていますが、特例子会社・官公庁・一般企業の就職割合がわかれば教えてください。
3つ目は雇用形態です。一般的には、正社員・非正規・契約社員と言いますが、就職した雇用形態は、フルタイムなのかパートタイムなのか、契約社員なのか、正社員なのかを教えてください。
回答 廣川氏
1つ目につきましては、私がハローワークに行っている限りでは、「高まっているのか」「そんなに景気がいいのか」と感じていますので、いつもハローワークの人に、一言・二言・三言の小言を言っています。
最近、視覚障害の方を求められる事例がありました。当センターは、東京ワークショップが併設されていて、主に官公庁の録音・速記をしていることもあり、ハローワークから「どなたかいませんか。内容が聞けて、文字起こしのできる方をお願いします」との連絡がありました。具体的には、テレビ朝日系で収録したものを字幕化するので、視覚障害の方にお願いしたいということでした。
実際に視覚障害者を指定されたか否かは、ハローワークの方とのやり取りをすべて見ていないのでわかりませんが、ハローワークの方も勧めてくれたという1つの事例です。
2つ目の就職先についてです。特例子会社・一般企業・官公庁の中で、どの割合が多いかというと、特例子会社よりも一般企業が上回っています。官公庁に関しては、私の担当している部門では3名です。
質問に対する回答としては、一般企業が8割以上で、特例子会社と官公庁の割合は非常に少ない割合です。
3つ目の雇用形態についてです。正社員ということで、地に足の着いた就職を勧めたいのですが、過去5年間の雇用形態でいうと、契約社員やパート採用で契約社員に上がるような形が非常に多いです。
大阪会場より 質問 D氏
ありがとうございました。
東京会場より 質問 E氏
ビジネスマナーや、コミュニケーションなどの講義がありますが、どのような内容なのかを教えてください。特にコミュニケーションは、何かリンクしてくるようなものはありませんか。よろしくお願いします。
回答 廣川氏
ご質問に対して、どこまで的確で適切にできるかわかりかねますが、当センターの講義でおこなうことを話します。
ビジネスマナーでは当たり前ですが、出勤する時は「おはようございます」、退勤する時は「お先に失礼します」と言いますが、「お先に失礼します」と言われたら、「お疲れ様でした」と言うのが当たり前だと思いますし、出勤・退勤時の挨拶は、コミュニケーションをとる1つの手段だと私は思っています。
そういうことで、私とハローワーク飯田橋の方で、当センターでExcelを担当している講師の3名で、適時訓練生の状況に応じて、各訓練生における強化すべき点を話し合っています。
また、ビジネスマナーやコミュニケーションでの話し方について、面接で話ができなければ、それこそ話になりませんので、話し方講座というものを設けています。
あとは、入社後に話せるのかということですが、とある会社の状況や、広く一般に社会のことがわかるように、社会経済の講義をしています。
また、公開講座になりますが、見聞を広めるということで、弁護士や司法書士を招いている講座に、受講生を参加させています。講師の先生方には、質問が出やすいような授業形態にしていただいていますので、質問する力は大きくついてくるかと思います。
東京会場より 質問 E氏
ありがとうございました。
東京会場より 質問 F氏
これまで出口の話が多かったのですが、実際のところ、眼疾患で落ち込んで、どこかの門を叩くことで、事務処理科に繋がるのかなと思いますが、センターに入所するにあたり、どの程度の心構えが必要とか、一定のスキルを持ち合わせていないと、厳しくなるようなことがあれば教えてください。
回答 廣川氏
出口のことを話していましたが、入所までの一例では、ハローワークや社会福祉関係の機関などからの情報があると思いますが、基本的に当センターに連絡していただかないと、繋がることはないと思います。
相談担当者にゴマをするつもりはありませんが、当センターの相談担当者は、私でもそこまで聞けるかなと思うくらい、本当によく話を聞いています。
まずは、電話をいただくか、来所していただいて、その方の話を聞いた後、その方に合った社会資源を提供していくこととなります。
その中で、当センターや、所沢のセンター、井上先生がおこなっている世田谷のセンターを含めて、今後の方向性などについて話しができるかと思います。
心構えとなりますが、1年間に渡る訓練なので、志半ばにして心が折れてしまう人や、心が病んでしまう人などの入所が見受けられるので、「うちは厳しいですよ。大丈夫ですか。1年間貫けますか」ということを伝えています。
