特定非営利活動法人タートル 情報誌
タートル 第6号

1998年10月9日第三種郵便物認可(毎月3回8の日発行)
2009年3月10日発行 SSKU 増刊通巻第3081号

目次

【巻頭言】

名古屋交流会を終えて

中部地区代表 星野 史充

去る1月17日に名古屋で地方交流会が開催されました。当日は5名の講師による講演が順に行われ、並行して別室で個別の相談とパソコンの実演説明が行われました。3時間半の催しで、来場者は80名を数えました。
私は、この地域からの講師の人選に関わり、当日はパソコンの説明員をしていました。 本号には各講師の講演内容が掲載されると思いますが、私からもこの地域の講師の方々について触れながら、視覚障害者の就労を考えてみたいと思います。

まずタートルの下堂薗保理事長の話しで講演は始まりました。 続いて愛知障害者職業センター所長の宮崎哲治氏から、視覚障害者を雇用するうえで受けられる社会資源、制度等についての講演がありました。私が主に勤務している名古屋盲人情報文化センターでは、2002年から同職業センターのOA講習の委託を受けて視覚障害者へのパソコン講習をしています。私もOA講習の講師と雇用管理サポートの専門協力家として活動しており、ITの利活用の面から就労支援をしています。私の同僚も専門協力家に加わり、それぞれ白杖歩行訓練士とピアカウンセラーとして職業生活面の支援を担当しています。

名古屋市総合リハビリテーションセンター視覚支援課の田中雅之氏からは、ロービジョンケアを受けられる社会資源についての講演がありました。田中氏自身は白杖歩行訓練士であり、視覚支援課では白杖歩行・点字・パソコンなどの視覚障害リハビリ訓練が広範に行われています。
この他にも愛知県内では、当事者団体の活動・大学のロービジョン外来・中途視覚障害者を支援する団体での歩行訓練が行われています。これらによって、ロービジョンケア〜視覚障害リハビリ〜就労支援(職業訓練)という一連の支援が実現されています。今回の交流会を通じてこれらの支援活動が広く知られることで、“連携と協力の輪”がより有効に機能することを期待しています。

続いてお二人の当事者から職務事例紹介の講演がありました。このお二人については、就労支援として私もパソコンの講師を務めました。視覚障害者の就労継続の観点から、それぞれに学ぶべき点の多いお二人だと思います。
ユニー株式会社の大脇多香子氏は、視力が低下しても1日も休職しませんでした。仕事と家庭での主婦業を両立させながら、さらに点字触読・白杖歩行・パソコンを習得していかれました。パソコン講習も会社の定休を利用して受講されました。当初、会社との交渉は必ずしもスムーズとはいえませんでしたが、会社を休まず、パソコンの講習も休みませんでした。「貴方に能力がないのではない。きっと何とかなる日がきます。」という私の言葉を信じてくださり、状況が好転するまでがんばりぬかれました。
名古屋市立大学医学部付属病院の田橋省司氏は、リハビリの専門職から事務職へと転進を果たされました。パソコン講習ではJAWSというスクリーンリーダといくつかのアプリケーションを学ばれましたが、システムへの用件整理・復職先での業務分析など様々な点をご自身で調査され充分に理解・分析された上で講習に臨まれました。講習中も常に職場をイメージされ、目的意識も明確であったとの印象があります。パソコン以外のIT機器の調査にも熱心で、私も何度か貴重な情報をいただいています。

このお二人に共通していたのは、先行きを否定的に考えず、能力開発のために充分な研鑽をつまれ、正々堂々と交渉を進められた点だと思います。
前述のように愛知県内には就労支援に役立つ資源がいくつかあります。大脇さんも田橋さんもそれらの資源を活用されましたが、それ以上にご自身の就労についてあきらめずに取り組まれたことが結果に繋がったのだと思います。
私はお二人のご講演を拝聴して、あらためて就労の確保にはお二人のような粘り強さが必要なのだと感じました。

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【1月名古屋交流会記録】

講演1

「NPO法人タートルの紹介及び視覚障害リハビリテーションについて」

NPO法人タートル  理事長 下堂薗 保

皆さんこんにちは。下堂薗 保と申します。 本日は、名古屋交流会にこのように多数ご出席賜りまして、ありがとうございます。今日は、夕方まで皆様と共に、雇用継続の観点から有意義な意見交換ができればと思っております。

いきなり余談ですが私にとって今年は、14年前にNPO法人タートルの前身「中途視覚障害者の復職を考える会(通称、タートルの会)」を立ち上げた年、ともに大変色々な意味で考え深いものがあります。
まず、阪神淡路大震災が新年早々の早朝発生し、丁度、出勤準備中のネクタイをしめていた時だったのでその手がとまったりした、忘れ得ないできごとがありました。 それから、まさかと仰天させるサリン事件でした。 そして、6月に『中途視覚障害者の復職を考える会 通称タートルの会』の設立総会でした。 続いて、私も深く関与し、仲間と2年間ばかり続けていた「視野基準見直し」、「網膜色素変性症の難病認定」に関する厚生省への陳情、国会請願が、前者については7月に2級認定と、その半年後の1月1日に、後者の難病認定が実現しました。

ところで、名古屋市で交流会を開催させてもらったのは5年ぐらい前だったと思うのですが、本日は初めての方もおいでになりますので、NPO法人タートルがどういうことをやっているかということについて、手短にご紹介させて頂きたいと思います。

もともと中途視覚障害者の事務職についている方々で発足しました。在職中に運悪く失明した人たちが、引き続き職場において働ける方法はないかというような、本当に素朴なところからスタートしました。 その任意団体「通称、タートルの会」から、2007年12月3日付けでNPO法人タートルに移行しました。

目指すものは、まず、視覚障害当事者の就労相談支援、そして、雇用主の不安解消支援ということを大きな目標としております。 さらに、調査研究事業ということで、すでに4冊の本を出していますが、今年の3月にはもう1冊を出す予定になっています。
そういうことで、視覚障害当事者のスキルアップのための交流会を行うことに併せ、一方では広く社会の理解を得るため、文字媒体による啓発活動にも、微力ながら尽力しております。

それから、社会には眼科医、職業センター、ハローワーク、あるいは、訓練施設等われわれには有用な多くの機関があります。 これらの社会資源と連携し、こちらの協力を得ることで、私ども視覚障害者の継続就労に何倍もの力をいただけるようにしようと努力しています。
よって、私どもNPO法人タートルが目標とするところは、誰でもが「当たり前に働ける」社会の実現と一般就労によって納税者となり、生活の質を上げることです。

さて、ここからは私に与えられた視覚障害リハビリテーションの概論について、並びに、最近の行政の動き、データで見る視覚障害者の就労数はどうなっているか等について、かいつまんでご紹介してみたいと思います。

私どもは文字処理ができなくなったり、単独歩行がままならなくなったりしたときに、もう失意のどん底に落ち何も出来ない、あれも出来ない、これも出来ないと、出来なくなっていくものを数えがちになります。 また、通常私どもは眼科に行き、治療を受けますが、目の疾病には最先端の医療技術をもってしても治癒しない疾病があるのも現実です。 治癒しない疾病であっても、その障害を受け入れ、働き続け生活の質を上げる(QOL)ように指導してくれる眼科医がおられます。 生活の質を上げるために、お医者さんはいろいろやることがいっぱいある中で、客観的に視覚障害者の症状とか、色々承知した眼科医が診察し、われわれ視覚障害者の生活の質を上げてやろうとする新しい医療行為が広まっていますが、いわゆる「ロービジョンケア」と呼ばれているのがそうです。 視覚障害リハビリテーションを受講する前にロービジョンケアを受診されることをお勧めします。

ロービジョンケアについては、日本ロービジョン学会の次のURLで閲覧できます。
http://www.jslrr.org

ロービジョンケア等を受診した後、視覚障害リハビリテーションを受講して、単独歩行ができるようになったり、パソコンができるようになったりすると見違えるように自信が回復し、生き生きと変化します。 タートルは、過去14年間ぐらいの間に千人以上の方々と接してきているかと思いますが、単独歩行ができるようになると、職場復帰への達成率は、恐らく私の勘ですが、60%は達成しているのではないかと感じています。 それぐらい見違えるように皆さんが大きく変身します。

さて、視覚障害リハビリテーションですが、これは生活訓練と職業訓練の2つに分けられております。 まず生活訓練は、4つに分類されています。

1つが、日常生活動作訓練です。身の周りのことは自分でしましょう。出来るようにしましょう、みたいなことです。本当に細かいこともあります。電話をかける方法はどうすればいいのかとか。茶碗をひっくり返さない方法はどうするか。そんな細かいところまで及びます。

2つ目は、コミュニケーション訓練です。点字訓練、音声パソコン操作訓練、拡大読書器の効率的な使い方、フリーハンドライテング(手書き)訓練というものがあります。自分の名前や住所ぐらいは自分で書かなければいけないことが、いっぱいまだ制度的にあります。銀行などは代筆をさせて下さいと言っても、なかなかOKしてくれません。

3つ目は、歩行訓練です。歩行訓練は、専門の歩行訓練士が、自分の家から会社まで、会社から家までとか、自分の家の周り、自分が常に行くような所、買い物に行く所、映画・演劇に行く所等々に自在に行けるように訓練してくれます。

4つ目は、感覚・定位訓練です。耳を使いましょう、「聴覚」。手先、足裏、白状の先から伝わる感覚、「触覚」です。それから、ラーメン屋などにおいをかぎ分ける感覚、「嗅覚」です。これらを活用して、方位・方角、を認識し、自分がいる場所を把握する訓練です。

職業訓練は、一通り生活訓練を終えた方々が、生活訓練過程で学習した基礎的レベルをさらにアップした就労に直結する実践的な訓練になります。 それらは、音声パソコンの操作法、各種支援ソフトの有効な活用法、各支援ソフトの特徴などいろいろですが、職業訓練施設で、資格を持った指導員が、最先端の機器で、所定の手続きを経て行っています。
こういう過程を経て多くの視覚障害者が職場に復帰して働いています。

就労継続するためには、失った文字処理技術の回復、安全な単独歩行などの過程を経て職業訓練を受講できるわけですが、実は一つ重要なポイントがあります。 それは雇用主の理解と協力がなければ円滑にゆかないということです。 この壁を上手にクリアするためには、情報を収集すると同時に、雇用主に対し、自分は生活訓練を受けたい、職業訓練を受けたい、働き続けたい、会社に貢献するようになりたい、ということを率直にお伝えし、雇用主の理解と協力を得ることが必須です。

