1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2011年12月4日発行 SSKU 増刊通巻第4016号
「繋がること。前を向くこと」
理事 重田 雅敏
突然の失明。じわりじわりと進む視力の低下。湯飲みをひっくり返して、ふと思い知らされる視野狭窄の現実。人それぞれ視覚障害との出会いは色々です。
誰でもはじめは、ショックを受け、現実を疑い、何とか今までの生活が続けられることを願って、見えるふりをしたり、過去の栄光にしがみついたりします。
一人でいくら悩んでいても、家族が心配し始め、近所の人や職場の同僚に気づかれ、どうにもならなくなります。そして、経済的な窮地に陥ったり、地位や生きる意欲の喪失など、大きな現実の壁がのしかかってきます。
そんなときに、医療や福祉の関係者から、あるいは、ハローワークやホームページなどから、タートルの存在を知り、@ちょっとホームページの内容を覗いてみようか。A意を決して電話をかけてみようか。Bとりあえず相談会や交流会に参加してみようかというように、視覚障害の仲間と繋がることができれば、先ずは一安心です。
仲間と話をして、元気をもらったり、相談にのってもらって、これからの見通しがもてたり、障害や福祉のこと、生活や仕事のことなど、色々な情報を手に入れることもできます。
そもそも視覚障害とは、どういうことなのでしょうか。視覚障害は、情報障害とよく言われます。それを分かりやすくいうと、こんなことです。例えば、雲が月を隠してしまう。霧が山道を見えなくしてしまう。窓のカーテンを閉めると街の様子が見えなくなる。でも、見えないだけで、雲の向こうには月はあり、霧の中に森も道もあります。窓のカーテンを閉めても、その向こう側の街がなくなってしまうわけではありません。つまり、行動する時に必要な情報が得られなくなっただけで、今までに獲得してきた、知識や経験、技能や人との繋がりなど、何一つ失われたわけではないのです。これが情報障害です。雲の向こうの月の位置を知る方法、霧の中の道を知る方法、カーテンの向こうの町の様子を知る方法がわかればいいだけなのです。位置関係を知る方法、文字や知識を知る方法、経験や技術を伝える方法などを、工夫したり熟練していけば、方策はあるのではないでしょうか。雲やカーテンがあっても、その向こうを知る手立てはあるはずです。音の聞き取りや触察技術、ガイド歩行や白杖歩行、点字やパソコンの利用、人に聞いたり、手伝ってもらったり、依頼する時の心配りなどを習得すれば、大きな力となるでしょう。
そうは言っても、人間社会にも、犬のような見えない序列があって、見えないということで、その序列の最下位にされることを覚悟しなければなりません。今まで通っていた意見が聞いてもらえなくなったり、今まで従っていた未熟な部下が、障害者にだけは負けられないと、対抗心を燃やして挑んできたりします。また、理不尽な扱いに申し立てをしても、喧嘩両成敗ということで、百パーセント聞き入れてくれることはないでしょう。健常者が多数派だけに、障害者には、分が悪いですね。理屈だけに頼っても勝ち目はないかもしれません。「人は石垣。人は城」という言葉のように、理解者を少しずつ増やして、陣地を築いていけば、なんとか前向きに生きていくことは、できるはずです。
周囲の人の目を気にしてびくびくするよりも、逆に一生懸命取り組んでいる生き様を見せてやりましょう。「後は野となれ山となれ」という、さばさばとした心境です。時には、自分から離れて、他人ごとのように「障害のある人がどんな人生を送るのか」と、神様のような客観的な目線で自分を見たり、小説を読むように、主人公の顛末を楽しんだりしては、どうでしょうか。
健常者と一人前であるかどうかを競い合うのではなく、視覚障害という境遇の中で「私はこう頑張っている。あなただったらどう頑張るのか」、そんな勝負を投げかけてみてはどうでしょうか。決して一人前とは言えないかもしれませんが、与えられたポジションを精一杯生きていれば、誰からも責められることはないと思います。
人間、悪く考えればきりがありません。障害者という境遇も「住めば都」、段々に馴れてきて、楽しみも出てきます。去って行く人達もいるでしょうが、捨てる神あれば「拾う神あり」です。また必ず新しい仲間ができます。さあ、胸を張って、堂々と前を向いて生きて行こうじゃありませんか。
皆さんこんにちは、理事長の松坂です。東日本大震災から、6カ月が経ち、先週の台風12号の影響で、各地で被災されている方がいます。その中に、今日のニュースを見ますと、全盲の65歳の方がいらっしゃったということで、想定外のことが世の中に起こっております。被災地の皆様には、お見舞いを申し上げたいと思います。
それと、暗いニュースなのですが、会員でありました、岩宮正人さん、65歳が今月慢性腎不全で亡くなりました。ここ数年闘病生活を続けていたのですが、9月7日2時3分に永眠されました。心からお悔やみ申し上げたいと思います。ここで、岩宮さんのご冥福を祈りまして黙祷を捧げたいと思います。皆さん、ご協力をお願いいたします。
「黙祷」ありがとうございました。
暗いニュースが続く中、明るいニュースとしまして、今回このスカイプでの地方のネットワークの中に、今日は初めて名古屋情報文化センターの星野さんの方と繋ぐことができました。今回は、東京会場をはじめ、名古屋・大阪・福岡と全部で4箇所を結んで交流会を実施いたします。これが新しいニュースのひとつです。