そのようなことを踏まえて、入所を決めた以上迷わないことです。「やります。貫きます」が一つあればいいと思います。
また、心構えと言えるかわかりませんが、就職が思うようにいかず悩むことがあるかと思いますが、訓練生には、「足りないところを少しずつチャレンジしていきましょう。受け入れとはチャレンジですよ」と伝えています。
また、苦手なものは勉強しても上達しないケースもありますが、一つ一つ時間をかけて、「ここまでできるようにしよう」という指導をしています。
それから、入校選考試験では実技で機能検査をおこないます。機能検査はキーボードで入力する試験項目なので、入力できれば入力していただいて、入力できないのであれば、「どこそこに指を置いてください」と伝えています。ようは、入力できることが最低ラインになります。
東京会場より 質問 F氏
50音ということですか。
回答 廣川氏
できれば、50音から「今日は、天気がいいですね」や、「ごきげんよう」などを入力できることが最低ラインとなります。
東京会場より 質問 F氏
ありがとうございました。あと、OA科の募集のスケジュールはわかりますか。
回答 廣川氏
質問がくるだろうと思い、27年度の入校案内をお持ちしました。別に私は東京障害者職業能力開発校の広報担当ではありませんが、訓練を担当しているので、入校案内の日程を簡単に言います。
これからお伝えする一般選考の募集要項は、東京障害者職業能力開発校のOA実務科の募集要項で、平成27年4月6日に入校する話になります。
募集期間は、平成26年11月4日から12月8日の1カ月で、選考日は、平成27年1月16日となります。
当然問題は言えませんが、試験内容を少し言いますと、高卒レベルの国語と数学が5問ずつ出題されます。それから選考日が平成27年1月16日で、合格発表が平成27年1月30日となります。
なお、追加募集は一般選考で定員に満たない場合について、実施することとなりますが、実施状況等については、ホームページ等をご参照ください。
定刻の1時間となりましたが、他にご質問などありますか。
東京会場より 質問 F氏
試験教科は、国語と数学の2教科だけですか。
回答 廣川氏
国語と数学だけです。増やしていいのであれば増やしたいのですが、問題をつくるのは私なので勘弁してください。
東京会場より 質問 F氏
ありがとうございました。それでは、事務処理科の試験要項はどういうものですか。
回答 廣川氏
いい質問ですね。事務処理科には筆記試験はなく、面接試験だけです。
東京会場より 質問 F氏
試験というのは面接ということでしょうか。
回答 廣川氏
試験は面接のみになります。事務処理科の枠については面接のみということです。どうしても訓練手当との絡みや、ハローワークとの絡みと合わせて、母体である本校の東京障害者職業能力開発校に準拠した形で実施しないと、物言いがつくものですから。
そういう点からすると、当センターの裁量で入所できる事務処理科につきましては、自由裁量ということで面接のみの場合が多いです。
東京会場より 質問 F氏
事務処理科において、募集期間などはどうですか。
回答 廣川氏
募集期間は欠員があるかどうかで異なりますが、随時おこなわれています。
その他に、大阪と熊本の会場で何かありましたら、いただければと思いますが。
大阪会場より 湯川氏
大阪会場は、今期最高の24名の参加者数です。
ありがとうございます。1人質問される方がいますので、お願いします。
回答 廣川氏
わかりました。お願いします。
大阪会場より 質問 G氏
貴重な講演をありがとうございました。
講演の中にありました「去年8月の面接では、『視覚障害は採用しない』と断られたが、今年5月に再度連絡がきて、採用に至った実例」について教えてください。
8月の時点では視覚障害を採らなかったのに、翌年5月に採ることになったわけですが、企業側にどういう変化が起きて、何故視覚障害者を採用するようになったのか、情報をご存知であれば教えてください。
また、採用後における就労環境が気になりましたので、よろしくお願いします。
回答 廣川氏
会社が心変わりしてくれたのはいいのですが、昨年8月に面接を受けた方が、入所する約5カ月前に、当センターでの事務処理科では、在宅就労を希望するおみ足の悪い男性が採用されていました。
その会社では、昨年8月の時点で視覚障害の人数がある程度まとまっていましたので、とりあえず別の部位に障害のある方を採用するという方針になっていたようです。経緯等については、私は外部の者ですから知る由も無いのです。