ついで、行政的には、最近、どのような動きがあるかについて紹介します。

公務員については、平成19年1月29日付で、人事院が「障害を有する職員が受けるリハビリテーションについて(通知)」という通達を出しました。 この通達が出るまで網膜色素変性症で病気休暇の承認申請をしても、治療法がない疾病に療養のための病気休暇を付与するという理屈は成り立たないという見解のため、認められませんでした。
ところが、この29日をもって、網膜色素変性症のような治る見込みのない疾病でも、病気休暇の承認を受けられることになったと同時に、ロービジョンケアの受診や、リハビリテーションを受けることができるようになりました。
さらに、先程、申し上げました職業訓練につきましても、病気休暇の過程を得た後に、もう一段スキルアップしたい人、あるいは、自分は視力はまだあるので、そういう過程を経ないで即職業訓練を受けたい、という人達に対して、普通の健康な人達が受ける研修制度の規則を適用して受けられるように改善されました。
この通達を知った民間会社がすでにこれを援用して、給料を払いながら訓練を受講させている実例があります。 ぜひ、皆様方も情報を提供しながら会社側の理解を得る努力をしてみるべきではなかろうかと考えています。

また、厚生労働省は、同じ年の4月17日付で、「視覚障害者に対する的確な雇用支援について(通知)」という通達を出しました。 これは、人事院通達とは若干異なりますが、 ハローワークに対して、仕事を求めている視覚障害者、あるいは、在職視覚障害者に対して、これまで、視覚障害者が働ける仕事は「あん摩、鍼、灸(三療業)」しかありませんという言い方ではなく、IT機器を使って一般事務的職種において働いている人もいっぱいいます、そういう方法もありますというように、指導しなさいという本省から下部機関に対する命令です。
このように行政が、中途視覚障害者の就労の機会を拡げる制度の改善を図ってくれたことは、私どもには大変力強い追い風となっています。

さて、視覚障害者の就労状況と、データ的な傾向を探ってみたいと思います。

まず、就労状況ですが、民間会社、公務員それぞれに就職している方が多数います。 その職種は、総務系、人事系、経理系、特許系、法務系(法務実務)などのほか、ホームページの作成、それのアクセシビリティ、読みやすいかどうか、コンタクトしやすいかどうか、チェック業務等にわたっています。
さらに、図書館とか、そういう所にもたくさんいらっしゃいます。特殊な場合は、弁護士、司法試験を目指して勉強して資格を取った人、あるいは、見えている頃に取って、現在、全盲ですが弁護士を続けている人、税理士、学校の先生方とか多数います。

次にデータ的な傾向についてですが、身体、知的、精神全部の障害を対象として総合的に障害者雇用率に注目して行った調査、平成20年11月6日付け、通称「6.1調査」のデータでは、公務員の場合は2.1%以上が達成目標数値ですが、これに対し調査結果では2.18%とすでに上回っています。
このところ、私達の相談に公務員の相談者が少なくなっています。もしかしたら、こういうところからも就労継続の傾向があるのだろうかと推測しています。
次に、民間企業の場合は、1.8%以上というのは達成目標数値ですが、今回の調査では、1.59%、前年比0.04%の伸びだったとのことです。

以上は全障害者を見た場合のデータですが、それでは視覚障害者のみではどうかというデータも紹介します。

19年度末に出た視覚障害者についてのデータによれば、全視覚障害者で見た伸び率1.4%です。 重度障害者だけにしぼった1・2級ではどうかというと、2.1%の伸びになっています。 全障害者の伸び率0.04%という伸び率に対して、分母数が小さいということもあるのですが、伸び率は非常に大きい結果が出ています。

もう1つは、年間に視覚障害者がどれくらい発生しているかについてのデータですが、平成18年度末の身体障害者手帳交付を取りまとめた厚生労働省から出されたそれによると、1級〜6級まで含まれた総数は、15,743件だったそうです。 毎年そういう数字が出ているかどうか分かりませんが、近似値は発生している可能性もあるところから、私達と同じような後輩が出ている、という格好になっているかと思います。 つきましては、私どものうしろには次から次へと、視覚障害者が続いていると考えられます。

私どもは、そういう人達に対して、「どこかで誰かに支援を受けたとしたら」その恩返しをその人にするのではなく、後に続く人達に、自分が受けた支援と同じ支援を次々に送ってあげるようにして、一人でも多くの仲間がしあわせになるようになれればと思っています。
つまり、支援してくれた人への恩返しではなく、他の人へ「恩送り」し、どんどん拡げていきたいものと思っています。

取り留めのない雑駁なお話しでしたが、ご清聴ありがとうございました。
以上

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講演2

「復職、新規就職等で視覚障害者を雇用するうえで受けられる社会資源、制度等の紹介」

愛知障害者職業センター 所長 宮崎 哲治氏

ただ今ご紹介頂きました、「障害者職業センター」でカウンセラー業務を長年やってきて、今は所長をやらせて頂いております宮崎と申します。 本日は、私どものセンターが今取り組んでいる、職業リハビリテーションという領域についてお話しをさせて頂きたいと思います。

私どものセンターは、全国のハローワークが、障害者の方、障害者を雇用する企業の皆さんに就職支援、雇用管理指導を行われるに当たって、専門的な立場から援助をさせて頂くため、47都道府県すべてに設置されている機関のひとつです。
ハローワークと一体的に支援を実施し、すべて無料で色々なサービスを提供します。各都道府県1つずつということで、使いにくい地域もあるかと思いますが、色々なタイプの障害の方達、障害者を雇おうとされている企業の皆さんに、支援させて頂いています。
パンフレットを開いて頂きますと、1番左に「障害者の方へのサービス」、真ん中のところに「事業主の方へのサービス」と書かせて頂いています。両方とも同じくらいのウエイトになってきています。

私どものセンターのうち、1番最初に出来たのは、東京センターで昭和47年ですので、35年を超える歴史になります。当時は、障害者の皆様に対して色々な形でご相談を受けながら、就職に向けてのご支援が中心でした。 その後、どんどん業務が拡充し、今では企業の方への支援というのが、業務の半分くらいを占めています。また、就職のための支援だけでなく、職場に戻る復職のための支援、職場での問題対処等、職場定着の支援が多くなってきています。現在、私どもの仕事のウエイトは、雇用促進のための仕事が半分、雇用安定のための仕事が半分くらいです。

まず、「職業リハビリテーション計画」という業務ですが、職業相談からプランニングをしていきます。どういう形で皆さんが就職を目指していくか、復職を考えるのにどうしたらいいか、職場でどんな悩みを感じていらっしゃるのか、というような話を聞きながら、これからどうしていったらいいかというプランを、一緒に相談します。
職場に入っていくには、皆さんに自信を持って頂くこと、スキルをより高く広く持って頂くことも、就職のチャンス、復職をしてうまく職場に適応していく機会を増やしていきます。処遇にも影響します。スキルアップをしていく、職場に入ってからも更に努力を続けるということは、障害のあるなし関係なく、必要なことだと思います。
それとともに、職業リハビリテーションというのは、力を付けた方達が、職場に入って力を発揮出来るようにしなければ意味がありません。そこで、環境をどういうふうに整えていったらいいか、あるいは、周りの方達にどういうふうに障害を理解して頂いたらいいかという取り組みを行います。
また、色々なお仕事のマニュアルを作ったり、チェックシートを作って、ミスなく確実に、効率的で効果的な仕事が出来るようにしていくかを助言したり、職場の中で組立てて、働きやすい環境づくり、そして周りの方達が自然に障害のある方達を支えていける、ナチュラルサポートという体制づくりを目指していく。これが今の職業リハビリテーションの方向性です。

本日は、実際に障害をお持ちの皆さんが、そこでどんなふうにというところは、この後もお話が出てくると思うので、主に、企業の方にどんな対応をしているのかということを中心に話を進めていきたいと思います。

先程も言ったように、今から約10年前までは、皆さんのスキルを高めるということに焦点が当たっていました。シンデレラの話ではないのですが、どうしても既成の靴に足を当てはめてくださいという、靴に足を合わせるような仕事の展開、支援の展開でした。どちらかというと支援というよりは、訓練・指導という言葉が似合うような取り組みをしておりました。

それが平成になってしばらく経った頃、バブルがはじけて日本の産業構造、求人動向の変化、或いは、企業の方達も法令を守る、社会的責任を果たす、CSRとかコンプライアンスという、時代的な変化が生じております。 CSRやコンプライアンスという言葉は、環境問題だとかで良く耳にしますが、雇用の問題も、同じように取り組まれる企業が増えてきております。障害を持っている方を、雇用しようとする企業が増えてきています。そこでここ10年くらい、私ども職業リハビリテーションの領域で、1番ポピュラーになっているのがジョブコーチという制度です。

支援者が一緒に職場に行って、障害のある方についてどういう接し方をしたらいいのか、どういうところを配慮して頂きたいのか、どんな環境整備をして、どういうナチュラルサポート体制を作って頂いたらいいのか、ということを企業にアドバイスさせて頂いています。障害者の苦手な部分を、職場の中で出さないで済むような環境づくり、あるいは、得意なところ、持ち得る力を職場でうまく発揮して頂けるような環境づくりをしていく、そういう制度がジョブコーチの制度です。

ジョブコーチとは、職場について行ってくれて、サポーターとして仕事をトレーニングしてくれる人ではありません。仕事の内容は会社の方が教えます。ジョブコーチはどういう教え方をしたらいいか、どんなところをチェックしたら、どういうところを配慮したら安定して働けるのかということをお知らせします。障害者の皆さんに対しても具体的な相談事、悩み事、要望等を聞いて、それを企業に対していかに話していくかというのがポイントです。ですから、ジョブコーチは、このパンフレットの中でも、障害者と事業主のちょうど真ん中に、図を書いてあります。ジョブコーチは、障害者の方の心の支え、安心感というところもありますが、それ以上に、企業に対して共同歩調で一緒に体制づくりをしていくスタッフということでご理解頂ければと思います。

それから、障害のある方、高齢の方、若年の方に対しても使っている、トライアル雇用という制度が、今、ハローワークでは1番ポピュラーに使われています。3ヶ月間の期間的な試行期間、試用期間がある制度です。そこでうまく就職出来るか、あるいは雇用して大丈夫かをご本人も判断が出来、企業の側も採用について考えられます。言うならばお見合いの期間のような形で、3ヶ月間仕事をして頂く。雇用という言葉が使われているように、トライアル雇用は、雇用契約を結んだ形で給料を頂いて、試行的に雇用して頂く制度です。実際に、その年とか地域によって若干違いますが、この制度を使って70%から80%の方が雇用に結びついています。