それと視覚障害者関連の中で、皆さんはご存知かと思いますが、10月1日から同行援護事業がスタートされます。同行援護というのは、代筆・代読が制度化されたということで、視覚障害者にとっては明るいニュースです。
ただし余りにも時間がなかったので、各自治体で対応が異なっております。同行援護の件につきましての詳しいニュースは、ネットとか各自治体に問い合わせてください。
今日は、3月12日の交流会での予定が延期になっておりました、川口様の講演を6カ月ぶりにしていただきます。皆さん、楽しみに聞くようお願いいたします。簡単ではございますが、挨拶とさせていただきます。
理事長 松坂 治男
「変化に順応して粘り強く生き抜く」
副題:自らを守りながら職場環境の改善にも一役買おう
大日本コンサルタント株式会社 業務統括部・総務部・総務室主幹
川口 雅晴 氏
ただいまご紹介いただきました川口と申します。スカイプの各会場の皆様共々、本日はよろしくお願いいたします。
様々な疾病の方がいらっしゃいますので、ご興味のある無しはあるかと思いますが、私の緑内障の経緯を一通り述べた上で、私の就労面の状況を語りたいと思います。
私自身が眼の病を抱えていることに気付いたのは、18歳の時でした。その時は、右眼は中心だけが見え、ただし視力は良い。左眼は視力は悪いが視野はほぼ残っている、という状況でした。当時高校3年生の夏休みに入るときでしたので、その間に検査して治療方針を決めましょうということになりました。
その当時は、手術には恐怖感があり、目薬でコントロールできそうということでしたので夏休みを終えて学校に戻りました。それからは定期的に検査を受けながら目薬は欠かせない状況になり、やがて大学生活も過ごして就職することになりました。就職の時期には、健康診断書に既往症として先天性緑内障と記載せざるを得ませんでしたので、その点を指摘されることが多く、そんな苦労もありながら、現在の会社に入社することになりました。
職場では、自分の眼の病に気を付けながら働いていることをストレートに理解していただくことは難しく、年々、抱える仕事が増え、多少無理をしてでも頑張らなければならない状況になっていきました。時間外労働も多く、現在でいうと過重労働に相当するような負荷もかかっていた中、知らず知らずのうちに病状が悪化していったようです。
自動車の運転中にそれまでなかったような見え辛さが点滅するように現れたり、夜間に見辛くなるとか、階段の下りが分り辛くなる等、どうも症状が進行し始めたな、とは気付いていたものの、どうすれば良いのか分からないという状況が続いていました。
そんな折、川崎市役所に勤めている私の妻の親戚の方が同じ病を抱えていて、見え方が良い20歳のときに既に手術を終え、特殊なメンテナンス治療のために「オリンピアクリニック井上眼科」が持つ眼科専門病院に入院するという話が聞こえてきました。
とにかくそこに行ってみよう、手術を得意とする緑内障専門医の方が多くいらっしゃるとのことでしたので、そこに賭けてみようと急遽、駆けつけました。すぐに入院して手術も受け、少し視野が残っていた左眼は、現在、同院理事長の井上洋一先生に直接ご執刀いただきました。ちなみに私が手術を受けた「東北沢病院」は、有名だったのですが、後に道路整備の関係で立ち退きになり、現在は外苑前の「オリンピア眼科病院」として継承されていますので、私は幻の病院で手術を受けたような気分です。
そういう偶然もあり、すんでのところで自分の眼圧に関する病状は落ち着き、見え方は、手術直前より若干良くなったように思えたものの、基本的には元に戻りません。1カ月余りを有給休暇、残りは欠勤という形で自宅療養も含めて約2カ月後に職場復帰した時、視覚障害になったという気持ちから、人前には出たくないなと思い、何か内部管理的なことで自分ができる仕事は無いでしょうか、と申し上げましたが、当時の総務部長からは「君には人事を担当してもらう」と言われました。
元々、人事・労務系の仕事ではあったのですが、どうしようかなと思いながら、その当時はチームワーク的に組織の中で協力を得やすい状況がありましたので、新卒の求人対応、パンフレット制作、求人用ビデオやIR用ビデオの制作等、クリエイティブ系の役割も含めて何とか乗り切るのに必死でした。
その頃は、視覚障害者を支援する制度や技術について熟知できておらず、3級の身体障害者手帳は取得していたものの、医療費補助やタクシー券程度しか活用していませんでした。仕事上は、そのときの見え方の中で、過去の蓄積で何とかするという状況でした。
やがて、私を管理職にできるかどうかが問題になったようで、当時は総務部長が、俺の下で俺の仕事に対応してもらう、と押し切ってくださったようです。それは後で聞かされた話ですが、身分的には1998年に管理職になり、少し違った立場で働くことになりました。
その頃は、経営トップも私の経緯を知っている方でしたので、私を見かけると「川口君、目の方は大丈夫か」といつも同じ言葉ながら、よく声をかけてくださいました。
私の勤務先は、公共事業関連がほとんどの建設コンサルタントで特に橋梁や道路の設計コンサルティングが中心ですので、公共事業予算の配分が変わると経営環境も変わります。近年の公共事業予算縮減の風潮下、以前のような内需拡大の後押しによる成長路線はなくなり、経営者の世代交代も進み、年功序列的な仕組みではなく、成果主義でドラスティック(徹底的)に経営を改革しなければならないという気運が高まりました。その中で、私が視覚障害者であることを形式的にネガティヴな評価と結び付けてターゲットにする上位者が出てきました。
