特定非営利活動法人タートル 情報誌
タートル 第16号

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2011年9月14日発行 SSKU 増刊通巻第3945号

目次

【巻頭言】

「距離の壁を超えて」

理事 湯川 仁康

2009年秋のタートル交流会は、初めてインターネット通信ソフト「Skype(スカイプ)」を活用して、東京会場(四谷)と大阪会場(肥後橋)をつないで開催されました。

それまで交流会に参加するためには、和歌山在住の私は片道約5時間かけて東京四谷まで出向いていました。交流会には多くの仲間が集まり、中途視覚障害者の就労継続に関わる生の情報を得ることができ、長時間かけても参加する価値は十分ありました。しかしながら一方では、各地に住んでいる誰もが、距離の壁を越えて交流会に参加する方策はないものか、もっとタートルを身近に感じるにはどうしたらよいのかという思いもありました。

2009年4月、タートルのスタッフの全体会議において、Skypeの活用について議論され、また実際に、Skypeを使ってデモが行われました。そして、まるで隣にいるかのような会話ができることに驚きました。これなら交流会でも使えるのではということで、それ以来、大阪でのSkypeを活用した交流会実施に向けた準備が始まりました。

素人の私は、まずソフトをダウンロードし、操作方法のマスターから始め、その後、準備が整い、開通したので東京のスタッフとテスト通信を行い、これで第1段階はクリアです。次は、実際に使用する東京・大阪の会場でのテストです。大勢の方が参加される状況において1対1の通信環境とは違い、本番同様のスピーカーやマイクを接続し、東京〜大阪の誰もが聞こえるか、反響などが生じないかなど何度も何度もテストを繰り返しました。まずまずのテスト結果に満足し、後は交流会当日を迎えるだけです。第2段階クリアです。

しかしながら、いざ、本番になるとなかなかうまくいかないものです。通信が途絶えたり雑音が入ったりとアクシデントにみまわれ、終わったあとは、東京が原因だ、大阪が原因だとか、スタッフ同士のSkypeでの反省会です。以来、交流会や総会で8回、Skypeを活用した同時開催がなされましたが、問題なくできた時もあれば、アクシデントにみまわれ、その都度原因を検証したり、改善策を講じたり、より高性能な機器に買い換えたりして対応してきました。最近では、晴眼者の協力を得て、接続などはようやく安定してきたのですが、当日は何が起こるかわからないので気が抜けないところです。

Skypeによって、中途視覚障害の私たちが、上京しなくても最寄りの地方会場に参加できる機会を確保することで、安全性や経済的なことはもとより地方での横のつながりが活発になろうかと思います。まだまだ満足できる通信環境とはいえませんが、あきれずに、あきらめずに今後も地方会場に参加してみてください。大阪以外に、福岡、仙台、福山とジョイント会場が拡がっています。いつか全国の主要会場すべてを結んだ交流会ができれば、全国の仲間達と距離の壁を越えてより一層「絆」を強めることができるでしょう。

そして、次なるステップは、タートルの基本的な活動である相談事業において、距離の壁を越えてSkypeを活用した遠隔地相談です。

※ Skypeは、P2P型のインターネット電話ソフトです。ソフトは無料でインストールでき、無料で音声通話ができます。音声は、一般電話よりもクリアといわれています。基本的には、インターネット環境さえあれば、後はマイク、スピーカー(イヤホン)を用意するだけです。

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【総会関係報告】

(この報告には、総会の議事録と総会関連の処置情況等について、末尾に記載しております。)

平成23年度通常総会議事録

1.召集年月日 平成23年5月15日
開催場所 東京都新宿区本塩町10-3 社会福祉法人日本盲人職能開発センター
開催日時 平成23年6月11日(土) 10:30〜12:00

2.総社員数   233名
 出席した社員数  146名
  内訳 本人出席 35名 委任状出席 111名(メール55、ハガキ56)

3.審議事項
(1) 第1号議案 平成22年度事業報告
(2) 第2号議案 平成22年度収支決算報告
(3) 第3号議案 平成22年度監査報告
(4) 第4号議案 平成23年度事業計画(案)
(5) 第5号議案 平成23年度予算(案)
(6) 第6号議案 定款変更(案)
(7) 第7号議案 コンプライアンスと個人情報保護に関する方針(案)
(8)第8号議案 平成23年度役員選任(案)
(議案書は事前に配布)

4.議事の経過の概要及び議決の結果
議事に先立ち、司会の選出を行い、新井愛一郎理事が選出された。ついで司会より議長の選出について諮ったところ、一任の声があり、下堂薗保理事が議長を務めることが提案され、全員異議なしとのことで選出された。
下堂薗議長より、本総会の成立について、総社員数233名に対し、本人出席35名、委任状出席111名、総出席者数は146名となり、定款第26条の規程による会員総数の2分の1以上に達しており、この総会は成立している旨を告げ、総会の開会を宣した。
議長より本総会の議事録作成について諮り、長岡保と杉田ひとみの両理事に書記役をお願いし、議事録署名人に松坂治男代表理事と篠島永一理事を選任したい旨、会員に問い掛けたところ、全員「異議なし」の声があり、両名も了承し、議案の審議に入った。

(1) 第1号議案  平成22年度事業報告
松坂理事長より一括で報告があった。
第2号議案の収支決算報告もまとめて審議することとした。

(2) 第2号議案 平成22年度収支決算報告
杉田理事から報告。

質問1
ホームページのテキスト広告について収益事業とみなされないか?税理士等に確認をした方がよいのではないか。

回答1
税務署に問い合わせたが、担当の税務署でないとはっきり答えられないということで、確認は終わっていない。収益があった場合、7万円の課税があることは承知しているので、新宿税務署に確認する。

質問2
NPOとして活動しているのに、管理費が極端に少ない。昨年も言ったが、役員の交通費等、実際にかかった費用は、しっかり支払い、計上していただきたい。また、事務所を持つということも、5年くらいのビジョンで進めるべきと考えるがどうか?