もう一つ委託訓練ということを行っております。これも3ヶ月間トレーニングをするという形ですが、2つのタイプがあります。1つは、例えば、就職に向けてパソコンのスキルを高めていきましょうという短期間のトレーニングをやっていくという方法です。もう1つは、実践型の研修的なプログラムです。実践研修型の訓練というのは、企業の中で実際に働きながら就職に向けてのトレーニング、そこの現場に合わせたトレーニングをしていくというスタイルです。これは都道府県の格差がかなりあります。東京ではかなり実践型委託訓練が進んでいます。企業は3ヶ月間トレーニングして、うまく力を発揮して頂ける環境づくりをし、採用に結びつける取り組みを行っています。愛知県では年に数件という実績で、何とかしなければと思います。豊川にある「愛知障害者職業能力開発校」が、事務局として、企業の協力を取り付けたいと動いていることをお伝えさせて頂きます。

実際に企業に対しては、私どものセンターだけではなく、国を始め色々なところが取り組んでいます。大きく5つの種類があります。

1つ目は経済的な支援です。具体的には、雇用納付金制度ということで、障害者雇用が1.8%に満たない企業は、1人分について、月5万円を納めなければいけない。逆に、それ以上雇用している企業には、調整金・報奨金という名目でバックをしています。また、特定求職者雇用開発助成金という制度があります。これは、障害を持った方達を雇用した場合は、慣れてくる期間、1年とか重度の方だったら1年半の間、賃金の一定部分(100万とか50万)を国が補助しましょうという制度です。また、中途障害の方達が復職する時には、職場にうまく適応出来るようにするため、重度中途障害者等職場適応助成金という給料の補填的な制度があります。

2つ目は、物的な援助です。これは、例えば、点字ブロック・手すりの設置等が必要になった時に、その工事費の助成、就労のために必要なパソコン周辺機器等を企業側に提供したり、貸し出すという制度です。

3つ目が先程ご紹介した、ジョブコーチを始めとした人的な援助です。例えば、会社の中に視覚障害の方がいて文書を読み上げるための職場介助者が必要な場合に、その方を介助する人の賃金を援助するという制度を整備しています。また、5人以上の障害者がいたら、職業生活相談員を置かなければいけない、というのが法律で決まっています。会社の中に外部から支援を受け入れる場合の人的支援等の制度もあります。

4つ目は、情報の提供・援助を行います。情報提供として、先輩達が働いている姿で、前の方の失敗や大変さをこのように克服したという、成功例や失敗例、その後の対処事例が、一番企業に対して説得力があります。そのため、視覚障害について、よくご存知の方、お医者さん、実際に障害者を雇っている企業の人事担当者の方達等色々な分野の専門家に登録頂いて雇用管理サポートという事業を行っています。また、企業同士で情報提供をして頂いています。

最後に5つ目は、社会的支援ということで、職場実習の制度、トライアル雇用の制度や委託訓練という制度を活用しながら、少しでも働きやすい環境をつくって頂く、或いは、働けるチャンスを頂けるような援助をしています。

こういう5つの援助を上手に組み合わせて働ける環境をつくっていくのが、今の職業リハビリテーションの取り組んでいるところです。

愛知県の状況を簡単に数字だけでご案内します。昨年の9月末での統計ですが、20年度4月から9月までで、県内のハローワークを経由して、視覚障害の方が就職した件数が全部で27件です。そのうち重度の視覚障害の方が愛知県内18のハローワークで半年間で、14名就職されています。昨年1年間では視覚障害全体で77名、うち1級・2級の重度の方が45名という数字です。

実際に今現在仕事を探しておられる方は、障害者全体で7,996名。約8,000名の方が、県内18のハローワークで仕事を探していらっしゃいました。うち身体障害の方4,739名、そのうち視覚障害の方が342名いらっしゃいます。年齢別に見た、仕事を探している数で申しますと、342名のうち、中高年と言われる45才以上の方は211名で、6割が中高年ということです。

最後になりますが、私どもが企業の方にお願いしていること、特に視覚障害の方達のお話をする時にお願いしていることを4点挙げます。

1つ目は、障害者の方達に対しての偏見とか、思い込みがあまりにも強過ぎるのです。やってみなければ分からないので、チャンスを与えて頂きたいとお願いしています。

2つ目は、私どもは社員研修で啓発活動を行う時に、出来れば、視覚障害の方に一緒に入って頂く参加型の研修をやって頂いております。一緒に働いていても気が付いていなかったり、駄目だろうと思い込んでいるというのが非常に多いのです。視覚障害者の方達も、それを表に出さずに我慢していたり、駄目だろうと思っているので、他のことにチャレンジさせてもらえない、チャレンジしないという状態が多くあります。辛いかもしれないのですが、洗いざらい実際のところをお話し頂いたりすることや、出来ないだろうという思い込みを避けてトライすること、相手の立場に立って歩み寄りをして頂く、ということが必要なのですよというのを、訴えています。

3つ目は、我々の支援体制も変化していきます。支援者も色々経験しないと対応出来ないので、皆さんに育てて頂きたいとお願いしています。企業の方にも色々情報を頂きながら、教えて頂いております。

4つ目は、企業の方に対し、障害者を受け入れる環境を整備して頂き、的確な支援体制をつくることで克服出来るというお話しを一番強調し、企業への啓発活動をしております。

最後に、皆様、もし機会がございましたら、私どものセンターをお訪ね頂ければありがたいと思います。 どうもありがとうございました。

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講演3

「ロービジョンケアを受けられる具体的な社会資源について」

名古屋市総合リハビリテーションセンター視覚支援課  田中 雅之氏

皆さんこんにちは。名古屋市総合リハビリテーションセンター視覚支援課(以下当センター)の田中と言います。当センターは名古屋市が設立し、経営を事業団に委託する形で平成元年にオープンしました。病院と福祉施設の複合体で、総合的なリハビリテーションを提供しています。高次脳機能障害の方の生活訓練や職業訓練を全国に先駆けて始めたことでも知られています。

私が所属している視覚支援課という所は、主に人生の中途で視覚に障害を持たれた方に対して、歩行・パソコン・点字・ADL・ロービジョン訓練といった、いわゆる日常生活訓練を行っています。昨年度までは名古屋市の独自の事業としてやっていましたが、今年度からは自立支援法に移行し、自立訓練の機能訓練としてサービスを提供しています。

現在スタッフは4名で、月曜日から金曜日の9時半から4時まで訓練を実施しています。1日の定員は10名程度となっています。年齢層は10代から80代まで幅広く、最近は特に高齢の方が多くなっています。身体障害者手帳の等級が1・2級のいわゆる重度の方が9割くらいとなっています。訓練方法は施設で寝泊まりしながら訓練を受ける入所、自宅から決められた曜日に通う通所、自宅や職場に私どもが出向いて行う訪問と、目的や内容によって3つのパターンでやっています。訓練の期間は概ね1年くらいを目処にしています。

今回のテーマはロービジョンケア、ということですが、ロービジョンケアを狭義にとらえると、医療的なケアや見え方の改善のみに思われがちです。しかし実際に就労を考えると、まずは安全な移動、文字の読み書き、身辺処理などまずは現在の見え方の中での生活の確立が必要になります。ロービジョンケアは狭義にとらえるのではなく、生活全般にわたるものと考えるべきで、それには日常生活訓練が非常に大きなウエイトをしめていると思います。

次に当センターが関わってきた就労支援事例の概要についてお話します。私が当センターに就職して10年目ですが、その間に就労に関して支援した人を調べてみました。人数は全体で76名でした。1番多いのは盲学校進学のための準備で43名です。盲学校ではあんまマッサージ・鍼・灸という三療の職業訓練を行っています。学校に入ってからの勉強ができるよう、点字やパソコンを使って文字処理が出来るようにしたり、盲学校まで安全に通えるようにする歩行訓練などを行っています。

次に多いのが、現在仕事をされている方の雇用継続とか休職中の方の復職の準備など、雇用継続・復職支援で17名です。その中では一般就労の方が13名、三療関係の方が4名となっています。

その次が新規就労支援で、新規に仕事をするために訓練をしたという方が13名いらして、そのうち一般就労の方が5名で、三療関係の方が8名となっています。さらに、福祉的就労が3名です。

この数字から見ても、特に若い人達にとって一般就労したいという希望は強いのですが、私達としても、やはりまだ新規就労への支援が十分出来ていないのが現状です。

訓練別では歩行訓練が76名のうち50名、パソコンが47名、点字が33名でした。この中で一般就労の部分だけに限ってみると、利用のされ方として、特に突然視力低下があった場合は休職期間を使って来られる方が多いのですが、視力低下がなだらかな場合は、時間休を取ったり職場からの研修という形で訓練を受けていた方もいらっしゃいました。

内容としては、まず安全に確実に通勤出来るようになることというのが会社側からもご本人からもご希望として出てくるので、通勤ルートの歩行訓練が多いです。あとは、網膜色素変性症のように夜盲があると夕方から夜間の帰宅が困難になるため、実際に夜間の時間帯での歩行訓練なども実施しています。また、大きな会社ですが、その方のために点字ブロックを敷設するということで敷設方法について相談に乗ったこともあります。

パソコンについては、事務処理が出来るようにするために、様々な音声ソフトや拡大ソフトの紹介や使用法について訓練を行っています。あるいはWindows自体の画面設定でかなり見やすさが改善出来たりするので、その方の見え方にあった設定の仕方などを一緒に考えることもあります。

もう少し視力のある方は、ルーペや拡大読書器を使って文字処理をしたいということで、ルーペの種類や倍率の選定、拡大読書器も大きい物から持ち運びが出来る物など色々とありますので、その方の目的と使用方法に合った物を紹介したり、使い方の基本的な訓練をしています。それ以外にも訓練の合間に、自分の見え方を職場の方とか家族にどう説明したらいいかといった相談に対応しています。

次に当センター以外でこの地域でロービジョンケアが受けられる社会資源について紹介します。「NPO法人愛知視覚障害者援護促進協議会」(以下愛視援)は聖霊病院内にある「マリアルーム」と「TDL本郷」という2ヶ所からなります。当センターと同じように、歩行・点字・ADLなどの訓練を行っています。ここの場合、聖霊病院の中には眼科があり、TDL本郷の近くにはこの法人の理事長もされている眼科医の高柳先生の「本郷眼科」がありますので、眼科と合わせて総合的なリハビリが受けられるのが大きな特徴です。

