1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2013年11月28日発行 SSKU 増刊通巻第4668号
『心掛けたい3つのFとかきくけこ』
理事 熊懐 敬(くまだき けい)
前回のタートル24号の巻頭言で、市川さんがPC等の技術的スキルに加えて、「人間力」の必要性を説いておられました。私も全く同感です。今回は、別な切り口から、私達が人間力を高めるために心掛けたい基本スタンスと円滑なコミュニケーションスキルのポイントについて、私の在職中の経験と教訓をもとに紹介します。覚え易いように、「3つのF」と「かきくけこ」ということでまとめてみました。
先ず、基本姿勢として「3つのF」が欠かせません。1つ目のFは、Fight=意欲・情熱です。働き続けたい、この会社で働きたいという強い意欲を持ち続けることです。私が65歳まで勤続できたのも、そのことを折に触れてアピールし続けたことが大きい
と思います。今から就職を目指す人も、この意欲の持続が不可欠です。50社、60社目でやっと就職できたという話もよく聞きます。決して諦めずにがんばりましょう。
2つ目のFは、Fitness=順応・適合性です。様々な支援機器やソフトの開発により私達の職域は大いに拡がってきているとはいえ、すべての仕事をこなせる訳ではなく、それなりの制約を受けざるを得ません。コアな部分をこなせる仕事を探索し、あるいは自分で創り出し、それを存分にこなせるようPCなどのスキルを磨き、仕事と自分の能力をマッチングさせることが必要になります。私が従事してきた、セミナーの企画業務は、担当講師とメールでやり取りをしながら、お客さんにとって魅力的なプログラムに仕上げていくという仕事でした。これがセミナー企画のコアな部分であり、しかも、ある程度は自己完結でこなせるということが、仕事を続けられた要因だと思います。
3つ目のFは、Fan作りです。人間力を高め、自分の信頼性や人間的魅力をたかめ、自分を応援してくれる人をいかに増やしていくかが重要なポイントになります。「彼(彼女)は、目にはハンディがあるが好人物だ」と言われるようになりたいものです。私は、仕事に熱中し過ぎて、この点がおろそかになり、後で、人間関係の大切さを思い知らされました。反省をこめての提言です。
では、良好な人間関係はどうすれば構築できるのでしょうか。それは、平素のコミュニケーションから形成されるものだと思います。そこで、今度は、円滑なコミュニケーションに必要なポイントを、「かきくけこ」ということでまとめてみました。
「か」は、「感謝」です。私達はややもすると支援してもらうのが当然という気持ちになりがちです。周りの人たちは結構気を使っていることを肝に銘じ、「ありがとう」の言葉を忘れないようにしましょう。感謝の気持ちは不思議と私達を前向きにし、プラス発想に導いてくれるようにも思います。
「き」は、「聴き上手」です。私もややもすると一方的にしゃべっていることがよくあります。「リーダーシップはリスンに始まる」ということがよく言われます。つまり、よいリーダーは、相手の話をよく聴いて、本音を聞き出し、結果的にその人をめざす方向に動かしているということでしょう。阿川佐和子さんの「聞く力」が超ベストセラーになったのも、世間でもこの辺りで苦労している人が多いということでしょうか。
「く」は、「口は災いのもと」ということです。健常者の間でも、他人の悪口を言うと、3倍になって自分に返って来ると言われています。いわんや、よく周りが見えない私達にとって、人の噂話は厳に慎むべきです。私が在職中に「あの上司は、噂話をすると必ず傍にいる」という噂をしていたら、何とそのときもその上司が傍にいたのには驚きました。
「け」は、「謙虚」です。謙虚・素直に相手の話に耳を傾ければ相手もどんどん教えてあげようということになります。また、思い通りにならなくても他人のせいにしないことです。他人のせいにするとストレスになり、その人のことが気になって夜も眠れなくなります。それより、自分がどうすればよかったのか、今後どうすればよいかを考えるようにすれば、ストレスにはならず自分の成長につながります。なかなか難しいことですが、そういう心構えを持つだけでもだいぶ違ってくるように思います。
「こ」は、「声を出す」と「肯定的に考える(プラス発想)」の2つです。朝の「おはようございます」から、退社するときの「お先に失礼いたします」までの挨拶はもちろん、離席するときや戻ったとき、廊下ですれちがったり、トイレで出くわしたときも、なるべく一声掛けるようにしましょう。とくに朝の「おはようございます」は一日のスタートです。明るく大きな声で挨拶することにより、自分を奮い立たせることにもなります。挨拶をしない同僚がいますが、そうした人も「挨拶をせねば」と触発されるかも知れません。困ったときのSOSも遠慮しないでどんどん声を出しましょう。むしろ、人間関係作りはコミュニケーションの「数」に比例すると言われています。健常者同士には、声を掛けなくても、アイコンタクトがあります。視覚障害者はそれをカバーするべく、SOSでも何でも、とにかく声を掛けることが、よい人間関係への第一歩だと思います。
最後に、「肯定的に物事を考える=プラス発想」は、よい人間関係作りやコミュニケーションスキルの前提として、私達が心掛けるべき必須事項だと思います。常に感謝の気持ちを忘れなければ前向きな気持ちになれることは既に述べた通りです。さらに、マイナスの言葉を口にしないということもプラス発想を身に付ける第一歩だともいわれます。愚痴や他人の悪口などは、そういう意味でも口にしないよう努めたいものです。マイナス発想や脅迫観念にとらわれていると、脳みそが縮んでしまうという実験結果もあるそうです。プラス発想をベースに、自分の精神力を鍛え、成長し、明るく楽しい生活を送ることが、良好な人間関係やコミュニケーションスキルの向上につながるのではないでしょうか。聖人君子のようなことを書いてしまいました。自戒もこめてということで悪しからず!