成果主義というと聞こえは良いのですが、日本の場合、どちらかというと人件費抑制のために使われてきたという側面があります。成果主義という言葉を標榜しながら、実際には当事者から外して成果をあげられなくするような状況も起きていました。その時、私は、これまでのような感覚では、もうダメだなと考え、様々なことを見直しました。
自分は視覚障害を支援する制度や技術をきちんと使っていないのではないか。スクリーンリーダーについても、テレビ番組で見たことはありましたが、ハードごと特殊なパソコンを買わなければならないのか、ソフトウエアだけで済むのか、どこに問い合わせれば良いのか、ということが分からず、何も行動しないままとなっていました。
調べていくうちに、ここ四ツ谷の福祉法人が主催した視覚障害者のための就労支援セミナーの開催報告をインターネットで見つけたり、何となく私の場合には該当しないだろうと勝手に思い込んでいた障害年金が、基準をよく確認したところ、視野障害を加味して私にも適用できるのではないか等、自分が活用していなかった制度のことが見えてきました。
2003年から視覚障害者を支援する制度や技術について徹底的に調べ、使えるものは活用して、その上で働いていこうと決意しました。身体障害者手帳は2級に変更申請し、これはすぐに認められました。拡大読書器は、確かに反転表記にすると少しは見やすいので、これも使いたいと考えて申請し、無事給付されました。
障害年金については、かなり苦労しました。当時まだ消えた年金記録問題等が取り沙汰される前でしたので、「申請無くして給付無し」という壁がありました。まず社会保険事務所にうかがいましたが、私の病が先天性ということから初診は20歳前になるため、障害厚生年金ではなく障害基礎年金になるとのことで、居住地の市役所に行ってくださいと言われました。市役所に行きますと臨時職員らしき方が「手帳は何級ですか」と尋ねてきましたので、まだ2級が申請中だった私が「3級です」と答えたところ、その方は、パンフレットを持ってきて「障害基礎年金は2級までしかないんです」と説明しました。この問答がおかしいことを、本日聞いてくださっている皆様は、ご存じと思いますが、その時は、やはりダメなのかなと退散しました。インターネットで障害年金の適用基準を私にも比較的読みやすい反転表記で掲載してあったページを改めて読み返してみると、障害年金と手帳の等級はリンクしておらず、概ね手帳の1級と2級が障害基礎年金の1級、手帳の3級が障害基礎年金の2級に該当する場合が多いが、異なる基準によるため一概には言えない旨の解説が見つかりました。もう一度市役所にうかがったところ、前回の職員が間違って説明したことが判明し、私と私の妻は、別室に通され、2名の職員の方より改めて説明を受け、障害年金の手続きに着手することになりました。カルテの法定保存期間が5年ですので、初診の記録がないため初診を証明できないことと現況を掛り付けの医師に書いていただきました。しかし申請は1カ月程後に差し戻されました。私の初診が20歳前ということから学生無年金の問題を疑われたのかも知れません。とにかく金沢にいた10代の頃の通院先、大学に入ってからの通院先、就職してからの最初の通院先の3カ所から、記録がないので証明できないという証明を取るよう求められ、それができないのであれば、今更こんな申請をしても仕方がないという雰囲気になりかけました。
金沢大学病院については、1970年代に通院していましたので、1980年代になってから事務処理がコンピュータ化された同病院では、私の通院記録がない状態になるところでした。
先日、私からジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラというアマチュア・オーケストラのコンサートを案内させていただきましたが、その団体のトランペッター兼事務局長の方は、元々金沢での小学校時代からの友人で東京に出て来てからも巡り巡って現在、同じ駒込の地に勤務しているという偶然が重なっています。その友人の結婚式が1988年に金沢であり、たまたまスケジュールの都合で結婚式前日の土曜日に金沢大学病院で目薬を調達したのですが、その1回の通院記録が事務データとして確認でき、通院実績があることから、初診時の記録がないという証明を発行していただけました。
学生時代に通院していた東京厚生年金病院も、眼科以外の科の通院記録が確認でき、後に再発行した診察券も見つかったので、証明をいただけました。会社に入ってから4カ月程しか通院しなかった越谷市立病院については、何も記録がなかったのですが、草加市の隣接都市にある公立病院なので、市役所職員から社会保険の記録を照会する形で記録がないことを確認していただけるというご尽力があり、無事に再度申請できました。結果的に申請から4カ月後に年金支給が決定し、当初予想していた2級ではなく1級年金の裁定をいただきました。前年の課税所得の関係で、その時は半額が支給停止となりましたが、会社での給与に関してリスクが増えてきた中、このような支援的な収入を得られたことは、精神的にも心強い支えになっています。