「名古屋盲人情報文化センター」(以下情文)は、基本的には用具の販売やCD図書の貸し出し、点字印刷などを行っている所ですが、それ以外にもパソコンの講習会をやっていて、個別に行うものと、グループに対して行うものと2つのパターンでやっています。当センターはどちらかというと、パソコンをまだ使ったことがないとか、メールやインターネット、文書処理やファイル管理といった基本的な部分を中心にやっているのに対し、情文の方はWordやExcel、その他ソフトなど、その方が希望するものについて短時間で集中的に訓練をしてもらえます。

名古屋にはたくさん有名な眼科はあるのですが、眼の治療のことだけではなく、治療や障害についての相談、光学的補助具の処方、手帳のこと、リハビリのこと、生活のことなどその方の人生とか生活の部分を重視して診てもらえるだろうということで3つ紹介します。

1つ目が愛視援で挙げた本郷眼科です。2つ目が名古屋大学眼科で、こちらにはロービジョンクリニックがあり、愛視援の副理事長の坂部さんという方が見え方・生活全般の相談にのってくれます。3つ目が「愛知淑徳大学クリニック」で、そこには見え方とか光学的補助具の選択、使い方について非常に詳しい視能訓練士の川瀬先生がいらっしゃいます。ただここは、本来の業務とは別のところでやっているものですから、月に1回程度の開催で第1木曜日にやっているということです。

次は光学的補助具の購入についてです。ルーペとか拡大読書器というのはどんどん新しい物も出てきており、なかなかいろいろなものを見比べてから買うというのが難しい物なのですが、ルーペに関しては「キクチメガネ」の金山店が、この地域では非常に品揃えが多く、うちに相談に来られた方で、おおよそどういう形のどの倍率のものかが決まったらそちらを紹介して、具体的に選んでいただいたり、購入していただくことが多いです。遮光レンズもひと通りそろっています。

拡大読書器については、見た瞬間に、久しぶりに文字が読めたことに感動し、即決して買われてしまう方が多いのですが、実際に家に持っていって見たら眼が疲れるから使えないとか、違う形のものの方が良かったと、結局使わなくなってしまう方が非常に多いので、私はしっかり試したうえで購入するようによく言います。

この地域で私がよく紹介するのは「中部レチナ」と「タイムズコーポレーション」という2つの会社です。この2社はいくつか候補をあげるとその製品を用意して自宅まで来て見せてくれるのが特徴です。中部レチナの方ではティーマン社以外のほとんどの製品を、タイムズコーポレーションの方では自社製品とティーマン社の製品を取り扱っています。拡大読書器には、据え置き型とか携帯型など様々な形がありますので、使う目的や使用法を考えたうえで、タイプを選び、その中のいくつかの機種を実際にある程度長い時間見て頂くといいと思います。

近県で当センターと同じように日常生活訓練を行っている施設としては、岐阜県では「岐阜アソシア 視覚障害者生活情報センターぎふ」、三重県では「NPO法人アイパートナー」という訪問主体で訓練している所があります。また、浜松市だと「六星 ウイズ」という施設があり、生活訓練などについて相談に乗ってもらえます。

最後にまとめに代えてということで、私が仕事をしていて感じることについてのべます。 当センターに相談に来られる方というのは、もう仕事を辞めてしまっていたり、辞めることを決めてしまった状態で来られる方が非常に多いです。ただ、新規の就労で今までやっていた仕事が活かせるような分野ならともかくとして、全く違う分野で就職するというのはやはり非常に大変です。全くその方のことを知らない職場で新規に就職するよりも、ご本人の人柄や能力のことをよく知っている方がいらっしゃる職場で、工夫次第で今の仕事が何とか継続出来ないのかとか、会社の別の部門で合う仕事がないのかというのを探す方が会社側に交渉したり働きかけたりしやすい部分があります。ですから辞めてしまう前にできれば相談して頂けたらと思います。

2つ目は、見えなくなったり見えにくくなったばかりの頃というのはご本人も自分の能力を過少評価していたり、マイナス部分だけをどうしても見てしまいがちです。日常生活訓練をしていく中で、身につけられるものは身につけたうえで、今のままでも出来ること、工夫すれば出来ること、もちろん出来ないことも見極め、まずは自分自身を正しく理解することが会社と交渉していくうえで大事だと思います。

一方、職場の方も視覚障害の方に会ったことがないという方がほとんどなので、安全に通って来られるのかとか、職場内には階段とか段差があるけど大丈夫なのかとか、文字が全然読めないではないかというような、過度な心配や過小評価されたりすることが非常に多いです。そういう意味で、出来ることを積極的にアピールし、職場の方の不安を軽減していくこともとても大事だと思います。

3つ目は、見えづらい状況をいかに周囲の人に知っていただくかです。全く見えないのと違い、見えづらいというのはイメージしづらく、家族にも理解されないと訴えられる方も多いです。家族にさえ伝えるのが大変なのに、ましてや会社の人に伝えるのはもっと大変なのですが、それでも周囲の人にはちゃんと自分の見え方とか、希望を伝え続ける努力はし続けていかないと、なかなか自分が働きやすい環境というのをつくっていくのは難しいかなと思います。そのためには、どのように自分の見え方を説明するか、その方法や伝え方を自分自身が知っておくことが大事だと思います。

4つ目なのですが、視覚障害は障害の中でもマイナーな障害です。ご自身が視覚障害になられた時に、自分の周りにはそういう人が誰もいないという方がほとんどです。そのため、どういうところに相談したらいいかとか、どういう社会資源があるのかというのを知らない方が多いです。私達も普段からなるべく多くの方、色々なジャンルの方に知っておいて頂いて、相談に来られた方に伝わるようにと努めていますが、今日おいで頂いた皆さんにも自分の周りの人、色々な立場の人に情報を伝えて頂いて、情報を求めている方に伝わるようになっていったらいいと思います。

最後ですが、全国的にもそうなのですが、視覚障害者の就労支援、特に新規就労という分野においては、他の障害と比べても非常に立ち遅れてしまっている感があります。もちろん、私達、視覚に障害を持たれている方に関わっている職員の努力や工夫が足りない部分というのがあると思いますが、これから先、特に一般企業への新規就労の可能性を広げていくには、企業への働きかけとか、機関同士の連携というものは非常に重要になっていくと思います。今日のような機会をきっかけにして、連携を強めて、この地域の視覚に障害を持たれた方が働きやすい環境と、働ける場というのを作っていけるようにしていきたいと思います。

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講演4

「当事者による具体的事例報告1」

ユニー(株) 大脇 多香子氏

「人の出会いに導かれ…」皆さんこんにちは、愛知県一宮市の大脇多香子と申します。2004年11月、名古屋で開催されたタートル地方交流会を偶然に知り、思い切って参加したのが、私が初めてタートルと繋がったきっかけでした。あの出会いがなかったら、私は、いったいどんな人生を歩んでいたのだろう。交流会の帰り道、会場を出て解散したその瞬間から、結局一人なんだよな と孤独感につぶされ泣きながら帰ったあの日。

中途失明という同じ境遇にありながら、楽しそうにさえ感じる大勢の大先輩方の生き様と、自分の現実とのギャップに、どう立ち向かっていけばいいのか…あきらめずに頑張れと言われても、何をどう頑張っていけばいいのかを教えてと、何度も心の中で叫び苦しみました。見えなくなっていく過程をすべてさらけ出し、休まずにただただ毎日出勤するだけで、精一杯でした。
 

見えにくい人から、見えない人に切り替えるにはどうしたらいいのだろう。今日から見えない人と宣言出来たら、どんなに楽だろうと思いました。格好良くサクサクと仕事をこなしたいのに、時間がかかる、間違える、最後には文字処理ができなくなる・・・そんな状況の中で、お給料をもらうわけですから、居心地がいいはずがありません。どうしていいのか分からず、視覚障害に関係する施設をいろいろ尋ねました。すべての方が、私の叫びに耳を傾けてくれました。そんな出会いを重ねるうちに、この先の自分の目指す方向がはっきりとしてきました。前例は例外からしか生まれない、私は働き続けたいのだとの強い意志が、自分自身の底力を奮い立たせました。弁護士に依頼して、職場環境の改善に向けた話し合いを要望し、2年半という時間がかかりましたが、社内ネットワークに繋がった音声パソコン導入が、実現しました。

現在の業務の具体的な内容は、電話応対を主とした業務をしています。お取次ぎ、クレーム対応、パートタイマー・アルバイトの求人応募受け付け、マイカー通勤の従業員のデータをもらって免許証、車検、自賠責保険、任意保険の更新の案内を通知しています。

店内放送もします。70店舗程のテナントの変動経費の請求書・明細書の作成では、パソコンで出来るファイル管理部分を担当しています。

Excelを使った帳票作成では、同僚の手が空いたときに、ビジュアル的な仕上がり具合の確認や誤字などを指摘してもらいます。業務課内の管理簿としてデータ送信記録、備品管理表、差し出し物の回収リストなどを作っています。

保健師からの面談のスケジュールを組みます。クレジットカード入会キャンペーンの実施機関が終わると、成績表の作成をします。従業員の平均年齢を、部署別、部門別、雇用別で作成しました。定年者のリスト作成もしました。

事務所内の掃除、ゴミ捨ては、毎日自主的に行っています。常に社内ホームページをPCーTalkerで閲覧して、情報を得るように心がけています。

朝礼には、必ず出席して、店が配ったチラシなどの情報を得るようにしています。また自分の得た情報は、同僚にも伝えるようにしています。回覧は全部、スキャナーで読み取ってテキストファイルにして保存しています。

電話連絡をする時など、該当者を知らせてもらって、チェックリストを作成して依頼した人に、きちんと事後報告をするように努めています。印刷用紙を運んだり、力仕事は率先して動きます。

2008年8月21日付で、従業員の教育をするレベルアップトレーナーを任命されました。見えなくなって初めて辞令をもらい、さらに、初めて手当てのつく業務に付くことが出来ました。

月に1回の全店朝礼当番では10年間の販売職経験を活かし、挨拶を中心とした販売の基本的なトレーニングをします。必要な資料は、点訳をして活用をしています。

12月、1月の業務を振り返って、近況報告をします。1月から電気料金の単価変更があるとの案内をチェックしていましたが、近づいてきても何も指示、命令がなく、自分で通達を確認したところ、19円を20.19円に変更、小数点以下は切り捨てて請求となっていました。通達をチェックしていたのも、フォーマットの訂正が出来たのも、私ひとりでした。仕事の質の向上の手ごたえを感じた出来事に、心の中でこっそりガッツポーズでした。

お問い合わせなどに対して電話応対をしながらパソコンにメモを取っています。誰それなく傍にいて気がついた同僚がマウスでしか操作できない記録紙を出してくれるなど、私の出来ない部分をサポートしてくれます。