☆本稿は、東京都視覚障害者生活支援センターの訓練生を対象にお話しさせていただいている内容をまとめたものです。既に聴かれた方は、復習ということでご容赦ください。
『情報機器の最近の動向と職場での実態』
〜職務遂行のために求められる本質を考えよう〜
有限会社アットイーズ 取締役社長 稲垣 吉彦(いながき よしひこ)氏
ただいまご紹介いただきました稲垣吉彦と申します。
本日は、最近の情報機器の動向と、実際にそれが職場でどういう形で利用されているかという実態の話をさせていただきながら、最終的に私たち視覚障害当事者の職場や仕事で何を求められているのかということを主なテーマに、話をさせていただきます。
その前に、簡単に、自分の経歴等について、話させていただきます。
私はちょうど30歳過ぎぐらいまで、普通に見えている状態で生活をしていました。1988年に大学を卒業し、当時は千葉相互銀行、現京葉銀行に入行いたしました。1988年と言いますと、ちょうどいま話題になっていて、明日最終回を迎える半沢直樹と同期生ということになります。実際、銀行にいる時にあれだけ言いたい放題言えたら、たぶん目も見えなくならなかったと思います。ドラマというのは好き勝手なことを言えていいですね。あんなことを上司に言おうものなら、即座に左遷だと思います。
1988年入行と言うと、バブル期最終の入行組です。私たちが入行した当時は支店勤務の場合、朝6時半になると大体男子行員は支店前に集まっていて、夜は10時半過ぎぐらいに支店を出るというような仕事が当たり前でした。そのうち人事管理がうるさくなり、7時以前に支店のドアを開けてはいけない、少なくとも朝はともかく、夜は7時にきちんと支店を閉める。そのため、近くにアパートを借りて、そちらで仕事をしていたこともありました。
しかし、いまとちがって、非常に華やかな時代でした。それだけ働いても、そこからまだ「飲みに行くか」ぐらいの勢いがあった時代でもあり、なおかつ20代の若かりし頃だったので、それでも体がもった時代だったように思います。
そのせいではないのですが、結果的に30歳を過ぎて、ブドウ膜炎(原田病)という病気を発症し、その治療過程で続発性緑内障を併発して見えなくなりました。1996年ですから、いまから17、18年前になるかと思いますが、その当時は、銀行に残るべきかあるいは辞めてしまうべきかで、葛藤していました。
私が見えなくなって、銀行を辞めるか辞めないかと悩んだその前ですが、1995年の3月に緑内障の手術をしました。手術が決まった直後に、銀行からは人事部付調査役ということで、有給休暇扱いの自宅待機となりました。1年間の長期休暇扱いで、その後3年間の休職期間があるということでしたが、そのことは情報として知っていました。1年間やることもなく、会社に行くわけでもなし、外出する機会といったら定期健診で病院に通うか、妻と一緒に週末に買い物に行くぐらいしか外に出る機会がない状態でした。
私の居住地の千葉県では、在宅視覚障害者支援事業という制度があり、それに申し込んだら、自宅に指導員が来てくれました。実は、その当時は見えていたころの嫁と別居の状態で、私しかいないアパートの部屋にその指導員が来てくれたのです。その指導員から、所沢の国リハのロービジョンクリニック(当時は第三機能回復訓練部)に紹介していただき、2泊3日の短期入院をしました。
その短期入院をしている間に、当時の筑波技術短期大学 情報処理学科で2次募集をしている話を、そこのソーシャルワーカーさんから聞きました。当時の筑波技術短期大学情報処理学科が3年制の短期大学でしたので、ちょうどその休職期間に卒業できるだろうということでした。家にいてもどうせ暇だし、現実からともかく逃げたい気持ちも半分あり受かるか受からないかは別として、とりあえず受験しました。テストは全然できなかったのですが、なぜか「入っていいよ」と言われました。
そこで銀行の人事に入学の話をしたのですが、過去に、そういう前例がないということで、認めてもらえず、いくのなら会社を辞めてくれという選択を迫られました。家庭の方も、嫁ともこのまま元に戻ることはなく、離婚をすることになるだろうと思っていました。そして、たまたまですが、子どもも幸か不幸かいなかったので「いっその事、見えていた頃の人生を全部捨てて、一からすべてやり直してみようか」というぐらいの感覚でした。
そういうと、すごく格好良く聞こえるのですが、このまま無駄に人生が流れていくのかなと、非常に悲しく感じました。もちろん皆さんも同じような経験をされてきたとは思いますが、何度もアパートのベランダから飛び降りようと思ったのです。しかし、体のわりに意外と気の小さい私は、飛び降りることすらできなかったのです。現実から逃げ出したい。「見えなくなったら、見えなくなったなりの人生があるだろう」ぐらいのつもりで、筑波技術短期大学の情報処理学科に入学しました。
前振りが少し長く感じるかと思いますが、何を言いたかったかと言うと、この辺はタートルの皆さんなので共感していただける方も多いと思いますが、そんなことよりも何よりも「実は、その時までワープロすら使えなかった」ということだけ、ここでちょっと皆さんに記憶しておいてもらいたいと思います。
というのは、銀行員時代は外回りの営業でしたので、端末機を使うことはあまりありませんでした。それと、当時からパソコンなどは大嫌いでした。下手にさわると壊してしまうのではないかという怖さがあって、避けていました。
ところが、見えなくなって、最初に読み書きに不自由を感じました。もちろん、歩行を含めた移動などについても、見えなくなって最初に不自由を感じました。そのころ、音声ワープロがあることを知って、「これを見えなさを補う道具や手段として使えるようになったら、もしかしたら見えていた頃と同じような、あるいは近い仕事ができるかもしれない」という期待感を抱き、情報処理学科に入学しようということになったのです。別に、情報処理学科に行ってプログラムの勉強をして、どこまでどうのというようなことは全く思っていませんでした。「3年もいる必要もない」「ともかく、ワープロさえ使えるようになれば、何かの仕事ができるはずだ」と、当時は勝手に思い込んでいました。と言いながら、結局最後までいたのです。
同じ学年の子たちは13歳年下でしたが、見えない世界の経験ということでは、先輩でした。その点では、私が1番後輩でした。日常の生活や授業を通して、「あっそうか、見えなくなっても、こうやったら何とか生活できるのではないか」ということを、彼らから、いろいろ学ばせてもらいました。
そうは言っても、私には仮にも大学を出てきたプライドもありました。いくら門外漢であっても、その情報処理系の勉強に関しては「絶対、こいつらに負けるわけにはいかない」というプライドがありました。ですから、意外と3年間まじめに勉強をしました。当時MS-DOSベースでしたが簡単なプログラミングができるようになり、また、どうやって、どういう仕組みでネットワークとして世界中とつながるのかというような、いわゆる情報処理の基本的なことも3年間学んで、理解できるようになっていました。ですが、好きか嫌いかと言われると、やはり元々は嫌いなのです。
これからいよいよ本題に入ります。正直言って、タブレット端末は、使ったことはありますが、好んで使いません。そのようなところを前提に、話を聞いてください。
昨日ちょうどアップルからiPhone 5sおよび5cが発売になりました。ちなみに、iPhoneを使っているという方、何人ぐらいいらっしゃいますか。4、5人でしょうか。では、iPhoneではないけれど、いわゆるスマホを使っている方、何人ぐらいいらっしゃいますか。やはり4、5人でしょうか。非常に平均的な人数かと思います。それでは、一般のスマホを使っている方の中で、いわゆる、らくスマ2を使っている方はいらっしゃいますか。らくらくスマホ2という今月発売になったものですが、まだいらっしゃらないようですね。というような状態ですが、今後恐らくこのタブレット型の端末は、もっともっと増えてくると思います。