2003年5月には、情報を得ながらなかなか訪ねられないでいた、ここ四ツ谷のセンターに思い切って飛び込んでみました。急な話だったのですが、当時おられた松井純子さんと井上英子さんがたまたま空いているとのことで、私の妻も交えて、かなり長い時間をいただき、じっくり相談できました。その年の6月には、同センターで4日間の基礎コースに参加し、7月には、スクリーンリーダーJAWSの研修を含む応用コースにも通いました。今、改めて振り返りますと、工藤さん、西田さん、長野さんといった、タートルでお世話していらっしゃる方々も、この研修に参加しておられたことが懐かしく思い起こされます。
同年8月にはJAWSの購入を会社に申請しました。会社はOSの更新に慎重でしたので、当時まだWindows98を使っていて、比較的安価になっていた日本アイ・ビー・エム株式会社のJAWS3.7を購入することになりました。この時は、私の所属部署長の決裁で対応できる金額でJAWSを導入でき、ようやくスクリーンリーダーを使い始めました。
その後、Microsoft OfficeやOSのヴァージョンアップにより有限会社エクストラが扱う新しいヴァージョンのJAWSが必要になりました。その場合、価格が10万円を超えますので社内の手続きは稟議書になり、少額資産としての計上も必要になります。そうなると稟議の過程で私の事情をよく知らない方から否定的な意見が出る懸念がありましたので、ある程度自己負担しても構わないと考え、部署長決裁の上限10万円以下の98,000円は会社宛、残りの額は私個人宛とする2葉の見積を有限会社エクストラにお願いし、その提案が通って無事、新ヴァージョンのJAWSを導入できました。その後、何度かヴァージョンアップがありましたが、何れも部署長決裁内の金額で済んでいます。
スクリーンリーダーが使えるようになり、パソコンを介して情報を得られる体制が整ってからは、日経ビジネス系の記事、各種行政情報、株式会社商事法務のメルマガからのリンク情報、宋文洲さんのメルマガ等、様々な記事や情報を貪るように読みました。当時、仕事については当事者から外されて時間を持て余す状況もありましたので、とにかく情報の幅を広げ、自らの考え方を鍛え、深めようと努めました。そうした中で業務上、自分が気になるものやコメントしたいものが出てきて、記事や情報の見出しとURLをメルマガ風にまとめ、私の上位者4名に勝手に送るようになりました。記事そのものを表記するのは著作権上、問題がありますので見出しタイトルとURLとしましたが、各々に必ず自分なりのコメントを付けるようにしました。コメントは短いものから長いものまで様々でしたが、とにかく自分が今、何に注目しているのか、どんな流れを掴んでいるのか、何がこれから大事だと考えているのか、そういう自分の思いが伝わるよう工夫したつもりです。その中に障害者雇用の問題も含めたCSRに関するテーマも織り込みながら、自分がどういうことについて理解を深めているのかを伝えていこうとしました。
そういう流れの中で、私にも徐々に課題が下りてくるようになりました。その中で現在も大きく関わることになっているのは、過重労働の問題です。私が勤めている会社は、官公庁が発注する設計コンサルティングやエンジニアリングがほとんどの業態で、どうしても公共事業予算の年度末になる3月に納期が集中しますので、技術者の方々にかなりの時間外労働を伴う大きな負荷がかかる状況が発生します。そのような課題について、きちんと牽制してマネジメントしていくために、過重労働の定義、労務データからの過重労働社員チェックリスト作成、該当社員への健康調査表の配付とフィードバック、該当社員の健康診断やメンタルヘルスケアとしてのカウンセリングの実施といったアウトラインや基本事項を一通りまとめることから始めました。データのまとめ方、健康調査表のフォーマットも自分で基本案を作成し、Excelで過去6カ月の状況が読み込まれる仕組みを用意して運用するところまで持っていけました。これまでに時間外労働に関する法令の改正や行政からの指摘事項等により、制度や運用の変更がいくつかありましたが、随時、修正に対応しながら現在に至っています。
今年の2月には、管理職の内、技術系の専任職社員について、専門業務型裁量労働制を適用したいという話があり、私もその検討メンバーとしてコミットすることになりました。私は社員の就労データを過去23年以上、取りまとめてきましたので、その経験とデータのストックを駆使して制度変更の試算シミュレーション資料の作成にも関わりました。建設コンサルタントは、直接的には専門業務型裁量労働制の対象にはなっておらず、典型的な職種になっていないのは、ロビーイング(lobbying)が不足しているためかも知れませんが、基準の一部に建設コンサルタントに適合しそうな定義があるとのことで、かなり急な日程になりましたが、今年6月末までに各事業所ごとに労使協定を締結し、各所轄の労働基準監督署に届出書を提出する手続きまでを網羅して今年7月から制度導入に至っています。本件については、今後、設定された裁量労働の名目と勤務実態との相違を検証できるよう準備しているところです。何れにしても、企画や検討に加わりながら、その実施後のマネジメントにも関与する流れを創っていくことにより、自分なりに流れの中に入っていけたように思います。