回答2
今までは、理事の手弁当が殆どであったのは事実である。今年度は、一挙に改善は出来ないが、管理費として25万円を計上した。今後、会員の皆様の協力を得て、1年でも早く事務所を持てるように、努力したい。

議長より第1号議案並びに第2号議案について、承認を求めたところ、拍手を以て承認された。

(3) 第3号議案 平成22年度監査報告
大橋由昌監事より監査報告がなされた。
平成22年度事業並びに収支決算について、監査の結果、いずれも問題無いことを認めた。
事務所、資金については、長期的に検討してもらいたい。
ロービジョン学会等については、就労の観点から、今後とも連携を強化・継承していくことが重要である。
第3号議案は拍手を以て承認された。

(4) 第4号議案 平成23年度事業計画(案)
各事業担当理事より提案内容の説明がなされた。

・相談事業(工藤正一副理事長)
・交流会事業(大脇俊隆理事)
・情報提供事業(松坂理事長・長岡理事)
・就労啓発事業(安達文洋副理事長)
・セミナー開催事業(新井理事)
・その他の事業(下堂薗理事)

(5)第5号議案 平成23年度予算(案)
杉田理事から提案。
第4号議案、第5号議案をまとめて審議。

質問1
交流会は、国連の障害者条約の批准とか総合福祉法とか、差別禁止法等が検討されているので、ただ講演とか交流だけでなく、タートルとして話し合う等を考えていただきたい。

回答1
最近、初参加者が多いので、その方の発言や困っていることを聞く場を重視したいとの考えから、今年度は計画した。Aさんの提案につきましては、今後、理事長とも相談し検討したい。

第4号議案、第5号議案は共に拍手で承認された。

(6) 第6号議案 定款変更(案)
松坂理事長から提案理由の説明がなされた。

質問1
副理事長の定数を、「若干名」に変更ということですが、東京都に事前確認をしているのか?また、副理事長は、理事長が職務を実施できない時に代行するので、代行の順位を決めておいてはどうか?

回答1
「若干名」という文言については、東京都に確認したい。また、副理事長の、理事長不在時の代行の順位については、検討したい。また、定款・細則等も調べてみる。

質問2
いま、理事長が回答した「調べてみる」ということが、違っていた場合に、また、総会を開くのも大変なことであるので、理事会にお任せするということを、ここで承認を得ておくことを提案する。

Bさんの提案を受けて、第6号議案は理事会に一任するということで、拍手をもって承認された。

(7) 第7号議案 コンプライアンスと個人情報保護に関する方針(案)
下堂薗理事から、提案の趣旨説明がなされた。

質問1
個人情報であれば個人情報保護法、メールであれば迷惑メール防止法等があり、NPOと言えども法律には従わなければならないもので、そのほかに、タートルとして、内規として必要なのか、運営上必要なのか、その辺の趣旨を説明していただきたい。

回答1
タートルは、ホームページ上でプライバシーポリシーを明示していきたいと言う趣旨です。

質問2
非常に判りにくいので、先ず、目的を最初に書いていただきたい。

回答2
判りやすく、修正をする。

以上の質疑等を経て、第7号議案は拍手で承認された。

(8) 第8号議案 平成23年度役員選任(案)
松坂理事長より任期満了に伴い役員の推薦がなされ、第8号議案は提案どおり拍手で承認された。

次の者が理事・監事に選任され、被選任者は、いずれもその就任を承諾した。
理事 安達 文洋   (重任)
理事 新井 愛一郎  (重任)
理事 和泉 森太   (重任)
理事 大脇 俊隆   (重任)
理事 金子 光宏   (重任)
理事 工藤 正一   (重任)
理事 重田 雅俊   (重任)
理事 篠島 永一   (重任)
理事 下堂薗 保   (重任)
理事 杉田 ひとみ  (重任)
理事 長岡 保    (重任)
理事 藤井 貢    (重任)
理事 藤田 善久   (重任)
理事 星野 史充   (重任)
理事 松坂 治男   (重任)
理事 湯川 仁康   (重任)
監事 大橋 由昌   (重任)
監事 伊吾田 伸也  (重任)

以上をもって社員総会の議案全部の審議を終了したので、議長は閉会を宣し、12時00分散会した。

上記の議決を明確にするため議長及び議事録署名人において次に記名押印する。
平成23年6月11日
 議 長 理事 下堂薗 保
 議事録署名人代表 理事 松坂 治男
 議事録署名人 理事 篠島 永一

《以下、総会関係、処置情況等中間報告》
◎定款変更について
東京都に役員変更届と定款変更認証申請を提出しました。認証手続きには4カ月ほどかかるとのことでした。なお、「若干名」という言葉は適当でないというアドバイスがありましたので、理事会に諮り、「3人以内」としました。

1 変更の内容
●役員定数の変更
第13条 この法人に、次の役員を置く。
2 理事のうち1人を理事長とし、1人以上3人以内を副理事長とする。
●役員の任期の始期について、附則に追加
7 この定款は平成23年6月11日から施行する。
8 平成23年度総会においてこの法人の役員となった者(継続して役員となる者を含む)の任期の始期は、平成19年11月12日(この法人の設立の認証があった日)に施行された付則第2項及びこの定款16条第1項の定めにかかわらず、平成23年4月1日とし、以降の役員の任期はこの例に従う

◎テキスト広告の収益について
四ツ谷税務署と東京都税事務署に法人税について相談し、収益事業として申告手続き中です。

◎コンプライアンスについて
一部修正し、後日ホームページに掲載すべく準備中です。

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【総会基調講演】

『視覚障害者と災害支援』

社会福祉法人視覚障害者文化振興協会 常務理事      
日本福祉放送(JBS)代表 川越 利信(かわごえ としのぶ)氏

はじめに

3月11日から、今日がちょうど3カ月目です。災害で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り致します。今なお深い悲しみとともに苦しんでおられる方々に想いを馳せ、どんな小さなことでもいいからできることをして、心の絆を結びたいと願っております。

結構見えていたのですが、去年はこれが出来て、半年前はこれが出来ていたのにと、見えなくなっていく速さを最近感じています。結構、不便をしています。歩くのは、まだ大丈夫だと思っていましたが、被災現地に同行したスタッフに、何度も「危ない」と注意されたり、手を取られたりしました。私は大丈夫だと思っているのですが、晴眼者から見ると、相当危ない動きをしていたみたいです。

ところで、私は研究者でもなく、災害の専門家でもありません。前期高齢者の弱視の私がただラジオに関わっているというだけで、被災地に行って支援活動をしたという感想を述べるに過ぎません。そんな者がどんなことを感じ、考えたのかという観点で聞いていただければ幸いです。

1.JBSのこと

JBS(日本福祉放送)は、新聞や雑誌など活字で公表された情報を音訳したり、三療関連情報など視覚障害者にとって大事な情報を取材したり制作したりして、ラジオで放送しています。一言で言えば、目の代わりをしています。新聞は、今のところ、毎日3紙から4紙、その日の朝刊と夕刊を生放送で音訳しています。いずれ、被災地の地元新聞の記事を音訳し、地元のコミュニティFMラジオ局と共同で放送していきたいと願っています。その他に、ITの番組、あはき関連の番組、あまり一般のメディアが扱わないものを独自に制作し放送しています。

