1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2010年8月28日発行 SSKU 増刊通巻第3586号
「理事長就任にあたって」
理事長 松坂 治男
平成22年度総会において、理事長の指名を受けました松坂です。初代会長の和泉森太さん、2代目会長・理事長の下堂園保さんに続きまして3代目理事長を引き受けることになり、身の引き締まる思いです。
本会の発足は、視覚障害を持つ国家公務員(中途失明後、職場復帰を果たした1人、弱視を有しながら働き続けてきた1人、徐々に視力が低下しながらも働き続けている1人)の共通の思いに端を発しています。
その思いとは、「視覚障害を持ちながら苦労し、失明の不安にかられている人、そういう仲間が必ずもっといるはず、連絡を取り合い、励まし合えたら‥‥」というものでした。
3人が連絡を取り合い、できるところから呼びかけ、1992年5月、東京周辺に働く視覚障害を持つ国家公務員7人(厚生・労働・運輸・法務の各省)が集まり、交流をしたのが最初でした。
「中途視覚障害者の復職を考える会」(通称タートルの会)として1995年6月に発足しました。私が「タートルの会」と出合ったのは、同年9月の幹事会に参加したのが最初の出合いです。網膜色素変性症で文字が見づらくなって、大学卒業後22年間勤めていた会社を退職して、別の会社に就職した直後でした。
信仰心はないのですが、不思議に人生の節目には、天命が下りてくるように仕事が与えられるのです。大学入試の時、付属高校の特権により大学に入学できたり、就職の時、家庭の事情で就職先を変更する羽目になり、就職先を探していた時も、亡くなった母親の知人の紹介でスイッチ製造会社に就職できたり、22年間勤めていた会社を退職して就職先を探していたときに、以前のキャリアを生かして通勤も楽な会社に就職できたり、視覚障害者の仲間を探していたときに、「タートルの会」の幹事をやりませんかと誘いがあったりしました。
その流れの中で、今回、定年まで1年半あったのを希望退職して無職となった自分に課せられた天命と思って引き受けました。
これといって取り柄がない自分ですが、人生60年生きてきたキャリアと今までに出会った多くの仲間の力を借りて前進するつもりです。
肩書きや看板が仕事をするのではなく、自分自身が納得して仕事を行うをモットーに、私より優れた専門家の意見を聞き、ベターな判断をしていきたいと考えております。
会発足の「思い」「精神」を継続しつつ、時代に合った会を目指して行く所存でいますので、ご支援よろしくお願いいたします。
「我が社における障害者雇用の推進」
NSWウィズ株式会社 取締役ビジネスサポート部長 小川 敦史氏
皆さんこんにちは。ただいまご紹介いただきました「NSWウィズ株式会社」の小川と申します。本日聴講していただきます東京・大阪・福岡会場の皆さん、3連休の初日にも関わらず、ご参加いただきましたことを感謝申し上げます。本日はどうぞよろしくお願いいたします。また、このような機会を与えていただきましたタートルの下堂薗様及び関係者の皆様には、この場をお借りして御礼申し上げます。
さて、本日話をさせていただく内容は、テーマとして「我が社における障害者雇用の推進」という題材を頂戴しておりますので、次の項目に要点を絞り、話をさせていただきます。まず、NSWウィズの会社概要について。次に、視覚にハンディを持つ方の雇用に際しての取り組みについて。それから、当社の障害者雇用において、どのような人材を求めているかについて、話をさせていただきます。
まず、NSWウィズ株式会社とは、どんな会社なのかを紹介させていただきます。当社は渋谷区桜丘町にございます。IT企業である親会社、「日本システムウエア株式会社」が特例子会社を設立する目的で、昨年の10月1日に設立しました。日本システムウエアの社名の頭文字をとり、NSWとしております。
NSWウィズの企業理念は、障害者の社会参加の機会を作り出し、職業的自立を支援することを目的としております。NSWウィズという社名ですが、親会社であるNSWの社員と障害者が一緒に仕事をしていくという考えから、NSWウィズ、一緒にということで、命名いたしました。
主な事業内容としましては、一般事務、及び軽作業の提携業務請負と、企業内マッサージルームを運営しております。社員は私を含めて16名、事務系業務に12名、マッサージルームは2名体制で、業務を行っております。来月には新入社員を1名、入社を予定しております。16名中14名は、障害者手帳及び鍼の手帳を持った社員です。私ともう1名の生活支援者で、業務管理と人事管理等を行っております。まだ、設立して半年しか経っていない会社ですが、この4月には特例子会社の認定申請を行う準備をただいま進めております。
ここで少しだけ、親会社であるNSWについて、紹介をさせていただきます。NSWの設立は、1966年(昭和41年)8月になります。この4月で45年目を迎える、独立系IT企業です。2000年3月に、東証一部上場し、現在に至っております。
現在社員数は1,750名ほどおり、グループ会社3社があります。そのうちの1社がNSWウィズになります。首都圏、渋谷地区に本社を含む4事業所を構え、山梨・名古屋・大阪・広島・福岡に事業拠点を持ち、事業展開を行っております。主な事業内容ですが、コンピューターのソフトウエア、及びハードウエアの開発と、データーセンター事業を業としております。
NSWグループ全体の障害者雇用状況は、2月末現在で、障害者雇用率1.92%を維持しております。また、障害別の内訳としましては、視覚障害・上下肢障害・内部障害・心臓障害・知的障害者という内訳になります。NSWの紹介はここまでとさせていただきます。
次に当社が実際に、どのような人材を雇用しているのか、採用にあたっての経緯と、雇用後の仕事内容についての話に移らせていただきます。まず大きく3つの分野に、雇用体系を当社はとっております。1つめは、IT技術分野の技術部門への配属を目的とした人材です。2つめは一般事務、及び軽作業を行う人材です。3つめは、企業内マッサージルームのヘルスキーパー人材です。現在は、一般事務系の採用を主に行っております。
障害のある方の採用については、障害者を支える機関との連携を重視しております。具体的にはハローワークとの連携、各種支援センターへの訪問による情報収集、及び特別支援学校との連携によるインターンシップの実施です。
本日お邪魔させていただいております日本盲人職能開発センター様からも、卒業生1名の雇用実績があり、現在盲導犬を使用して、当社で事務系の業務に従事しております。この後講演する前田も、視覚障害者就労生涯学習支援センターでの出会いがあり、3ヶ月のトライアル雇用後、1年間の嘱託勤務を経て、昨年12月に正社員雇用となりました。
また、4人いる知的障害者の社員も、特別支援学校と連携をとり、毎年定期的にインターンシップを行っております。高校2年次には1週間、3年次には3週間の企業内実習を行い、入社の運びとなっております。今年も1月から、3名のインターンシップ生を受け入れております。また6月には、2名のインターンシップを予定しております。
それとは別に、財団法人「東京しごと財団」に、委託訓練企業としての登録も行っております。これは当社の場合は一般事務、主にパソコン・ファイリング・社外メール、こういった業務を主体とした事務職向けの訓練を、10日間ほど実施するものです。この制度は、就労経験のない障害の方でも、実際の業務や職場の雰囲気を体験することができるので、私としてはとても有効な制度だと感じております。
実際に仕事の内容をお話ししますと、親会社NSWから、現在150項目ほどの仕事を請け負っています。仕事の内容に関してですが、例えば人事系業務に関しては、給与関係、採用関係、健康診断関係業務などです。総務系業務としては、社内メール、社内電話帳更新などです。