長期休暇に入る社員の書類を、用意しました。休業補償や、所得証明、源泉徴収票の再発行も受け付けました。退職者に雇用保険の書類と、社会保険の切り替えの手順を説明しました。

新しく入るアルバイトの受け入れをしました。面接前の応募用紙の記入、計算問題、第2次性格検査の応対をしました。包丁で指を切った方の労災の対応をしました。扶養控除申告書を提出する方に、口頭で書き漏れがないかを確認します。人事部からの指示で年末調整の最終確認の依頼があり、チェックリストを作り対応をしました。

社内報を配布しました。12月の給料明細書に源泉徴収票をホチキスで止めました。年末年始、時間変更がありそうな部署に確認をしたり、問い合わせの多かったお正月のアンパンマンショウの詳細な案内が出来るように、該当部署に連絡文を配布しました。

2階の事務所から1階の食品事務所へ行き、プリンターの不具合、パソコンの修復を対応しました。新型インフルエンザ対策のマスク投入の通達を把握して、担当者に連絡をしました。

事務所に入ってきた方が「あれ他に誰もいないかな」と言われ、以前だったら過敏に反応をしていちいち傷ついていましたが、「私しかいませんが、どうされましたか?」と言えるようになりました。出来るのか、出来ないのかをはっきりさせることがポイントだと思います。

証明書の写真の向きを通りかかった人に見てもらって確認したり、掲示しようとしている書類が曲がっていないかなど、取り立ててお願いをするのではなく、さらりと助けてもらっています。

ロッカーやお手洗いに入るときに、必ず失礼しますと言っています。先日、お手洗いに入ると、真中が使用中ですよ、と声をかけて頂けました。背中のかゆいところに手が届いたような、何とも言えないうれしい気持ちでした。

見えないという壁が自分自身で打破出来るものだと思えるようにもなりました。乗り越えるということは、自分自身を受け入れるということ、それは周囲に受け入れてもらえるということ。決して今でも、見えなくなったことが良かったとは思いません。

正直なところ、見えてさえいればと思うことも、ゼロではありません。努力と工夫、懸命で謙虚な志が、ハンディを補い、知識と経験、私らしく毎日を大切に生きている姿が、人として対等な関係を築き上げていきます。見えにくい生活が長かったため、日常的な対応と、工夫は自然に身に付いていました。

それでも、見えない生活の質の向上には、視覚障害者としてスキルアップは必須です。私が受講した具体的な訓練を紹介します。

子供が小さく、家庭を離れることは、不可能でした。職場においても長期休暇イコール退職という雰囲気で、とても休みを欲しいと言い出せる状況ではなかったので、休日を利用して、無我夢中でがむしゃらに踏ん張りました。

社会福祉法人 聖霊会聖霊病院にて、訪問指導で4ヶ月間歩行訓練を受けました。社会福祉法人 名古屋ライトハウス 名古屋盲人情報文化センターにおいて、2年間、点字教室で点字を学び、音声パソコンの訓練も受けました。

「雇用管理サポート」制度を使って職業カウンセラーと名古屋盲人情報文化センターのパソコン指導員と歩行訓練士にPC-TalkerXPを導入する際の調査、助言をして頂きました。

業務で利用している視覚障害者用の機器とソフトは、株式会社高知システム開発のPC-TalkerXP、株式会社アイフレンズの活字文書朗読システム「よみとも」、株式会社キングジムのラベルライター「テプラ」PRO、スキャナー、点字版、便利な穴あけパンチも愛用しています。

堂々と社会参加をしていれば、目を貸して欲しいときに目を借りられる、そんな環境になっていくのだと思います。

私生活では、長男が中学2年生、次男が小学6年生になりました。思いやりがある、たくましく、優しい男の子に育ってくれました。初めてタートルに参加したときは、小学4年生と2年生でした。今日は視覚障害者の母親が、特別な存在ではなく、たくさんの仲間がいることを体で感じ、成長の肥やしにして欲しいとの、親心を受け入れて、私のために時間を作ってくれました。 可愛がって頂いた皆様に、思春期真最中の息子達が再会して、幼少時代とは違う何かを感じるはずです。

長男が2才のときの出来事です。台所で壁から落ちたカレンダーの画鋲を探そうと手を伸ばすと、そっと私の手を取り、ここと教えてくれました。言葉もままならぬ小さな息子が、母親の見え方を理解しているのだと初めて知り、涙があふれ抱き締めました。

玄関の前に、遊びに来た友達が自転車を置き、それに気がつかず転んだことがありました。次男を怒鳴りつけると、友達が置いたんだ、僕じゃあないと言い返され、それはそうだけどと、言葉をつまらせていた私に、ご免なさいと言ってくれた次男の気持ちを思うと、いとおしくてたまりませんでした。

家庭生活の中でも、見えなくなっているとゾッとしたことが、何度もあります。子育てがひと段落したある日、ピアノを弾こうと楽譜を開いたら、白い紙の上に黒い模様がふにゃふにゃ動いています。何度目をこすっても音符が見えなかった。息子に黄色のセーターを買ったつもりが、ピンクなんて女の子みたいで嫌だと言われた。

あるお正月、主人の実家で出されたお節料理の黒豆を、お箸で食べられなかった。学校からのプリント、回覧板、ダイレクトメール、広告も見えなくなった。お湯のスイッチの点灯、炊飯器のタイマー、洗濯機もオーブンレンジの表示も見えなくなった。テレビの画面が写っていないことに気が付かなかった。

焼き肉や鍋物に手が出せなくなった。手元のお茶やご飯を手探りで探している自分に気がつきハッとした。フライパンにたらした油が分からなかった。冷蔵庫に冷やしてあるチューハイの種類が、分からなくなった。歯ブラシに歯磨き粉が乗せられなくなった。

ケガをした息子の傷口が見えなかった。顔も見えなくなった。見えなくなっていることを、家族が知ったら、きっと傷つくだろうと思い、必死に見えている振りをしていたよと、主人に話をしたことがありました。フーン全然隠せてなかったよと笑う主人に、アレそうだったと笑うしかない私でした。

家族の理解と、協力のもと、一社会人としていられること、守るべき家庭があること、温かく平凡な暮らしを心から幸せに思います。人は、1人ひとり感じ方や考え方、価値観も人生観も、家庭環境も社会環境も違います。ハンディがあろうと、無かろうとそれぞれの人生を、自分らしく生きることが大切です。

人は、1人で生きているわけではありません。お互いを思いやる気持ちが、温かく豊かな人生にしてくれます。ありがとうの感謝の気持ちが、幸せを運んでくれます。すべての出会いに意味があり、素晴らしい人生に導いてくれます。1つひとつの出会いのドラマが私の生きた証、見えないからこそ見つけられた、かけがえのない宝物です。

4年2ヶ月を経て自問自答を繰り返した、「あきらめずに頑張る」という意味、この先の自分がどうありたいかを描きながら、今の自分に真正面から向き合うことかも、という答えに落ち着きます。

「出会い、連携と協力の輪を皆で広げていこう」このタートルのテーマが、まさに私の生き返りのテーマ、喜怒哀楽あふれる力強い歩みのメッセージです。同情や哀れみなどこれっぽっちも要らない。私ひとりの力は微力ですが、語り継ぐことで足跡を残して行きたい。発信者となり中途失明というこの世界を、もっともっと知ってもらいたい。当たり前に働ける社会へと風向きを変えていきたい。

どこかであのときの私と同じ思いをしている方の踏み台となり、次へ繋げていけたらとの思いが、今の私が、ぼんやり思い描いている目標です。ありがとうございました。

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講演5

「当事者による具体的事例報告2」

名古屋市立大学病院管理部事務課 田橋 省司氏

1.はじめに

こんにちは。只今ご紹介いただきました名古屋市立大学病院管理部事務課に勤務している田橋です。タートルの会には平成18年6月に入会させていただいております。

2.経歴と失明までの過程

私は昭和32年生まれ、今年52歳になります。昭和54年に理学療法士の免許を取得し、東京の某大学に就職したのですが即刻首となり、昭和55年、現在勤務している名古屋市立大学病院に理学療法士として採用していただきました。勉強が嫌いなものですから研究というものが性にあわず、2年もしないうちに市民病院に転勤となりました。城北病院で12年、その間に係長に昇任し、平成6年には東市民病院に転勤となりました。

平成9年ごろは、総合リハビリテーション施設認定を受けるために多忙な時期でしたが、その頃からパソコン画面や一般的印刷物の文字が裸眼で読めなくなってきました。

平成11年ごろになると、暗い夜道で障害物に時々衝突したり、患者さんの病室を探すにも病室入り口の名札が見にくくなり、カルテの文字もきたなくなりました。時々目の中が急に真っ暗になったり、まぶしかったり、テーブルの上のコップを取る時など遠近感がなくなり、自分でも視覚に対する不安が出てきた記憶があります。

平成12年3月に眼科を思い切って受診すると、「網膜色素変性症」という診断でした。先生は、「60歳ぐらいまで見えている人はいっぱいいるよ。」と言われました。しかし、私は、「もう失明するんだ!」、「この進み具合からするともう残された時間はないのでは?」と思いました。

平成13年ごろからは妻に職場の送迎を頼み、その頃から拡大読書器をカルテの読み書きなどに使用し始めました。

平成14年の春にはパソコン画面のコントラストを強めて、拡大文字にしても、文書作成に膨大な作業時間を要するようになり、ひどい頭痛や頸の痛みを覚えるようになりました。どうしてもパソコンでの文字入力が思うように進まないので、PCトーカーを使い始めました。しかし、今まで視覚でキータイピングをしていたので、文書を書いたら間違いだらけで作業能率の改善に繋がらなかった記憶があります。

この頃には医療裁判の報道が頻繁にされるようになり、毎日出勤する時に、何も事件を引き起こさないように願うばかりでした。そして、平成15年春、看護師長から目の前に差し出された書類を見つけられず、休職の決意をしました。この時の私の心理状態は、何よりも医療事故を起こさなかったことに安堵していました。

私は慰安のリハビリが性に合いませんでしたし、盲学校に入学してあんま・鍼灸などしたくもありませんでした。蓄えは少ないので妻に働いて子供を養育してもらおう。54・55歳ならこのまま退職して、老後をしてもいいのだが・・・。65歳までは20年以上あり、あまりにも長すぎるよなあ!神様ってなんてよりによってこんな時期にこんな意地悪をするんだろう?そんな心理状態でした。ですから白杖も持ちませんでしたし、点字やパソコン訓練を休日に受けようなんていう気持ちは全くありませんでした。