アクセスとしては、ケーブル(有線)や衛星放送、それにインターネットがあります。先程紹介がありましたようにインターネットでホームページに入っていただいて、「ただいま放送中の番組」というところをクリックしていただければ聴けます。

2.認識と現実

私は、阪神・淡路大震災の時期、全国の点字図書館の組織の責任者をしていましたので、発災の翌日に兵庫県の点字図書館に、お見舞いに行こうと思い出かけました。新聞も読んでおり、テレビも前の晩に沢山見て、「神戸」に関する知識は十分持っていました。そこで、水などを購入して出発しました。どうにか西宮に辿り着きました。新聞やテレビでは神戸が阪神・淡路大震災の代名詞でしたが、芦屋・西宮は、実は地震災害の度合いが極めて激しい地区でした。西宮に入ってから、地獄とはこんなものだろうかと思いながら、驚きの連続でした。そこには、新聞やテレビによる間接情報の知識とは全く異なる恐ろしい現実がありました。被災現地に立って見る光景と感じる現実は、間接情報による知識とはまるで違うリアリティでした。

驚きの中で悩みました。これは凄いことになってしまっている。救援活動をしなければならない。何が出来るのだろうか?何をしたらいいか?手を出したら、これは長期に及ぶ。職を失うかもしれない。家族は、生活は?あれこれ考えました。が、私は既に「見てしまった」。何もしなかったら悔いを残す。結局、ハビーという組織を起こして、22カ月間にわたり支援活動を行いました。そして、今回の東日本大震災におきましても、全く同じ経験をすることとなりました。

人それぞれの災害に関する感じ方や温度差、つまり間接情報による知識と、実際に現地で感じるリアリティの違いは、その後の町づくりや行政施策に強く影響を与えるのだろうと思います。

 苦労した人は、苦労が大きいと余り語らないものです。アウシュビッツを経験した人は、ほとんど語らなかったと言われています。フランクルが『夜と霧』という本の中でアウシュビッツのことをつまびらかにしました。世界の人々は『夜と霧』を通してアウシュビッツの凄惨な事実を知り、驚愕したのです。「広島」を経験した人、被爆した人も積極的には語ってきませんでした。80歳ぐらいを過ぎた人が、やはり語っておかなくてはいけないということで、語り部が現れたというようなニュースをたまに耳にします。人は、経験が苦しく大きいほど、言葉で伝わる限界を知っているために、余り語ろうとしません。結局、温度差、リアリティの違いが、被災後の復興や新たな町づくりに影を落すのかも知れません。

3.インタッチの支援概要

3月11日の震災の時には、東京の皆さんも揺れを強く感じられたことでしょう。大阪でも相当な揺れを感じましたので。その日は大変忙しく、大変な状況になっていることを夜、テレビで知りました。支援活動を決断するのに3時間程度かかりました。スタッフに、明日早朝から会議をやりたいので出てきてほしいと連絡した時は、既に零時を回っていました。8時半から会議を開き、番組編成を災害対策に変更することを決め、併せて支援活動着手の合意を取り、すぐに対策本部設置の動きを取りました。いろんな人たちの支援を受けて「ふれあい」という意味合いを込めて「インタッチ」という支援団体を立ち上げました。インタッチでボランティアの皆さんに助けてもらいながら、支援対策の準備を進め、ようやく9日後に被災地へ向かって出発出来ました。

支援活動の範囲は岩手県に絞りました。3月20日に、岩手県盛岡市に秋田経由で辿り着きました。当日は、現地対策本部を設置したり、県庁や岩手県視覚障害者福祉協会や視聴覚障害者情報センターなどで情報を収集したりして、安否確認作業の準備をしました。翌日、数日前から動き出したというバスで宮古市の沿岸部に峠越えで入りました。沿岸部は壊滅的に破壊されていて、一面恐ろしいばかりの瓦礫の山でした。一般の人はまばらで、瓦礫の中にいるのはほとんどが自衛隊員でした。危険な状況の中で道を確保しようと努力されていました。確保した道路沿いに、電力会社が追っかけて電柱を立てて行き、電線を引っ張り、インフラの復旧作業を懸命に進めていました。

この宮古市は、波が遡って山などに駆け登るいわゆる遡上高30m超えを今までに5回も経験している地域です。今回も壊滅的な被害で、役所も機能麻痺状態でした。

ガソリンが入手できないのでレンタカーも使えず、重い荷物を背負って瓦礫の谷間を避難所目指して歩いて行きました。神戸の時は、初動時はローラー作戦で安否確認をしました。今回は、町が壊滅状態なのでこの手法は全く使えませんでした。避難所に行くしかありませんでした。避難所でお世話をしてくださっている方々に尋ねたりしながら視覚障害者を捜して回りました。車が使えず、非効率でした。

「神戸」の時は4〜5日間、興奮状態が続きましたが、涙は感じませんでした。「東日本」の場合は、違いました。一面が瓦礫の山と化し、崩壊してしまっている町の姿を見ながら、なす術もなく、涙をこらえていました。手のつけようがない、そう感じました。

どうしたらいいのだろう?長期の支援が必要なのは、確かだ。でも、何が出来る?安否確認には、明らかに限度がある。「神戸」とは違う。あれこれ考え、日本盲人福祉委員会が動きを見せていることも勘案し、「情報にシフト」しよう、そう結論づけました。早速、被災地のコミュニティFMラジオ局に出向き、共同で情報による支援活動を進めて行くことを提案し、合意しました。4月の末から宮古市の災害FMラジオの番組をJBSで中継し、全国に配信出来るようになりました。その後も、可能な限り安否確認の作業は続けました。やがて車も使えるようになり、行動しやすくなりました。

3回、被災地に出かけました。今は、宮古市、花巻市、大船渡市、陸前高田市などで、特製ラジオ(オフの時でも緊急告知をしてくれる防災ラジオ)を配っています。今後も、この緊急告知防災ラジオの配布と防災訓練、音訳ボランティアの養成など、情報支援を基軸に長期に持続して行きたいと願っています。

4.被災地の状況と疑問

被災地に入って、疑問に思うことがあります。それは、繰り返し災害に襲われているのに、なぜ災害に強い町づくりが出来なかったのか、という疑問です。この疑問は、東日本の復興と直接に繋がります。のみならず、これからも全国の各地で私たちがきっと幾たびも経験して行かなければならいであろう災害と復興に、直接間接に関係する問題であると考えます。