しかし、いま私もプライベートでは、正直言ってタブレット型端末は一切使ってはいません。仕事上さわることはありますが。なぜかと言いますと、いまのいわゆるタブレット型の端末の場合、電話だけに限らずスマホにしてもiPhoneにしても、その他のタブレット型の端末を含めて、いまの状態では、文字入力をする部分で、入力ミスがどうしてもまだまだ多くなってしまうからです。普通にパソコンのキーボードから入力したり、あるいは電話で言うと、いわゆるフィーチャーフォンや一般的にガラ携と呼ばれ普通にテンキーの付いた携帯で文字入力をするよりは、どうしても我々の場合はミスタッチが多いのです。いま我々の場合と申し上げましたが、実は晴眼者の間でも入力ミスは多いのだそうです。
いわゆる、iPadとかiPodとかiPhoneですが、そういうふうにiOSで動作させているものと、Androidと呼ばれるOSで動作しているものがありますが、これが一般のスマホと呼ばれているもので、一部のタブレット型端末などでAndroidというOSが使われています。それから、少しシェア的には落ちますが、Windows RTと呼ばれるマイクロソフトがタブレット用に出しているOSがあります。私が知り得る限り、少なくとも国内で利用されているタブレット型端末は、大きく分けてその3つのOSで動いていると思います。
それ以外に、パソコンと呼ばれるものでは、もちろん皆さんもご存知のとおり、いまWindowsは8で、もうすぐ8.1がリリースされると言われていますが、いまのところWindows 8です。それから、Windowsに対抗するものとして、アップル系ではMac OSというものがあります。
国内で一般的に市場に出回っているOSで多いのはWindows型とMac型、それから先ほど申しましたタブレット型でいうとAndroid、iOS、Windows RTの3つで、大きく分けて5つがおもに使われているOSかと思います。
今回こういう話をしてほしいということで依頼を受けて、一応、国内では一番シェアを持っているマイクロソフト社のとある方に取材というか、インタビューをしてきました。「マイクロソフトとしてはWindows 8をどう考えているか」という話を少し聞いてきました。というのは、皆さんもご存知のとおり、あまりWindows 8は評判が良くありません。しかも、まだ出て1年になるかという時に、もう8.1が出ます。そして、いまだに我々視覚障害者の中では、やはりまだWindows 7が使いやすい、更には、いまだにWindows XPを使っている方も少なくありません。そのようなことから、Windows 8をどう考えているのかという話を、マイクロソフトの社員の方に振ってみたところ「いやそんなことはないですよ」と。「Vistaの時と違ってWindows 8は売れています」と言うのです。「えっ」と思いますが、社員さんとしては、それはいろいろな事情があるのだろうと思います。
ただ、もう1つ言っていたのは、RTを出して、Windows 8自体が売れているというよりもSurfaceという機械、これはちょうどノートパソコンとタブレット端末の間ぐらいのイメージを持っていただければと思いますが、要は画面をタッチしても操作できるし、それに簡単なキーボードが付いていて、キーボードを付けた状態で使えばパソコンと同じような使い方もできるし、キーボードを外した状態で使えば普通のタブレット端末としても使えるというものです。このSurfaceという機械にはSurface Proと呼ばれるものとSurface RTと呼ばれるものの2つラインナップがあります。
Surface ProというのはOSとしてWindows 8が搭載されている機械で、Surface RTというのはOSとしてWindows RTが搭載されている機械です。そして、マイクロソフトとしては、Windows 8が搭載されているSurface Pro という機械のことを「タブレットみたいなPC」という言い方をしているそうです。それに対して、Surface RTに関しては「PCみたいなタブレット」ということで「どっちがどっちなのかよくわからない」と「もう一回教えてくれ」と聞き直したぐらい、最初はピンときませんでした。
何を言おうとしているかというと、要はWindows 8はあくまでもPCであるということです。パソコンなのですが、タブレットとしての機能も併せ持っているということです。だから、パソコンでやらなくてはいけない作業があるが、普段はタブレットで簡単にできる操作だけできればいいという方は、ProいわゆるWindows 8搭載のSurfaceをご利用くださいということです。それに対して、はじめからパソコンでやらなくてはいけない作業は一切なくて、自分ではやらなくていいという場合です。基本的にタブレットさえあれば自分の仕事はそれだけで済むが、文字入力にはキーボードがあった方が便利だというような方は、マイクロソフトの言う「PCみたいなタブレット」と呼ばれるSurface RTをご利用くださいという使い分けがあるそうです。
まず、このSurfaceという商品の存在を知らなかった方も、多分いらっしゃるかもしれません。また「何のことやら、よくわからない」という方もいらっしゃるかもしれません。実は、アップルでもMac OSかiOSかというのはあって、Mac OSというのはPC用のOSであり、iOSというのはタブレット用のOSです。そういう使い分けが、マイクロソフトの場合はWindows 8なのかWindows RTなのかということなのです。
では、パソコンとタブレットで何が違うのかと、やっていることは一緒ではないかとおっしゃる方もいると思います。私も何が違うのだろうと思って、単に入力はキーボードがなくなっただけで、入力しづらくなっただけと思った時期があります。「持ち運びには、その分便利になったよね」ぐらいの感じでしたが、実は違います。
いわゆるパソコンと言うと、例えばマイクロソフトでいうところのWindows 8というOSが大量のデータを処理したり、あるいは例えば大きなExcelのファイルとか、あるいは大きなデータベースを操作する上で、絶対的にPCでないとできない処理というのがあります。
それに対してタブレットは、例えば普通にインターネットで検索するとか、あるいはメールのやりとりをするという程度で、広く浅くいろいろなことをやる意味ではタブレットの方が軽快で便利だということです。
しかし、もしある一定の業務を深くやろうとした時には、タブレットと呼ばれる端末は性能的についていかない、ついていけない構造になっています。それに合わせて、軽快感を持たせられるようにつくられているのがiOSであり、あるいはAndroidであり、タブレット型の端末向けに開発されているOSなのです。
それに対してPC型のものはWindows 8であり、Mac OSであり、それは、深く重たい仕事もこなせるように設計されているOSです。なおかつ、対応できる機械ということでは、例えば、Windows RTというタブレット用に開発されたOSで対応できる機械と、Windows 8のようにパソコン用に開発されたOSに対応できる機械は、全く別物になります。
ですから、タブレット型の端末と、いわゆるパソコンと呼ばれる端末の価格帯を比較しても、タブレット型の端末の方が安い訳です。単にキーボードがない分が安いのではありません。やはり、中で使われている部品の一つ一つが大きな仕事に使え、その使用に耐えうる部品なのか、あるいは広く浅くという仕事に対応できる部品なのかということでも、大きな違いがあるのです。
