第5回 職場での「白杖デビュー」を考える 講演者  重田 雅敏 氏 (タートル理事) 開催日 2017年10月7日   こんにちは重田です。勉強会で白杖デビューについて話をして欲しいと依頼され、少し悩みました。デビューという言葉が、ちょっと悩ましくて、白杖入門とか白杖の基礎についてと言われたら技術的なことをお話しできますが、白杖デビューと言われるとカミングアウトの話にもなります。いったいこれはどちらなのかなと……。  しかし、実は全く関係ないようで、この2つは関係があるのです。これが片方だけだと、かなりいろいろ問題が起きてしまうのですが、心理的なものを克服するときにも白杖の技術というのが意外と役立つ。もう少し高いレベルを目指すという気構えがあると、白杖にも慣れてどんどん便利になります。心理的な抵抗もだんだん和らいで、白杖を持つことが嫌だったのが、白杖を持って見せびらかそうかな、俺は白杖うまいぞというようなこともあるかと思います。  まずは、白杖の技術的なことをお話します。  今日は実技もあるかと思って、7本ぐらい白杖を持ってきました。直杖は、このまえ自転車に踏まれてグニャグニャに曲がったものが私の足元で寝ています。それからカバンの中に、持つところのゴムが裂けている折りたたみ式のものが1本と、ランニングのときに使う軽いけれども非常に頼りない、左右に振るとぐにゃぐにゃ曲がって引っ掛かったら即、折れるだろうなというものが入っています。材質も鉄製、アルミ製、グラスファイバー製、カーボン製などがあります。休憩の時間にでも見てください。  さて、白杖はいつぐらいからあるものなのでしょうか? 点字の歴史は大体200年あります。点字ができたのは1825年です。  杖を突いて歩くというのは、原始時代からあったそうです。ところが、それが白い杖――英語ではホワイトケーンというのですが――になったのは、第一次世界大戦後に目が悪い人が増えてからでした。当時、イギリスではモータリーゼーションが始まっており、自動車が多くなっていました。そこで安全に歩行するため、杖に白く色をつけてみたら目立っていいのではないかということになったのです。突き方がどうこうという技術ではなく、目立てばいいというシンボル的なものから始まったわけです。  フランスでは、1930年ぐらいに、白い棍棒で悪いことをした人をたたく警官を夫にもつ盲人の奥さんがおり、それを持って歩いたら目立っていいのではないかということで、その奥さんが持ちはじめたという話もあります。この話のすごいところは、その奥さんが私以外の人は持ってはいけないということにした点です。これは大事ですよね。白杖は目の見えない人だけが持つのだ、この白杖を持ったら特別な意味があるということです。  アメリカでは、1930年ぐらいに、イリノイ州のピオリアという町で、ライオンズクラブが白い杖をたくさん作って、これを普及させましょうという運動が始まったらしいです。  白杖が本当に普及したのは、第二次世界大戦の途中、1943年に、リチャード・フーバーという眼科医が、フーバーケーン・テクニックというものを開発してからです。これが白い長めの杖、ロングケーンを左右に振りながら歩くという、今の歩行テクニックの始まりでした。  日本では、1960(昭和35)年に道路交通法で、白杖を持つことが決められてからです。道路交通法は白杖を携帯する義務について定めていますが、目の悪い人だけでなく、耳の悪い人も入るらしいです。白ではなく、目立てば黄色でも赤でもいいらしいです。目や耳が悪い人以外は、白い杖を持ってはいけないことになりました。  さらに、「ドライバーも含めて周囲の人は、白い杖を持っている人がいたら援助しなさい、いろいろ助けてあげなさい」ということが、法律に書かれました。それ以後、フーバーテクニックを使って外を歩く人が、だんだん増えてきたのだと思います。  日本で白杖の使い方の指導が始まったのは、東京のリハビリテーション協会で教えたことが最初らしいですが、本格的に指導が始まったのは1970年、日本ライトハウスがアメリカから講師を呼んで技術講座、「白杖訓練講座」を実施してからです。  白杖はどんなものかというと、構造的には3タイプあります。  一番使いやすいのが、一本棒の「直杖」です。伝導率というのですが、白杖を持って床面を触ったとき、路面の状況が一番よく手に伝わってきます。  次が浜松の斯波千秋さんが特許を取った、「折りたたみ式白杖」で、皆さんもよく使っています。場所にもよりますが、飲みに行くときは折りたたみを使って、座ったら折りたたんでカバンに入れておくとか、椅子にかけておく。