1896(明治29)年に、明治三陸地震が起きています。今よりも人口の少なかった時代です。にもかかわらず、2万2千人もの犠牲者が出ています。宮古市の記録によれば、震度は2から3しかなく、遡上高が38.2mで大規模な津波だったようです。更に、1933(昭和8)年の昭和三陸地震では、マグニチュード8.1震度5で、1,522人が犠牲になっています。更に、1960(昭和35)年のチリ地震。発災から22時間後に三陸沿岸部に津波が到達し、142人の犠牲者が出ています。

これだけの災害の経験を持ちながら、何故?というのが私の率直な気持ちです。宮古市の田老という所は、世界一の防潮堤を誇っていました。毎年、津波関連のサミットや国際会議などが開かれていた所でもあります。世界に誇った巨大な防潮堤は、まるでお菓子を潰したみたいに粉々になっているんですが、触れる所まで近づくと、巨大なコンクリートの破片なのです。津波の恐ろしさを改めて実感しました。町は消え去り瓦礫すらもなく、ほとんど砂漠状態になっています。その山裾には、三陸地震の時にここまで津波が来たという、遡上高の標識が建てられています。常識的に考えて、そこまで津波が来たということが分かっているのであれば、その内側には民家は建てさせないのが、その後の復興における町づくりの基本ではないでしょうか。何がどうなり、誰がどんな主張をしたのか、現実には標識の内側には大きな町が再び三度建設され、そして今回、壊滅的な破壊に至ったのです。

大船渡は役所が高台にあり機能しているのですが、電気が来ていない部分もあり、5月18日時点でも町のど真ん中の信号が使用できずに、警察官の方が出て、車両を誘導している状態でした。瓦礫は、3月11日の翌日ではないかと思うような状態で残っています。海も瓦礫で汚れたままで、まだ多くのご遺体がたぶん放置されているでしょう。場所によっては臭いも相当しています。

原発については、論外で言い様がありません。産業に電力が必要であることは承知の上で明確に言えることは、これまで長い間、大方のマスコミと政官業は挙げて原発に関して私たち国民を偽りの情報でコントロールしてきたのだ、と今気付かされます。社会や国の在りようを憂えざるを得ません。

5.苦しみは語り継がれたのか?

想定外という言葉をよく聞かされました。1千年に一度の災害だから、想定外で仕方がない、と。確かに、地震や津波の激しさ、範囲の広さ、止めの原発など、そう言われても仕方がない一面はある気がしないでもありません。しかし、本当に、そうでしょうか?特に、原発問題は想定外などと誰がどんな顔して言えるのでしょう?!人災の極みじゃないですか。災害では、弱いものほど、より大きな厳しい犠牲を強いられます。繰り返し災害に襲われ、そのたびに障害者や高齢者は苦しみ、泣いてきた筈です。その人々の苦しみや涙は、その後の町づくりのどこに活かされ、語り継がれてきたのでしょうか?

災害のたびに復旧・復興が行われて来ました。地震や津波の研究者の声は、その都度、新たな町づくりに届いたのでしょうか?津波の力が及ぶ構造と破壊力や防潮堤などに関する研究は、本当に今回はじめて分かったことなのでしょうか?一定の大きさのビルは、基礎構造計算に基づき地下に深く杭を打ち込みます。今回の津波では、基礎の杭の部分がくっ付いたままの大きなビルが、元にあった所から少し離れた場所に、転がっていました。これは、津波が衝突する時の破壊力だけではなく、いったん衝突した波が上に逃げる時の押し上げる力が予想以上に強いことを証明した形です。つまり津波は、建造物やビルなどに衝突してその圧力で破壊するだけに止まらず、ビルの中に入り込んで、上に押し上げます。液状化も影響しているかも知れませんが、その力が計り知れない強さを持っていることが今回の津波災害で新たに認識されたことになっています。災害に関する専門家たちが怠慢だったのでしょうか?復興計画の際に専門家の提案が採り入れられなかったのでしょうか?いずれにしても、幾たびも災害に襲われた苦しい経験が、安全な新たな町づくりに影響する形で語り継がれていないことだけは確かです。

これらのことは、単に東日本の問題に止まらず、それぞれ私たちが住む町においてもいえることであると思います。

6.災害時の公助・障害者対策

阪神・淡路大震災の時の話です。「障害者の対策はどうなっていますか」と神戸市役所の福祉課で尋ねると「それどころじゃない」と言われました。普通であれば、大変な発言ですが、それほど神戸の町は燃えていましたし、そういったことを言っても通るぐらいの状況ではありました。

今回の震災でも、いくつかの役所で障害者の状況について聞きました。3月時点の話ですが、ある役所で「それどころではない」と神戸の時と同じように言われました。行方不明や亡くなられている職員も多く、理解はできます。しかし、機能不全に陥っており全館真っ暗な役所で、それにもかかわらず「他所の人に手伝ってもらうことはありません」という対応には驚きました。心配してもらわなくても障害者のためには相談窓口を設けている、と言うのです!町ごと破壊された状況で、交通手段もない状況下で、機能不全に陥ってコンピュータも動かない役所に、障害者がどうやって何を相談に行くというのでしょうか?!住民の苦しみや救援対策よりも、もっと何か違う価値基準で災害対策が進められているようにしか思えません。理解しにくいし残念なことですが、役所で働く人たちの多くは、どこかに勘違いがあるように思えるのです。怒りよりもむしろ悲しみを覚えました。障害者は、災害時には全く無視される存在でしかないことを今回も残念ながら経験しました。

陸前高田という所も、全滅しています。最近、プレハブで仮設の市役所を建てました。役所の職員のうち25%の人が、行方不明だったり亡くなられたりしているのです。福祉担当者を探して、「障害者の対応はどうしていますか」と聞きました。女性の担当者が、言いにくそうに「本当に申し訳ございません。データを全部やられていて、今データ修復中です。障害者や高齢者がどうされているのか、手掛かりが掴めずに困っています」という回答でした。ごく普通の対応であり、非常にご苦労されながら不便なプレハブの中で業務を進めておられるという印象を受けました。しかし、災害時には、不可抗力とは言え結局は障害者や高齢者は置き去りにされるという事実は、ここでも変わりはありませんでした。災害時には、決して公助を期待してはならないということを我々障害者は肝に銘ずるべきです。

7.視覚障害者と支援活動

今後の支援活動は、長期にわたらざるを得ないです。忘れ去る人々と、もういいのではと言う人々と、やっぱり支援し続けなければならない、という考え方をする人達に分かれるのだろうと思います。