それでは、今後すべてがタブレットに変わっていくのかを考えると、いまお話したとおり、タブレットでできることと、パソコンでできることというのは一部質が違います。広く浅く、メールの読み書きやインターネットの検索ぐらいができればいいのであれば、すべてタブレットに取ってかわっていく業務もあるかもしれません。しかし、やはりそうではないと、いろいろと深く追求していかなくてはいけない業務があった場合、それに耐えうるスペックを持つPCでないと業務が成り立たないということで、その切り分けができてくるのではないかと思います。
マイクロソフトが一番わかりやすいので、あえてマイクロソフトの例を出します。Windows 8ではWord、Excel、PowerPointのすべてが全機能で使えます。それに対して、Windows RTといういわゆるタブレット用のOSでは、一部表示することはできるにしても、Word、Excel、PowerPoint等のいわゆるOffice系のすべての機能が使えるわけではないという違いがあります。ですから、ネット検索やメールだけ等であれば、すべてタブレットで事が足りるではないかというようになりますが、決してパソコンという存在が今後なくなっていくということではないように思います。
では、いわゆる我々視覚障害者がパソコンなりタブレットを使っていこうと考えた時に、当然、スクリーンリーダーと呼ばれるものや画面表示を拡大するソフトなどの機能がないと、使うのが難しい訳です。そういう視覚障害の補償ソフトを作る会社が、今後の開発の方向性として、どう考えているかについてです。
今日のタートル講演会で、話をさせていただけるということでしたので、今週、西の方の、某メーカーさんに行ってきました。行くと必ず開発者さんたちと話をしてくるのですが、いま、日本国内ではその某K社に限らず、スクリーンリーダーを販売、あるいはローカライズや製作しているような会社は、すべてがWindowsというOSに対してスクリーンリーダーを供給しています。
しかしながら、いま、Windows 8は必ずしもそんなに売れているように思えないし、これだけiOSをはじめとしたタブレット端末が一般的に普及してきている中で「どうなのだろう」と思いました。今後はWindows以外に対して開発する気があるのかどうかということです。会社は、はっきりは言いません。私も立場上、言えない部分があります。K社に限らずやはり開発している会社側としては他のOSに対しても意識をし始めてはいます。全く手出しをしていないわけではありません。いままではWindows一辺倒の開発だったわけですが、他のOSに対してもいろいろな形で研究開発をし始めています。そしてタブレット型に関しても、特にいまWindows8のタッチ操作に対応しているスクリーンリーダーは唯一なのですが、唯一と言って何かわかる方はいらっしゃいますか。国内で使えるWindows8対応のスクリーンリーダーで、今日現在タッチ操作に唯一対応しているものがあるのです。一般に販売されているソフトではなくて、NVDAと呼ばれるもので、いわゆるオープンソースで自由にいろんな方が開発に参加できるソフトです。唯一これだけが日本語環境において、一応タッチ操作に対応している形になります。
正確に言うと唯一というのは言い過ぎで、本当はもう一つあります。それはWindows8に標準で搭載されているナレーターというものです。それをスクリーンリーダーと呼ぶかどうかは別としても、一応ナレーターと呼ばれる簡易版のスクリーンリーダーがユーザー補助機能としてWindows8には搭載されています。
これはWindows7にも搭載されているのですが、8と7に搭載されているナレーターの違いは何かというと、日本語の音声合成エンジンを持ったことが、8に付属されているナレーターがある意味進化をしたところです。決して、漢字変換時に詳細読みができるわけではないのですが、一応日本語環境で表示されたデータを単純に読み上げるだけの対応はできています。そこまで含めれば、本日現在で言うと、本当はNVDAとナレーターの二つがWindows8でタッチ操作まで対応しています。
その他ということでは、あえてもう商品名を言ってしまいますが、JAWS、PC-Talker、FocusTalkともに、まだ今日現在Windows8のタッチ操作に対応ができていない状態です。もちろん、JAWSにせよ、PC-Talkerにせよ、FocusTalkにせよ、すべてタッチ操作対応に向けて作業は進んでいます。K社の商品に関しては、年内には恐らくタッチ操作対応になると思われます。いずれにしても、遅かれ早かれ、JAWS、PC-Talker、FocusTalkは、たぶん近々すべてタッチ対応になってくると思います。
ただタッチ対応になったからといって、そのタッチ操作で我々がWindows8を使うかというと、これは全く別問題です。恐らく「タッチ操作が対応になりましたから、Windows8をタッチ操作で使いましょう」という方は、ほとんどいないのではないかと私は想像しています。
やはり、先ほども言いましたようにWindows8は基本的にパソコンですから、当たり前にキーボードが付いている状態なのです。キーボードがある中で、あえてタッチ操作をする必要性はあまりないように思っています。
ただし、一部弱視の方で画面がある程度見渡せるという場合、本当はマウス操作ができるけれど、いままではマウスカーソルを見失ってしまい困っているような弱視の方の場合は、マウスで的確にポインティングをするよりも、ある程度画面が見渡せるのであれば、自分の指の方が目的の場所に持っていきやすいのです。ですから、そういう弱視の場合には、もしかしたらある部分の操作をタッチ操作にして、それ以外の部分はキーボード操作にという併用の形をとった方が、より効率的にパソコン業務をこなせる方が出てくるようにも思います。そういう方には積極的にタッチ操作というのを覚えてほしいと思います。いずれにしても、パソコンでもタッチ操作での文字入力や、タブレット型の端末におけるタッチ操作での文字入力が、必ずしもやりやすいものではないように私自身は感じています。
先ほどお話しましたように、文字入力時の自動補正機能が最初から付いているということは、見えている方でも間違えてしまうということです。いまの入力方式が、間違いやすい状態だと思うだけに、これは少し私自身の期待を込めてでもあるのですが、もっとタブレット型の端末における文字入力の方法が、いろいろな選択肢として提供されるといいのにと期待しています。
例えば、ちょっと変わったタブレット型の端末の入力方式としては、いわゆるパソコンでいう六点入力の基礎を築いた長谷川貞夫先生が、そのタブレット型端末で「IPPITSU」という入力方式を一時期開発された時期があります。もちろん、いまもその入力方式はあります。これは点字をわかる方であれば、ある程度その点字の規則にのっとった形で、画面上に指をすべらせることで文字入力ができるというものです。これはある意味で、さすがパソコンにおいて六点入力を開発された長谷川先生だと思いますし、点字というものから発想した1つの新たなタブレット型端末の入力方式だと思います。ですから、たまたま「IPPITSU」という長谷川先生が開発された入力方式を1つ例として挙げましたが、ただこれは点字をわかっていないと、どうしようもありません。
そうではなくもっともっと、単に画面上にフルキー配列みたいのが出て、そこを指でなぞりながら一生懸命に探してとか、あるいはガラ携のテンキーが画面上に表示されてガラ携と同じような入力方式ができたりするのも選択肢ではありますが、そういう選択肢の中の1つとして、たとえば長谷川先生が開発されている「IPPITSU」もしくは、もっと違う形で、点字のわからない人でも「もっとこの入力方式の方がうまく入力できる、間違いなく入力できる、ミスが減る」というような入力方式が開発されたらいいのにという期待を持っています。