その際、お断りされた理由として、「前回は視覚障害の方を採用したので、今回は別の部位の障害者方を採るようになりました」ということで、「すみませんが、今回は」と言われました。
ただ、その際に担当者から、「期間は確約できませんし、限定はできませんが…」という前置きの上で、一言いただいた言葉は、「履歴書はこのまま当方で預からせていただいて、後ほどまたご縁があり、社内で採用する方針への転換があった際には、ぜひお声をかけさせていただきます」ということを言われました。
どの時点で会社の方針が変わったのかわかりませんが、約10カ月ほど待たされて、それが今年の5月だったのです。
そのような会社の事情があり、お断りされたということです。5月にまた電話がかかり、破談になった縁談が、今度は会社から望まれて、三顧の礼で行かせていただいたことがありました。それぞれの会社の方針により異なると思います。
繰り返しとなりますが、その会社の人間ではないので事情はよくわかりませんが、復活折衝があったことだけは、ご承知おきいただければと思います。
大阪会場より 質問 G氏
はい、ありがとうございました。
『社会復帰から12年、復職から7年が過ぎて』
会員 佐藤 正純(さとう まさずみ)
脳神経外科医だった私は、1996年に脳外傷による失明、歩行困難、記憶障害を合併する重度障害者となって、2000年に大学病院を退職すると同時にタートルに入会しました。 タートルで篠島先生からスクリーンリーダーの訓練、松坂さんからメール交換の訓練、そして多くの先輩方から精神的なアドバイスをいただきました。 また、都盲協で歩行訓練などの職業リハビリを受けて、2002年から横浜の医療福祉専門学校で、医学史と臨床医学の基礎を教える非常勤講師として社会復帰を果たすことができました。
その過程は、2003年12月にタートルから発刊された『中途失明 陽はまた昇る』に掲載させていただいた「高次脳機能障害におけるリハビリ当事者の目的意識」という手記でご報告させていただいた通りです。 この手記集を通じて、私は自らの過失によって障害を負った恥を隠して引きこもることなく、逆にさらけ出すことで社会にアンテナを張って社会参加の幅を広げる道を選びました。 その結果2004年から高次脳機能障害や視覚障害団体からの依頼を受けて講演活動を始めるようになりました。
そして、重度障害を負った現役の脳神経外科医が自らのリハビリプログラムに従って社会復帰を果たしたという珍しさが注目されて、新聞や月刊誌の取材を受ける機会も増えて2005年4月10日にはNHKラジオ第2放送の「視覚障害者の皆さんへ― 医師が視力を失って ―」、2006年6月19日(月曜日)には朝日新聞の【天声人語】、2007年2月26日にはNHKラジオ第1放送の 10時のときめきインタビュー「患者と医師の橋渡しをしたい」で生放送の全国出演の機会をいただき、それが追い風となって講演活動も全国に広がるようになりました。
もちろんその間、医療専門学校では非常勤講師の契約更新を目指して講義の内容を充実させる努力を続けて、教壇に上がっていることを感謝しつつ仕事を続けていました。 しかし、少子化によって学校のニーズも変化して私の担当科目もなくなり、社会復帰後5年が過ぎた2007年度からの講師依頼はなくなりました。 ただ、その時点でも私はもとの医局の恩師やタートルの工藤さんの奥様のご紹介で大学や看護学校の医学の講義の仕事が単発的にはありました。 また、タートルのMLを通して、和泉徹彦さんが勤務しておられた大学での1年間の通年講義を紹介していただきましたが、いずれも期間限定の仕事であり、安定した仕事を開拓することが必要になりました。
そんな折、専門学校を去る時に理事長にご挨拶に行って私の生活の現状を率直にお話したところ、学校としてもそれまで5年間の私の講師としての仕事を評価してくださり、医師免許を今後使える場面があることを考えて、その専門学校から発展した社会福祉法人である横浜の有料老人ホームのスタッフとして勤務してはどうかというお話をいただきました。
私が医師として役立てるかどうかわからない職場に不安を感じながら、履歴書と医師免許を持参して有料老人ホームの面接を受けましたが、医学知識を持つスタッフが職場にいることが何かに役立つということから医療相談員という立場で採用していただきました。
大学病院を退職してから11年ぶりの常勤職として、ささやかでも安定した収入を得られることが何より大切と考えて、介護現場という未知の世界に飛び込む決心をして、2007年4月から普通のサラリーマンと同じ週5日、9時から18時までの勤務が始まりました。