それで、視覚障害者と災害支援について、ちょっと感じたことをお話します。間接情報による認識も必要で大事ですが、被災地の光景を実際に見て、自分の肌で感じるリアリティを経験されることをお勧めします。とは言え、現地に行って本当のリアリティを感じるということは、みんなが簡単にできるわけではありません。火事を見た人と、火事を経験した人は確かに違います。しかし、だからと言ってみんなが火事を経験する必要はありません。大事なのは、行って自分なりのリアリティを感じた人、より気付いた人が、自分の周囲にいる人びとに、アピールしていけばあるべき姿の認識がより普及していくことになると思います。責任ということではなく、心の絆とでも言うのでしょうか。知的障害福祉の草創期の貢献者に近江学園を創設した糸賀一雄という人がおられます。『この子らを世の光に』という本を残しておられます。この子らに世の光を当てるのではなく、この子ら自身が世の光である、と主張された方です。その本の扉に、若干の記憶違いがあるかもしれませんが、「気付いた者が、責任を持ちます」という主旨のことが記されています。その言葉は、私が社会福祉の世界に入って行くきっかけとなっているのですが、実際、あらゆる分野において気付いた者が少しずつ伝えていくしかないのでしょう。

自分も現地に行って手伝いたいと、何人かの視覚障害の方から電話をもらいました。そうはおっしゃりつつも遠慮気味で積極性がないのです。おそらく、足手まといになるのではないかという迷いがあるためでしょう。確かに発災直後は、危険度を確認する必要があります。そのために視覚は必要です。状況判断も重要です。実は私も震災後、4、5日目に福島へ出掛けるべくいったん踏み切ったのですが、出発の朝、テレビで福島の第1原発の状況を知って、このまま福島に入ったら、二次災害に巻き込まれるか、かえって迷惑を掛けると判断し、思い留まり、9日目に岩手に入ることとなりました。

誤解を恐れずに言いますと、視覚障害の人はツアーを組んででも、被災地に行かれた方がいいと思います。現地でないと得られない情報があるのです。例えば、東海日報という新聞社が大船渡にあります。1960年のチリ地震の津波により、1週間ほど輪転機が回らなかったため、それまで町にあった会社を海が見下ろせる高台に移転した地元の新聞社です。そこで興味深い話を聞きました。カラスの話です。内容はこうです。大地震の2日前に前触れ的に起こった地震の後、カラスが糞をしながら飛ぶという異常な行動をし始め、3・11の地震が起こる2時間前には、1羽もいなくなってしまった、という話です。一方では海面に突如島が現れたという証言もあるそうです。新聞社の編集局長は、多分、あれは2時間前に飛び立ったカラスが、海面上で団子状態になって群れていたため、陸側から見ると島ができているかのように見えたのだろう、と話してくれました。地震予知対策として、鳥の研究もした方がいいなと考えながら話を伺っていたのですが、こういう話は現地に行かないとなかなか聞けないものです。

被災地でも沿岸部を少し離れると居酒屋も開いている所がありました。おかみさんが地元のお客さんとやいや言いながらやっているような店に入ると、本当に面白い。いろんな人に会え、被災地にいることを忘れて地方に来たという印象を受けます。いろんなことを教えてくれます。お互い最初は震災の話はせずに、食べ物やお酒の話などをします。たとえばウコギ。上杉鷹山が奨励したらしいんです。垣根に植えると刺が出るので敵の侵入を防ぎ、タラと同じ科なので、新芽は食料になるいわば理想的な木なのです。それをてんぷらにして出してくれます。今はいい季節で、山菜が沢山食べられます。私が行った店でも、「しどけ」、「ウルイ」などの山菜をいただきました。「これは何?」と聞くと、「おめい、何にも知らないね」と言いながら説明してくれます。そういう会話をしているうちに、気がついたら新聞でもテレビでも聞けなかったような、震災に関する話をしてくれます。最初から本音では話してもらえませんが、和んでくると、地元のお客さんも一緒に話の輪に入り、話が盛り上がります。

ある日、農協の役員で柔道場を持っているという地元のお客さんと一緒に飲む機会がありました。「この子達が、将来本当に震災に強い町づくりをしてくれる。そういう子達に育って欲しい、育てたい。そういう思いで柔道を教えている」と夢を語ってくれました。いろんな支援を受けているが、話ができること、言葉を交わし合えるのが嬉しい、とも語ってくれました。

関西の人間は、どこに行ってもあんまり褒められることはありません。被災地では関西人の軽率さが受けたのかは分かりませんが、関西の人はよく話してくれるし、親切だと、えらい褒められました。

話をしていくうちに、人と人のつながり、絆を結ぶということが、大事だなと実感します。視覚障害者は、聞くのは得意ですし、もしかするとおしゃべりは、もっと得意かもしれません。適役だと思いませんか?

物資を届けるのも義援金を送るのも大事です。いろんな支援の方法がありますが、現地に行けば、新聞やテレビとは一味違う情報を得られ、何よりも被災地の人々と言葉を交わし、心の絆を結べます。小遣いが貯まり、休暇が取れたら、何人かでお出かけになり、避難所などで、腰をすえてお話を聞いてあげてください。そして、夜は居酒屋で楽しみ、ふれあいながら自分流のリアリティを感じ、自分流の支援活動を試み、これから先のこの国の在りようを憂うだけではなく、障害者も安心して生きられる社会づくりに自分流の想いを馳せるひと時が持てるといいですね。

8.コミュニティ

時間が来ましたので、端折ってお話します。私たちは、障害を持つからこそ自己防衛がより必要です。自助、共助、公助という言葉があります。公助なんていうのは全くの嘘です。災害時には何の役にも立ちません。腹が立つだけです。公助を有効に活用するためには、日常の中で行動するしかありません。それは、町づくり、コミュニティづくりであり、ネットワークの形成です。日常的な自助、共助の活動がすべてです。その結果、公助が有効に作用する、と私は考えます。

阪神・淡路大震災のとき、ハビーでは約1,800人の視覚障害被災者の安否確認をしました。語り継ぐ会で、幾人もの人達が、近所の人達に助けられた、と証言しています。日常生活のあり方、仲間の作り方、近所付き合いが非常に大事だということです。つまり、コミュニティを形成することがいかに大事かということです。

コミュニティは、いうまでもなく地域社会を共に形成することです。平たく言えば、町づくりを一緒に進めることです。ですが、ここで言うコミュニティという言葉には、もう少し幅を持たせたいのです。地域・町を越えた仲間づくりです。たとえば、職場の同僚、趣味仲間などによる少々遠隔地にいる人も含めたコミュニティを作り、ネットワークを形成することが、緊急時に救援し合う仕組みとして役立つ筈です。