調達系業務に関しましては、パートナー会社への書類封入、郵送、編集書類、ファイリングなどが主な業務になります。また、親会社には広報室という部署がありまして、毎月社内報の配布、社外イベントなどの後の御礼状の郵送作業、こういったものを仕事としてやっております。
それではここで、視覚にハンディを持つ方の雇用に関しての、当社の取り組みについて、紹介をさせていただきます。この点は、当初視覚にハンディのある方を採用するにあたっては、社内でも慎重論があがりました。実際に、どのような声があがったかをお話しします。
視覚障害者の技術水準や、作業項目が分かり辛い、就業可能な業務をどう見つけるか、どの程度の支援が必要なのか、適正能力の判定及び評価をどうするか、通勤、職場環境に留意しなければならないことは何なのか、拡大読書器、音声ソフトのインフラ整備をどうするのか、といったような意見がたくさん出ました。
これら出た課題を、1つひとつ何度となくメンバーで話し合いを行い、柔軟な体制で臨めるように、対応してきたつもりです。その結果、採用後は逆にハンディを持つ社員とも、話し合いを幾度となく重ねて、今日現在も課題に取り組んでおります。これは永遠の課題かもしれません。
少し事例をあげてみますと、拡大読書器や音声読み上げソフトなども、すぐに購入するということではなくて、これは高齢・障害者雇用支援機構から機材の貸し出しができますので、そういったものを数ヶ月間使用してみて、自分に合うものを吟味してから購入するようにするとか、または職場の中で、安全に移動するためのレイアウト変更、これも配慮をしました。ただし、職場は限られたスペースしかありませんので、ここは、本人達が慣れていったということが正しいことかもしれません。
また、盲導犬についても、職場内で協力し合っております。特に犬のトイレについては、本人だけではなく、職場の同僚が世話をするように、みんなでマニュアルを作り、交代で現在も行っております。これは知的障害者も含めて、私どものメンバーが交代で、盲導犬の世話をしているということです。
細かいことですが、その他にも取り組んできたことが幾つかありますので、紹介いたしますと、エレベーターのボタンに印を付けて、自分が降りるフロアの位置を確認できるようにしたこと。すべての方が点字が読めるということではないので、簡単な印を付けるという工夫をしました。また、自分が使うコピー機の、これも同じフロアに何枚もコピーカードがあります。そこで自分が使うコピーカードに印を付けて、分かるように工夫をしました。
あとは電話の取り次ぎです。晴眼者のサポートを受けて、電話の取り次ぎをペアで行うような場面もあります。また、社員通用口ではなく、出勤時に正面玄関から、入館許可を得たことです。当社の場合、社員通用口がかなり急な階段で、ちょっと危険だというところがありましたので、通常はお客様以外通れない門ですが、そこを許可していただきました。何か問題や課題が出た時は、その都度お互いに遠慮なく、相談できる雰囲気づくりを大切にしております。
最後になりますが、当社はどのような人材を求めるかについて、つまり言葉を言い替えますと、どのような方と一緒に仕事をしたいかについて、話をさせていただきます。今日この時間に一番お伝えしたいことは、このことかもしれません。それは働くというモチベーションを共有できる方と、一緒に仕事がしたいということです。「自分の個性を活かし一緒に頑張る」といったことを心がけている方と、一緒に仕事がしたいと私は思っております。
私がNSWの人事部時代から、障害者の方達と共に働き、すでに3年が経ちました。そこで私なりに感じていることがあります。それは自分のできそうなことには、積極的にチャレンジをして欲しいということです。また、自分のできること、できないことを把握して欲しい。分からないことは遠慮せずに聞いて欲しいと考えています。
コミュニケーションは、組織の最大の武器だと思っております。質の高いサービスの提供を常に意識をしてください。こういったことが仕事を成し遂げるために、欠かせないものであり、忘れてはいけないことだと私は思っております。
私の経験では、多くの方がハンディを乗り越えて、自分なりに工夫をして、能力を十二分に発揮されていると思います。当社には「配慮はするが、特別扱いはしない」という社風ができつつあります。この社風を社員全員が共有し、お互いに助け合いながら、会社と共に成長できたら、素晴らしいことだと私は思っております。私からは以上でございます。
私は今、31年いた日本システムウエアから、NSWウィズに移りましたが、日本システムウエアで経験した多くのことをNSWウィズで活かそうと考えております。
障害者雇用をはじめ障害者の方々と業務を一緒に行うことに関しては、まだ3年と短いキャリアですが、色々な形で共に仕事ができることに、今は仕事のやりがい、また生きがいを感じております。ご清聴ありがとうございました。
「私の仕事内容と工夫」
NSWウィズ株式会社 ビジネスサポート部 前田 有香氏
ただいまご紹介にあずかりました前田有香です。私は、弱視で視野が狭いです。大学を卒業後、就職にはパソコンのスキルが必須と考え、世田谷区にあります「視覚障害者就労生涯学習支援センター」で、6ヶ月ほど、パソコンの勉強をしました。その後ご縁があり日本システムウエアに入社し、NSWウィズに移りました。
私の担当をしている業務ですが、日本システムウエアの人事部の、新卒採用業務、社員の健康管理に関する業務、社内広報業務などをしています。本日は私の担当をしている業務のうち、新卒採用業務と、長時間残業者対応に関する業務、社内広報業務について、お話をいたします。まず業務をするにあたって、インフラ整備をしましたので、そのことについて説明をいたします。
まず支援機器についてですが、スクリーンリーダーは、フォーカストークとPCトーカーを使っています。パソコンの訓練をした所では、XPリーダーを使っていたので、当初は、ワードやエクセルの業務をするときは、XPリーダーを使っていました。ただ業務で、オフィス2007のワードやエクセルを使うと、XPリーダーには読み上げないところがありましたので、今年からフォーカストークを使っています。
またPCトーカーを使っている理由は後でも説明をしますが、インターネットを閲覧するために、インターネットブラウザのネットリーダーを使っています。ネットリーダー自身は音が出ませんので、スクリーンリーダーが必要です。ただXPリーダーは、ネットリーダーに対応していなかったため、PCトーカーを使っています。
次に、メールですが、私の使っているスクリーンリーダーは、アウトルックエクスプレスに対応していないので、MMメールというソフトを使っています。またスキャナですが紙や、PDファイルの文字情報を取り出すために、らくらくリーダーという、OCRソフトを使っています。
また拡大読書器ですが、拡大読書器は大きいので机の脇に付机を置いて、そこに拡大読書器を置いています。これらの必要な支援ソフトをパソコンにインストールをして、すぐに業務が出来たかというと、そうではありません。まずスクリーンリーダーで、ワードやエクセルを読み上げない、メールで音が出ない、添付ファイルが開かないなど困った現象が起きました。
パソコンを習った所では、すでにそれらの設定が終わった後でしたので、どこで設定をするのか分からず、パソコンの先生に相談をしたり、またメーカーのホームページを参考にしたり、直接問い合わせをして、解決をしていきました。インフラ整備についての説明は以上です。
次に新卒採用業務について説明をいたします。日本システムウエア選考プロセスは会社説明会、筆記試験、人事面接、職場面接、役員面接です。その中でも私が携わっているのは、会社説明会の申し込み学生のメールの送信、会社説明会の参加学生に前日にメールの送信と電話かけをしています。また人事面接の案内の電話かけと、メールの送信もしています。