折りたたみは継ぎ目のあたりにゆるみが生じますので、伝導率は多少落ちます。でも私は鈍いので、ほとんど感じないです。  三つ目は「スライド型」というのですが、これは釣竿のようなタイプです。ラジオのアンテナを想像するとわかりやすいかもしれません。  白杖は3つの部分からなっています。まず持つ所ですが、日本語では「握り」、英語では「グリップ」。棒の部分は日本語では「棒」で、英語で「はシャフト」です。先の部分日本語では「石突き」で、英語では「チップ」といいます。  白杖はこの3つの部分の重さのバランスが大事で、上から3分の1ぐらいの所に重心がある杖が使いやすいという話を聞いたことがあります。  それから、白杖の長さは、みぞおちの辺りか脇の下に挟まるぐらいがよいとされています。ですが、これも人によって違うと思います。  では、ここで会場のみなさんに質問です。歩くのが速い人は長い杖と短い杖、どちらがいいでしょうか。(歩く速度が速い人は長い方がいい、拍手半分以上、短いほうがいい、拍手少ない)。  白杖の杖先が我々の神経の代理をしておりますので、遠くまで早めに触れたほうが速く歩けるということで、長い方がいい。でも安全性で考えると、速く歩く人は危ないから短い白杖を持たしたほうがいい、というように、見方はいろいろあると思います。  白杖の役割は、3つあります。1つ目はシンボル的な役割です。白杖は軽度の弱視の方から持ちはじめると思うのですが、これは「私は視覚に障害がありますよ」とまわりにメッセージを送るものです。  2つ目は安全の確保です。白杖を振りながら早めに危険物を察知するということです。  最後の3つ目が一番難しい探索といわれるものです。これから歩いて行く道で、特にランドマーク(道しるべ)と手がかりを白杖の先で見つけ出すことを指します。また、今ある物を触りながら、そこから落ちることなく、大事な情報から外れないようにしていく探査の役割もあります。  この3つのうち、シンボルは白杖を持っているだけでよいので簡単ですが、危険の察知と探索は熟練を要します。それによって歩くスピードも速くなったり遅くなったりします。  それから、白杖を持って歩くときの心構えというかスタイルですが、リズミカルにテンポよく、姿勢よく軽快にということが大切です。おっかなビックリとすり足で使うのではなくて、颯爽と歩いてください。姿勢は特に大事です。姿勢がなぜ大事かというと、方向に関係してくるからです。まっすぐ歩くためには、顔をしっかり前に向けて顎を引いて頭を動かさないように歩くのが大事です。そうすると、何か怖い顔はあまり格好よくなくて、にこやかに颯爽と余裕をみせながら歩いて電柱にしっかりぶつかる(笑)。そういう事が大事かもしれません。    最後にテクニック的なことをお話します。  白杖の振り方には3つあります。一番初歩的なのは振らない歩き方で、最近は特に子どもとか初めて白杖を持つ人に教えるやり方です。これを「対角線技術」といいます。白杖を鉛筆持ちでもギュッと握ってもいいのですが、真っすぐ身体の前に置きます。これで手を少し前に出して歩いて行くと、白杖が障害物に当たるときもあるけれども、当たらずに電柱にぶつかってしまうこともあります。  そこで、白杖の石突きというチップのほうを左肩の下に、持っている手は右肩の下におく。要するに白杖を斜めにするということです。斜めに持って、手を少したるませた感じで歩いていくと、どんな障害があっても、向こうから人が歩いてきても、フワッと当たります。自分の体と白杖の先端の間は50cmくらい、それでは怖いと思うときは1mぐらい空けてもいいと思います。それぐらいの幅があれば、かなりの物を防御できます。子どもなどは肩幅まで振れといっても振れないので、小学校1年生などに教えるときは、対角線持ちです。  私は、飯田橋の駅を使うことがあるのですが、飯田橋は降りて目の前に柱がある。ホームドアの真ん前に、何で柱があるのかなと思うのです。最初は白杖を振りながら何度もぶつかっていました。肩や腰をぶつけて、「くそっ」と思っていました。しかし斜めに持つようになったら、「フォワーン」とぶつかるようになって平気になりました。場所によっては対角線持ちが、とても有効だと思います。  それから2番目は、「ツータッチテクニック」とも言いますが、「カン カン カン」と左右に肩幅で振りながら歩く方法です。これの良いところは、慣れたところなら能率よく歩けるということです。疲れが少なく、しかも音がしているので速く歩いても周りがどいてくれます。しかし気をつける必要もあります。よく駅で、「どけ どけ どけ」と歩いている人がいますが、これは困ったものです。「どけ どけ どけ」、ホームから落ちましたみたいなことになります。