職場では、私の靴箱の位置をわかりやすい一番端に選んでもらったり、タイムカードやコップなどは触ってわかるようなシールを貼ってもらったり、タッチセンサーのエレベーターや社員食堂では近くで気づいた人がさりげなくサポートしてくださるなど、初めての視覚障害者の社員である私に様々な配慮をしてくださいましたし、親しく声をかけて話をさせてもらえるようにもなりました。
また、個人のデスクを与えられ、入職の時にお願いしたパソコンも用意してもらったので、松坂さんに出張していただいて自宅のパソコン環境をそのまま職場でも使えるようになりましたし、共用ホルダーで社内での申し送りもできるようになりました。
しかし、有料老人ホームの基本は、家族に介護を受けていた高齢者がそのまま転居してきた自宅という考え方から、治療が必要な場合は看護師の判断で隣接した診療所の医師の往診を受けたり、病院に搬送したりしているので、失明して11年前に臨床の現場から引退した私が再び臨床医として役立つ場面は見当たらず、また、入居者の医療情報もほとんど墨字で管理されていて入り込むことができなかったため、私は自身で何か必要とされる仕事を開拓する努力をしました。
最初、私はすべてが個室となっている老人ホームの部屋番号と入居者さんのお名前、プロフィールなどを可能な限り聞き取って名簿を作り、看護師や事務局の指示を受けた範囲内で部屋を訪問し、会話が可能な高齢者にはその悩みや昔話を聞いて寂しさを紛らわす相手になるメンタルケアの仕事を試みました。 また、ホームの事務的な仕事としてICレコーダーなどを使って工夫をしながら外線の電話番を頼まれたり、会議の書記を申し出たこともありました。
次に考えたことは、私が失明しても失われることがなかったピアノによる歌の伴奏の腕を生かすことでした。 毎月なるべくその季節に合った唱歌や、高齢者が若いころを思い出させるような歌謡曲を選曲して歌詞カードを配り、週に1回集まって私のピアノの伴奏で歌っていただく機会を作ったことで、私自身も必要とされていることを確認することができました。老人ホームに住んでいては忘れてしまいがちな季節感を取り戻し、文字を読む機会も失いがちな高齢者が週に1度は一生懸命歌詞を読んでメロディーも思い出しながら歌うことが音楽療法として脳の活性化に有効だと考えて提案したところ、職場の作業療法士が協力してくれることになったのです。 歌を歌うためにはきちんと体を起こして椅子に座って深呼吸をすることになりますから、それは高齢者の天敵である肺炎の予防にも有効だと考えました。 その上、入居しておられる高齢者の中で短歌を趣味にしておられる方が国歌や校歌と同じようなホームの歌を作詞して、その作曲を私に依頼してくださったことからホームのオリジナル曲が完成し、その曲は間もなく入居者の皆さんに親しまれる合唱曲になりました。 そして、これまで合計500回、2500曲に渡って響いた入居者の皆さんの歌声と、その間に私が入居者さんに依頼されて作曲した4曲ほどの歌は、ホームで語り継がれる歌となりました。
今の職場に飛び込んで手探りで仕事を探し始めた日から今年で7年になり、現在の私は毎日朝の申し送りに出席し、夜勤の介護スタッフの報告を受け、それに対して意見を一言述べることと、ごく少数ではありますが入居者さんを時々訪問してお話し相手になることで心を和ませるメンタルケアの仕事に意義を感じています。 後はデスクのパソコンに向かって医療専門学校の講義資料を作成することで1日を過ごしており、週に1日は午後からその専門学校に出張して1年生と2年生の2クラスに90分ずつ計3時間の講義をしています。
これは、この会社に入職した翌年の秋にもとの医療専門学校が救急救命士の養成科を新設するための厚労省の認可を得る必要ができて、私の医師免許と救急医療に携わってきた経験が生かされることになりました。 そして、2009年から今の職場と兼任で専門学校の救急救命科の専任講師として救急症候と病態という新たな分野を学んで教え始めることになりました。 もちろん受傷前の2年間は救命救急センターの医局長として大学病院に勤務していた私にとって救急医学は得意分野ではありますが、医学部卒業後は基本的に脳神経外科専門医として勤務していた私にとって、循環器、呼吸器、消化器、整形外科、泌尿器、婦人科から眼科、耳鼻咽喉科、歯科、皮膚科、精神科まで救急のあらゆる場面を想定して教えるには医学部の6年間を再びやり直すほどの勉強が必要でした。
教育内容だけではなく、毎週90分、2年目からは2クラス3時間の講義を視力に頼らずに記憶だけで教えて行くには教育方法の工夫と努力が必要でした。でも救急救命士標準テキストという教科書を、以前からお世話になっているボランティアさんにお願いして早めにテキスト化していただくことができたことに力を得て、新しい仕事を与えていただいたことに感謝しながら取り組んできました。