まず、説明会申し込み学生のメールの送信についてですが、ここではリクナビのサイトを使っています。リクナビとは、リクルートの採用ツールです。リクナビに登録をしている学生から、日本システムウエアの会社説明会に申し込みをしている学生を検索し、メールを送信します。
また次に会社説明会の前日に、参加学生のメールの送信と電話かけですが、こちらをリクナビから、会社説明会の参加学生を検索し、メールを送信します。次に再度説明会の参加学生を検索し、今度はこの学生のリストを、エクセル形式のファイルでダウンロードをします。このファイルをもとに電話をかけていき、電話状況を記録していきます。
次に、人事面接の案内の電話かけとメールの送信についてですが、選考を進んできた学生に人事面接の案内をする業務です。人事面接用にファイルがあるので、日程表のファイルを確認し、案内をする日程と時間を確認します。次に、別のファイルに選考を進んできた学生のリストがありますので、これをもとに電話をかけていき、電話状況を記録していきます。また日程の確定した学生へは、一人ひとり日程確認のメールをリクナビから送信しています。
この業務をするにあたって紆余曲折がありまして、XPリーダーではリクナビのサイトを読み上げることができませんでしたので、ネットリーダーを使っています。ネットリーダーは先程もご説明しましたが、ネットリーダー自身は音がでませんので、ネットリーダーと互換性のあるPCトーカーというスクリーンリーダーを使っています。
また、最初からネットリーダーを使っていたわけではなく、XPリーダーではリクナビのサイトを読み上げなかったり、フレームを移動しなかったりということがありましたので、ソフトを探していたところ、ネットリーダーでは読み上げができましたので今に至ります。
この業務をするにあたって心がけていることですが、応募学生のスピーディーな対応を心がけています。例えば、電話でお伝えする内容をあらかじめ理解しておくことと、折り返し電話があったときに、すぐにファイルを開いて対応できるようにショートカットを作ったり、マイコンピューターを開いたままにしたりしています。以上で、新卒採用業務についての説明を終わります。
長時間残業者対応に関する業務について説明いたします。労働安全衛生法では月100時間を超える長時間残業をした労働者に対し、医師による面接指導を実施することが義務づけられています。日本システムウエアでは、80時間を超える長時間残業をした社員に対し、医師による面接指導を実施しています。
この中で私が携わっているのは、問診票による体調確認と面接指導受診に関する業務をしています。まず勤怠チェックの方はデータが届きますので、そこから月80時間を超える長時間残業した社員を抽出します。次に抽出したものを職場ごとにファイルを作成し、共有フォルダに設置します。その後、各職場の庶務担当者へ問診票の締め切り通知をメールで送信しています。随時問診票が届きますので、それらを保存していきます。
また締め切りになっても提出がなかった場合、各職場の庶務担当者に提出を依頼しています。問診票を全員分回収したら、その中で疲労度の高い社員に対しては、産業医面談の案内をしています。問診票をもとに面談対象者のリストを作成します。作成したリストをもとに電話をかけていき、産業医面談の案内をしています。またどうしても電話で連絡が取れなかった場合は、メールを送ったり、各職場の庶務担当者を経由して連絡を取ったりしています。
この業務をするにあたって気を付けていることですが、エクセルの表を加工することが多いので。表やセルの範囲選択を間違えないように、気を付けています。書式やフォントや文字の配置など整えることもしています。あらかじめ依頼者に文字の大きさなどを確認しています。
また大量の受信メールを管理するために、メーラーのフォルダを整理するようにしています。忙しい中問診票を送ってくれた社員に対しては、お礼のメールを送っています。ただ一人ひとりに書くのは大変なので、テンプレートを作って送信しています。以上で長時間残業に関する業務についての説明を終わります。
社内広報の部門担当業務について説明をいたします。人事部から社内報へ掲載依頼があった場合、広報グループへ連絡をします。また広報グループの方から人事部へ、社内報の題材の提供の依頼があった場合は担当に連絡するなど、一言でいうと人事部と広報グループとの橋渡しをしています。まず掲載原稿の日程の管理をしています。広報グループの方に原稿の提出の締め切りを確認し、人事部内に通知します。
掲載原稿の校正の確認をします、誤字脱字や表現におかしなところはないか確認をしています。タイトルや文字数がオーバーしているなどありましたら、修正をするように作成者に依頼をしています。また、こちらから修正案を提案することもあります。社内広報の部門担当の確認を人事部長の承認をもらい、広報グループに提出しています。
この業務をするにあたって気を付けていることですが、クロスチェックをしています、原稿はデータで届くので、私でも確認はできるのですが、写真や画像は私では確認できませんのでペアを組んで担当をしています。また、こちらで修正したところが作成者にわかるように、修正箇所の文字を赤字にするなど工夫をしています。以上で、社内広報の業務についての説明を終わります。
最後に日々の業務をする中で、次のことが大事だと思います。物がどこに置いてあるのか、また誰がどの席に座っているのかの職場環境の把握です。例えば弊社のエレベーターは音が出ませんので、私の職場の8階のフロアに行くために、8階のボタンのところに印を付けています。また、帰社時には1階のフロアに降りるために、1階のボタンのところにも印を付けています。また日々の出退勤するためのタイムカードにも、他の方と見分けがつくようにクリップを付けるなどの工夫をしています。
わからないことがあったら、遠慮せずに聞くこと。記憶に頼らずにメモを取ること。私の場合は、紙に書いたものを読み返すのが大変なので、パソコンになるべく記録するようにしています。また、できること、できないことの把握、できそうであれば積極的にチャレンジしていくことが大事です。
ご清聴していただきありがとうございました。
「視覚障害者の就労拡大のための新しい情報技術の教育について」
筑波技術大学 副学長 小野 束 氏
ただいまご紹介をいただきました小野でございます。まずは技術大学の全体の紹介について、話しをさせていただきます。中でも私が所属しております情報システム学科の今の教育の現状と就職への取り組みについて、それから視覚の障害を持った人、特にうちの場合ですと学生が、ICT(情報・通信技術)の分野で活躍をするための課題は何か、その課題を超えるために、どういう教育をやっていかなくてはいけないのか、について話させていただき、最後に、今年の4月から大学院がスタートをしておりますので、その紹介も少しだけさせていただきます。今日は自分自身の進行の確認のために、パワーポイントを使わせていただくことをご了承ください。
筑波技術大学は、視覚・聴覚障害者のためのわが国唯一の高等教育機関として、設置が認可されました。アドミッションポリシイ(admission policy)、これは学生受け入れ方針ということですが、個々の学生の障害や個性に配慮した教育、それから、幅広い教養と専門的な職業能力を持つ専門職業人の養成、障害者の社会的自立と、社会貢献できる人材の育成、障害を持った人への新しい教育方法の開発と、障害者の教育の改善となっております。入学資格は、障害の程度が関係します。聴覚障害系の方は、両耳の聴力レベルが概ね60デシベル以上の者。視覚障害の方は、両眼の矯正視力が概ね0.3未満、あるいは、視機能障害が高度の者の内、拡大鏡等の種類によっても通常の文字付け等を視覚による認識は不可能、あるいは著しく困難、それから将来点字等の教育が必要となる者となっています。