交差点内やホームの上はテンポよく歩いてはいけません。  こういう危険な場所をどうやって歩くかというと、「スライド」という方法があります。これが3つ目のテクニックです。チップを路面の上を左右にずらして、行ったり来たりさせるのですが、地面の抵抗がかなりありますし、スピードも落ちます。そこで片方だけずらしたら上にもってくる「片スライス」、または「ハーフスライス」といった方法があります。  本当は、「コンスタント・スライドタッチテクニック」といったかな、スライドの基本事項で、これが一番安全です。私はこれをいつでもやっています。これで歩く事の何が良いかというと、下り段差、穴、溝などには非常に強い(発見しやすい)のです。  また「タッチテクニック」では、左側が高くて右側が低いというような高さの違いがわからないですが、「スライドテクニック」では、道路の丸みを感じることができます。真ん中が高くてサイドが低くなって、側溝に水が流れ落ちるような道路では、路面を触りながら行けますし、横に花壇があるとか、道の端っこなんかもすぐにわかります。これは私はおすすめだと思います。  ただし、石突き、つまりチップの形によって非常にやりにくかったりします。通常のチップは、ツータッチはいいのですけれども、スライドには向いていない。室内のタイルばりとかは全然問題はないのですが、外は歩けないと思います。通常のチップは引っかかってばかりいて、下手すると自分の持っている白杖の柄がお腹に刺さります。それで早く歩いていたりすると、本当に「グッ」となります。  もし外で歩行をする場合は、ちょっと杖先が大きい物がよいでしょう。パームチップ、キアドロップといわれるものや、軟球のボールみたいなものもあります。左右に振ることを特に重視するのであれば、「ローラーチップ」がよいでしょう。「ローラーチップ」は縦方向では滑らないのではと思うかもしれませんが、先が大きいので全然振らなくても、「スー」と前に行きます。でも女性は手首の強い人ではないと疲れるかもしれません。いくらローラーで滑るといっても、やはり抵抗はありますので。  また白杖の握り方ですが、あまり強く力を入れて握るよりも、「ふわっ」と握ったほうが杖先から伝わる情報量が多いです。緊張すればするほど、強く床面を抑えつけようとする人もいますが、それは逆なのです。慣れた人になると、道路に書かれた白線と路面との違いがわかります。ペンキで書いてある白線は1mmぐらい高いので、そこを伝って歩ける人もいます。滑りぐあいも、路面がアスファルトであれば、ちょっとざらついていますが、ペンキは「ツルッ」としています。  このように、杖先からはいろいろなことが分かります。どぶのふた、鉄板、そういうのを利用しながら歩くということです。  また、晴眼者は景色を見てタバコ屋があったとか、八百屋があったとか言いますが、我々はそういうことはしないです。「ランドマーク」といったときには、「常に変わらず存在する物」で、「手がかり」といったときは、「ときどき利用できるもの」というように、歩行訓練上では違いがあります。マンホールなどは「ランドマーク」ですね。一方、音やにおいなどは「手がかり」です。  あと、私はよく数を数えながら歩いています。いつも数えていると、ここまで来たらあと50歩で会社の入口だとかわかるわけです。ですので、見えている人よりもしっかり人にコースを教えることができます。  このように白杖の使い方や、歩き方にはいろいろなテクニックがあります。「こういうときは、どうしたらいいのだろう」というのは、この後でご質問にお答えすればいいかなと思います。このあたりで、いかがでしょうか。 ■白杖を持つことへの抵抗  白杖を持つことへの抵抗に対して、個人個人で克服の仕方は全然違って、いろいろだと思います。だからこれが理想的というものもありません。 最初に私の体験をお話しして、次に事故が起きた時の話をちょっとして、あとは、皆さんの体験談をお聞きできたらいいかなと思っています。  やはり、初めて白杖を持って歩くことは大変なハードルだと思います。これができれば、職場に復帰した時の心構えの半分以上か、それ以上のものができているとみていいのかな。私の永遠のテーマかと思いますけれども、視覚障害があるということを受容していくことは、なかなか難しいです。どこかでやはり引け目を感じてしまったり、恐怖心を持ったり不安感を持ったりということが消えない。これさえなければ、視覚障害者の世界もいいなと思うのですが、これはなかなか克服できないです。だから白杖を使って堂々と歩いている人は立派だなと思います。  