恥ずかしいお話なのですが、私自身リハビリの専門家でありながら、インペアメントに着目していました。脳卒中の患者さんには「麻痺はどうでもいい。何が出来るかが大切だ!」と生意気に言い続けていた私でしたが、失明の恐怖に押しつぶされていました。

3.休職期間中のリハビリ

平成15年8月から名古屋市総合リハビリセンター視覚指導科で、歩行、点字、スクリーンリーダーのPCトーカーによるパソコン訓練を受けました。

平成16年4月にリハビリセンターを卒業し、その後は名古屋盲人情報文化センターで点字訓練と料理教室に参加して、一応リハビリを継続している形でした。そのころには頭の中にできたイメージマップで特定の目的地に行けるようになりました。点字も1ページ4分30秒ぐらいで読めるようになり、パソコンでスクリーンリーダーのPCトーカーを使って新聞社のホームページを閲覧できるようになったのですが、点字やパソコンが上達したって何の役に立つのだろう?そんな疑問が私の心を支配し、目標のないリハビリに対する意欲は高まりませんでした。この頃に、料理教室を担当していた名古屋盲人情報文化センター職員であるAさんから復職するように何度も背中を押されました。しかし、休職に入った時の問題は何一つ解決されておらず、復職したいという気持ちは高まりませんでした。 平成16年年末に、スクリーンリーダーのJAWSを知りました。これならワードなど一般的に使用されているアプリケーションをある程度使用することが出来ると思えました。

平成17年2月には超音波歩行補助具を知人に紹介してもらいました。これを使用すれば、患者さんを転倒させるほどの衝突は避けれるのではないだろうか?また、関東地方では全盲の理学療法士が老人保健施設など慢性期の施設で働いていることを知りました。この時、私の身分は健康福祉局に移っており、「健康福祉局には老人福祉施設や障害者支援施設があり、これらのものを駆使すれば私でも復職できるのではないだろうか?」と思えるようになりました。

そして、平成17年6月初めに名古屋市健康福祉局に復職願いを提出しました。

平成18年2月下旬から健康福祉局による職探しが始まったのですが、前代未聞の全盲の復職願いが提出されて、担当係長はじめ関係者の方々はたいへんだったと思います。

4.復職に当たって

実際に復職面談が始まって、元上司からも様々なご助言をいただき、復職後職場でどのように生きようか考えるようになりました。そして、次のような誓いを立てました。

第一に、何よりも職をいただいているという「感謝の気持ち」をいつも忘れないことです。

二番目としては、与えていただいた仕事に不満を持たないことです。

三番目は、職場の他の人を批判しないことです。何かあったら誰かにヘルプしていただかなければなりません。敵を作るのは厳禁です。

四番目は、インフォーマルグループに参加しないことです。

五番目に、当然ですが勤務時間内はサボらないことです。

六番目ですが、「昔とった杵柄」は忘却してしまうことです。

このような気持ちで平成18年4月から勤務を継続しています。

5.復職後の仕事内容

配属時、私に与えていただいた仕事は、一つ目として、ICレコーダーで録音された会議を正確に文字化することです。復職当時の仕事能率は、7時間半で4千字強しか文字化できませんでした。ですから会議が2時間近くなると、7日かかっても文字化を終えることができませんでした。普通の会議であれば、30分で約1万1千字です。現在6時間で1万2千字ぐらい文字化できるようになりました。私みたいな人間でも毎日が力だと驚きました。

二番目は、医療福祉に関する新聞記事のスクラップです。朝日新聞、読売新聞、日経、中日、キャリアブレインという5つのホームページからコピーをして、項目別のフォルダに振り分けています。スクリーンリーダーがJAWSなので本文までの到達も早いですし、1時間強あれば5紙を見終えます。

あとはデューティーではないのですが、各種委員会のメモを作成したり、各種会議で出てきた先進的な治療法などを調べたり、院内研修会を録音して文字化したり、医療略語、病院用語、医療用語などをインターネットから検索して、エクセルでまとめています。

6.失明から復職までで学んだこと

第一番目として、視覚に異常を感じたらすぐに眼科を受診し、正確な、そして少し厳しいぐらいのインフォームド・コンセントを受けることです。

私のように変に過剰な期待を持たせるような医師の言葉は、かえって人生をだめにすると思います。平成10年ごろまでは癌を告知すると自殺者があふれると、例えば胃癌を胃潰瘍だと偽りの飛騨牛、偽名の説明をしていました。しかし、患者さんは、治療方法や症状から本を調べたりして、自分が癌だということを察知していました。

名古屋市立大学病院も地域癌診療拠点病院ですが、1年生存率から5年生存率まで科学的根拠に基づいて説明しておりますが、特に自殺者が増えたという話は聞いておりません。残された人生をどう生きるか、癌を告知された患者さんが子どもたちに命の教育をしているという報道を見ることがしばしばあります。誰しもがいつまでも視覚が残っていてほしいと思いますが、失明することは死ぬことではありませんし、的確なインフォームド・コンセントがその人の人生に悪影響を及ぼすとは思えません。かえって、うそと偽りの世界のほうが問題です。

次に、今後の人生設計・目標を立てることです。視力低下が進んでも会社勤務を継続するのか、それとも思い切って盲学校の門を叩いてあんま・鍼灸の道に入るのかが選択肢になると思います。現在の会社での就労継続の努力もせずに、一足飛びに他の会社への就職は考えない方が良いと思います。他人の畑はよく見えますが、今まで貢献してきた会社が一番です。

三番目として、視覚障害を補うための機器や福祉等々の情報を収集することです。

四番目として、視覚障害者の就労に専門的な知識を持っている方を見つけ、視覚障害者同士情報交換をすることです。

五番目として、目標が明確になれば視覚障害のリハビリテーションにも積極的に取り組めるでしょう。特に、パソコンと歩行能力は重要です。会社に安全に出勤できなければ就労を継続していただくのは難しいと思います。単純作業ですが、ゼロポジションからのブラインドキータイピングは熟練すべきです。六番目として、ご家族の援助の仕方です。昔東大教授の上田敏先生が「そばにいて、目を離さず、手を出さず」と述べていましたが、過剰な援助は自立を阻害する可能性もあるように思います。

次に、視覚障害が進行して仕事に配慮が必要といつ上司に伝えるかです。 私は、正式には休職に入る3週間前に伝えました。たぶん上司も私の視覚障害が進んでいるのは十分に気づいていたでしょう。

問題なのは、休職を取得することが良いかどうかです。私の経験では発症早期からリハビリを一生懸命して、適切な配置換えなどしていただいて、休職期間を取得しない方が望ましいように思います。復職にはものすごいエネルギーが必要です。

7.まとめ

視覚障害者は全国で約33万人いると言われています。しかし、先天性全盲は減少し、中途失明、糖尿病と網膜色素変性症によるものが大半を占めるようになってきています。今後は、必ず中途失明を含め障害者は職場に一定の確率で出現するでしょう。

次に、視覚障害者の就労の方法についてですが、特殊な技能を持つ方は除いて、パソコンを中心としたIT技術に支えられて就労を継続していくのが今後一般的な形態のように思います。視覚障害だからセキュリティーが守れないとは言われないようにしたいものです。また、スクリーンリーダーが社内のコンピュータシステムに悪影響を及ぼす例もあるようですが、より良いスクリーンリーダーを開発していただき、企業経営者にはスクリーンリーダーに対する理解を深めていただくような働きかけが必要でしょう。

少なくとも今日東京からお越しいただいた下堂薗理事長や工藤理事が就労継続を決意された時代よりも視覚障害者の一般社会への参加の門は開いていると思いますし、私が復職させていただいた3年前よりも改善してきているように思えますが、一般社会で定着するまでにはまだまだ時間を要することでしょう。仕事を継続するには様々な悩みがあるとは思います。何か困ったら気軽に援助を依頼できるような職場風土があれば仕事もやりやすいと思います。ノーマライゼーションだとか理論上いろいろきれいごとを言いますが、実際に視覚障害がその職場に存在して、はじめて視覚障害に対する理解が進みますし、職域も拡大します。日本は資本主義国家ですのである程度の格差はやむを得ないでしょうが、中国、ロシア、アメリカのようにあまりにも大きな格差社会にならないことを祈念し、仕事をできることに感謝しつつ、視覚障害者が一般会社で就労できる社会、一生懸命働く全ての方々が安心して生活できる社会であり続けることを願っている次第です。

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【10月 交流会記録】

「病院関係者によるロービジョンケアから復職、就労継続への道のり」

国立障害者リハビリテーションセンター病院 視能訓練士長 三輪 まり枝氏

国立障害者リハビリテーションセンター病院で視能訓練士をしております三輪と申します。スライドに病院の写真を表示しておりますが、私の勤めている病院の紹介をさせていただきます。以前、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院という長い名称だったのですが、現在は「身体」の文字がなくなり、10月1日から「国立障害者リハビリテーションセンター病院(以下、国リハ病院)」と名称変更になりました。これは、身体の障害をお持ちの方に限らず、高次脳機能障害や発達障害の方も含めて、すべての障害の方に対するサポートを行うという趣旨からです。国リハ病院は埼玉県の所沢市にございます。左のスライドには、所沢にホームグラウンドを持つ西武ライオンズの写真や、日本の航空発祥の地“所沢”に創設された所沢航空発祥記念館がある航空公園の様子を映し出しております。このように環境が良いところに私共の施設はございますので、皆様もよろしかったら、一度お遊びにいらしてください。

さて、その病院で私が勤めております部署は、第三機能回復訓練部、通称ロービジョンクリニックと申します。1983年(昭和58年)の10月に開設され、約25年になります。私共が、この25年間にお会いした患者さんの数は、3000人近くなると思われます。

ロービジョンクリニックのスタッフは、眼科医師、視能訓練士、生活訓練専門職、ソーシャルワーカーという四つの職種でチームを組んでおります。もちろん、必要に応じて他の専門職、例えば理学療法士や、作業療法士、言語聴覚士等とも連携を取って対応をしております。この2月(編集部加筆、2008年2月)には、以前、神奈川リハビリテーション病院にお勤めであった仲泊聡先生が第三機能回復訓練部の新部長として赴任され、新たなロービジョンクリニックをスタートさせたばかりです。

ロービジョンクリニックの理念をお伝えいたします。「患者様が受診したことに喜びを感じられる医療を行う。チーム医療を行う。患者様に対しての正確な情報を伝え、サポートを行う。他機関との連携を行う。ロービジョンに関するEBM(Evidence-Based Medicine)を実践する。ロービジョンに関する啓蒙を図る。」という6項目です。

私は、今日、皆様に「見えにくくてもあきらめないで欲しい」というテーマでお話をさせていただきたいと思って参りました。その前に視能訓練士について説明をさせていただきたいと思います。