大学の歩みについて簡単に紹介をいたします。昭和62年10月、筑波技術短期大学と、三年制短期大学として発足しました。平成2年に、聴覚障害関係学科、翌年平成3年に視覚障害関係学科の第1回の入学式が行われております。平成16年に、「国立大学法人法」ができ、全国の国立大学が、一斉に国立大学法人に替わりました。私たちも国立大学法人の筑波技術短期大学という名称に替わりました。そして翌平成17年10月に四年制の筑波技術大学の設置が認められました。そして平成18年の4月から、第1回筑波技術大学の入学式を行って、今年の3月に、その第1回の卒業生が出ました。そして4月に学部の上に接続した形で、大学院ができてスタートをしたという経緯です。
組織構成は、3つの組織があり、視覚障害系の学部を保健科学部と言い、情報システム学科と保健学科になっております。保健学科の中には鍼灸学専攻と、理学療法学専攻の2つがあります。定員は情報システム学科が10人、保健学科の鍼灸学科専攻が20人、保健学科の理学療法学専攻が10人です。2つ目は、聴覚障害系の学部で、産業技術学部と申します。更にもう1つ障害者高等研究支援センターというのがあります。これは学内の障害者に対する情報保障、教材提供等を行うと同時に、学外の障害を持った方たちへの支援、教材提供等を行っております。卒業生は、視覚障害関係学科で、550人、聴覚障害関係学科で794人です。計1,344人卒業をしています。
次に、情報システムについて話させていただきます。これはわが国唯一の視覚障害者のための情報技術(ICT)を学ぶために置かれた大学の学科です。視覚障害者のための職域は、「あはき」が基本であることは、今も全く変わっていませんが、状況は決して楽なものではありません。一方ICTの成長に伴い、専門的な職業とする人材を育てるという可能性もでてきています。あはき以外の分野を確立していく使命をもって短大時代に設置されて、4大化に伴い単独の学科となったと認識しております。第11回2002年のあはき師の国家試験合格数を理教連の方からいただきました。はり師は、晴眼の方が2,572、視覚障害の方が607という数です。合格率が晴眼の方が88%で、視覚障害の方が65%です。灸師も同じようなことです。あん摩師は例の法律がありますので、晴眼の方が1,318名で、視覚障害の方が866名と、ここだけは一定の数が確保できました。これは2002年です。2009年、第18回のあはき師の国家試験合格者になりますと、はり師は晴眼者が4,823名です。2002年が2,572名だったのが倍増です。晴眼の方は倍増になっていて、視覚の障害を持っている方が460名と減っています。晴眼の方が倍になった分だけやはり視覚障害者の生活が圧迫されている現実があると思います。灸師・あん摩師も出ておりますが省略いたします。
情報システム学科の学生構成ですが、定員1学年10人です。ですから4学年で定員は40名です。現在在籍は46人です。ここのところ11人・12人取っているケースが多いので、こうなっております。障害別では、重度視覚障害者、いわゆる全盲の方が3割、弱視の方が7割、男女比も大体男の子が7割で、女の子が3割です。出身校比率は、盲学校の方が5割、一般校の方が5割です。入学時の平均年齢は、概ね20歳です。鍼灸学専攻の平均年齢が27歳、理学療法学が24歳ということから比較すると、比較的若いわけですが、これまでも40歳ぐらいの方が入学した実績があります。大学院ができて、少し変化していくかもしれません。
情報システム学科のコースですが、コースを一応次のように分けております。まずシステム開発プログラマー、ネットワーク関連、ヘルプデスク、こういうものをやる情報システムコースを設けております。それと事務系のコースと言っておりますが、人事、経理、広報などの分野の事務職で、鍼灸にいずれ進むのですがICTを勉強しておきたいという方が、最近女の方に多いような傾向にあります。
情報システム学科の教室の構成は、墨字の教科書の点字版を作り、拡大文字版24ポイントと16ポイントの2種類を準備しております。入学時に学生の視力の状態を確認して、それに合わせたものを作る。同時にテキストデータ化、あるいはテキストデータの教材をサーバーに置いております。一人1台ずつパソコンがあります。そのパソコンはズームテキスト、スクリーンリーダー、PCトーカーとJAWSが動くようになっております。全員のパソコンでそれが使えるようになっております。更にログインを助けるために、今ちょうどSuicaを使っていると思いますが、あれと同じ仕組みの学生証を渡して、これをパソコンにかざすとログインできる。障害に合わせた環境がダウンロードされるようになっております。
授業科目は、2年・3年に技術系の科目を集中してやるようになっております。セメスター制(二学期制)と言って、半年で必ず切れるような制度になっております。前期だけ取って後期は取らないとか、後期だけ取って前期は取らないということができるようなシステムです。
こうして勉強してもらって、最終的には就職ということになるわけです。私が赴任してから一番力を入れて、工夫してきた部分の1つです。3年生になった学生には、スケジュールを明確に理解させます。具体的には、10月時点から進路の希望や、面談を行い、就職全体についての説明会を行います。アドバイザー制度というのを設けて、一人の先生が1年生から4年生までの4人ぐらいに、アドバイスをする役割を担っています。個別に指導します。生活指導、授業すべての面について行います。何をやるかと言いますと進路相談の細かなこと、履歴書の書き方・添削、自己PR文の作り方などです。3番目はSPI(適性検査)というリクルートの試験で、これを受験させます。11月と2月にあるので、模擬試験をやって慣れてもらいます。4番目は、3年生の12月から3月ぐらいにかけて、企業の方をお呼びし、個別企業面接会をやります。10社から15社程度やります。これについては後程お話しいたします。5番目に、外部の講師をお招きして、模擬面接をやります。1月と4月に2回やっています。これも後程説明致します。それを受けた上で、更にアドバイザーによる個別指導と情報提供をやります。学生もいろいろ就職にあたって、不安も出てきますので、細かく対応しております。このスケジュ−ルの明確化は、学生にとって少し厳しいので、学生が投げ出さないように、アドバイザーの方が寄り添って指導していきます。アドバイザー制度というのは、教員名があって、1年から2年の学生名があって、誰が誰の面倒を看る、指導するということを全部決めており、比較的泥臭いことをやっております。3年生になる時は、卒業研究の指導教員ということで、今度は学生の希望を聞いて選ばせております。2年までは、ある程度障害特性を配慮して選んでおりますが、3年から4年にかけては、就職指導と卒業研究指導ということで、学生の方の希望を優先して聞くようにしております。
先程の個別企業面接会は、何をやるかというと、企業の方に学校に来ていただいて学生を見てもらう。これは4年ほど前からやり始めました。これを始めた理由ですが、企業側が、視覚障害者の能力を理解できないということに気が付いたからです。もう1点が、障害者を受け入れてくれた時に、企業側が何を準備すればいいのか、わからない。就職が決まってもトラブルがありました。拡大読書器、こんなのいるのかとか、通勤ができない、できるとか細かいことがいっぱいありました。そういう準備すべき環境などを、理解してくれないということがありました。もう1つは、企業側は意外と障害を持った学生に「あなたの障害はどうですか」ということを、聞きにくい、聞けないです。そういう人を採って本当にやっていけるか、本当に大きな問題で不安がありました。この3つを解決するにはどうしたらいいか、もうとにかく会社の人に来てもらう。普段やっている授業を見てもらう。それから寮の生活も見てもらうということが一番だろう、ということで始めました。