いろいろな開発者の方々がその実現に向けて、いろいろな開発をされているという実態もあります。これは我々視覚障害者のためではなく、一般の晴眼者の方にとっても、よりタブレット型の端末で入力しやすい入力方式があるのではないかということで、たぶん世界中でいろいろな方が考えていらっしゃると思います。
実際に2つ、3つですが、私自身がテスターとして開発過程に参加させていただいている部分もあり、いろんな情報が入ってきていますが、まだそれが実際に「すごいね」と言える段階や「もう、こうなりますよ」と言えるところまでは、どれも開発が進んでいるものではないので、そこに関しては、今日これ以上の言及は差し控えます。
我々にとって「タブレット型の端末であっても、いまの状態がすべてではない」ということで、今後我々にとっても、あるいは一般の晴眼者にとっても「もっと、もっと使いやすいタブレットの環境がこれから出来上がってくる」という、いまは、まさにその過渡期であろうと思います。
ですから、IT系の話をする時にいつも私が嫌な思いをするのは、今日の今日に話していることが、3カ月後、半年後、1年後に全くウソになる時があるのです。「いまの状態ではこんなの全然使えないよ」みたいなことを下手に言うと、3カ月後に「当たり前に楽に使えるよね」というようになってしまうのがこの世界の常なので、決していまの状態が使えないということではないのです。いまの状態でも使えるし、使う努力をされている方もいらっしゃるし、それを決して否定するものでもありません。そこだけはくれぐれもご承知おきいただきたいのです。
ただ、私自身の期待と、開発者の方々の努力として「いまよりも、もっともっと使いやすいタブレットにしていこう」という研究や開発をされている方々が、たくさんいらっしゃるということです。そこに、我々がもっと期待を持っていいと思う状態であることだけは、皆様も期待を持ってこれからの推移を見ていただければと思います。これがいまある現状です。タブレット型に関しては本当にまだ過渡期であり、まだまだ、これからを使いやすくなる可能性を秘めているというお話をさせていただきました。
話を変えまして、実際に仕事場や職場でどこまでタブレット型が入ってきているのか、あるいは実態として、職場でどんな情報端末が使われているのかというところに話を持っていきたいと思います。
つい先日ですが、NECや東芝といういわゆるパソコンのメーカーが、今年度下期の受注に向けてパソコンの増産体制に入ったというニュースがあったのを、ご存知の方はいらっしゃいますか。これはなぜかというと、実はいま日本国内のすべての企業の中の30%が、いまだにWindows XPを使っているのが実態です。この30%の企業は、やはり来年4月9日にマイクロソフトのサポート期限がくるということで、今年度の下期に一斉にパソコンを入れ替えるだろうというのです。その需要を見越して、パソコンメーカ―が増産体制に入ったというニュースがありました。
というように、まだまだWindows XPを利用して会社の業務をやっている会社が、全企業合わせて30%もあるのです。では、残りの70%はどうしているかというと、その大多数はWindows7を利用しています。では、XPを利用している30%の企業が次に入れ替えようとしているのは何かというと、かなりの大多数が、8ではなくWindows7に乗りかえていこうとしています。企業としては、決してタブレットでもなくて、あくまでもPCの入れ替えを考えているのです。なぜかというと、先ほども言いましたように、やはりできることがタブレットとPCでは明らかに違います。例えばタブレットを導入している企業では、直接的に、いわゆる窓口業務的な接客担当職員がタブレットを持って、お客様に画面を見せながら説明するような業務に対して積極的に利用しているという会社も少なくはありません。しかしながら、いわゆるバックヤードというか、事務系の仕事では、特に我々視覚障害者の場合、多くの事務職の方が直接的にエンドユーザーと接するのはあまり多くないのが実態だと思います。そうすると、我々視覚障害者ということを考えた時に、事務職においてはやはりまだまだパソコンなのです。
もう1つ、パソコンが職場においては消えないのは、やはり、いままでの資産ということです。いわゆるWordで作った文書であったり、Excelで作った資料であったり、それこそPowerPointで作った資料というように、いままでの資産を廃棄するような会社は全くないはずなのです。事務系の職種の場合、必ずそういうWordであったりExcelであったりPowerPointであったり、あるいは会社によってはAccessであったりというものを、必ず活用していかなければいけないわけです。
したがって、すべてがタブレットに変わるというのは、非常に考えにくいのです。また、仕事をしていく上で、先ほど入力に関しては、タブレットは今後いろいろと発展する可能性があるということで、期待を持った上でのお話をさせていただきました。やはりそれでも、もし正確性を求めようと考えた時には、タッチ入力よりキーボードから文字を入力した方が、より正確に入力が可能であろうということです。いまの技術水準においては、タッチ入力がキーボード入力を超える正確さを持つことは、恐らくいまの段階では少し考えにくいかなと思います。
そうすると、我々視覚障害者で事務職として勤められている方などは、もちろん仕事ですから、効率よく速いスピード感を持って正確にということで、特に事務系の職種の場合仕事に求められるのは、その3つかと思います。
スピードということですが、実は同じ仕事をした時にどうしても目から入ってくる情報量は全体の7割、8割と言われているだけに、我々はその情報量が少ない分、単純に同じ仕事を同じスピードでやりなさいと言われても、スピード競争になると意外と弱いと思います。でもそれに対して、正確性ということであれば、まだ勝負ができるのかなということです。別に勝負をする必要はないと思うのですけれども。
ただ、見えている方々とある程度対等に仕事をしていく上で、見えないことがすべてのハンデではなくて、見えないけれど見えない分、例えばスクリーンリーダーをフル活用して我々が音声で聞くことによって、晴眼者が見落とす間違いなどを「何か音声で違うことを言っているぞ」あるいは「イントネーションがおかしいぞ」というようなことをきっかけに、誤りを見つけ出すことが我々の場合はできるわけです。正確性という面ではその辺を上手く活用できると、逆に目で見ることで、思い込みだけで何となくちゃんと言っていると思ってしまう人よりは、意外と音で確認することで、より正確にできる仕事もあると思うのです。ですから、やはり正確性ということを考えた時に、少なくとも我々が仕事をこなす業務においては、パソコンというのは絶対的に必要なものだと思いますし、今後も使っていくことになると思います。
なお、より使いやすい環境ということで、いわゆる見えづらさを補償するソフトの技術がもっともっと上がっていくことで、我々がこれからも事務職として生き残っていく道が多くあるかと思っています。
あと変な話ですが、多くの企業の中でWindowsXPがまだ30%あります。それがいま7に切り替わりつつある中で、職場で我々視覚障害者に与えられる環境はXPであったり7であったりしますが、この業務を正確に的確にこなす上で、やはり私にはMS-DOSの環境が必要だということで、会社から与えられる環境以外にMS-DOSの環境を自分で維持しながら使われている方なども現実的にいます。それは、やはりMS-DOSという機械が、与えられた業務をこなす上で最も適している機械であり、道具であると思い、それを必要として業務をこなすわけです。もしかしたらこういうことも一つの工夫であって、今後いろいろな選択肢が増えていく中で、我々が本来与えられた業務をこなすためには、もし本当に必要な業務があるとしたら「この機械がどうしても必要だ」と言える環境があった方がいいという気もしています。