コミュニティにおけるネットワークは、更に広域のネットワークを形成しつつ拡がるでしょう。今回、私たちは現地に入るのに9日間を要しました。しかしいずれ、有事の際にはできれば翌日には現地に行けるような、即時対応ができる広域ネットワークが構築されるでしょう。そうしなければならないと思います。私達は、障害を持っているが故にこそ、自己防衛に関することを日常的に考え、コミュニティの中で理解と協力を求め続け、共に行政に対して平時に要望して行き、公助の有効性をあらかじめ先取りしておかなければなりません。これは、公助を具体化し有効に作用させるための唯一の手だてです。ひとたび災害が起こってからでは、もう遅いのです。

9.自己防衛

安否確認などの状況をお伝えしたいのですが、時間がきましたので、少しだけお話します。阪神・淡路大震災の時のデータは、家屋の状況、医療品の取り扱いなど、非常に詳しいデータがハビーによって残されています。今回の東日本大震災は、ここの職能開発センターも加盟されている日本盲人社会福祉施設協議会、日本盲人会連合、盲学校長会で構成されている日本盲人福祉委員会が支援活動を実施しています。阪神・淡路大震災の時に支援活動を経験した人たちが中心に活動しており、成果が期待されています。

この日本盲人福祉委員会の支援対策本部の報告が、まもなく発表されると思いますので、視覚障害被災者に関する具体的なデータはそちらに期待をしたいと思います。ただ、JBS=「インタッチ」もそうでしたが、日本盲人福祉委員会の支援対策本部も安否確認では相当な苦労があったようです。安否確認の手掛かりが少ないことが主な原因です。参考に若干の部分的なデータをご報告いたします。

岩手県における障害者・児の数は56,097人です。うち視覚障害者・児が4,631人で、岩手県の視覚障害者の組織に入っている人は320人です。推定被災者数は74人です。つまり、沿岸部に住んでいる人が74人いますが、安否確認ができた人は67%の50人です。宮古市だけを取り上げてみますと、視覚障害者・児の数が178人、組織加入者が12人です。ここは組織加入者の全員の安否確認ができました。私どもは、別に5人の組織に入ってない方も確認できましたので、都合17人確認できました。

ここで申し上げたいことは、先程の自己防衛にも繋がるのですが、私達は障害を持っているが故に、視覚障害者の組織に加入したり趣味の会などによるコミュニティを形成して、有事のときに安否確認がしやすいように、救援し易い状態を、何らかの形で作っておくことがとても大事です。もちろん、個人情報が守られなければなりません。個人情報に配慮しながらネットワークを組んで、自分達の身を守っていかなければなりません。ちなみに、各地域の視覚障害者の組織に加入されている方は平均7%のようです。価値観の多様化で、かつてのような組織化は望めないでしょうが、まず、自助が必要なことは言うまでもありません。自助努力で組織に加入したり何らかの形でコミュニティを形成し、自己防衛を図ることが大事です。自助努力が共助を生み出し、そして公助を可能にします。自助は、自己防衛の要です。

最後にもう1点、災害時要援護者台帳というのがあります。これはやはり、注目して行く必要があります。今回は何の役にも立っていません。地方の行政が、きちんと整備している、あるいはしていないに関わらず、役所自体が破壊され機能不全に陥ったのではどうしようもありません。ともあれ、今後、災害時要援護者台帳の整備だけで国の施策を善しとせず、我々障害を持つ者が自らを守るには、国任せ、行政任せだけではなく、どういう手段がより効果的なのか、我々自身が考えながら提案をしていく必要があります。そのためにも、町づくり、コミュニティづくり、ネットワークの形成に日常の中で積極的に参画していく努力が求められていると考えます。

なお、東日本大震災における視覚障害被災者の詳細情報については、後日何らかの形で、お伝えしたいと考えています。

<川越氏プロフィール>

略歴
氏名  川越 利信(かわごえ・としのぶ)
生年月日 1944年2月8日(67歳)
職業 社会福祉法人 視覚障害者文化振興協会 常務理事
   同法人経営 日本福祉放送(JBS) 代表
*主な歴任役職
社会福祉法人 日本ライトハウス 施設長、館長、理事、常務理事
特定非営利活動法人 全国視覚障害者情報提供施設協会 理事長
阪神大震災視覚障害被災者支援対策本部「ハビー」 代表
社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会 評議員、理事、部会長
日本障害者芸術文化協会 理事 他

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【定年まで頑張りました】

『60歳の地平から21世紀へ』
職場復帰と障害論、そして「教師の会」のこと

日本哲学会 会員 全国視覚障害教師の会 元代表 山口 通氏

1.命の綱

私は中途視覚障害教師で、40過ぎに難病により失明しました。
絶望の淵に、命の綱をおろしてくれたのは、緻密で全面的、総合的なリハビリテーションと、なによりも生徒たち、教師たち、ボランティアの皆さん、そして家族の支えでした。

教育委員会と管理職も、私の処遇で悩んだことではありましょう。しかし、その口から出てくる言葉は、「仕事は無理」「授業はそんなに甘くない」でした。それからは重苦しい日々が続きました。同僚、元の職場の諸先輩、視覚障害の諸先輩など、多くの方々とお会いし、ご相談しました。そのご相談を通して覚悟や気力が高まってまいりました。その結果、半年間のリハビリテーションと半年間の復帰準備の合計1年間で職場復帰を実現させていただきました。

ある視覚障害の先輩が語ってくれました。
「山口さんの現職復帰は奇跡的です」

<トイレで教室で>

私が生徒用のトイレで用をたしていると、斜め後ろから男子生徒の声がしました。
「山口先生、ご相談したいことが…」
なんだろう。恋愛の相談かなぁ。
「うん。いいよ。いつがいい?」
「今日の放課後、いいですか?」
「OK!」
その後、話を聞いてみると、やはり恋愛の悩み事でした。それだけではなく、愛し合う生徒たちの家庭環境や進路のことまで出てきました。

登下校時や廊下、男性トイレでの生徒とのさりげないひと言、ふた言の対話、恋愛や人間関係、進路の悩みなどに関する対話。そして、授業での対話。そのひとつ一つを大切にしています。 とりわけ、授業は対話が命です。疑問をクラスで出し合ったり、議論する。そして生徒と対話する。そこから生徒と生徒たちの認識や生き方がイメージとして実感でき、さらに今日の社会の現実がたち現れてくるのです。