面接会の内容は、学生がパソコンを利用して使っているところを見てもらう。スクリーンリーダー自体を企業の方は知りません。文字の拡大、白黒反転でこんなことしているのか。それらを使っているところを見ていただくと、企業の大半の方が凄いと驚きます。見ていただくことは、本当に簡単なことみたいですが、企業の人にとっては目からウロコのようなところがあるようです。
技術系に進みたい、さっきのシステム系に進みたいという人たちは、自分でゲームを作っています。全盲の子もゲームを作っていますので、そういうものを見てもらいます。すごく驚かれます。企業としてはどうしても紙媒体が使えないことが問題になります。授業をやっているところを見ていただくと、そこは自動的にわかります。
授業風景や寮の生活、体育の授業、学生の振る舞いなども見ていただきます。その結果、視覚障害者は何ができて何ができないか、これがわかった、と簡単に言うのが一番多い意見です。正直に言うと今さらながらという感じだったのですが、これをやって良かったというふうに思っております。お招きできる会社も最初の頃は本当に2社か3社しか応じてくれなかったのですが、今は30社ぐらいの会社が、応じてくれるようになりました。大体常時10社から20社ぐらいは来てくれます。その成果ですが、就職希望者7名中6名が面談で、面接会で内定したという年もありました。今でも平均半数以上の方がこれによって決まっております。模擬面接会というものもやっております。企業の方に来ていただいて、企業の方とその場で面接になってしまうこともよくあります。上場企業の元人事部長だったというなかなか手厳しい方とか、現役の人事の課長さんに来ていただいて、全く本番と同じ内容でやっていただいています。3年から4年にかけては、年に2回開催しております。事前に自己PR文を講師に提出して、その添削や抜け穴や攻撃ポイントもさらけ出されている状態でやります。ここで、非常に厳しいことを言われることが、学生の就職意識に対して非常に大きなインパクトを与えているようです。効果としては面接力が向上しますし、それから障害を理解してもらう努力が大分上がります。また、重要なコミュニケーション能力が上がります。自分の良いところを認めてもらうような努力と改善、こういうところにエネルギーを使うようになってきます。
また、インターンシップもやっております。インターンシップを通じて、自分にできることとできないことを知ってもらう。これは3年生ほぼ全員、大体1週間ぐらいです。でも行って帰ってくると、皆さんから、会社のどういうところが分かった、仕事の責任が分かった、就職の難しい点が分かった、通うためにどういう工夫をすればいいかなどの話が出ます。
21年度の1回生は、5名就職が内定をして、3名進学者がおります。1名が大学院で、外国の方が2人いて、1人は外国の大学に行き、1人は母国で就職をする。22年度は、8人就職希望がおり、今のところ5人が内定しており、3人がまだ活動中です。1人はほぼ決まりそうなので、あと2人になります。
今まで就職指導等をやってきて、ある傾向があります。特にここのところ、顕著に出てきているのが、パソコンのスキルは、必須である。もう1つ、特にここが顕著です。システム系、いわゆる技術系の職種は、概して就職しやすい。企業の方に技術系だったらすぐなのだが、と必ず言われます。特に去年と今年と一段と顕著になってきています。私たちの課題の1つが、ここで見えてくるわけです。昔の言葉で言えばプログラマーです。プログラマー志向の人をいかに増やしていくか、それからプログラマーとして成功できるような環境づくりが重要だろうと思っております。
1番厳しいのが、漫然とした事務系の職種の希望、これは正直にいってなかなか難しいです。模擬面接でもはっきり言われたことが何度かあります。事務系をやりたい。何ができるのですか。ワード、エクセルができます。うちの会社には、事務系という仕事はありませんが、どういう事務ですか、人事の事務ですか、経理ですか、広報ですか、あるいは組合ですかと、いろいろなことを言われます。ここのところをきちんと理解をしてやっていかないと、漫然とした事務系の職種の希望では難しいというふうに思います。
それから、コミュニケーション能力ですが、これはかなり高く評価されます。視覚に障害のある方たちは、コミュニケーション能力の優れた人が多いと。しかし残念ながらそうではない人もうちの学生にも2〜3割はいます。そういう人は、残念ながら逆に低い評価を受けてしまいます。採用が上手くいかない場合の傾向というのは、今の逆なのですが、企業や、業種や、職種を限定し過ぎる傾向があります。これは不思議なのですが、本当に、もの凄く限定をしてきます。アパレル系、自称オシャレという男の子が、10人いると、2人は必ずいます。こういう人を説得するのは、なかなか大変です。アパレル系の会社に行って、あなたは何をやるの。お店に出る?お店は正社員の人はやっていないよ。こういう説明からしなくてはいけない。もう1つあるのは、聞いたことがない会社だから嫌だ、というのです。これが難しいです。これは、本人が知らないだけなのです。返す言葉がないのですが、これは本当に多いのです。それから、一定の経験がないと絶対に無理で、大学を出たての人ができない仕事もあります。それから、障害補償のところだけをやりたい、ということを言う方も必ずいます。ない仕事を最初から狙ってやるのは絶対にいけない。
それから、自分の障害を上手く説明ができていない人です。全然できていない人がいます。それと、SPI、さっき言った試験がありますが、この点数が極端に低い人です。百点満点の零点に近い人とか、これはいくら企業を大学に呼んで面接をやって上手くいっても、名前しか書いてこなければどうしようもないわけです。それから、極端に多くしゃべる学生、全くしゃべらない学生、どっちもいただけないということで、面接した人から、後からこっそり電話がかかってきて、あの人は何とかならないのと、こういうのもあります。面接をお願いして、3回もやっていただいたことがあります。というのが就職の状況です。
先程技術志向の人に対する求人情報は、非常に強いということがありました。そこで、IPA(情報処理推進機構)がやっている、情報処理技術者試験というのがあります。 そこの中に、情報技術抜きに、企業や組織の活動は語れない、重要な役割を担うようになってきた。更に、パソコンが使えるということの他に、情報技術の潜在力を、自らの業務に積極的に活用していく。どんな付加価値を生み出していくかという視点が、すべての職業人に求められる。要するに、ワードが使える、エクセルが使える、一般的な事務職をやりたいんです、ではなく、自分の仕事に、そのIT技術をどう使っていくかという視点がいるのですということが、書いてありました。まさしくこれだなと思いました。
ICTを取り巻く現状として、ソフトウェア技術者は、総務省の統計で55万人不足しています。一方情報系の卒業者、高専・大学は高々年間2万人です。これでは絶対追いつきません。ICTの技術関連の就職ならば、いくらもチャンスがあるので、それを増やさないといけないのです。
よくWindowsショック、Windowsができて、全盲のプログラマーがいなくなってしまった、できなくなってしまったということは言われます。私たちもずっとそれで、悩んできました。プログラム開発は、なぜ難しいのかという切り口で、お話しさせていただきますが、この問題が解決できないと、先程の技術系だったら、いつでも採るけれどねというのに対する、答えにならないわけです。ここをどうやって解決していくか。