その学校も、3年目に初めての卒業生を救急救命士として現場に送り出すことができてからは入学生も増え、今年度は6期生が真剣に私の講義を聞いてくれています。 私には学生の表情は全く見えませんが、教壇の上から学生の眼の輝きが感じられる時があることは幸せなことだと思っています。
以上、今回はタートル情報誌編集部から執筆の機会をいただいて、私の社会復帰から12年の道のりを書かせていただきましたが、これまで述べてきましたように、私が現在の職場でやるべきことはまだ残っているように思いますし、リハビリテーション、すなわち全人間的復権はまだ達成への道半ばだと考えています。 その達成のためには私自身の更なる工夫と努力が必要なことは言うまでもありませんが、周囲からの協力をいただくことがどうしても必要になります。 今後ともタートルの同士の皆様には様々な場面でお力添えをいただくことをお願いして、この稿の筆を置きたいと思います。
『中途視覚障害からの職場復帰―そして定年』
会員 熊本市 甲斐 幸二(かい こうじ)
私は、熊本市にあります公益法人に勤務していて、平成26年3月31日をもって定年退職をいたしました。これから脈絡のない内容に終始するかと思いますが、予めお詫びいたします。
さて、私の病名は視神経萎縮症です。中心視野が欠損し周囲視野にわずかに視力が残り、至近距離の人や物の輪郭が、ぼんやりと分かるだけです。遠くの方は全く判然としません。発症するまで唯一自慢できたものが、1.5あった視力でした。 それが、平成13年47歳の春急激に視力が低下し、その状況を受け入れられずに茫然自失になりました。このとき、目の病に御利益があるという寺社にいくつか行きましたが、元来信仰心の薄い私に、御利益を期待すべくもありません。
このような状況下で妻は冷静に判断し、早急に入院し治療することを勧めました。病院では、ステロイド剤が投与され効果はなかったものの、職場復帰の希望は決して失いませんでした。 眼科治療と並行して神経内科をも受診していたので、その医師から高橋先生のロービジョンケアを紹介されたことで、私にとって大きな転機が訪れ、職場復帰の大きな足掛かりとなりました。
ついに、治療の効果なく退院し高橋先生を訪ねると、これまでの経緯や現状を聞かれました。この後ロービジョンケアの詳細な説明があり、今後の方向性を明確に示していただいたので、早速当院に入院し、職場復帰に向け新たな希望を抱きました。
高橋先生は、私の目を綿密に検査し、どの部分に視野と視力が残っていて、文字の判読が可能かを示されたのです。そして、拡大読書器を使い文字を判読する体感をしたことは、感無量の喜びであり、職場復帰が「希望」から「確信」へと変わっていくのを覚えました。
職場復帰の実現には正式な訓練が必要との助言があり、熊本で基礎訓練を受けた後に、大阪の日本ライトハウスで、本格的な訓練を受けました。そこで、津田先生の特訓を受け、音声によるワードやエクセルのパソコン操作が、どうにかできるようになりました。この特訓こそが、職場復帰の礎となりました。
大阪での訓練を終え熊本に帰ると、私に同行された津田先生が、当時の事務局長と総務課長に対して、これまでの訓練により、職務遂行は十分可能であると熱心に説明してくださり、また、私の方から職場復帰の強い意思を伝えました。
すると、彼らは分限の規定を盾に、「原状回復していない状況での職場復帰は無理で、まして白杖をついての出張はやれない」と言明しました。同じ職員でありながら、あたかも使用者のような強い口調は、取りも直さず、私のような重度障害者が、健常者のように就労するなんて、思い上がるなといわんばかりでした。一年近くに及んだ訓練と熱い思いは、まさに頭から冷や水を浴びせられたようでした。
一方、発症時に勤務していた職場の会長を訪ね、訓練の経過と事務局長や総務課長とのやり取りを話したところ、「職員皆で甲斐君をカバーしながらやれるはずだ。復職が無理だとはとんでもないことだ」と理解を示し激怒されました。この言葉に涙があふれて止まりませんでした。
また、高橋先生もこのことを聞いて、電話で総務課長を烈火のごとく叱責されました。それに、周囲の様々な方に尽力していただいたお陰で、首の皮一枚つながっていた私の職場復帰が、望みどおり叶いました。
しかし、職場復帰が叶ったとはいえ、今後一年間の業務遂行に堪え得ることという、前提条件付でした。しかも、このことを明記した念書を差し出したので、いままで応援していただいた方々のことを思うと、絶対に署名押印できるものではなく拒絶しました。このような雰囲気での職場復帰は、針のむしろに座っているようなものでしたが、これに屈しないように毎日自身を励ましました。