具体的には、次の3つです。1つは、「生徒たちの共感と知的な笑いが近年、少なくなったこと」です。大人の社会を正確に反映しています。2つ目は、宇宙史・地球史・生物史・人類史と「わたし」は、分かちがたく、深く結びついていて、人は運動と変化、そしてスパイラル(螺旋状の)な成熟発展をやめないのです。 ところが「子どもたちは、いろいろなことを結び付けて考えることが、十分にできてはいない」のです。3つ目は、「人間関係のコミュニケーション能力が充分とはいえないこと」です。相手の気持ちをおもんばかること、相手の気持ちをシミュレーションすることが、十分にできていないのが現状です。

ひとり教師のみでも、ひとつの家庭のみでも、これらの問題を解決できるものではありません。いま、父母・保護者と教師と地域の連携と共同が、いよいよ切実に求められる時代となっています。

全盲になった私ですが、逆に声の質やトーン、目に見えぬ人間と人間の間にある雰囲気をつかもうとしている自分がそこにいます。

2.障害から「障生」へ

21世紀に入ったころより、私は障害に対する表現、表記を、障害から「障生」へと新たな表現にしてはいかがであろうかとのご提案をさせていただいてまいりました。

障害の害を、ひらがなで表現しているマスコミもありますが、意味そのものは変わることはありません。障害をもちつつ生きる、障害とともに社会生活や経済生活を続ける、障害者として自ら、弱者・マイノリティ・はたらく庶民・国民の声を発信する。 そんな意味から「障生」という言葉を、障害者の願いや想いをこめて、創造しました。

<障害は果たして個性か>

「障害個性論」が言われて久しい。障害は個性の一部かもしれないが個性そのものではない。障害とは、機能障害のことです。

では個性とは何か。ふるさとの自然、ご両親や保護者、兄弟姉妹、親戚、親友や友人、地域の人々、学校の諸先生、学問や教養、地域や国の経済・文化等の影響を受けつつ誕生するもの、あるいは誕生させるものこそがその人の個性です。私にとって個性とは、実践的な意味・意義を色濃くもっているものです。

たとえば、ここに100人の視覚障害者がいるとします。その人たちの個性とはと問われれば、それは視覚障害という機能障害ではなく、その人たちひとり一人の生い立ちや自然や社会にたいする見方、考え方、人生にたいするとらえかた、およびその人たちの生き方そのものなのです。別の言い方をしますと、視覚障害者100人のひとり一人の哲学=生きかたそのものであると言うことができます。

<「障害個性論」の弱点>

かつて、自治体の障害者担当者が「障害個性論」に賛同し「大いに個性を生かして努力していただきたい」との主旨を述べたことがあります。詳細は茂木俊彦著「障害は個性か」(大月書店)を参照されたい。

私にはこの言葉は「障害者のみなさん、個性を生かして、可能な限り自己責任でお願いいたします。ご承知のとおり、財政は未曾有の厳しい状況ですので…」という言葉に聞こえてきます。

<「チャレンジド」の「障害は個性じゃねえ。新たなパワーだ。」とは>

NHK連続ドラマ「チャレンジド」の取材協力は、私たち「全国視覚障害教師の会」自身の判断で1年1ヶ月間、協力しました。当時代表であった私は直接にNHK製作スタッフ、制作会社スタッフやシナリオ作家とお会いすることとなりました。そこでは2つの要望と1つの提案をしました。

副音声導入およびリハビリテーションの意義の尊重が要望です。そして障害は果たして個性かとの問題提起をさせていただきました。

それに対して、連続ドラマでは「障害は個性じゃねぇ。新たなパワーだ。」と表現されています。今日の社会においては、「ユニーク フェイス」や多種多様の障害が、社会生活や経済生活をおこなう上で、いやがおうにも障害者の生存権および労働権や文化的生活を拒否しているのが、残念ながら現実社会です。この現実に対する障害者のアンチテーゼ(対立物、あるいは対立軸)とは何か。それが「障生」の立ち位置であり、障害者それぞれの個性発揮および障害者の想いの発信と裾野の広い国民運動ではないかと考えております。

3.全国の解雇裁判や退職強要とのたたかいから学ぶこととは何か

2005年6月、名古屋地方裁判所裁判長の招請により、私は視覚障害者の裁判で視覚障害教員の全国状況、および中途視覚障害者の喜びと困難性および可能性について証言。

たとえば、私自身の失明後の読書量が、月10倍になったことや自由自在に読書を楽しむことが可能となりつつある社会であること。そして、環境が整い、リハビリテーションの充実が図られるならば、障害者の職域拡大と雇用継続は決して夢ではないことなどを証言させていただきました。この生まれて初めての裁判所での証言経験は貴重な体験でした。

<25周年記念出版 『教団に立つ視覚障害者たち』>

編集過程で紆余曲折はありましたが、外に出しても恥ずかしくない本であるばかりか、大きな視野と高い志をもった本であると自負しております。この本を日本図書館協会選定図書に選んでいただいたことは私たちの誇りであるばかりか、名誉でもあります。

<全国の解雇裁判や退職強要問題で得た教訓とは何か>

(1) ご本人の意志が柱になること、そしてそのことを同僚と支援者が把握すること。
(2) 授業の内容がわかりやすく、豊かであること。
(3) 生徒、学生および同僚・管理職との関係、労働組合との関係。
(4) 地元や地域、そして全国からの支援があるかどうか。
(5) 核となる障害者団体があるかどうか。
(6) 裁判後の学校生活、教員生活のイメージをも、しっかりととらえておくこと。
(7) 弁護士を信頼し、合わせてマスコミに正確で迅速な情報提供をおこなうこと。
(8)支援諸団体はすべて対等・平等の原則に立ちつつ、公正・公平な議論を誠意をもっておこなうこと。そして一致点のみを大切にして最後の『喜びの日』まで力を尽くすこと。

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【相談雑感】

副理事長 工藤 正一

私はタートル発足以来相談に携わってきましたが、この間に相談内容も変わってきたように思います。最近は眼科の紹介で本人から繋がってくるケースが随分多くなりました。中には、眼科医療関係者や産業医から直接情報を求めてくることもあります。このようなことは、かつてはあまりなかったことです。これも、「視覚障害者雇用継続支援セミナー」(今年で4回目)や「視覚障害者就労支援推進医療機関会議」(同3回目)などに取り組んできたことも一因と考えています。また、2009年からは、眼科医の協力で就労継続のためのロービジョン相談を行っています。そのことにより、産業医や眼科主治医との連携もしやすくなりました。また、就労支援の代表格であるハローワーク、地域障害者職業センター、職業訓練施設へ上手につなぐようにしています。これら関係支援機関とうまく連携を図ることで、再就職や就労継続ができ、「相談して良かった」と喜んでもらえた時は、最高の幸せを感じます。ここでは、日頃の相談から思っていること、参考になりそうなことを、ワンポイント的に紹介します。