プログラム開発がなぜ難しいのか、これは一般的には、開発する段階で、Windowsのソフトウェア開発ツールが特にGUI、グラフィックを多用したものになっておりますので、音声や点字への対応がものすごく悪いのです。だから、開発できなくなってしまったといわれております。実際そうです。一部JAWSを使うと、できないこともないですが、ここが悪いのだと言われております。
私もずっと、そのように信じてきていたのですが、ここのところ、違うと思うようになりました。それは、実はその先にあるのです。プログラムを作る、コーディングと言っていますが、コーディングが終わって、それを試す時にあります。実証段階、これを試す時に、大体ソフトウェアの動作の結果が、GUIになってしまうことが多いのです。それを要求されるわけです。例えばエクセル(これはプログラムではありません。)で何か表を作った、その結果をグラフで表してくれ、これはGUIになります。プログラミングの結果がそういう場合は、非常に多いのです。どこに押しボタンを作ってくれ、どこにダイアログを出してくれ、あるいはグラフで結果を表示してくれ、そういうプログラムを作ってくれ。そうすると、プログラミングそのものは、所詮は文字ですから、実は基本的にはWindowsショックがあっても、これはできたのです。ちょっと面倒なことは事実あります。私もそういうプロセスを経てやったことはあります。面倒ではありますが、頑張ればできないことはありません。ところが、実際にプログラムの動いた結果の確認は、これだけはプログラマーがしないといけない。これができないということは、致命傷になってしまいます。これは残念ながら、どんな音声環境をもってきても読んでくれませんので、これが一番全盲のプログラマーが、活躍できなくなってしまった理由だろうと、思うようになりました。実は2・3年前に、気が付きました。 Windowsショックという言葉は、全盲の人がプログラムをできなくなったといわれていますが、実はそれだけではないのです。それまでプログラマーとして、活躍していた一般の人たちも、8割くらいの方は皆だめになったのです。私自身も、Windowsのプログラミングをマスターするのには、それまでのプログラマーとして自信はあったのですが、本当に大変な思いをしました。ですから、決して視覚障害のある人に対して、敷居が高かっただけではないのです。全員に対して高くなったのです。その後いろいろな道具ができてきて、簡単にできるようになってきたということは、改善点ではあります。ここで言いたいのは、開発段階の困難よりも、作ったものの結果を確認する段階の方が、実は大きい問題として、クローズアップしなければならないのです。特にコーディングは、開発工程というものを、今重視します。昔のように、プログラマーがパッパッと作る時代ではなくなっています。いきなり大工さんが、家を建てる時代ではなくなったのと一緒です。設計する人がいて設計し、という時代になってきています。きちっとした文書が取り交わされて、やっていく時代になりました。ですから、開発自体がドキュメント作業、文書を作る作業が中心になってきております。そうすると、後はコーディングの段階で、GUIがいらないような分野があれば、視覚に障害のある人でも、活躍できるのではないかなということです。
改めて、開発の課題を解決するには、GUIも読み上げる完全なスクリーンリーダーがあればいいのですが、これは無理です。ではGUIを必要としないソフトはないのかと。ITが多様化しているのだから、何かそういう技術トレンドとして、ないだろうかということです。実は情報処理技術者試験に、そのことが現れているのですが、試験の内容が大きく変わってきています。何が変わったか。組み込み機器というものが、大幅に入ってきたということです。組み込み機器とは、あまり馴染みがないかもしれません。後程出て参ります。プログラム開発はなぜ難しいのかの、もう1つ具体的なところを言いますと、例えば今画面にはお示ししていますが、画面の左側に、プログラムのソース・コードが書かれています。これはスクリーンリーダーで読むことができます。アメリカの1900年から、2000年の人口推移を予測するプログラムを作りなさいということで、作ってあるものです。たった10行くらいの短いもの、MatLabという変わった言語を使っていますが、これはスクリーンリーダーが対応します。結果はグラフで表示されます。そうすると、スクリーンリーダーは全く読んでくれませんから、正しく動いたかどうかも分かりません。ということは、直すこともできないということになります。要するに結果の確認、これが一番大きい障害だったのです。
もう1点、コーディング、プログラミングは開発工程のほんの一部しか今は意味がなくなってきて、他のドキュメント作業が多くなったということです。これも今画面にお示ししていますが、信頼性が高いプログラムが、非常に要求されるようになって参りました。そのためにプログラミングというのは、本当に1工程にすぎなくなってきました。ソフトウェア開発は、7工程から8工程あるのですが、そのうちの1工程にしか、すぎないようになってきました。要求仕様・分析仕様・設計仕様、それからプログラミング、今言った仕様のところは全部ドキュメント、文書作成作業です。こういうふうに変わってきました。ここがいかにきちんとできているか、ここさえできていれば、プログラミングはいらないとまで言われるところまできました。ものによっては、自動生成ツールまであります。その次のテスト段階です。ちゃんと動いているかどうか。モジュールテスト・システムテスト・商品テスト、このテストが非常に重要になってきます。こういうふうに変わってきたということです。ここ数年で、急速に変わってきています。
もう1点、なぜ難しいか。GUIのいらないソフトはないのかということで、組み込みソフトということをさっきお話ししましたが、これも画面に絵を出しております。これはエンジンの回転数を制御するプログラム。今自動車の中には、少ない車でも40個くらいのコンピューターが積んであって、多ければ200個くらい積んでいます。走るコンピューター、走るネットワークといわれて、自動車はLANを搭載して走っているわけです。そうすると、コンピュータープログラムの作り方が、非常に重要になるわけですが、アクセルから紐でエンジンまでつながっているのではなくて、エンコーダーで電気信号で拾って、それをコンピューターが読んで、エンジンに伝えているわけです。そのブロックダイアログが出ていますが、これを全部ソフトウェアでやっているのです。これはアクセルを踏んだ、エンジンの回転数を変える、どこにもGUIは出て来ません。空気の量を計ったり、圧力を計ったりということです。こういうのを、組み込みシステムといっております。
先日プリウスが暴走するとか、いろいろ話題がありました。あれは本当のところは、EDRというエレクトロニック・データ・レコーダー(イベント・データ・レコーダー)というものを、この種の車は皆積んでおりますので、どこでアクセルを踏んだかというのは、フライトレコーダーのように残っております。そういうのを、恐らく調べているのだろうと思います。そういうことをやるようになったのも、結局コンピューターシステムが、車を動かすようになってきたからということですが、こういうものなら逆に、ここまで責任感の重たいものは置くにしても、GUIのないソフトウェアの例というふうに、みなすことができるのだろう。こういう組み込みシステムなら、GUIの依存度が低いから、視覚に障害のある人も対応できるのではないか、実証してみようということで、3年ほど前から、授業でやるようになりました。組み込み機器は、視覚に障害のある人は扱えないのではないか、もともとハードウェアがあるから、難しいのではないかと思われていました。私も何人もの人に、いろいろ聞いて歩きましたが、無理だという意見が多かったのです。