ここで、私の仕事のことを少し話してみたいと思います。平成15年4月商工会連合会に復職するまでは、各市町村にある商工会に勤務していました。商工会とは、管内の商工業者の経営改善と地域振興を図るための総合経済団体で、経済産業省認定下の経営指導員という職責であり、特に金融相談、税務相談、経理や取引等経営全般に関する相談指導業務を行っていました。
さて、平成13年6月から1年10か月ぶりに復職し、歓迎会がありましたが、事務局長のグループ数名を除くと、ほかの職員は皆優しく迎えてくれました。業務中や休憩時でも、私が困っているとみるやすぐに手を貸してくれました。
復職後の部署は、経営環境が厳しくなって、資金繰りの悪化や資金調達が困難になった事業者の対応に当たり、倒産寸前の経営状況の打開策を講じるためヒアリングを行うものでした。現場での作業を迅速かつ的確に進めるために、事前に決算書や借入金返済表等を取り寄せて、経営分析を行うようにしていました。
ある日、このような相談案件を受けてバスで現場に行き、仕事を終え無事職場に戻って来ることができました。ある意味で私の復職を拒んだ者たちの期待を裏切り、鼻を明かした気分は、実に痛快極まりないものでした。ですが、この課での仕事らしいものは、3か月でこの案件だけでした。
いろいろな部署での対応状況を見るということで、3か月後に別の課に移りましたが、ここではたまにエクセルを使って集計をするだけでした。前の課とこの課の課長は、事務局長や総務課長と同じグループの人間であり、私を常に懐疑的に見ていたので、一日中全く指示のない日が殆どでした。いわゆる飼い殺し状態でした。
総務課長が復職に難色を示した理由のひとつに、私が電話等の質問に即答できなかった場合、外部からの信頼を無くして、自信を喪失し疎外感を味わうだけだということがありました。当然質問に即答できないこともありましたが、調べたうえでの回答で何ら問題ないものと理解しています。
3か月が過ぎてさらに別の課に移ったとき、いかなる力が働いたのか事務局長の異動があり、これを機に私の職務環境が様変わりし、少々責任の伴う仕事を任されるようになったのです。 この課では、共済の貸付け制度のシステムを変更することになり、関係する金融機関に足繁く通って、幾度も交渉を重ねました。当然外出先では拡大読書器がないので、交渉の要点を十分に把握しておくことが必要でした。この課を最後に職場内ジプシーは終わりました。
そして、3年半後に人事課に配属されました。紆余曲折の中で職場復帰を果たした者が、職員採用や分限に関係するとは思いませんでした。人事課の課長は、以前同じ職場で勤務していたことがあり、協力して仕事に取り組んできた人で、気心の知れた仲でした。日頃から微に入り細にわたって気遣ってくれました。
ところで、平成の大合併の影響で商工会の合併も進み、業務が複雑多岐になり、職員の心身の負担増によって、中途退職者が目立ってきました。中途退職しないまでも、精神的な疲労の蓄積から鬱になり、自信喪失で長期入院する者も多くなりました。こうなると、残った職員の業務量がさらに増え、負の連鎖を起こす結果となっています。
「巧遅は拙速に如かず」。ある程度のスピードと結果を求められるのは当然ですが、効率主義や成果主義が跋扈する現代は、人間性を軽視した社会とも思えます。少し「ゆとり」と「思いやり」のある社会でなければ、心を病む人はあとを絶ちません。もちろんどんな局面においても、過剰な甘えは許されませんが。
最後になりましたが、病気になる以前は、自分の社会的位置は自らの力によるものだと、とんでもない錯覚をしていました。それは思い上がりであり、この世に産声を上げるや、周りの皆に支えられ生かされていると強く認識しました。
そして、障害を抱えた者が就労することは、生活手段のため当然のことですが、社会参画できる職場を通して自己実現を図り、今後の人生を自らの足でしっかりと歩んでいくためにも、とても重要なことだと思います。これをもって、無事定年を迎えたことに感謝して終わりの言葉とします。
◆ ご参加をお待ちしております!!(今後の予定)
《タートルサロン》
毎月第3土曜日
於:日本盲人職能開発センター
14:00〜16:00 交流会開催月は講演会終了後
《交流会》
3月21日
13:30〜16:30
於:日本盲人職能開発センター
《来年度の予定》
平成27年度タートル総会
6月6日(土)日本盲人職能開発センター
タートル創立20周年記念式典
6月20日(土) グランドヒル市ヶ谷
◆一人で悩まず、先ずは相談を!!