視能訓練士は、昭和46年に制定された視能訓練士法という法律に基づく国家資格を持った医療技術者です。眼科では、医師の指示のもとに視機能検査を行うとともに、斜視や弱視の訓練・治療にも携わっています。またそれ以外に、視覚障害の方の視機能に合った視覚補助具、いわゆる拡大鏡やルーペなどの選定などに携わっています。その視能訓練士の業務の中で重要なことは「患者さんの視機能に合った補助具を選定している」ということです。

では、実際にロービジョンクリニックでは、どのようなサービスを行っているか、その内容の説明させていただきます。先ほども申し上げましたスタッフで、各専門家が個々の視覚障害の方のニーズ、例えば「こうしたい」、「ああして欲しい」、「こうしたいのだが、どうしたらいいのだろう」というご要望(ニーズ)に対応したロービジョンケアを実施しています。眼科医師は、治療を優先しています。治るものであれば治す。残念なことに治療が困難な場合には、その診療と病気に関する相談などを行っております。視能訓練士は、視力や視野測定などの視機能検査や、視覚補助具である拡大鏡などの選定、それらを使用した訓練を行っております。生活訓練専門職は、歩行指導や安全な日常動作へのアドバイス、音声パソコンや点字などの訓練などを行っております。ソーシャルワーカーは社会制度や職業訓練、または障害年金、各種相談などに対応しております。これらの眼科医、視能訓練士、生活訓練専門職、ソーシャルワーカーという四つの職種が、それぞれ患者様達の状況を評価して、1週間に1回、総合評価会議を開いております。そこで、各専門職が評価した結果を持ち寄って、「この患者さんにはこのような訓練が必要ではないか」とか、「この補助具を貸し出したが、こういう補助具を合わせてみたらどうか?」等、他の視点でフィードバックをかけ合いながら、今後のサポートの方針を決めます。会議で決めた方針に基づいて皆様が社会復帰できるようなお手伝いをしております。

視能訓練士は、屈折異常、たとえば近視や遠視や乱視の程度はどうか、視力や視野はどの程度かという正確な視機能検査をするという、大事なところで本領を発揮しております。その患者さんは度数の合った眼鏡をかけていらっしゃるか、その眼鏡をチェックするということもすごく大切なことです。その他にも、眼の位置が内側に寄ってしまう内斜視や、反対に眼球が外側に向いてしまう外斜視といった斜視の程度の検査や、眼球の動きに異常がある場合に眼球運動障害の程度を測定すると共に、両眼を用いて立体的に見る機能を測定する両眼視機能検査などを業務としております。

これは視能訓練士からのアドバイスですが、「見えにくい」と思われた場合、眼鏡のレンズが汚れているだけ、ということもありますので、ぜひメガネのチェックをしてみて下さい。メガネに付着した油汚れは、食器を洗う中性洗剤を使って指でよく汚れを落とし、水で洗剤分を洗い流した後、柔らかいティシュペーパーで水滴を取り除き、メガネ拭きで拭きますと、すっきりきれいに汚れを落とすことができます。メガネの汚れが原因であった「霞がかった見えにくさ」を解消することが可能です。

さて、患者さんがよく「新聞を読みたい」とおっしゃいますが、新聞を読む時に必要とされる視力は、0.5以上と言われています。私共は他の医療関係者に「患者さんの視力がもし0.5以下の場合には、日常生活に何らかの不自由を感じているのではないか、と考えて対応するように」と伝えています。

小さな文字が読みにくい場合の対処方法です。網膜に大きな像を映し出すことで改善する場合があります。網膜の像を大きくする方法には、文字自体を大きくする方法、眼を対象物に近づける、もしくは拡大鏡を使用する方法、単眼鏡等を使用する方法、拡大読書器等を使用するという4つの方法があります。

もし、物を見た時にその物が歪んで見える場合、視線を多少動かして見えやすくなるかどうか試してみてください。もしくは文字を少し大きくすることで、多少見えにくさが改善します。というのは、黄斑変性や視神経萎縮といったご病気では、物を見ようと思う視線の中心に「中心暗点」という見えにくい箇所が出現する場合が多いため、その中心暗点部分で物をとらえると大変見えにくいので、眼を動かして見やすいところを探す必要があります。「目を動かして見やすいところでものを捉える」という偏心視が獲得できれば、随分見やすくなります。今、このスライドで提示しているのが「時計のチャート」です。時計の中心に黒丸が書かれているのですが、視線の中心では黒丸が見えない時に、眼を動かしてみると見やすくなる場合があります。文字を読んだり書いたりという日常生活をする時に、何時の方向に眼を動かせば見やすくなるか、という確認をすることができます。また、文字を大きくすることで見えにくい暗点の影響を少なくして、認識しやすくなることもありますので、対象となる文字を拡大コピーする、拡大本を使用するという手段を使ってみます。多少の拡大では、まだ見えにくさが残るという場合には、拡大鏡を合わせていきます。

見えにくさを補う補助具の中には、レンズ系を用いている光学的補助具と、レンズ系を用いていない非光学的補助具があります。光学的補助具には、眼鏡式や、手で持つタイプなど、その種類は様々です。非光学的補助具には、いわゆる拡大コピーや、行を見失わずに読めるように文字にあてがって使用するタイポスコープや、音声時計などが含まれます。

さて、レンズ系を使った補助具についてもう少し詳しくご説明します。眼鏡式や手で持つタイプの手持ち式、置いてピントが合う卓上式、眩しさをとるための遮光レンズ、遠くを見るために使う望遠鏡の一種の単眼鏡等々、色々な種類の補助具があります。

補助具の選定では、眼鏡式を第一選択としています。ハイパワープラスレンズという老眼鏡の度数を強くした眼鏡式は、外見的には普通のメガネと変わらないので見かけを気になさる方には良いのですが、ピントが合わせにくいこと、目と本との距離が近づいてしまう不都合もあります。手持ち式は、最近では百円均一コーナーでも販売されております。照明があるもの、ないものなど種類は様々です。ただ、ご高齢で手が震えるような方は不向きです。最近の拡大鏡では、LED(発光ダイオード)の光源を使ったルーペも販売されており、人によっては大変明るく見やすいと好評です。

拡大鏡の使い方のコツですが、眼と拡大鏡との距離を離して使っている方がいらっしゃいますが、それでは見える範囲が大変狭くなってしまいます。可能であれば目と拡大鏡を近づけて、レンズの焦点に見たい新聞などを持ってくると、見える範囲が広くなりますのでお試しになってみてください。エッシェンバッハ社の拡大鏡の下の方についている「4×/16D/100」という表示があります。これは「4×」というのが倍率4倍を表しています。「16D」というのは、レンズの単位で16ディオプター(Diopter)というレンズを使っているという意味です。最後の「100」というのは、眼とレンズとの距離を100ミリにして見た時に、このルーペは4倍の網膜像の拡大率が得られるという意味です。

手持ち式の使い方のコツは、拡大鏡を手に持って、持った手の指先を紙面に添えていただくと、卓上式のようにピントが固定されて、安定して見ることができます。

次は、ポンと置いてピントが合う卓上式ですが、覗いた時に文字がどういうわけかぼやけて見えてしまうということがあります。それは、近視や遠視や乱視がうまく矯正されていない場合に起こります。そのような場合、眼科に行って眼鏡のチェックをされるといいと思います。もしくは手持ち式のタイプを使用なさることをお勧めします。次はスタンプルーペですが、このタイプは、例えば網膜色素変性で、視野は狭いが視力は良好な場合、結構便利に使われる方が多いようです。高度近視の方でもピントが合いやすい拡大鏡ですので、約2倍の倍率で十分という場合には、お試しになってみてください。

もし、「眩しい」とか、「視界がかすんで見える」という状態がある場合には、遮光眼鏡が効果を発揮します。書類やパソコンのモニターが反射して見えにくいとか、眩しさが原因で眼が痛くなる、涙が出たりする場合にも有効です。また、明るいところから駅の構内に入って急に暗くなって困る方もいらっしゃると思います。明るいところから暗いところに移動した際に、暗いところで目が慣れて来る状態を「暗順応」と言いますが、その暗順応に時間がかかる病気の方もいらっしゃいます。その場合、遮光眼鏡を常時装用していると、装用時にすでに暗順応をしていることになるため、暗い駅の構内に入った時に遮光レンズをはずすと、暗いところに眼を慣らさせた時と同じような見え方が得られます。もし暗いところが苦手だなと思ったら、遮光眼鏡も普段から試してみてください。

眩しさの原因は何かということですが、電磁波の中で、人間の眼に見える光線は可視光線と言われています。虹を思い浮かべていただければわかりやすいと思います。紫・藍・青・緑・黄・橙・赤という7色のうち、紫や青い光というのは、短波長側の光です。この紫や青色系統の光が大気中のチリやゴミに乱反射(レイリー散乱)するため、空が青く見えるといわれています。反対に長波長側の赤い色は、大気中のチリやゴミをうまく避けて通過します。朝日や夕焼けのように、太陽の位置が低く、大気圏を通過する時間が長い場合に、青い系統の光は散乱してしまい、人間の眼に最終的に到達する光は赤い成分が多いため、朝日や夕焼けやが赤く見えるという原理になっています。この散乱しやすい短波長側の光を遮光レンズで有効にカットすると、眩しさが減ると言われています。その他にも上からの日差しを遮断するサンバイザーや帽子、横からの日射しを防ぐサイドシールドというものも売られています。そのようなものをお試しいただくと、だいぶ眩しさも防げると思います。

遮光レンズを合わせる時の注意点ですが、オレンジ系の遮光レンズを試していらっしゃる方たちは信号機の色の区別がつきにくいこと、新鮮なお肉やお野菜の色見の判断がしにくいこともあるので、選定する時には、そのようなことも注意してご紹介をしています。

次に、就労支援の実際ということで、具体的にどのような方たちの対応をしているかというご紹介をさせていただきます。

私は、患者さんにお会いして最初に伺うことは、「今一番困っていらっしゃることは何か」ということです。患者さんのニーズを、より具体的に患者さんとご一緒に整理をしながら伺っていきます。例えば、書類の文字の大きさはどの程度であるか、パソコンを日常業務として使われるか、パソコンの文字の拡大は必要か、会議室でホワイトボードを見る必要があるかなど、より具体的に伺っていきます。ニーズを聴きながら、「どのような拡大鏡が良いだろうか」、「遮光レンズが有効か」、もしくは「コンタクトが合うか」など、眼科で対応できることをご一緒に探していきます。