組み込み機器とはどういうものかというと、今炊飯器とかポットとかエアコンとか、皆リモコンで使われます。ポットはリモコンではないかもしれませんが、お湯を出すにも軽くボタンを押せば、ポンプが動いて出てきます。炊飯器でもコンピューターが温度を管理して、炊き上げてくれます。それから、ロボットですとかデジカメとか、音楽プレイヤー、ゲーム、携帯電話、無数に組み込み機器があり、今やパソコンの数10倍のコンピューター数が出ているわけです。その中に全部、ソフトウェアが入っています。誰かが作っているのです。しかもGUIがないとなったら、これは1つの大きい市場ではないかと、うちの学生を送り込む市場だと、こういうプログラムを育てようというのが、方針転換です。
では、授業で取り入れられるようなものはあるのか、組み込みシステムはあるのか。それで見つけてきたのがレゴです。子供が遊ぶおもちゃです。あのレゴです。ただ、あのレゴではなく、レゴマインドストームというのがあり、ARMプロセッサーという、32ビットのコンピューターが積んであるものです。ニンテンドーDSと同じコンピューターです。
これを3年前に、システム設計論という堅苦しい名前の授業で導入したのですが、この時に恐る恐る学生さんに、レゴに触れたことのある人はと聞きました。毎年聞いておりますが、全盲の学生さんを含めて、8割か9割の人があると言っています。どうやって遊んだのか、僕は分かりませんが、皆が小さい時に、レゴは遊んでいると。それでは授業でこれをやろうと思っているんだがどうなのと言ったら、先生触りたい、作りたいと言うのです。実際やってもらいました。組み立てていくところは、思ったほど簡単ではなかったのは事実ですが、結構嬉々としてやってくれました。問題は出来上がってからです。作ったのは三輪車です。モーターが2個ついていて、コンピューターで制御して、そのスピードや方向を変えるようになっている三輪車です。A4の半分くらいの面積で、重さは1キロくらいです。それくらいの三輪で動く一種のロボットです。それを作りました。これはコンピューターのプログラムを書き込めば、思ったとおり制御できるはずです。それを書き込んでもらおうと。ところが、レゴに標準で付いているプログラム言語は、GUIです。レゴの発想で、プログラム自体も部品を重ねていくと、できるようになっているのです。これだとうちの学生は使えません。いろいろ探しましたところ、海外に使えそうなソフトウェアがありました。これはテキストベースです。これをいろいろ試してみたところ、スクリーンリーダーの対応も何とかいけそうだということで、教材として組み入れるようにしました。今スクリーンの方には、全盲の学生がレゴを組み立てているところ、お互いの障害を補いながら、2人で1組を組み立てているところなどが出ております。
次には、モデリングベースのソフトウェアという、モデリングという手法を導入しました。何をしたいのかというところから始まって、何を作ればよいか、いかに実現するかということをやるんですよと、授業でやっている。モデリングの方法、これは晴眼の人ですと、グラフィックを使ってやるのですが、ここでは変わったもの、キュービズムというフランスで発明された、点字ブロックのようなものを使ってやる方法を開発して、それでやりました。モデリングを行っているところです。全盲の人、弱視の人の例を掲載しております。全盲の学生はスクリーンリーダーを使い、弱視の学生は拡大によりというところが、絵で出ているところです。課題のテストをやるところです。できると皆嬉しくて、勝手に部屋中走り回されるので、危なくてしょうがないのですが。
授業の最後の試験課題として、一辺が1メートルのカタカナのコの字です。そういう形の衝立を床に置きます。高さが10センチくらいの衝立で、コの字型に囲ってあります。そこに車を走らせて、各自プログラムしたものが、1回・2回・3回当たって、脱出するプログラムを作りなさい。無事脱出してくれと。それで、手でパンパンと叩いたらいつでも止まって、またパンと叩いたら動くと、こういうものを作れという課題を出しているところです。これは全盲の子がやっています。
これは学生が作った時に、車の位置が分かるように、ピピピピと自分で音を出すように、工夫したんです。壁に当たる度に、音程が変わるようにしました。やった結果についていろいろ意見を聞いてみたのですが、プログラムの結果がGUIではなくて、機械的動作で反映されるので、おもしろいと。プログラミング自体が嫌いだったが、これでプログラミングとはおもしろいということを、発見したようです。これはあまり想定していなかったことですが、それくらい皆プログラミングが嫌だったのかと、逆に思いました。こうやって自分でやったことが、すぐ答えになって出てくるということだと、喜んでくれるのだと発見しました。そしたら、就職用の自己PR文に、システム開発を希望している学生全員が、組み込みシステムをプログラムできますと書いているのです。なんと厚かましい、授業をやっただけじゃないかと。でも正直嬉しいです。ただ、本当にこれでプログラムの詳細を知ったということを、書いてくるのは意外でした。だから、もっとこういう工夫を、していかなければいけないということです。音程を変えて、運転状態が障害に応じて分かるような工夫を、いろいろしていました。そのおかげで、プログラムスキルが自動的に上がります。それから、GUIで結果が出ていると、自分でプログラムした結果を、眼のいい子に見てもらうとか、あるいは先生に見てもらって、動いているよと言ってもらわなければいけなかった。それが自分で分かるから、そういう苦痛がなくなりました。これは、3年生の選択科目です。最初のうちは、システム設計論という名前ですから、嫌々ながら4人くらい出てきていたのですが、あれはレゴを触れておもしろいぞみたいになったのでしょう。今年は選択で、12人出ています。全員出ている。こういう分かりやすいやつがいいのかなと。これで1人でも、プログラミング志向の人間が増えてくればなと、実は期待しているところです。
どんな工夫をしているかということを、もう少しお話ししたいのですが、時間も参りましたので、一応ここまでにして、大学院の話を少しだけさせていただきます。大学院は、この4月から修士課程がスタートしました。いろいろ議論はありました。例えば鍼灸学に大学があることの良し悪し、理学にあることの良し悪し、文科省とのやり取りでも、そういうことがありました。情報で作るについては、これはすぐある意味で、文科省の人たちは納得しました。私たち自身も、文科省の人がいう指摘をそのまま実際受けて、当該学部の私たちとしては、非常に心配をしました。その議論は、今でもあります。結果としては、大学院はできて、視覚障害系が3人、聴覚障害系が4人という7人の定員の、世界で一番小さい大学院です。文科省の方から、7人くらいだったら、隣の大学に行けばいいでしょうと言われました。私は、それもそうだなと思っております。ただ作った以上は、これはこれできちっとしたことをしなければいけないと思っております。
それぞれ専攻によって、考えていることは違うだろうと思いますが、情報の場合は、比較的まだ分かりやすいのかなと思っております。鍼灸学なんかは、やってみると意外なことに、盲学校出身の鍼灸の先生が、学位を取るために、入学してきたのが、逆に驚きでした。ですから、鍼灸の方が、1番希望者が多かったのです。これは驚いたことです。入学資格は、学部と同じです。視力の要件は一緒です。その他の要件は大学院ですから、基本的には何もないのと一緒です。特にいろいろ規則を広げましたので、学部を出てないとかそういうことは全く関係なく、大学院はすべての方が来られる。ただ、鍼灸・理学の場合は、免許を持っていないと入れないことになっております。それから、他の大学で学ぶ人たちを受け入れる、社会人を受け入れる、この3つがあるということです。