人にぶつかった時も、冷静に落ち着いて対応できればいいですけれども、すぐに謝ったり、申し訳ないみたいに小さくなって、しばらくは家から出るのはよそうかとか、そういうふうになったりもするので、なかなかその辺が難しいと思います。  私は、網膜色素変性症なので、視力が少しずつ落ち、視野も徐々に狭くなります。だから、最初は、白杖を持つことにはかなり抵抗がありました。障害者と健常者という社会の分断があるのであれば、できれば健常者の仲間の中で生きていきたいというところがありました。 弱視の人はほぼ全員弱視であることを隠す。見えているふりをする。そして、見切り発射をして怪我をするというのは常だと思うのです。  私は、養護学校の教員でした。いまでいう特別支援学校です。知的障害の養護学校でした。どんなことを教えていたかというと、食事を介助して食べさせるとか、散歩に一緒に行って、子どもが道に飛び出したら追いかけて安全を確保したりとか、着替えのお世話をしたりトイレのお世話をしたりといったことでした。それ以外にも、作業学習で割箸の袋入れとか内職的なことを教えたり、音楽や美術などの授業でも補助を行ったりしました。  もちろん連絡帳もありました。保護者が書いてきたものを、朝読んで、一日の様子を書いて戻す。そういう仕事の中で徐々に目が見えなくなって、まずは子どもを追いかけて安全確保をすることができなくなりました。次に、連絡帳を読むのが難しくなりました。その次にできなくなったのは食事の介助で、スプーンを口に持っていって入れてあげるということができなくなりました。最後まで残ったのは、トイレ介助とおむつの交換、それに服を着せてあげることです。もちろん、ファッション感覚とかそういうのはないので、制服で来たら運動着に着替えさせるということです。  特に重度のお子さんで、動きの遅いお子さんを担当し、マンツーマンで常時ついて、心理的なケアをしながらトイレとか着替えとかをみてあげて、あとは教室について行って一緒に美術作品を作ったり、音楽を楽しんだり、そんなことをやっていました。最後はもうトイレと着替えしか自分の仕事はないぞというときまで頑張りました。  廊下も見えているふりをして歩いていましたが、キャスターにつまづいて見事に転んだり、職員室でバケツをサッカーボールがわりに蹴ったりとかがいっぱいありました。  周りの人はもう気づいている。結局のところ、自分は目が悪く、できないこともいっぱいあるので、よろしくお願いいたしますと伝えました。学校の先生方なので気持ちよく手伝ってくれたのですが、子どものことがあまりできないので、ちょっと肩身が狭い感じがしていました。  最初に抵抗があったのは、白杖ではなく遮光眼鏡でした。黄色いレンズかオレンジのレンズのメガネをかけて学校に行くと便利なのですが、それをかけて行くとのができませんでした。 意外と楽だったのは手帳を取得することでした。誰に見せる必要もないですし、でも自分は視覚障害者なんだなと、ちょっと寂しい気持ちになりました。  歩くのは、すり足をしたり手を前に出したりというのを気がつかないうちにやっていました。周りの人も気づいていましたが、それもできなくなりました。「しょうがない。白杖を持つか」ということで訓練を受けて、白杖を持とうとしたのですけれども、なかなか持てない。例えば、家から遠いところに旅行に行ったときとか、誰も知っている人がいない時に、こっそり出してやったり、夜だけ使ったりしましたが、職場と家庭では持てませんでした。  最初に解決したのは、家庭でした。家の近所でそうやって歩いていたら、自分の息子から「危ないから白杖を持って歩いたほうがいいよ」と言われて持ちました。私の住んでいるところは下町なので、思ったことをずけずけ言う子どもも結構います。お前のお父ちゃん、白杖なんか持って目が悪いのかということで、からかわれたり、いじめられたらうちの娘や息子がかわいそうかなとか思ったり、近所の人はどう思のだろうとか、家族はどう思われるのだろうかというようなことも考えていて、やはり近所ではなかなか出せなかった。  結局、近所では利害関係が少ないので、自分ひとりがそう思われるのならいいかなと、先に近所で持つようになりました。  しかし、職場については悩みました。最初に職員会議で同僚に障害のあることを説明するときには、全員に、「これとこれは見えません」という紙を配って、「こういうことなのでご迷惑かけますけれどもよろしく」と言いました。その後、管理職やいろいろな人に「そういうことは不用意に言うものではない」といわれました。「どんな人がいるかわからないので、回り回って保護者に伝わって話題になったときに、管理職はおまえをどう守ってやったらいいか、なかなか難しい状況になってしまう」などと、いろいろなことを言われました。  