与えられたことだけにすべて流されるのでなくて(ただ、もちろんいまは社内のLAN環境などで、セキュリティ対策上困るということもあるでしょう。ネットワークにつながった環境では、もちろんそのようなことはできませんが、そういうことのないスタンドアローンのローカルの環境で)、この仕事のこの部分だけはこちらの環境でやった方がいいということも、もしかしたらあるのかもしれません。
その時はその理由をきちんと「こういう事情なので、私にはこういう環境が必要なのです」ということを、職場内で言える環境があったら、より良いかなと考えます。そこを周りも、ある程度きちんと認めてくれ「この人に、この道具やこの環境を与えておけば、私たちよりもすごい仕事をするよね」と認めてもらえるような仕事ができたらいいと思います。
また、それに対して、うちの会社や他の会社でも、その環境を構築できるご協力ができれば、我々視覚障害者一人ひとりにとって、全体にとって、より生活しやすい環境が整っていくのでないかと思っております。
ちょっと取りとめもなく、あっちへいったりこっちにいったりと、いろいろな話をしてしまいました。大体いただいたお時間に近づいてきたかと思いますので、今日はこの辺りで話を終わりにしたいと思います。長い時間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
『一歩一歩』
会員 (仮名)柚木 香 (ゆのき かおる)
私は介護の専門学校に通っていた30代半ば、視覚障害をもたらす進行性の疾患にかかっていることに気づき、進路を変更しました。
「リハビリテーション」の道に進むことにしたのです。
国リハのソーシャルワーカー、K先生のアドバイスが私の背中を押してくれました。あらためて受験勉強し、私は筑波技術短期大学理学療法学科始まって以来の最高齢の学生となりました。網膜色素変性症の発症をきっかけに人生の仕切り直しをする機会を与えられ、その年齢で、改めて一から学生生活ができることのありがたさをしみじみと感じながらの、若い同級生に交じっての学生生活でした。年齢と疾患を考えるともう1年も無駄にはできませんでした。
3年で卒業し、その春に東京都町田市にあるリハビリテーション病院に新人として就職することができました。41歳でした。もちろん病名を明らかにして就職しましたが、この段階では視覚障害は自動車の運転を自粛する以外、まだほとんど就労や生活に影響が出ていませんでした。見えているうちにしっかりと勉強し、臨床経験を積み、知識・技術を身に付けておくことが、視覚障害が進行した後に生きてくるとのK先生の助言がいつも頭にありました。そのころの気持ちとしては、何より、リハビリテーション・チームの一員として、セラピストとして働けることが嬉しく、患者、利用者の立場に立って良い仕事ができるセラピストになりたい、という初心で胸膨らませていました。このような気持ちで職業生活をスタートできたのは、介護の専門学校の授業をきっかけとした、目から鱗が落ちるような「リハビリテーションの世界」との出会い、そんな私の気持ちも知ったうえで、この道を薦めてくれた国リハのK先生との出会いがあったおかげだと思っています。
ただ、本当の試練は、この後から次々とやってきました。20年遅れの社会人一年生として歩み始めて、ようやく自分の抱える主要な問題に向き合うことになったと今では感じています。組織の一員として働き始めて、自分がしかるべき時期にしかるべき社会経験を積むことなく年齢を重ねてしまったことからくる問題に初めて直面したのだと思います。まず、時間の観念です。マイペースを崩すことができず、なかなか周りの時間の流れに合わせることができないのです。そして、こだわりの強さ、思考パターンの偏り、それらを仲間の間で揉まれることで矯正する機会を持たないままに長年続けてしまったその日暮らしの影響を修正することは、そう簡単にはできませんでした。
社会人として働くに際して、視覚障害以前にこのような問題がありました。リハビリテーションの仕事は、患者のかけがえのない人生に深くかかわる仕事です。自分の人生計画どころか、1月先、いいえ、1週間先の生活の計画も立てることができずに生きてきた私に、人様の人生を予後予測をもとに計画を立てることが主要な部分を占める仕事が急にできるようになる訳がありません。就職1年目には、いつまでも思考・行動パターンを変えることができない私に我慢しかねた上司に大声で叱られ、担当患者のプログラム立案をすべて返上させられたこともありました。こんな私を、ずっと歳は若いけれども先輩の、同僚セラピストたちは、よくぞのけ者にせず、フォローまでしてくれたものだと思うと、今でも手を合わせて拝みたい気持ちです。その職場では、今思えば「一人前のセラピスト」いいえ「一人前の社会人」の合格ラインにとうとう成長するに至らないまま、通勤時の交通事故をきっかけに、退職することとなりました。就職2年目でした。
交通事故は、自転車で帰宅中、脇道から右折してきた自動車にぶつかり、頭を打ち失神、救急車で運ばれたというものです。その時は異常なしで仕事を続け、4ヶ月経った頃に徐々に頭痛が出現、検査で慢性硬膜下血腫とわかり、緊急入院手術をしました。手術後に、脳は直ぐに元の形に戻りましたが、見え方だけは色調を中心に大きく変わり、大変見え辛くなりました。それはそれまでできていた行動を制限するほどのものでした。そうでなくとも周りの足を引っ張っていた現職に、その見え方で復帰する自信がありませんでした。周りの勧めに従い、脳外科手術3ヶ月後、国リハに検査入院し、高次脳機能、視覚、身体機能の検査、白杖歩行訓練、音声パソコンのデモを受け、今後の方向性について相談させていただきました。その時の国リハの眼科では、明らかに見え方が変わり、行動制限が発生しているにもかかわらず、視力と視野の検査結果が手術前と変わらないということを言われるだけで、繰り返し訴えると、他に目的があるのではないかと若い男性医師から言われてしまいました。一方神経内科では、自覚症状を熱心に聞き取り、視覚は中枢神経と直結する精密な感覚で、非常に繊細であり現在の医学では残念ながらそれを検査で証明することができないと言われました。これらの、患者の立場で医師から言われた言葉によりいろんな思いを経験したことは忘れることができないもので、その後の医療者としての自分にとって貴重な経験となっています。
国リハの検査入院は2週間で、高次脳機能の検査として言語聴覚士、臨床心理士の各種検査、眼科での視能訓練士による各種検査、その他に理学療法士の検査を受けました。理学療法士の検査は、身体機能の評価とともに、理学療法士としての初歩的な職業能力を評価するものでした。検査した理学療法士の方からはこれについては問題ないと言われ、逆に人間関係に問題はないのですか、と聞いてこられました。臨床心理士の検査では、長い時間をとって成育歴を含め、聞き取りをしてくださいました。それによると、高次脳機能障害はないが、本人に不全感があること、今後場合によってはそのことでカウンセリングの必要性も出てくる場面があるかもしれない、とのコメントをもらいました。言語聴覚士の方は、机上の検査では問題は見つからないが、実際の職業遂行の場面で、いろいろな問題にぶつかる可能性はあると話してくれました。これらを総合的に検討して、私の今後の方針は、忙しいリハ病院に戻るのでなく、指導者がいてじっくりと勉強できる職場として老人ホームを選ぶのが良いということになりました。出身校の恩師から、求人中の特別養護老人ホームを紹介していただきました。