私には、人事関係の稟議書が回ってきますが、これは紙の書類ですので、正直なところ、ポータブル型の拡大読書器を使って読むのは辛く、ポイントだけを確認して印鑑を押すだけになっているのが実状です。OCRソフト等を揃えて書類を読み込ませるというところまでは対応していませんが、実質的に自分には読めないから私の検印は不要と言ってしまうと、仕事の流れ自体が途絶えるような気がしていて、曖昧なままながら、流れだけは失わないよう心掛けています。稟議書や回覧書類については、私の場合、他の方の押印や回覧済チェックが淡いと判別し辛いので、誰が見終わっていて、次に誰のところに持っていけばよいのかに戸惑います。そこで書類箱を左右に置き、右側に処理前の書類を置いていただき、処理済の書類を左側に置いておくと、女子社員の誰かがその書類を次の処理に回してくれる対応としていただいています。
最近は、社内のシステムもWebベースになってきていて、例えば、給与計算システムでは、株式会社ワークスアプリケーションズの「COMPANY」を使っていますが、給与明細書は、PDFファイルをパスワードで開封して取り込み、プリントするなり、データのまま保存するなりという形態になっています。イントラネットについては、株式会社ネオジャパンの「Desknet’s」をベースにしていますので、データ構造さえ理解すれば、操作や読み取りにほぼ支障はありません。社内では、ワークフローシステムも検討し始めていますので、紙の稟議書も将来的には、パソコンの中で確認できるような時代が近々到来するのではないかと期待しています。
私がいる部署は、人事・労務系が主業務ですので、法律的にはどうなのかを意識することが多々あり、会社が契約している特定社会保険労務士の方にも確認しながら進めていく業務も増えてきています。ここ四ツ谷のセンターで、毎年、ビジネス法務の公開講座がありますが、私は2006年に参加させていただきました。株式会社商事法務の小宮さんが中心になってコーディネートしてくださって進められているようですが、私が参加した頃は、ちょうど旧商法のほとんどが会社法に大改正されたばかりの時期でしたので、その理解も含めて、ぜひとも参加したいと考え、全12回をすべて受講させていただきました。
法律的な知識をなるべく自分で理解して取り込んでいこうと努めてきたことが役立ったと思うこともいくつかありました。西日本では不動産の賃貸において「敷引き」という風習がまだ根強くあり、九州支社で借り上げていた社宅から退去する際にかなり高額な負担を求められた社員がいたようで、ある日、私の隣席の上司が、そのことで悩んでいた九州の業務担当者から電話で相談を受けていました。聞こえてくる上司の言葉だけが手がかりでしたので詳細は分からなかったのですが、これは敷金返還問題であろうと見た私は、関連するADR(裁判外紛争解決手続き)機関の中から私が最も良さそうと考えたところの名称とURLを私からその上司にメールしておきました。そのメールは、上司から九州の担当者に転送していただけたようです。私は、しばらくそのことを忘れていましたが、後日、九州の業務担当者から私にも御礼のメールが届き、私の情報により問題が一挙に解決したとのことでしたので、法律的な情報を掴んでいたことで役に立てたのかなと実感しました。
私が基本的に日頃から留意しているのは、資料にしてもデータにしても、一通り終わった後、スクリーンリーダーの詳細読みによるチェックを怠らないということです。長いものになると、かなり面倒だなと思うこともありますが、いつも改めて確認して良かったと思うことがいくつか出てきます。ジョイコンサルティング株式会社の木村社長がブログで、視覚障害者の文章は、誤変換やミスが多く、ビジネスの中では、これは困ると苦言を呈しておりましたので、このような忌憚のない本音を察して絶対にチェックの手を抜かないようにしようと意を強くしました。
職場環境については、現在、社内でもメンタルヘルス教育が活発になっていて、大きな意味でハラスメントのない職場、無用な高圧的ストレスがない職場を目指すことが、働く個人を健全に保ち、最終的には会社にとっても成果があがる組織を創っていくことになるという考え方が主流になってきたように思います。私は最近、SOC、sense of coherenceというストレス対処能力に注目しています。これは、ユダヤ系アメリカ人のアーロン・アントノフスキーという健康社会学を創始した学者が、ナチス時代を経験したイスラエルの帰還者について、ストレスへの個別の対処能力になぜバラツキが生じているのかを調査して検証した結果を基に、29の設問に7段階の判断で答え、そのスコアで判定することを提唱したメトリックです。大きくは、把握可能感を意味するcomprehensibility、有意味感、これは日本語にすると分かり難いのですが、meaningfulness、処理可能感を意味するmanageabilityの3つのカテゴリーがあげられています。視覚障害の問題もストレスとして考え、どういうストレスなのか、どういう意味を持つのか、どう解決し、処理できるのか、予め自分のストレスを客観視して首尾一貫させておけば、同じストレスを受けても対処能力が高まるのではないかと思います。ただ、このスコアは、高ければ良いというものではなく、高過ぎると硬直的な人格になっているという懸念もあるそうです。