見えなくても普通に生活したい、という願いはだれもが同じです。職業的に自立し、当り前に働き続けたい願望がだれにもあります。一人で抱え込まず、仲間同志一緒に考え、フランクに相談し合うことで、見えてくるものもあります。気軽にご連絡いただけましたら、同じ視覚障害者が丁寧に対応します。(相談は無料です)
◆正会員入会のご案内
NPO法人タートルは、自らが視覚障害を体験した者たちが「働くことに特化」した活動をしている団体です。疾病やけがなどで視力障害を患った際、だれでも途方にくれてしまいます。そんな時、仕事を継続するためにはどのようにしていけばいいかを、経験を通して助言や支援をします。そして見えなくても働ける事実を広く社会に知ってもらうことを目的として活動しています。当事者だけでなく、晴眼者の方の入会も歓迎いたします。
◆賛助会員入会のご案内
NPO法人タートルは、視覚障害当事者ばかりでなく、タートルの目的や活動に賛同しご理解ご協力いただける晴眼者の入会を心から歓迎します。ぜひお力をお貸しください。また、眼科の先生方はじめ、産業医の先生、医療従事者の方々には、視覚障害者の心の支え、QOLの向上のためにも積極的な入会あるいは係わりを大歓迎します。また、眼の疾患により就労の継続に不安をお持ちの患者さんがおられましたら、どうぞ、当NPO法人タートルを紹介いただきたくお願いいたします。
◆ご寄付のお願い
特定非営利活動法人タートルにあなたのお力を!!
昨今、中途視覚障害者からの就労相談希望は急増の一途です。また、視力の低下による不安から、交流会やタートルサロンに初めて参加して来る人も増えています。
それらに適格・迅速に対応する体制作りや、関連資料の作成など、私達の活動を充実させるために、皆様からの資金的支援が必須となっています。
個人・団体を問わず、暖かいご寄付をお願い申し上げます。ご寄付いただいた方には、タートルが発行する情報誌をお送りします。
寄付は一口3,000円です。いつでも、何口でもご協力いただけます。
★NPO法人タートルは、税制優遇を受けられる認定NPO法人をめざしています。 その実現のためにも、皆様の積極的ご寄付をお願いします。
◆会費納入のお願い
日頃は法人の運営にご理解ご協力を賜り心から御礼申し上げます。
会員の皆様には6月の総会終了後に会費(年会費5000円)の振込用紙を送付させていただきました。まだ納金がお済みでない方は、法人の円滑な運営のためにも、お手数ですが早めの納金手続きをよろしくお願いいたします。
≪会費・寄付等振込先≫
ゆうちょ銀行
記号番号:00150-2-595127
加入者名:特定非営利活動法人タートル
◆活動スタッフとボランティアを募集しています!!
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NPO法人タートルは、視覚障害者の就労継続・雇用啓発につなげる相談、交流会、情報提供、セミナー開催、就労啓発等の事業を行っております。これらの事業の企画運営等に一緒に活動していただけるスタッフとボランティアを募集しています。会員でも非会員でもかまいません。特に晴眼者のご支援を求めています。積極的な参加を歓迎いたします。
具体的にはweb関係、スカイプの管理、視覚障害参加者の誘導、事務作業の支援、情報誌の編集校正等いろいろとあります。できる範囲で結構です。詳細についてはお気軽に事務局までお問い合わせください。
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