ただ単に障害について伝えればいいだけではないと感じました。また、言ったから理解を得られたかというと、全然そうではなかった。中学部など、私と所属が違う学部の人は、私の働きが半分だろうが、おどおど歩いていようが、自分の仕事が忙しくて、高等部の私がどうしようとあまり関係ないのです。周囲の人から理解を深めるということは、とても大事なのですが、結局のところ、生活の場面をとおして言わないと駄目なんです。  やがて白杖を持たなくてはならない時期がきました。同僚にも、持ってきたらどう思うかと聞いて、最後はクビになったらなったでいいかなと半分腹をくくって持ってきました。  養護学校の校門から玄関まで100mぐらいあるのですけれども、白杖をついて歩いていくときに背筋に冷や汗が出ました。同僚に見られるのは全然いいのですが、生徒や保護者はどう思うのだろう。目が見えなくて養護学校の教員が務まるのかということです。  しかし、自分が担任をしているクラスの保護者全員が、先生頑張ってと応援してくれたのです。特に影響力のあるPTAの会長さんとか、そういう人たちはやはり人間ができている。できるだけでいいですから頑張って続けてくださいと言ってくれたので、何とか続けられました。それでもそこには長くいられないなと思っていました。  結局、盲学校に転勤するのに7年かかりましたが、その間は同僚が支えてくれました。また、幼児部から高等部までありましたので、いろいろな保護者の方がずっと味方でいてくれました。そんなに酷い目に遭うこともなく、職場で白杖デビューができました。  これは、たまたま私がうまくいっただけであって、職場によってはそれが原因で、もうそろそろ辞めたらどうだいということもあるでしょう。白杖を持って歩くのは、すごく目立つことなのです。  先ほどシンボルと言いましたけれども、自分は障害者ですということをみんなに知らせることです。そういう点では、外見的にも自分の心理面でも、とても大きなものが要求されるということです。是非、皆さんのお話をお聞かせていただければと思います。  もう一つ、安全面のことでお話します。白杖を持たないで歩く方が多数います。自分もそうでした。ずっと危険な状態のまま歩いていました。本当にいま考えると恥ずかしいことです。しかし、白杖なしで事故を起こした場合のことを考えなくてはなりません。例えば看板を倒したりした時に、白杖を持っていないと全額弁償です。10万、20万はかかります。白杖を持っていれば弁償に至ることはないです。  一例ですが、たまたま盲導犬を連れて、白杖を突いて歩いている方がいました。キップを買おうとしたら何かにぶつかったような気がしたらしい。実際にはおじいさんに接触して、おじいさんは転んで手首の骨を折ったのです。その人は反射的に「すみません」と言ってしまったらしいのです。それで裁判になって、「すみません」と言ったのだから、あなたが加害者でしょう、と相手方から言われたのです。そして賠償金として、何と700万円が要求されました。皆さんも傷害保険には入っていたほうがいいと思います。  その時に、裁判で争点になったのが、本当に視覚障害者が原因となっておじいさんが転んだのかどうか、転ばしたことに対して実はそんなに自覚はなかったのではないか、ということでした。歩いていた視覚障害者にとっても、ただ何となく倒れたような気がしたから「ああ、まずい」ぶつかったと思って、相手の怒りをおさめるために「すいません」と言ってしまった。  交通事故でも何でも、どちらがどの程度責任があるか、責任分担の話になります。本当に700万円が必要だったとして、どちらが何割り払うかという話になる訳です。過失の度合によって、視覚障害者が全面的に悪ければ700万円を払わなくてはならない。  結論どうなったかというと、白杖を持って歩いていたことで、視覚障害者としては最大限の安全義務を果して歩いていたと認められ、賠償責任はないという判決が出ました。相手の人には、おわびをした程度ですみました。  やはり白杖を持っている、持っていないで、それだけ大きな意味があるのです。これはまだ、おじいさんだったからこの程度で済んだけれども、相手が小さな子どもで、転んで頭を打って、重傷を負ったりしたら何千万円の世界です。わが子だったら親御さんは絶対に許さないです。相手が視覚障害者だからといって、情状酌量の余地は一切ない。  このように、なかなか白杖は持ちづらいという抵抗感があるのと、持っていないと大変なことになるという二面性があります。今日はそこを覚えて帰っていただければいいかなと思います。