人の縁という点では、私の妻の親戚に同じ病の方がいたり、古くからの友人の結婚式のついでに行った病院の記録が後々、障害年金の手続きに役立ったりと、何が幸いするか分かりません。実は先週、会社の管理職親睦会の催しで、株式会社ルネッサンス・アイズの代表である松尾一也さんの講演を聞く機会がありました。松尾さんは、竹村健一さんの講演を聞いて感銘を受け、その講演のマネジメントに携わるようになったことをきっかけに、講演や研修をプロデュースする会社を起業した方で、サッカーワールドカップ南アフリカ大会で日本代表の監督を務められた岡田武史さんとも親交があります。その方が話しの中で「人というのは、出会うべき時に出会うべき人に寸分違わず出会っているものだ。ただし、そのための準備を怠っていると、そのチャンスを逃してしまう」と言っておりました。その後、これは有名な話のようですが、「ノミの実験」の話をされました。ノミは、近頃では見かけなくなったように思いますが、人間の大きさであったとすれば、東京タワーの高さあたりまで跳べるジャンプ力があるそうです。このノミを箱の中に入れ、蓋をした状態にしておくと、蓋にぶつかっているうちに蓋を外しても高くは跳ばなくなってしまうそうです。人間もストレスや理不尽な壁にぶつかっていると、高く跳ぼうとする気持ちが無くなってしまうかも知れません。この跳ばなくなったノミを再び高く跳べるようにする劇的な方法があるそうですが、ご存知の方はいらっしゃいますでしょうか。
答えは、普通に跳べるノミを一緒に入れてあげることです。そうすると普通に跳んでいるノミを見て、跳べなくなっていたノミも、また高く跳び始めるそうです。「タートル」の活動もそうだと思います。様々な働き方の中で、苦労を重ねながらも、普通にジャンプし、普通に活躍しておられる方々に多く触れ、広く交流することにより、自分自身もその道筋に入っていけるということです。
マザーテレサさんの「あなたの中の最良のものを世に与えなさい」という有名な言葉があります。これには続きがあり、「蹴り返されるかも知れません。それでも気にすることなく、あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい」と語っています。様々なことを言われたり、理不尽な仕打ちを受けるかも知れません。それでも信念を持って正しいと思うことを繰り返し実践していけば、視覚障害者が普通に働き、共に生きる社会が当たり前になり、利他の精神が「自他一如」に成就するのではないかと信じています。
私が利他の精神を貫けているのか、遍く自他を利することができるのか、最良のものを世に与えられているのかどうか、自らでは評価できませんが、そういう精神で行動し続けていきたいと思います。本日は、ご清聴いただき、ありがとうございました。
川口 雅晴(かわぐち まさはる)氏プロフィール
1958年5月、石川県金沢市生れ。
1982年3月、早稲田大学商学部卒業。
同年4月、大日本コンサルタント株式会社入社、総務部に配属。
1988年9月、緑内障の症状悪化により急遽入院し、両眼を手術、入院と自宅療養を合わせ2箇月程を経て職場復帰。
以降、社内外の変化に直面しながら、人事・労務、企画系の業務を主に担当、現在に至る。
皆さんこんにちは! 茨城県ひたちなか市の森住純一と申します。
まずは私の病歴を書かせて頂きます。
2000年ごろから夜盲を実感し、夜間の車の運転が困難になり、2003年3月に突然視界が白くなり、眼科を受診すると「網膜色素変性症」(以下RP)と診断されました。もともと私は車を運転しての仕事でしたので、運転が出来なくなり、不安の毎日を過ごしました。そして、ほとんどのRPの皆さんが取る対策を私も同じように実行しました。漢方、鍼、手術とやることは全て実行しましたが、やはり、症状の進行を止めることは出来ませんでした。
その中で、NPOタートル先輩方との出会いがあってこそ、今の自分があります。スクリーンリーダーやロービジョンケアを知ったのも、皆様との出会いあってこそです。そして、近い将来には光を感じる事が出来なくなるのを悟った私は、所沢のリハビリテーションセンターにてロービジョンケアを受診し、このRPの症状を正面から受け入れ、それに対処する事に専念する決心をしました。
まずは行動、地元の視覚障害者福祉センターにて歩行訓練、点字学習の指導を受け、会社に対しては、スクリーンリーダーと活字文書読み上げ装置の導入を要請しました。上記ハード&ソフトウェアの導入に関しては、会社側も過去の実績がないので、理解を得るのに時間が掛かりました。
私が起こした行動は、直属上司をまず説得し、産業医とシステム部長を同伴させ、何故このような機器やソフトが必要なのかを根気良く説明し、導入にこぎつけました。しかし、上記ソフト&ハードをもってしても、晴眼者に出来て私に出来ない事があるのは仕方がありません。例えば、タッチパネル式のFAXを使うなどです。
私に出来ない事、これをどう補うのか?それは、周囲の協力を得る事です。周囲の協力無しには円滑な業務遂行ができません。それは障害の有無に関係がありません。人と人とのつながり、つまりは「人間関係」が基本となるわけです。
この病気にかかり、一旦は絶望を味わいましたが、私の人生において、人間として最も重要なのは「人間関係」だという事を、今教えられています。あの東日本大震災から半年が経過しました。大震災も私たちに人と人とのつながりの大切さを教えてくれています。