○手帳がない場合の相談

身体障害者手帳がない場合としては、申請手続き中であったり、障害程度がまだ手帳に該当しない場合があります。手続き中の場合は、提出先の市町村障害福祉課などにお願いして、申請書・意見書のコピーをもらうよう助言するとともに、就労のためにはできるだけ早く手帳を欲しい旨、市町村から都道府県に相談してもらうよう助言しています。また、手帳に該当しない場合には、障害の状況とともに、どのようなことに職業生活上の支障があるか検討し、必要となれば、その眼疾からくる障害ゆえにどのような職業生活上の支障があるのか分かるように、診断書(意見書)を書いてもらうようにします。

ご存知のように、障害者雇用促進法は雇用率制度を定め、事業主に障害者雇用義務を課しています。これにより雇用率のカウントには手帳が必要です。しかし、障害者雇用促進法の支援の対象となる障害者は、必ずしも手帳を所持していることが条件ではありません。同法第2条では、「身体障害、知的障害又は精神障害(以下「障害」と総称する)があるため、長期にわたり、職業生活に相当の制限を受け、又は職業生活を営むことが著しく困難な者をいう」と定めています。

眼疾によっては、手帳に該当しなくても、視覚障害のため現に退職したり休職を余儀なくされたりしているような場合があります。このような場合は、まさに職業生活に著しい支障があったからに他なりません。また、一般的に視覚障害の多くは進行することはあっても、再び元のように見えるようにはなりません。その意味では、まさに長期にわたり職業生活に支障があるものといえるでしょう。このような場合には、その状態を医師の診断書(意見書)によって確認できると思いますので、このように手帳に該当しなくても支援の対象になることを知っておくとよいでしょう。

このような助言を実行に移した結果、タイミングよくハローワークや訓練施設(障害の態様に応じた多様な委託訓練など)と連携ができて、スムーズに訓練を受けることができ、うまく就職できたというケースが昨年2件ありました。今年も同様の相談が複数あり、今まさに一生懸命頑張っている人もおられます。良い結果が得られるよう、私たちとしても温かく励ましていきたいと考えております。

○事例集などの活用

次のような資料を効果的に活用しております。

・平成23年3月発行「視覚障害者の雇用事例集〜支援機関を活用して職域拡大に取り組む〜」
・平成22年3月発行 障害者職域拡大マニュアルNo.12 「視覚障害者の職場定着推進マニュアル〜ともに働く職場をめざして〜」
※就労支援機器等を事業主に無料で貸出しを行うサービスのリーフレットも活用しています。

これらは、独立行政法人『高齢・障害者雇用支援機構』のホームページでその内容を確認できますので、皆さんも是非ご活用ください。

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【お知らせ】

◆ 今後の主な予定等について

《交流会》

1月21日(土)、3月10日(土)
会場:いずれも東京会場は、日本盲人職能開発センター

《セミナー》

「第4回視覚障害者雇用継続支援セミナー」
時期:11月16日(水) 13時〜16時30分
会場:中野サンプラザ

《相談事業関係》

(1)10月 第3回視覚障害者就労支援医療機関会議に参加(代表者)
場所: 東京都
(2)11月 第59回日本職業・災害医学会シンポジウムに参加(代表者)
場所: 東京都
(3)随時 希望に応じて相談会開催
(4)毎月第1土曜日 ロービジョンケア助言含む相談会
(5)必要があれば、地方に出向いての相談会(検討)

《情報誌発行》

(1)12月 情報誌第17号
(2)3月 情報誌第18号

《忘年会》

12月3日(土)17時30分〜
会場:ザ・ホテルベルグランデ(東京)

◆ 情報誌「タートル」のDAISY版(デジタル録音図書)の申し込みについて

今年度から、情報誌「タートル」は、テープ講読を希望される会員の方には、従来どおりテープを、デイジー版を希望の方にはCDを、「東京YWCA音訳ボランティアグループ(お茶の水)」のご厚意により、送付していただいております。

つきましては、情報誌のDAISY版を希望される会員の方は、以下のタートル事務局まで電話またはメールでお申し込みください。次号の「情報誌タートル」からお届けできるように手配いたします。費用は無料です。
また、テープ版も引き続き制作していただけるとのことですので、テープ希望の方はこれまでどおりにお送りしますのでご安心ください。

なお、ご不明な点は以下のタートル事務局までお問い合わせください。

◎NPO法人タートル 事務局
電話  03-3351-3208
メール m#ail@turtle.gr.jp
 (SPAM対策のため2文字目に # を入れて記載しています。お手数ですが、上記アドレスから # を除いてご送信ください。)

◆ 9月交流会結果の概要について

9月10日(土)、東京(日本盲人職能開発センター)を起点に、名古屋、大阪、福岡の各地方会場をスカイプ通信により結んで、実施しました。参加者は、東京52名、名古屋8名、大阪13名、福岡10名、合計83名の参加でした。(初めて参加の方も8名ほどおられました)
講師の川口雅晴氏の講演、各会場をつないだ全体声出し、各会場ごとのグループ・ディスカッションと懇談会等、中身の濃い交流会が出来たと思います。また終了後、全会場とも、希望者による懇親会にて更に盛り上がったようです。
次回は、1月21日(土)を予定しております。別途、案内をさせていただきます。 多数の参加をお待ちいたしております。

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【編集後記】

猛暑の中の節電から開放されようかとする矢先、台風12号により、紀伊半島周辺が未曾有の豪雨に見舞われ、多くの方が犠牲になられ、また被害を受けました。紙面をお借りしまして、ご冥福とお見舞いを申し上げます。

今回は、全国の会員の皆様と少しでも連携を取れるよう工夫を始めた「スカイプ通信」について、理事の湯川氏が巻頭言として投稿してくれました。今後は東北(仙台)、北海道も参加できるようになるとか? 全国の働く視覚障害者が、声で繋がる日が来るかもしれませんね。

また今回から、何回かに分けて、タートルの大きな活動の柱である「相談」に関することを、副理事長の工藤氏に投稿をお願いいたしました。皆様方に知っていただき、悩んでおられる方に、気軽に相談していただく一助になればよいなと期待しております。

( 長 岡 保)

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