では、最近対応させていただいたお二人の方をご紹介したいと思います。

症例1の患者さんは30歳台の男性で、現在、レンタカー会社の支店の店長さんをしていらっしゃる方です。初診時の診断名は多発性硬化症でした。 初診時の視力は、右眼が0.06、左眼は0.03で矯正不能でした。こちらは視野ですが、物を見るときの視線の中心部分に中心暗点がありました。多発性硬化症というご病気は時間の経過と共に症状が改善したり悪くなったりを繰り返す特徴があるのですが、この方も半年後にいらっしゃった時には、右眼の視力が多少改善して0.1になっていました。また、中心暗点の大きさも以前は約20〜30度あったのが、約10度の大きさに縮小傾向にありました。左眼は残念なことに、大きな中心暗点がある状態のまま、変化はありませんでした。

この方にも最初に時計のチャートを使用して、何時の方向を見ると見やすくなるかという偏心点の確認をいたしました。患者さん自身にも「眼を動かすことで、多少見やすくなる」ということをわかっていただいた後、その方のニーズを聞き取りました。「パソコンの画面が見えないとお客さんの予約が取れないため、接客ができず大変困っている」とおっしゃっていました。また、会社内で回覧されている書類の文字が読めないこと、携帯電話が音声対応器種ではなかったので、携帯電話の画面を見る必要があるというニーズでした。我々は、生活訓練専門職と視能訓練士のスタッフで、実際にその方の職場を訪問させていただき、その方が果たしてどの程度の大きさの文字を読む必要があるか、パソコンの予約画面はどのような設定がされているかという視環境のチェックをしました。予約画面は、大変細かい字で書かれており、緑色のラインは空いている車、紫のラインは貸し出し中の車など、車の貸し出し状況は「色」による区分がされていました。背景色と文字の色のコントラストが悪いものは大変読みにくい状態でした。また、その予約画面を次々と進めていくと、もっと細かい文字の情報を読む必要が出てきました。そのパソコンは全国統一のシステムが組まれているために拡大ソフトが使えない状況でしたので、画面を確認するための拡大鏡を種々合わせました。拡大鏡は、携帯電話の画面や書類を見るためのものも合わせる必要がありました。一つの拡大鏡で全ての文字が読みやすくなれば良いのですが、パソコンの画面、携帯電話の画面、書類を見る際では必要とされる拡大鏡の倍率が違ったため、その用途に合わせて何種類かの拡大鏡の貸し出しを行いました。私どもの施設では、拡大鏡を患者さんたちに2週間から1ヶ月くらいの期間ですが、お貸し出ししております。拡大鏡を選定した際に使用感が良いものを何点か貸し出し、実際に日常生活で使えるかどうか試してみていただいたうえで、良ければ処方しています。この方にも実際に貸し出しを行いました。パソコンの画面を拡大鏡で見る際に、見える範囲がどうしても狭くなってしまうため、拡大鏡より視野が広く見える携帯型の拡大読書器はどうかということで、これも貸し出しを行いました。その結果ですが、視力が多少改善し一時期よりパソコンの画面が多少見やすくなったため、倍率もそれほど高くない2.5倍という手持ち式拡大鏡が処方されました。ただ、接客中に拡大鏡を使って対応していると、片手が塞がってしまうので、眼鏡式の拡大鏡を試したいというご希望で、今はエッシェンバッハ社のノーベスビノ10ディオプターという弱視眼鏡を貸し出ししております。その結果については次回様子を伺う予定です。

次に症例2です。40歳台の男性で現在は無職です。以前は工務店の現場監督さんをなさっていたという方で、診断名は視神経萎縮(レーベル病)です。視力は、右眼0.01、左眼0.02で両眼矯正不能でした。1年前に、このレーベル病の特徴である急激な視力低下があり、見えにくくなったということでした。その方の視野も、やはり左右に30度くらいの大きな暗点があります。物を見ようとする視線の中心部分が見えないため、周辺の視野で物をとらえるように過ごしていらっしゃいました。急激に視力低下が起こったものですから、不安感が大変強くて、今まで現場監督として大工さんたちを統括するようなお仕事をしていたのですが、仕事を継続することができず退職を余儀なくされました。その後、職を失った喪失感から抑うつ状態となっていらっしゃいました。でも、ご本人自身も「ウツウツとしてもいられない、なんとかしなくては」と思うところもあり、私共での2週間の入院訓練を希望されました。

入院中に行った評価・訓練内容をまとめました。視能訓練士が行った主だった評価・訓練は、拡大読書器の使用訓練、眩しさを訴えていたので遮光眼鏡の選定、音声パソコンと拡大読書器を一緒に使用しながら、「書類の読み・書き」を行う訓練等です。

生活訓練専門職は、周辺視野は広いため、歩くのはそれほどお困りではなかったのですが、安全のために白杖の操作訓練と、音声パソコンの訓練などを行いました。

拡大読書器についてですが、この方はすでに拡大読書器をご自宅用に2台、一つは据え置き型の大型のものと、もう一つは携帯型のものを購入なさっていました。ところが、せっかく購入した拡大読書器が全然使えていないということでしたので、その使用訓練を主体に行いました。

このスライドは拡大読書器の訓練風景です。この方は抑うつ状態からくる不安から過食症気味となり、ご本人がおっしゃるには以前より随分体重が増えてしまわれたそうです。そのため、拡大読書器のモニター画面上の文字を見るためには目を画面に近づける必要があったのですが、拡大読書器のX‐Yテーブルを1番手前に引き出した時にテーブルがお腹に当たってしまい、モニターに十分目を近づけることが出来ない状況がおこりました。そこで、使っていないパソコンラックのスライド台をはずし、拡大読書器のモニターの下に置くことでモニターを読書器の台の位置より少し手前に出し、テーブルがお腹に当たらないように工夫することにしました。実際にはナイツ社やその他のメーカーでもモニターを手前に引き出せるタイプも市販されているのですが、この方はすでに、この器種を購入なさっていたため、このような工夫をする必要があったのです。

視野の中心が見えにくいので、眼を動かして物を見る偏心視訓練をしながら、X‐Yテーブルを自由に動かすための操作練習や、書類の決まった箇所に字を書いていくという訓練を行いました。訓練の成果があったかどうかについて、私どもは訓練の前と後で読み速度を測って確認しております。訓練前の読み速度は、明朝体の横書きという条件では、1分間に65文字、訓練後は1分間に87文字というように、わずかですが約20文字ほど速くなられました。これは、おそらく偏心視に慣れてきたこと、XYテーブルでの行替えが習熟してきたことも影響していると思います。

この患者さんは、ご自分が思うように見えないということに、すごくショックを受けられており、抑うつ状態も強い方で、私たち視能訓練士もどのように接したらいいかと苦慮しましたが、入院訓練をしながらコミュニケーションを図っていく中で、現在は電話で時々お話をして冗談が言い合える関係になっています。

私ども以外でもロービジョンケアに対応している病院として、国立病院機構の東京医療センターのロービジョンクリニックや杏林アイセンターのロービジョンルームがあります。杏林には歩行訓練士もいますし、視能訓練士も、必要な評価・訓練等に応じていますので、もし何らかの機会があったら、連絡をとってみてください。

最後に、視能訓練士の立場から皆さんにもう一度お伝えしたいことは、最初にも申しましたが、もし見えにくくなっても、「決して諦めないで!」ということです。急に見えにくくなったことで職場から退職勧告を受け、「どうしたらいいのだろう」と、ご自分ひとりで悩みを抱えられてしまう方も、たくさん拝見してきたのですが、そこでご自分から身を引いてしまったら、とてももったいないことだと私は思います。お仕事を辞めてしまってからリハビリに相談に来られる方も多くて、その方たちの中にも、「この拡大を使えばもう少し見やすくなったのに・・・」とか、「もうちょっと眼鏡を合わせれば・・・」「パソコンの環境設定さえ整えば、もう少しお仕事が継続できたのではないか」と思う方たちも結構いらっしゃいます。お辞めになる決断をなさる前に、私共でもいいですし、先ほど申しました東京医療センターや杏林アイクリニックでも良いですので、何らかの相談を是非していただきたいと思います。視能訓練士は、少しでも見やすい環境を整えるサポートをしておりますので、是非私共をうまく使っていただければうれしいと思います。ご清聴ありがとうございました。

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【臨時総会報告と第2回定期総会】

平成20年12月13日(土)に東京両国のザ・ホテルベルグランデにて臨時総会を開催しました。平成20年3月31日をもって森崎正毅理事が辞任の意思表示をし、第1回定期総会で承認されたものの、定款に規定された理事の定足数に満たなくなるため、登記所の受付段階で、受理されませんでした。

そこで平成20年8月26日(火)に開催した理事会で、監事の大橋由昌氏を理事に推薦し、代わりに和泉森太氏を監事に推挙し、臨時総会を開催して承認されました。そして第1回定期総会で承認されていた近藤豊彦監事を含めて、東京都に役員変更届を提出し、理事の交代については森崎理事の辞任と大橋理事の新任について、東京法務局新宿出張所に届け出て登記を済ませました。

会員の皆様のご協力のおかげで、正会員総数203名に対し、本人出席が34名、委任状出席が118名と出席総数152名となり、総会の成立に十分な数となりました。

臨時総会まで開いて理事の欠員補充をすることはないではないかという指摘もありました。第2回定期総会で理事の定数の変更を行うことで十分処理できることだ、と。しかしながら、東京都から可及的速やかに理事の欠員補充をしなさいとの指導もあって、法人としての責任を全うしたのではないか、また、正会員の皆様もそれを認めていただけたのではないかと執行部は認識しているところです。

第2回定期総会は、平成21年6月13日(土)に開催することを予定しています。場所は未定です。

<定款変更>

・電子的方法・手段の採用が可能になる。

例えば、表決権の行使について、メールでもよいとの条例改正があり、これの定款変更を総会の承認を得ることで、次回からの総会招集もメールで行え、委任状についてもメールで受け付けられるようになること。

・理事の定数の変更

少し余裕をもって定数の幅を持たせること。現在、9名から15名、これを3名から20名に変更する。

・その他

 当然のことながら、事業報告並びに決算報告、事業計画並びに予算等の案の承認、そして新役員の承認等は前段で行われます。
 

(事務局長:篠島 永一)

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【編集後記】

本誌が皆様に届くころには桜前線が北上して全国的に春本番になっていることと思います。毎年、駅に向かう歩道の満開の桜を眺めるだけでも幸せな気分になります。

6月13日(土)に第2回定期総会が予定されています。多くの皆様とお会いできることを楽しみにしています。

(編集担当 杉田 ひとみ)

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