視覚障害は確かに重い障害ですが、粘り強く根気良く焦らずマイペースで臨めば、必ず道が開けます。一度限りの人生、山あり谷あり平地もある、起伏の有る素晴らしい人生に変えるのも自分次第です。不安にさいなまれている方々、病気の受け入れと対処がキーワードだと私は考えます。自分の人生のために行動を起こしましょう。
会員 森住 純一 氏
〜 表に出ない相談事業 〜
理事 下堂薗 保
1.はじめに
タートルは、HPやDVD『優秀な人材を見落としていませんか?』で、「視覚障害者の就労相談等に応じます」などと案内し、その通信媒体として、「03−3351−3208」(固定電話=以下、コテ・ホン)と相談専用ML「mail@turtle.gr.jp(以下、ML)」を用意していることを公表しています。
就労相談の全般については、一年分まとめて、相談担当理事から通常総会の場で、相談件数とか、相談事例の特徴、職場復帰件数、就職件数、それらの通信経路等々が報告されています。ところが、例えば交流会やセミナーなどは「いついつ、どこそこの会場で、講師のだれそれが、どのようなテーマで……」等々と姿が見えていますが、相談事業は、個々の内容とか、用意された通信媒体が、日常的に就労相談に、どこでどのように絡んだか、どんな手順で進められているかなど、外見的にはまるで見えないため、よく分らないというのが実感だろうと思います。 その隠れた部分等について窓口担当&相談班の一員としての立場から裏情報をレポしてみたいと思います。
2.相談事例が露出しない背景
上記のとおり、つながりの媒体は、コテ・ホンとMLの2つがあります。コテ・ホンは、日本盲人職能開発センター(以下、職能開発センター)から窓口担当者宅へ転送されるしくみに設定してもらっており、MLはいわゆる三役のほか電話の窓口担当者が登録されています。
コテ・ホンに入った相談希望等の情報は、窓口担当者が受信した内容を整理したうえで、MLで配信するしくみになっています。この時点で、はじめて三役も個人情報に接することになるわけですが、登録者以外へは流れないため、この時点から隠れてしまうことになります。MLに入る情報については、内容に応じそれぞれの担当者が対処する作業分担にしていますが、相談に関しては相談担当者が応じています。
個人情報は、ご承知のとおり住所、連絡先など基本的なものから疾病、経歴等々詳細にわたり知られたくない細かい内容が含まれています。これらに接する者の員数を最小限にしぼった背景は、個人情報の重要性に鑑み、個人情報の万一の漏洩を防止しようとするところにあります。法人としてはあってはならない予防法を前もって講じることで、ころばぬ先の杖的な措置を講じているとも言えるかと思います。
3.窓口と相談担当者との連携
コテ・ホンとMLの情報の入信件数の比較では、コテ・ホンのほうが何倍も多く入信します。コテ・ホンでかけてくる相談者の場合、あれもこれもとセキを切ったように次々話が続き相当長時間に及びます。
傾向的には、「解雇予告を受けた」は、少なくなってきていますが、「視力低下のため仕事がむずかしくなり自ら辞めた」「手帳に該当しないが何か方法はないか?」のような事例がこのところ目立っているように思います。それと、フルネームとか、勤務先名、職務経歴等をなかなか明らかにしてくれたがらないため、引き出し方の工夫や、話してくれるまでの忍耐が要ります。
コテ・ホンには、毎月30本近い様々な問い合わせや相談等がかかってきますが、不思議なもので、日によっては、受話器をおいた途端、次の呼び出しが鳴り、次々、何本もつながることもあります。
地域は、それこそ北海道から沖縄まで、全国各地からきます。電話の相手方は、個人(当事者、親、兄弟、知人等)、医療機関、福祉施設、訓練施設、市・区役所等行政機関、マスコミ、民間調査機関等々、様々です。相談に関連するものは、個人と医療機関からが大半ですが、時には福祉施設からもあります。
内容的には、大きく分けて就労相談と補助機器的なものになりますが、時にはタートルの相談手法を教示してほしいというものがあり、驚くこともあります。その他入会・退会、会費の振り込み、住所変更、図書購入要望等、こまごま様々です。
相談希望など必要なものは、整理し、MLで配信しますが、相談希望を受けた担当者は、ここから具体的な作業をはじめることになります。就労相談は、緊急、初期、就労継続の三つのパターンに応じて対応しています。相談担当者は、ご本人と連絡を取り、詳しい聞き取り、相談日の設定、会場(「職能開発センター」)を確認のうえ、相談会の開催になります。このほか、自分で直接受けた相談事例もかかえていることもあるので、それらも含めた対応になります。対応は相手により異なりますが、それぞれに関係する資料をメールで送ったり、ご本人のデータを収集したり、関係機関への根回しなどを進めます。これらの作業が、表に出ないところで繰り返し行なわれていることになります。
また、高い評判を得ているのが、2年半前からはじめている眼科医が同席し、医師の立場から助言してくれる相談会です。これは、毎月1回(第1土曜日)に、3〜4人程度を対象に実施していますが、この対象者選びも相談担当者の任務になっています。
補助機器のこととか、電話相談希望とか、軽微な事項については、窓口担当者自身で、あるいは関係者へ伝達して対処することにしています。
4.窓口担当者の雑感