全部で30単位、学部の方は124単位ですから、大学院はものすごく少ないです。しかもそのうち研究が8単位ありますので、修士論文が8単位ですから、22単位取るだけです。科目数にすると、10科目になるかならないかくらいです。働きながら十分行けるということで、鍼灸の先生は、そうやってお見えになっているんだろうと思っております。
研究指導教員と、副指導教員を配置していますが、設置審査書類には、副指導教員は研究指導だけではなく、障害補償の指導も行うと、生活面の面倒もみるということが書かれています。もう1つは、奨学金、授業料免除制度が非常に手厚くできております。これは学部もそうですが、成績優秀者が今まで20%は全額免除だったのですが、今年からはそれを変えました。成績優秀者は半額もらえるようにして、更に経済的困窮者は半額免除になるという仕組みに変えました。大学院の場合は、もう自動的に成績優秀者であるというふうにして、全員が半額免除になります。更に経済的理由、親からお金がもらえない、自分だけで生活しているということがあれば、更に半額免除されますから、実質全額免除されますので、私どもの大学は、非常に手厚く予算をいただいていると感じております。私たちの大学は、課題も非常に多いのですが、情報ということについていえば、新しい分野をつくって職域を広げていく、そういう努力をしていきたいと思っております。障害者雇用についての社会の理解を得る努力、これも企業との付き合いの中で、広げていきたいと考えております。時間を少し超えておりますので、これで終わらせていただきます。
理事 長岡 保
平成22年度NPO法人タートル通常総会が下記の通り開催されました。
記
1.時期:平成22年6月19日(土曜日)10時〜12時
2.場所:日本盲人職能開発センター
(大阪会場とスカイプによるジョイント実施)
3.要旨
(1) 議長等の選出:議長に新井愛一郎氏、副議長に重田雅俊氏、また、書記に長岡保、杉田ひとみの両氏、議事録署名人に下堂薗保、篠島永一の両氏が指名されました。
(2) 総会成立の確認:参加人数及び委任状数を確認し、総会成立要件を満たしていることを議長から報告されました。
(3) 議事概要
ア) 第1号議案、平成21年度事業報告(案)、第2号議案、平成21年度収支決算報告(案)をそれぞれ、下堂薗理事長、篠島事務局長から報告がなされ、質疑等を経て承認されました。
イ) 第3号議案、平成21年度の監査結果について、和泉監事から、異状なく事業・会計処置がなされていることを確認した旨、報告がなされ、承認されました。
ウ) 第4号議案、平成22年度事業計画(案)について、各担当理事から説明がなされ、質疑等を経て、承認されました。
エ) 第5号議案、平成22年度予算(案)について、篠島事務局長から説明がなされ、質疑等を経て、承認されました。
オ) 第6号議案、平成22年度役員の選任について、下堂薗理事長から提案がなされ、提案の通り承認されました。
承認された役員等は次のとおりです。
【理事】
<本部>
松坂 治男 理事長
工藤 正一 副理事長
安達 文洋 副理事長
杉田 ひとみ 事務局長
新井 愛一郎
石山 朋史
大脇 俊隆
篠島 永一
下堂薗 保
重田 雅敏 (新任)
長岡 保 (新任)
<地域代表>
和泉 森太 北海道(新任)
金子 光弘 東北
星野 史充 中部(新任)
湯川 仁康 近畿(新任)
藤井 貢 中国
藤田 善久 九州(新任)
大橋 由昌 (辞任)
堀 康二郎 (辞任)
【監事】
伊吾田 伸也 (新任)
大橋 由昌 (再任)
近藤 豊彦 (辞任)
和泉 森太 (辞任)
下堂園 保
平成22年度NPO法人タートルの通常総会を期に、理事長を退任したことに伴い、一言ご挨拶申し上げます。これまでの皆様方の暖かい一方ならぬご厚誼ご鞭撻に対し、心から感謝の意を込めてお礼申し上げます。
さて、本総会は、NPO法人に移行してはじめての役員改選期でした。そして、個人的には私の在任期間が、「中途視覚障害者の復職を考える会(通称、タートルの会)」の会長を含め通算9年間の長きになっていた背景がありました。このように、代表の在任期間が長期化し、高齢化している実態は、世代交代を図るため必須であると常々考えていただけに、人事案件がとどこおりなく承認され、松坂治男副理事長が歴代第3代代表として新理事長に就任したことに、まことに感無量のものがありました。
松坂新理事長は、すでに皆様方がよくご存知のとおり、パソコン操作術に卓越した技能を有していますので、私どもが周辺補助機器を有効に使いこなしながら就労継続し、社会に貢献してゆくためには、まさにニーズにかなった適任者であります。また、この機会に、本部体制の拡充のため理事を2人増やし、北海道から九州までの各ブロック代表の方々には、全員理事になってもらうこととし、各ブロックにおける独自性の強化を図ることとしました。
ところで、NPO法人タートルは、発足から数えて、16年目に入ることになりましたが、発足時に比べ、大きく変わった特徴的な変化があります。それらは、創立当時の「解雇されました。解雇されそうです。どうしたらいいでしょう?」というような相談事例から、最近は「定年退職しました」のように定年退職年齢まで働き続けてきた事例が増えてきています。これらは、タートルが皆様方のご協力を得て、地道に視覚障害者の就労実態を明らかにしたり、制度改善などに尽力してきたり、関係機関との連携協力を積極的に図ってきたこと等が、徐々に広く社会の理解者を増やすことにつながり、併せて、業務遂行能力が評価されつつあるものと素直に受けとめています。
また、昨今ロービジョンケアという新しい医療技術が拡がりつつあります。医師が、治療に尽力していることについては、言うまでもありませんが、しかしながら、現代医学をもってしても治せない疾病があるのも現実です。治る見込みのない疾病を有する患者に対して、医師の立場から手をさしのべ、QOLの向上を支援しようとするのが、ロービジョンケアです。具体的には、弱視、全盲者の疾患ごとに患者の眼疾に合わせて、昨今の著しく進展した情報通信技術(ICT)等を上手に組み合わせて助言指導する手法です。このようなロービジョンケアを受診したお蔭で、職場復帰した実例が増えています。私どもは、ロービジョンケアを今後ますます拡大充実させるために、患者の側から積極的に受診し、結果的に支援につながるような協力が肝要かと思っています。
このように視覚障害者の就労に対しては、いくつかの追い風が吹いているのも事実ですが、一方では、視覚障害者の就労に理解を得られていないという心理的バリアが大きく横たわっている課題があるのも現実です。
私は事務局の一員として理事の末席を汚させてもらうことになりましたが、松坂新理事長が、今後とも就労継続のため、これまでのタートルの伝統を活かしながら、就労支援に積極果敢に邁進されることに期待感を膨らませ、皆様方のますますのご健勝を祈念して、理事長退任の挨拶とさせてもらいます。
今回の12号は、平成22年度総会関連の記事を主体に会員の皆様にお送りするように考えておりましたが、前回の11号に掲載が間に合わなかった、3月交流会時の講演内容も合わせ送らせて頂く事になりました。
今回から、情報誌の担当になり、改めて、たったこれだけの記事かも知れませんが、講演者の方は勿論、テープ起こしから発送まで、いかに多くの方々の労力といくつもの工程を経ているのだなと言うことを知った次第です。
今年度は、次号から、定年まで就労された方の経験話しなどを投稿いただいて、後に続く方の参考になればと考えているところです。
情報誌に関し、ご意見、ご希望等を事務局までお願いいたします。
(長 岡 保)