国リハでの検査結果を持参し、特別養護老人ホームの面接を受け、約2か月の非常勤の後に正規職員として就職しました。平成13年8月、43歳の時のことです。まだ中心視力は1.0ありました。同じ時期に採用された経験20年を超える作業療法士の方が私の直属の上司となりました。この上司のもとで私は多くのことを学びました。特別養護老人ホームと、併設されたデイサービスが主な職場でした。そこでは、やるべきことが沢山ありました。医師の指示のないところでのリハの対象者を選ぶ基準づくりから始める必要がありました。利用者のQOL改善のため、上司の指導のもとに手掛けた沢山の新しい取り組み、評価をもとに新しい仕事を組み立てていく苦労と面白さ、やりがいを覚える楽しさ、夢中で過ぎた数年間でした。この老人ホーム時代に、重度の障害者、高齢者にとってのシーティングの重要さを実践の中から学びました。同じ頃、私は結婚しました。
老人ホームに就職してからおよそ5年後の2006年に転機がやってきました。介護保険制度の大幅な改変です。基本的には、上司や私たちがあるべき方向として目指し実践してきた方向の制度化といえるものでした。とはいってもそれを律儀に実践しようとするとあまりにも書類作業が多過ぎました。業務が終わった後にパソコンに向かう時間が延びていきました。パソコン画面からマウスポインタが消え、見つけるのに苦労する状況が少しずつ進行し、効率の下がる中、夜10時11時に及ぶ連日の残業が1年も続きました。お世話になった上司は家庭の事情ですでに退職していました。新制度導入で仕事量が激増する状況の中、それ以前から手掛けてきた仕事をいよいよ本格的に軌道に乗せたいと考えていた私は、障害の進行を理由に仕事の手を緩めて発言力を下げることを受け入れることができませんでした。支えてくれる上司がいないことが意味するものの大きさを理解していませんでした。手掛けていた意義のある大事な仕事を取り上げられる理不尽への怒りでいっぱいでした。障害が進行するなか、仕事ができない人としてレッテルを張られ、会議などでの発言力が下がることが嫌で、怒りにまかせてやれともいわれない残業を続けたのは進行性の障害を持つものにとってじり貧の道であることがわかっていながらの自傷行為とでもいえるものではなかったかと今では回想します。
2007年が明けた1月のある朝、突然パソコン画面が見えなくなりました。見えなくなったことを周りに告げましたが、その時にはすでに良好な人間関係は失われており、サポートをしてもらえる環境ではありませんでした。気がつけば、私は心身ともにボロボロとなっていました。まともに出勤できる状況ではありませんでした。体調不良による遅刻、病欠を同僚から勤務態度不良として厳しく上に報告されました。同僚との関係が壊れていた私の訴えに産業医は聞く耳を持ちませんでした。
5年もの間、われを忘れて一生懸命仕事をし、一定の貢献もしてきたつもりでいた私は、体調を壊し、障害が進行した時の、職場の仕打ちに驚きました。職員の仕事の評価は、利用者にとって価値ある仕事をしてきたか、ということよりも、周りの職員といかに波風を立てないかの方が大切だとされることがわかりました。しかし考えてみれば、組織で仕事をするということは、関係が悪ければ仕事を進めることはできないということは当たり前のことであり、関係作りについて言えば、正しいことを言えば、誰も反対や邪魔をするはずがない、というスタンスで通用すると考える青さが許されるのはせめて20代の間かもしれません。
視覚障害の進行により、それまでと同じようには仕事ができなくなり、雇用主からいろいろな提案がありましたが、最終的には常勤職員として働き続けたいという私の希望を検討していただいた結果、同じ法人内の別の職場(病院)へ移るという提案をいただき、私はそれに応じました。
新しい職場は急性期病院なので、理学療法士に求められる仕事は、老人ホームとは大きく異なり、新人になったつもりで一から学ぶ必要がありました。視覚障害が急激に進行した上に慣れない仕事につくという状況で、新たなスタートを切ることになりました。理学療法士(PT) が1人だけだった老人ホームとは違い、同じ職場に数人のPT仲間がいるという状況になりました。上司もPTです。上司と同僚は、視覚障害に関してフォローしてくれると同時に、同じ専門職として忌憚のない意見を言ってくれます。その後、言語聴覚士(ST)、作業療法士(OT)も加わり、大きくなったリハビリチームの一員として、私は働いています。
ここ数年急激に中心視野の視力が落ちているため、文字や人の顔を認識するのは、かなり難しくなっていますが、それを補うため、カルテの読み書きには携帯型拡大読書器を、デスクワーク用には、スタッフルームの自分の机の上に据え置き型の拡大読書器とPCを置かせてもらい、活用しています。拡大読書器は私物です。PCについては、自分専用に備品の端末を1台あてがってもらい、それにPCトーカーを入れ、LANでリハビリ室の数台のPCとつないでもらい、共用のフォーマットに記入するという方法をとっています。
最も大切な、事故防止という点では、上司の指導のもと自分用の詳細なチェックリストを作成し、細心の注意を払っています。また、リハビリ部署の同僚だけでなく、現場で一緒に働く看護師など他職種の人々が、見えない部分へのフォローをするという態勢を作ってくれている、と感じており、毎日手を合わせる気持ちで働いています。
進行性の障害であることから、障害に慣れた頃にまた進行する、という苦労は全盲となるまで続く訳です。いろいろ大変なことはありますが、頑張って仕事を続けています。
今の職場に移るに際してお世話になった多くの人々のこと、そして今の職場に移ってからのことに詳しく触れる前に、それまでのことで字数がつきてしまいました。タートルをはじめ多くの支援機関、個人とのかけがえのないかかわりについては、別の機会に述べさせていただきたいと思います。
『35歳からの生き直し』
広島県福山市 会員 藤井 貢(ふじい みつぐ)
定年退職から早半年が経ちました。退職まではとにかく頑張って、その後はあれもこれもと自由な時間を夢みていましたが、「定年になったら…」と気軽に約束しておりました身障団体、視覚障碍者支援センターなどの様々な役職を引き受けてしまったために、なかなかハッピィリタイアメントとはいきません。相変わらずあたふたとした毎日を過ごしております。
ところで、この欄の執筆依頼は退職直後にいただきました。その頃の解放感というのは、どうも本物ではないような気がしていましたので「少し時間をください」とお願いしました。案の定その頃と今では、退職に対する想いはずいぶん変わりました。退職直後は、安堵感の方が勝って寂しさも何も感じませんでした。今頃になって、やっとそれなりに「辞めたんだ!」という感慨と私の仕事人生というのは何だったんだろう?というような悔恨の情が入り混じった日々を過ごすようになりました。
最もシンドかった時期?
これは誰でも経験することだと思いますが、辞める前の1年間は、精神的にはシンドい時期でした。もう新しい仕事にチャレンジするチャンスはないわけで、どのようにしてモチベーションを維持するかということに腐心する日々でしたが、私は、職場の仲間に呼びかけて「障害労働者連絡会」という組織を作って「定年まで働き続けよう!」と呼びかける立場でしたので、弱気を晒すわけにいかず何とか頑張ったというのが実際でした。しかし、最もシンドかったのは、この時期ではありません。
私は網膜色素変性症です。35歳頃から急激に視力が低下し、40歳頃にはもう文字は読めなくなっていました。その間は、なお弱った視力に頼ること以外考えられず、緊張の連続でした。色素変性症特有の眩しさに耐えて、ヘトヘトに疲れ切る日々でした。今振り返って見れば、身体的にはこの時期が一番シンドかったように思います。
見えなくなってからは、眼を酷使する必要もなくなり、むしろずっと気楽になりましたが、それもこれも、仕事を続けられたからこそ思い返すことができるのだと、感慨深く思うところです。
どのように仕事を見い出してきたか?