上述のとおり相談希望者の中には、視覚障害がありながら、手帳取得の数値に該当しないために、手帳を取得できない方々がいます。これらの事例では、すでに業務遂行等に支障があるにもかかわらず、福祉制度は、手帳所持万能主義のため福祉の恩典を受けられないという現実があります。私は常々、このような方々の就労継続あるいは業務効率の向上を図るしくみを整備する必要があると、言い続けていたところですが、実は、障害者制度改革推進会議の東室長さんが、下のように発言していることをつい最近偶然知り、思わずわが意を得たりと、大いに期待しているところです。
『障害者制度改革推進会議担当室長東俊裕(トシヒロ)氏(弁護士)談
10月31日(毎日新聞)
制度の谷間をなくす観点から障害者手帳を持っている人だけでなく、心身機能に何らかの支障のある人も対象に含める。福祉サービスの支給決定のしくみも大幅に変える。現在は、障害区分に応じてサービスを提供しているが、個々の障害者の生活実態に沿ったものにする。(後略)』
というものです。
5.むすび
タートルは、いわば、テレワークに似た形で、電話やメールで相談窓口に対応しているわけですが、この業務を分担することになってから、タートルの存在が思っていた以上に全国各地から大きな期待感を寄せてもらえていることを改めて実感している次第です。
タートルの発足当初は、官民問わず、解雇予告が普通の相談事例だったことを想い起すことがありますが、昨今、手帳に該当しない苦悩者の相談が増えている現象は、私自身中途半端に見えかくれしはじめたころ、もっとも支援を望んだ時期と重なります。このタイミングで支援ができる制度的なしくみができることを強く感じ、期待しているところです。
それと、昨今多くのみなさんが定年退職まで働いている現実は、タートルの地道な活動が、少なからず影響していることもあるのではなかろうかと、感無量のものがあります。
◆ 今後の主な予定等について
《交流会》
(1)1月21日(土) 13時30分から
今回も、東京・名古屋・大阪・福岡各会場をスカイプ通信で結んで実施致します。細部は、案内文、案内メールまたはホームページをご覧下さい。お知り合いの方等をお誘い頂き、参加しやすい会場にお運びください。
(2)3月10日(土)
《就労相談》
タートルでは次のような就労相談事業を無料で行っていますので、どうぞ、お気軽にご相談ください。お知り合いの方で、悩んでおられる方がおられましたら、教えてあげて頂ければ幸甚です。
連絡先は、専用電話:03−3351−3208
相談専用メール:m#ail@turtle.gr.jpです。
(SPAM対策のため2文字目に # を入れて記載しています。お手数ですが、上記アドレスから # を除いてご送信ください。)
(1) 通常相談会:随時。希望に応じて相談会を開催しております。電話、メール等でお受けしております。
(2) ロービジョン相談会:通常相談の中から特に就労継続のロービジョンケアが必要な人を対称に、眼科医の協力を得ながら実施しています。毎月第1土曜日を予定(都合により変更になる場合もあります)。
(3) 地方相談会:必要があれば地方役員と連携し、地方での相談会も検討させて頂きます。
《情報誌発行》
3月に情報誌第18号を発刊予定です。
◆ 情報誌「タートル」のDAISY版(デジタル録音図書)の申し込みについて
今年度から、情報誌「タートル」は、テープ講読を希望される会員の方には、従来どおりテープを、デイジー版を希望の方にはCDを、「東京YWCA音訳ボランティアグループ(お茶の水)」のご厚意により、送付していただいております。
つきましては、情報誌のDAISY版を希望される会員の方は、以下のタートル事務局まで電話またはメールでお申し込みください。次号の「情報誌タートル」からお届けできるように手配いたします。費用は無料です。
また、テープ版も引き続き制作していただけるとのことですので、テープ希望の方はこれまでどおりにお送りしますのでご安心ください。
なお、ご不明な点は以下のタートル事務局までお問い合わせください。
◎NPO法人タートル 事務局
電話 03-3351-3208
メール m#ail@turtle.gr.jp
(SPAM対策のため2文字目に # を入れて記載しています。お手数ですが、上記アドレスから # を除いてご送信ください。)
◆第4回視覚障害者継続就労支援セミナー実施結果について
11月16日(水)の第4回視覚障害者雇用継続支援セミナーは、各方面から、定員を超える97名が参加し、ジョブコーチを軸とした人的な支援のあり方について実践的な報告がされ、今後の視覚障害者の職場定着に向けた取り組みの大きなステップとなりました。
今年も残すところ指折り数える時期となりました。
情報誌の編集を担当して、1年になりました。会員の皆様に役に立つ情報や内容を心がけ、「お知らせ」の中に、今後の行動予定、相談申し込みの問い合わせ、デイジー版希望者へのお知らせ、行事実施結果等について、初めて情報誌を読まれた方にもわかるような形で、掲載させていただきました。皆様からのご感想等を頂ければ幸甚です。
「光陰矢のごとし」と感じられた方、大震災、放射能事故、度重なる風水害等により長い長い日々と感じながら毎日を過ごされている方、私もそうでしたが、視力が低下していくのを不安に思いながら仕事に取り組んでおられる仲間もおられることと思います。
皆様、忘年会はお済ですか?年忘れで、古い垢を流して! 新しい年明けが、すぐそこです。
(長岡 保)