私は市役所に勤める行政事務職員でした。一般的には文字が読めなくなると、仕事を辞めようか?などとずいぶん悩むものだと思いますが、私自身は、何故か仕事を辞めようとは考えませんでした。
しかし、私の主観はどうあれ、職場には視覚障害者を受け入れる体制はほとんどありませんでした。職場としてはただ私を受け入れてくれただけで、実際には、私をどう扱おうかとただ遠巻きにするしかなかったのではないかと思います。そこで私は、仕事を与えてもらうのではなく自分の仕事と領分を確保することにしました。周囲の会話などを聞きながら、自分のできることを探し、「その仕事を僕にくれ!」などと申し入れては、私の仕事を一つずつ増やしてきました。
こうしていつの間にか私の領分、私の居場所が確保できるようになりました。例えば、会議録の作成を引き受けることで、一つの仕事を確保し、その業務をすることで視覚障害者が陥りがちな情報不足を補う工夫をしました。また手引き書作成などじっくりとおこなえる業務を好んで選びました。
意外だった周囲の反応
退職前になると、毎日毎日多くの方が私の職場を訪れ声をかけてくださるようになり、既に職場を去っている先輩諸氏もわざわざ職場に訪ねて来られ、身に余る激励とお褒めをいただきました。中には、「本当によく頑張った!」と涙ながらに声をかけてくださる方も大勢いらっしゃったのです。先輩から餞別をいただくなどというのは本末転倒で、恐縮しきりでした。
冒頭にも書きましたが、退職前はただモチベーションを維持することに精いっぱいだったにもかかわらず、職場の同僚には目いっぱいの協力を求めてきましたので、周囲からはかなり浮いた存在と見られているだろうし、疎んじられているだろうと思っていましたので、「私が辞めたところで誰も見向きはしないだろう。静かに辞めていくだけだ」と思ってきましたが、こんなに大勢の応援団が居たとは考えもしませんでした。こんなことだったらもっと頑張るべきだったと反省しきりですが、今更取り戻しようもありません。本当に意外でした。
生き直しは楽しい!
何と表現して良いかわかりませんが、私はとても気楽な人間かも知れません。
目が見えなくなっても、落胆するでもなく「どうしたら見えなくても生活が続けられるか?」と考える方を自然に選んでいました。
前述したように「どうしたらできるか?」と考え工夫することは、人から見れば努力していると映るのかも知れませんが、私にとっては、できなくなったことを再び取り戻せる日々でもあり、意外に楽しいものでした。私は「見えなくなって楽しくてしょうがない」と言ってきましたが、それは強がりでも、逆説でも何でもありません。
子どもの頃、はいはいし、やがて立ち上がり、よちよち歩きの後スムーズに歩けるようになったことを覚えていますか?その過程にある子ども達は楽しくてしょうがないように見えますが、もったいないことに、その頃の記憶はほとんどありません。
見えなくなれば日々出来なくなることが増えますが、これは努力次第で再び取り戻せることも多くあります。その工夫は再び生きなおすことのように思えます。大人であれば、子どもの頃の楽しくってしょうがなかったことを自覚してやれるのです。自覚して生きなおすチャンスが訪れているのです。楽しくないわけがありません。とまぁ、私はこれからも、そんな気分で楽天的に生きていこうと考えています。
◆ ご参加をお待ちしております!!(今後の予定)
<タートルサロン>
新企画! 毎月第3土曜日
日本盲人職能開発センター
(14:00〜16:00 交流会開催月は講演会終了後)
<タートル交流会>
平成26年2月15日(土)
14:00〜17:00
於:日本盲人職能開発センター
大阪・福岡・名古屋・広島などとSkype中継予定
◆一人で悩まず、先ずは相談を!!
見えなくても普通に生活したい、という願いはだれもが同じです。職業的に自立し、当り前に働き続けたい願望がだれにもあります。一人で抱え込まず、仲間同志一緒に考え、フランクに相談し合うことで、見えてくるものもあります。気軽にご連絡いただけましたら、同じ視覚障害者が丁寧に対応します。(相談は無料です)
◆正会員入会のご案内
NPO法人タートルは、自らが視覚障害を体験した者たちが「働くことに特化」した活動をしている団体です。疾病やけがなどで視力障害を患った際、だれでも途方にくれてしまいます。そんな時、仕事を継続するためにはどのようにしていけばいいかを、経験を通して助言や支援をします。そして見えなくても働ける事実を広く社会に知ってもらうことを目的として活動しています。当事者だけでなく、晴眼者の方の入会も歓迎いたします。
◆賛助会員入会のご案内
NPO法人タートルは、視覚障害当事者ばかりでなく、タートルの目的や活動に賛同しご理解ご協力いただける晴眼者の入会を心から歓迎します。ぜひお力をお貸しください。また、眼科の先生方はじめ、産業医の先生、医療従事者の方々には、視覚障害者の心の支え、QOLの向上のためにも積極的な入会あるいは係わりを大歓迎します。また、眼の疾患により就労の継続に不安をお持ちの患者さんがおられましたら、どうぞ、当NPO法人タートルを紹介いただきたくお願いいたします。
◆会費納入ならびにご寄付のお願い!!
日頃は法人の運営にご理解ご協力を賜り心から御礼申し上げます。
さて、間もなく年度末となります。今年度の会費が未納の会員の方は、お手数ですが、以下の振込口座に年会費の納金手続きをお願いいたします。
また、ご案内のとおり、当法人の運営は資金的に逼迫している状況です。皆様
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NPO法人タートルは、視覚障害者の就労継続・雇用啓発につなげる相談、交流会、情報提供(IT・情報誌)、セミナー開催、就労啓発等の事業を行っております。これらの事業の企画運営等、一緒に活動するスタッフとボランティアを募集しています。会員でも非会員でもかまいません。具体的には交流会の運営、事務局のお手伝い、在宅での情報誌の編集作業等です。できる範囲で結構です。詳細についてはお気軽に事務局までお問い合わせください。
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2013年、平成25年も暮れようという時期になりました。会員の皆様、今年1年、どのような年でしたでしょうか?
国内外を見ますと、暗い話題もありましたが、明るい話題も沢山ありましたね?
会や組織の活動は、ほとんどが会計年度で動いているのですが、3月末や4月初めは、なんとなく過ぎるように感じます。ところが、年末は1年の締めくくり、そして、正月は新しい年の始まりということで、身の回りの空気も、自分の気持ちも、なんとなく、普段の月と違いますね。
皆様、今年1年、紙面であるいは音声でお付き合いいただき、有難うございました。
新しい年も、引き続き、よろしくお願いいたします。
(長岡 保)